はてなキーワード: 博物館とは
以下に記すのは、現在進行中のラスプーチンのホルマリン漬け超巨根チンポを巡る闘争について、私が知り得た情報である。
ラスプーチンのホルマリン漬けの巨根チンポを知っているだろうか。知らない人は、是非ともググってみてほしい。それが博物館に所蔵されていたのだという事実に、さぞ驚かれるだろう。なぜ一介の歴史上の人物で、しかも悪名高い人物のチンポが博物館に所蔵されていたのか。それはつまり、ラスプーチンポが世界に平和をもたらすキーのアーティファクトであるからだと、私は確信するに至った。
――世界の果てにある祠。そこにある鳥人像の股間にラスプーチンポをはめると異世界から天使が召喚される。
そう語るのは、テルンベルン大学考古学部のテント・セルベール教授。
と、教授はそう語った。
ここで、なぜ今世界でラスプーチンポについての関心度が急激に高まっているのか、整理してみよう。ときは一年前、ロシアによるウクライナ侵攻の少し前に遡る。
当時、アイスランドのペニス博物館に所蔵してあったラスプーチンポが突如所在不明になった。程なくして、エージェントが全世界を飛び回りラスプーチンポを探し回っているとの憶測がSNSを中心に拡散された。
その憶測は正しかった。今や、連邦政府のみならず、さまざまな小国家までもがラスプーチンポを求めて全世界にエージェントを派遣している。
ET組織はラスプーチンが埋葬されているサンクトペテルブルクの某所の墓を掘り起こした。そして、採取したラスプーチンの細胞を苗床に、第二のラスプーチンを錬成する科学実験を試みている。
しかしながら、その実験はこれまでのところことごとく失敗に終わっている。どうしてもチンポが短小のジャンクラスプーチンが生成されてしまうのである。
そしてときは現在に至る。ラスプーチンポを巡る世界の動きを世に知らしめた、複数のジャンクラスプーチンの大脱走事件は世界に大きな衝撃を与えた。
脱走したジャンクラスプーチンたちが世界の果ての祠を破壊しようとしている。ラスプーチンポを手に入れて自分に移植しようとしている。その情報のソースは、ET組織に残されたたった一体の、実験室に残ったジャンクラスプーチンが自らの分身の思考を読み取って得られたものである。当初ET組織はジャンクラスプーチンの脱走からなる、その一連の情報を秘匿していたが、全世界でジャンクラスプーチンの凶行が目撃されていくにつれ、内部からリークされた。
ジャンクラスプーチンの動向いかんでは、世界の歪みを増幅させてしまう危険性もあることが、今回の騒動の核である。
世界中のどの勢力も、天使の力を手に入れることに躍起になっているため、テロや戦争が絶えない世界は依然として続くであろう。
何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
発達障害の子育てをして10数年。何かを成し遂げたわけではないけど中間報告でも誰かの役に立てばと思い放流。
高IQ(140オーバー)で凹凸持ち(wiskで差が30ぐらいあった)の子供がエリア(関東とか九州とか、それぐらいのエリアにおいて)でトップレベルの中高一貫校に合格。
なんだかんだありながら学校でもそれなりの成績をキープしながら合格してから数年、楽しく通っている様子。
発達障害と言ってもパターンは千差万別なのでみんなにお勧めできる話しではないんだけど。
我が家は一般的療育に加えて「小学校受験」が療育的な意味合いにおいてめちゃくちゃよかったと感じてる。
