はてなキーワード: 石川大我とは
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dailyshincho/politics/dailyshincho-989250
立憲民主党の石川大我参院議員が支援し、東京出入国在留管理局から仮放免を許可された40代のスリランカ人男性が、過去に「強制わいせつ致傷罪」と「強姦致傷罪」で2度、有罪判決を受けていたことがデイリー新潮の取材でわかった。男性は2度の服役後、東京入管に収容。体調不良を訴え続け、2022年4月に仮放免されてからは関東地方で暮らしている。
石川氏に質問状を送り、X氏が過去起こした事件を知った上で支援したのか、支援を呼びかけた責任についてどう考えているのか等聞いたところ、下記のような回答が文書で届いた。
「お尋ねの男性と実際に面会でお会いをし、健康状態の悪化から、収容の継続は適切でないと考えました。当該男性の前科の有無等については、当職はお答えする立場にありません」
Mr.K
@MrK_FXAT
@lingualandjp
・幹事:福島瑞穂(社民)・山本朋広(自民)・田村智子(共産)
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Mr.K
@MrK_FXAT
・幹事:福島瑞穂(社民)比例・山本朋広(自民)神奈川4区・田村智子(共産)比例
Mr.K
@MrK_FXAT
立憲 辻元清美 比例・石川大我 比例・牧山ひろえ 比例・寺田学 比例(秋田1区)
メンバー外参加者 岡田克也(立憲) 三重3区・福山哲郎(立憲) 比例
Mr.K
@MrK_FXAT
返信先:
@MrK_FXAT
さん
もう比例ばっかりですね。
比例は民意を反映してないだろう。
https://twitter.com/MrK_FXAT/status/1627513412623409152
これはなにかあるな。
https://twitter.com/nalltama/status/1629873232622014465
なる
@nalltama
産まない選択をした人がなぜ少子化に文句を言うのか理解できない
@ohtsubakiyuko
6時間
子どもは何かに貢献するために生むものではありません。産めよ殖やせよじゃあるまいし。 twitter.com/fax5sbajrhg8jd…
@lingualandjp
·
・幹事:福島瑞穂(社民)・山本朋広(自民)・田村智子(共産)
@lingualandjp
naoko🇯🇵🎌
@naokosaito8
「面倒だと思う男性もいるかもしれませんが」…って、なぜ男性限定なのかしら?ご夫婦で国会議員ですもの、あなた方ご夫婦の同意は口頭なのか書面なのか、具体例として表明されたらよろしいのに。
@teratashizuka
·
同意のない性行為は犯罪だ、というごく当たり前のことがしっかりと法律に書き込まれるまでにどれだかの方が苦しめばよいのかと感じてきました。面倒だと思う男性もいるかもしれませんが、後から何か言われたらどうしようという懸念が残るうちは行為に及ばなければいいだけです https://news.yahoo.co.jp/articles/bff1dc9f11bbaeb877233110d11606168d5edaed
寺田学はさっさとやめた方がいい。この理屈ならレイプは被害者が悪いと同じだよ。
発言については適当にニュースサイトからピックしただけなんだけど…
葉梨「法相は朝、死刑(執行)のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」
葉梨「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」
→「だから、私は今にも辞めたいと思う」と言ったなら問題と思う。だけどそんなことは言ってない。
→どちらかというと「それでも私はまじめにやってます」的な発言だと思ったのだが、そうではないのか? いや知らんけど。
ひろゆき「『票とお金になるから大臣になった』と口に出す事が不味い事だと全く思ってないのが凄い」
→いや、そんなこと言ってなくね? それってあなたの感想ですよね。
→そこに関しては同意。ついでに、それを言うなら〝こんな人達〟を選挙で選ぶ日本国。ってことにもなるけどね。
斉藤鉄夫(公明党:国土交通相)「命の重さと法の厳正さの象徴である法相として覚悟に欠ける発言だ」
→??? 法の厳正さは、まあそうなんだろうけど、命の重さの象徴? そうなの?
石川大我(立憲民主党)「あまりに軽率。死刑執行のサインをする資格はない」
→何が軽率? 「どうせ考えなしに印鑑押してるだろ!」っていう決めつけ?
ラサール石井(タレント)「耳を疑うとはこのことだ。どこを切っても問題発言」
→ちゃんと耳を疑って。問題発言を切り取ったのだから、どこを切っても問題発言なのは当たり前。というか、問題発言に聞こえるように報道されたのだから、当たり前。たぶん、自分の耳を信じすぎ。
村本大輔(ウーマンラッシュアワー)「この命を奪おうって決める仕事はなによりも重い仕事よ。あなたはハンコを押すだけ、そのハンコを押すことによって、人間がひとりこの世界からいなくなる。そこには遺族もいる。地味な仕事じゃないよ」
→いや、地味だろ。なんか「重要=地味じゃない」みたいな偏見持ってる?
