はてなキーワード: 空間デザインとは
つい先日、花蓮と台東を続けて旅行した。はてブなのでネットの海に埋もれるのもあっという間だろうが、もし見つけてくれた人がいたら参考にして欲しい。
大前提として、花東は大変美しい地域だった。過ごしやすく、騒がしくなく、休暇先としては最高の場所と言ってもいい。日本からの観光客が増えないのが不思議なくらいだ。
日本の植民地時代以降本格的に開発された&元々原住民の多い土地柄とあって、台湾西側とは全く異なる雰囲気。台湾の多様性も直に感じられると思う。万人におすすめ。
ただ、以下のリンク先にもあるようにこと観光という点においては幾つかの(深刻な)課題がある気がする。
花蓮:台鉄の駅から中心地まではゆっくり徒歩で30分くらい。気にならなければ駅前、中心地のどちらで宿を取ってもいいと思う。タロコは文句なしに素晴らしい。が、最近はトンネルが通行止めで(特定の時間にのみ通れる)旅行の予定は立てにくい。公式サイトに情報は載っているがまあ土地勘がないだけに大変分かりにくい。個人旅行の場合は頑張ってください。花蓮の街自体は小さいので日中周辺を巡り、夕方以降夜市に行けば諸々1.5日程度で十分。だが、特に原住民のエリアは物珍しさをダシにか、多くの店があからさまに高い値付け。正直価値に見合っていないと感じた。コンテナのスタバの立地はクソ遠い。そういえば心なしか駅弁のご飯が台北よりも美味しかった気がする。お酒も原住民のテイストをベースにしたカクテルからクラフトビールまで街中で見つけられるので、概ね満足。もう少しゆっくりしてもいいなぁと思えた。
台東:もったいなすぎるcity第一位。ここで食べた台東名物の米麺は多分台湾で一番美味しいと思った。が、これと言った観光地が「自然」で、軒並み遠く、バイクですら若干躊躇するレベル。駅から空港、市街地がイメージ正三角形で結ばれている感じで、どこからどこに行ってもタクシーで250元前後取られる。バスの本数は極端に少ない。その癖ニコニコ現金払いしか対応していないタクシーが多く、準備がないとクソほど焦る。ハ?って感じだ。駅から市街地まで歩いて1時間以上はかかるので花蓮とも勝手が違う。また、全体的に駅前や郊外のどこに行っても「税金」が建設されている感じで中身がすっからかんな感じ。ちょっと心配になる。台湾好行という観光バスが一応交通の課題を解消するために出ているのだが、クソ。台湾ナビとかいうサイトには休日にはガイドがいるぞ、みたいに書いてあったがいなかったし、途中の停車駅は台風被害で何も見るべきところがないにも関わらず長時間停車。一つの目的地であるアミ族民族村みたいなところではパフォーマンスの時間と発車時間がかぶる。もうちょっとどうにかならねえのかよといったガッカリ感。酒に関しては地元の若者たちがお友達向けにやってるイケてる笑カクテルバーが多く、物によっては台北以上の値付け。台北のカクテルも大概高すぎると思うのだが、それ以上となると…。クラフトビールは作られてはいるっぽいものの、街中にそれを出す店が皆無。全部カクテルバーである。全く(酒飲み)観光客は楽しめない。仕方がないのでバスステーションにはビールが売っていて、オープナーもあるので裏手の公園で飲んだ。蚊に刺されたが路上パフォーマンスもあるので退屈はしなかった。おそらくここに来るのは温泉や離島までの中継か、豊年祭などのイベントごとの機会を捉えないとむしろヘイトを貯めることになりそう。先史博物館は一見の価値あり。ここでようやくプラマイでプラスって感じ。駅のすぐ隣にも巨石遺跡があるので電車待ちの間に行くとよろしい。
そもそも台湾の人たちはあまり酒を飲まない&少人数で食事をしないというのもあるのかもだが、交通の便が悪い観光地であるならば尚更、地元の食だとか酒だとかがをコンパクトに楽しめるようにしておいてほしいなあと感じた。また、台湾人全体的に建物や空間デザインは抜群に優れているんだが、作るだけ作って中身が無いという印象を受けることが多い。博物館や美術館、修復された遺構で特にそう感じることが多い。アートが苦手なんか?
いまいち地域性を感じられないこととか観光に対する本当にやる気あんの?感とかそういうところが今回の旅の一部のガッカリ感に繋がっている気がする。特に公共交通の悲惨さは内需が車移動で完結するから整備するインセンティブがないのだろうか?無駄な公共物に金を使わないで、こっち整備して。どうぞ。花東、全体としては(ここには書いてないが)満足している。みんなもっと行ってほしい。が、僕がしていたような過度な期待は禁物でもある。そこんとこ踏まえてぜひ楽しんでほしい。台湾は良いゾ!!
