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はてなキーワード: 人形とは

2015-06-06

女はセックスさせれば愛してもらえると思ってるだろ

金を払ってまでセックスをしようとする男もキモいけど、セックスの見返りとして愛を得ようとする女は輪にかけてキモい

女よ。お前が一個の人間として愛されることはない。セックス釣り上げようとしても、愛されるのはせいぜいお前の小汚い肉と情けのない喘ぎ声だけだ。お前の人格は、お前が大切にしているお前の人格とやらは、絶対に愛されない。愛されるわけがない。だからさっさと諦めろ。リングから降りろ。他者からお前の内面は見えない。お前が口には出さなもの、振る舞いで表さなものは決して愛されない。愛しようがない。お前が何もかもさらけ出して男に立ち向かわない限り、お前はお人形としての価値しかもちえない。セックスのできるお人形としてしか愛されない。

女。お前がいくらチンコを咥えようと突っ込まれようと、男は決してお前を愛さない。

同じ苦難や喜びの共有なら、部活の仲間と済ませている。あの時仲間内にあった親愛の情をセックスだけで越せると思うな

2015-06-01

触らないからいいじゃないかって……子供をそういう目で見ている商品が一般の場で売られている事自体問題なんだよ。

例えば日本人を模した人形リンチする商品が売られていたらどう思うだろうか?現実日本人に触らないからいいじゃないと思えるのか?

2015-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20150527104052

3DCG2Dっぽく見せるために余計な手間をかけているのが現状なのでほとんど手描きと変わらん。

1キャラ1モデルレンダリングだけして終わり、というところまで持っていってから言ってくれ。

楽園追放なんか「手書きより労力かかってますよ」と自慢する始末。

いまの3DCGデジタルデッサン人形にすぎない。

2015-05-22

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれ白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあい台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズ化石彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれ化石などを作り出し、ベリンガー化石採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかし化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しか調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人逮捕された。しかし「王妃伯爵夫人同性愛関係にあった」「本当は王妃陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアム戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアム父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女インド洋島国王女ラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女メアリー・ベイカーという家政婦で、架空言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ポヤイス国(1822年)

イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地役職通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーフランス高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュアヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人化石捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見たかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人化石見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハル観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい新聞記者から取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石捏造されたものだと断定された。捏造犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝艦隊見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざい変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当ものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

アルバニア王オットー1世1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アーン・マレー(1943年

オーストラリア現代詩誌『アングリーペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるセルから送られてきた。『アングリーペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派詩人であるジェームズマコリーハロルドスチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメものだった。この事件によりオーストラリア現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品シュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界から多額の寄付が集まり居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論特集に、アランソーカルから寄せられた『境界侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

2015-05-15

美少女少女?)文学といえば星新一の月の光が有名だけど

美少女(でもないが)飼育を堪能したいなら川原由美子の『観用少女プランドール)』もかなりオススメだよ。

少し古い少女漫画だけど、「古いけど読めるから!」とか言ってる他の少女漫画と違って本当に古くても読めるから適当サイトで試し読みしてみるのをオススメするよ。

プランドールなる生きた人形金持ち趣味存在の真偽も定かではない、という社会で、主人公が疲れて家路について、「こんな店あったっけ?」とふらっとお店に入るとそこには夢のようにきれいな生きた人形たちがいて……という感じの導入が多いんだけど、各短編は似たような展開にはならず出てくる人は様々。

ローゼンメイデンが読めた人なら読めると思う。

出会った人みんな、生きるのになんとなく飽きてたけど、少女出会うことでハリが出てくる人ばかりだからそのへんも読んでて楽しいよ。

書いてたらまた読みたくなったから読んでくるわ

2015-05-04

アイドルグループ日本独自文化ではない

がーるずちゃんねるにも書き込んだが、AKBジャニーズみたいな集団で歌い踊るアイドルグループ日本独自文化文化ではない

日本以外の国にもわりといるから、特に誇れるもんでもない

ベッカム嫁がいたスパイス・ガールズ

リッキー・マーティンもいたメヌード

アメリカイン・シンク

ピンクレディーより古いジャクソンファイブ

みんな日本国外の歌って踊れるアイドルグループ

その国にはその国のアイドルグループがある

もっとアイドル文化でいうと、フランスアイドル文化日本以上と言ってもいいと私は思う

世界一アイドルソング『夢見るシャンソン人形』はフランス

たまたま秋元康クールジャパンに噛んだだけ

AKB日本独自ポップカルチャーではない

2015-05-02

ロリAV女優の年齢を確認してみた

検察の主張を覆した「ロリ女優貧乳」 http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/276429/