小学校受験って遊びたい盛りの幼稚園児を机に縛り付けて勉強させる非人道的なイメージがあるかもしれんが、やってみるとそうでもなかった。
むしろ自由に野原を走らせて公立小学校に通ってたらいろんなトラブルに巻き込まれてたと思う。
小学校受験はペーパーも大事だけど、運動や面接も同じぐらい大事。
合格にはこれらの総合力を上げていく必要があるけど、高IQ凹凸児にはわりと向いてるかやっておいた方がいい内容ばかり。
高IQなので理解力が並外れているので受験のペーパー対策の勉強はむしろ楽しんでやってくれる。パズル感覚。
好奇心も旺盛なので科学館、博物館などに連れていったり道端の草花の名前を当てっこしたりで経験値を貯めていく、面接対策
(これで障害児にありがちな"深く狭く"を避け、"広く浅く"いろんなものに興味を持たせる)
合格を目的にして親と一緒にいろんな運動をすることで微細運動~粗大運動の何が苦手かを早期に発見できて、なんなら運動の専門家にも見てもらえる
これらの行動を通して幼少期に濃密な親子関係を構築できる
で、合格できれば教育熱心である程度のお金を持ったご家庭の子供たちと一緒になる。環境は悪くない可能性が高い。
また、各家庭がそれなりに離れたバラバラな場所にあるので子供だけで集まって遊ぶということに制限をかけられる。
※高IQでも同年代よりも幼さが残っており低学年から子供だけで遊んだり友達の家庭に行くのは避けた方がよいので
小学生の間に”普通”に収まっていく子もいると思うが、もし高IQが続いているならぜひ中学受験もお勧めしたい。
凹凸のせいで日常のトラブルで自己肯定感が下がりがちなんだけど、中学受験塾はシンプルに偏差値で序列をつけてくれるので肯定感上がりがち。
で、高偏差値な学校に入ると全員診断済みなんじゃね?ってぐらい変人だらけなので多少の凹凸は目立たないし気にも留められない。
という流れで今の状況がある。
人を選ぶ話だろうけどお金があって、ある程度の都会で、高IQ凹凸児を育てるなら、基点となる小学校受験はチャレンジの価値があるよ、ということで。
その他
・公立小学校がダメなわけではないが(加配がつきやすかったりいろいろ手厚いところもある)、浮きこぼれはせっかくの子供の可能性をつぶしてしまうのでできるだけ避けたかった
・子供の適性に応じた「生きやすさ」を模索して補助していくのが大事
・自分は田舎の公立出身の小金持ち程度なんで子供の学友の話しを通じてエリートの再生産を生々しく聞けるのは面白い。富の偏在。
初台にあるpelmeni kitchen。初台は来る機会あるって思ってるだろうけど「いい意味で」わざわざ関西から予約してくる店じゃないのよね。ちょっとクセ強めなので入るのに勇気いるかもしれんけど。そういう意味でもわざわざ関西から行かない店。
競馬に興味あればJRA競馬博物館。府中ってわざわざ行かないよね。府中市郷土の森博物館が梅シーズンになるからセットで行くといいかも。大國魂神社にもお参りしてくるといいよ。
JAXA関係で、調布航空宇宙センター、相模原キャンパス、筑波宇宙センター。調布なら調布飛行場、プロペラカフェ、武蔵野の森公園にある掩体壕をセットで回ると面白いかも。
警察博物館、消防博物館、りっくんランドもなかなか面白かったよ。
最近行ったなかでは、農大の「食と農」の博物館がよかったよ。世田谷あたりで突如キツネザル(レムール)とバオバブが現れてびっくりしたよ。スナネズミもかわいかった。館外の小屋には鶏もいるし。朝うるさくないのかなあ?
