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はてなキーワード: 下旬とは

2023-06-27

これを見ると、死因が特定できなかったか死体遺棄起訴したけれど実際には殺人に限りなく近い事例に思えるな

https://hirokoba051.com/taniguchi-narumi-profile-8871

警察によりますと、司法解剖の結果、赤ちゃん1月下旬に死亡したとみられ、遺体には「へその緒」や「胎便」が残っていたということですが、腐敗が進んでいて死因は特定されていませんでした。 警察赤ちゃんが産み落とされて遺棄されたとみて、周辺の防犯カメラなどを捜査していました。』

2023-06-21

anond:20230516164655

4/10に紛失がわかったマイナンバーカード、再発行手続きして、来週末、6/23に再交付予定。むっちゃ時間かかるな、これ!!!

5月下旬には「個人番号カード交付申請受付」は完了して地方自治体に発送しているみたいだけど、受け取り予約が全部埋まってて、やっと6/23役所に行って受け取ってくる…

物理的なカード運用でさえこれかよ・・・仕事しろよ、お役所さんよ・・・

2023-06-11

grdgsって人がはてなブックマーク人気コメントから消えた

https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/esite/1646489062/588-n

grdgsって人4月下旬ぐらいから?人気コメ全然出なくなったんだけど毎日コメントはしてるんだね

grdgs先生最近人気コメントで見かけないなと思って一覧見に行ったら相変わらずヘイトを煽ってて、というだけで煽ってるだけしかしてなくて健在だった

grdgsレベルまでいくと人格障害とかそこらへんだよなネット孤立を防ぐセーフティネットになってそう

いくつか確認したが明らかにgrdgsだけ人気コメントから除外されてるなだからお仲間からだけで余計にスターが入らないのか

cinefukおじさんははてブよりtogetterボコボコにされておかしくなってきてるはてブはよしよししてくれるお仲間がいるから居心地がいいね

男だけ絶滅させる核爆弾とかあれば良いのにねにzyzyさん がスターを付けました。

はてサ編集者気取りの創作ワナビー多い。zyzyは初期は創作講座を結構ブクマしてるが作品の音沙汰は皆無ゲームプログラマだったような気もする

zyzyもオタクみたいなもんだったのかなんであんな強烈な政治おばさんになったんや…


https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/esite/1680024694

grdgsや瞑想辺りが全く星を貰えなくなってきてて時代の流れを感じる

grdgs先生久しぶりに見たら言及範囲自民党ミソウヨだけじゃなくて実在しないアホクズブクマカになったんだな

脳内バトルがいっそうキモくなられて何より

ここでそのagricola氏の素敵な政治ブログ

「どいつもこいつもいっぺん死ね

http://georg-agricola.seesaa.net/



よその話題の乗っかるだけのはてブのものには語るものはほぼないし、

はてブでの一番のコンテンツは頭がおかしい奴率の多さとユーザー間の揉め事の多さだから

2023-06-03

果物が高いと思ってる人はキウイフルーツブルーベリーを育てよう

この2つは「ほぼ農薬なし」で「大量に収穫できる」果物からだ。

ブルーベリー栽培が容易なラビットアイ種を10種類以上植える。

キウイは赤・黄・緑の3種類を植える。

収穫時期はブルーベリー6月下旬9月下旬キウイ10月~12月上旬

ブルーベリーの収穫時期になったら毎日収穫して、食べつつ、余ったもの冷凍庫に突っ込んでいく。

冷凍庫に突っ込んだものは1年かけて食べられる。

成木1本当たりの収穫量は5kgはあるので10本だと50kg。

1日200g食べるとしても半年は余裕だ。

次にキウイフルーツ。赤と黄は保存が効かないので収穫後、節分までに消費。

それでも成木1000個以上はあって食べきれないのでドライフルーツジャムにして保存。

キウイの緑はエチレンガスで熟させながら少しずつ食べる。

緑のヘイワード種は梅雨前まで食べられるのでぜひ植えておきたい品種だ。

結論

果物は買わず自家栽培で十分。

農薬はほぼいらないといったが、ブルーベリーにはコガネムシ対策農薬をしたほうが楽。

家族が多ければブルーベリーは本数を増やすキウイは棚を増やす

※両方とも鉢植えで十分収量がある。

2023-06-02

好きだった仕事休職するのがつらい

企画職と専門職の間のような仕事をしている。

就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。

扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラ更迭されるタイプ上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。

そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。

とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。

そこでも管理職に就いたり、年単位プロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。

けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。

病院に行ったのは今年の1月下旬だったように思う。

なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。

命に別状のないものほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。

そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。

退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。

専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社自分たち必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。

次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。

から会社組織心配ほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。

それから、通院や体調の関係仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。

月1ほどで血圧採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。

さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそもスケジュールバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。

ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性ほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。

子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。

客観的に見て、自分環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。

子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せ人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。

両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。

同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分当事者になって初めて分かったことだった。

この記事は、かつての不理解自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。

自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間産休を取る場合もあるということを、かつての自分無自覚想像の外へ置いていたと思う。

からこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。

人は自分から遠い立場人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。

世間的に、産休や育休からの復帰をとりま環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者いるかもしれない。

彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。

そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。

いつか当事者としての記憶が薄れて、また想像力が及ばなくなった時のために、この記事を残しておけたらと思う。

2023-05-30

ゼレンスキー訪日4月下旬に打診…首相

「詰めるべき論点がたくさんあるな」。そう漏らした首相だったが、来ないでくれとは言えないー。そんな思いから「リスクは私が引き受ける」と伝え、調整を始めるよう指示した。(西村圭史)2023.05.24

Q. "来ないでくれとは言えない"とは誰の思いか

a. 岸田文雄首相

b. 外務省幹部

c. 西村圭史

d. 習近平

西村圭史は阿比留瑠比と同じ枠だし突っ込むのも野暮だが

岸田が言ったことにされているようなので

2023-05-20

自分ニートになるとは思わなかった

小中高での引きこもりいじめ大学生活での留年ギャンブル沼なども全て回避したのに、まさか就活に失敗してニートになるとは思わなかった。

なんかすごい悔しい。

2020年4月を思い出す。新生活希望を膨らませながら、必修落とさないように微積分復習して、線形代数ミクロ経済学の予習して、料理洗濯を身につけたりしてた。一人暮らし始めて一週間後には高校から付き合ってた彼女が泊まりに来てそこで童貞卒業した。4月下旬5月には色々なサークル新歓行って、アルバイトも始めた。その後の生活もあっという間だったけど楽しかったのに。

