はてなキーワード: 問題発言とは
発言については適当にニュースサイトからピックしただけなんだけど…
葉梨「法相は朝、死刑(執行)のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」
葉梨「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」
→「だから、私は今にも辞めたいと思う」と言ったなら問題と思う。だけどそんなことは言ってない。
→どちらかというと「それでも私はまじめにやってます」的な発言だと思ったのだが、そうではないのか? いや知らんけど。
ひろゆき「『票とお金になるから大臣になった』と口に出す事が不味い事だと全く思ってないのが凄い」
→いや、そんなこと言ってなくね? それってあなたの感想ですよね。
→そこに関しては同意。ついでに、それを言うなら〝こんな人達〟を選挙で選ぶ日本国。ってことにもなるけどね。
斉藤鉄夫(公明党:国土交通相)「命の重さと法の厳正さの象徴である法相として覚悟に欠ける発言だ」
→??? 法の厳正さは、まあそうなんだろうけど、命の重さの象徴? そうなの?
石川大我(立憲民主党)「あまりに軽率。死刑執行のサインをする資格はない」
→何が軽率? 「どうせ考えなしに印鑑押してるだろ!」っていう決めつけ?
ラサール石井(タレント)「耳を疑うとはこのことだ。どこを切っても問題発言」
→ちゃんと耳を疑って。問題発言を切り取ったのだから、どこを切っても問題発言なのは当たり前。というか、問題発言に聞こえるように報道されたのだから、当たり前。たぶん、自分の耳を信じすぎ。
村本大輔(ウーマンラッシュアワー)「この命を奪おうって決める仕事はなによりも重い仕事よ。あなたはハンコを押すだけ、そのハンコを押すことによって、人間がひとりこの世界からいなくなる。そこには遺族もいる。地味な仕事じゃないよ」
→いや、地味だろ。なんか「重要=地味じゃない」みたいな偏見持ってる?
→お笑い芸人からすれば、そうなのかも。たぶん、世の中の地味な仕事してるすべての人を見下してる。
葉梨というのがどういう人なのかは知らないけれど、
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
先月末に同様の記事を書いたが今月大幅に支持率が下がったので追記して記載。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
①水谷修氏の活動に支障をきたしているので[あれば]お詫びする、と問題発言への責任意識が希薄
②神谷氏も「一瞬水谷氏のことを思い浮かべた」と河西発言で「水谷修」を連想したことを認める
③「言っていいのかな?」の河西氏の確認に「いいっす」と促した人物の言及なし
④「夜回り先生というのがいて、有名な」は、河西氏が「有名」と認識している言い回し。会見では「有名な」はレイプ未遂犯の発言と釈明
⑤神谷河西両氏は「発言を切り取られた」と意味不明の弁解。全部聞いても、水谷修氏の過去の隠された不祥事エピソードとしか思えない
⑧(必ず訴訟すると頑なな)「水谷氏は取り付く島がない」と選挙活動中の公の場での名誉毀損という問題の深刻さを全く理解できていない
「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症」で炎上したやつ
記事:https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20220629-00303189
あれを書いたのはエキュメニカル運動団体(宗派を超えて連帯する運動)、日本キリスト教協議会 https://ncc-j.org/ に所属してる在日大韓基督教会の牧師なんだけど
天皇の国事行為への批判とか、靖国神社への参拝中止の声明文出してたところの人間が、神道政治連盟のよくわからん会合に参加するんですね、意外!
一応声明を出したみたいだけど、外部記事しか見つからなかったんですが……いつもの勢いはどうしたんですか? 仲の良い韓国の保守系キリスト団体に配慮したんですか?
記事:http://www.kirishin.com/2022/07/07/55088/
今回はキリスト保守派の異常性を右も左も統一教会に押し付けられてよかったですね!
「同性愛者は罪人だけど信仰で許される」「同性愛は信仰によって回復する」「同性愛者は罪人ではないが同性同士の性交は罪である」
こんなこと真面目な顔して吹聴している人もういませんよね? いろいろなご意見を参考しないとまだ結論出そうにないですかね?
