はてなキーワード: アメリカ大陸とは
1.コロンブス 4000万人
アメリカ大陸を「発見」しととされる征服者。彼自身インディを誘拐して奴隷として売りさばいたり、略奪を働いた極悪人である。だが、更に凶悪なことに彼の「発見」は白人によるインディオ大虐殺の幕開けとなってしまった。
1.毛沢東 4000万人
無謀な大躍進政策により3000万人以上の国民が餓死。その責任を取って辞任するが、権力欲に負けて文化大革命を起こす。これにより更に1000万人以上が死亡した。
3.スターリン 2000万人
過度の猜疑心と人間不信から自国民1000万人以上を処刑(大粛清)。また、ウクライナでは人工飢饉を起こし、1000万人を餓死させた。
ベルギー国王。コンゴを自らの私有地として所有したが、そこで過度の収奪を行った。税を納められない者は手を切り落とされるなどして殺された。
スペインの征服者。アンデス山脈のインカ帝国を征服し、インディオ1000万人を虐殺した。
スペインの征服者。メキシコ高原のアステカ帝国を征服し、インディオ1000万人を虐殺した。
6.ルーズベルト 600万人
アメリカ大統領。日本人に対して強い差別感情を抱いており、日本を経済的に締め付け太平洋戦争を引き起こした。
7.習近平 400万人
8.チャーチル 300万人
ベンガルで大飢饉が発生した際、首相でありながらそれを放置し、大勢を餓死させた。
アメリカ大統領。フィリピン人にスペインからの独立と引き換えに米西戦争への協力を要求した。戦後、約束を反故にし、フィリピンで大胆なジェノサイドを行った。
アメリカの国名の由来ってアメリカ大陸を発見したアメリゴってイタリア人から取られてるんだけど、アメリカ人的にはこれはどうなんだろう。
たしかフィリピン(スペイン国王のフィリペが由来)でも、「我々の伝統的な言葉の国名に変えよう」みたいな運動が起きてたと思うけど、普通はそう思うよな。
もし日本が「李」とかいう国名で、「はじめて日本を見つけた古代中国人の名前から来ている」みたいな歴史があったら、別に右翼でもない自分でも結構引っかかると思う。
アメリカ人は気にしないのかねえ。
これにぶら下がってるコメントを見ると、これが日本人の自覚なき人種差別だなっていうのがよく分かる。
このtweetに対して騒いでいる人たちは、中国人は世界を我が物にしようと世界地図を書き換えていると怒っている。
ただこの世界地図をよく見ると、アジアを中心とした世界地図(日本で見るものと一緒)の上に、中国をオーバーレイしているだけの地図だということが分かる。
その証拠に、色のついた地図の右上部分の形が、本来中国があるはずの位置に境界線として描かれている形と一致している。
「本来はここだよ。抜き出して中国の形をわかりやすくしているよ。その上で世界との時差を確認してね。」
ではなぜ、それ以上でもそれ以下でもない地図に、このtweetにぶら下がる日本人は中国人の支配欲を見出しているのだろうか。
それこそが中国人に対する偏見であり、差別意識の表れであり、ありもしないところから勝手に被害を持ち出して怒り=自らの攻撃を正当化しようとする身勝手の表れでもある。
これを見ても、「普段からの中国人の振る舞いが」とか、なんとか日本人を擁護する考えが芽生えてしまうなら、それも差別意識だということを付け加えておきたい。
デザインの敗北であることは否めない。しかし、それだとしてもそれ以上でもそれ以下でもない意味しかそこにはない。
この地図には、中国人による支配欲なんてものは微塵も表現されていないといことだけが事実である。
それに対し、「だから中国人は!」と批判することがどれだけおかしなことで、どれだけ間違っていることかわかっていただけるだろうか。
それが特定の国の人間を、勝手なステレオタイプに当てはめている人種差別と言わずしてなんと呼ぶというのか。
ついでにいうと、背景の世界地図自体、中国が中心にあるわけではなく、アメリカ大陸も左右に分断なく収めようとしているじつに合理的な世界地図でもある。
つまりはこの人達が思い込んでいるような身勝手さは微塵もないということだ。
これにあるはずもない中国人らしさを見出してしまった人は、それが自覚なき差別意識なのだと、まずは自覚するところから始めて見ると良いと思います。
吉本の芸人のEXITというコンビがソニーからアーティストとしてデビューし、その新曲の「なあ人類」が公開された(https://www.youtube.com/watch?v=-llgmjt0C7U)。
