はてなキーワード: 人形とは
http://anond.hatelabo.jp/20141117014426
思ったよりもブックマークがついた。
しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。
生で見ればわかる。
博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!
いや、説得力がないのはわかる。
入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。
で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。
ピカソって下手だろ。
正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?
って思ってた。
どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?
って思ってた。
こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg
こんなの(ゴッホ)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
こんなの(ピカソ)
http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg
で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?
ぜったいおかしい。
と。
油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。
塗った上に、さらに色を重ねられる。
もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。
筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。
畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。
「うへー」
って思ったよ。
化粧みたいなものなんじゃないかな。
どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。
それが油絵。
で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。
色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。
もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?
明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。
たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?
壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。
どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。
比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。
というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。
ハッハーw
「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。
線が絵になる。輪郭が形を作る。
輪郭を強調することは、恥じゃない。
写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。
なんのことはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg
こうなる。マネの笛を吹く少年。
なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。
改めて考える。
本当に背景は暗くなければいけないのか?
明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。
色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?
こうなる。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/
になるだろゼッタイ。
油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg
富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。
人間の視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインがみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。
筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
そう、ゴッホに戻る。
明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。
これはマネ。
浮世絵のような明るい色彩。
影もない。
明るさといえば、雪あかりの表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛。
輪郭線、点描、1トーングラデーション、効果線、etc....現代の漫画の表現にすごくすごく似てると思う。
そう。
恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。
縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。
絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。
しかし、多くは生きている。
たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/
真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg
浮世絵の時代に発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメのお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。
と、僕は感じた。
というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/
ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん。
騙されたと思って、是非、是非!
みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。
当時、ずいぶん安かったんだと聞きます。
今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。
だから、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。
世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類の幸福だと思うのです。
書ききれないので今日はここまで
ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人で名前が出たのは葛飾北斎だそうです。
徳川家康も坂本龍馬も松下幸之助もAKBも吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。
つまり、生で見れば誰でもわかるんです。
凄さが。
そもそもバトルシーンなんて無くていいんじゃないかとすら思う。
プリキュア全然詳しくないんですけど、そこはなんとなく変身後のプリキュアのお人形でおままごとあそびをしよう!というノリのお店屋さん食玩シリーズを見て感じてたことです。
プリキュアの前にやっていた主人公の旅芸人が毎回かわいい衣装で踊る作品が鳴かず飛ばずだったところに作り手もなんでこんなにヒットしたかわからないという感覚のバトルものが当たったので、作り手的にそこは外せないし、そこにやはり女児を惹きつけるなにかがあった、とは言えると思う。
映画を見に行くと、むしろ女児が退屈してるのは友情テーマのドラマ部分であって、どうこう言ってプリキュアが変身した後の食い付きはすごい。コスチューム>ダンス>バトル>>>>>ドラマくらいの興味の持ち方だとして、やはりそこは女児なりに感じるところがあるのだろうとは思ってる。
その時に一生懸命言い返そう嘘をつこう見栄を張ろうとする気持ちがある
これで、私の価値観は
よく言われる 友達は数より質 という言葉の前者の価値観であると言える
友達がいないことはカッコ悪くて、なんかはしらんけど漠然と友達がたくさんいるのはカッコいいという価値観なんだ
あとから、あ、でも友達は数より質であった それに出来ないけど楽しければいいじゃない
と必死に思ったところでそれはまた虚栄だ
瞬時に思ったことが、本当の自分だ
だから人は見た目より中身とか、なんとも曖昧で不確定なものを引き合いに出している言葉があるが
不細工なことがコンプレックスになってしまう時点で顔に価値観があるんだ
美しいものが全てなんだ。と思う
ぼろ負けではないか。いっそこういうのにも感じることができるドエムになろうか。
他人が外見に価値観がなければ不細工を罵倒せず人間として平等に認識してくれるわけだし
不細工なことに悩まなくてよくなるのかもしれない
しかしそんなことは絶対にありえないのだ
興奮しない。
最近テレビ出てるおのの◯かみたいな子がおっぱいをプルプル揺らしながら長い髪からいい香りをさせて
ベットの上毛布から白い太ももを悩ましげにのぞかせてる みたいなのがすごく興奮するじゃないか
それが不細工な女だったらどうだ
一気に地獄絵図だ
私みたいなのが生まれるんだろうけどさ
あんまりだよ(シュン)
懸命に、不細工は別の地位を築いてやると意地になってるのはいいが、
かりに私がかわいく生まれてたら、同年代の若い子と同じように自分の男の話をして
facebookで他人のゴシップを調べまくって、服買ってスタバ行ってプリクラ撮って、そのうち馬鹿な若い男の相手するより
金持ちのおじたんのが都合良くなってきて向こうも私かわいいからその気だし、このままゴールインしちゃおっつってニュータウンに住んで
もやもやしながらぬいぐるみを手慰みにしていたらネコのぬいぐるみの目と鼻にマスキングテープを貼っていた。剥がしたら髭が一本ぬけてしまった。
それは一旦剥がしたのだが、今目の前には手のひらに乗るサイズの、三つのお手玉のようなぬいぐるみが転がっている。
もともとお手玉みたいな人形もあるんだけどね。マスキングテープでぐるぐる巻きにしたので、なんかお手玉みたい。
まず目の部分を貼るようにして、手足をおりこむようにして、それから気がするまでテープで巻く。
丸いものが好きなんだろうか。自由研究のときお手玉に色を塗って出したらさすがにこれは認められないと言われたことがあったな。あれから出し直していない。
ぬいぐるみと会話すると自称している友達の子が居る。多少うらやましいなと思う。
ぬいぐるみの人格を仮定すると、それが思い通りの感じになってくれないので、憎くなってしまう。
おてだまになったぬいぐるみをぎゅっぎゅと触る。あとで多分マスキングテープは剥がすだろう。
達磨みたいだなと思う。
中村文則は人に進められて「掏摸」を読んでから文庫本を買いあさり、出てる文庫本をこの本で全部読み切った。「楽園」は単行本で読んで失望した。
まず主人公が暗い。
大体が人間失格の葉ちゃんくらい暗い。