=====
https://christianpress.jp/introduce/nbus/
「LGBTQ・同性愛は罪であるということに同意しつつも、神様はこれらの人たちを決して見捨てず、大切な存在として愛しておられることを宣言しております」
https://twitter.com/TomoMachi/status/1546968549222060033
東浩紀や他の出演者の反応も妙に芝居がかっていて可笑しいが、ここで問題にしたいのは三浦瑠麗だ。
言い方といい表情といい、こんなに白々しく、いやらしい話し方をする大人って、ちょっと他にいない。
実にいやらしいやり方で福島氏の発言内容を問題化するように仕向け、統一教会の問題から論点をずらそうとしている。
いじめっ子に誰かをいじめさせようと仕向ける女子のような、告げ口をする子どものような、幼稚さと浅はかさ。
男におもねるような気持ち悪い話し方。
(三浦のフリに応えて共演者が「三浦さんの責任ではないですよ」などといいつつ、福島氏の問題発言という体裁で騒ぎ立てるのも滑稽。)
この発言に至っては、政権と一体化した心情で左を見下してなければ、まず出てこないセリフだ。
普段はできるだけ中立を装いつつも政権のフォローをするという立場で仕事をしているようだが、こういうところで馬脚を表す。
ところで、ブコメではこの動画の三浦瑠麗を「冷静」だと感じている人もいるようで驚いたのだが、一般論として仄めかしや婉曲表現があまり通じない人も多く、
そういう人にとっては三浦瑠麗が冷静だったり理知的だったりするように見えるのかもしれない。
でも、その気持ち悪さが、まだ世間で十分に言語化されていない気がする。
誰かうまく言語化してほしい。
タイトルの通り。
俺は反アベだが、こんな終わり方はやるせない。
安倍総理が在任中に起こした数々の疑惑やスキャンダルに問題発言、はぐらかし、忖度した人間達は出世して、逆らった人間は自殺に追い込まれた。それが明るみになってもなんの自浄作用もなく野党は騒いでるだけと上手く印象操作され対抗勢力になりえず、マスコミも東京新聞の望月記者とNHKの関西支局の記者以外に本気で戦った人を知らない。
森友学園は籠池が捕まり、学校は放置され、加計学園は何食わぬ顔で営業している。桜を見る会はなくなったが今になってサントリーが酒類を提供していたことが明らかになったり、赤木さんの裁判は前代未聞の国側の白旗で賠償金満額支払いチャンチャン。
あべ本人は歴代最長政権記録を更新してからコロナ対策でお腹が痛くなってリタイヤ。党内では権勢を誇り、噂ではまだ返り咲くとの評判もある。国家の予算は日銀を手中に置き無限国際発行という人類史上始まって以来の近代先進国による社会実験を我々国民の財産を担保に戻れない所まですすめてきた。
他にも色々あったと思うが、色々追求があった時にまともに司法が機能してアベを逮捕取調べ裁判をして情報公開されていたらこんな事件は起こったのだろうか。
日本には1億人いるのでキチガイは沢山いる。俺だってアベは嫌いだ。でもやるべきハードルを乗り越えてきていたら殺されることはなかったと思う。田中角栄の方がヘイトは集めていたと思うがちゃんとミソギをしたのでキチガイの標的にならない。アベはあまりにもノーダメージだった。記者会見は懐柔されてるし、国会でしか追求されないが国会は野党がバカにされるシステムが完成している。検察はお友達をトップに据えてるから無敵。
経営者だったり株とかやってたらファンになってたかもしれないが、批判的にテレビや新聞を見てる層にとっては純粋に悪である。凡庸なしかも無能だけどシステムハックした異世界転生の主人公並の絶対的存在といえるかも。
ソイツに「無敵の人」が一撃チャンスがあるとするなら実行する可能性は十分考えられる。歴代総理を思い出しても殺されるべき標的になりうるのは安倍晋三が一番の候補にあがるだろう。
別に殺されて当然とか言うつもりはないし、殺人されるべきではないと思うが、あまりにも安倍総理はノーダメージ過ぎたし、証拠だらけなのに司法がまともに機能してなかったとしか思えない。だからなんの禊もなく標的になるべき存在になってしまったのだと思う。
アベがすごかったりすごく悪かったんじゃないがあまりにも何故か誰にもわからないが強すぎた。それが原因のひとつなのだとおもう。
タイトルの通り。
俺は反アベだが、こんな終わり方はやるせない。
安倍総理が在任中に起こした数々の疑惑やスキャンダルに問題発言、はぐらかし、忖度した人間達は出世して、逆らった人間は自殺に追い込まれた。それが明るみになってもなんの自浄作用もなく野党は騒いでるだけと上手く印象操作され対抗勢力になりえず、マスコミも東京新聞の望月記者とNHKの関西支局の記者以外に本気で戦った人を知らない。
森友学園は籠池が捕まり、学校は放置され、加計学園は何食わぬ顔で営業している。桜を見る会はなくなったが今になってサントリーが酒類を提供していたことが明らかになったり、赤木さんの裁判は前代未聞の国側の白旗で賠償金満額支払いチャンチャン。
あべ本人は歴代最長政権記録を更新してからコロナ対策でお腹が痛くなってリタイヤ。党内では権勢を誇り、噂ではまだ返り咲くとの評判もある。国家の予算は日銀を手中に置き無限国際発行という人類史上始まって以来の近代先進国による社会実験を我々国民の財産を担保に戻れない所まですすめてきた。
他にも色々あったと思うが、色々追求があった時にまともに司法が機能してアベを逮捕取調べ裁判をして情報交換されていたらこんな事件は起こったのだろうか。
日本には1億人いるのでキチガイは沢山いる。俺だってアベは嫌いだ。でもやるべきハードルを乗り越えてきていたら殺されることはなかったと思う。田中角栄の方がヘイトは集めていたと思うがちゃんとミソギをしたのでキチガイの標的にならない。アベはあまりにもノーダメージだった。記者会見は懐柔されてるし、国会でしか追求されないが国会は野党がバカにされるシステムが完成している。検察はお友達をトップに据えてるから無敵。
経営者だったり株とかやってたらファンになってたかもしれないが、批判的にテレビや新聞を見てる層にとっては純粋に悪である。凡庸なしかも無能だけどシステムハックした異世界転生の主人公並の絶対的存在といえるかも。
ソイツに「無敵の人」が一撃チャンスがあるとするなら実行する可能性は十分考えられる。歴代総理を思い出しても殺されるべき標的になりうるのは安倍晋三が一番の候補にあがるだろう。
別に殺されて当然とか言うつもりはないし、殺人されるべきではないと思うが、あまりにも安倍総理はノーダメージ過ぎたし、証拠だらけなのに司法がまともに機能してなかったとしか思えない。だからなんの禊もなく標的になるべき存在になってしまったのだと思う。
アベがすごかったりすごく悪かったんじゃないがあまりにも何故か誰にもわからないが強すぎた。それが原因のひとつなのだとおもう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQ755RXYQ75UTFK019.html
国内において、少子化は大変な問題なんです。今、結婚しても、お子さんをつくらない。結婚しない男女が結構多いんですよね。
50歳の男の人で、20%が独身だっていうんですよ。パートナーがいない。 ちょっと言いづらいことですが、男の人は結婚したがっているんですけど、女の人は、無理して結婚しなくていいという人が、最近増えちゃっているんですよね。
嘆かわしいことですけどもね。女性も、もっともっと、男の人に寛大になっていただけたらありがたいなと思っている。 ちょっと問題発言かなと思うんですけども。
男の希望としては、そういうことを思っているということでございますので、よろしくどうぞお願いいたします。(千葉県・JR柏駅前での街頭演説で)
色々あると思うんだけど、ひとつは、架空の家族であるがゆえに、ロイド(黄昏)が「まじこんなことやるの、クソ面倒だな」っていうすべての男親の声を代表した発言をしても、問題発言にならないからじゃない?