親はニートを許してくれるだろうか。我が家始めての学士様にバイトしろとかなんでもいいから働けなんて言わないことを祈る。

2023-05-18

痔が再発した

去年1月下旬に外痔肛になって3日くらい歩けなかった

ちょうど冬季うつ仕事休んでた時期で自炊ハマってたから困らなかった

週始めから再発した

言いようのないストレスが溜まってたのだろう

よく歩く仕事なので休みを取るか悩んでいる

今日定期が1ヶ月だから定期払い戻すっていう理由があるが

3日間くらい休もうかね

2023-05-14

anond:20230514090443

やっぱりその人かね。ちなみに自分元増田ではないけど、増田に書いた雑文ときどき誉めてもらったり、逆にめっちゃ批判されたりした。

増田をよく読んでるブックマーカーだったなあ。

ちょっとみてみると、1月下旬からピタッとブクマが止まってるね。

2023-05-07

日本駒崎弘樹財団】こども家庭庁がWBPCを捨てて逃げたと思う

<雑感>困難女性支援法を巡る厚労省の暗闘

https://note.com/yukitsumu931/n/n5d2379b9518e

このため、いくつか開示請求事案があったので当方3月ごろに厚労省請求を出していた。

すると、4月初旬に厚労省から若年被害女性支援事業や困難女性支援法の所管自体子供家庭庁に移管したので、開示請求移送手続通知が送られてきた。併せて、同時期に厚労省担当者から電話があり、”厚労省から子供家庭庁への移送事案範囲が拡大され、困難女性支援法などは子供家庭庁に移管したので、開示請求も問い合わせも子供家庭庁支援局家庭福祉課にしてほしい”というお話だった。

そこから時が経った5/1に今度は子供家庭庁から電話があり、5/3付けの先掲の再移送通知発行の連絡があった。その時に担当者から聞いたのは、4月中旬下旬にかけて厚労省子供家庭庁で再度追加移送事案の打ち合わせがあり、女性保護事業厚労省女性支援室に再移送することを決定したので、二転三転して申し訳ないという話だった。

これと

若草ミドリ

@wakakusamidori_

5月5日

国が「困難女性支援法の研修カリキュラム策定を公金使ってやります!」って言った3日後に

Colaboが第4回・第5回若年女性支援養成講座の募集開始露骨ですね〜

パンフレットは前回とほとんど同じだけど、

気になる差分が一点…

もしかして日本財団から助成、打ち切られた???

🎲松島

@satowi

5月5日

公金切れて、その他の助成金も切れたって言ってるんで、多分切られてます

若草ミドリ

@wakakusamidori_

金も民間助成金も打ち切られたので、すべて寄付で…

って仁藤夢乃さん本人が言ってましたからね

日工組社会安全研究財団ってとこから実際打ち切られたのは

1ヶ月ほど前に確認していたんですが、

今回日本財団の分も確認できたとなると、仁藤さんの言を信じてよさそうですね

引用ツイート

若草ミドリ

@wakakusamidori_

4月3日

仁藤夢乃さんが民間から助成金も打ち切られたと言っていましたが、

確認したところ、日工組社会安全研究財団というところからColaboへの助成金が

今年度からなくなっています

ここは表向きパチンコ系の民間団体ですが、実態警察の関連組織らしい

なんで助成金がなくなったんでしょうかねー

これを見るとわかるとおり、Colaboが日本財団から切られたのがわかる。

こども家庭庁は駒崎弘樹日本財団庁なので、当然困難女性支援事業を取る。

しかし、このライン婦人少年室とかぶる

しかし、駒崎弘樹裏金を更に増やすために困難女性支援事業を奪い取るのは既定路線だったはずだ。

そうすると、なぜ東京都が開示しなかったもの厚生労働省が開示したか?なせ厚生労働省東京都に冷たいのか。

この裏金製造事業駒崎弘樹が取ればめちゃくちゃである

縄張り争い以前に常軌を逸している。

しかコラボが真っ黒であれば裏金製造は難しい。

厚生労働省暇空茜を応援しているのかもしれない。

そもそもこども庁は駒崎弘樹里親マッチング事業の推進組織だった。なぜ家庭が入ったかが不自然

それは困難女性支援事業を独占するためだったのではないか

駒崎弘樹 @フローレンス

@Hiroki_Komazaki

駒崎委員「実親だけでなく、里親特別養子縁組、あらゆる家族形態子どもを愛し、育む。そういった多様性に基づく理念を盛り込んでほしい。」

午後4:00 · 2013年5月31日

これは当然代理母事業まで視野に入れている。

2018年07月01日

葬られかけた里親委託目標75%、崖っぷちで復活!

https://www.komazaki.net/activity/2018/07/post8358/

事件を利用する。

2017年04月06日

日本初、男性カップル里親誕生の意義と今後の課題

https://www.komazaki.net/activity/2017/04/004941/

そういう文脈でみると

政策実現】小規模保育施設で5歳児までの預かりが可能に!

https://note.com/komazaki/n/nc093c82c8080

闇が深いのがよくわかると思う。

少なくとも駒崎弘樹とその関係者を外して政策提言必要

利害関係者が受益者になるシステムおかしい。

2023-05-06

コロナ禍は楽しかった

言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である

5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHO緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。

自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。

日常が突如として非日常になる感覚

台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント

何気ない国際ニュースひとつとして武漢新型肺炎(当時は肺炎フォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースカットインされる、まさにスリラー映画SF漫画の導入にありそうなシークエンス

年を越して2020年武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARS新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮限定的な影響で終息すると考えていたと思う。

「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりから記憶している。

マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。

日常じわじわ崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。

生活環境の激変、ステイホーム

自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言生活のすべてが自宅に集約されることになった。

幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。

とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。

仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonヨドバシアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。

通勤という概念消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯カメラオフオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。

通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。

ハイスピードで変容していく社会

この三年間、世界コロナを中心に回っていた。政治経済は当然のこと、社会活動家族の営み、個人価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。

コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触絶対悪となった。

他人との物理的な接触特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。

飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。

国民微妙サイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。

公衆衛生経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラート東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応国民共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。

毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。

他にも、欧米諸国での大混乱や中国ゼロコロナ政策対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。

無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。

ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。

それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。

2023-04-14

3月下旬ベランダオリーブ剪定した。

ずっと室内で育ててたのを引っ越しを機に外へ出して初めての春、育て始めて5年目くらいで初めて花の蕾を付けていた。

(オリーブは気温が下がらないと花をつけないのだが、今まではワンルームの中だったので俺が快適な室温までしか下げなかったのだ)

自分オリーブ環境が変わった気まぐれで、切った枝を挿し木にしてみた。うまく行けば1月ほどで発根するらしい。

2週間ほど経った。密閉して過湿気味にしているせいか残した葉は緑色を保っている。ただなんか、

苔生えてるwwww

土は一応事前に天日干ししてたんだけどそもそもハイドロボールとか使うべきだったか

まだ失敗と決まったわけじゃないかもだがまあまた来年かな

2023-03-29

2023プロ野球 セ・リーグ順位予想(願望)

当たった現実、お待ちしております

1位 DeNA

理由:贔屓だから

予想ではなく願望なので具体的な事は一切述べません。今年しかありません、来年希望はありません。以上です。

2位 ヤクルト

理由:贔屓を1位にしたか

投手力云々を跳ね返すバランスブレイカー村上が昨年と同程度の成績を叩き出せるなら優勝です。ただ、実際はそうはいかないでしょうし相変わらず先発ローテは頼りない面々、更にマクガフも抜けたとなると昨年よりは貯金が減りそうな気がします。

なんだかんだ若手がポンポン生えてくるヤクルトは多少転けてもAに残れそう。贔屓の関係上2位にしたけど3位まではありえる。

3位 巨人

理由:消去法

昨年は借金4で4位。序盤はいいけど夏場投手陣がバテて連鎖的に崩壊していくシーズンが続いている印象。

満身創痍離脱中の菅野を除くとローテで計算できるのは戸郷だけ。春先の赤星は元気だから置いといて外人3人と横川は全く読めない。開幕時のローテのまま終えるわけではなく入れ替えながら起用していくので候補が少ない巨人は一旦崩れると止めようがないのが怖い。いくら良さそうな中継ぎが踏ん張っても限界がある。

野手おっさんだらけ。中核を担っていた坂本どん底、優秀だった丸も年々落ちてきている。中田も頑張ったけど年齢的に上向くより落ちる可能性の方が高い。吉川岡本+外人等の新戦力に期待するも貧弱ローテを支える程ではない。

正直巨人Bクラスなんなら5位でもいいくらいに思ってる、それでもこの位置にしてしまったのは阪神と0.5ゲーム差しかなく勝ち方を知っている巨人は強いから。

4位 阪神

理由岡田監督

昨年は借金3で3位。序盤ズッコケ借金16勝率0割台からここまで戻したチーム防御率2点台の投手陣は非常に強力。だったけど今年はそこまで盤石な布陣ではない。

私が考える最大の懸念材料岡田監督。セはDeNAファンですがパはオリックスファンなのであまり良い印象が無い…。半予想、半願望みたいな感じ。

打撃陣はリーグトップの貧打で月間防御率1点台なのに負け越した月もあり、良くも悪くもポイントゲッター大山佐藤が打たないと勝てない。この二人が不調になると露骨に点が取れなくなる(80点台の大山佐藤に次ぐのが30点台の糸原)。

足が使えるので得点力自体はあるもののやはり打てないと厳しい。森下が頑張ってるけどルーキー、ノイジーもどちらかと言うと返す役割ではない。貧打が解消されず投手力が落ちただけだと5位もある。

5位 広島

理由:上がり目0

昨年は借金8で5位。内訳を見るとリーグ自体は5割で戦えていて借金は全て交流戦。毎年苦戦している交流戦改善されれば借金を減らせる可能性は0ではない。ただ、全ての要素で上がっていくビジョンが見えない。

先発ローテは悪くないけど相変わらず中継ぎが期待できない。唯一ハマっているのは抑えの栗林だけだがセーブシチュエーションを作れなければ意味がないのでヒ魔神化も十分考えられる。

打線も目立ったプラス要素が見当たらない。良くて現状維持マイナス普通にありえる。ドラフトの補強は高校生即戦力リリーフタイプばかりで勝利を引き寄せる大きな力が無い。

昨年のチーム打率.257はリーグトップ。打撃能力は間違いないと言える一方、リーグトップ得点圏打率.288(2位のヤクルトは.253)はあまりにも出来過ぎ。これが落ち着くと借金が増える可能性の方が大きい。

6位 中日

理由広島よりはマシだと思ってた

昨年は借金9で最下位5月借金生活突入すると6月下旬から最下位固定で抜け出せないままシーズンを終えた。原因は言わずもがな26回の完封負け(週に1回は見れる)を記録した圧倒的な得点力不足。

その得点力はチーム内打点2位の阿部、5位のアリエルを手放し約80打点が消えた。ルーキーはアテにならない新戦力のアキーノも正直期待できない。一応アルモンテが戻ってきたがどれだけ活躍できるか不透明。穴埋めどころか更に落ちてチーム得点300点台もあるかもしれない。

昨年2点台が3人も生まれた先発と盤石の勝ちパは強いから大きく負け越す事は考えにくい、はずだった。勝ちパの一角ジャリエルまさか亡命は全く予期しておらず本当は5位予想にしてたけど6位に変えました。

2023-03-25

30代半ば童貞婚活マッチングアプリを始めて1か月の状況

1か月で、20代プライベート出会った女の人の数を超えたのでめまいがした。

今週末は土日それぞれで2回目の人に会う。

お互いにとって良い時間が過ごせるように頑張る。

いい歳した男性の情けない姿をここに記す。

スペック

・35歳地方在住

地元企業に勤務(年収700)

身長175cm、ベンチプレス100kg、スクワット145kg、デッドリフト160kgでBIG3は400

実家暮らし家業の手伝いもあるため)

