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2016-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20161230123446

アスカは全国でも高レベルな実力者、母に受験理由吹奏楽を反対され一時的部活に出れなくなってしまったが、模試で全国上位を取り母を説得して部活に復活した設定

なつきは二年までユルく部活をやって来て最近頑張りはじめていたが、付け焼き刃の力ではコンクールに出られなかった設定

なので普通に考えてアスカの方が上位に行ける

前の三年がユルく楽しみたい派で真面目にやりたい人を苛めて、先輩達はあまり練習をしてこなかった人多数、真面目にやりたい部員ほとんどやめていてまともな演奏ができないとこから全国大会出場だから十分な結果出してる

宇治の敗因って田中あすかでしょ?

響け!ユーフォニアム見た。

要するにあのメガネ母子家庭娘が練習サボってたか全国大会で銅賞だったんでしょ

なんで誰もそれを指摘しないし、反省しないのよ

メガネは外して夏紀にしてれば銀ぐらいはいけただろ。仮にも関西大会勝ち抜いてるんだし

2016-12-16

人生ではじめて挫折経験する

高校とき吹奏楽部だったんですね。

その部活動で、ぼくは人生ではじめて挫折を味わうことになります

自分高校吹奏楽部は他の部活よりも勧誘がいろんな意味ですごい部活でした。

ぼくは中学部活はもういいと思っていたので、高校生活は断固たる思いで帰宅部志望。

誘われても断固拒否青春するぞ!ってずっと考えてました。

でも、友達勧誘されて入部することになってしまい、

まずい友達が入部しちゃったら遊ぶ相手がいなくなるじゃないかと思いました。

なので「ちょっと入ってみるのもいいかな」という感じで入部することに。

なんとなくで入った部活は、実は全国大会を目指すハード部活

気づいたときにはもう遅く、簡単には抜け出せないような状況でした。

中学生ときは優しい部活に入っていたので、今までの自分では考えられない生活を強いられました。

楽器を吹いた経験がなかったぼくと中学部活からびっしり楽器を吹いてきた周りの子とは明らかな差がついている。

そんなメンバーと実力を競うことになったらどうなるかは明白でした。

2016-12-11

田中あすか謝罪が足りない - TVアニメ響け!ユーフォニアム2』#10

#10見たけど……、1期から通じて初めて明確に不満の残る回だった。理由タイトルの通りでそれ以上でも以下でもないのだが一応こまかく書きつける。

 

あすか回に見せかけた久美子覚醒

#10は表面上あすかの復帰回だった。晴香や香織に「コンクールへは出ない」と言い続けていたあすかは久美子の強い説得を受け、そして全国模試で好成績を残したことからそれを盾に母親を説得し吹部への復帰を果たす。事実ベースで書くとそうなるのだが、実際は久美子と姉である麻美子とのわだかまりが解消され、そのやり取りがあすかへの説得につながるという久美子の変化がピックアップされた回だった。

「まああんたもさ、後悔のないようにしなさいよ」

下宿先へと戻る前に姉がかけてくれた一言。それに背中を押され久美子は、鉄仮面と極論で説得を煙に巻こうとするあすかに敢然と挑みかかる。

親にいい顔をして本当は続けたかったトロンボーンを辞めた姉。

母親の言いなりになり本当は出たいはずの全国大会を諦めようとしている先輩。

幼い久美子は大好きな姉といっしょに吹けなくなって悔しい想いをしただろう。そして今またいっしょに吹きたい先輩が、本心を曲げてユーフォニアムを置こうとしている。姉の言う通り、もう後悔したくない。だから久美子は子供じみた説得を涙ながらに続けたのだ。それは1期#12の「うまくなりたい……!」に比肩する、久美子の体の奥からとめどなく溢れる“本心”だったろう。

このシーンは本当に良かった。“本音”はうっかりこぼすくせに、“本心”はなかなか言えない久美子(入部時にトロンボーンをやりたいとあすかに言い切れなかった)が、「私はあすか先輩に本番に立ってほしい! あのホールで先輩といっしょに吹きたい! 先輩のユーフォが聴きたいんです!」と剥き出しの“本心”であすか鉄仮面に殴りかかっていく。それは圧巻の一言に尽きる。

ここで終わればさすが京アニだね神回だったねで済むのだが、そうは問屋がおろさない。

 

なぜ京アニあすかにケジメをつけさせなかったのか

ほんとタイトル通りなんだが、戻ってきたあすかはなぜ部員に対して謝罪しないんだろうか?

練習も出ない、本番も来られるか判らないひとなんて迷惑以外の何物でもない。私だったらぜったい嫌だな~」

「先輩には事情があります

事情あるコなんて他にいくらでもいるよ? しかも私は希美の復帰に反対しちゃったしね~。それが自分とき例外ですなんて、言えると思う?」

からコンクールには出ない」ってキッパリ言ってたわけで。

晴香や香織がなんど説得しても翻意せず、久美子には悪意をぶつけるような言い方までした。(吹部における)Bパート練習してた(はずの)夏紀に急な代役を押しつけ、部には混乱と不安感を与え。

なのに特に謝罪もなく戻ってくるとかありえなくね? ふつう部員全員の前で頭を下げ、詫びを入れてケジメつけるところじゃないのん

そりゃこれが放課後ティータイムならそんなのいらないと思うけど、数十人規模の部活でそういうのナァナァにしたら組織としての体が保てないし、『ユーフォ』はそういう部のいざこざとかマネジメント描写してきたし、特に1期であれだけ“責任”について描いてきた物語なのになぜ急にそこの手を抜くのか本当に判らない。部長はいえ晴香は一日休んだだけでちゃんと謝ったのに(1期#7)。