→お笑い芸人からすれば、そうなのかも。たぶん、世の中の地味な仕事してるすべての人を見下してる。
葉梨というのがどういう人なのかは知らないけれど、
呆れるね。
幾ら何でも馬脚を現し過ぎでしょ。
しかし立憲の大河原議員と言い、石川大我議員と言い、共産党の議員と言い、ここ最近余りにもこの手の自滅が多いよね。
自民が大勝しすぎるのはそれはそれでとても問題なのだけど、この体たらくを見ていたらそりゃこうもなるよなと言う印象しかもうない。
千葉県の衆議院選共産党候補、漫画の表現規制に賛同する【追記】同党地方議員も賛同
https://togetter.com/li/1458667
「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
立憲民主党衆議院議員「ポスターはアウトだ、JAの炎上商法に乗せられるな」などと地方議員に発言したと告発される。なお、ジェンダー平等推進本部会長職も務めている模様
しかし投票率が下がって与党側が良いわけではないのに野党が勝手に一人負けをする構図って日本に限った事ではないよね。
こうして見るとフェミやポリコレがリベラルと組んで大暴れしている地域ほどその傾向が顕著なのだろうなと思う。
小選挙区だからと言って死票ばかりの問題ではない事は昨今の傾向を見ていても良く判る事だしね。
最も規制問題なんて右も左も宗教と手を組んで行ってきた歴史もあるけど。
今はそれがリベラル側が顕著だと言う話。
しかし赤十字の件では輸血を必要とする人や医療関係者に喧嘩を売り、JAの件では農家に喧嘩を売り、野党はどうするのだろうね?
元々自民の票田だから良いのかも知れないのだけど、このまま手を組んでいるフェミニスト達が無差別的に火をつけ回っていたら、いずれ自身の組織票にもそのうち悪影響が出てくると思うけどね。
もはやオタクの票云々の問題ではなくなった事位は認識した方が良いと思うよ。
最も立憲に関しては今現在においても大河原まさこ議員や映画の件で石川大我議員等が能天気にも表現規制を推進するような発言をしている時点で議員が全く危機感を持っていないのが良く判るし、この事から政党としてもあの方達と心中する事が本望なのかもしれないけどね。
https://anond.hatelabo.jp/20200217175118
読んでいて言っている事も理解できるけど、歴史的に言えば、右も左も規制を進めていたシーソーゲームな部分はあるので、左翼のイシューと言うのは少し違うと思うね。
それこそここで左翼が反対派だった当時の児童ポルノ禁止法辺りの時代を見ても民主にも小宮山元議員等の規制を推進する側の議員もいたわけだしね。
逆に当時、与党で規制を進める側だった自民でも早川元議員の様な慎重派もいたわけだしね。
だからこそ昨今ではオタクは政党で見ずに議員や候補単位で投票するか否か見る様になった経緯があるのだけど。
ただ児童ポルノ禁止法に創作物を盛り込む事を反対しておきながら、赤旗に金尻カズナ氏を出して規制を推進する記事を出したり、同党の候補が児童ポルノを理由に創作物規制を主張したりした例から共産党自体の信用性が完全になくなった事例もあるわけだけどね。
今回のJAの一件に関しても立憲は大河原まさこ議員が同党の規制に反対する地方議員に一方的な発言で圧力をかけたり、別の映画の件で石川大我議員が公開を止めさせる様な行動に出た事を問題視され始め出したので、対応を間違えると今後共産党に様にこの表現や言論の自由の問題については政党単位で信用自体を無くす事に繋がりかねない所まで来ているとは見ていて思う所。
何にしても当時言われていたオタクが票にならないと言う話をしばき隊以降の野党の対応や昨今の騒動を見ていて、与党のみならず野党側もその様な意識だったのだろうと言うのは如実に感じ取れるし、その経緯から多くのオタクや表現規制に懸念をする人が山田太郎議員に流れたのも事実なので、野党に関していえば、その一件では一切同情の余地もないと思うし、事実オタク側は当時の経緯から裏切りを受けたも同然なので、憎んでいる方すらいるのも当然ではあると考えるよ。
ただそのオタクと一緒に後から山田太郎議員を担いだ漫画家共が著作権において増長し、全く関係ない第三者であるインターネットユーザーまで規制をしだしたのはある意味フェミニストと同じ過ちを繰り返しているとしか思えないので皮肉だなと思う。
どんな人物や団体であろうとどんなに耳障りが良い言葉でも詭弁による規制はそのうち世間からの反発を招く事になるよ。
何せフェミニストが女性の権利以外にも当初利用していたのは著作権よりも遥かに反論しにくかった子供の権利であったのだから。
それでフェミニストが何をしても許されると増長した結果、今回の行動まで招き世間の反発が起きた。