されたんだが、これを聞いてみるとまあ酷いというか、現代においてどういう態度が「知性的」とされているかを象徴するような内容だった。
この曲の歌詞は要約すると、「"正義"を振りかざす人間が一番他人を抑圧しているだろ」というよくあるものだ。
具体的に見ていくと、
よくある誤解だが、多様性とは「一つの正解のみが存在するわけではない」という思想であって、「不正解が存在しない」という思想ではない。
こんなのちょっと考えれば解ることだが、我々の社会はすでに法律という規則を設けて、ここから逸脱するような人間を牢獄にぶち込んでいる。明確に正解不正解を権力で判定しながら暮らしているわけ。
この「不正解」の中に実は正解が入ってないか常に見直しましょう、というのが多様性のある社会の一つの姿勢で、「同性愛者」「危険な思想を公言しただけの人」とかいろいろな属性がその中から救い出されてきた。
要するに、社会というモノには厳然として「不正解」は存在する。この辺を曖昧にしてるとすぐ「人の権利を侵害する権利」だの「差別主義も多様性の一つ」みたいな御託が沸いてくる。
じゃあどこで「正解」「不正解」の境界を引くのか、というのが重要で難しい問題で、ここに多様な議論があるのは間違いない。「萌え絵を公共の場に出すな」みたいな議論は「萌え絵」を不正解の側に追いやるような議論な訳で、こういうのには私も同意しないよ。こういう点でリベラルとかフェミニストとかが万全に正しいわけじゃないとは自分も思うが、「不正解とかないし」はいくらなんでも、いくらなんでも酷すぎるほど粗雑。
「どこで正常と異常に線を引くのか?」という、最近なら朝井リョウの小説『正欲』みたいな問題意識なら大きな価値があるだろうが、この歌が言いたいことは「なんか説教してくるやつウザい」でしかない。さすがに中学生くらいでそのメンタルは卒業してくれ。
ここがこの歌のヤバさが爆発するところだが、マジでWikipediaでコロンブスを記事を流し読みするだけでもこんなことは口が裂けても言えないだろ。
コロンブスがアメリカ大陸を見つけた頃の人類社会には言論の自由も思想の自由も信教の自由も職業選択の自由も・・・・・・列挙していけばキリがないくらい何の自由もなかった。
奴隷という身分が公然と存在していたし、そもそもコロンブスは奴隷商人だった。
コロンブスがアメリカ大陸を見つけたのは「希望」だったのかもしれないが、アメリカ大陸側にしてみれば破滅的な悪夢の始まりだった(本当の本当にアメリカ先住民の歴史についてミリも知らないとしか思えない)。
百歩譲って、コロンブスのような当時の社会のマジョリティにとっては自由や希望に溢れた社会だったかも知れないが、なぜその当時差別される側だった有色人種のEXITがこれを肯定的に歌っているんだろうか。あなたたちが大航海時代にタイムスリップしたとしたら、「自由」も「希望」も全く享受できない身分だと思いますけど。この手の人って自分も世界的にはマイノリティの部類なのになぜかマジョリティの視点に共感しがちなんだよな。
コロンブスが生きた時代に、自由も希望もなく絶望に支配されていた人たちが、それでも希望を失わず戦い続けた遙かな延長線上に現代社会があるわけだけど、マジで違う世界を見ているんじゃないかとさえ思ってしまう。
もうね、この歌って要するにリベラルとかフェミニストに対する反感で全てが支配された人間の思考なんですよ。上でも書いたけど、いわゆるリベラルとかフェミニストの中にも粗雑な議論をする人はいっぱいいるし、そもそも端から見れば釣りメガネを掛けた女性教師的な、鼻につく傲慢さを感じるところもあると思うよ。
でも歴史的なスパンで見てリベラリズムやフェミニズムを否定することはいくら何でも出来ないわけ。基本的人権はなくても良かったとか、黒人や女性の人権が向上しなくても良かったと断言できる人だけがそういうことを言うべき。
これもうんざりするほど使い古された「正義の暴走が一番怖い」ってやつなんだけど、頼むから正義の暴走を懸念する前に正義がないことに怒ってくれ。
こういう人たちって例えばアメリカのBLMに対して「あんなのはただのテロ」「こういうことをするから黒人は差別されるんだ」とか言ってる人にかなりダブると思うんだけど、BLMの過激さに憤りを示せるのであれば、長年にわたってアメリカで公然と行われてきた黒人差別にまず怒ってくれよ。なんで彼らがああいう行動に出た考えてくれよ。
調べてみました!