ワイが興味があったのはここだけだから。何気にワイのキャリアのスタートは空間デザイン会社なのよね。なので維持する能力ねーけど部屋デコ好きか嫌いかなら好きなのよ
視覚から入る情報はメンタルパフォーマンスに影響を与えるので、
ここ2ヶ月くらいずっと心の中でグルグルしてるけど、内容がくだらんことすぎるからもはや増田に食い物にされるくらいでちょうどいいなと思ったので放流します。
推しがいます。何でもできる推しです。歌もダンスもできるし、演技もできるし、トリリンガルだし、文章書いて出版してたし、自分の好きな飲み物とかプロデュースして作ったりとかもするし、空間デザインを手がけたこともある。すごいね。何でもできるね。(フェイク入れてないから誰のことかわかっちゃうかもね)
肩書は一応アーティストだからステージの上に立つのが仕事だけど、まあ年齢もあって最近は後進育成とかセカンドキャリア側の仕事も増えてきたみたい。結構トークイベントとかラジオとか、ステージ以外の場所で推しを見る機会が増えてきた。ステージに立てない日が近づいてきても業界の第一線を諦めないその精神、気高すぎる。
も〜〜〜〜〜ね、ここまで言えばわかると思うけどシンプルに推しが羨ましいのね。ただ、成功が羨ましいとかいう気持ちもゼロではないけど上記の“色々できる推し”は今回の本質じゃないです。
これまでの輝かしい成功を今後も続けていくために、何が必要か。忍耐か、努力か、金か、名声か、知恵か。推しに言わせればどれも違うらしい。
“人”なんだってさ。“人との出会い”が全部導いてくれたって言ってんだよ、推しが。なんだそれ。羨ましすぎる。人と出会う人生、出会う人が導いてくれる人生がどれだけ恵まれているか、考えただけでめまいがする。
推しはウン十年来の付き合いになる仕事仲間(仮にAさんとしよう)がいる。そのAさんとの出会いが人生の転機だったと、何の照れも、含みも、誇張も無く言ってのけた。もちろんこれまでの人生の転機はAさんとの出会いだけではないけど、Aさんとの出会いが一番大きかったって。
意味がわからない。私の人生にはAさん(にあたる人)がいないのだが!?人生の転機になってその後ずっと一緒に仕事ができるレベルの出会い、無いのだが。
推しのせいで私の人生が「Aさんを探す旅」になってしまった。どうしてくれる。一生見つからないかもしれない存在を羨んで、望んでしまう哀れな存在に成り下がってしまった。推しにこんなにけちょんけちょんにされる日が来るなんて。ふざけんなよ。
「人との出会いがあったから、今の自分がある」と確かな“誇り”を持って言い切る推しが眩しすぎて焼ける。熱ッ💢
推しのことを好きな気持ちに変わりはないけど、それはそれとして推しが本当に妬ましい。人との出会いが人生を変えるってマジだね。推しに出会わなければ、私の人生もっと楽だったかもしれないよ。
元々増田の言及が(元々くすぶっていた不満ではあったが)端緒だった某界隈の某炎上案件。
自分はなんで当該人物があそこまでやたらアクティブでむやみやたらに目立つのか(しかしなぜか既視感がある)がどうにも疑問だったが
なんとなーく見た「はてな村奇譚」と、発掘された当該人物のFBやらインスタやらはては2013年ごろからのはてダを見てようやく何か理解した気がした。
はてなでよく見る文章は飄々としたもの(イメージはなんとなくレンタルのひとと旧職?が給食提供会社のひと)、理詰め論理説明がちがちなもの(イメージはアルファでインフルエンサーなひとたち)、意識高い系なものがあるなと考えていたが当該人物のはてダは最後の分類だった。妙な空白とか古のテキスト系サイトのようでありながらちょっとオサレ感(死語)がある文章だなと思っていたら自分の中での「はてな系」の文章ではあった。ので、理解した(共感は全然しない)。
797記事もあった。
記事には思い出したようにコメントがあったりするがブクマはほぼない。
はてなで書いてて全く反応が見えないのは承認欲求がどんどん肥大するばっかりであったのではないか?