いやそりゃあすかのは母親が悪いとか、模試の件を伏せてたのは期待を持たせたくなかったとか、裏で滝や晴香は香織には謝罪してるんじゃないかとか、夏紀先輩にはいちおう謝ってるとか、みんな望んでるんだからいいじゃんとか擁護はできるんだが、それでも必要だと思うんだよね、ケジメってやつは。

なぜなら特段あすか事情を知らされてない一般部員(≒視聴者だって振り回されたことに違いはないのであって、その感情に向き合わないと「なんだあすか特別からそういう横暴をしても許されるのか」って空気が出来ちゃうでしょ。そんなのさすがに描かないと思うけど、そういった負の心理描写も掘り下げてきた『ユーフォ』だからこそ大切にしないといけない感情だと思うんだ。

あすかが部全員に対して真摯謝罪する、それを晴香がみんなを代表して赦せば丸く収まりつつついでに部長としての成長も描けて一挙両得な気がするのに……。

なぜやらなかったのかマジで謎。つーか、あすかがもう嫌いになるレベル不快

 

こだわるのは全国大会あすかのターンだから

で、ここまで謝罪にこだわるのは全国大会あすかのターンだからってのも大きい。

ユーフォ』のコンクールが盛り上がるのはコンテクストをちゃんと踏まえてるからだ。府大会ペットソロオーディションを巡る軋轢の解消、関西大会みぞれ希美和解

全国大会は間違いなくあすかの音は父親に届くのかというところに焦点が当たる。本来なら心から応援できるシーンが、このままじゃ「でもあすかって……」と急ブレーキがかかってしまう。本当に勘弁してほしい。

 

料理つくるシーンは本当に良かったんだけどな~

今回は黒沢ともよ無双ということで、AパートBパートともに久美子の泣くところが最高だったんだけど、シーン的には料理つくってるところが好み。

お姉ちゃん料理がまったくできず、久美子はそれなりにこなせる。これって、母親が出来の良かった姉にはご飯の支度を手伝わせずに勉強を優先させ、出来がいまいちな久美子には勉強より家事手伝いを優先させた結果だ(1期#1でも姉がいるにもかかわらず久美子にだけ夕飯の支度を手伝わそうとする母の姿が描かれている)。

そして姉はそんな妹を羨み、妹はそんな姉を羨んでいた。姉妹がそれぞれ親からどういう扱いを受けてきたかが、姉は焦がした鍋を洗い、妹が料理をつくるという光景象徴されている。

正直なところ、こんな繊細なシーンはなかなか描けるもんじゃないと思う。そんなことを軽くやってのける京アニあすかの件に気づかないはずはないので、なぜ謝罪がなかったのか本当に判らない。

来週早々にこの不満が解消されることを期待したいというか解消してくれって気持ちでいっぱいなんでマジで頼む……!

 

追記

ブコメにいくつか反論(?)が来てるけどまったく論理的ではなく、お前らほんと本編見たのかと思わずはいられないほど低レベルものばかりでクソワロタしょうがいからチンパン脳死のお前らを俺が教え諭してやる。

yoshi1207 僕はあすか派だけど、テスト明けで戻った時点で安心するし、「ケジメとして皆に謝って」って言い出す人に「心底どうでもいい。練習させろ」って言える非凡に皆憧れてんだから、もし謝ったら部長がっかりと思う。

はいボケー。あすか非凡さは「心底どうでもいい。練習させろ」ってスタンスにあるんじゃありませーん。どこにそんな描写あるんだ? 例あげてみろよ。みんながあすかに憧れてるのは、リーダーシップが取れて、練習熱心で、ユーフォが上手く、しか勉強と両立できるところでーす。それにもうあすか特別じゃないってみんな判ってるのでがっかりしませーん。そんなことも判らん脳死野郎が口開くなー。

 

wdnsdy 謝らないほうが田中あすからしいじゃん。お前は「謝ったほうが自分好みのキャラだったのに!」を正当化したいだけ。自分がこの手のキャラが嫌いなだけなのに、そういうキャラがいることを勝手作品瑕疵にするなよ

「お前は「謝ったほうが自分好みのキャラだったのに!」を正当化したいだけ」はい勝手に決めつけー。俺は例えば、ユーフォがこれまで積み上げてきた“組織的部活モノ”を崩すから今回のことに文句つけてまーす。お前こそ印象論で他人を批難してないで作品にもとづいて口開けボケナース。また謝らないほうがあすからしいってのこそお前の脳内でーす。夏紀には謝ってまーす。

 

cocoonP あすか先輩ははっきり「出ない」とかそれに類することを"部員全員には"言っていないと思うのだけども。「事情があって練習を休んでいた」だけなので別に全員に謝る必要はないんじゃないかな。謝られてもウザいし。

「"部員全員には"言っていない」ことの方が問題だろうがボケ副部長かつ低音パートリーダーかつ主要な奏者が何の説明もなく連日休んで部に動揺が広がらないと思うか? 実際それで音が悪くなって、滝に叱責された描写があっただろうがお前何処見てんの脳死なのボケなの死ねよ。そしてだからこそ滝は期限を区切ってあすかが戻ってこないときのことを部員覚悟させたんだろうが。ホントお前らちゃんと本編見てから口開けよカス

 

kyuusyuuzinn この増田みたいな奴って、辞めたら辞めたで「こんな大事な時期に士気を下げるな」とか言って来るし、希美や葵が辞めた事にもネチネチ言ってそうで、なんかもう心の底から面倒臭いよな。

で、でた~www本文には一切触れずに人格批判だけする奴~www

お前さあ、俺の感想のどこにそんなことが書いてあるの? 勝手忖度してそれでいっちょ前に反論したつもりなの? ほんとゴミ野郎だな。お前のそのしょうもないゴミみたいな感想かきつけてるカスブログにみっちり反論文書いてみろよ、見に行ってやるよwww