自分は世界の後ろ暗い部分、間違った部分、善良な人間に顔向けできない部分に属していることを自覚してうだうだ悩んでいる。
その理由はいろいろあるけれども、生まれつきだったり環境だったり衝撃的な体験の影響で、汚れたり変わってしまったり、あるいは自分は本質的に邪悪なのではないかと考えたりしているのだ。
その結果人を殺したくなったり、自分は人を殺したいのではないかと考えたり、殺したり、こんな自分は死んだほうがいいのではないかと考えたりしている。
最近の作品の傾向と思いきや、デビュー作の「銃」も警察に追い詰められていくサスペンス調の展開なのでこの作者の本来の持ち味なのだろう。
物語は常に暗い影がつきまとう陰鬱な展開のもとに進んでいくので、読んでいるとバッドエンドにたどり着くことしか考えられなくなってくる。
しかしたどり着く結末は明るい。
どちらかと言うとドブの中で前向きに進んでいこう、自分はどうしようもないクズでもそれでも生きていこう。物語はそんな終わり方をする。
(たまに破滅的でどうしようもない終わり方をするのが混じっているのでそれにあたっても文句は言わないで下さい)
「悪と仮面のルール」は話題になった掏摸の次に書かれた小説だが、
今書いた特徴全てに当てはまる、典型的な中村文則の小説といっていい。
・主人公は11才の時に頭のおかしい父親に世界に悪いことを為す存在「邪」になるように育て、14歳で地獄を見せると脅かされる。
・それ(地獄)に利用するために一緒に育てられた少女を守るために13才で父親を殺す。
・数年後、顔と身分を変えた主人公は探偵を使って現在の少女を探しだすが、大人になった彼女に対してなぜか悪の手が次々と降りかかるので父親と同じように殺す。
もちろん他にもいろいろあって、と言うか登場人物がちょっと多すぎるくらい居てそれぞれと主人公の関係性で話が展開する。
整形外科とのくだりだとかは結構好きだ。しかし人物が多すぎて少し掘り下げが散漫になっているのは間違いない。
で、何がラノベなのかというと作者が巻末にも書いている
これはまずい。
こういうやり方は人間を書く方法論じゃない。なのでこれでは文学ではない。
実際に存在しない物を物語世界に持ち込むことはこれまでもいろんな人にやられているし、それが物理法則とかであれば別に問題ない。
しかし、「人間の心に関わる法則」を「これはこういう世界ですよ」という形で物語世界に持ち込むのはレッドカードだろう。
そういうふうにすると、作者が登場人物を人間としてではなく人形として描くことになる。
それではキャラクターだ。なのでキャラクターを描くことに注力しているラノベに類似点を見出してしまった。
あと人間に関する法則を作者が作って世界観とする作品として真っ先に「ひぐらしのなく頃に」を思い出してしまったということもある。(ラノベじゃないかな)
俺的には最後まで読み終わってあとがきを読んで、「ああこれはラノベだったのか。」と腑に落ちた。
この作者は基本的に真面目な話ばかり真面目に書いているが、短編の「ゴミ屋敷」だとか「戦争日和」、あとこの「悪と仮面のルール」に出てくるテログループJLの活動みたいに、不条理なブラックユーモアを全面に出したラノベチックな長編作品が読みたい。
昨日、6ヶ月前に別れた彼氏が私に見えないように日記を書き、その内容が余りにも私をダメ要素満載な人的に書かれててイライラ。
人間関係で何かありましたか?と聞かれ、彼女と別れました。と言ったらそれが原因なんじゃないか?と言われました。
彼女は重度なメンヘラで、僕に頼りそれが重しになって苦しかった。
僕も頼りたかった」
内容は粗方こんなん。
そりゃさ、私は重度なメンヘラですよ。
でもね、それを日記に書かれて、自分は被害者ぶって、私をそこのグループから外そうとしていた。
見えてないと思ったら大間違いだぞと言いたい。
でもこっちがなにか起こせば本当に加害者になってしまう。だから何もしない。
その日記に対してコメントついててそれも見たけど、ほんと「被害者だったね、辛かったね」とか書かれてて凄い苛立ちました。
でも、なんで別れたかを書けよ。っと思いました。
そうです、別れた理由はその彼がいきなり「ヒモになりたい」と言い出しそこから色々ギクシャクあり、別れたんです。
「私のお給料じゃ無理だよ」ってにこやかに返したら「じゃあメンヘラの子捕まえてヒモになる」とか言い出し正直意味が理解できず、その事を共通で知ってる友達に相談したら「別れたほうがいい」と言われ別れたんです。
ヒモ発言で別れたの覚えてないの?しかも別れてからもう6ヶ月経つんですけど。
もうばっかじゃねーのwwwwwwwwwwwwwっうぇwwwwwwwwって言いたいくらい苛立ってる。
重度のメンヘラなのは自覚済みだし、病院も毎月通ってる私が居ますけど、もうその日記見た瞬間涙が止まらず、こんな人だったんだとなりました。
6ヶ月後にこの辛さを与えて、私の心を壊されて、保護者になられるわ。
もうほんと、別れてからその彼の幸せを祈ってた私が馬鹿でした。
涙は止まらないですが、もう関わることはないだろうと思います。
辛いのもあるけど苛立ちの方が重くて。
てか女の友達を嫁とか呼んでただけで、「その子が男だったら僕浮気されてるんだね」とかいう。
そんな馬鹿なことあるかよ…って思いましたが「浮気なんてしないよ」とにこやかに返しましたけど。
ただ、私は本当に心から好きだった相手に後からそんな風に言われるのがむしゃくしゃしてならない。
自殺は逃げてるようにしかならないのでしないけど、もう死にたい。つらい。
最後に「さよなら、大好きだったよ」と言えばよかったと後悔しました。
もう連絡手段がないので出来ませんが。
過去も、今も変わらず。
喋るだけの人形に好かれてごめんなさい。
もう馬鹿らしくなってきた。
早くヒモにしてくれる相手見つかればいいですねー^p^
…今後また何かあったらこっちも何かする予定です。
もうどうでもよくなっちゃった。
勘弁して! せっかくかわいいのに、男性がガッカリしちゃう女性の趣味「お人形集め」「アニメオタク」 | ニコニコニュース
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1255577?ver=video_q