まあ増田なら行ったことありそうだし、どこも今のうちに行っておけ!って類の施設じゃないけどね。
どこも転勤で関東にもどってきたとき、暇にまかせて子供と行ったところ。
元増田です。ありがとう。正にこういうのを求めてました。ハンセン病資料館、ディズニー、東照宮、華厳の滝は行ったことあったけど、それ以外も含めて上げてくださったところは関西戻ると絶対行かないわ。行ってみます。
上野の博物館群と初台ICCが「絶対に行く」枠に入ってるのは「今後の人生の中で東京観光に来た際、暇な時間ができたらサクッと行くことが何度かありそう」くらいの意味合いですね。博物館群はともかく、初台ICCは無響室展示があるの好きなんですよ。
上野の博物館群と初台ICCを絶対行くとする人の感覚はよく分からんが、
「今行っておかないと下手すりゃ一生行かないから、今のうちに行っておけ!」っていう場所教えてくれない? 飯屋でも観光スポットでもいい。
「下手すりゃ一生行かない」のイメージはこんな感じ(↓に書いたのは全部行ったことがあるor行く予定がある)。
グルメだと小田急相武台前駅のDolce Casalingoとか(関西から行くにはアクセスが悪い)、大久保のスパイスカレー魯珈(人気店すぎてハードルが高い)あたりは気になってる。
個人的には東電の廃炉資料館(福島)、原子力災害考証館(いわき)とか、群馬県大泉町のブラジル街?や神奈川・愛川町の多国籍エリアも行きたいんだけど、そっちは若干遠いので迷ってる。週末はレンタカーで銚子に行きます。
あ〜る(ギャグ)、機動警察パトレイバー(SF)、じゃじゃ馬(競馬)、鉄腕バーディ(SF)、薄暮のクロニクル(伝奇ミステリ)、でぃす×こみ(マンガ製作、BL)、新九郎(歴史)、はてしない物語(エッセイ)
東大一直線(受験ギャグ)、おぼっちゃまくん(富豪ギャグ)、ゴーマニズム宣言(エッセイ?)
事件屋稼業(ハードボイルド)、「坊っちゃん」の時代(日本文学)、神々の山嶺(山岳)、孤独のグルメ(グルメ)
六三四の剣(剣道)、龍-RON-(昭和史)、仁-JIN-(幕末+タイムスリップ)
無用ノ介(時代劇)、ゴルゴ13(現代劇)、鬼平、梅安、剣客(池波正太郎コミカライズ)
あしたのジョー(ボクシング)、ハリスの旋風(不良もの)、あした天気になあれ(ゴルフ)、のたり松太郎(相撲)
サイボーグ009(SF)、仮面ライダー(SF)、佐武と市捕物控(時代劇)、マンガ日本経済入門(ビジネス)、HOTEL(仕事)
What's Michael?(猫コメディ)、1・2の三四郎(プロレス)、柔道部物語(柔道)
帯をギュッとね!(柔道)、モンキーターン(競艇)、とめはねっ!(書道)
うしおととら(伝奇アクション)、からくりサーカス(伝奇アクション)、黒博物館(近代アクション)
つい先日、花蓮と台東を続けて旅行した。はてブなのでネットの海に埋もれるのもあっという間だろうが、もし見つけてくれた人がいたら参考にして欲しい。
大前提として、花東は大変美しい地域だった。過ごしやすく、騒がしくなく、休暇先としては最高の場所と言ってもいい。日本からの観光客が増えないのが不思議なくらいだ。
日本の植民地時代以降本格的に開発された&元々原住民の多い土地柄とあって、台湾西側とは全く異なる雰囲気。台湾の多様性も直に感じられると思う。万人におすすめ。
ただ、以下のリンク先にもあるようにこと観光という点においては幾つかの(深刻な)課題がある気がする。