前にこんな記事がありましてですね。

最近画像から年齢を調べるサイト流行ってるらしいんで、ロリAV女優の年齢を調べて見たいと思います

使うのはここ→http://how-old.net/

※当たり前ですが、ここから先は18歳未満厳禁の記事です。苦手な人もみないほうがいいと思います

※上記のサイトで出た年齢なので、実際の年齢とは違うと思われます

写真ややり方によって変わる可能性があります。悪しからず。

確認に使ったのは記載したAVパッケージ。そのあとに年齢を書いてる。ほいじゃ、いってみよう。

ソフビ人形だと思って拾ってきたら本物の女の子だったので(汗)…でもせっかくだから生で挿入中出し 琴音さら

18歳

「ご主人さまの厳しいしつけ かえで143cm(つるつる)」

20歳

担任からここへ来るように言われました。あんな149cm」

20歳

「嫁の連れ子がドストライク ゆい148cm」

18歳

可愛い妹との内緒カンケイ」 篠宮ゆり 青井いちご 小西まり

左:20歳 真ん中:21歳 右:18歳

つぼみ 8時間 SPECIAL COLLECTION 9」

16歳

女子校生飼い馴らし伝説 僕の中出されオナドール RINA

15歳

「最高級ロリ痴女が逆3Pシテあげる つぼみ 裕木まゆ」

左:17歳 右:12歳(つぼみ

「「胸のサイズをアップします」貧乳に悩む思春期女の子を狙う ワレメ強制開発エステ(全つるつるパイパン)」

左:19歳 真ん中:27歳 右:23

「親には言えない修学旅行 ‘旅のしおり’には書いてありませんでした。 小羽 みなみ愛星」

左:17歳 右:11歳(みなみ愛星)

かわいい愛星と夢の同棲性活 みなみ愛星」

9歳

兄貴の娘達がエロく仕込まれてて子作り」

左上:17歳 右上:22歳 左下:16歳 右下:16歳

新人×ギリギリモザイク 新人ギリギリモザイク つぼみ

19歳

本当はこの3倍くらいしてみましたが、おもしろいのがなかったのでここで終了とします。

調べた限りでいちばん年齢が低かったのはみなみ愛星さんでした。

ガチロリで売ってるAV女優さんではあまりおしろい結果は出ず、面白い結果が出たのは

みなみ愛星さんとつぼみ様だけでしたね。

しかし、つぼみ様は来年デビュー10周年かぁ。すごいなぁ。

2015-04-10

明らかに抑圧されているだけの蛆虫で今にも本性を現しそうなクズ人形になって「こんばんは」とか挨拶してくるのがむかつく。

こんなもんが答案だったら0点以前に通報だ。答案に犯罪内容を書き込んでいるのが明らか。

2015-04-05

テロリストになってみた


これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係コミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。

数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。

当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
しろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペット小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。

自分は以前“その道”に近い場所にいた。
からはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初半年一年くらいは、彼らの生み出した言語習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。

彼らは小手先作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。

やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違い非難関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。

衰退以前からコミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。

世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難ものけが場を占めるようになった。
それどころか、作品評価と作者の評価混同されはじめ、
SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
まりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。

コミュニティからまれ作品を保管するサイト運営もまた、世代交代した。
以前の運営コミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務遂行していた。
運営引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。

その運営作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格キャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。

以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングアンチストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全場所だった。

飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味作品に触れることでもあったのだ。

現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。

今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。

私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。

けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。

そこで、修羅仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価コミュニティ評価乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
健全精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。

もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分酷評に対しては見当違いな人格非難憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ

先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティ樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。

作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
運営理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁思考の持ち主にすぎない。
ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である
そんな言葉を何度となく噛みしめる。

ちょうど一連の出来事は、例のISIL事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしま自分がいる。

僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。

さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ

2015-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20150315172033

想像できないならばなくてよいとする。

では、想像できる人にとっては存在するということでいいわけだよね?