始めたきっか

大学生の頃から、遊びもせず、介護仕事勉強家業としてるうちに、彼女いないまま30代半ばになった

・甥っ子を育児してた時期もあり子供は好きで、誰にも言っていなかったが結婚願望はあった

・同僚女性相談したところ、「マッチングアプリすれば?」とアドバイスされたので、その場でダウンロードして身分証登録して1万円課金した

・姉に相談したところ、プロフィール写真を選んでくれて、プロフィール文章添削してくれた

方針

女性からの「いいね」待ちにして、最初メッセージ相手待ちにする ⇒ 鼻息荒い童貞からアプローチ最初にくるの嫌だろうなと思って(だからずっと童貞なんだと思うけど)

・とりあえずコミュニケーションをとってみる ⇒ そもそも女性の好みとかもないないので

複数マッチングアプリを使う ⇒ 別の同僚女性相談したところ、「マッチングアプリは3つやりなよ」と言われたので

・色んな人に相談してアドバイスを試す ⇒周回遅れの存在なので、あと意外と皆真面目に聞いてくれてアドバイスくれるので

1か月目の状況

女性からいいね」にまずは全部返してマッチングした。そのうち相手からメッセージが来て10名の女性とのやりとりを開始した

・前述の別の女性の同僚のアドバイスマッチングアプリは3つやりなよ」に従い2つめのアプリを開始して、+で10名弱の女性とやりとりを開始した

アプリを始めた週の週末には実際に会ってみたり、・翌週末には4人と会った。1日に2人ずつ。以後は週に1人ずつの頻度にした

・実際に会った人とは、その後も連絡が続いており、2回目会ったり、電話などしている

話題に出た相手からオススメされたものなどを実際に試して感想を返すなどする

良かった点

相手からオススメされたものを試すのは世界が広がるので婚活以前に生活の幅が出る

複数人と大量にやりとり状態だと仕事スイッチ入るので、童貞だけど緊張しなかった

大学生の頃で止まっていた女性像が更新された。さすが皆いい歳で尊敬できる人が多かった。

悪かった点

・とにかくコミュニケーションが大変

複数人と大量にやりとりするので、感覚仕事のやりとりと同じになる。

大学生の頃に抱いてた女性像まんまな人もいて、大学時代の頃を思い出した。自分だけ泥の中にいた頃。

その他の変化

漠然とした結婚願望から家族を持つ努力をしようという意識に変わった

・どういう女性が素敵と思うか、言葉に表せれるようになった

・5kg痩せた。服を新調し、ひげ脱毛に通い始めた

女友達に「婚活のために、おごるのでちょっと良い御飯食べにいく練習に付き合って」とお願いしたら、「あんたとは絶対結婚しないよw」と返されたので、

 「だから練習相手に丁度良いし頼めるの他にいないんだ」というと「クソ失礼」と怒られた。後から女心を説かれる。わからん

来月の目標(目安)

・引き続き減量する

地元周辺のお店情報スポットなどを調べる

・女心のエピソードしかり、自分に何か足りないのを感じるので、それを言葉に表してまずは認識できるようにする

追記

・色々とコメントしてくださりありがとうございました。

・今週の土日で出会った人とはまた次会う約束したので、引き続き頑張ります

・先ほど、先週会った人から4月仕事に集中したいので」と優しい嘘で話を断られてお互いの健闘?を祈り合ったので、なかなか上手くはいかないですね。

女友達との可能性は0です。

・心が折れてなければ来月下旬にまた進捗を書ければと思います

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-03-08

anond:20230308101753

それ言ったやつ誰だよ・・・

 

丁寧に言うと

まずアメリカが急激な金利上昇した、専門家はそれで「2022年末に130円台は行くだろう」と予想した

1ドル150円は行き過ぎだった、為替はいだって行き過ぎるが、結局戻って130円台になった(勢い余って割れたけど)

この戻りも急激だったんだけど

理由は「インフレが落ち着いてきたかFRB金利上昇をやめるだろう」という勝手憶測によるものだった

おかげでダウ平均めっちゃ上がった、意味分からんだろ?過度な期待だ

ちなみにFRBは「金利上昇はやめない、インフレ退治は確実にやる」って言い続けてた

でもそれやると景気後退リセッション)が起こりFRB的にもあまりよろしくいから、市場は「とか言って、やめるんでしょ」と思ってた

これが昨年末1月辺りまで

んで、1月2月あたりの経済指標で「インフレ意外と落ち着いてないじゃん」ってことになった

(つうかその判断がほんとに0.1,0.2%程度のわずかな差で言ってるからどちみち過剰反応なんだけど)

FRBは相変わらず「インフレ退治頑張る」と言うから市場は「じゃあやっぱ株安、ドル高かぁ」となる

市場は基本アホ、というか上下に振ったほうが儲かるから過剰に反応してる

それで今は株安、ドル高になってるんだけど

(言うほど株安になってないのが気持ち悪いんだけど)

FBRは「金利上昇させるの2023年いっぱいで、来年は徐々に下げていく」って言ってる

高止まりさせるのはほぼほぼありえない、リセッションが起こるから

からドル高の流れは今年の半ばあたりで終わり

市場半年後とか1年後のことを織り込んでいくから来年の展開を見越して今年の下旬には動いていくはず

あと前回の150円の時ほどの勢いはないから、あそこまではいかない、だから140円台

 

あと、日銀総裁が変わるんだけど、デフレ政策辞めるんじゃないかという予想が出ている

歴史的に見ても、「アメリカインフレ政策が終わったあたりで、日本インフレの余波が来るため、日銀は少しインフレ政策をやる」らしいので

今年の半ば〜後半あたりは一旦円高に振れると考えられる

そういうのを全部加味すると、まあ120円台くらいじゃない?と思う、一瞬勢い余って120円割れるかもしれないけど

110円割れ、150円抜けはない、アホみたいな動きするのが市場だけど、金融政策にだけは逆らえないし

今年と来年金融政策の見通しはかなり硬い、それ以外のことができないか

2023-02-27

正月を新春っていうの不思議だった

一週間くらいまえに冬至越えたばかりの冬のピークじゃん

って思ってたんだけど、旧暦だと今でいう1月下旬から2月半ば頃が正月から、そりゃ今より春が近いよなあ

似たような現象には

桃の節句(3月3日):桃の花は3月下旬4月上旬に咲く

七夕(7月7日):梅雨でほぼ星空見えない

等があるな

節句中国伝来の行事奇数の月の奇数の日、っていうのが重要らしいが、季節を味わう行事としてはちょっと合わないよね

2023-02-15

通販で15,000円のワンピースを買った

ワンピースというか、正確には結婚式に着て行くパーティドレス

パーティドレスで15,000円は特別高い訳ではなが、15,000円自体は十分な大金。そんな15,000円のパーティドレス通販で買った。試着なしで買った。一か八かで買った。