 

higashinanchara 怖っ。けじめけじめってヤクザかよ。高校生子どもだって言ってたでしょ。

高校生にもなって他人迷惑かけたとき謝れないって頭おかしくね? 『けいおん!』ならまだしもこれ『響け!ユーフォニアム』だぞ? ってことは本文中に書いた通りなんだがそんなことも読めないなら半年ROMってろよチンパン野郎

 

あーやっぱゴミみたいな反論しかなかったな。アニメ本編を読み解き、俺の感想も読み解いて反論できてるやつ皆無ってはてブにはチンパンしかいないんだなあ、けっきょく。

 

追記2

あすか謝罪するのは変とか頓珍漢なことブコメばかりだったが次話早々に謝罪があったな。これでいいんだよ、これで。

そしてはてブゴミもの見る目のなさが明らかになってしまったな。

2016-12-01

久美子に憧れるあすかと“ユーフォっぽさ” - TVアニメ響け!ユーフォニアム2』#9

#9観た。一期から伏線である田中あすかの瞳に世界はどう映ってるのか、彼女本音は何なのかというところに一応の決着がつく回だった。手放しで絶賛するほどではないものの、けっこう興味深いところもあったので書く。

 

田中あすかとは何だったのか

一言でいうと嘘つき。もうちょっと言うと過干渉を嫌い、それを笑顔ジョークによって躱す処世術は身につけたもの本音が外に漏れるぐらいまで一杯一杯になってる普通女の子だった。

「あの人のこと嫌いってわけじゃないの」

(中略)

「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」

あすかと久美子のやり取り。嘘を即座に看破され、その後もっともらしい言い訳を述べるが、内心は母親をそうとう嫌悪しており、それを体のいい言葉で取り繕っている――ということは直前の香織とのやり取りを見ても明らかだ。

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この過干渉に対する露骨嫌悪は、パターナリスティック母親を想起してのものだろう。しかし香織が顔を上げるや笑顔になり、別れを見送りつつ「カワイイでしょ、香織って」と久美子に語りかける。直前の表情からすれば「ウザいでしょ、香織って」とでも言いそうなものなのにそう口にすることはない(みぞのぞの結末を目撃した我々は、一見すると仲の良い友人であってもそこに温度差があることはすでに承知しているはずだ)。

こういった本心とは裏腹なことを言う姿は他でも確認できる。

「もしかしたらあたし、あの曲を黄前ちゃんに否定してほしいのかもしれないな……。コテパンにしてほしいのかも……」

父親から贈られた曲を否定してほしいのかもと言いつつ、実際に思ってるのはその逆だ。ということは吹く前に「……本当に聴きたいと思ってる?」と不安げに確かめるところから察することができる。

そもそも久美子を家に呼んだのは、私利私欲に走った自分の苦しい胸の裡を誰かに話したかたからだ。そこからあすか特別なんかじゃなく、弱いところも持った普通少女だということが判る。

しろ特別なのはそんなあすかがハッとすることを折に触れて言う久美子のほうだ。

 

黄前久美子という特異点

特別あすか麗奈に比べれば普通といっていい久美子は、しかし実際のところ作中における特異点だ。それは1期から麗奈によってしばしば語られてきており、今話でも強く指摘された。

「久美子ってなんか引っかかるの。普通のフリしてどっか見透かされてるような、気づいてなさそうで気づいてるような……」

「なにそれ……」

「そして、いちばん痛いときポロッと言葉になって出てくる。……『本気で、全国行けると思ってたの?』」

「あれは……、あの時は……」

「だからなんか引っかかる。ギュッと捕まえてその皮はがしてやるって」

あすか先輩も……?」

「判らないけど」

あすかにも府大会の直前に「今日最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」と言って意味深笑顔を浮かべさせたり、「嫌いじゃないって言いましたけど、嫌いなんですよね、お母さんのこと」とか「あすか先輩がいつもと違うんですよ」などと言ってハッとさせる。

これは久美子の失言王(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%B1%E8%A8%80%E7%8E%8B)というキャラと密接に結びついている。1期の開幕では「本気で、全国行けると思ってたの?」と言って麗奈に睨まれ、吹部の新歓を聴いては「ダメだこりゃ……」と零し葉月に聞き咎められる。いずれも“失言キャラ”というキャラ立ての一環であると同時に、本人の意図によらないところであっても本質を思わず突いてしまうという側面にもなっている。そしてそれは1期#8で結実し、今話においてより大きな伏線の回収という形を描いた。思わず「おおう」と唸るところだ。

 

久美子に対するあすかの憧れ

「……本当に聴きたいと思ってる?」

はい!」

「ふふっ。黄前ちゃんはほんと、ユーフォっぽいね

「?」

「私、自分のことユーフォっぽくないってずっと思ってたんだ。だから黄前ちゃん見たときびっくりしたの。こんな……こんなにユーフォっぽい子がいるんだって

「……褒めてます?」

「褒めてるよ。だからからな、話きいてほしいって思ったのは」

ここであすかが吹いたのは父親から贈られたユーフォソロ曲だ。ユーフォだけで構成された、独りで吹ける、あすかのためだけの曲。ただ本質的ユーフォソロ向きの楽器ではないし、吹奏楽においてもペットのような花形にはなりえない。オーケストラにおけるチェロになぞらえられるように、オブリガードや伴奏などで曲に深みを与えるところで活躍する。ユーフォ集団の中でこそ輝ける楽器なのだ