花蓮:台鉄の駅から中心地まではゆっくり徒歩で30分くらい。気にならなければ駅前、中心地のどちらで宿を取ってもいいと思う。タロコは文句なしに素晴らしい。が、最近はトンネルが通行止めで(特定の時間にのみ通れる)旅行の予定は立てにくい。公式サイトに情報は載っているがまあ土地勘がないだけに大変分かりにくい。個人旅行の場合は頑張ってください。花蓮の街自体は小さいので日中周辺を巡り、夕方以降夜市に行けば諸々1.5日程度で十分。だが、特に原住民のエリアは物珍しさをダシにか、多くの店があからさまに高い値付け。正直価値に見合っていないと感じた。コンテナのスタバの立地はクソ遠い。そういえば心なしか駅弁のご飯が台北よりも美味しかった気がする。お酒も原住民のテイストをベースにしたカクテルからクラフトビールまで街中で見つけられるので、概ね満足。もう少しゆっくりしてもいいなぁと思えた。
台東:もったいなすぎるcity第一位。ここで食べた台東名物の米麺は多分台湾で一番美味しいと思った。が、これと言った観光地が「自然」で、軒並み遠く、バイクですら若干躊躇するレベル。駅から空港、市街地がイメージ正三角形で結ばれている感じで、どこからどこに行ってもタクシーで250元前後取られる。バスの本数は極端に少ない。その癖ニコニコ現金払いしか対応していないタクシーが多く、準備がないとクソほど焦る。ハ?って感じだ。駅から市街地まで歩いて1時間以上はかかるので花蓮とも勝手が違う。また、全体的に駅前や郊外のどこに行っても「税金」が建設されている感じで中身がすっからかんな感じ。ちょっと心配になる。台湾好行という観光バスが一応交通の課題を解消するために出ているのだが、クソ。台湾ナビとかいうサイトには休日にはガイドがいるぞ、みたいに書いてあったがいなかったし、途中の停車駅は台風被害で何も見るべきところがないにも関わらず長時間停車。一つの目的地であるアミ族民族村みたいなところではパフォーマンスの時間と発車時間がかぶる。もうちょっとどうにかならねえのかよといったガッカリ感。酒に関しては地元の若者たちがお友達向けにやってるイケてる笑カクテルバーが多く、物によっては台北以上の値付け。台北のカクテルも大概高すぎると思うのだが、それ以上となると…。クラフトビールは作られてはいるっぽいものの、街中にそれを出す店が皆無。全部カクテルバーである。全く(酒飲み)観光客は楽しめない。仕方がないのでバスステーションにはビールが売っていて、オープナーもあるので裏手の公園で飲んだ。蚊に刺されたが路上パフォーマンスもあるので退屈はしなかった。おそらくここに来るのは温泉や離島までの中継か、豊年祭などのイベントごとの機会を捉えないとむしろヘイトを貯めることになりそう。先史博物館は一見の価値あり。ここでようやくプラマイでプラスって感じ。駅のすぐ隣にも巨石遺跡があるので電車待ちの間に行くとよろしい。
そもそも台湾の人たちはあまり酒を飲まない&少人数で食事をしないというのもあるのかもだが、交通の便が悪い観光地であるならば尚更、地元の食だとか酒だとかがをコンパクトに楽しめるようにしておいてほしいなあと感じた。また、台湾人全体的に建物や空間デザインは抜群に優れているんだが、作るだけ作って中身が無いという印象を受けることが多い。博物館や美術館、修復された遺構で特にそう感じることが多い。アートが苦手なんか?
いまいち地域性を感じられないこととか観光に対する本当にやる気あんの?感とかそういうところが今回の旅の一部のガッカリ感に繋がっている気がする。特に公共交通の悲惨さは内需が車移動で完結するから整備するインセンティブがないのだろうか?無駄な公共物に金を使わないで、こっち整備して。どうぞ。花東、全体としては(ここには書いてないが)満足している。みんなもっと行ってほしい。が、僕がしていたような過度な期待は禁物でもある。そこんとこ踏まえてぜひ楽しんでほしい。台湾は良いゾ!!