この事は反面教師にすべきだよ。
まぁ、それは置いといてただ何にしても野党支持者の方からすれば、赤十字の一件にしろJAの一件にしろ、今回のフェミニストや先鋭化した支持者の行動には本当に頭を抱えているだろうね。
ラブライブや宇崎ちゃんがオタク以外にも女性層や家族層や子供にも関係し、多くの人に喧嘩を売っている件もだけど、この一件は純粋に医療従事者や農家にも真っ向から喧嘩を売る行為そのものに繋がる事だからね。
想像するだけでさぞ血の気が引く事になるでしょう。
それに限らず、昨今のフェミニスト及びそれに同調したリベラル政党の支持者の問題行動こそ一番の問題で、彼等の行動の結果、今までのリベラル支持層や中間層の反発を招き、低投票率の結果、野党が一切勝てなくなった大きな一因を招いたのは事実だしね。
https://president.jp/articles/-/32996
草。
いつもながら容赦なさすぎで笑える。
リベラルの保守化はその通りだし、奴等自身がその様なダブスタをしているからこそ世間から毛嫌いされ出したのにその当人達がそこに気づいていないのだから滑稽だよねw
世間からすればお前らの思想の押し付けや風紀云々こそ余計なお世話だと思っている人間も多いからこそ、昨今のリベラル野党離れの加速化&支持者の先鋭化が進んでいるのでしょう。
更に言えばこの赤十字の一件で某J民すら驚く様な「恥ずかしい掌返し」をしておきながら、1か月も経たないうちに今度はJAの方を卑猥だとか燃やし始めているのだから、俺に限らず世間の人間もこいつら学ばねぇし、見えないものが見えだしているのだから、別の病院行った方が良いんじゃね?と思っている人も決して少なくはないだろうよ。
ある意味ではジェンダートロールと言う単語こそふさわしいとこの手の行為を見ていて思うよ。
しかし立憲はどうするのだろうね?
ただでさえ大河原まさこ議員が自身の党の市議会議員に一方的なアウト宣言をした事で煙が噴き出したのにそれに続いて、石川大我議員まで映画に圧力をかける行為をしでかしたみたいだしね。
更に言えば石川大我議員に関しては表現の自由を公約の一つにまでしていて、それこそ彼等の言う所の表現の自由戦士から裏切り行為と取られて、絶許対象にされ始めているみたいだしね。
これ場合によれば今後の他の議員の信用にも関わるからここで対応を間違えたら本気で立憲自体終わる事に繋がる事にもなる。
一つの要因では終わらないけど、その要因の一つとしてはこの問題無視できない規模になり始めているのは確か。
「ミカンはお母さんが買うもの」フェミニスト学者牟田和恵氏の女性蔑視のステレオタイプ発言
https://togetter.com/li/1469374
https://togetter.com/li/1469932
立憲民主党衆議院議員「ポスターはアウトだ、JAの炎上商法に乗せられるな」などと地方議員に発言したと告発される。なお、ジェンダー平等推進本部会長職も務めている模様
https://togetter.com/li/1470065
って事ですよ。
「バイバイ、ヴァンプ!」と表現の自由について
① 「表現の自由」を守る立場に変わりありません。この映画も行政による「検閲」などの事前規制なく公にされるべきだと考えます。しかし、公にされた後は市民の自由な議論を通じてその表現が支持され広まるのか、そうならないかが決まると考えます。— 石川大我 参議院議員 立憲🌈 (@ishikawataiga) 2020年2月18日
こう言うのを見ると昨日もなりすましの件と言い、LGBT界隈もまともな人程馬鹿を見て、この手の活動家に元々利用されているのだから、そのうちフェミニスト界隈みたいにまともな人は自粛或いは離脱をして、おかしな連中しか残らなくなるのだろうなと思う。
今でこそおかしな連中しかいないフェミニスト界隈も昔は少数ではあるがまだ話が通じるまともな人もおられたからね。
そういう人達は逆に内部からそのおかしな人達に名誉男性扱いされたり色々嫌がらせをされて排除されたが(苦笑)
LGBTもフェミニズムも児童保護も環境問題もこの手の活動家やカルトの歪んだ思想のせいで活動自体がおかしな方向に向かったのは事実。
この手の活動家やカルトは自身のお気持ちを押し付けるツールとして、人権を悪用したりするのだから本当に性質が悪いよね。
こいつらのせいで余計に事態の悪化や余計な混乱を招く事になっているのも事実だよ。
今後こいつらのせいでこれ等の権利自体退行の方向に向かう事になるだろうよ。
そもそもこの手の表現言論規制は右も左も宗教も関係なく時には手を組んで行ってくるものだし、おかしな奴は思想に関係なくおかしなものだけど(苦笑)
