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はてなキーワード: 環論とは

2020-06-29

IUT理論宇宙タイミューラー理論ブームに沸く人たち

まず断っておくと、この投稿には望月教授およびその関係者貶める意図は全くない。また、「IUT理論が間違っている」と言っているわけでもない。この投稿の主旨は「IUT理論ブーム」の現象本質を明らかにすることである

ブームの異常性

まずIUT理論は決して数学特に整数論、数論幾何)の主要なブランチではない。「論文を読もう」というレベルの関心がある数学者でさえ全世界に数十人しかおらず、自称理解している」のは望月氏とその一派だけ、そして理解した上でさら理論を発展させようとしている研究者は恐らく数人しかいない。

もちろん、これは数学研究分野として珍しいことではないし、研究者の数が少ないと研究の「格」が下がるなどということもない。しかし、abc予想解決したというインパクトに比べれば、これはあまりにも小規模な影響でしかない。そういうものに、一般人も含めて熱狂しているのは、異常と言える。

繰り返しになるが、これはIUT理論のもの、および望月氏とその関係者貶める意図はない。

内容を理解せずに、単語に反応する人たち

数学科の学部生や、数学の非専門家で「IUT理論勉強したい」などと言っている人も多い。それは大いに結構なことである。どんどんチャレンジすればいいと思う。

しかし、専門的な数学を学ぶ際には、たとえば「可換代数複素解析が好きなので代数幾何研究したい」とか「関数解析が好きなので偏微分方程式作用素環論研究したい」というように、既存知識経験を手がかりにして専攻を決めるものではないだろうか。IUT理論に興味がある非専門家には、そういう具体的な動機があるのか。単に「話題キーワード」に反応しているだけじゃないのか。

IUT理論の具体的な内容に関心を持つには、望月氏の過去の一連の研究に通じている必要がある。そうでない人がIUT理論の「解説」などを読んでも、得られる情報

だけだろう。これに意味があるだろうか。そのような理解で「何か」が腑に落ちたとしても、それはその人にも、数学界にも何ら好影響を与えないだろう。

IUT理論よりも他に知るべきことがあるんじゃないか

こんなことを言うと、「専門的な数学を学ぶには、その前提となる知識を完全に知っていなければいけないのか」と思われるかも知れないが、もちろんそんなことはない。時には思い切りも必要である

しかし、望月氏本人が述べているように、IUT理論既存数学知識類推理解できる数学者は、自身を除いてこの世にいない。これは数論幾何専門家を含めての話である。数論幾何専門家は、一般人から見れば雲の上の存在である。そういう人たちでもゼロから勉強し直さなければ読めないのである一般人がIUT理論の分かりやす解説を求めるのは、1桁の数の足し算が分からない幼稚園児が微分積分の分かりやす解説を求めるのの1000倍くらいのギャップがあると言っても誇張ではない。要するに、難しすぎるのである

一方、数学界には既存数学伝統を多く汲んでいて、最新の数学にも大きな影響を及ぼしているような理論は数多くある。それらは、学部4年生や大学院生セミナーで扱われたり、全学部向けの開講科目で解説されたりしている。数学を知りたい、または普及させたいと思うならば、そういうものを扱う方が適切ではないだろうか。

「IUT理論ブーム」が示すもの

「IUT理論ブーム」が示すのは要するに、ほとんどの人間はある事実説明した文章なり理論なりの本質的な内容に興味がない、ということだ。

彼らは、書いてある事実関係を論理的に読み解くよりも、抽象的な内容を脳内自由解釈することを好む。むしろ理解できないからこそ、何か高尚なことが書いてあると思って有難がったり、満足感を得たりする。

この構造疑似科学新興宗教と同じなのである(IUT理論疑似科学だと言っているのではない)。彼らはあくまでも自分の中で腑に落ちる雑学知識を求めているだけであって、数学理解したいわけではない。そして、こういう人向けに数学科学知識を「布教」しても、社会への貢献にはならないと思う。