自分けが想像できないもの存在するというのは奇妙な世界だ。

幼児世界はそういったものだろう。または陰謀論者の世界観も近い。

人為的視野狭窄とは逃避ではないのか

人形化というか、実態スポイルに見えるが、

そういった便宜的なスポイルバランスのとり方が難しく、

堕落やすい。とても高度なテクニック必要

2015-03-08

最近電車でチラ見して「いい女だな」と思ってた人が自分のほうを見てて目があった。

自分たまたま面接の日だったからちゃんとした格好していたのもある。

彼女パンツスーツで足がすらっとしてて、身体能力高そうな感じなのに表情は京都人形みたいにクール

眉間にしわを寄せて携帯みているところがカッコいい。

正直セックスしたくなったけど、あれは声かけたらうまくいくパターンだと思う。

電車でお互いに「いいな」って思うことってまれにあるよね。だいたい3年に1回くらいある。このチャンスを掴めないから駄目なんだろうな。

2015-03-01

AIBO供養

AIBO供養の記事を見て思った

神社のお守りに入っているお札は、神主さんが何かを「入れる」儀式をしていたりするらしいけど

そうか、供養は逆に何かを「剥がす」とか「取り出す」儀式なんだな

「取り出し」た後のAIBOにはもう魂的な何かが宿っていない、空の器で単なる機械

から部品を取って他のAIBOに「移植」することもできる

人形なんかも、何かが宿ったまま捨てることはできないから、供養してそれを「取り出し」てから焼いたりするんだな

「取り出さ」れた何かははどこへ行くんだろう

お札に宿る前の何かがいるのと同じ場所へ帰るのかな

2015-02-27

五月人形

上巳が近づいてきて、そろそろ雛人形でも出そうかしら、と考えている人もいると思う。

アルバイト先の倉庫では人形を扱っているのだけれども、今は雛ではなく五月人形毎日のように入ってきて、また出て行く。

これ本当に人形か?と思うくらい軽い荷物もあれば、こりゃあ本物だろ、というくらい重い兜もある(これらは荷札や段ボールに書いてある)。

トラックからパレットに移し、それをフォークリフト倉庫内に運び、荷札を貼って、それをまたパレットに積んでトラックに載せる。

1日中チャイムが鳴るまでずっと倉庫は動いているのだ。

僕の担当は、おばちゃんたちが荷札を貼り終わった荷物をパレットに移し、リフトでトラックまで運ぶところだ。

なるべくパレットに高く、安定させてて積むとドライバーに喜ばれる。

ただ荷物の大きさはまちまちだから、たまに50センチくらいの幅があるラップを巻いて安定させることもある。

パレットに移すとき、天地無用とかガラス注意のシールが張ってあると一応気をつけるのだが、重いものだと角を下に積んである段ボールに当ててしまって、穴を開けてしまう時がある。

この時は穴があいものを弾いて、休み時間明けに社員に報告する。

で、だいたい怒られる。

荷主がどうとか届けられた人がどんな気持ちになるとか、実際苦情が来てる、この3つがメインで、そこから発展していく時がある。

荷物が無事なのに苦情を言ってくる人って一体どんな神経してるんだろう。

別に給料下がるわけじゃないけど精神ポイント削られるからやめてください本当お願いしますって。

2015-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20150222160522

正しい。 

ついでに言うと『彼女が欲しいのか、セックス出来る可愛くて温かい喋る人形が欲しいのか』なんて質問後者が欲しいに決まってる。

2015-02-14

懐かしいカード

カード類整理してたら懐かしいカードがいっぱい出てきた。マジャイネーションとかD-oとかモンコレナイトとかウルトラゲートとかアイオジャッジメントとかジョジョABCとか。
DMになつかしいカードが多い。ベノム・カプセル、髑髏怪人スピンホイールマリンフラワー、不屈の使徒チーキ・クーレ、ダンディ・ナスオアングラークラスター、腐敗電脳メルニアガザリアスドラゴン、エグゼズ・ワイバーン崩壊と灼熱の牙、シビレアシダケ、死劇人形ピエール預言者ラ・メールフェアリーライフ、威嚇するスマッシュ・ホーンα、盗掘人形モールスアクアン、日向草、玉砕悲報バイラ地獄スクラッパー預言者ファルシ、銃神兵ディオライオスシャムシャムカブキリ、虚空の翼ダークモルダー、超神機鎧冑ゼノメノン、コーライル、青銅の鎧、超巨岩獣ドボルガイザー、デス・スモークスパイラル・ゲート、ロジックキューブ、スナイプ・モスキート無限拳、コッコルピア黒神龍イゾリストヴァル、呪いの影シャドウムーン、飛雲の求道者ダバ・トーレ、ピコラのスパナhttp://i.imgur.com/MDYzRai.jpg ピコラのスパナとakifumiyamamotoのカクカクイラストすき
当時はサバイバーとか光火自然のいわゆるグッドスタッフ?組んでた。雰囲気は1-2弾とか初期のがすき。ターボラッシュとかのキーワードアイコンデザイン好きだった。一番ハマったのは聖拳編の頃、無頼聖者とか格好いいレインボーカードが好きだった。その後ネタ切れインフレが起きて、自分サイキッククリーチャーが出てきた頃に引退したけど、アンシリーズみたいなジョークパック出したり、DEVOとかパール・ジャムとか洋楽ネタ使ったり(ジョジョと一緒で子供は後から元ネタを知るんだろう)してちょっと興味が湧いてる。
mtgは、プレミアムカードとか曲がって嫌いだから放置してたけど、売ったら高い。プレミアムのイゼット印鑑500円、それと楽園拡散とか巨森の蔦とか微妙なのが結構高い。持ってるカードで一番高いのは霧深い雨林だろなぁ。アホだから全景とか変幻地の亜種だと思ってずっと放置してた。再録したら価値下がっちゃう絶対売らんけど
初めて当てたカード大海心臓、知致だった。あの頃のパック開けた時のいい臭いすき。時のらせんが一番好き
ポケモンカードは当時近場にパックしか売ってなかったかエネルギー集めるのが大変だった。なんで悪と鋼は特殊エネルギーやねん。δ-シグマ種とか、リアクトエネルギーとか、エネルギーをホイルにしたり色々工夫してたけどこの前買ったら150円になってた。ずっと315円で11枚入ってたのに
遊戯王は強カードでも再録するし1000円くらいの構築済みでも強いからすきだった。シンクロ初期で離れたかエリクシーズとかわからんけど。なんか今デビルフランケンとかキラースネークが使えるらしい。
池っち店長は裏日記更新しろ

2015-02-02

ライトノベル構造的に馬鹿にされる宿命にある

ライトノベルに限らないが、構造的に「馬鹿にされる」場合がある。

定義曖昧で、玉石混交で、定性的評価されるもの全般のことね。

すると、自分感性で都合良く石だけピックアップして馬鹿にできる。

定量的に計測できたって、好きに時系列を切り出して、定義付けを恣意的にすればなんとでもなる。

そして、「なんとなくこういう批判がある・こういう擁護がある」と藁人形を用意すれば、

その架空人形サンドバックにするのは、とても簡単だ。

そこで、馬鹿にするのはどういう人か、何が批判足りえるのか、振り返ってみよう。

まず、ライトノベル批判否定形から追い込んでいく

「無い」事の証明は難しい。

から「有る」もので「ライトノベルで無い」モノを追いだしていこう。

表紙がアニメ絵である

太宰治ライトノベルか?