けど非難するのは程々に。
コメ欄見ると人間好き嫌いあって当たり前という基本を見落とした小競り合いばかりで悲惨なことになっている。
「アニオタはいいけど腐女子は勘弁」ってツイートに対して、別に自分に向けて直接言われた訳でもないのに過剰反応するツイートがあったり。
別に腐女子を嫌うのも自由だろうに。元記事のアンケにしてもそうで男達はアンケに答えただけで当該の趣味をもつ女を直接非難してるわけじゃない。
それに対して「他人の趣味をとやかく男どもの器の小ささよ」などと反応してるのは過剰反応ということ。
なるほど「繋がりある人間の趣味をとやかく言う」奴は器が小さい。けど「他人」の趣味を「嫌う」だけなら自由。
趣味をもつのが自由なら趣味を嫌うのも自由って基本が見落とされたままマトモな相互理解があるとは思えない。
ここでは男女関係が念頭に置かれているので恋愛を例にとるならば、互いに趣味の好き嫌いがあることを想定した上で共通点と相違点を発見していき恋人との間の最適な妥協点を見つけていくものだろう?
そんな対話的姿勢に欠ける異性とはうまくやっていけそうにないと思うのは当然のことだ。
「ギャンブルする男は無理」っていう女にしてもそう。ギャンブルする男を一緒くたにしてる時点で対話的姿勢がないことがまず疑われる。
むろん精密な物言いが不要な場において雑なまとめ方をしてるだけかもしれないが、明らかに不用意な一般化をしてる場合には「ちょっとこの人はなぁ」と思われてしまう。
まぁ人間感情的になる時もあるから仕方ないけど、そういうことが積み重なるとあまり関わらないほうが良い人なのかなと思ってしまう。
意中の男性がギャンブル男じゃないからって不用意にギャンブル批判するとそんな目で見られてしまうこともあるということだ。
一応一部の読者のために念を押しておくが、ギャンブルに関して「現に借金トラブルに巻き込まれる事例が沢山あるだろ?特に結婚なら家計の問題になるから嫌われて当然」
という定番の意見があって、それを心の中で反復した人も一定数いると思うが、まさにそういう意見のことを不用意な一般化と言っている。
別の事例として自分はタバコするのにタバコする女は駄目って男を考えてみよう。一見すると自分勝手だが何も矛盾した態度ではない。嫌いなものは仕方ないのである。
こういう「一見矛盾しているようでよく見ると矛盾してないケース」というのは対話的姿勢の試金石になる。人間はつい安直に批判する誘惑にかられて重箱の隅をつつきがちだが、
そこを落ち着いて見定めることのできる人とはうまくやっていけそうだなと信頼できる。それが信頼される人間の必須条件である。
いくら(金と能力を)「もってる」人間でも落ち着いて物事を判断できない人間は信頼されない。なぜなら金も能力も使い手の判断次第で毒にも薬にもなるからだ。
一般に「~のくせに」という言い回しを多用する人間は危ない。「女のくせに」「東大生のくせに」といった言い回し。自分の主張を乱暴に通すには便利な言い回しだが
内心白い目で見られることは覚悟したほうがいいだろう。一度ならずも二度三度と積み重なるに従って「あっこの人はそういう人か」と思われ始める。
「そういう人」とはつまり認識の粒度が粗すぎる人だ。認識の粒度が粗すぎる人は「矛盾」という言葉も多用する。思いやりなく雑にしか物事を見れないから
表面的な情報を切り取ってその対立を発見するや思慮浅く「矛盾」とみなし「~のくせに」という論法に持ち込むわけである。
そんな人は人生の早い段階で人間として大切な習慣を身につけ損なったのだろう。世間や自分の脳内にあふれた安直な結論を懐疑して
1つ1つ自分の目で確かめて自分の頭で考えるという習慣を残りの人生のどこかで身につけない限り、相互理解のないまま孤独に苛まれて生きていくのだろう。
ファミリー層が住むマンションに30過ぎた独身の男が住んでいて、部屋の中にエロゲーのポスターが沢山貼ってあるときに、近所でどう噂されるかとか、
まず部屋の中なんてのは同じマンションに住んでいるというだけの他人には分からない。
その30過ぎた独身の男がキモければ「キモい独身男」として噂されるだろうし、爽やかイケメンであれば何も言われないだろう。
或いはエロゲーポスターを外からも見えるように、例えば窓に貼っていたらその時点で「反社会的行為」だろう。景観考えろ。
そこで「ゲイに対して偏見を持つ」って事は、その同僚が元々キモい男だったから「ゲイとはキモいもの」と言う偏見が生まれたという事になるのでは。
逆にその同僚が皆から好かれる男だったら、元々ゲイへの偏見を持つ人でもその偏見が無くなるかもしれない。
ロリコンは反社会的趣味だろ。例え2次元であっても「いつ3次元に行くのか分かったもんじゃない」と思われるしな。
今だと老後は娘が介護してくれるだろうから安心、と言う意味で気にしない両親も多そうだが。もう孫も望めないし。
気にする両親だったらそれは「娘がずっと独り身」な部分であってジャニーズは関係ない。
そりゃ置き場所が無いだけだ。
もう趣味嗜好で後ろ指さされるなんてこと
よほど反社会的で他人に危害を加えかねないような趣味でもなきゃ実際にまずないと思うんだけど
増田はどう思う?
たくさんあると思うよ。
ファミリー層が住むマンションに30過ぎた独身の男が住んでいて、部屋の中にエロゲーのポスターが沢山貼ってあるときに、近所でどう噂されるかとか、
たとえば、オマエさんが男だとして、同僚の男から「俺はゲイだ」と告白されたときに、ゲイに対して偏見を持たないかとか、
LOをはじめとする2次元ロリコンに対して、どう日本社会が態度を取っているかとか
娘が40を過ぎても独り身でずっとジャニーズにはまっているときの両親の態度とか
「反社会的」がどういう物を言ってるか分からんから何とも言えないが、
(可能性ではなく、現時点で)他人に危害を加えていない趣味で、後ろ指さされる場面はまだまだ多いぜ
オマエさんが「キモい」と判断するのは、その趣味だからじゃないかい?趣味を表現することを「空気が読めない」と言ってないかい?
単純に言って、自分のうんこを毎日喰ってます、という趣味嗜好で、後ろ指をさされることが「実際にまずない」社会にはなってないよな。