こう言うのを見ると山田太郎議員は議員に返り咲いてから特に民間問題についてはシビアに扱って、できうる限り口出ししない様にしているのが良く判る。
と、ツイッターで小さな物議をかもしているけど、自分で言わない限り、何のお咎めもないだろうし、そもそもコミュ障のオタクが聞き出せるとも思えない。
一番の問題は、山田太郎に投票しながら、稲田の発言に対して消費税増税に対して許してないだの、年金70歳引き上げで紛糾しているオタクにうんざりしている。
それを危惧する別のオタクたちがさんざん野党の表現の自由支持者に入れるべきだと言ったのに、分断だの民主はどうだのと、聞く耳を持たなかったのはだれなのか。
男性オタク、ノマカプ界隈には興味がなかったのかもしれないが。
いい加減、本音を言え。自分の頭で考えずに、自分がなんとなく信頼しているフォロイーが推したから、自分も票を入れたのだと。
自民党から山田太郎が出ることをどういう意味も考えずに、票を投じたのだと。
あれこそ、私はポピュリズムだったように思える。ひどい扇動だった。
特に、選挙三日前、当落を煽られて票を投じたオタクはどれだけいたのか。
むろん、山田太郎の資質に関しては、私は論じない。これからチェックしていくことだ。
自分は、とてもじゃないが、山田太郎一人が表現の自由を守れるとは思えない。
俺がいればなんとかなるだのと現場を知りながら豪語した山田太郎に不信感をぬぐえない。
表現の自由よりも、消費税がなくなって買えるグッズ、見に行ける映画が増えたほうが嬉しいからだ。
今回の選挙では、
に投票した。
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②「一番受かってほしい人」か「落ちてほしい人と当落を争いそうな人」に投票する。
③60歳以上の候補にはなるべく投票しない。(実績優先だと年長者が必然的に有利になるため)
今回の選挙では、安田真理(立憲)に落ちてほしかったので、当落を争いそうな高橋光男に投票した。
安田真理は落下傘候補。あまりに兵庫県に対して不勉強な上、人物的にも国会議員に適切とは思えなかった。
(亀石倫子が兵庫選挙区に来てくれたらよかったのに)(落選もったいない)
公明党はあまり好きではないが、高橋光男は人物的にも実績的にも能力的にも問題ないと判断した。
なお、維新の党については関西(特に大阪)において支持を受ける理由はよくわかる。
党の方針についても、率直に言って嫌い、なので、国政においてこれまで投票したことはない。
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①自民党には勝ちすぎないでほしい(でも政権交代までは望んでいない)
②自分がいちばん「面白いことしてるな」と思う政党には投票『しない』
というふんわりとした気分で投票している。
毎回ギリギリまでとても迷う。
今回は山田太郎、石川大我(立憲)、市井紗耶香(立憲)、れいわ新選組
まず最初に、いちばん「面白いことしてるな」と思ったれいわ新選組を除外。
石川大我を除外した理由は、人となりをよく知らぬまま「LGBT当事者である」という点だけで投票しようとしていたため
それはそれで失礼な気がしたし、「マイノリティに入れるという趣旨ならばれいわ新選組だろう」とも考えた。
市井紗耶香を除外した理由は、「おしどりマコの比例順位を落とすためだけに投票するのはいかがなものか」と考えたため。
その後、投票所に着くまでの間、ずっと迷い続けて、山田太郎に投票した。
今回の選挙で「いちばん落ちてほしい候補」はおしどりマコだった。(立憲に投票できなかった最大の要因)
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余談だが、今回これを書くにあたって過去の自分の投票を振り返ってみたところ、
2014衆院 選挙区自民 比例民主 (自民に勝ちすぎてほしくない)
2016参院 選挙区公明 比例公明 (子育て世代の女性候補重視)
2017衆院 選挙区希望 比例自民 (立憲は「面白い」から投票しない)
という順番で投票していた。
かわの祥子
https://megalodon.jp/2020-0222-0114-07/https://twitter.com:443/syuki_eb/status/1230849762749902848
http://web.archive.org/web/20200217021035/https://twitter.com/t_yabuhara/status/1229217501185097730
立憲
が映画公開停止を求める署名拡散→表現規制だと批判殺到→署名を始めた高校生に責任を擦り付ける | KSL-Live!
