はてなキーワード: ポストモダニズムとは
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ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
インターネットがつまらなくなった、と言う人がちらほらいることに気がついている人もいるかもしれない。皮肉を言いたがる鬱陶しい人は、すぐに「それはお前がつまらなくなったからだ」と言うが、それは物事のほんの一つの側面でしかない。
長文を読むことが苦手な人のために、結論から述べようと思う。インターネットがつまらないのは、人々がタイパと刺激を求めた結果である。限りある人生を有効に使いたい。ここまではよかったはずだ。だが世の中を見渡せば、「簡単に理解できるコンテンツ」「刺激的なコンテンツ」「感情を煽るコンテンツ」で溢れている。マスターベーションを覚えた猿が繰り返すように、インターネットから刺激性を学習した猿は狂ったようにスクロールする。
私がソフトウェアのブログを書いていた時、あることに気がついた。難解でユニークなアルゴリズムを公開するよりも、「○○のインストール方法」といった初心者的コンテンツのほうがアクセスが多いのである。何かをインストールする方法など、ドキュメントを見れば一発でわかるのに、ブログにアクセスしてくる。いや、検索エンジンがドキュメントではなく私のブログをTopに誘導するのがそもそもおかしいだろう。悲しいことに、ドキュメントをちゃんと読める人が少数派であり、平易な言葉で書かれたブログの方を好む人が多いということだ。
個人的価値観を述べれば、インターネットに私が求めるのは「深遠」である。ゲーム理論と確率微分方程式を組み合わせたらどうなるのかとか、プラグマティズムをソフトウェア工学に適用するAndy Huntの最新の哲学的考察を知りたいとか、そういうことだ。
深淵の理解には時間がかかる。タイパと刺激の発想とは逆だ。一見退屈に見える無刺激な長文を、ゆっくりと地道に隅々まで理解しなければならない。深淵は真面目でストイックで、人生を共に歩むように接する。コンテンツを書いた人間を個人として尊重し、友達と語り合うような気分で読み解くのである。
「コンテンツは見て射精して賢者タイム。それで終わり」というのが現代人がやっていることだ。インターネットは元々学術的な(つまり深淵的な)情報交換のために作られたが、今では娯楽(つまりオナニー)が大半を占めている。そういう消費者に合わせて作られたものは、簡単に理解できて、極端で、やたらに感情を煽りたがる。コンテンツだけではなく、検索エンジンや推薦システムなどありとあらゆるものが、刺激性の猿回しになっている。
逆説的だが、今のインターネットが面白いと思っている人間がつまらないのである。猿がオナニーして、それが楽しいというのなら文化的ではないだろう。インターネットがつまらなくなったという人は、意識的に努力しなければ深淵にたどり着くことが難しくなったことを嘆いているかもしれない。私が高校生の時は、「ハッカーになる方法」と調べたとき、Eric S. Raymondの深淵的文章がトップに出てきたのだ。現代では、なぜかコンピュータセキュリティについてトップに出てきて、まさに中二病患者が求めるものをそのまま出してきていると言える。
といっても、いきなりarxivを読むのも、またそれはそれで時間がかかりすぎてしまうこともある。具体的数式ではなく、個人の持つ哲学を知りたいと思うこともあるかもしれない。哲学にも概ね2種類あり、本質を平易に説明するものと、無意味なものを難解に説明するものだ。後者はポストモダニズム的で忌み嫌われる。
ポストモダニズムに陥ることなく、本質的深淵にたどり着くためにはどうすればよいのか。検索エンジンだけでは、そのコンテンツが深遠なのか浅知恵なのか区別する能力に欠けている。おそらく、我々が本当に必要としているのは「ブックマーク」であり、場当たり的な検索ではないのかもしれない。本質的な深淵を語る人をブックマークし、その人の哲学を友人のように尊重したいのだ。大量の刺激的情報を消費してオナニーするよりは、少数の人の長文に触れたほうが充実するに違いない。
Cornellの議論は、ポルノグラフィの危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィは男性をレイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプを輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティの世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的な手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつの表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別は同義語なのである。彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語と行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィが性差別そのものであるという一種のイデオロギーに依存した議論に対する批判そのものである。
もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉を制限的に定義することによって、そうした一般的な議論ではなく、特に女性に対して酷薄なもののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象の問題は不可避であり、言語と行為を限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制の根拠は果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語と行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり、日本におけるポルノグラフィの製作が必然的にそうした女性虐待を表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィの表象が必然的に(fuckerとしての)男性をレイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性の従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。
また、Cornellの依拠するポストモダン・フェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判の対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズムの根底的目的に対して、一定の文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムにコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまり、ポルノグラフィの規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性と被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである。