表紙がいわゆるアニメ絵柄かどうかは、絶対的な要因ではない。

から、「絵が恥ずかしい」というのは、表紙絵に対する批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(勿論、「アニメ絵は恥ずかしい。太宰治もあれじゃ買い難い」とする批判はあるが、ライトノベル批判とは別軸)

キャラクター小説である

京極夏彦京極堂シリーズは、ライトノベルか?

キャラ立ちという意味で、ホームズを超える名探偵は出てきただろうか。

から、「類型的なキャラクターが出てくるだけ」というのは、その手の小説批判であって、ライトノベル批判とは違う。

(以後省略するが、そういう批判は当然あって良いが、ライトノベルとは独立

子供ティーンエイジャー)向けである

ハリー・ポッターは、ライトノベルか?

ファンタジーSFミステリから哲学に至るまで、子供向けに書かれた本を読む大人は多い。

から、「子供向けに書かれた小説を大人が読むのは」というのは、その手の読者批判であって、ライトノベル批判とは違う。

設定が稚拙である文章が頭悪そう

これに関しては、まさに定性的な(感性の)話になるため、具体例は省略したい。

ここでは、スタージョンの法則(啓示)を引用するだけにしよう。

SF(science fiction)の90%は、ゴミカスでクソだ。

同じ基準を使って、映画文学、民生品等々の90%がクソだと示せる。

からSFの90%がクソだという主張(または事実)は、究極的には何も意味しない。

なぜなら、SFは、他の全ての芸術形態品質と同じ傾向にあるという意味しかないからだ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Sturgeon's_law

から、「ライトノベルの大部分はクソだ」という批判は、何の情報量も無く、ライトノベル批判とは違う。

馬鹿にする、と、批判する、との違い

ここで映画バトルシップ」を持ってこよう。

ハワイ沖で行われる海軍の多国合同軍事演習さな宇宙人侵略してきて、自衛官海兵隊員が反目しながらも撃退するという

まあ、インディペンデンス・デイと戦艦ミズーリを足してブリトーで割ったような映画だ。

素晴らしく面白い愛すべき馬鹿映画だが、批評家からは当然のように酷評されている。

何が言いたいかというと、批評家評価と、馬鹿であるかどうかとは、分けて考えられている。

ビール片手にゲラゲラ笑いながら見るような「ジャッカス」みたいなのを「馬鹿だ」と言うのは、批判ではない。

それは賞賛なのだ

馬鹿にしているのは誰だろうか

さっき言ったように、「馬鹿であることは、比較独自の軸になる。

その上で、馬鹿にしているのは、例えば「パンチラの絵を付けて恥ずかしくないジャンル馬鹿にされて当然」のような、

ライトノベル」を「小説の一ジャンルとして、格下である」とする主張しか、残念ながら観たことがない。

比較的、嫌悪感忌避感のようなものだ。

これは、BL趣味とするのは気持ち悪いだとか、サラリーマン通勤中に漫画雑誌を読むのはガキっぽいとか、そういった類の主張だ。

好悪の主張であって、それはそれで、仕方がない面はある。

雑誌の表紙に水着女性を持ってくれば売上部数が上がるが、職場休み時間に読むのはどうだ?というレベルの話だ。

批判としてありうる話

ワリと珍しいのだが、硬派なSFライトノベルSFとが全く同じ題材を描いているものがある。

アーサー・C・クラークの「楽園の泉」と、野尻抱介の「ふわふわの泉」だ。

(まあ、内容的にはチャールズ・シェフィールドの「星ぼしに架ける橋」のもじりの方が相応しいとは思うのだが)

両者とも、「ロケット以外で宇宙に進出するための、巨大構造物を作り上げる人物」が主人公だ。

ポイントは、「楽園の泉」がハードSFか否かであるとか、「ふわふわの泉」がラノベかどうかではなく、

この両者を比較して、「どちらが低俗か」を論じる意味あるかないか、だ。

「どちらがより高尚か」や「どちらの方が格上か」でも良い。

ここまで題材が同じだと判りやすいのだが、

「大人なら、『ふわふわの泉』ではなく、『楽園の泉』を読むべきだ」

とは、ならないだろう。

だって、違う作品なのだもの。それは批判ではなく好悪の主張だ。

逆に言えば、作品の質についての批判なら出来るはずだ。

「『楽園の泉』は、建築家の名声について拘りすぎて主張がボケている、『ふわふわの泉』の方がSFとして良く出来ている」

なんていうのは、馬鹿にしているのではなく、(正しいかどうかは別として)SFを軸にした批判になる。

真っ当な批判は可能なのか?バカにする方の品性を疑うべきか?