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第8巻 下」
「地球の歩き方 E03 イスタンブールとトルコの大地 2019-2020 【分冊】 1 イスタンブールとその近郊」
「A20 地球の歩き方 スペイン 2024~2025 (地球の歩き方A ヨーロッパ) 」
宮下遼『物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年』★★★
先月たくさん行ったしこれでOK。
満州国については通史でしか知らなかったので、こうして改めて本で読み返すと得るものが多い。
釘貫亨『日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』
今井宏平「トルコ現代史 オスマン帝国崩壊からエルドアンの時代まで」★★
維羽裕介、北國ばらっど、宮本深礼、吉上 亮「岸辺露伴は叫ばない」
Jam「続 多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。 孤独も悪くない編」
田澤 耕「物語 カタルーニャの歴史 増補版-知られざる地中海帝国の興亡」★
今井むつみ、秋田喜美「言語の本質: ことばはどう生まれ、進化したか」
安藤 寿康 『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第9巻 下」
旅先の歴史についての本や、旅先でも読めるくらいの軽さの本を読んでいる。岸部露伴は地中海を飛び越える飛行機の中で楽しんだ。
言語学の本を少し含んでいる。
なお、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿には美術館が併設されており、そこにも行ったのだが流し見だった。今回の旅行のテーマは絵画ではなく建築だったからだし、軍事博物館のイェニチェリの演奏を聞きたかったからだ。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 10巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第10巻 下」★★★
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行 第S4話 露出狂時代」
飯村周平『HSPの心理学: 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』
きい著、ゆうきゆう監修「しんどい心にさようなら 生きやすくなる55の考え方」。
堀晃 他「Genesis されど星は流れる 創元日本SFアンソロジー」
小川一水 他「Genesis 時間飼ってみた 創元日本SFアンソロジー」
「トルコ共和国建国100周年記念 山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」
柞刈湯葉も柴田勝家も一度読んでから「しばらくは読まなくていいかな」と思ってしばらくしてから読みだした。柞刈湯葉は表題作が普段のクールというか知的なアイディアを軽やかに扱う感じではなく、意外な側面に驚かされた。柴田勝家はVtuber文化と死後のアーカイブを肯定的に表現していたのが大変面白い。
ブアレム・サンサルはもう何年も前にWIERD誌が紹介していたので読書メモに載せていたので読んだ。数歩遅れて読むことなどよくあることだ。僕は最先端を追うことにそこまで興味がない。
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ」
柴田勝家「ヒト夜の永い夢」
フランチェスコ・ヴァルソ (著), フランチェスカ・T・バルビニ (編集)「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」
高水裕一「時間は逆戻りするのか 宇宙から量子まで、可能性のすべて」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集2 すべての善きベムが」
トーマス・S・マラニー「チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史」★★
SFが多くを占めた。面白いが徐々に飽きてくる。新人賞の作品は読んでいるそのときは面白いんだけど、新しい思考の枠組みや発想に触れて、それが後まで自分に影響を与え続ける作品ってのは少ないのかも。
逆に星新一の源流の一つ、フレドリック・ブラウンなんかは、古びたアイディアと今でも色褪せないアイディアの両方がある。
タイプライターの歴史も面白く感じられた。あとは、純文学が少し恋しい。
他に読みたいのは歴史の本かなあ。それか、第二次世界大戦を舞台とした小説か。「火垂るの墓」とか「野火」とかいい加減に読まないとと思っている。
池田利夫訳・注「堤中納言物語 (笠間文庫―原文&現代語訳シリーズ) 」
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集3 最後の火星人」
成美堂出版編集部「いちばんわかりやすい 家事のきほん大事典」
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集 第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」★