そもそも、ポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから、女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定の勢力として存在していた。これらは全く女性が使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィの概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性の性的欲望、セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたことからの解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタな二項対立の接続が否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリームは男性が製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリームは男性向けであって、女性向けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィが必然的に男女を社会的に構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。
4. 結び
前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダン的フェミニズムの見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理はポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。
日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定の表現について規制を肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史を判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィの規制は道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制を検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳を可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害が現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からのアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制を正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノ派フェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニストの議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり、特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念が同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。
こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴである。さらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在の規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力や虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段が妥当であるかが問われるべきではないだろうか。
一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制の対象となるのではなく、むしろ一つの「職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知が必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的に正業であると認知されることは、その「職場」におけるハラスメントや虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーン・ハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。
以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。
参考文献
・キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン著 中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィと性差別」(青木書店, 2002)
・ドゥルシラ・コーネル著 仲正昌樹監訳「イマジナリーな領域」(御茶の水書房, 2006)
・大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)
・キャサリン・マッキノン著 森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)
ところで取り返しのつかないことをしてしまった、と思うことはよくある。
思い出せばそういう体験は今まで幾度となく体験してきたように思える。
でもそれが過ぎてしまえばそこで何があってもどうにかなる、正確にはそれらがその後の人生に対して何ら影響しないということを感じてしまう。
なんだか最近、自分の考えていることが大そうに幼稚になってしまったような気がしている。
しかし幼稚とは何だろう。そう言えるのだろうか?
感じるそのままを受け取るのか、そうではなく一定以上(どのぐらい?)複雑な概念を通して「理解」をするのか。
人間があらゆる概念に縛られてしまうことを承知の上で戦略的な「理解」を形成していくのがプラグマティズムだと思っている。ところでこの考え方の延長上には芸術や言語の世界から派生したポストモダニズムがあったりするが、これは時代遅れすぎるという話がある。
とはいえ最近、得た面白い考え方がここ数年の悩みを解決しそうである。それは循環参照や循環論理をその内部で分類するというやり方である。この考え方は思いつかなかった。ある概念や事象群の諸関係が総体として「循環」しているという状態を外部から解決することばかり考えていたが、そのあらゆる「循環」をひとつに一般化せずに個別循環同士を比較していくつかの共通項(ひとつではだめ!)を探ってみる。そうしたときにAとBという「循環」では共通していたものがCでは共通しないという項目があればこれは「循環」内部で分類可能だ。そうなると「循環」を解決するひとつの緒になるかもしれない。
よくわからないけど
http://kotomonashi.isapon.net/?eid=899
Genderqueer / ジェンダークィア(既存の性別の枠組みにあてはまらない自認。ノンバイナリー、ノンコンフォーミング、ヴァリアントなど呼びかたは様々)
Implasexual / インプラセクシャル(規則的に続く自己疑問やアイデンティティの問題が原因で、自身の性指向に満足していない)
Pomosexual / ポモセクシャル(「そもそもセクシュアリティの分類は意味をなさない」という考えかた。ポストモダニズムセクシャルの略)
Queer / クィア(既存の枠組みにあてはまらないセクシャリティ。また、セクシャルマイノリティを表す言葉。元は侮蔑語)
Quoiromantic / クォイロマンティック(恋愛感情とは何か、友情とどう違うか、がわからない。WTFロマンティックと同義)
のどれかには当てはまるんじゃないですか?