普通に実際の父親だったらそんな発言許されないよね、おっさん同士で飲んでるとき以外は。さらにスーパーサラリーマンであるロイドさんの口から「こんなん、普段やってる仕事より難易度高いだろ」って言ってもらえることで、承認欲求も満たされる。
まぁヨルさんはちょっとロイドに甘すぎるけどな。現実はそんな甘くないよね。まぁ女性はどっちかというとアーニャに自分を重ねるのかな。
自分が参加してるDiscordの鯖でちょっと問題発言繰り返して抜けた人がいる
それから少しして、その人の転生っぽい人がはじめまして!よろしくおねがいします!って何食わぬ顔で入ってきて(文体があまりにも似ているからそう思ってるだけ)
まあここで会話したいのかな と思ってたら似たような文体の人がそれから数人入ってきて困惑している
似たような文体というか、ある特徴があってどれもその点が同じだからもうすべてその抜けた人にしか見えなくなってる
文体もそうだし、ある一つの事柄について何度も話題にあげるのも………
自分としてはもうあんなめんどくさい人に関わりたくないからスルーしてるけど、自分以外にそう思ってる人いるのかなと思う日々
全員別人ならこんな話し方する人が何人もいる恐怖だから同じな方がいいな
西原理恵子について、思っていたことを適当に書く。ちなみに私は1985年生まれで東京の僻地でぬくぬく生まれ育った軟弱な人間。
今手元に本がなくて時系列は間違ってると思うからその辺はいい感じに脳内保管してくれると助かる…。
西原理恵子との出会いはもうよくおぼえていない。多分ダヴィンチとかカルチャー誌に載っていたのを読んで興味を持ったんじゃないかと推測している。
私はいろいろあって学校に行けない子供だったので、午前中に図書館に逃避し、そこで西原理恵子の本を借りたり、その帰りのブックオフでお小遣いで買ったりしていた。なので、売り上げに貢献していない読者だと思う。本当にそれは申し訳ない。
話を戻すと、最初に買ったのは「まあじゃんほうろうき」だったと思う。何故これだったかというと、単純にブックオフで全部100円で買えたから。
中学生くらいの私(今から22年前だ…時間の流れ怖っ)にはめくるめく世界だった。一気に西原の漫画に夢中になったし、彼女が大物とも臆せず交流する人間的魅力にも惹かれ、私も大人になったら雀荘で夜通し麻雀をする大人になろうと思っていた。
尚、36歳現在、麻雀はできるが雀荘には一度も行ったことがない。
その次は「鳥頭紀行」に衝撃を受けた。なんだこれ。大人になったらこんなジャングルとかにも行けるのか。幼少期から旅行記好きの私の心はがっちり掴まれた。
私も大人になったら世界中を飛び回りたい。しかもお酒が美味しそう。西原は良い仲間に恵まれてて羨ましい。でも、それは本人に魅力があるからだろう。私も西原みたいな大人になって、楽しい仲間とさまざまな国でお酒を飲んでみたい。心底そう思った。
尚、36歳現在、海外には一度も行ったことはない上に体質で酒は一滴も飲めない。
病気で高校には行けなかったが、年齢が上がったことでネット環境を与えられ、もう時効だと思うから白状するが私は体調の良い日はブックオフで「せどり」をして小遣いを稼いでいた。そのお金で、西原の本を揃えられる限り揃えはじめた。
「ちくろ幼稚園」にはじまり「ゆんぼくん」「ぼくんち」などの叙情系を読み、「あの破天荒な西原がこんなに繊細な漫画も描けるのか!!」と素直に才能に感心したし、それまでの彼女の人生に思いを馳せたりもした。
その他、著作は書ききれないほど(この時点で2000年くらいかな)あったが、どれも思春期で学校に行けず友達を作る機会もない私には輝いて見えた。こんな大人もいるんだという、一つのロールモデルとして彼女は私の中に刻まれていた。
もちろん、西原にはなれないのはわかっていた。それでも、世の中にはいろんな人がいる。そう思えるだけで、世界はいくらでも広がっていく。
そんな私が潮目が変わったと感じたのは2001年の「西原理恵子 大ブレークへの道」あたりからだと思う。既刊をあらかた買い読み尽くし、関連人物の書籍も一通り読み終え、とうとう私はリアルタイムで西原を追いはじめた。この頃はまだせどりも可能で毎月一定の額を稼いでいた私は、とうとう西原の本を定価で買うことができるようになる。
少しそれるが、西原の漫画はコミックというより書籍扱いなので一般的な漫画よりページ数が少なく、高い。
なので、いくら稼いでいるとはいえ(体調の良い時しかできないしな)合計しても小遣い程度の私には定価で買うのはまあまあ大変な額ではあった。でも、西原のことは信頼していて、躊躇うことはなかったと思う。
なのに、ちょうどこの頃の新刊あたりから内容がどこに向かっているのかよくわからない本が多くなった気がした。
加えて、2002年で新聞連載をはじめると、必然的に家族の話題が中心になる。
