2009-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20090608160232

たとえば「リアルのゆくえ」p273。東氏の言いたいことは以下です。

東氏にとって、Apemanさんのやられていることは、お宅がガンダム一年戦争について語ることと同じなのです。

「かって公共性を担うと思われていた話題も、いまやオタクネタと代わらないわけです。ネットというインフラは、ガンダムについて熱く語っている人と、南京大虐殺について語っている人を等価に見せてしまう。実際若い嫌韓厨にとっては、第二次世界大戦宇宙世紀と同じくらいフィクションでしょう。そのどちらのフィールドにおいても、彼らはすごく議論するし、ぶつかりあう。だからそれがすべて公共圏の萌芽だっていうなら、すごくハッピーな議論になるんですが、実際にはそうじゃない」

P232

「たいていの人にとっては国家なんてどうでもよくて、100人や1000人規模のコミュニティのなかで生き生きと生きていれば、それでいいんじゃないか」

つまり、こうやって、歴史修正主義について議論するのは、歴史歴史性とは?またそれを語るとは?歴史学における事実とは?とかの問題ではなく、価値中立な工学的に設計されたネットインフラのなかの「南京大虐殺コミュでの、コミュニケーションネタにしか東氏にはみえないのです。そしてそれでいいじゃないか.それで幸せならば、と言っているのです。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081215/p1#c1229325550

 普通に考えれば、歴史学的に証明されている南京事件という史実と、歴史学では相手にされていないその否定論というトンデモを並べてフラットに「コミュニケーションネタ」として扱うことは問題があるといえます。しかし、彼らはそうは考えません。だってポストモダニズムリベラルの時代だから。ポストモダニズムリベラルの時代には、史実もウソも、フラット情報としてしか扱われない。だからぼくは南京事件があったかなかったかは関心がないんだよ!と公言できるわけです。

 だから、彼らに対して彼らが「無知」である(あり続ける)ことをもって糾弾するのは、確かにあまり意味がないのかもしれません。自分無知であり続けながらひたすらコミュニケーションのあり方のみを問題化していくという態度そのものが、彼らにとってはステータスなのかもしれないからです。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090603/p1

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