で、趣味嗜好を表現すると後ろ指をさされるから、人形をすげー集めてるとか、同人誌大好きですみたいなやつが、トランクルーム借りてるわけで。
少なくともオマエさんの家族や住んでいる街、会社や見聞きする学校で、他人に危害を加えない趣味ならなんであっても後ろ指をささないかい?
内容については伏せておくが、話の内容も結構面白く、また主役のキャラクターを演じる女性声優の演技力も相まって非常に魅力的な作品であった。
しかし例の深夜アニメは、政権や経営者団体の意向を伝えるためのプロパガンダという側面の強い作品であった。
例の深夜アニメの具体的内容は伏せておくとは先述したが、作品を読み解くためのキーワードとして「生きづらさ」と「自己責任」の2つがある。
「生きづらさ」に関してだが、主人公は人間関係などに困難という「生きづらさ」を抱えている存在として描かれていた。
もちろん人間関係に困難を抱えた主人公は古今東西多くの作品に登場し、またプロパガンダ目的以外の作品にも「生きづらさ」を抱えている主人公が登場することも多い。
従って、「生きづらさ」だけを以てプロパガンダと認定するのは乱暴である。
もう一つのキーワード「自己責任」についてだが、例の深夜アニメは主人公が抱える「生きづらさ」を嘲笑する作風であるように感じられた。
また、話の内容も「生きづらさ」の根源を徹底的に自己のパーソナリティに求めるものである。
これらを踏まえると「生きづらいのはそれを感じるあなたが悪いのです。社会や制度は何も悪くありません。だから自分を変えてね。」という自己責任イデオロギーが例の深夜アニメの底流を流れているといえよう。
さて、例の深夜アニメは「経営者団体の機関紙」と揶揄される大手新聞社と資本関係を結ぶ放送局が制作に関与していた。
また、
・「経営者団体の機関紙」は社会保障のスリム化と自己責任イデオロギーの吹聴を主張として行っている
このの3点を踏まえると、政権や経営者団体の意向が例の深夜アニメにも反映され、結果政権や経営者団体のプロパガンダとして例の深夜アニメは制作・放送されたということが推測される。
一見魅力的な話もキャラクターも、実は政権や経営者団体の意向を視聴者にインプリンティングさせ、思想を誘導させるための装置の一つでしかなかった。
作品の政治性という物語の根幹に目を向けようともせず「キャラクターが魅力的だから」「話がおもしろいから」という枝葉末節に眩惑され、
あまつさえ映像ソフトやキャラクターの人形、出演者の声優が登場するラジオCDなどを嬉々として購った、己の軽佻浮薄さと愚鈍さに慄然とした。
そして過日、アニメの映像ソフトや人形、女性声優が登場するラジオCDなどを全部処分した。
ただ例の深夜アニメ以外にも、政権や経営者団体のみならず、右左問わず様々な政治団体やロビイストのエージェントが、テレビや漫画、小説、ポピュラー音楽、映画といった
ポピュラー文化を通じ人々を特定イデオロギーに染め上げようとしていることは容易に想像される。
もちろん接触者が全員特定イデオロギーに染め上がるといった、皮下注射モデルが妥当であるとは思えない。
しかし例の深夜アニメのように魅力的なキャラクターやプロットで人々を眩惑し、徐々に思想やイデオロギーをインプリンティングさせることは十二分に考えられる。
これを踏まえ、今後はテレビや漫画、小説、ポピュラー音楽、映画といった娯楽にはなるだけ目を向けないように心がけていきたい。
勿論「だからあなたたちも娯楽には目を向けないでね」と言いたいわけではないし、思想やイデオロギーを読み解いたうえでいったんそれを相対化できるなら娯楽を楽しむのもありだろう。
ただ枝葉末節に幻惑され、思想やイデオロギーに目が向かなかった己の愚鈍さを鑑みた場合、娯楽から遠ざかった方がベターだと判断しただけだ。
ついでに例の深夜アニメは映像ソフトも全く売れず、一部マニアから「爆死」と揶揄される作品である。
ちゃんと思想やイデオロギーを読み解いたうえで、一旦それを相対化できるリテラシーは多くの人に備わっているのかもしれないと安心した。
単発、週払いというのに惹かれて始めたバイトだが、
他にバイトした飲食やイベントと比べ学びが大きかったので書いてみる。
「新商品やリニューアル商品このくらい仕入れていただければ、販売員を付けますよ!」と営業をかける。
今度はメーカーは試食販売員派遣会社に「この商品ここのスーパーに何名販売員を派遣して欲しい」と伝えて仕事が発生する。
仕事の流れとして、まずバイトは試食販売員派遣会社の事務所において販売にあたって必要な知識を学ぶ。
販売する商品についてだけでなく、他社の似たような商品との違いや、必要であればメーカーについても教えてもらう。
他に、当日必要なもの(調理器具などは基本的に持ち込む。費用は会社から出る。)の確認などを行う。
これにも給与は発生するが、1回事務所に来て説明聞くといくら、だったので何回かの分をまとめて説明を聞いていた。
時給が欲しいな、と考えたことはあったが、発売前の試供品などももらえるので(自分で売る商品は必ず自分も試す)私はまぁまぁ納得していた。
当日はメーカーの人間として振る舞う。裏の従業員入り口から入り、メーカー名を名乗る。
が、もちろんスーパーの人は派遣のバイトだということは知っている。試食販売員はスーパーで「マネキンさん」と呼ばれていた。
はじめて聞いた時には私はなんつー呼称だ、差別用語じゃないのか!?とびっくりしたがすぐに慣れた。
・・・だけでなく、お客さんの反応や、売り場の観察なども行う。
販売後にはシートを提出するのだがそこには、そのスーパーの客層で多いのはどんな人か
お客さんはどんなことを言っていたか、買った人、試食したけど買わなかった人、試食しなかった人
年齢性別などわけてけっこう細かく記入する欄がある。
他に、他社の商品で何が売れていたのか、なども書いていた。いわゆるマーケティングである。
考えてみれば新商品ひとつとってもメーカーには、企画から開発、デザインや宣伝などを行った多くの人がいる。
私はそういう人たちの思いを(勝手に)背負って、仕事をしていた。
どのような言葉をかけると「売れる」のかについてもよく考察し、
時期も場所もドンピシャでさらにテレビCM投入中の大企業の新商品を売るのだから南極で氷を売るよりも何倍も簡単そうだけれど