フレドリック・ブラウン「フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン」
木村光彦「日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか」☆
エリック・H・クライン「B.C. 1177 古代グローバル文明の崩壊」☆
日本語の活字についてや、日本の植民地政策について読み始めたのは、先月の中国語タイプライターの本に、日本製の中国語タイプライターについての記述があったためだ。
楊海英「日本陸軍とモンゴル 興安軍官学校の知られざる戦い」☆
小倉孝保「中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事」★★
宗美玄(ソン・ミヒョン)「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」★★★
木村泰司「人騒がせな名画たち」
なし
読んだのは全体的に近現代史が多い。
第二次世界大戦についての本は通史を何度か読んだが、テーマごとに読むとまた面白い。歴史は技術史とか思想史とか文学史とかの別の軸で見直さないと立体的に見えてこない。とはいえ、少しは立体的に見えたとしても、知らないことが無数にあり、出来事すべてを頭の中に残しておくのは難しい。歴史は誰と誰が知り合いかとか、活躍した時代以降にどう生きたかがわかってくると更に面白くなるんだろうが、あいにくそこまで行っていない。
12月は当たりが多く、上位3冊を選ぶのに悩んだ。ほぼすべてがオススメ。
来年からは方針を変えて、すべての本を★1つから5つまでの段階で評価してもいいかもしれない。
一年を通してみると、「昆虫記」のウェイトが大きく、それから第二次世界大戦の本を多く読んでいる。それに並んで平安時代、江戸時代などを扱った新書が多い。外国の歴史の本は少ないが、旅先のイスタンブールとバルセロナの歴史を扱った本が印象深い。
SFの新人賞を数年分まとめて追いかけるのが習慣なのだが、もう少し純文学を読みたい。学生は岩波や新潮の古典ばかり読んでいたのにどうしてだろう。
人権関係で読みたい本が多数ある。とはいえ、悲しい気持ちになるので元気のある時にしか読めないし、いつ元気になるかは予測ができない。
ここ最近は美術展に行っていないなと思いきや、振り返るとほぼ毎週行っている月があったので、まとめてみるのは大事だ。秋以降は少なかったが、これは理由がわかっている。
以上。
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った 奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話 ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I 役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン 建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
山下いくと「EVANGELION ANIMA 1」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 2」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 3」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 4」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 5」
繁田信一「平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職」★★★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアート クールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
スーパーセンタートライアルの増田がバズってるけど、東京に住みたくて住んでる人間としてどの辺に東京の文化的な良さを感じているかを書いてみたい
美術館とか博物館とかそういうのじゃないやつだ 東京/都市部の文化という話になると馬鹿の一つ覚えみたいに美術館と博物館を挙げてきてそれはただの消費だろバーカバーカみたいに言ってくる奴が後を絶たないが、はっきり言って意味不明ですね
言うてまあ、ノア・スミスがだいたいのところは説明しちゃってんだけどさあ ここでは彼が語っていない部分を俺の主観に従って書きたい
参考: 「東京は新しいパリだ」/ノア・スミス https://note.com/econ101_/n/nc0b8535512ac
東京っつうのは江戸の跡地だから、江戸時代の街の構造が現代まで影響を残している まあ当たり前のことだけど、当時は基本的に高台に武家だの大名だのの屋敷があって低地には庶民の生活の場があったわけだ(上野とか入谷とか鶯谷とかがきったねえ街になってるのはそういうことだよね)