ほとんど確実。何故なら、人口統計調査により、ユダヤ人の戦前戦後の人口差は550万人程度はあり、人口統計調査の誤差を踏まえれば600万人程度のユダヤ人が殺されたことはほぼ確実である。別々の研究機関や研究者によって何度も推定は繰り返されているが、めちゃくちゃ極端に低く見積もっても約450万人程度とされており、大差はないと考えて良いだろう。ちなみに、否認派向けに言っておくと確認できる限り、否認派できっちり人口統計調査をした人は存在しないようである。否認論が嘘であるとバレるからか?w 出典は、『ホロコースト大事典』(柏書房)、芝健介『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量虐殺の全貌』など。
これは数字は概ね合っているが、明らかに死亡者数ではない。英語圏でいう「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡ったアフリカ原住民は1500万人以上と一般には言われているが、学界では900万人-1100万人という、1969年のフィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった[注釈 2]、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。ただし、カーティンの説(彼自身は900万人強を提唱していた)には、一次記録が存在しない16世紀 - 17世紀初頭に関しての推定数が少なすぎるという批判もあるが、そうした批判を踏まえても1200万人を大きく超えることはないと考えられている[7]。
んー、これはよくわからん。以下では1000万人は正しいかのように思えるが、はっきりしない。
その犠牲者は征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。スペイン人は暴虐の限りを尽くしたうえに、疫病により免疫のない先住民は短期間のうちに激減した[29]。
何故はっきりしないかというと、こんな記事を見つけたからである。
さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオの犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。
たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代の研究者の評価でもその人口は100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオが征服戦争の犠牲になったとしているが、当時の人口調査や統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。
16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった[橘玲の世界投資見聞録] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
何にしても一体、1000万人はどこから出てきた値なのか知識がないのでよくわからない。ここに書いてあるように、正確な統計値があるとも思えない時代の数字にどれほど信憑性があると判断すれば良いのだろうか?
んー、これも上と同じで、正確な統計があるとは思えない時代の話だし、ちょっと調べた程度ではさっぱりわからない。しかし以下のような記事を見つけた。人口がもしそうだとするなら、1000万人はあり得ない。
インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在の南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。
追記;↑と思ったが、Wikipedia「インカ帝国」によると、上の記事は間違いの可能性が高いように思われる。
前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ
しかしこの記事でも、虐殺の話はまるで出ておらず、「伝染病が壊滅的な打撃」ともあり、「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」の疑いが強い印象。
英語版Wikipediaを調べた。英語版は流石にやたら詳しい。これによると、1000万人は完全な出鱈目・デマである。デマ源を突き止めたいんだけどなぁ。
2010年のアメリカ合衆国の国勢調査では、自らがアメリカインディアンまたはアラスカ先住民であると認識しているアメリカ人は293万2,248人で、アメリカ人口の約0.9%でした[50]。 2011年のカナダの国勢調査では、自らがファースト・ネーション(またはイヌイットやメティス)であると認識しているカナダ人は183万6,035人で、カナダ人口の約4.3%でした[51]。 ヨーロッパ人が到着する前にアメリカ大陸に住んでいた人の数については意見の一致を見ていませんが、広範な研究が続けられています[52][53]。 52][53]現代の推定では、ヨーロッパによる植民地化以前に北米大陸に住んでいた人々の数は210万人から1800万人とされているが[54]、アメリカ国勢調査局は1894年に、1492年の北米大陸はほとんど何もない大陸であり、インディアンの人口は「50万人をはるかに超えることはなかっただろう」と主張している[55][56]。
インディアンの数は、感染症、ヨーロッパ人との衝突、部族間の戦争、同化、カナダやメキシコへの移住、出生率の低下などにより、19世紀には50万人を下回るまでに減少したという。主な原因はヨーロッパの探検家や商人が運んできた伝染病であった[57][58] 米国国勢調査局(1894年)は1789年から1891年までの102年間の戦争による特別な死亡者の推定値を示しており、その中には「個人的な問題」で殺された8,500人のインディアンと5,000人の白人が含まれていた。