2020-05-27

anond:20200527180924

ちょうど、整数から有理数構成するのは、一般環論で整域の商体を扱えば、その例として挙げれば十分というように。

2019-10-18

心のうんこは拾うな、流せ、相手すんな…の続き

心のうんこは拾うな、流せ、相手すんな

「生きてりゃ嫌なことあるわけだよ、誰でも。だから、おれにもあるわけね。そういうのは誰かに聞いてもらいたい」

「そうだよね」

「で、おれがそう思うんだから、たぶん『みんなも誰かに聞いてもらいたい』と推測できるよな」

「うん、まあ」

「ところでね、天国と地獄お話があるんだ」

「ん?うん」

天国でも地獄でもご飯食べるときに長~い箸を使うのね。テーブルの反対側に届くくらいの」

「うん」

「そんで地獄では箸が長すぎて自分の口に入れられないの。だから誰も食べられない。でも天国では長い箸を使って向かい側の人に食べてもらうの。だからみんな食べられるってお話

「ほう」

「でさ、みんなが自分の話してたら、誰も他人の話を聞かないし、聞いてもらえない世界になるじゃん。地獄とおんなじ」

「うん」

「逆に、聞いてあげようって人ばかりの世界だったら?」

「そりゃあその方がいいけど、実際にはそうじゃないじゃん」

「そうでもない」

「えー、そうかなあ」

「そうでもないって言ったのは、全世界じゃなくておれの周り」

「じゃあ参考にならないじゃん」

「なんでだよwww

だってそんな人ばっかりいないよ」

「そりゃそうだ」

「じゃあ無理じゃん」

「いやいや、方法はあるよ。即効性はないけどね」

「ふーん…、どんな方法?」

「んーとね…、確認なんだけど、お前はおれの愚痴を聞いてくれる気あったりする?」

「え、そりゃあるよ、わたしも聞いてもらってるし、むしろ聞いてあげたいくらい」

「そういうこと」

「え?」

「聞いてくれる人ばっかりはいない、でもおれの周りには今いた、だろ?」

「ああ…そうか」

「わかってきた?」

「うん、なんとなく。でもわたし、お母さんが話を聞いてくれても聞いてあげたいとは思えない」

「そりゃ、いつもうんこぶつけられてるしな」

「どういうこと?」

「お前のお母さんな、いつもお前の都合とか意見とか聞いてくれる?」

「ううん、一緒にいたらお母さんがずっと話す」

「それ、うれしい?」

「ううん、しんどい

「だよな」

「うん」

「それが『ぶつける』ってこと。片方は言い続けて、もう片方は黙って聞くの。しんどいだろ?」

「なるほど」

「お前さっき『むしろ聞いてあげたいくらい』って言ったじゃん」

「うん」

「だからって愚痴を聞くのが好きなわけじゃないだろ?」

「そりゃそうでしょ」

「じゃ、おれの話をガマンして聞くよってことかな?」

「いや、役に立ちたいって思う」

「じゃ、お母さんの役に立ちたいとは?」

「思わない」

「なんで?」

「きっとわたしじゃなくてもいいし、会話したいわけじゃないって感じるし」

「なるほど、何かにぶつけたいだけってことね」

「うん。前は楽にさせてあげたいって思ってたけど、もう疲れちゃった」

「でもおれには楽になって欲しいの?」

「うん」

「なんで?」

「うーん…いつも気持ちを聞いてくれるじゃん?」

「うん、まあね」

「話すと楽になるのね。わたしもそうしてあげたいって感じかな」

「ありがとう」

「うん」

「さっき天国と地獄の長い箸の話したじゃん?」

「うん…あ!そうか」

「わかる?」

「うん、まだなんとなくだけど」

「さっき『実際にはそうじゃない』って言ってたけど、今もそう思う?」

「いや…うーん…、でもやっぱりお母さんには思えない」

「そりゃそうだろ」

「え、なんで?わかんない」

「おれとお前って何?どんな関係?」

「ん?友達でしょ?」

「そう。で、おれ、友達は大切にするの」

「うん」

「逆を言うと、大切にするのは友達だけ」

「う、うん」

「大切は、特別扱いって言い換えてもいいかな。友達じゃない人は特別扱いしない」

「うん」

「つまり相手かまわずうんこを拾わないんだよ。おれが仮設トイレになるのは、お前がおれの友達からだ。友達じゃないやつのために、仮設トイレ役を引き受けたりしないわけよ」