これが意外と難しかった。
勉強したら即結果が出るはペーパー試験のみという現実を向き合いながら仕事をした。
売れっ子の試食販売員に教わったり、参考になるかわからなかったが柳原可奈子のコントも見た。
そのかいあってか私の販売成績は、「てんでダメ」なとこから「平均よりちょい、上」ぐらいまで成長した。
お客さんと直に会話を交わすことで営業の訓練にもなり、
マーケティングはもちろん、業界や企業研究まで幅広く行うことができる職業なのであった。
それだけに数々のデメリットとして
丸一日拘束されて日給が7500円なことと、
とにかくスーパーは寒く、真夏でもタイツ着用必須にもかかわらず冷え性が悪化するため女性には辛い
7時間半にもわたり、スーパーの一画で笑顔で大きな声を出し、ヒール(スニーカー不可)で立ちっぱなしがきつい
などの「あっ、これは長く続ける仕事じゃねーな」感が非常に残念でもあった。
まぁ、これだけ考えて勉強しても、売上は売れっ子にかなわず(完全に自分の力不足)
マーケティング分析はとても楽しいけれど自分は営業は向いてないなーということも痛感し、就活の際は営業は除外した。
そのため就活に対しても役に立ったと言えるし、今後の仕事についても、役立てられるアルバイトだったと思う。
【追記】
もともと販売員のことをマネキンと言う、という事実を知りませんでした。
当時は「販売員なんてメーカーから派遣されるお人形さんのようなもの」というニュアンスで「マネキンさん」と呼ばれていると思い、
「人間のことを人形扱いなんて!」と差別的な意味を含む言葉と勘違いしていました。
ご指摘ありがとうございます。
これは派遣会社によりますね。自社で販売員を持ってるスーパーもありますし、
おばちゃんが多いところはおばちゃんにメリットのある会社があると思うので。近場でコンスタントに仕事ができるとか。
私のいたところは本当に自由に仕事したいなーってとき、入れるときだけ仕事ができる代わり派遣先は結構広範囲でしたので若い女の子が多かったです。
http://anond.hatelabo.jp/20140908171411 に相乗りですみません。
2歳の女性です。ここ3年ゲームからしばらく離れていた生活だったので情報が得られません。
○はじめに
小さい頃からお人形遊びがずっと好きでした、絵を描くのも好きです。妄想が大好きです。
○好きなゲーム
シムズ
スチームパンクでロボットな世界観もいいです。音楽も最高です。
絢爛舞踏際
→閉ざされた艦内でイチャコラしたりするの楽しいです。
コンビニをつくろう
学校を作ろう
HAPPY HOTEL
どうやら神視点になり、自分の行動が影響するイベントをみていくのが好きなようです。
○嫌いなゲーム
追記:
ANNO・・・ゲームのキャプチャみました。いいですね。要求されるゲームスペック次第でやりたいです。
シリーズを追えば遊べるゲームばかりじゃん・・・確かに、でもシステムをしらない新鮮な刺激が欲しいです。
ウイニングポスト・・・昔本の付属の体験版でしかやったことないのですが最近はそんなことになってるのですね。体験版DLできるのかな、探してみます。
メゾンド魔王・・・The Towerを思い出した。MOONみたいな雰囲気のイラストですね、いいですね。
スカイリム・・・PCの推奨スペック次第ですかね。シムズのMOD入れすぎてパソコンがやばいので・・・
どきどきポヤッチオ・・・こんなのがあったんですね。すごくいいコンセプトに思えます。Amazonで売ってるようです。
シヴィラ・・・やりました。楽しいですよね、AOEやトロピコもやります。ストラテジーゲームも敵を無視して箱庭的発展をやりだすのが好みです。
レミ金・・・ぐぐりましたがよくわかりませんでした。アトリエ錬金術シリーズですか?楽しくて好きです。イラストがいいですよね。恋愛要素があればいいのになと思います。正式名称ありがとうございます。やってました、やりました。取り扱いアイテムがどんどん増えるのいいですね。収集ややり込み系ですね。600円くらいで買える不思議の国の酒場2もおすすめします。
Euro Truck Simulator 2 ・・・爆走デコトラ伝説を思い出しました。Frozaはしますがトラックは運転が難しそうですね。
フレームアームズ フレームアーキテクトTYPE001 For Modelers Edition (1/100スケール プラスチックキット)を買った。
(ULTRA-ACTウルトラマンが話題になってたときにめっちゃ欲しかったけど転売ヤーからは買いたくなかった)
思ってたより部品が細かいのと上下左右わかりにくくて組み立てるのに結構時間がかかった。
1時間半くらい。
関節がギチギチいうくらい固いから、ポーズ・武器保持とかにはいいと思う。
でもデッサン人形的にいろいろポーズをちょこちょこ変えて使うにはお手軽さに欠ける固さ。
おもむろに腕や足を曲げようとそのままぐいっと動かすとすぐにバキッといっちゃいそうだから、いちいちパーツ外して関節の向き変えて・・・みたいな感じでやってる。
あと、上半身を前方向に倒すことができないのが地味に不便。
後ろには少し反らせることはできるけど。
あとやっぱ人型とは違うなーと。
あたりつけるくらいの使い方は十分できそうだけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140828194525
結局中の人って誰だったんだろ?
https://www.youtube.com/watch?v=X_bT16afOy0#t=64
きっと何者にもなれないお前たちに告げる
じゃないんだけど、
何者かであってほしい需要
ってあるんだろうなあっていう。
10.犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
ここらへんでコメンテーターがひとし君人形よろしく奈落へ真っ逆さま。
ミステリーの読み過ぎ。
http://anond.hatelabo.jp/20140825071636
こういう記事があったけどさ、本州の学校の夏休みの自由課題って「自由研究」固定なの?