私は西原を作家としては信頼していたが、人間性まで盲信はできなかった。確か、「人生一年生」(1号か2号か忘れた)の中で安野モヨコが「西原の漫画は好きだけど、友人として近づきたいわけではない」という旨のコメントをしていたのがすごく心に残った。
そうなんだ。西原は漫画家としては才能があるけど、だから人間性もすべて素晴らしい人ではない。魅力的ではあるが、何かが欠けている。それが欠けているからこその魅力であり、埋めてしまうと彼女は漫画を描けなくなってしまう気がする。
そういった私の中の西原への印象を、端的に言葉にしたようなコメントだと思った。
そこから新聞連載は興味があまりなかったこともあり、新刊を時々は買うものの「何か違うな…」と思うことが多々あった。おそらく、それは私が目まぐるしく成長していた時期だったからだと思う。
私の西原への熱量は冷めていき、一応情報を追ってはいるが興味が持てなくなっていった。
それは華々しいが、私が西原の魅力と感じていた部分がそれによって表せていたかというと疑問だ。
「大体、絵本とかで良い話描く際に必ず草原に青い空って手抜きじゃね?」
というくらいに、この頃から私の中で西原は「青い空の下草原をバックに良いこと言う作家」というイメージに変わっていった。漫画だと手抜きも笑えるけど、良い話、しかも絵本になると「それでいいのか?」という気持ちになるから不思議。
更にだんだんと文化人枠に入っていくのも不思議なものを見ている感じだった。新聞連載は最初ちょっと読んだくらいなので、「良い母」としてCMに出る西原は不思議な感じがした。だって、西原ってあんなにめちゃくちゃやってる人なのになんでこんな綺麗にコーティングされているんだろう?
無頼派の新刊も、かっちゃんのマネー頼りの内容が多くなり、金で解決するオチが頻発して食傷気味になっていた。
そして20歳を超えた私は、新刊を諦めかつて夢中になっていた既刊を読み返すことにした。
しかし、それを読む私は確実に昔より成長していたらしい。
西原の本に出てくる友達は男性ばかりで、特に仲の良い人はおそらく恋人だ。頻繁に出ていた人が急に出なくなるのは、きっと別れたからだろう。そう思った。そしてあんなに友人が出てくるのに、女性の友人は数えるほどしか出てない、もしくは出てもすぐに出なくなる。
それまでも、西原の本の内容が「嘘」であることは欄外などに語られていた。でもそれは面白くするための嘘であって、自分をよく見せるための嘘ではないんだろうと勝手に思い込んでいた。
しかし私が大人になったのか、女性の友人があまり出てこない事実に気付き、いろんなメッキが剥がれていった。
そして惰性で書店に行くついでに新刊をめくると、息子と娘の扱いに差がある気がする。
親との確執、特に露骨に弟を贔屓し全肯定するのに私を全否定する母親との確執がある私にとって、それが気になった途端、新刊を追うことはできなくなった。
とりあえずかっちゃんとの交際が公になったまではまあ「ふーん」と聞き流していたが、その後のMXテレビでの女性器発言をかっちゃんに解決してもらうところはすごく悲しかった。
なんていうか、それまで強い男に媚びてのし上ってきたんだろうなと気づいてはいたものの、なるべくそこは見ないようにしていたのに、鼻先に思い切り突きつけられた気がして。
それでもまだまだ西原はアル中の鴨ちゃんを看取りシングルで子供2人を育てた良き妻、良き母。かっちゃんとの関係はまだ女を捨てていない素敵な関係。そういうイメージの媒体を見るたびに悲しくなってしまった。そこには、私の好きだった西原が小さくなっていて、よくわからない素敵そうなものが大きな顔をしている。そういうふうに私には見えた。
とどめを刺したのは、「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」だった。
私の中で、女性作家が若い女性に向けた提言本を出すと、それはもう終わりの始まりだという謎の思い込みがある。
(男性作家にも一部そういう人はいるが、どういうわけか面白く書く人もいて、この辺はいつも不思議。要するに成功した男性のロールモデルは数種類いるのに対し、成功した女性のロールモデルは種類が少なく画一的だからだろうと思っている)
結婚し子供を産んだ。金も男も手に入れた。確かに、そういう意味で西原に憧れる人もいるんだろう。そして、この本が響く人もいっぱいいるんだろう。
でも私は病気で学校に行けなくて、どんなに頑張っても今の世の中だと普通に働いて結婚して子供産むとかすごくハードなことで…。そんな私のコンプレックスなんて西原にはなんにも関係ない。でも、かつての本には弱者への目線も書かれていて、その人たちを笑わそうと体を張っているすごい人だと幼い私には見えていた。
それだけに、いわゆる「成功した作家」が提言本を出すのが、私には作家として何かを手放しているように思えて仕方なかった。
そんでもって相変わらず「青い空の下草原をバックに」表紙だしな!