米国政府の下で行われたインディアン戦争は40回以上にも及びます。彼らは、個人的な戦闘で殺された人を含めて、約19,000人の白人男性、女性、子供の命を奪い、約30,000人のインディアンの命を奪ってきました。実際に死傷したインディアンの数は、この数字よりもはるかに多いに違いありません。5割増しというのが安全な見積もりだろう[59]。
スターリンが粛清により大量の処刑者を出したのは史実であろうが、一千万人はいくらなんでも盛り過ぎである(実際には明らかにあり得ない非現実的な無茶苦茶誇張された数字もあったくらいであるが)。これは冷戦末期以降にソ連・ロシアが情報公開をしていて、確定はしていないが、概ねの数字はわかっている。おそらく粛清で処刑されたのは90万〜120万人程度と考えられる。
ソ連政府はミハイル・ゴルバチョフの時代にNKVDの後身ソ連国家保安委員会 (KGB) が「スターリンが支配した1930年から1953年の時代に786,098人が反革命罪で処刑されたこと」を公式に認めた。さらにソ連崩壊後にはロシア連邦国立文書館 (GARF) がNKVDグラーク書記局が1953年に作成したという統計報告書を公開した。それによるとNKVDは1937年と1938年の2年間に1,575,259人の者を逮捕しており、このうち87%以上の1,372,382人に及ぶ人が反革命罪および反国家扇動罪などに問われた政治犯であった。ソ連時代の統計[16]の開示[17]や、第三者による検証[18]を経ても、粛清された人物の合計数は今もなお公式に確定していない。
ウクライナへの人工飢餓として、ジェノサイド認定をしたらしいが、ジェノサイドと言えるのかどうかは議論の余地がある。しかし、何にしても、ホロコーストのように殺戮を目的とはしておらず、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」であろう。
飢餓による餓死者の総数に関しては未だ議論が続いており、飢饉の犠牲者数についても学説によって250万から1450万人までの幅がある[7][2]。
この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナのユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同調を募った。一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。
全然知らない話だが、以下を読む限り、「2000万人」は盛っていると思われる。しかもその大半は天然痘などの疫病であるようだ。しかし、相当規模の残虐行為を働いたのは事実であろう。
自由国政府は当初は象牙を、後には貴重な商品となっていったゴムなどの天然資源を開拓した。自由国の軍隊である公安軍(Force Publique)の支援を受け、その領土は複数の私的な採掘利権に分割された。英白インド・ゴム会社(英語版)はとりわけ、その領土から利益を得るために武力と残虐行為を用いた。コンゴにおけるその政権は強制労働をさせ、ゴム収集のノルマを満たしていないコンゴ先住民を殺害し切断した。何百万人ものコンゴ人がこの期間に犠牲となったが[4]、死者の多くはコンゴ川下流地域の人口の半数近くが死亡した天然痘を含む、ヨーロッパ人入植者との接触によってもたらされた新しい病気が原因だとも特定されている[5]。
自由国時代には過剰死によってコンゴ人口が急減したが、死者数の推定値にはかなりのばらつきがある。数字は推定値であるものの、この時期に死亡したコンゴ人は人口のおよそ5分の1にあたる1000万人にのぼるとされている[6][7][8][9]。最初の人口調査が実施されたのは1924年であるためこの期間の人口減少を数量化することは困難であり、ウィリアム・ルービンスタイン(英語版)のように、アダム・ホックシールドが引証した数値はほとんど証拠に基づかない推測であると主張する者らによって、これらの数字は議論されてきた[10]。
これは適当な解説サイトが見当たらないので、自分の知識だけで言うけど、これも飢餓でしょ。数値は知らないけど、これもまた「リンゴとオレンジを比較している(compare apples to oranges)」。
残り二つの中国のは自分で調べて。文字数制限で書けない。ともかく、人数の精度に問題あり過ぎだし、ホロコーストと同レベルで比較対象にできるものはない。ホロコーストはほんとに民族抹殺を狙った大量虐殺で、そんなものは人類史上見当たりません。かのアドルフ・アイヒマンは「欧州すべてのユダヤ人、1030万人を殺したかった」と述べたアルゼンチン逃亡中の録音記録があったりしますが、そこからもわかるようにユダヤ人絶滅は本気だったのです。
ハマらないままで掃除機吸えてたのかよ!って思うとともに、
なんで蓋が閉まらないんだろうと何度やっても上手く行かなかったのは、
各社共通タイプの正しい切り込みのところを切って使ってなかったから
ミスがミスを呼ぶというまったくもってなってないわ!って思ったのよね。
ちゃんと紙パックに印刷されている手順にそって指示された切り込みを切って掃除機に差し込んで欲しいわ!
って私も紙パックを装填しようと思ったけど
パナソニックN型、パナソニックK型!と同じメーカーなのに2種類のパターンがあるのなら話は別ね。
でも無理矢理ハマらないまま突っ込んだ形跡が残っていたので
もうさすがに犯人探しは止めるけど
こういうのはちゃんと使ってほしいものね!って思うのは私だけ?って
おかげさまで、
めでたくあっぱれな吸引力を華麗にも復活させた不死鳥のように復活したのよ!