例えば、俺TUEEEE系と言う価値基準において、

アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」と、司馬遼太郎の「梟の城」と、佐島勤の「魔法科高校の劣等生」とを、

一緒に並べて比較して、「魔法科高校の劣等生を読むのは馬鹿だけだ」と言うことに、意味があるだろうか?

俺TUEEEE系の源流をたどって、湖の上を歩く男の話まで遡ったり、本邦においては勧善懲悪の仮託先であるとか、

そういった論文を描くことは意味があるかも知れないが、「馬鹿にする」というのは比較的には品のない行為だと思う。

例えば、今話題ピケティの「21世紀資本」を読むのが大人で、百田の「海賊とよばれた男」を読むやつが馬鹿にされてもしょうが無い、みたいな言い方はしないだろう。

現代ソマリア海賊を描いた「キャプテン・フィリップス」を見て「『パイレーツ・オブ・カビリアン』を見るとか馬鹿にされてもしょうが無い」みたいなことは言わない。

というわけで、馬鹿にする方の品性を疑うべきだと言うのが、オレの意見になる。

補足として:ただし、ラノベに出来の悪いものがあることを否定するものではない

どんな作品でもファンは居て良いと思うし、蓼食う虫も好き好きと言う。

例えば俺はバトルシップが大好きだが、蛇蝎の如く嫌う批評家が居るのも否定はしない。

アナと雪の女王よりはベイマックスの方が面白いとは思うんだが、GoGo好きなだけだろと言われれば否定はできない。

というように、主観的な好悪と、その技芸における比較批評、そのジャンルでの売上高なんてのは、全て独立の話だ。

そう言った点で、ラノベの中に上手い下手、エロに寄り過ぎだとか構成稚拙だとか、そういった批評はあって良いと思う。

ただそれは、作品単位、出来ても作家単位の話であって、「ラノベ全般に広げるのは主語が大きすぎて乱雑に過ぎる。

9割のクズを観てそのジャンル否定するのが愚かであることは映画絵画においては一般的なのに、ラノベがそうでないのは不幸なことだと思う。

2014-12-30

保健医ライトノベル

ライトノベル、というジャンルがある」

保健医先生が言った。先生の長い黒髪さらり、と肩に落ち、羽織った白衣に黒い曲線を描いた。白衣の下に紫のセーターが覗いている。先生は続けた。

「それを好んで買い集めるものもいれば、嫌うものもいる。それを嫌う彼らにとっては、ライトノベル生理的に受け付けないのかも知れないな」

ストーブに乗ったヤカンがシューシューと音を立てている。保健室の窓から覗く外は、もう暗かった。

面白いと思わないか?ライトノベルを嫌う彼らは『自分ライトノベルが嫌いだ』と言って回るんだ。ネットにそう書き込んだりしてね」

先生の声は女性にしては、少し低い。でもそれは、先生の口調とよく合っているように思えた。

「でもね、本当にライトノベルに興味が無いのだったら、ただ無視すればいい。私にとっては駅前の『富士そば』が視界に入らないのと同じだよ。だが彼らは違う。ライトノベルは気持ち悪い、低俗ゴミクズだ、と声高に叫ぶんだ。いや、『叫ばずにはいられない』んだ」 先生の丸眼鏡から覗く瞳が、ぎらり、と光った。目の錯覚か、片方の瞳が赤色に輝いたように感じられた。


ザアッ、と強い風が吹き、窓から見える木が大きく揺れた。黄色味を帯びた年代物の蛍光灯チチチ、と点滅し、そして消えた。保健室は真っ暗になった。

やれやれ、これだから田舎は」蛍光灯の紐を二度、ガチャガチャ、と引っ張る音が聞こえた。

たっぷり5秒の間を置いて、蛍光灯が、ききき、きーん、と小さな音を立てた。蛍光灯が部屋を照らした。


蛍光灯の下にいたのは、先生ではなく、人でもない、

『何か』だった。

人のような形をしたその『何か』は、細い、黒いハリガネのようなものの塊だった。うねうねと蠢くハリガネに目を凝らすと、各々が形を持っているのがわかった。『保険医』 『黒髪』 『白衣』 ---- ハリガネの一つ一つが、文字を形作っている。文字記号の塊が集まって、人の形をして動いているのだった。馬鹿げたことに、文字記号はどれも明朝体フォントで書かれていた。

ハスキーボイス』 『男口調』 『紫の縦縞セーター』 …塊から覗く、どこかで見たことのある記号たち。記号が集まり人形となって、人のフリをして動いていることが急におぞましく感じられた。全身の毛がぞわり、と総毛立った。

「おい、どうかしたのか?」 塊が言った。動くたびに、がちゃ、がちゃ、と音が鳴った。塊がぐるり、とこちらを向いた。頭らしき場所にある『丸眼鏡』と『灼眼』の二つの文字がぶつかり、ギギギィ、と耳障りな音を立てた。

「顔が青いぞ。大丈夫か?」 塊の右腕らしきものがこちらに伸びてくる。腕には『実は主人公の事が好き』の文字が見えた。限界だった。もうやめてくれ、と叫ばずにはいられなかった。腕を振り払い、塊を突き飛ばした。塊は尻餅をついた。その拍子にぶつかったヤカンから、熱湯が飛び散った。