あ、全部自分語りというかブコメの拡張なので無視してください。
いや、自分の通ってた学校は、自由研究も、工作や書なんかのアート作品でもよかったからさ。
小学生だったのもう14年も前だから、今の学校の状況はわからないんだけど。
「研究」もいいけど、ゼロから物を作る(これも研究?なのか)のもすてきだよ。
そういうのを楽しめる子なら、子どものパトスにまかせるのも良いと思うんだけどなあ。
自分は作ることが大好きだったので、とにかくめっちゃ楽しんでた。
宿題(ドリル)は全く無計画なのに自由課題はスケジュール立てて計画を練るくらい。
ちょっと覚えてる限り回想する。
①工作キットは使わない。
②コンセプトとアイデアと実際の作業は親に頼らない。やり方は教えてもらう。アドバイスももらう。
③おもちゃとして遊べる&普段使いできるものを作る(小6で見事に破った。理由は後述、というより読めばわかる的な)
水族館に行ったので、絵日記と連動して水族館のペーパークラフトを作った。
お菓子の空き箱の内側に色を塗り、背景の魚や海藻、サンゴを作って貼る。
厚紙に魚を書いて切り抜き、糸を貼り付けて箱内部に吊るす。
透明なセロファンの一部に、青色のマジックで波模様を描き、箱に貼ってふさぐ(水色のセロファンが売ってなかった)
親からはセロファンに霧吹きで水をかけてピンと張る方法を教えてもらいました。
仕上がりは水族館じゃなくて海じゃねーか、とつっこまれまし。
小2冬 おべんとう入れ
なかよしの懸賞でソーイングセットが当たったのではっちゃけて母親に縫い物を教えろと要求。
キルティングの布を買い、裁ちばさみを借りて、お弁当入れを作った。
型紙不要の巾着にマチをつけただけ、裏地もなし。
でもこれが結構丈夫で、いまでも買い物袋入れとして使っている。
小3夏 リコーダー入れ
小3でリコーダーを習ったのではっちゃけてリコーダー入れを作る。
冬のキルティングのあまりで、長い巾着&スナップボタンで止めるタイプの2種類を制作。
小3冬 マスコット
手芸にはまる時期。かがり縫いをマスターしたのでフェルトマスコットを作った。
猫とウサギ。綿が入ってるのは頭と胴体だけで、耳や手足はぺらぺらだった。
小4の秋くらいにウサギの首が取れておおいにへこむ。
小4夏 ドールハウス
小3の時に作ったマスコットであそぶための家。空き箱を悪魔合体して紙造、2階、延べ800㎠くらいの家を作る。
一階は広めで、そこに2つに区切った箱を立てれば1階の壁と2階のできあがりである。
展示から持ち帰った際に派手にぶっこわれる。
マスコットとドールハウスを失った私を哀れみ、サンタさんが、シルバニアファミリーの人形2体、「おとぎの国のおかしのおうち」をくれる
しかし、お菓子の家になぞ住んでられるか! と再度ドールハウスに挑戦。シルバニアスケールで作る。(親ごめん)
家具には一部木などを使用。かまぼこ板、割り箸、彫刻刀でベッドを作ろうとして指を削る。
人形あそびに飽き、従姉妹(今思えば同人便せんとか作ってたんだなあの人)の影響で元々趣味だった絵描きの技術(カラー彩色)を覚えた私は、全部イラストのトランプを作ろうと試みる。
大きめの厚紙製プライスカードを購入し、イラストを描く計画。しかし、デザイン段階で枚数の多さに挫折し、絵札のみ絵を記入。ほかはマークで済ました。
にもかかわらず、12回の自由研究で一番面倒臭かった気がする。
絵を描いただけじゃねえか、といわれそうだったので、トランプゲームを多少調べてノートに書いて添えた。
小5冬 着せ替え人形
もう絵なんか描くか!と思って手芸に戻る。ちょうど小5で本格的な裁縫セットも買ったし。
本体をフェルト、服は春夏秋冬それぞれの服を布で作った。ちなみに、瞳をカラーフェルト、まぶたやまつげのラインを刺繍で再現した、完全にアニメ調の顔である。たぶんゼノギアスにはまってたせいだと思う。
小6夏 なべしきになる鍋つかみ
正方形に切ったキルティングに、正方形の角を一つ切り落とした5角形を重ねて、ループを挟んで縫った。
いまでも実家で使用している。端の処理にバイアステープを使用しており、自分的には完全にロストテクノロジーである。
そして問題の小6冬。
どういうわけか自 作 小 説 を 提 出 。
いや、夢水清志郎シリーズとか、2、3年前に見ていたスレイヤーズの原作本に手を出したりとか、アルセーヌルパンにはまったりとか、シャーマンキングとか東京ミュウミュウにはまったりとかしたもので。
たしか美少女怪盗もの。プロットというか話しの運び方はコナンのキッド回とルパンスペシャル&一応本家ルパンから学んだ。
ミステリというより犯罪エンターテイメント。というよりラノベ。
主人公は洋菓子をひらがなにした名前(ミュウミュウの影響)。猫耳である。
猫 耳 で あ る。(付け耳)
原稿用紙にペン書きしたものを袋とじで製本。自作絵の表紙をつけた。吐血。