招待されてる結婚式3月下旬なので、別に急いで買う必要は無かった。私自身そんな忙しい人間じゃないので、暇な土日もしっかりある。試着をたっぷりしてから買う時間猶予は余すほどある。それでも似合うかどうかわからないまま通販で買った。

だってしかったドレスそもそも店舗を持たないブランドなんだもん。いくら時間があっても店舗がないんだもん。しょうがないじゃん!

夫に「15,000円のドレス買っていいと思う?」って聞いたら「いいんじゃない?」って言われた。

「試着なしで15,000円のドレス買っていいと思う?」って聞いたら「それは試着しなよ」って言われた。そんな夫の言うことを無視して試着なしで買った。

骨格ウェーブからワンピースはだいたい似合う。お店で見かけて可愛いなって思ったワンピースはだいたい試着しても可愛い。今まで通販で買ったワンピースちゃんと似合ってた。イケる。大丈夫なはずだ。

今日届く。19-21時の時間指定からもうすぐ届く。似合うといいな。

通販で15,000円のワンピースを買った

ワンピースというか、正確には結婚式に着て行くパーティドレス

パーティドレスで15,000円は特別高い訳ではなが、15,000円自体は十分な大金。そんな15,000円のパーティドレス通販で買った。試着なしで買った。一か八かで買った。

招待されてる結婚式3月下旬なので、別に急いで買う必要は無かった。私自身そんな忙しい人間じゃないので、暇な土日もしっかりある。試着をたっぷりしてから買う時間猶予は余すほどある。それでも似合うかどうかわからないまま通販で買った。

だってしかったドレスそもそも店舗を持たないブランドなんだもん。いくら時間があっても店舗がないんだもん。しょうがないじゃん!

夫に「15,000円のドレス買っていいと思う?」って聞いたら「いいんじゃない?」って言われた。

「試着なしで15,000円のドレス買っていいと思う?」って聞いたら「それは試着しなよ」って言われた。そんな夫の言うことを無視して試着なしで買った。

骨格ウェーブからワンピースはだいたい似合う。お店で見かけて可愛いなって思ったワンピースはだいたい試着しても可愛い。今まで通販で買ったワンピースちゃんと似合ってた。イケる。大丈夫なはずだ。

今日届く。19-21時の時間指定からもうすぐ届く。似合うといいな。

2023-02-13

就活の途中記録

今できることが一段落してきたので、今までの振り返りをしてみる。

ちなみに、これを書いているのは機械系3年のメーカー技術職志望の男子です。

今どきの就活何となく知りたい人は読んでみてね。

夏〜秋 夏季インターンシップ

就活夏季インターンから始まる...」と言われているが、その募集6月7月上旬で締め切ってしまうため、夏から就活を始めていると遅い。

知名度が高い人気企業は応募者が大量に押し寄せるため、ES面接要求されゴッソリ落とされる。GW開けくらいから準備していなければ間に合わない。

逆に、知名度が少ないBtoB企業だとwebテストだけでOK、なんて企業が沢山ある。学生にとってBtoB企業が何やってんのかよくわからないため、参加ハードル社会勉強になることをふまえると非常におすすめ

私は複数応募したものの、1つはESで落とされ残りは面接不合格。結局、webテストのみで参加できるインターンシップを受けることに。東証プライムだけど一般的知名度ほとんどないBtoB企業で、正直全く期待してなかったが、なんとここが大当たりだった。

選考を有利に進めたかったっていう不純な理由で参加したけど、マジで面白かった。大学の授業で色々な技術について勉強したけど、やっぱり現場で生きている技術を学ぶのは全然違う。やっぱり座学でインプットばっかやるのはダメだね。院進学せず、すぐに就職したい意欲が高まった。

社員さんや会社雰囲気もすごくよかったし、本当に行ってよかったと思う。本選考でも、第一志望群のひとつとして考えている。

秋〜冬 会社説明会OB懇談会

秋〜冬だとオンライン説明会しょっちゅう開かれる。大学主催OB懇談会も開催。

業務内容を知るのは良い機会だったと思う。説明会社員さんが話す仕事内容は、ネット書籍じゃ得られない。こういうの出て仕事内容を把握しとかないと、志望理由とか書けないな〜っていうのは今になってめっちゃ思った。

あと、心なしか説明会に出席した会社からメールで色々な案内が来てる気がする。説明会さらマニアック説明会個人面談...。みたいな感じになってる企業もある。逆に、説明会に全く出てない会社からは、全然案内来ない気がする。

説明会の熱の入りようも会社によって大分違う。オンラインガンガンやる所もあれば、まったくやらない所も。説明会の案内が来ない会社学歴フィルターでもかけているのかと不安になる。

また、説明会に出れた企業の方が働くイメージを、持ちやすく志望度が高まる。そして、説明会積極的にやってくれない会社は、相対的に志望度が下がる。

ちなみに、企業主催説明会よりも、大学主催OB懇談会の方が絶対おすすめで優先度が高い。参加者が少なすぎて質問やすいし、ぶっちゃけた話を聞ける機会も多い。人気企業にもかかわらず、参加者自分一人だけだったときもあった。

大学主催懇談会は案内が分かりづらいため、このようになっていると思われる。ちゃん大学から情報確認しておくこと。

冬期インターンシップ

冬期インターンシップ募集はだいたい秋に締め切るので、1月くらいになって「2月インターンさがすかあ」と言ってると遅い。

ESをしっかり書かされるなど、夏季以上に志望度やら企業への理解要求されている気がする。

幸運なことに、冬期インターンシップにも参加できた。やっぱりインターンシップは学ぶことが多くて最高。クソ教員の座学半期よりも、5日間の実習の方が学ぶことがずっと多い。