でも間違ったまま使えててゴミ吸い込めてたのも謎だけど。
あれはもう掃除機のパワーでもちこたえていたと言うところなのかしら。
今度はしっかり密着密閉した気持ちよくハマった紙パックで掃除が捗るわ!ってもんよ。
真の掃除機のパワーを発揮すべく、
もう一度紙パックの装填間違ってないか。
あの紙パックじゃないタイプの中で遠心分離して集まるタイプも最初は良かったけど、
あんまり要は私は好きじゃないタイプの掃除機かも知れないわね。
メンテナンス的には紙パックをぱっと捨てられて再装填出来る方が、
どちらも一長一短一朝一夕にはいかない感じがまた長所と短所と言ったところかしら。
まあ確かに
パナソニックの掃除機に紙パックの切り込みの切り方が2種類ある方が鬼なのかも知れないわね。
だから
忙しくなるかも知れないという体裁を保ちつつ
こっそりカントリーマームをレンチンしたら美味しいと言う事実を発見した
原住民に美味しい食べ方を教えてもらった気分よ。
でもさ、
なんかこんなにちっちゃかったっけ?って
小ささは私感じて間違いないところだと思うし、
掃除機で吸い込めちゃいそうな小ささで
しかしこんなに豆粒のようにカントリーマームって小さかったっけ?って
走馬灯を開いて思い出しても、
大きい頃の思い出がなくて、
比較できないことにも気が付いたわ。
昔はもっと大きかったわよね?
今のお菓子に対する不満全体を
やっぱり増量された粉が落ちて仕方ないので、
掃除機は欠かせないと言うことで今日はこのぐらいにしておくわ。
粉の量多ければ多いほどいいとは限らないのね。
うふふ。
フレッシュレタスの歯ごたえが朝の目覚めを呼び起こしてくれるわ!って
べつに眠気眼で食べてるんじゃないの。
目が覚めるような美味しさ!って言いたいだけなの。
半分食べて半分はキューブ状にカッツして
一玉丸のままで一度買ってみたいわね。
なんつってー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
原作だと高度なナノマシン技術があるから、それで実現不可能そうな色々なことが実現されているのではないだろうか
義体の全身の神経網はナノマシンで掘り進め?られて作られていたと思う
つまり、神経線維レベルの大きさのロボットが実現できていたと思う
(もっとも、病院のCTのような外部からの磁力で誘導しているような描写もあった気もする。似たような試みは現代にもありはするが
光学迷彩に関しては、東大などのプロジェクターなどを使う方法では当然実現不可能であり、
作者的には多分、物性とか素材の範疇で、CGの環境球みたいなものもそれで受け取れるし、
環境球の様な情報を元に発光するような微小な要素で衣服などが構成されているのではないかと私は考える
もちろん、そんなことは現在の科学技術では不可能ではあるが、SF的なありえない未来のナノマシン技術は便利な道具で、
例えば銃夢でもナノマシンでなんでも構成されていたりするため、かなり無茶苦茶なことができてしまっている
原子分子のレベルのロボットとか、カメラとか、発光する何かとか、漫画に比べれば不完全なものは実現できてるけど、
実現できたとしても、まだまだずっと先の話に思える。
それより、アップルシードのブリアレオスとかの方が攻殻機動隊よりも未来なのに実現できそうな気がする
というか、中国が台湾やフィリピンと小競り合いを始めて第三次世界大戦につながるのなら、
これから来たるべき世界は攻殻機動隊よりアップルシードのような世界かもしれない
ランドメイトが実現する意味があるかはよく分からんが、そんなもんより今熱いのはドローンである
無人の爆撃機は当然、これからは戦車や装甲車も無人になる日が来るかもしれない
AIやMLでボタンを押せば勝手に命中させるぐらいの精度になったり、
もっとも、自動運転の戦車や装甲車を実現するためにDARPAチャレンジが行われていたりもしたが、
余裕でアメリカ大陸横断を走破できるとは言い難い代物であり、今でも実現に難はあるだろう
しかし、戦場を走行するのと、そのへんの市街地を走行するのなら、
戦場なら狭い路地を丁寧に走行する必要もなく、人を轢き○して問題になることも減るかもしれない
人と共存する環境での走行を実現するのは難しいが、戦場なら問題なくなるかもしれない
(もっとも、現在のアメリカ軍では完全に自律したドローンの導入は否定的である。つまり、勝手に走行し、勝手に敵を撃つ、という人間の判断を挟まないロボット兵器には否定的であり、電子戦というか電波が妨害されて墜落、場合によっては乗っ取られるリスクがあっても、無線による遠隔操作を重視している。よって、人類初のAI爆撃機が空母を離着艦したあのニュースは例外的なものといえるかも知れない。あくまでそういう試みであって、ナイトライダーや映画に登場する人間と会話するステルス戦闘機みたいなものはまだまだ実現は難しく、できたとしてもロボットが暴走した場合などを想定する軍に導入は否定的であろう