やれやれ

塊が言った。

「君はきっと『大丈夫』だと思ったんだが」 さほど驚いた様子もなく、塊は続けた。

「『視えて』しまうんだろう。私の姿が。残念なことだ」 塊は立ち上がり、ぱん、ぱん、と掛かった熱湯を払う。

忠告するよ。自分の体だけは見ないほうがいい。まだ、『ネタばれ』はしたくないだろう?」

塊がゆっくりとこちらに迫ってくる。とてもではないが、自分の体を見る気にはなれなかった。

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰2

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記の続きとして分割投稿されたものである

作家人格登場人物人格

西谷は「主人公作家分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。

このように見てみると登場人物作家関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。

この点でヒックス登場人物作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分嫉妬深い側面を誇張した人格創造する、というもので、全くの新たな人格創造するのではなく、そのベースあくま自分自身だとする。

これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。

登場人物作家自身である主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体作家人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。

キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物人格ベース自分自身である以上、ほとんど常に作家想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。

なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。

ヒックス登場人物創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックス否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。

ここでいう「夢」はその登場人物人格依存して考えだされるべきものである。これは大塚世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。

もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人人格しかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。

西谷ヒロインブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。

読者による登場人物への感情移入

以上のように作家登場人物関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。

西谷同様、筒井は「自分作品感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。

本格ミステリSFなど、感情移入必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説存在する。しか感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。

さて、基本的に読者の感情移入物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。

まず榎本水島主人公年代ターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベ主人公中高生であることが望ましいと言う。同じ理由性別男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズブギーポップのように女性主人公成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。

まず作者自身モデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。

主人公に求められる特質について、西谷榎本飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。

そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやす主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である

一方で「低スペックで卑屈、無個性へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公ラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。

しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。

さて、筆者はこれらの各説は人物の能力精神倫理区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。

能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能行為名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人能力を持っていても(それが物語必要ならば)問題ない。

次に主人公精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情オープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。

最後主人公倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子モテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。

一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である

Unlimited Blade Worksとかマジカコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しか倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。

さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難戦略だと言える。

こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入成功すると、自然ハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入効果が高いという指摘だと言えよう。

西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。

そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物ギャップである

登場人物ギャップ

本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。

飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面ギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。

ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレ多面的感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。

ツンデレ」は言動まで類型化された属性である本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。

良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶バイト事務的発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。

さて、さら飯田ギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充イメージと「オタク」が持つ根暗コミュ障イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである

このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効機能する。

例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的レベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。

西谷主人公ヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しか主人公ヒロイン親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

2014-12-24

クリスマス時期になると思い出すこと。

子供の頃、欲しい物といえば「誕生日orクリスマスしか買ってもらえなかった。

クリスマス兄弟姉妹、誰に対しても平等12月にやってくる。

誕生日は(当たり前だけど)みんなバラバラ。

私、クリスマスから1ヶ月もしないで誕生日ちゃうの。

1月まれから

クリスマスに(そこそこ)欲しい物を手に入れて、直後の誕生日に欲しい物ってあんまりない。

結果、微妙な欲しいわけでも無いおもちゃを買ってもらったりする。

当然その時に妹は伝家の宝刀、「お姉ちゃんだけズルい」を発動する。

で、ちょっとした物をゲット(シルバニアのお人形1つとか、リカちゃんのお洋服1枚とか)。

その妹、クリスマスから半年後の6月まれ

いい感じにその時欲しい物を買ってもらう訳ですよ。

当然お姉ちゃん自分誕生日の時の妹の様にごねます

そして「お姉ちゃん誕生日に買ってあげたでしょ!お姉ちゃんなのにワガママ言わないの!」

はぁ?ナニソレ???

半年前に妹、ごねてたじゃん。

なんかゲットしてたじゃん。

こんな時ばっかり「お姉ちゃん」かよ!

たかだか1年や2年先にうまれたってだけなのにねぇ。

自分から先にうんでくれと頼んだ覚えも無いのに。

からうちの子ひとりっ子なんだろうか。

まだいい、まだいいと引き延ばすうちにずいぶんと育っちゃったよ。

から産むと干支一回り違うとかもう無理。

2014-12-21

木人

さっき、ご近所のIKEAで白木の人形マネキン?色んなポーズ取らせれる20センチ位の人形買ってきた。

29.9元なんで今の日本円だと600円くらい。

お絵描き大好きな娘、大喜び。

こんなに喜ぶならもっと早く買ってやれば良かった。

これでポーズとか、人間バランスとかが上手に描ける様になるといいねえ。

2014-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20141209142219

女向けは全身ヒーターとチンチンついてて尻の穴から諭吉が出る仕様かな?

生理を含めたイライラ全般とき暴力に耐えるために、強靭な素材や構造にしないと女性団体からクレームがきちゃうね。

女性様の権利要望を軽視してる!って。

女性様のわがまま暴力暴言は、社会問題化しにくいから人形を殴るまでもないか?? 実際の男に暴言暴力を放てばいいんだしね。

あ、男人形には育児家事手伝い機能もつけなきゃ!