年明け〜 本選考

志望企業の半分以上は既に選考が始まっている。大体1月下旬からES提出の案内が始まっているイメージ1月頭に募集が始まる会社も。業界によって差があるのだろうけど、3月まで律儀に待っている会社は少なく感じる。

あと、インターンシップに参加した会社からはもれなく早期選考の案内が来る。会社によっては、推薦状の提出が求められる。

3月以前から募集を始めている会社でも、スケジュール結構異なる。3月以後も募集を続ける会社が多いが、2月上旬募集を締め切っちゃう会社もある。さっさと締め切ってしま会社は、企業規模に対し人気が高すぎて、応募してくる学生を捌ききれないのだろう。

また、面接面談を何回も行う会社も。面談ES添削をしてくださるので、非常にありがたいが...。

適性検査WebテストTOEIC

初っ端の適性検査テストWebだったが、ノー勉で突っ込んだ。結構ムズくて8割得点するのはかなり難しい感じだったけど、全くわからないわけでな無かったのでノー弁続行。適性検査とき勉強で取られる時間が惜しい。それで選考は通っているので、塾講バイトできる程度の計算能力があれば十分だと思われる。

電卓を使えるWebテストよりも、電卓を使えないテストセンターの方が計算簡単で楽だった。(実際のスコアは知らん)

会社によって実施テストが異なる。テストセンター得点を使いまわしできるとラクなので嬉しい。

服装スーツ)と頭髪

就活は黒スーツじゃなきゃダメ!」と言い切っているサイトがあるが、面接官はそこまで気にしていないと思われる(技術系の場合)。

マナー講師が卒倒するようなオシャレ系スーツを持っており、企業説明会個人相談で印象を聞いてみたが、「オシャレだねえ別にいいんじゃない、今どきそこまでうるさくないよ」って感じの反応だった。そのスーツ面接に臨もうとは思わないが、ビジネスシーンでふさわしいスーツネクタイであれば何でも良いと思われる。

スーツネクタイの色よりも、シャツが袖からチラリと見えるとか、ズボンの裾がダルダルじゃないかの方がよっぽど重要だと思う。スーツシャツサイズが合ってなっくてダサくなってる就活生はマジで多い。ジャケットスラックス両方直しても2〜3000円で済むので、直したほうが良い。

頭髪はおでこを出すカットの方が印象が良いな〜っていうのは他の就活生見てると感じる。

マナー

大学が配布している就職のてびきがあるので、それを参考にする程度。就活マナーの本とか買って読んだりとかはしたことがない。

メールの書き方は就職のてびきに書いてある内容を参考にして適当に。

対面の面接練習しかやってことがないが、部屋に入る時にノックする、面接官に言われるまで座らない、程度しか意識していない。それで練習ツッコミが入ったりしないので、一般的マナーが守れていれば十分だと思う。

情報収集について(マイナビなど...)

基本的に、情報収集企業マイページから収集している。マイページ登録してるメールアドレスに、説明会の案内などが送られてくる。

マイページ登録している企業から送られてくるメール確認するだけ。

マイナビとかはどうやって使えば良いのか、未だによくわからない。

あと、ABABAっていう就活サイトにも登録。最終面接まで進んだ会社の記録を登録しておくと、それを評価した企業からスカウトが来るらしい。保険として使ってみる。

このサービスLINE情報が届くので、マイナビなどと違い使いやすい。

企業説明会

マイナビかに登録してると、企業説明会のチラシが自宅に届く。

大概「◯社以上回るとアマギフプレゼント!」っていうキャンペーンやってるので、それ目当てで行く。

中には、総額で1万円くらいプレゼントちゃう説明会も。話聞くだけで1万円もらえるのだから、こんなに割の良いバイトはなかなかない。行きたかったが都合が合わず諦めた。

院進学 or 就職

理系特に工学系の学科だと過半数が院進学を選択する。(もちろん大学学科にもよる)

研究に対するモチベーションが高く能動的に院進する人と、進路についてちゃんと考えずダラダラしていたら就職が手遅れになり、ダラっと院進学する人がいる。

逆に就職選択する人は、金銭的な理由で院進学が渋い、理系が嫌になり文系就職、さっさと就職して銭稼ぎたい(私はこっち)、などの理由が多いイメージ。私の大学では半分程度の人数が院進学するが、私の友人はみんな院進学するので、感覚的には院進学する人はかなり多く感じる。また、大学によっては7割以上が院進学することも。

大学の進路説明会とかだと、「就職院生が圧倒的に有利ですよ!」って散々煽られる(多分学費研究室の人手が欲しい)。しかし、技術者としてバリバリ働いている方に意見を聞いてみると、仕事できる実力が重要と話すことが多いので、大学意見ギャップを感じる。

しかし、院生が優秀だと感じることは多い。インターンシップに出てくる人は圧倒的に院生が多いしみんな優秀。特に、チームで考察議論するスキルや、エクセルでの数値処理、人前で発表するスキルについては、院生に分があるとインターンシップで感じた。学会の発表などで鍛えられるのだと思われる。

しかし、院生が優秀である因果関係については、よく考える必要がある。というのも、学部時代から優秀でモチベが高い人は大体院進学するので、院生が優秀なのはある意味当たり前である。また、学部卒でも授業で発表したりエクセルで数値処理する機会はあるので、学び方次第で差は埋められるとも思う。

また、二年間自社で教育した方が都合が良いと考え、学部卒を積極的採用する企業もある。そういった点をふまえると、学部卒が圧倒的に不利なのかと言われると正直微妙

私は自分が優秀だと思わないが、今の所出したESバンバン通ってるので、まだ学部卒のネガティブな部分は感じていない。

入社した後は知らん。

推薦

企業への推薦は理系ならでは。大学によって研究から推薦が出る場合と、研究室は関係ない場合がある。

推薦を申し出ると、内定が出た場合は辞退できない。企業側は学生を確保しやすメリットがあり、学生的には内々定が出る確率が高いというメリットがある。

個人的には、推薦を使うのがいいと思う。というのも、いくらザクザク内々定が出ても、最後は1つだけに決めなければならない。それなら、あらかじめ第一志望を決めておいて推薦を使い、確実に第一志望の内々定をもぎ取るのが合理的である。ただし、第一志望の会社自由応募の場合や、どこでも良いからさっさと進路を決めいた場合は、推薦はやめておいたほうが良い。