この前帰省した際に今読み返してみた(どういう訳か本文のコピーをとってある)ところ、まあひどかったが良い意味で今では書けない勢いがあった。
日本語もままならないまま文字を書く仕事に就いてしまった今となっては、家に帰って文字を打つだけでも苦痛だと言うに。
というわけで絵を描いたり黒歴史作ったり、黒歴史作ったり、して楽しいので、もっと創作系自由研究は増えるべきだと思うね!(苦笑い)
ちなみに中学時代は文化系が「文化部」しかなく、文化祭の時に展示することが主な活動だったので、中1の時は例の小説の続編を晒したよ!(喀血)
空は奇妙な色に霞んでいた。
夕焼けと青が混じり合ったような色だ。一体何でこんな色合いになるのかは僕には分からない。
それぐらい奇妙な色だった。
ところで、僕のことについて語ろうと思う。
いつのまにか、僕はこの世界に存在していて、そして、今もなお存在し続けている。
どれくらいの間、こうしているのかは分からない。
ともかくも、僕は今麦畑の中を進んでいた。
麦畑は、僕の身長よりも高い穂で埋め尽くされていて、とてもじゃないけれど遠くまでを見ることはできなかった。
だから、僕はその茎の一つ一つを掻き分けながら進まなければならなかったのだ。
そんな作業を、ずっと前から続けていた。
この世界では、時間なんてものは存在していないのとほとんど同じなのである。
そんな具合に僕が麦を掻き分ける作業を続けていると、どこか遠くから、ぱきぱき、ぱきぱき、という、聞き覚えのある音が聞こえてきていた。
その音は、どんどんと僕の方に近付いてくるようだった。
音は大きくなりつつあった。
僕には、一体この後何が起こるのかがはっきりと分かっていた。
彼女がこちらへと近付いているのだ、と僕は思う。これもまた、何度となく繰り返したことだった。
そして、その音は遂に間近へと迫った。
僕は、ゆっくりと視線を上げて、そこに存在している影の方を眺めた。
麦と麦の穂の間から、彼女は、いつも通りの笑顔を浮かべて、こちらを見下ろしていた。
いつも通りに、白いワンピースを着た少女だった。栗色をした長い髪が、ほとんど腰のところにまで達している。ブラウンの大きな瞳をしていた。
彼女は僕の方を暫く眺めていたのだけれど、その後、彼女は一方的に踵を返して、僕へと背を向けた。そして、僕から遠ざかる形で歩き始めた。
十分に僕が付いてこれるくらいの、それぐらいの歩調で、僕の視界を覆っている麦を倒しながら彼女は歩いていた。
その度、ぱきぱき、ぱきぱき、という音が断続的に響き渡っていた。
僕達はそれをずっと続けていた。
ずっとだ。
歩き続けていた。
ずっと歩き続けていた。
いつになれば、辿り着けるのだろう、と思う。
いつかはきっと、辿り着けるのだろうか、と思う。
でも、とにかく僕達は歩き続けている。
住職が死に跡継ぎがいない場合、留守居役としてオイラのような流浪人が呼ばれることになる。
上記が主な理由だ。
ということでN県のとある山のふもとにあるお寺さんに不幸が訪れたので、お前行け、と支度金100万円を渡され、すぐさまN県へ飛んだ。そんな時の話。
いつものように掃除を終えて一休みしながら昨夜初めていったキャバクラのAちゃんにナンパメールを送っていたときのことだった。
「ごめんくさーいい。」
「おまえさんに見てもらいたいもんがあるんじゃが。」
BさんはiPhoneを取り出し、僕に画面を見せようとするもなかなか写真が現れない。
「貸してください。」とひったくるようにしてiPhoneを奪い、勝手に写真を見る。
「東京の孫が送ってきたんじゃがのう。誰も相談する人がいないけ、じいちゃんなんとかしてえな、とな。」
よく見ると日本人形だった。まるで画面の向こう側から目で殺そうとするかのような強い視線を感じた。
「この週末帰ってくるいうてるからよぉ、供養してやってけろ。」
Bさんはそう言って、孫の身に起きた不可解な現象を話し始めた。その人形は、同級生が大学を止め帰省する際に引き取ったものだという。孫はその人形をひと目見て気に入ってもらってきたそうだが、怪奇現象はその晩から起きていたようだった。
昔から人形好きだった孫は、和洋を問わず、人形をたんすのうえにずらっと並べていたという。その日本人形は大きかったので、一番奥の方に立たせるようにしていたそうだ。
翌朝、起きると人形が数体たんすの上から落ちていたという。よくみると日本人形の前に鎮座していた人形ばかりだった。ぽっかりと空いた日本人形の前には、おそなえものを置けるくらいのスペースが空いていたという。
孫は落ちていた人形を拾い、元に戻してそのまま学校へ行ったそうだ。
帰宅して人形を確認すると、何事もなかったかのように全てきれいにならんでいた。
ところが、また夜寝て起きてみると日本人形の前が空き、同じように数体の人形が床に落ちていたという。
気持ちが悪くなり、落ちた人形は別の場所にうつし、パソコンのカメラで一日監視してみることにしたそうだ。
また夜が来て、朝起きる。
今度は、空いたスペースの前の前の人形が床に落ちていたそうだ。