私自身はクォイ・ロマンティックのオブジャンクタム・セクシャルが一番近いかなぁ。二次専なので。
でもア・ロマンティック、オート・セクシャルっぽさもあるかなぁ。まあセクシャリティは流動的なものなので。考え方はポストモダン・セクシャルが一番近い。
"ロリコン"の傾向もある("ロリコン"の定義はともかく)けど、成人男性なのでロリータではないです。でもロリータ服には興味があるので、ロリータさんデビューはいずれあるかもしれない。
絶対正義を否定する文化相対主義は、多様な価値観を肯定しようとすら考え方で、西欧だけご正義と見る視点を否定するために生まれた。キリスト教的じゃないからといって、野蛮であると見るのは、間違っていたからだ。
しかしこれは、一時期熱狂的に肯定されたが、すぐに袋小路におちいった。
絶対正義を否定する以上、「文化相対主義を否定する人たちも認める」か「文化相対主義だけは例外的に絶対正義である」のどちらかの態度を取るしかなかったから。
かといって、もう西欧主義の絶対正義に戻るわけにもいかない。正義が相対的なものであること自体は事実なんだから。
じゃあどうするか、っつーと、話し合いとかでどうにか相対的な正義の中から一つの正義を恣意的に選ぶしかないわけだな。選んだ正義は絶対ではないが、しかし選んだのだからそれに従うのが正しい。
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なんでこんな話書いてるかっつーと、元増田が上げてる二つは、二者択一の対立軸ではないってことだよ。その二つのどちらかを選ぶなら、その時点で既に偏った考えだ。折衷案というか、そのどちらもを選ぶ方法を模索しないといけないよ。
今
首がアホみたいに腫れてるし
体はダルいし
喉が乾いて心が荒んでいるからか
俺も家族欲しいなあ
と寂しい気持ちになった
よくないよくない
心の中に住んでいただいている三人のブクマカさんたちにアドバイスをもらおう
「家族がいないなら通帳が家族になれるよ。お金を貯めればそのお金が君の家族だよ」
「君の価値観と他人の価値観を比較してどちらがそれらしい? どちらであっても留保の無い生の肯定を」
「聲の形の感想をブクマするのに忙しいから後にしてもらえるかしら」
「松屋の新メニューバター系らしいよ。松屋のバターに外れなし!」
「家族を求めるのはポストモダニズム、本を捨てて街にでよということだよ」
みんな……
ありがとう……
一人なんだなあ
1996年。物理学者アラン・ソーカルが人文科学誌 Social Text にデタラメな論文を投稿。
掲載された後でジョーク論文だった事を明かし、物理の専門用語で言葉遊びをしていた一部の「ポストモダニズム」研究者を皮肉った。
ソーカル事件から6年後、Annals of Physics と Classical and Quantum Gravity に掲載されていたある物理の論文が話題になる。
それらは「位相的場の理論」、「宇宙論」、「量子重力理論」などの複数分野にまたがる難解な論文で、
正しい専門用語を正しい文脈で用いていたが、論文全体では何も言っていないという代物であった。
悪質ないたずらが疑われ、ソーカル事件の逆襲ではないかと話題を集めたが真相は意外な方向へ。
兄弟ブルゴーニュ大学で学び、グリシュカは数学、イゴールは理論物理学で博士号を得ている。
ボグダノフ兄弟がサイエンス番組の人気司会者であったことからメディアをも巻き込んで騒ぎは大きくなっていった。
2人はネット上の議論に偽名で参加し、多重アカウントによる自作自演を繰り返した。
偽名には実在の物理学者や数学者の名前を勝手に使い、また、時には非実在の物理学者を名乗った。
兄弟の真意が何であったにしろ、全うな議論を捨てネットの印象操作を始めた時点で もはやまともな研究者とは呼べないであろう。
結果的にソーカル事件とは関係なかったものの、論文の査読精度や博士号授与の基準の見直しの議論のきっかけとなった事件である。
ジョルジュ・サルマナザールはフランス生まれの白人だったが、ウィリアム・イネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖は日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメな風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾のことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾の専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。
数学教授ロデリックと図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルやミミズの化石、彗星や太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。
コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアム・ケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分がケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズが自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けでチェスを指し、しかもほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンやナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。
宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人は逮捕された。しかし「王妃と伯爵夫人は同性愛関係にあった」「本当は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。
19歳のウィリアム・ヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピアの手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨な出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。
イギリスで異国の言葉を話す身元不明の女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋の島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画は新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。
イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者を募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地や役職、通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーはフランスに高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらにベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。
アメリカの冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイへ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分はイギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりのイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。
イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリアで肉屋を営む男が「自分がロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリスの庶民からも大いに人気を集めた。しかし未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。
ジョージ・ハルは進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人の実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラー・バーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルはバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。
ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。
イギリスのピルトダウンでチャールズ・ドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国の繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しかし1949年、フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイルが真犯人だという説まである。
後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピアの皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから、変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語やギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。
ドイツの曲芸師オットー・ヴィッテは、アルバニア公国の独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットーの証言は疑わしいものとされていたが、オットーはドイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。
コティングリー村に住む少女、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家のアーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。
オーストラリアの現代詩誌『アングリー・ペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるエセルから送られてきた。『アングリー・ペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派の詩人であるジェームズ・マコーリーとハロルド・スチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメなものだった。この事件によりオーストラリアの現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品はシュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。
フィリピンのミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的な暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピンの環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。
評論雑誌『ソーシャル・テキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダンの哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。
宇野常寛『リトル・ピープルの時代』幻冬舎2011の続きを野木の行き帰りに読み続ける。「リトル・ピープル」とは「ビッグ・ブラザー」と対で使われ、その意味は大きな物語に対する小さな物語とかなり近い。その意味ではビッグ・ブラザーはモダニズムの真理を体現し、リトル・ピープルはモダニズム解体後の小さな物語を紡ぐ個々人ということになる。
と聞けばお決まりのポストモダニズム論かと思うがそうではない。著者は村上春樹を80%称賛しながら、この対概念が村上の中でどのように扱われているかを分析する。それによれば、村上はお決まりのポストモダニズム論に読者を引きずり込むのではなく、ビッグ・ブラザーが壊死した後にリトル・ピープルの紡ぐ小さな神話に引き込まれることこそが最も危険なことであると警鐘を鳴らしていると解説する。
そしてその小さな神話の実例としてあがるのがオオムなのである。そして大きな物語からの安易なデタッチメントではなくコミットメントというメッセージを発するのだが、ではそのコミットメントとは何か?
これが最も難しい。小さな神話が厭世的なカルト物語であるのならコミットメントとは社会的公共的な何かへの取り組みということになるのかもしれない。そして恐らく現代はそう言う方向へ流れている。3.11はそれに拍車をかけていると言えるだろう。しかし、ここで、はたとショックドクトリンの議論を思い出す。社会的なコミットメントであればそれは全てが正しいことなのかと言えばそれはそう簡単に肯定できることでもない。ここにも様々なリトル・ピープルが潜在し目に見えない邪悪なものが潜んでいると僕には思えるのである。リトル・ピープルの時代とはそうした小さな邪悪との闘いの社会であり、それ故にビッグ・ブラザーの時代よりはるかにリテラシーが求められるのだと思う。
たとえば「リアルのゆくえ」p273。東氏の言いたいことは以下です。
東氏にとって、Apemanさんのやられていることは、お宅がガンダムの一年戦争について語ることと同じなのです。
「かって公共性を担うと思われていた話題も、いまやオタクのネタと代わらないわけです。ネットというインフラは、ガンダムについて熱く語っている人と、南京大虐殺について語っている人を等価に見せてしまう。実際若い嫌韓厨にとっては、第二次世界大戦は宇宙世紀と同じくらいフィクションでしょう。そのどちらのフィールドにおいても、彼らはすごく議論するし、ぶつかりあう。だからそれがすべて公共圏の萌芽だっていうなら、すごくハッピーな議論になるんですが、実際にはそうじゃない」
P232
「たいていの人にとっては国家なんてどうでもよくて、100人や1000人規模のコミュニティのなかで生き生きと生きていれば、それでいいんじゃないか」
つまり、こうやって、歴史修正主義について議論するのは、歴史の歴史性とは?またそれを語るとは?歴史学における事実とは?とかの問題ではなく、価値中立な工学的に設計されたネットインフラのなかの「南京大虐殺」コミュでの、コミュニケーションのネタにしか東氏にはみえないのです。そしてそれでいいじゃないか.それで幸せならば、と言っているのです。
普通に考えれば、歴史学的に証明されている南京事件という史実と、歴史学では相手にされていないその否定論というトンデモを並べてフラットに「コミュニケーションのネタ」として扱うことは問題があるといえます。しかし、彼らはそうは考えません。だってポストモダニズム系リベラルの時代だから。ポストモダニズム系リベラルの時代には、史実もウソも、フラットな情報としてしか扱われない。だからぼくは南京事件があったかなかったかは関心がないんだよ!と公言できるわけです。
だから、彼らに対して彼らが「無知」である(あり続ける)ことをもって糾弾するのは、確かにあまり意味がないのかもしれません。自分は無知であり続けながらひたすらコミュニケーションのあり方のみを問題化していくという態度そのものが、彼らにとってはステータスなのかもしれないからです。