その他

TwitterおすすめしなくなったらハフポストJPはてなブックマークされる件数も減るのだろうか?のその後

anond:20221218224416

12月に数えたときは以前にも同程度の落ち込みがあったか結論を出すのは時期尚早と書いたが、それから2ヶ月経ってもブクマ数は低迷したままだった。Twitterが無理やりハフポストJP記事を表示しなくなった影響ははてなブックマークにもあったと見て良さそうだ。12月以降では1月1日小泉悠氏のインタビュー記事が1197ブクマを集めたのが唯一のヒット。

ブクマ数は減ったがファーストブクマの数はあまり減っておらず、1月下旬からは以前のペースに戻っている。

週ごとのハフポストJPはてなブックマーク状況 続き

年-週ブクマエントリブクマ数合計メモ
2022-5131101
2022-52361349
2023-012531
2023-0236113
2023-0347151
2023-043585
2023-0550161
2023-0648137日曜日23時頃まで

ブクマ数合計はファーストブクマベースで集計、週は月曜日スタート

月ごとのハフポストJPはてなブックマーク状況 続き

年-月ブクマエントリ100ブクマ以上のエントリブクマ数合計メモ
2022-121410438
2023-0116011602
2023-02840276集計は2023年2月12日まで

ブクマ数合計はファーストブクマベースで集計

2023-02-01

最高気温2桁が普通になってきた

日の出時間日の入り時間5月下旬まで1日1分ペースで変化する時期に入った

2023-01-25

anond:20230123225612

「かつて一世を風靡したなんでも実況J板の現状」と題しつつなんJ→なんG→3GへのなんJコミュニティ民族移動

解説していて、なんJのものがどうなったかは描かれていない。

なので書く。




なんJの現状。

端的に言うとかつてなんJ民が忌み嫌った「バチャ豚」に乗っ取られた。

==== =====

今のなんJにはバチャ豚と、なんGにもどこにもいけなかったスラム街住民の生き残りしかいない。前者は毎日毎晩

元気に実況スレをたててキャッキャしているし、後者はどうしようもないクソスレをたてては数レスもつかずに消えていく。

2022年3月下旬なんJ鯖落ちがなんGへの大移動のきっかけだったが、じゃあその跡地にバチャ豚が住み着いた

のかというとそうでもないのでややこしい。

なんG移動時に「バチャ豚はなんGに来るな」と叫ばれていた。それくらいにはすでに異物として認知され居座っていた。




もともとなんJにもVtuberスレ・実況スレときおり立っていた。ただどれも長続きせず、なんJを変容させるほどの

影響はなかった。なんJ民も大半はバチャ豚を叩き、逆張りVtuber自体を嫌っていた。




転機となったのは2021年11月末。ホロライブVtuberの博衣こよりがデビューした。

完璧な初配信とその後のgdgdな配信との落差からバカにしておもちゃにしようとしたなんJ民の間でなぜか

人気沸騰、12月中旬ごろから連日連夜実況スレが立ち、12月下旬には「なんJの姫」という不名誉称号を獲得。

あけて2022年1月1日にはついにスレ書き込み勢いランキングで全板一位を記録し、事実上なんJ制圧した。

https://ikioi.jp/history/daily/2022/1/1

このころはまだプロ野球オフシーズンのためなんJを席捲できているだけ、とみられていたが、前述の大移動のため

やきう実況民その他はいなくなり、なんJにはこより実況スレとその他だけが取り残された。最後まで立っていたこより

スレなんJを手中に収めた。

やきう以外の実況スレほとんどなんG・3Gで立てられており、2023年1月現在なんJはこよりスレ及びその派生

のホロライブ関連Vtuber実況スレのほかは数レスから数十レスで消えるクソスレしか存在していない。




(補足)たまにラブライブ関連の実況スレスレ完走している。

2023-01-23

かつて一世を風靡したなんでも実況J板の現状

この1年間に凄まじい勢いで5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)が変わろうとしているので今後のために書いていこうと思う。

約1年前のなんでも実況J板(以下なんJ)はグロ画像を高速で貼ってスレを埋め立てるスクリプトや、意味不明韓国語を高速でレスするスクリプト夏目漱石の一節で埋め立てるスクリプトなど多数のスクリプトに荒らされる被害を受けており、雑談スレや時事スレはおろか本質である実況すらもままならない状況が常態化していた。

スクリプトの正体は誰から相手にされなくなった精神病患者説、アフィリエイトブログへの転載を辞めさせ本来の実況スレを取り戻す目的説など様々であった)

そのせいか度々なんJサーバーダウンを起こすようになり、なんJ民はなんJに代わる新たな移住先を探していたが一向に移住が起こることはなかった

過去戦場実況板に移住しようとした際に大失敗し、黒歴史したこと移住がなかなか進まなかった原因の一つである

そんな中で転機は突然訪れる。

2022年3月下旬なんJが突如長時間サーバーダウンに陥りスレ消滅してしまった。

日頃の避難訓練により避難J(したらば掲示板)やニュー速VIPなどに集まったなんJ民は「みんななんGという板に行ったらしい」という情報を聞きつけなんでも実況G板(以下なんG)に集結。

使い勝手の良さ、これまでになかった規模の長時間なんJ鯖落ちアフィカスによる対立スレ煽りスレがしばらく立たなかったこと、そして何よりスクリプトもなんG移住についてこれなかったこから平和なんJが帰ってきた」と歓喜し、移住決断した者が続出した。

この経緯はなんJwikiにも詳しく記載されている。

https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E3%81%AA%E3%82%93G

最初は「なんJが復活したらJに戻る」派閥と「このままGを使う」派閥対立を見せたが、●スレ民(競馬スレ民)など一部の定期スレたちは既になんG定住を決めていた。

そして、奇しくもこの鯖落ち日が春の選抜高校野球開催期間中であった。

避難J(したらば掲示板)は今まであくまでも避難所という使い方であったため定住による恒常的な実況を想定しておらず、このまま毎日野球実況をしていては避難Jをぶっ壊してしまう恐れがあったため、