東京の高台っつうのはいわゆる武蔵野台地のことで、これは江戸城つまり皇居を端として西側に広がっている 台地と低地の境目部分は坂の多い街になっていて、そのへんはたぶん武家と庶民の生活が混じり合う地域だったんじゃねえかなという気がする そういうところは面白い街が多いように感じる 上野もそうだし、神保町とか御茶ノ水とか飯田橋のあたりとか、汚ねえけど日暮里の方とかだ 街ごとに個性と特徴がある 歴史を調べると色々な人間やエピソードが出てくる そういう街にある商店街の構造とか神社とか古い建物とかがどうしてこうなったんだろうと考えながら歩いてると文化っぽい気がするわけだ
あと武蔵野台地でも神田川や目黒川が入り込んでるあたりは川に向かって低地になっていて、その周辺にはやっぱり下町と同じ町民文化の臭いが残っているように思う 中目黒とか江戸川橋とかだな
完全に高台の方で旧東京市に含まれるあたりは分かりやすいハイソな街が多くて、土地持ちの家に生まれただけの勘違いセレブママみたいなのがベビーカーかチワワで風を切って歩いてたりしててまあいけすかない でも旧華族の庭園や屋敷に由来する施設がたくさんあってそれはそれで文化だなとは思うわ
江戸城の下町や旧東京市を越えた地区における文化はおそらく近代というか戦後にできてきたところなんだろうと思う その中でも、どっかのデベロッパーが計画して作った街じゃないところは文化を感じますね 中央線沿線とか蒲田とかの大田区の方ですね ちょっと左巻きがキツいところもあるけど独自の文化が歴史になってるのはいいですよね
逆に東急とかがデザインした系の街はいまいち気に入らないんだよなあ 最近の湾岸エリアの再開発系もそう あんなの地方のロードサイドのジオラマを東京近郊に持ってきただけだろって思う 麻布台ヒルズとかも同じだ 高級ロードサイドでしかないだろ 文脈がないロードサイドなんてマジで文化の欠片もないと思うわ
あと東京の郊外もダメっすね 歴史を上書きしてニュータウンを作りまくったけど新しい歴史が根付くことはなかったって感じがする
その中のカスみたいな一部として自分がいると実感できれば、その流れに貢献しようとか思えるわけです
そういう意味では東京である必要は特になくて、西日本の方とか、やっぱ何かしらの城下町が多いけど、東京に比べると規模は小さくてもそういう街ってたくさんありますよね そういうところも興味深いんですよ そういうところに住んでたらそれはそれで俺は満足だし文化的だなって感じると思う
でも仕事がないとか関東の実家の事情とか考えると住めなくて、結局東京以外に現実的な選択肢がねえなってなる そういう感じなわけです
東京に住んでても美術館だの博物館だのにはたまにしかいかねえけど、かといって文化を摂取してないとか郊外の暮らしと変わらないとかは全然思わないんです
もうすぐ新幹線が出発する。
すし詰めの社内にいるのは私服だらけだ。
仕事で使うときは自分と同じでスーツ姿が半分ぐらいなのが、今はまるっきり違う。
新幹線にもハレとケがあるようだ。
それは値段にも現れている。
いつもより少しだけ高い。
地元に帰るまでの往復代金を全部合わせれば一人暮らし用の家電ぐらいなら1つか2つ新品に出来る程度だ。
後悔している。
仕事を無理やり納めて出発し、部屋の掃除もろくにしきれてない。
大掃除の時にやろうと思って部屋の奥に積まれたものはいつ片付くのだろう。
そうまでして実家に帰ってやることは親の顔を見て愚痴を聞き、親の車を代わりに運転してやって初詣に連れ出すぐらいか。
地元に戻っても正月早々やってるのなんてせいぜいデパートぐらいだ。
子供の頃に行ったおもちゃ屋の廃墟を眺めるとか、数年前に出来た店がまだ生き残ってるか見に行くとかぐらいか?
わざわざ高い金と手間をかけて地元まで帰ってトンボ返りも癪だが、別に地元に帰ってやることがあるかと言えば大してあるわけでもない。
知り合いと飲むにしたって半日潰せるかどうかだろう。
結局2日か3日か過ごしたらやることがなくなって、そのあとはまた帰りの新幹線だ。
面倒くさい。
何のためにこんなことをしなけりゃならんのか。
実家の本棚でも残ってれば読み返せるが、俺の部屋はもう片付けラエて両親の趣味のものばかり。
とくにやることもないままダラダラと寝正月か。
こんなことのために高い金を出してわざわざ戻る連中で溢れているんだから御苦労なこった。
もう全部テレビ電話でいいだろ。
育てて貰った恩みたいなもんに縛られてるから、帰ってこれるかと言われて断るのも気が引ける。
子供の頃から噴水や水盤が好きなんだけど、ここ10年程の間に街中にある噴水が次々となくなっていることに皆さんお気づきだろうか?日本の経済が強かった80年代-90年代は、街中はもちろん、デパートやビルの中にも噴水や水路が設置されることが多かったけれど、今や相当大規模な都心のビルでもない限り噴水や水盤など水を使った設備は取り入れられなくなっている。街中にあった噴水も水が止められているところを見かけることが多くなった。
噴水は維持にお金がかかる。「金の無駄遣いなんだから噴水や水盤なんていらない」と言われたらそれまでの話なんだけど、世界の先進国や先進的な再開発ビルに数多くの噴水が設置されているところを見るに、噴水が人の心に潤いを与えるものであることは事実だと思うのよね。今の日本はそれを維持出来るだけの豊かさが失われたという話で、噴水好きとしてはすごく悲しい。博物館や美術館はおろか、噴水すら今の日本には贅沢品なのかもね。
そうだね。それも良さそう。近くに良さげな公園がないけど、探すか…。(なお、カフェは博物館の中にあって、終わり際にそこに寄る予定)