考えてみれば、デュナン・ナッツの父親カールは、今のアメリカでいうところのプレッパー、
ミリシアみたいな人たちの中にいるとも考えられる
いわば第三次世界大戦を想定して、自分の娘を訓練し、鍛え上げたからである
実際、今のアメリカでは過激なミリシアやプレッパーが来たるべき戦争に備える名目で、
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
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タバコの直接の語源は、スペイン語やポルトガル語の「tabaco」である。
タバコ自体は紀元前5000 - 3000年ごろ南米のアンデス山脈で栽培されたのが起源で、15世紀にアメリカ大陸からヨーロッパに伝えられたものであるが、それ以前からスペインでは薬草類を"tabaco"と呼んでいた。しばしばアメリカ・インディアンの言葉が語源であると言われるが、それは誤りである。
スペイン語の"tabaco"は、古いアラビア語で薬草の一種を示す"tabaq"という言葉が語源であるとみられている。
この単語が、フランス語では"tabac"、ドイツ語では"Tabak"、英語では"tobacco"となった。日本ではポルトガル語の音に近い「タバコ」として広まった。漢字の当て字としては「多巴古」、「佗波古」、「多葉粉」、「莨」、「淡婆姑」などが用いられる事があるが、「煙草」と書かれる事が最も多い。中国語では「香煙」と呼ぶ。なお、山口県の一部地域には「煙草谷」(たばこたに)という姓がある。
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1時間勉強したらタバコを1本吸うといった具合に、集中モードとリラックスの切り替えがスムーズになった気がする。
タバコを始める前は銘柄の区別がつかなかった。先輩に〇〇買ってきてとか言われても、何ミリとかハードケースorソフトケースとかロングorショートとか、下手するとキャスターとかマイルドセブン(現ウィンストンとメビウス)とか存在しない銘柄を指示されることがあって、そんなもん分かるか!と思っていた。それが自分が吸うようになり、人の銘柄を観察するようになったらたちまち違いがわかるようになった。また、銘柄によって味や香り、(大袈裟に言えば)哲学の違いがわかるようになり、自分の好みも把握できた。
4ヶ月間だけバイトをしていたのだが、上司や得意先の人間と喫煙所で仲良くなれた。好みの銘柄とその遍歴を探るだけで、その人の趣向や、生き方(※セックスまでも!)など少なくないことが把握できる。人の銘柄を覚えていて何かの際にプレゼントすると、それだけで契約が取れたりする。非喫煙者にとっては、そんなバカな話があってたまるかという感じだろうが、喫煙所ならではのコミュニケーションは確かに存在する。
※この一連のツイートは秀逸。アメスピ吸ってる男は絶対ねちっこいクンニすると思う。
偏見だけどアメスピ吸ってる男みんな性欲強い。— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
ホープを吸ってる男のセックスは淡白だけど2回戦余裕で出来る。
わかば吸ってる男は余ったラブホのゴムを持ち帰る。
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セッターはヤってる時はオラオラなのに賢者モードがエグい
アークロイヤルは研修熱心でいちいち感想を聞きたがる
ラークは謎のこだわりがあって頑固。道具使うのが好き
メビウスはだいたい平均的で女の演技を見破れない
ピースは会社のストレス溜め込んでるが終わったあとの気遣いが優しい#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
タバコを吸いたくなるシチュエーションは確かに存在する。食後、運転中、勉強時、会議の後、やや重ためのアウトプットの前後、飲み会の終盤、普段話しづらいことを話す時など。それらに共通するのは、脳内あるいは身体的なリソースと食われる前後。気合を入れる時、あるいは任務を終えてリラックスしたい時、タバコは静かに寄り添ってくれる。
お菓子、特にチョコレートの消費量が減った。もともと甘党でデスクワークをしている時には欠かさず甘味を摘んでいたが、代わりにそれがタバコになった。砂糖とタバコ、身体に対する悪影響はどっちもどっちという気がする。ちょっと苦しいタバコ擁護だけど。
焚き火囲んでビール飲んで夜風を浴びながら吸うタバコは最高。今ではタバコなしのバーベキューなんて考えられない!