なんGで実況してみようという動きになる。

結果的に実況は成功し、数日後に控えたプロ野球開幕戦にもサーバーが耐えうるという判断がされた。

なんJとなんGでは使用している5ちゃんねるのサーバーが異なる

※元々実況に強いサーバー使用していたなんJであるが、毎年開幕戦オールスタードラフトなど特別な日は非常に重くなっていたためなんGは不安視されていた。

そして結局、プロ野球が開幕するころにはすっかりなんGを使う者が大多数を占めており、開幕日のなんJの勢い1位はVTuber実況スレであった。

なんJでは元々バチャ豚が嫌われており、なんGでVTuberの実況を立てるなと念押しし続けた結果、バチャ豚はなんJ復活後大人しくなんJに帰った。)

しか楽園は束の間、なんGにもアフィカスがやってきて煽りスレ対立スレを乱立。そして恐れていたことにスクリプトまでなんGにやってきてしまった。

ここまでされてなお、スクリプトに何の対策も取らない5ちゃん運営になんG民は激怒しだす。

5ちゃん運営に直訴しても「グロ画像なんて私の頃は~」などと今時中学生でもしないような謎のグロ耐性イキリをしだしたり「荒らしスルーが一番」などとのたまいたり、

書き込み携帯回線規制するなど何の解決にもならない的外れ規制運営内ではスクリプトに目もくれず終始内輪ノリなどなんG民からヘイトは溜まる一方であった。

そして2022年7月、いつものように暴れ回っていたスクリプトMLB中継の大谷実況スレを荒らすと純粋メジャー実況を楽しんでいたなんG民が遂に痺れを切らし、

規制議論板(運営のお膝元)でメジャー実況しようや」と提案。なんG民による規制議論板侵攻が開始された。

「これに懲りた運営スクリプト対策をすれば勝ち」「実況スレなどを乱立させたなんG民を規制したら『荒らしに反応した』というヒットマークを出してしまうため勝ち」

という勝ち戦であり、この動きにはケンモメンも絶賛。一方で5ちゃん運営自分のところが荒らされた時だけ都合よく規制議論板のスレ立てには浪人(5ちゃんねるへの課金)を必須にした挙句荒らしスレを立てたなんG民の浪人を焼いてヒットマークを出してしまう。

なんG民は「スクリプトに荒らされているなんGをどうするかの議論だ」などスレ正当性を主張、また運営の気分次第で浪人が焼かれる(課金者をBANする)ことに対して不信感を募らせた。

規制議論板への移住は進んだわけではなく結果的になんGを使い続けることになったのだが、この頃から3ちゃんねる」という別の掲示板認知度が上がりだした。

5ちゃんねるとは違って日本語が通じる運営になんG民は感激し、5ちゃんねるのなんGは「5G」、3ちゃんねるのなんGは「3G」「さんG民」などと呼ばれ出し、避難所的な使い方をする者が増えた。

しかし5ちゃんねる専用ブラウザ大手「chmate」で閲覧するために初期設定等を済ませなけばならず、少々ハードルがあるのが課題だった。

それでもなおスクリプト暴走は止まらず、なんGではスクリプトの正体を突き止めるために一部で特定活動等も行われた。

しかし同時並行でアフィカスによる煽り対立スレ悪化するのみで純粋雑談レスをしたいなんG民は辟易していた。

一方その頃5ちゃんねる運営はと言うとようやくスクリプト対策に本気を出したかと思いきや「みんながキリ番を狙ったら、スレが埋まっちゃう!」などとてもじゃないが2023年の会話とは思えないどうでもいい議論(笑)を繰り広げており

なんG民は本気で5ちゃん運営を見捨てた。呆れて言葉も出なかった。

そして本日未明、なんGで行われていた海外サッカーの実況スレを当然のようにスクリプトに荒らされ、ブチギレたなんG民がさんGで実況を開始。

3Gでは埋め立てスクリプト対策豊富コマンド、そして何よりも運営が「ツールを使った埋め立て行為には法的措置検討する」ことを公言していることからスクリプトはさんGには手が出せず、皆快適な実況を楽しんだ。

勢い数十万でも鯖落ちしないことが確認されたのだが、相手にされなくなったスクリプトがまた暴走しなんGのスレ一覧を破壊ドン引きしたなんG民によりさら3ちゃんねるへの移住が進んだ。

一方スクリプトの正体とされる人物必死でさんGにて3ちゃんねる運営3G移住民を下げるレスをするも自演防止コマンドによりバレて退散、なんGでのスクリプト荒らしに戻った。

ここまでがここ1年間のなんでも実況J板や5ちゃんねるにおける現状である

ワイは一刻も早くスクリプト消滅することと5ちゃん運営のまともな対応3G民の増加を願っとる。

2023-01-21

買い物日記

 もう1月下旬から、近所のスーパーにはチョコレートギフトがずらりと並んでいるのだが、今年は例年とその様子が全然違う。というのも、バレンタインギフトありがちなブラックや焦げ茶やワインレッドや濃緑などの包装紙で包まれているものがなくて、ピンク黄色地に小花柄などの可愛い包装紙で包まれているものが目立つのだ。

 まあ、去年はバレンタインチョコ当日まで売れ残ってたし、虚礼廃止ってとこなんだろうな。私のバイト先にでもあんまり売れてなかったし、売れても付属のお洒落紙袋とか要らないっていう人もいたし、他人にあげる用じゃなかったんだろう、しらんけど。

 子供達が授業や宿題に使うノートがないというのだが、特殊ものではないのでスーパーで間に合わせる事にした。そしたら、何故か文房具のコーナーから遠く離れた所に鬼滅の刃グッズと一緒にジャポニカ学習帳隔離されていた。しかジャポニカ学習帳はすべて88円だった。売れ残り……? よくわからないけど、昔ながらに表紙は生き物の写真だが昆虫爬虫類は廃除されたらしい、ジャポニカ学習帳ふつうに考えて文房具コーナーに並んでる100均クオリティ得体の知れないメーカーの変な表紙のよりも質がいいのに、売れ残りコーナーにずらっと並ぶの何でだろう。

 子供達はジャポニカ学習帳が売り切れていない事に喜んでこれにすると言った。下の子に買ってやった連絡帳にはダチョウに関する蘊蓄のページがついていた。

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