久美子は楽器を習い始めた当初からユーフォ吹奏楽の一部分として捉え、楽しんできた。集団の中にあることを疑わず、まっすぐ素直に受け容れてきた。

あすかにとってユーフォ父親自分をつなぐ唯一の存在だ。みぞれにとってのオーボエのように大切な誰かとつながる唯一無二の手段。だから「私は遊びでやってるわけじゃない。独りで吹ければそれでいい」とさえ言う。そんなあすかにとって父親から贈られた曲は心の支えだったろう。だけどそれは同時に、父親に囚われているということでもある。あすか母親だけじゃなく父親からも囚われている。そんなずっと独りで吹いてきたあすかが久美子に聴いてもらうために吹くということは、大げさな言い方をすれば初めて誰かに聴いてもらうために吹いたと言えるのかもしれない。

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卒業するときあすかは久美子に父親ノートを託す(2期#1冒頭)。それは父親審査員を務める全国大会を経て完全にその呪縛から解き放たれたことを意味するのだろう。残る4話のうちにそこに至るまでのあれやこれやが画面いっぱいに描かれるはず。そう思うと終局に向けて動き出した『ユーフォ2』からますます目が離せない。

 

ユーフォ感想一覧

2016-11-16

10年前も欧米リベラルが同じような負け方をしている

トランプが勝ったことで様々な言動はてなでもメディアでも飛び交っている。

また、ヒラリーが負けた理由に関しても様々な分析がされている。

だが、これらはどれも非常に既視感のある光景である

細かく見るとキリがないので、大きく2つの敗北を取り上げようと思う。

2005年 EU憲法批准否決

欧州では、「欧州のための憲法を制定する条約」(欧州憲法条約)の批准に関する国民投票が、フランス5月29日オランダ6月1日に行われ、両国ともに否決された。これは欧州連邦国家としようと考え、EU間の国境をなくしたいと考えていたリベラルに大きな精神的打撃を与えた。

また、選挙結果分析した結果、低収入低学歴の層だけでなく女性中道穏健左派も反対票に多く投じていたことが分かった。

国境文化を超越し、EUという大きな枠組みの中で共生しようという思想のものが、一部のエスタブリッシュメント高学歴若者しか支持されていないことを明らかにした。

2008年 アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙

2008年8月25日火曜日から8月28日木曜日コロラド州デンバーで行われた2008年民主党全国大会で、ヒラリー・クリントンを退け、大統領候補バラク・オバマが選出された。

オバマの勝因は中流階級民主党内では比較保守的白人男性票、中立に近い若者票を多く集めたことと言われており、多くの白人エスタブリッシュメント層はヒラリーを支持していた。相対的リベラルでない層に支持された側が勝利したと言えるだろう。

余談であるが、このときリベラル系のメディアが"ヒラリー女性であるから負けた"という類の主張をしていた。実際はヒラリーオバマに対して『shame on you』という親が子に使うような強い表現で名指しの批難をしたことが大きいと言われている。

そして2016年 Brexitアメリカ大統領選挙

10年前のこれらの出来事から欧米リベラル層は成長しているのだろうか。

"それでもグローバル化の流れを止めることはできない"などとは良く聞く言葉ではあるが、本当にそうだろうか。

今回、本題とは少し逸れる為に取り上げなかったが、多くの移民流入テロの影響を受け、EU理念の根幹をなすシュンゲン協定への圧力が非常に高まっている。また、現時点でさえ厳格化が進んでいたアメリカ入国審査移民ビザ審査トランプ政権により、一層厳しいものへとなるだろう。

10年後の欧米リベラルはどのような主張を行い、政治的にどういう立場になっているのだろうか。。。

2016-11-07

響け!ユーフォニアム5話 関西大会スタッフから見た感想

増田は昇降禁止お姉さんみたいなものです。(正しくはお姉さんを指示してた人)

何十回と使っててコンクール中はチーフとして動いたり、舞台装置動かせてもらえてたくらい慣れ親しんでいる場所なので、興奮しました。

(もう違うので書ける)

尼崎にあるアルカイックホールと呼ばれる会場が舞台(数年前名称変わってたな)

外観はサイトで見ていただいて分かるとおり、アニメは忠実に再現

写真をとるための広場や会場入り口あんな感じ。

楽器置場は都ホテルニューアルカイック。

吹奏楽コンクール間中はあそこが楽器置場として使われる。(繋がっている。聖地巡礼は難しいかと)

バスが止まってたところはホテル側だろうか。ホール駐車場屋根の下なので明るくないし広くない。

素晴らしかったのはホール内。(聖地巡礼たかったら吹奏楽するか芸能人になる)

下足箱が完全再現。大量の緑のスリッパに、並んだローファー。妙な狭さ。

コンクール仕様に整備された地下のリハーサル室。緑のシート。赤いカーテン(確か鏡だったかな)

指揮者台と椅子もリハ質付属のもの。完全再現

楽器を出し入れしてた場所は中の声聞こえるんだろうか?まぁいいや。

舞台裏再現。垂れ下がってるコードまで!

ただ待機場所あんなにばらけさせてはもらえない(奥の方で整列して静かにしないと怒られる)

テレビを見ているのは舞台上に学校名などをアナウンスする女性。(あとくそ忙しいのにサボってるスタッフ

あのでこぼこした反響板が一気に動くので、曲終了少し前にはあの裏に居たら超怒られる(頭打って死ぬから。あのホールで唯一気を付けないといけない場所

あのホールの素晴らしさは客席の壁が何故か煉瓦張りなところと、凸凹反響板。

書き込み完璧だった。あの反響板が関西でも音響最高と言われるホールを作り出している。(「音響家が選ぶ優良ホール100選」にも選ばれている)

ライト完璧。実際舞台から見たコンクール仕様で設置された景色

あのホールはよく目に見えないレベルの埃とライトキラキラするので、演奏家になると実際に久美子が見ていた指揮者けが浮かぶ幻想的な景色が見れる。

客席もなにもかも、そっくりそのまま。

全く気にならないけど一応現実と違う点を言うと、会場スタッフもっと多い。

地元ボランティア吹奏楽部学生OB楽器を運び、舞台設置をして、案内をしている。

コンクールメンバーに選ばれなかった生徒たちが待機するのは上手側(アニメは下手側だったかな?)