一年で10万円くらいはタバコ代に費やしている。嗜好品だと思えばそんなに悪い使い方ではない気はする。一日300円とすれば、自分にとってはおやつの代わり。仮にその10万円で両親に旅行をプレゼントするなりもっと有効な使い方あるだろうと言われればそれまでだけど、タバコより遥かに無意味な浪費をしている気がするので(ネトゲとかギャンブルとか)、そっちの方が節約の優先順位は高め。
もともと偏頭痛もちだったのが、朝起きて、頭痛を感じる頻度は以前より多く、わずかに痛みが強くなったきがしないでもない。起床後の空きっ腹が一番キマるのだが、強いの吸ったらその日は一日頭痛が酷かった。痛みをまぎらわせようとタバコを吸い、それがさらなら頭痛を引き起こす悪循環にハマることがあるので、体調が悪い時にはなるべく吸わないようにしている。
少し鈍くなった…かな?喫煙後は繊細な味が感じ取れなくなる。和食や薄味の料理の前には吸わない。というか食前に吸うと空腹感が紛れるので飯が美味くない。吸うのは食後にしている。食後のデザートがコーヒーとタバコになった。以前よりも甘いものを受けつけなくなった気がする。辛い料理の食後メンソールは気持ちいい。
これが最も良くなかったことだと思う。明らかに歯が汚くなった。歯が黄色いし、前歯の裏側がヤニで汚え。親や恋人には絶対に見せられない。歯医者行くなりオーラルケアで対策できるのなら、個人的にタバコによるネガティブな点はほとんど解消できるといっていい。あるいは加熱式タバコなどタールのないものなら良いのかもしれない。ちなみに家の中では吸わないので壁紙が黄色くなるとかはわからん。
以前より鼻毛の伸びが早くなった気がする。しょっちゅう抜いてる。こまめに鼻毛を切るようにすれば良いと思う。
夜に吸いすぎると寝つきが悪くなり、睡眠の質も低下する気がする。あと翌朝の頭痛が強くなる(気がする)。
運転中にタバコを吸うのが好きなのだが、明らかに車内が臭い。あと人に会う時に自分がどの程度タバコ臭いか全然わからん。もともと万年鼻炎持ちだが、以前より明らかにタバコの匂いを知覚する神経が麻痺してる。
その時は売り言葉に買い言葉でやめると言ったが、一年経っても結局やめてない。先日会ってまた同じこと言われてしまった。うん、確かにダセエと思う。何も言えないわ。
軽い依存傾向がある。体調が優れなかったので先日思い立って1日禁煙してみたが、特にイライラすることもなく穏やかに一日を過ごすことができた。健康体でないとタバコはまずい。
今のところ明らかな身体的障害は知覚できない。山に登る趣味があるのだが、特段以前より息が上がるようになったという感じもない。肺がん、脳血管障害のリスクなど将来的にはわからん。
もともとガチガチの嫌煙家。歩きタバコ野郎とすれ違う時はもれなく死ねと思っていたし、こんなに臭いものを吸う奴はガチで頭おかしいと思っていた。小学生のころ教師に、図書館で資料を集めてタバコをやめるよう進言したらしい(母に聞くまですっかり忘れていた)。嫌な小学生だ。
それが二十歳を過ぎるころ、たまたま喫煙者の多いコミュニティに属し、その後職場にも喫煙者が多かった。自分は吸わないくせに、毎回デカビタ買ってもらって、先輩らと喫煙所で駄弁っているのが好きだった。いつしかタバコ嫌いは解消し、好感すら覚えるようになっていた。勧められてタバコを咥えたこともあったが、その時は体が受けつけず、しばらくは喫煙者と飲んでいる時に、ごくたまにもらいタバコをする所謂パーティースモーカーというやつを長らく続けていた。
きっかけは30歳の夏にとある離島へひとり旅をした際、自転車で島を一周してビール飲んでタバコ吸ったらうまいかなと思い立ち、初めて自分のお金で一箱買ってみた。バニラみたいな香りのする、ウィンストンの1ミリだった。オオミズナギドリが営巣しているようなとんでもない絶壁で、水平線を見ながら缶ビール片手に吸ったタバコがちょっと笑ってしまうくらいに美味かった。それ以来、景色の良い場所を訪れるたびにちょくちょく吸っていたら、いつの間にか日常的にタバコを吸うようになっていた。
学生の頃に、モテない同性を集めて三浦半島を旅行した。そのときは良い景色に出会うたびにタバコをふかす友人たちを心底軽蔑していたが、今では彼女らの気持ちはよくわかる。あの時は悪態ついてごめんよ。
タバコは瞑想に似ている。あるいはマインドフルネス。潜水(フリーダイビング、スピアフィッシング)とも。脳内の毛細血管がきゅーっとなって、一瞬体温が下がって、それからうっすら意識が体を離れ浮遊する感覚が訪れる。気持ちいい。ダウナーな音楽でも聴きながら半目で酩酊するのが至福。
10年以上前になるだろうか、『タバコは穏やかな自殺』というコピーをどこかで見た。無論啓発のためのコピーだったと思うが、今みると、素敵な言葉だと思う。死にたいけど死ねない。自傷行為は、自意識が希薄な時に、自分の体が自分のものであるという認識を確かにしてくれるものだと思う。