(別に丁寧に細密な絵を描いて欲しいわけではない)
これ以降は別に私が書くことではない。
ない、が、娘さんの告発を見て、「やっぱりなあ…」と思ってしまった。
家族のことを部外者がとやかく言うのは下品だと思うので差し控えるが、著作を買っていた私は娘さんを追い詰めた側の人間だと思うので、今後どんな形でもいいから彼女が満たされ幸せに生きていって欲しいと素直に思う。
それはそれとして、西原ならこの騒動もあの手この手でマネーに変え、何故か感動のラストに持っていくのでは…と危惧している。多分、この予想は高確率で当たると思ってしまうのがすごく悲しいことのように私には思えるが、西原には西原なりの大切なものがあるんだろう。今の私にはよくわからないけれども。でも、私は娘さんを追い詰めた加害者なので、その顛末を見届けないといけないと思う。だから、少しでも娘さんが救われる顛末であって欲しい。ここでこんなこと書いてもなんにもならないけどな!
今までお気持ち表明って冷ややかに見ていたが、自分で読んでも気持ち悪い文章になってしまった。
高かった熱が冷めれば冷めるほど、人は気持ち悪い文章を書いてしまうのだろう。
それでも、私は一時期確実に西原の漫画を読んで生活が潤っていたし、その潤いがなければ生きてこられなかったと思う。
なるべくそのことは忘れないよう、これからも生きていけたらいいなと思い、私は明日も行きたくない会社に出社してやりたくない仕事をするだろう。おしまい。
【追記】
男性に伝わるか私にはよくわからないんだけれども、大体の女性にとって「やたらとわかってる風に振る舞う男性の友達ばっかりで同性の友達がいない女性」ってなんか言動とか価値観?とかに違和を感じていて、直接的だったり間接的に嫌な目に遭うことがままある…気がする…あくまで私の周囲の女性の意見だけども。
(そういう女性は男性にはいい顔するので、例の「女の敵は女」という言葉が出てきがちだ。そりゃ被害に遭わなきゃ女性だって高みの見物できるだろうと思う。往々にしてその手の女性は好戦的なのがめんどい)
とりあえず愛ちゃんはアシスタントだし、はせぴょんとか中瀬ゆかりさんはビジネスだろう。「毎日かあさん」のママ友の話はほぼ創作(むぎちゃんだっけ?あの人は多分いない)らしいので、若い頃の同性の友人の話も聞いた話を適当に盛ってほぼ創作なんじゃないかなと思う。
とにかく言いたいのは同性の友人がいないことは悪いことではないと思うけど、同性の友人がいない人が娘の母親としてどう振る舞うかというと…ということを言いたかった。
まあ、ぶっちゃけ私の母親がそういう感じなんだって話でしかないけどな。
【追記2】
作品のファンだったと思うのが健全で、作家のファンだったと思うのはちょっと違うと思った方がいい、みたいな意見はすごく真っ当な意見だと思うし、私もそういう風に考えたいと思う。
でも、西原をはじめとした自分の身の回りのノンフィクションやエッセイとして作品を発表する作家はある程度作者の魅力込みで読者がファンになる特殊なジャンルかなとも思う。
(さすがに盲信するのはどうかなという気がするし、きっと完全フィクションの作家ならみんな簡単に割り切れるかなと)
そういう特殊で業の深いジャンルであるが故に、今回の娘さんの話題で様々な意見が出るというのが問題?の本質かなと私は思ってる。だからこそ、今後また西原が今回の話題も何かしらの作品に昇華してしまいそうで怖いなと思っている。
(作家としてはそれが正解なんだろうけど、それ故に残酷というかあまりに業が深すぎる職業というか)
【追記3】
今ざっくり自分の文章読み返してみて、多分初期の方が弱者への視点が感じられ、更に作者本人が体を張って笑いをとりに行く様が魅力に感じられたように思う。
そして、よくある話ではあるが金や権利を手に入れたあたりでその魅力が感じられなくなったのかなと。
多分その魅力は彼女の中にまだあるはずだけど、今の状況だとそれで作品を作るのは難しそうだ。それはとても困難で手間がかかるし、素敵な女性として楽にいい感じの本出した方が売れるだろうしね。
【追記4】
他の人の西原への感想などが読めてとても嬉しいです。もっと読みたいので書ける人は書いてくれるとすごくすごく嬉しいです。
しかし新聞連載以降の作品のファンがあまりいないので、あの辺の作品を買った層と初期の作品を買っていた層はまったく違う層なのか?と新たな疑問が出てきた…。「上京ものがたり」あたりは私も結構好きでした。特にラストはすごく心に残っている。
【追記5】
追記多いのマジで気持ち悪いな。でも本文から気持ち悪いからなんかもうええわ。