なのでアニメの倍は人が居る。

リアルを追及すると、あの裏には緊張による過呼吸などで倒れている学生が居たりする。

あとこのアニメには色々ツッコミどころはあるんだけど…………(コーチ少ないとかレッスンしてないとか赤リボンコンクールには出ないとか)

それでもリアリティが凄い!内部のドロドロや、一人楽器に向き合うからこそ起こる友人との共依存関係

モデル校の服装もなんとなくわかる。

増田の下の学年も同じ中学から大量にきて、ある時一気に辞めたので、胃が痛い

胃が痛くなりながら見ている!

全国大会には行ったことが無いので、普門館描写が楽しみ。

このアニメが夢の全国大会に連れて行ってくれるのかなぁと期待しています

リアルすぎて、いろいろ思い出して、5話は泣いちゃったよお姉さん。

2016-11-04

大会関西大会演奏の違いについて - TVアニメ響け!ユーフォニアム2』#5

長尺を使って描かれた関西大会における北宇治演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。

そしてそれは府大会関西大会演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、

の二つが論点になる。

 

積み増されたコンテクスト

端的にいえばみぞれ希美確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明やすいのが麗奈ソロパートなのでそこに触れる。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964

上記は府大会関西大会演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットソロを下支えする久美子と彼女幻視した大吉山でのシーンが描かれている。

大会は直前にトランペットソロ麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しか麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初うつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈ソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。

関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれ希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。

ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれ希美お話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器けがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美コンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。

ここでとても面白いのは、麗奈ソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。

 

シーンを音によって裏打ちする

正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。

ぜひ府大会関西大会演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈ソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。

たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。

続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。

これは、臨時講師橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい

 

そのとき希美は何を思ったか

傘木希美現在フルートパート担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会まさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的みぞれやAメンバーを支えている。

しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパート担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである

それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれオーボエソロときに初めて顔に出る。

https://i.gyazo.com/06b7e5cfb22dec64999f0fa202731f57.png

舞台からみぞれオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美

大会オーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。

ここから一貫してみぞれ舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しか希美がその輪に加わることはない。

https://i.gyazo.com/df1f0bac8c9ab5c3824e7d9738ff6157.png

https://i.gyazo.com/814767fa1286d18a63ec9d61f5171438.png

それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。

少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美感情フィルムに乗ることで、関西大会演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年コンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。

 

全国大会での演奏が今から楽しみ

関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。

「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」

「なに言ってるんですか。今日最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから

「そうだったね。そういえば、それが目標だった」

久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。

これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。

あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会映像、それが今から楽しみでならない。

 

ユーフォ感想一覧

2016-10-28

残酷さを描ききらなかったTVアニメ響け!ユーフォニアム2』#4

エロゲー批評空間https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/)には“なりそこね”というタグがある。名作になりそこねたという意味だが、それに倣うなら神回になりそこねた4話だった、ということになろうか。

映像演出は本当に素晴らしかった。みぞれの頬に落ちる優子の涙、みぞれを暗がりから光の射す場所へとすくい上げる優子、希美の「きゅーん、としてさあ」に撃ち抜かれるみぞれなど判りやすい箇所は言うに及ばず、心情を映し出す表情や、そんな顔をあえて映さず手元の動きで表現するカットなど、画面からにじみ出る感情の豊穣さに圧倒されっぱなしの30分だった。

が、それでもなお神回には届かなかったという結論は変わらず、そしてそれは原作横溢していた残酷さが意図的オミットされていたからに他ならない。

以下、原作ネタバレを含んで感想を書きつける。

 

残酷コンクール

一期からアニメを見てきた視聴者には明白だが『ユーフォ』は残酷さを多分に含んだ物語だ。努力してきたのにパート演奏を外れるよう指示された久美子に、後から入ってきた一年最後コンクールソロパートを奪われる香織。特に香織は、かつての“楽しい思い出づくり”という部の方針によって実力上位にも関わらず上級生へとAメンバーを譲ってきた過去があり、最後コンクールには期するところがあった。しかし新顧問の滝と決めた“全国大会出場”という目標に従って新入生の高坂麗奈ソロパートを吹くこととなった。

どんなに努力をしても席には限りがある。それに自分が座れるとは限らない。『ユーフォ』はそういう物語だ。

そして原作2巻、アニメユーフォ2』では「コンクールってなんだろう」ということを通してソレを照射する。

2巻のメインキャストのひとりである鎧塚みぞれコンクール否定的な考えを持っていた。

「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」

「でも、そういうのなんとなくしかたないかな、って……思っちゃってます

しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」

すみません……」

「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」

はたまた吉川優子は「納得いかないことが多いのは確かなんじゃない。でも、結果がよかったら納得できる。今のあたしたちみたいにね」と前置きして言う。

「みんな夏休みを潰して練習してる。けどコンクールは優劣をつける。(中略)努力が足りなかった、劣ってたってことにされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、っていう空気がいいかというとそんなことはなかった」

そして高坂麗奈はこう言う。

「よく音楽は金銀銅とかそんな簡単評価できないって言うひとがいるけど、あれを言ってもいいのは勝者だけだと思う。下手なひとが言っても負け惜しみしかないと思うし。だからけっきょく上手くなるしかないと思ってる。それに、たくさんのひとに聴いてもらえる機会ってそんなにないから。……わたしは好き」