2014-12-08

衝撃的だった夢の話

一つは自分自分の首を絞める夢で、夢の中で泣きながら死にたい!死んでしまえ!と思いながら

自分自分の首を思いっきり締めて

はっと目が覚めたら現実自分の首に手が回っていて驚いた

まあ実際に苦しかったのは単純にうつ伏せになってて枕が首に食い込むような姿勢になってたからなんだけど

 

もう一つは自分自律人形として動いてる夢

起きてからしばらくあれは本当に夢だったのかと疑うくらいリアルだったし

何より理想的世界で一週間はずっと夢の世界に行くことばっかり考えてた

 

こういうの見る度ちょっと不安になるんだけど何か精神的な病気でも患ってるんだろうか

2014-12-05

3歳の記憶

年の離れた兄がいたからか、もともとひねくれて生まれついたからか、生まれてこのかた「サンタクロースをわくわくして待つ」という体験をしないまま大人になった。

記憶をさかのぼって一番古いクリスマス体験は、ほぼ3歳のクリスマスなのだが、その時すでに親に「リカちゃんが欲しい」と言った。

よくある「おかあさんがサンタさんにお願いしてあげるからね」という面倒なやりとりすら無し。

何が欲しいの?うーん、リカちゃんかな、わかったじゃあ買ってくるわね、的なやりとり

なぜリカちゃん人形に決めたかというと、戦隊もののグッズをすぐに飽きておもちゃ箱で埃かぶらせてしまう兄を見て思ったのだ。

私は一人でおはなしを勝手に作ってお人形さんごっこをするのが好きで、お人形さんごっこなら、ずっと飽きずに遊べるしな、と思ったのであった。

それまでは、お土産やらプレゼントで頂いた色んなぬいぐるみを並べてお話を作っていたのだが、人間がいないと話が膨らみにくいなと感じていたこともある。

そうして我が家に初めてリカちゃん人形が来て、私はまんまとお人形遊びに夢中になった。

サイズもまちまちなネコやら犬やら熊やらのぬいぐるみリカちゃん人形を融合させてお話をつくるのは、なかなかの想像力必要な作業だったけど、なぜか兄(当時小学生)を巻き込み共にお人形さんごっこを楽しんだ。

さな妹とリカちゃん人形で遊ぶ兄、習いたての家庭科を駆使してリカちゃん洋服を作る兄、というと、今の尺度だとかなり危険度が高い感じもしないでもないけど

彼はその後バリバリ体育会系の道を歩むこととなり、今や子供3人の父親をやっているのでご安心ください。

3歳の記憶って結構ちゃんとあるもんだな

あと、サンタを信じ続けさせるかどうかをやきもきしてる親御さんを見てると、ちょっと面白い気持ちになる。子供って色々折り合って勝手な着地点を勝手に作ってるからね。

2014-12-03

アナ雪が団蜜と木村多江ハッピー独身男(36)を作り上げた話。

すみませんタイトル書きすぎました。

あるものを見つけてから

えらい助かってるのでチラ裏します。

11月25日

姪っ子の入っている幼稚園先生

園児たちの心を引くおもちゃが欲しい」

といわれたのが始まりでした。

彼女がこれまた自分好みの美人

2年前に保母になりたての24歳。

園児にはもったいなくセクシーな、団蜜とか木村多江に似た

目じりと微笑んだときえくぼが印象的な美人

仮に木村先生としておきます

そんな木村先生に頼まれたもんだから

ちょっと忙しい中でも多少の無茶でも

何も貰えるアテが無くてもがんばっちゃおうと思ったわけです。

ただし。

彼女のお願いにはいくつか条件がありまして。

全教室に1個ずつ置くから予算は3000円以下。

・年長組の5歳児の部屋に置ける、非金属のもの

子供の注意を引ける、(できれば)電池の要らないもの

えらい難儀やなぁ。そんなものあるのかな?

気分はかぐや姫に求婚する皇子たちです。

で、考えること20分。

今年の夏、妖怪ウォッチアナと雪の女王の話しか

姪っ子の口からは出てきてないなと思い出して。

妖怪ウォッチはなんだか値段が高いのと

個人が遊ぶ道具が中心みたいなので

園児には不釣合いかと思ってパス

んで、こっちはあきらめて。

もう一つの候補だった

アナと雪の女王グッズを探してみたんです。

そしたら。

オラフの~」「●●オラフ

トップランクオラフ並びすぎやん!!

エルザも人気だったけど、高いんです^^;

そのためか、ややランク↓気味で。

エルザと雪の女王の揃った人形とかもあったけど

今回は予算オーバーっぽかったのでパス

そんな中で見つけたのが

オラフ危機一発】という

黒ひげのキャラコラボ商品でした。

何がいいかというと、

・3000円以下で買える。

電池要らない

アナキャラ子供大喜び

(飛び出すとか動くとか大好き)

全部これいけるやん!!!