https://ksl-live.com/blog29991
立憲
増原裕子
https://twitter.com/masuhara_hiroko/status/1230056967651020802
LGBTが身バレせずに、全力を出せるのは投票のときくらい。なので、色々まとめて投稿しようとしたけどブロックくらったから、参考資料と補足資料だけ置いとく。あとはLGBT当事者議員の石川大我( https://twitter.com/ishikawataiga )とか、上川あや ( https://twitter.com/KamikawaAya )のTwitterとか見とけばトレンドがわかる。
参考:
【東京都議選】LGBTの政策について各党にアンケートをとって比べてみた http://www.huffingtonpost.jp/soushi-matsuoka/lgbt_tokyo_b_17331002.html
東京都議会議員選挙2017年~立候補者への人権意識アンケート調査~ http://www.amnesty.or.jp/campaign/tokyo_election2017/pdf/tokyo_el_fix.pdf (数字一覧で結局よくわからん)
2017年5月24日: 台湾の司法最高機関は、「同性同士での結婚を認めない民法は憲法に反する」という判断を下す(アジア初)
参考: http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/24/taiwan-same-sex-marriage_n_16780436.html
2017年6月30日: ドイツ議会は、同性婚の合法化案を393対226の賛成多数で可決(欧州で13番目)
参考: http://jp.reuters.com/article/germany-gay-marriage-idJPL3N1JR2WL
徹底した自己開示と執拗な自己解釈による独演を社会に提示した喪服の死神。
幼少の個人的出来事からネット右翼、アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティのカムアウト。
陳述で同性愛を告白し、ボーイスラブ系二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。
自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。
…
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。
…
自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。
「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。
執拗な自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である。
喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ的自意識には向けられて、彼は饒舌にウェブ上に氾濫する非モテキモオタの類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。
本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識に代替されている。
動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。
汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。
もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。
ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャル・マイノリティは「自分はセクシャルな存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。
彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまり、ホモ、オカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。
ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。
喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期にボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実のセクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。
自らを汚物と信じた喪服は、現実のセクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。
自分は愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件や交通事故の被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人が存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。
LGBT当事者の書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。
今ではオープンリーゲイを公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である。
愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。
2000年代、2ちゃんねるやはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定、キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定のレッテルを貼り付けることで自己肯定に転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。
あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定のレッテルに飛びついた人々である。
自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定のスパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。
自己否定のレッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。
しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。
…
幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期、セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。
汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティを現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。
本来ならば健全なセクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美な世界を描いたボーイズラブ系二次創作を愛した喪服の死神。
現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性の世界の性愛に耽溺している。
喪服のチグハグなセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。
「何か」が欠落してしまっていた。
ウェブ上での自己開示および匿名の対話者からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。
だが、喪服の自意識の歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。
喪服の自己対話は精緻であって、他者の解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内にインストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。
このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。
さらに自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロにお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分はネットスラングで言うところの「魔法使い」です。
喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャル・マイノリティの為に用いられる言葉は現れない。
自らを異性愛者の視点から「同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子の言葉で性指向を空想している。
喪服の自己対話には、セクシャル・マイノリティが自らをセクシャル・マイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。
というより、喪服がウェブで本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。
非モテから同性愛者を斥けてミソジニーとホモソーシャルの産物と断罪するセクシャリティ論。
女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ系二次創作の世界。
最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定のトンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティの本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ系二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。
しかし、喪服が創作するには、表現の原動力たる空想の世界は耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間はウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。
喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力。
本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作の表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ、自己否定のトンネルに差す光として見えるのみ。
もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元のベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である。
喪服は、呪っただろう。
喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ系二次創作の賞賛を得る者を。
空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美な世界で肥大化した自我は、現実世界の自己表現を求めて、自走する。
喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。
喪服に残された肯定的な表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。
喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。
恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。
喪服は、斑目晴信がオタク濃度を感じたように、キモオタが秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。
喪服は、ボーイスラブ系二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。
喪服は、自覚することはなかっただろう。
喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。
執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。
自己疎外された人々が、自らに自己否定のレッテルを貼り付けることで、健全な精神をギリギリのところで保った非モテの論理。
2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。
喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性のホモソーシャルの世界であって、男の喪服を救わなかった。
セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティのはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。
《身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。
身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美な世界に誘い込み、彼の自我を肥大させて、現実を呪った。