三者三様ではあるが、ここで浮き彫りになるのはコンクール演者の積み上げてきた努力感情に対し残酷に優劣をつける場ということだ。それに傷つく者もいれば、上手くなるしかないと思う者もいる。どちらが正しいとかではなく向き合い方の違いだが、いずれにせよ久美子たちが立ち向かっているコンクールはそういう残酷さを孕んでいる。

 

もっと残酷友情の不均衡

ユーフォ』における残酷さの表現はそれだけにとどまらない。むしろ#4に関してはこっちが本論にあたる。それが鎧塚みぞれと、過去部員大量退部事件の際に吹部を辞めた傘木希美軋轢だ。

軋轢といってもみぞれ一方的感情をこじらせているだけで、希美はそれに気づいておらず今も仲の良い友人だと疑っていない。しかしここではそれに気づかれてさえいないというところがみぞれ絶望をより深くする。

オーボエ奏者である鎧塚みぞれ内向的性格で友人がほとんどいない。そんな自分に声をかけ、吹部へ誘ってくれ、日々を楽しいモノに変えてくれたかけがえのない友人が傘木希美だ。だが希美中学ときに吹部の部長をやるだけあって友人が多く、みぞれはその中のひとりにすぎない。だから上級生と揉めて吹部をやめるときみぞれ相談はおろか報告もしなかった。希美が辞めたことを、みぞれ上級生に訊ねて初めて知った。みぞれ希美の中における自分存在の小ささに酷く傷ついたのだ。しかし、そのことはどこまでも希美に伝わらない。原作から引用する。

もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」

(中略)

 べつに、大丈夫。そう、みぞれが小さく首を横に振った。

勘違いなんて、してない」

この断絶!

みぞれ自分の中の希美と、希美の中のみぞれの大きさの違いに傷ついている。その差の大きさに泣きそうになっている。しかしそんなみぞれ感情は、これっぽっちも伝わらない。

「ほんまに? わたしやばいことやってへん?」

「うん。大丈夫

 みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、舌の裏側がざらりとした。

そばでそれを見守っている久美子には、ふたりの温度差が見えている。が、この歪みはアニメ版からオミットされてしまっていた。

理由はいくつか考えられるし、興味もあるが、ここでそれは論じない。この残酷なシーンには何の意味があるのかということについて考えたい。

 

残酷さの果てに報われるということ

ところで原作を読めばこの場でもっと残酷なのはみぞれだ、というところにだいたい落ち着くと思う。

アニメでもがっつり描かれたが、暗闇でひとり膝を抱えるみぞれを光の射す場所にすくい上げたのは他でもない優子だ(ちなみにみぞれ希美、優子、夏紀は同じ南中出身で、前者の3人は吹部だった。最後の府大会まさかの銀賞を取ってしまい、高校では絶対に金賞を取ろうと約束している(いちおうアニメ版でも僅かに入る回想でそれが判るようにはなっている))。

優子はみぞれに友人として強い好意を持っていた。しかし「だって、私には希美しかいないから」と言われてしまう。「そしたら何! みぞれにとってあたしは何なの!」と優子は怒るわけだが、原作は一歩進んでえげつない

「きちんと話してみ」

「え、でも、」

大丈夫、うちがついててあげるから

 優子は力強く断言すると、ずいとみぞれ希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。希美はそれに視線を落とし、一瞬だけ切なげに目を細めた。

(中略)

 みぞれの瞳が小さく揺らめく。その唇が、安堵したような息を漏らした。優子の制服から、伸ばされていた手が離される。

みぞれ希美との話し合いの最中、優子にすがっていた。しか希美との和解成るや優子から手を離すのだ。アニメ版あすかが穿ったことを言うのはこのことを指している。

さらみぞれは「もしよかったら、練習付き合ってくれる? 私のソロ、聞いてほしい」と希美に言う。希美から言い出すアニメ版とは逆なのだ

手を伸ばさな希美に、気を良くしたみぞれ自分から手を伸ばす。

この時、自身をすくい上げてくれた優子の手を、みぞれがもう片方の手で握るなんてことはない。優子はどこまでも置いてけぼりにされる。

「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」

しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」

「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」

かつてコンクールが持つ残酷性を批判希美が持つ無邪気な残酷さに涙したみぞれは、希美との形ばかりの和解に舞い上がり、かつて自分が受けた傷を優子につけるのだ。

香織の一番にもなれず、みぞれの一番にもなれない優子。彼女がこんどは残酷さの犠牲となるのか。いや、違う。

「でもさ、みぞれにはあんたが居てよかったと思うよ」

夏紀のひとことが優子を救う。

https://i.gyazo.com/7f157970e8ac9305555ba6c672244440.png

希美に向けてみぞれが満面の笑みを見せたとき、その後ろで優子はどんな表情を浮かべていたのだろう。

おそらく。

おそらく夏紀はそれを見ていたはずだ。優子の胸のうちに想いを馳せたはずだ。だから優子の行動をちゃんと報いたのだ。

残酷さの果てには哀しみだけが待っているんじゃない。心でつながっている友人が、あるいは神様がちゃんと見ていてくれて報いてくれることだってあるはずだ。残酷さの先にあるのは希望なのかもしれないのだ。

原作が描ききった残酷さの向こう側。それを零してしまったTVアニメ響け!ユーフォニアム2』#4。

できれば攻めきってほしかった、そう思った。

 

ユーフォ感想一覧

2016-10-25

接客王になって時給40円アップ、一方大企業現場仕事

QCサークル全国大会や社内コンペで優勝してもボーナス1万とかだぞ。社員管理ポスト登用はもちろんないし賃金テーブル上がるとかすらない。派遣パートもっと悲惨社員登用してもらえると思って張り切ってやってる。登用なんてほぼないのに

2016-10-07

君の名は。』に限らずアニメ絡みの地方論が置き去りにしていること

君の名は。」が物凄い勢いで流行っている。

興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。

 

それ故に、作品情報ネットをやっていると否応なしに目につく。

ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、

pixivニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。

当然、各種論評も多く、肯定的ものから否定的ものまで、

演出に注目したものから制作体制スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。

自分ネタバレの類を全く気にしない人間なので大丈夫だが、

事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。

 

さて、そんななか自分ツイッターとある記事が流れてきた。

記事の名は、こちら

 

君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの

無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

現代ビジネス 貞包 英之氏)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49807

 

「興味深い見方だった」という肯定的コメントがつけられていたことと、

サイトランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、

いざ読んでみると、

 

「ふむふむ。」

「……ん?」

「はぁ!?何言ってるの?」

 

となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分君の名は。」未視聴なのに!

そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、

ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。

 

※取りあげる記事ネタバレ前提で書かれているため、この記事ネタバレ全開です。

また、重ねて申し上げますが、筆者は原作未視聴です。

公式サイトなどで可能な限り情報収集しましたが、至らぬ点がございましたらご容赦ください。

 

記事主題について

序盤・中盤で「君の名は。」について色々分析しているものの、

この記事の主点はあくま地方論であり、作者の主張はこうである

これはなかなかツッコミを入れたい主張である

特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、

戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。

地方を賛美することへの反省」など、なおさらである

片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、

というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、

さも、地方鬱屈を描き安易地方賛美にNoと主張するのが、

戦後アニメマンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。

 

アニメ漫画地方を描くということ

アニメ地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。

実在風景を背景とした漫画アニメが増えたこと、

それに伴い、聖地巡礼アニメによる町興しが注目されていること、

経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、

などが理由として考えられるだろう。

 

しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。

それは「地方であれ、都会であれ、あくま舞台舞台」ということである

 

原義通りの舞台、つまり演劇での壇上を想像してほしい。

細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果音響がある、

それらが充実しているか、特色だっているかは、作品評価を左右する一要素かもしれない。

しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である

 

まりはこうである

地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。

しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。

 

ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作ゲームで、アニメ化されている作品である

この作品舞台とある架空地方都市

そこは大型総合スーパー進出し、地元商店街がその影響で衰退している。

要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や

実家のために地元から離れられない旅館の娘がいる。

こう見ると、まさにこの作品地方の屈折した部分を描いた作品である

 

では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定留保を付け加える」作品だろうか。

自分はそうは思わない。

 

ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、

この作品リア充ゲーム揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。

主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。

 

ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。

それも違うだろう。

 

この作品テーマ公式サイトに明確に書いてある。

「“推理サスペンス”を題材にしたRPG」だと。

まり地方都市性質描写は極めて重要位置にあるのは確かだが、

それとメインテーマ別にあるのである

 

このように、地方である・都会であるというのは、

舞台の基本設定として極めて重要であると同時に、

舞台の基本設定であるが故に、物語主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。

その舞台登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、

そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである

(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。

 

また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。

良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、

良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である

そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台地域は後味よく描かれることになる。

そして、娯楽作品である以上、漫画アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト

どちらが多いかといえば、それは前者の方である

 

これに加え、

人間、そう簡単地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら

ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。

高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。

背景が実在場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、

一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、

それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、

個々の人物を見ると行動範囲はそこまで広くない。

 

旅行登山ツーリング即売会遠征趣味である

学校行事である修学旅行部活全国大会など)

・身内の都合です(転校など)

・突然ワープしてました

 

これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活から離れて動かない。

からそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。

描かれる街が単一都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、

舞台となる地方物語の展開に連動して明るくに描かれるのである

そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、

記事のようなアニメ地方を考えた論評にありがちな

舞台である=描かれた地方作品の重大なテーマである、という構図は

必ずしも成り立たないと思うのである

 

東京vs地方という二項対立

この記事に対して気になるところがもう一つある。

というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも

違和感を感じ、反論したい部分がある。

 

それは、全体として東京仮想敵としている所である

君の名は。ハッピーエンドの場が東京であったことの不満、

東京が揺らがなかったことへの不満、

壊滅した糸守の人物たちが東京へ移ったことに対する不満、

そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。

東京隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。

 

この観点において、もっと瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である

 

物語あくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京故郷幻想特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。

 

これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。

瀧は東京まれである高校には友人がいて、バイト先もある。

それに付随した人間関係や馴染みの店もある。

ならば、彼の故郷新宿区であるのは明白であろう。

 

東京という町が生まれて150年弱、

高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。

当然、そこで生まれ、育ち、その場所愛着を持っている人が存在する訳であり、

東京まれ故郷のないという構図は非常に抵抗を感じる。

 

というよりも、この作品地方東京の対比が大きな要素でもあるのだから

双方ともに住んでいる街を故郷と思えるような愛着知識

人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。

 

もしテロ地震があり、瀧自身や近い関係人物危害があったら、

もしくはアトラス的何かで新宿が壊滅したら、

それこそゴジラが来て東京全部焼き払ってしまったら。

そして、惨事を避ける手段が目の前に提示されていたのなら。

 

きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。

さも片方に地元愛がないような表現は、私はどうかと思う。

 

地方物語に都合よく変えて消費するな」という意見は、

地方研究している人ならば主張することは正しいと思う。

規模が小さい、独自性があるなどの性質から創作世界において、

物語を進めるための非現実的な設定を地方押し付けられる傾向が強いということは事実である

 

君の名は。においても、神事伝承隕石自治体消滅など、

ファンタジー色の強い部分はほとんど糸守町が担っているし、

栃木弁とも茨城弁とも福島弁もつかないようなアクセント

パロディに満ちた謎の施設人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、

地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、

悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。

地方を味方する立場活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、

作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである

 

しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。

そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。

批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナーテレビ朝日東宝に対して

向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。

地方を「消費」可能商品に仕立てているのは、(所在大都市かもしれないが)

作者および制作組織であり、大都市のものでは決してないのである

 

地方大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。

しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、

という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。

不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。

 

まあ、ガルパンひぐらしの扱いもそれ以上に気になったんですけどね。そういう作品じゃないでしょw

2016-10-02

全日本吹奏楽コンクールチケット転売問題を考える

今年も全日本吹奏楽コンクールチケットネットオークションに出回り始めました。

Twitterをみていると、次々に怒りのコメント投稿されています

感情的にも、倫理的にも転売行為容認できないことはよく分かります

でも、「転売行為は許せない!取り締まれ!」って言ってる人は、思考停止しているのではないでしょうか?