ただなんとなく当該人物のパーソナリティからくる文章はひきつける何かがあって、好んでいる読者もいたようだ。
美大出の空間デザイナーで趣味はロードバイクで遠出したり写真撮ること、みたいな人間は承認欲求とは無縁だったような(リア充のイメージ)感じもするがこの反応の枯れたはてダを見る限り誰かの承認がずっと欲しかったのであろうと思われた。
60000円のドローイング集を見る限り、空間デザインとして働いていたのは事実で素人目からも描きなれているように見える。
当該人物はもとから「物体ばっかり」描いてきてあんまり人物画には興味がなかったのだろう。
はてダは2017、2018と記事が減っていて、その減った分炎上案件に時間をつぎ込んでいたと思われる。
「そこ」では投稿するたびにいいねがつき褒め称えられリアルであえば誰もがほめそやし持ち上げてくれる。
きっと天国みたいな感じがしたのでは。
いや、そんなの誰だってわかるよという話ではあるのだが、承認欲求にも種類があって、「空間デザイナーでリア充っぽい趣味の人間が【簡単に】承認欲求が満たされるから『それ』に手を出した」というわかってしまえばすごくイージーであまりに対象を軽く見ている(そして別にそれはなんだってよかった。ラブライブとかでも)という事実から浮かび上がってくる承認欲求から来るものだったのだ、ということが理解できたということだ。
作品やキャラクタにどう向き合おうと個人の自由ではあるが、当該人物のこういう態度は自分の好むスタンスではない。
なんで『それ』をし続けたのか。
"「簡単にちやほやされるチョロい界隈だ」と認識していたから"
疑問に対する回答が得られた。
それだけの話ですっきりした。
…良く考えたら地獄にいるみたいな話だな。
私の友人にポケモンのゲームが大好きで、小学生のときから新作が出るたびに購入して、ゲームをただ殿堂入り?までやるだけではなく、ちゃんとその後もポケモンを厳選して育て続けたり、必死に貯めたお小遣いで(比較的お金に厳しいお家であんまりお小遣いは貰えなかったそうだ)みなとみらいにあったポケモンセンターの大会に赴いて出場したり、通信で大人と競いあってより強くなるといったようにゲームをやりきる子がいた。彼女と私は高校の1年生の時に知り合った。
彼女と私はお互いに勉強が苦手だった。お互いに運動も大の苦手だった。
お互い推薦入試で特に努力せずに入学したこと、お互いに成績がずっと悪かったこともありなんとなく私は「こいつも私と同じで腑抜けなダメ人間なんじゃないか?」という仲間意識をこっそり持っていた。
彼女はイラストを描くのが好きで、ある時期から楽しそうに授業中ずーっとイラストを描きはじめた。
私は同胞だと思っていた彼女が、何かに一生懸命になれるようなものにハマったのが羨ましくて、なぜか嫉妬みたいな気持ちもあって、「私もやってやろう」と思って夜にコソコソ一人でノートにイラスト描き始めた。それがキッカケで、勉強が嫌だったこともあり、「そうだ!私イラスト楽しく描いてるし美大行きたいかも」と思って、親に頼んで2年生から美大に行かせてもらうために美大予備校に通わせてもらった。
彼女は2年も3年も授業中ずーっとイラストを描いていた、彼女は私より大幅に遅れて3年の10月から美大受験の対策を始めた。イラストを描きまくっていたおかげか1年以上予備校通ってた私よりもその時点での初めてのデッサンが上手かった。
私は倍率の高いグラフィックデザイン科に行きたかったが、難しそうなので3年に上がるタイミングであっさりとその進路を諦めて、推薦入試で入りやすい空間デザインやファッションデザイン系の学科に志望を変更して、その後推薦入試でそこそこの大学にあっさりと合格した。
彼女は10月からという短いスパンで、且つ予備校等に通っていなかったにも関わらず、学校の美術の先生に面倒を見てもらって、必死にデッサンや色彩構成をやりまくり名門美大のグラフィックデザイン系の高倍率の学科に合格した。
後から知ったことだが、彼女は高校を推薦入試ではなく一般で滑り止めとして合格していて、本当は公立のもっと偏差値が高い進学校にに行きたかったらしい。なんとなく恥ずかしくて推薦入試で入ったことにしていたそうだ。
もともと腑抜けな私と違い、彼女は第一志望に落ちたショックで一時的に腑抜けになってただけで、目標をみつけたらそれに対してガツガツ努力できるポテンシャルの持ち主だった。
あれから3年くらい経つけど、彼女は大学に入ってからも同人作家デビューをしたり、趣味のバイクに乗るためにバイト代を貯めて二輪の免許を取りに行ったりと精力的に動いている。
私はというと課題でそこそこの製作をするだけで、特に趣味の活動等はできてない。土日はせいぜい展覧会に行くくらいで、大体は彼氏や友達と遊んで終わりである。イラスト描くのもとっくにやめた。
時々、彼女のことを考えるたびに、彼女がポケモンが好きなこともセットで思い出す。同時に、「そういえば私小さい頃からポケモンは殿堂入りしたらもう見向きもしなかったなぁ」ということも思い出す。
もし、「ウチの子、ポケモンばっかりやってて、将来どうなるか心配」という親御さんがいるなら声を大にして言いたい。