ということで、幼稚園確認も取らずに5個GET

10000円くらいだったので、もちろん予算内です。

結果はというと。。。。

効果ありすぎでした。

初日園児の興味を釘付けにしてしまって

お昼寝タイムオフラフタイムになってしまいまして。

「そのうち飽きるから大丈夫」と

木村先生園長先生苦笑いしてらっしゃいましたけど^^;

そんなオラフ

11/28の貴重な金曜に、またもやその威力を発揮しようとは。

何かというと、X'masパーティの企画会議です。

うちの会社、X'masのパーティ社長も出てきて

全社を上げて盛大にやるわけです。

業績も伸びてないのにねぇ。

パーリナーイはいから給料上げて欲しいね

そんな愚痴を言ってる社員は私一人くらいでしょうか。

ともあれ、面倒な半仕事の企画なんて

さっさと終わらせたいんですが

総務部長がイベント大好きすぎで本腰入れてるので

せめて1アイデアでも出していかないと、後が怖い^^;

出し物を考える任務が与えられるわけですが

考えて実行するのってひたすら面倒じゃないですか。

ビンゴ大会とか景品物はありきたりで

「またあれね」みたいな空気が流れるし。

と、数日前のことを思い出して。

ヒゲも昔からあるけど、オラフならどうかなと提案。

ビンゴ大会で、飛ばした人先着5名だけがプレゼントもらえるわけです。

すると、全員賛成で決定。

部長流行物が取り入れられて上機嫌。

これは正直、意外でした。

大人にもアナ雪の流行パワーは通じるんだ!

と、自分も妙に納得。

ということで

「俺、アイデア出したから後はよろしくね」と

面倒な部分は皆さんに任せて。

金曜の早い時間帰宅できたわけです。

でも、オラフ威力

「早く帰れた、ラッキー」なんていう

中途半端ものには終わりませんでした。

その帰りの電車待ちで。

見慣れない番号から携帯に着信。

誰かなと思ってたら、木村先生でした。

うちの妹(甥っ子たちの母親からTEL聞いたとか

ちょっといつもより歯切れ悪めに説明しれたあと、

先日はありがとうございました。

満足にお礼もいえなかったので、

良かったらぜひお食事でも。

そんな感じの会話に。

ちょうど帰るところだったことを伝えると

中間地点である新宿でお食事でもとまとまりました。

ええ、喜んで行きましたとも。

団蜜ですよ?木村多江ですよ?

可能性が0でも、デレデレしたいじゃないですか。

これ、オラフがいなかったらぜんぜん違う返事だったわけです。

すみません、今仕事中でして・・・

「あ、そうですか。それじゃ、また・・・

オラフ、お前最高!

そんな自分彼女20分後に顔を合わせると・・・

そこには園長先生もいらっしゃいました。

な、なるほどね^^;

運動会やお遊戯会の隠れエピソードを聞きながら

姪っ子や甥っ子の話で盛り上がること1時間

楽しい会話も終わりをつげ

園長先生木村先生もお帰りになるというとき

発覚してしまったこと。

それは・・・

木村先生と、最寄の駅が同じでした。

当然、一緒に駅まで帰りましょうということになります

当然、駅まで世間話をすることになります

ふと、なぜ娘ではなく姪っ子なのかという話になりました。

で。

「ええ~?俺さんって独身だったんですか?」

てっきり既婚者だと思われてたみたいです。

彼女もいないから姪っ子が可愛くて・・・と。

まぁ姪っ子にデレデレなのは自他共に認めるわけで

苦笑いされたところを見ると、そうとう叔父バカみたいです。

意外性は楽しい会話の栄養剤。

彼女が最寄り駅まで楽しんでくれたら

それだけで満足するわけです。

うちに帰り着いて。

とりあえず、そんな感じの11/28だったなぁ・・・と思っていたら。

オラフ君の魔力は就寝前まで続きました。

■【メール】■

今日ありがとうございました。

幼稚園のほう、12/20年始までお休みに入るのですが

クリスマスはどうお過ごしになる予定ですか?

・・・・・・・・・・・・・・・え?

これがオラフパワーの真髄???

そんな素敵な出会いが皆さんにもあることを願って。

今年どこかに行くときは、これを手土産お勧めします。

「もうすぐクリスマスから

最強の添え言葉とともに、なんでもない平日に渡すのも

印象に残っていいかも知れませんね。

オラフ危機一発!】

http://goo.gl/vO2AZP

追伸

先ほどのメールのあと、実は翌日に会いました。

あちらも彼氏を作る時間も無いとか何とか・・・

まだ特に何も発展はありませんが、

これからゆっくり分かり合っていこうと思います

http://anond.hatelabo.jp/20141202061735

リアルに生きてる人間の顔を理想に持ってるだけまだマシだと思う…

私の彼氏は女に対しての顔の理想が高すぎるあまり

「どうせ理想の顔の女と付き合えないんだから、どんな顔の女と付き合っても一緒だし」と諦めの境地にまで来てるよ。

その理想の顔ってのは生きてる人間で再現しようと思ったら整形したって無理そうな、人形じゃないとあり得ない顔立ちなんだよ。

彼の理想の顔になろうと思っても物理的に無理なわけ。

整形すればなれるんだったらまだ良くない?全然まともな価値観持ってんじゃん?

私の彼氏絶対にまともじゃないからね…。

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