友達の多い少ないは少なくともこの文章においては問題ではない。実際私も学校行ってないから友達少ないし。そしてそこを語りたいわけではない。
では何が私が引っかかったかというと、私がこの文章を書いた発端が彼女の娘さんの文章を読んだこと。
何度か男性の友達は多いのに同性の友達がいない、少ない女性と接した経験から、そういう人々はとても男尊女卑であると思った。要するに、大勢の男性と親しくできる自分は「名誉男性」であり、同性とばかり親しくする女性を格下に見ている。そして、人間を上か下かでしか見られず、他人を自分と等しい存在だと捉えることができない。男尊女卑は対男性には伝わりにくいが、対女性にはすぐ伝わってしまうので対女性とはトラブルが多い。
そういう男尊女卑の内面は奇しくも本人が言う通り、男尊女卑のまかり通る環境で生まれ育ったことも関係あるのかもしれない。
(でも、そういう環境で育った人がみんなそうなるわけではないけれども)
そして重要なのは、ここが問題点なのではなく、本当に重要なのはここから。
本人が自覚あるかないかに関わらず、男尊女卑思想のある女性が男の子と女の子を産んだ場合、女の子にはどう接するだろうか。
ここからは私の知り得るところではないので差し控えるが、自身の母親と照らし合わせると自ずと見えることが無きにしも非ず。
それはそれとて、そういうことを考える私もまたすごく嫌な女だということは間違いないだろう。
自分の周辺にそういう女性に心当たりがないという人はとても良い環境に恵まれた人だと思うので、それは自身の人柄によるもので、すごく誇っていい尊いことだと私は思う。
【追記6】
私がこの文章で書きたかったことは、西原理恵子という作家の業と私という読者の業、そして何より娘さんについて。
なので差別云々というのは私の文章力とか私の考え方に問題があるのは前提として、それを除けばここのコメントで西原理恵子という作家や娘さんのことを触れないのは片手落ちに感じる。
(もちろん、100文字という制限がある以上それは仕方ないとは思う)
そして、私はその業や娘さんに関係ないことはこの文章の中で書く気はないし、責任もとる気がない。
私は誰しもどこかに他人を差別してしまうところがあって、多分そこを言及されていると思うけれども、他人に「絶対差別するな」って押し付けたり、「自分は絶対差別してない」って言い切る人は理想主義過ぎて少し怖い。
だから、その辺が気になる人は、自分でそういう差別についてのエントリを書く方が満足できるし有意義だと思う。
【追記7】
差別が〜って言う人は西原の漫画読めるのか…?とずっと考えていたが、よく考えたら西原の漫画を読まずにこのエントリだけ読んで「差別が〜」と言っている可能性もあるのか!とはたと気づいた。
知らない人に説明すると、西原理恵子という人の芸風は人種差別、女性差別、弱者差別などあらゆる差別を笑いに昇華していくものである。実際、女性の友人をデブだのブスだのヤリ○ンだと罵ったり、子供を産んでいない女性や専業主婦へのヘイト発言なんて日常茶飯事だ。しかも、この何十倍も汚い言葉でそれを言う。
(改めてこう書くと本当酷いな…)
もう本人の作品自体がミソジニーだのホモソーシャルだのが真っ青になるくらい、差別や問題発言の坩堝なのが西原理恵子の漫画だ。
(今のポリコレではアウトでしかない…だから改めて差別とかホモソーシャルとか言われると「いやもっとアウトな発言いっぱい出てくるから!」ともうどこから突っ込めばいいのかもうよくわからない)
ところが、それがものすごく面白くて笑えるから始末が悪い。そして、それを読んで笑う読者ももれなく下品である。それが、西原理恵子と読者の業の深さの一端だ。
私は西原理恵子という作家について書くにあたって、そういう彼女や読者の中にある「差別」は切り離せないものだと思ってこの文章を書いた。そして、その「差別」がどの程度彼女の娘さんに及んでいたのか(あまり詳細が書かれなかったこともあるが)読者にはよくわからなかったところが例の娘さんの件で露見したように思う。
(更に補足すると、彼女が差別する人間だからこちらも差別していいとかってそういう話ではない)
なので西原理恵子を知らない人は、とりあえず図書館にも置いてあるしブックオフで叩き売りされているので読んでみて欲しい。私のおすすめは、コメントでも人気の高い「鳥頭紀行」とか「ぼくんち」あたり。
実際の西原の漫画を読んで、差別だとかそういうもので頭がクラクラするのにギャグが強烈に面白いという奇怪な感覚に失神するがいい!