「うん」

「人を大切にするってさ、簡単にできたらいいけど難しいんだわ。全員を大切にするなんてほとんど無理なの」

「うん」

「できることには限界あるんだから

「うん」

「おれの場合、その基準って友達かどうかなのよ」

「なるほど」

友達に限らずみんなを大切にできる方がいいことのように思うだろ?違うんだよ」

「え、そうなの?」

「うん、違う。何かを大切にするってのは、他の何かを大切にしないこととセットなんだ」

「えー、納得しにくい」

「そうだろうな。でも、無理は続かないじゃん。大切にできたはずの人まで大切にできなくなるよ」

そうかもしれないけど…」

「お前さ、音楽聞きながら本読める?」

「うん」

「そのとき音楽も大切に聞いて、本も大切に読めてるって思う?」

「…」

「大切にしようと思ったらどっちかしかできなくない?」

「…うん」

「大切にしないって言ってもひどく扱うってことじゃないよ。特別扱いしないだけ」

「…」

「本当に大切にしたい人のために、あっちにもこっちにもいい顔しないってことだ」

「うん」

友達じゃないやつを特別扱いしない分だけ、友達特別扱いする余裕があるんだよ」

「なんかわかってきた気がする」

「お前、あっちにもこっちにもいい顔しようとしてるもんな」

「うん」

「それうんこ拾ってんだって。だからうんこぶつけたくなるんだよ」

「ああ、そっか」

「こういうのを哲学的にはうんこ環論という」

「まじで?」

「疑えってwww

www

「でも、大切にしたい友達がいると、すこし余裕が持てるんだ。それはお前もそうだろ」

「え、そうかな」

「あれ?お前、おれのこと大切にしたくないの?」

「大切にしたいって思う。大切にできてるかはわからないけど、いなくなったら困る」

「だろ?大切に思える友達がいるってちょっとうれしくない?」

「うん、うれしい」

「おれは友達じゃない人のうんこは受け取らない。その分それなりに耐えられるし、おれの話を聞いてくれる友達もいる。『おれは処理できる』ってそういうこと」

「そっか…うらやましいな」

「お前もそうなれるよ」

「え、それは無理だと思う」

「いやいや、おれが特別まれてるんじゃないよ。友達になるって決めたら大切にするだけだよ」

「そうなの?」

うんこにたとえてるけど、要するにストレスなの。独りで発散する方法があっても、誰かに聞いて欲しいときあるじゃん。そういうとき友達を頼っていいの」

「うん」

「誰だって愚痴なんか聞きたくないよ。でも大切な人は癒やしたい、役に立ちたいって思うじゃん。でも常設トイレってわけでもない。あくまで仮設トイレなの。いつでもうんこウェルカムってわけじゃないの。だからぶつけちゃだめで、相手の気分とか都合とかも気にして聞いてもらったらありがとうとかね。トイレキレイに使わないと。そういうのが大切にするってことだ」

「うん」

「余裕がないとぶつけたくなっちゃうから友達じゃない人を特別扱いしない。仮設トイレ役にもならない」

「うん」

「だから、お母さんもうんこぶつけてくるだけなら特別扱いしない」

絶対、嫌味言われる」

「それでもいい顔しちゃだめなんだ。そんなの、うんこウェルカムって言ってるようなもんだ。拾わず、流して、相手しない」

「そういうことか」

「そう。だから自分が大切にしたいと思う人に集中する。そうしたら自分が大切にしたものけが残っていくよ、当たり前だろ?」

「ああ、なんかわかった気がする」

「間違ってうんこを大切にするとうんこだけ残っていく」

絶対やだ」

2019-04-21

ところで取り返しのつかないことをしてしまった、と思うことはよくある。

思い出せばそういう体験は今まで幾度となく体験してきたように思える。

学生の頃も就職の時も転職の時もそうだったと思う。

でもそれが過ぎてしまえばそこで何があってもどうにかなる、正確にはそれらがその後の人生に対して何ら影響しないということを感じてしまう。

なんだか最近自分の考えていることが大そうに幼稚になってしまったような気がしている。

しかし幼稚とは何だろう。そう言えるのだろうか?