先日「ハーモニー(伊藤計劃)」という近未来SF小説(ネットフリックスでアニメ版が観られる!)を読んだ。要約すると、めっちゃ強い新型コロナウィルスみたいなのが世界中で猛威を奮った結果、国家は国民の人体を『リソース』として扱い徹底的に管理する決定を下した。体に埋め込まれたデバイスが健康状態を常に把握し、自動で投薬がなされる。不健康であることが犯罪となった世界で、主人公たちは、飲酒や自殺未遂といったテロ行為を繰り返すという話だ。
自己管理のできない者が、あたかも犯罪者のように晒し上げられ、下手すると直接攻撃を受けるようになってしまった昨今において、「ハーモニー」の世界は決してフィクションだと切り捨てることはできない。ミアハの「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。そうじゃない?」という台詞は、いっそう印象を濃くしている。日増しに喫煙者の肩身が狭くなっている本国において、あえていま、タバコを吸う理由づけをするならば、そんな世界に対するささやかな抵抗だと言えなくもない。
先日、近所のホラ吹きオジサンにそんな話をしたら、「なぜコロンブスがアメリカ大陸からタバコを持ち帰ったのか。君はその意味を考えたことがあるのか?」と言われ、なに言ってんだこのジジイと思った。曰く、それは産業革命と貨幣経済が浸透したことの反作用なのだと。人が個人として選択的に生きることを強制され、生活の実感が貨幣によって奪われることで『生きている実感』が希薄になったがゆえに、タバコが必要とされたのではなかったかと。それは戦時中に薬物が乱用されたのと同じ理屈だとも。なるほど、一理あるなと思った。
ネイティブアメリカンが霊的なものと交信するために必要だったものが、本来とは全く違った用途に用いられ、スポイルされ、経済活動の一部に組み込まれていった。その意味では、今日における瞑想やマインドフルネスも同じ道を辿っていると捉えることもできる。
なにかと生きづらい世の中で、現代人には瞑想運動野菜睡眠と、少しのタバコが必要なのかもしれない。(どうみても生きづらそうな某氏には、ぜひともタバコを吸っていただきたい。某氏にタバコを吸わせて感想を聞いた!的な記事が書けたらたいそうバズるだろうに!)
一年経って、いまの私はタバコに少からぬ好感を抱いている。ネガティブな側面ばかりが強調され、積極的にタバコを吸う理由が語られていないことに対して少し残念な思いがある(コーヒーや日本酒に比べてタバコの不遇っぷりはどうだ!)。タバコには効能もあるのだし、もっとインテリがタバコを吸って、おおいに語って欲しいと思う。ほんの数十年前まではたくさん語られていたではないか。畑正憲とか伊集院静とか。健さんだって美味そうにふかしていたじゃない。もちろん嫌煙者と環境には十分配慮した上でね。だって素敵な景色見ながらタバコ吸えないなんて、そんな息苦しいことありますか。屋外で、誰にも迷惑のかからない時くらい大っぴらに吸わせて欲しい。
むかし池袋で好きになった人がいて、当時私はタバコを吸っていなかったのだけど、彼の指先がセクシーで(長髪で大きい瞳と長い睫毛が好きだった。確かキャスターの1ミリロングじゃなかったか)、軽く日本酒を飲んで要町の彼の家までの帰り道、深夜の公園で一緒にもらいタバコで一服した。その時の思い出は、昨日のことのように思い出すことができる。タバコを吸う人はセクシーだと思う。タバコを吸わない綺麗な人より吸っている綺麗な人の方が断然好きだ。
その時、彼がタバコを携帯用灰皿に捨てていて、えらいねと言ったら、自分が気持ちよくタバコを吸うためにマナーには気を使っているよ。それは自分の権利を守るためなんだよ。だからマナーの悪い喫煙者は最低なんだ、と教えてくれた。その言葉を忘れずに、これからも、この愛すべきちょっぴり退廃的な香りのする嗜好品を楽しみたいと思う。
海援隊を率いてこの地を訪れた坂本龍馬が、空高く旋回する大鷲の姿をみて「ワシん飛んどるぜよ!」といたく感動したため。共和党のロゴマークがワシなのはこの逸話から来ている。
「見た目はダサい、耐久性もない、機能は少ない、燃費は悪い…で、トロい、と」ひどい性能の試作車に対して放たれた言葉。当時よりデトロイトは自動車産業で知られた。
卑劣な策により戦争に負け潰走していたアーサー王の周りにはいつのまにか誰もいなくなっていて、この地で彼はひとり暁光を目にした。
肥沃なこの地では古来より畜産物に事欠かなかったが、なかでも珍重されたのが動物性の油である。言うなればアニマル精油だ。
過酷な冒険の末アメリカ大陸にたどり着いたアメリゴ=ヴェスプッチ。北部のこの地に来る頃には、疲れのあまり目がトロンとしていた。