(ただし、合わない人には本当に合わない)
結局、何があっても私は西原理恵子の漫画のすべてをきらいになれないし、機会があれば好きな作品を未読の人にも読んでもらいたいのだ。
【 Permalink | 記事への反応(18) | 17:22
anond:20220530192850の続きになります。
(はてな社に問題の記事の削除依頼を申請した結果、2022/05/31削除措置を済ませたとのご連絡をいただきました。対応して下さったはてな社の方々にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。)
私が、町山智浩の後輩男性(以下"X氏"と表記します)の元・妻の女性たち及びX氏に精神的苦痛を与えた記事を書いた当時の、動機や心理を思い返すと、自身のハラスメント体験に重ねて情報を捉えていたのが大きな要因だと思います。
ハラスメント被害そのものの苦しみだけではなく、私の身近にいる人間の中には、私の苦しみに対して理解や共感を示してくれない人、被害回復の手助けをしてくれない人が存在し(もちろん、理解や共感や手助けをしてくれた人も存在しましたが)、そのような心無い人たちの存在は、深い無力感や孤立感を私に与えました。
そうした無力感や孤立感に苦悶していた時、私は町山智浩のインタビュー記事の情報に接しました。今となっては、そのインタビュー記事の中で語られたセクシャルハラスメントの被害も現実のものではなかったと判明していますが、その情報を知った当時は本当の話であるものと私は思っていました。私は、その記事の中のセクシャルハラスメント被害者を、私自身に、被害者を助けようともしないで町山智浩の側に付いている(という誤ったイメージを、町山智浩の虚言によって付与された)X氏を、私の助けになってくれなかった人たちに、それぞれ重ねていました。
加害者の町山智浩に苦しめられるだけではなく、家族・伴侶であるX氏すらも加害者の側に立っていて、セクシャルハラスメント被害者である元・妻の方は、孤立無援で苦しんでいる。そのような(今となっては誤りと判明している)イメージが、私を強く捉えて離さなくなり、居ても立っても居られなくなりました。
ハラスメント被害の経験者である自分には、加害者の町山智浩と、町山の味方となって彼女たちを顧みない(と誤認していた)X氏を批判する義務や権利が有るのだ。抗議の声を上げられない彼女たちのためにも、自分だけは代わって抗議の声を上げるべきだ。たとえ他の人たちが彼女たちを顧みなくても、せめて私は彼女たちの何らかの助けにならなくては。そのような思いを私は抱きました。
言論人である町山智浩が、自発的な意志によって、広く販売される雑誌の誌面に掲載されるインタビュー記事として公開した情報なのだから、それをピックアップして公の場で批判することには十分な道理が有ると考えたことも、私の行動に拍車をかけました。
MeToo運動の我が国へ波及する様子も見て、何かが変わるような、私でも変えられるような気もしました。
しかし、私が町山智浩のインタビュー記事をピックアップして情報を伝播したことは、実際にはX氏の元・妻の女性たちを助けるどころか、却って苦しめる結果にしかなりませんでした。
X氏についても、もし私が冷静になれていれば「本当は、町山智浩のインタビューに抗議などをしたいのに、権力勾配の存在やマインドコントロールなど何らかの理由によって、町山に対する抗議の声を上げることが困難な状態に置かれているのかもしれない」という可能性も考慮して、仮に誤認情報に基づいてX氏に対する批判や非難をするにしても、もう少し抑制の効いた、精神的苦痛を与えたり名誉を傷つけずに済むような書き方が出来たのではないかと思います。しかし実際には、既に明らかになったとおり、私はそれが出来ませんでした。
私は、X氏を悪魔化していたのだと思います。悪魔化することで、あのような筆致で記事を書くことも正当な行動なのだと、私は勝手に思いこんでいました。非常に身勝手で独りよがりな正義感であったと思います。
今でも、セクシャルハラスメントやパワーハラスメント、それ以外にも人間としての尊厳を踏みにじるような行為について、それらを他人が行っているのを認知したならば批判するべきであるし、抗議の声を上げてそれらを止めさせるべきであるという考え自体には私も変わり有りません。しかし、たとえそうするべきであったとしても、やはり冷静さを欠いて感情的になったり、節度を失ってはならないのだと、今さら遅きに失することではありますが、改めて痛感しました。
はてな匿名ダイアリーは、かつて「保育園落ちた、日本死ね」と題する記事によって、日本の社会全体に議論の空気と改善の動きを促したことがあることを、私は知っていました。
ハラスメントの苦しみについて理解や共感を得ようとしたり、抗議の声を上げようとすると、個人情報を知られて二次的被害を受ける可能性を考えて、被害者は躊躇するものです(これは、経験者の方々にならば共感してもらえると思います)。しかし、はてな匿名ダイアリーならば、二次的被害の可能性を回避することと、私のような弱い人間でも抗議の声を上げることの両立が可能かもしれないと考えました。
ここ数ヶ月、日本の実写映画業界の周辺では、監督や俳優によるセクハラ・パワハラ・性的暴力が露見して報道されることが増加しました。明らかに道理がないそれらの事案に対してですら、被害者の人たちに対して「自業自得だ」というような心無い声を浴びせる人たちが少なくありません。あるいは「それらの監督や俳優は、才能の持ち主なのだから、少しばかりの過ちを犯しても寛大な処分で済ませよう」と言う人たちもいました。町山智浩のインタビューや問題発言に対しても「町山さんのことだから」と言って、問題視せずに済ませる人たちが少なくありませんでした。
こういった著名人の立場の強さと非・著名人の立場の弱さの差によって、押し潰されているハラスメント等の被害者は少なくありませんし、弱い人間に対する理解や共感を示さない人たちから二次的被害を受けることもあります。それらに負けずに抗議の声を上げることを弱者でも可能にする、はてな匿名ダイアリーのような場は貴重であると私は考えています。
しかし、私のように身勝手で誤った正義感に基づいた独りよがりな断罪の振る舞いは、はてな匿名ダイアリーの価値を損ないかねないものであり、そのような意味でも私は罪深いことをしたと思います。
思いつくままに筆を進めてきたために論理性に欠ける文章となりましたが、X氏の元・妻の女性たちやX氏に対して私がしたことは、何ら正当化できないことだけは言うまでもありません。たとえ、私がハラスメント被害者であったとしてもです。
こうして書き連ねたことも、結局は自己正当化に過ぎないのかもしれません。まだ私は本当の反省ができていないのだと思います。
いったん筆を置きます。
ルール内での行為と競技の特色と、競技者がそれに煽られて問題発言するのとは別でしょ
そういう傾向になりやすいとかそう見えるとかあったとするよ
負けると自分がどれだけ嫌な思いをするかをシミュレーションしてそれにならないための目標設定と努力があるとするよね
昔の猛特訓みたいなやつ 罵倒されて虐待されてこれが嫌なら試合に勝てみたいな方法
直接的に肉体へストレスを与えて具体的にそれが終了するという目標をつくって脳が思考しなくてもなんの疑問もなく出来るやつ
その時代でさえ、自分がされて嫌な事から逃れるために勝つ、勝つからには他の人がその嫌な事にとらわれたままになるであろうことは想像に難くないとして
それを自分が見下して罵倒したり差別発言することはなかったんじゃない? あったとしても問題のあるキャラとして問題のある行為でしていたのでは?