感じるそのままを受け取るのか、そうではなく一定以上(どのぐらい?)複雑な概念を通して「理解」をするのか。

人間があらゆる概念に縛られてしまうことを承知の上で戦略的な「理解」を形成していくのがプラグマティズムだと思っている。ところでこの考え方の延長上には芸術言語世界から派生したポストモダニズムがあったりするが、これは時代遅れすぎるという話がある。

とはいえ最近、得た面白い考え方がここ数年の悩みを解決しそうである。それは循環参照や循環論理をその内部で分類するというやり方である。この考え方は思いつかなかった。ある概念事象群の諸関係総体として「循環」しているという状態を外部から解決することばかり考えていたが、そのあらゆる「循環」をひとつ一般化せずに個別循環同士を比較していくつかの共通項(ひとつではだめ!)を探ってみる。そうしたときにAとBという「循環」では共通していたものがCでは共通しないという項目があればこれは「循環」内部で分類可能だ。そうなると「循環」を解決するひとつの緒になるかもしれない。

日記というものは久しぶりに書いた。このキーボードなら書くことと考えることが分化されるいるようで便利だ。

よろしくお願いします。

2018-09-02

anond:20180902103608

数学専門の修士1年です。整数論を学ぶものの端くれとして助言させていただきます。とりあえず以下の分野について勉強なさることを薦めます

(必要なら)微積分と線形代数の復習

微積分なら杉浦「解析入門」がおすすめ線形代数なら佐武「線型代数学」か斎藤線形代数世界」がおすすめです。

体とガロア理論

堀田可換環と体」、雪江「代数学1・2・3」あたりがよい。

環論

Atiyah MacDonald「可換代数入門」、雪江「代数学1・2・3」あたりがよい。辞書として松村可換環論」を買うといいかも。

整数論

Serre「A Course in Arithmetic」とか、斎藤黒川加藤「数論」の6章あたりまでとか。

これらは数学学部3〜4年のカリキュラムに含まれ基本的知識です。先の内容を学びたい気持ちもあると思いますが、まずこれらの分野を「十分」学んでください。各分野についてどれぐらい学ぶ必要があるかというと、買った本の各章の内容について、証明の内容も含め、何も見ずにだいたい説明できるぐらい読んでください。あともちろん演習問題は全部解いてください。詳しい数学勉強方法東京大学河東先生のこのページを参考にしてください。

http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~yasuyuki/sem.htm

ここまで勉強なさると、宇宙際タイヒミュラー理論を学ぶハードルがどれだけか、少しイメージが湧くようになると思いますもっと勉強したいと思ったら、また増田に来てください。期待しております

2015-12-28

この惑星のある広い一圏域で信じられていることである。だれもこの起源を知らぬ。だが何千年の時を経た今でも信ぜられている。

まず12の獣が設定される。その内1の獣は現代に伝わらない。

これに惑星生気を現す10のエレメンツを組み合わる。

これらを循環させ、そして、組み合わせ、12×10÷2で一巡させる。

10のエレメンツはあるときはまた異なる5のエレメンツ兄弟としても捉えられ(5×2)、あるいは方角を示す要素としても用いる。

十方位から吹きこむ風と考えることができる。

いくら科学文明が発展しようとも、こうした循環論理を人々は大切にして、例えば1年ごとに来年の神獣をうらなう

誰がいつ定めたのかも知らぬこの神獣を、人々はこころから信じている。

どれだけ社会科学が発展し、貧困から格差が次第に減少し、男女の社会性の差違が次第に解消され、科学に対するリテラシーが発達する時代になっても、

例えば年始の賀状にその次の年の神獣を書いては顰蹙を買うし、例えば旧年の神獣をデザインしても笑われる。

実はこれは、神獣とエレメンツとが循環しているのではもちろんなく、人々の認識過去から未来へと連続している証左だ。

いつか、私たち石器時代精神性を忘却してしまったのと同じく、これの意味を忘れるときが来るかもしれない。だがそれまで、60年120年180年300年720年1200年36000年と続いて行くし、そう続くと今の私たち想像できるのだ。

 
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