自分の価値観をどこかのだれかに押し付ける、ゲームとか競技とか関係ないよね 個人の都合で発生したストレスを個人の勝手な解消方法で解消してるだけ
煽りとかもそうだけど相手関係なくない?自分の中の問題だよね それをあえて現実に出してしかも相手につたえることでその反応を見ることで自分の行き場のない自分への憤りを解消させてるの
みんなの見てる前で性癖を開示して一人でいっちゃう領域を展開するのって そういう行為に共感しちゃうのって、普通とはちょっと異なる感覚で見てる人達だと思うし増田くんもそういう性癖なので問題はないと思うのかな
そういう意味でゲーマーとか競技者は所詮人前でいきなりそういうことをしだしてもおかしくない人だという差別をしてしまっているわけなのだけど
それぞれの個人の固有の事象の別々な問題だと思うので、問題があったところは反省すべきだと思うし問題がなければ続けていけばいいんじゃないかな
それをあえてゲーマーという属性をまとめて擁護してしまうと、救いようのない問題が発生したとき、それをもってしてゲーマー全体が責任を追及されてしまいかねないと思うよ
逆にそれほどの自由がゲーマーにはあるべきだというなら、それも納得できる
銃社会が人の在り方をとてつもなく自由として広げた結果、子供や老人や関係ない人達まで社会の許容された自由の責任を背負う事になってる それに近いよね
一人が最悪の行動で差別をして業界全体が危うくなった時、そいつだけの固有の問題だなんて言い出さないみんなで責任をとる、そういう覚悟が「ゲームは人に問題行動をさせてもしかたがない」という考えには必要だよね
関係ない話を長々するのやめてくれる?
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こういう流れなんだから、「やっぱり配信ではなくモラルの問題」と言いたければ、
いくらアマチュア界の柄が悪かろうと、そこからプロになった人物の言動には問題がない。
たまに問題発言が飛び出ることがあるが、それは配信によって表に出やすいだけ。
まるでフィジカルスポーツでは自浄作用が働くみたいな口ぶりだが、そんなわけがない。
代わりが効かない才能の持ち主であれば、まず囲って後で教育すればいいと考えるはず。
大体そこらのマイナースポーツより、LoLやCS:GOの方が人口が多く、プレイヤー層は厚いんだが。
お前は何と何を比較してるか不明瞭だから、スケールや細部の話がフワッとしてるわけ。
で、お前がしてる「持続可能性のあるeスポーツ」はこの話にどう関係するんだ?
脇道の議論だから多くは触れないが、LoLは持続可能性のあるeスポーツだ。
なんで「プロゲーマーで大炎上した失言は2回しかない」と書いたかわかる?
大半のプロは発言に気を付けていることを、改めて強調するためだ。
ここでお前が「いや、○○も失言で炎上しただろ」と反証を挙げればまだしも、何一つ具体的な話は出て来ない。
PMJLは64人のリーグで、その中で失言をしたのは1名のみ。アクシデントだ。
残り63人の言動に問題がないことを無視して、1名から普遍的な課題を導き出そうとする。
それじゃ問題設定として甘々。話にならん。
そもそも炎上テーマが「プロゲーマーの言動」である以上、アマチュアの言動がどうとか関係ない。
多くのプロ候補から品行方正の奴がプロになることもあれば、粗暴な奴がプロになることもある。
いや全然。
世界3位で一躍名を轟かせたZETA DIVISIONは、Lazを筆頭に"見られている"という意識が強い。
だからTwitchでの配信も怠らない。先日は15000人も集めていた。
普段のTwitterでのファン対応や、配信での言動がしっかりしているから。
擁護にしろ批判にしろ、お前が何を言っても説得力に欠けるのは、
脳内で作り上げた「プロ意識のないプロ」に対して、どんな説教かました所で空を切るだけだ。
どこが?
問題発言した選手は2018年11月22日にチーム加入している。
どれだけ人前に出る意識があろうとも、露出量が多ければボロが出る時もある。
配信のプロである超大手ですら、映しちゃいけないDiscordの案件内容を映してしまったり、カラオケ中に半ケツ出してBANされたりする。
人間そんなもん。出ちゃったもんは仕方がない。
ゆっくり何をするんだ?
Riot主催のプロリーグは、選手に対してプロ意識を高めるための研修をやっていた。
おそらくドコモのプロリーグもやっているだろう。件の選手が属していたリーグだ。
プロの立ち回りについてはマネージャーから指導されるだろうし、問題行動・発言はゲームメーカーが取り締まってる。
ここから更に何をやるんだ?
プロ野球界隈でも↓みたいな差別発言が横行してるしなあ。日本のサッカー選手や野球選手に毎日生放送させてみ? プロゲーマー以上の頻度で更にひどい問題発言だらけになるのは間違いない。
「日サロ行きすぎ」発言、父がコンゴ人の日ハム・万波選手に? 球団「聞こえるが…」:朝日新聞GLOBE+
https://globe.asahi.com/article/14421401
日本は野球でもサッカーでも、コーチが生徒を暴行するような文化が全国でいまだに根強い。
先輩からの人格批判的な暴言を伴った肉体的しごきだってプロゲーマー界隈より遥かに蔓延している。