取り締まりを強化することが転売行為を無くすベスト方法なのでしょうか?

もう少し深く考えてみることにしました。

そもそも問題なんだろうか?

法的、倫理的問題があるかはここでは考えません。あくまでも経済的な側面から考えます

オークション高額取引される、ということは、全日本吹奏楽コンクール興業としての経済的価値相対的に高くなっているということだと思います

これ自体は素晴らしいことだと思います。全てのチケットオークションで5倍の値段で取引されたとすれば、興業としての経済的価値も5倍ということになります

まり消費者側は全日本吹奏楽コンクールに対して数倍のお金を払うだけの価値を認めているにも関わらず、そのお金の向き先を上手くコントロールできていないために、不正業者にその大半のお金が渡ってしまっているのです。

私は、これだけのお金が、きちんと吹奏楽界に還元されるようになってほしいと思っています

取り締まれば良いのか?

取り締まりを強化すると、不正業者が淘汰され、より洗練された不正業者けが生き残り、手口が高度化されるだけです。

言葉を選ばなければ、ゴキブリのようですね。

本人確認の徹底や、スマートフォンなどを使った認証なんかを導入したとしても、吹奏楽連盟不正業者の高度化に投資しているようなもので、全く意味は無いと思います

大事なのは需要供給バランス

当たり前の話ですが、そもそもなぜ転売行為が成り立つのかと言うと、需要に対して供給が少な過ぎるという構図になっているからです。

需要は「全国大会見に行きたい!」というもので、供給は「全国大会チケット枚数」です。

この需要供給バランスを調整することが、チケット転売問題解決する方法なのではないかと思います

供給を増やせるか?

簡単に思いつくのは、「需要がたくさんあるんだから供給を増やせばいい」という策です。

しかしこれは現実的ではありません。

もっとデカいハコでやろうにも、既に全国大会が開かれるホールはどれも、音楽ホールとしては日本国内最大規模のホールです。まさか東京ドームや、武道館でやったら審査なんてできません。

また、全国大会複数日程にすることも、出演する学生負担を考えると現実的には不可能です。

あくまでも興業ではなく、コンクールであることを考えれば、やはり供給を増やすことは難しいと思います

需要を減らせるか?

私が有効だと思うのはこちらです。

需要を減らす?吹奏楽の発展と真逆じゃないかけしからん!」という声が聞こえてきそうですね。まあ、思考停止せず最後まで読んでください。

チケットを買って生の音楽を聴きに行く、これは音楽を楽しむとても良い方法だと思います

しか21世紀の今、これが唯一の方法かと言うと、決してそんなことはないと思います

要は、全日本吹奏楽コンクールを楽しむ方法の中で、「チケットを買って会場に聴きに行く」という体験価値が、相対的に高すぎる状態になっているんだと思います

例えば、仮にDVDで鑑賞するという体験もっともっと楽しければ、2万円払ってチケット買うより、7000円でDVD買った方がお得だな、と考える人もでてきます。(残念ながらDVDではそこまで楽しい体験提供できていないので、この例ではあまり説得力がありませんね。)

そこで、どんな体験であれば、2万円払ってチケット買うよりこっちの方がいいかも、と思えるか考えてみました。

全日本吹奏楽コンクール

近年NHK紅白歌合戦で同時に開催されている、裏紅白というコーナーがあります。これは、ステージ紅白歌合戦が行われている間、お笑い芸人バナナマンホール一角で、ひたすらトークをしているというものです。最近はこれが見たくて紅白を見ている人もいるようです。

吹奏楽コンクールでもこんなコンテンツリアルタイムに有料で配信したら面白いと思います。親子室の一室に作曲家演奏家を招いて、演奏についての感想や、演奏されている楽曲について喋っている様子が、演奏とともにリアルタイムで楽しめるのです。裏紅白と同じ要領で、演奏が終わった団体指揮者ゲストとして出てきてもらうのも良いかもしれません。

楽器店同時中継イベント

感想を語り合うことも吹奏楽ファンにとっては重要な楽しみの一つです。

そこで、楽器店などで全日本吹奏楽コンクール同時中継イベントを行うというアイデアがあります

吹奏楽に関して、集まった人同士で自由感想を語り合い、盛り上がれる環境ほとんどないと思います

地元楽器店に行けば全日本吹奏楽コンクールの同時中継が見れて、同じ趣味地元の人たちと繋がれる、というのはなかなか面白いかもしれません。

映画館での同時中継

テレビPCで中継を見たのでは、臨場感が足りない!という人もいるでしょう。

そこで、映画館での同時中継をしてはどうでしょうか?

最近ではお笑いライブの同時中継など、映画館リアルタイムコンテンツを楽しむという事例もあります

近所の映画館吹奏楽コンクールの同時中継を見れたら、近隣の学校吹奏楽部の生徒さん、ものすごく喜ぶと思います

ただ、丸一日映画館の中に座ってるのも辛いですし、最近シネコンは入れ替え制がほとんどなので、仕組みとしてそれなりに工夫が必要だと思います。(例えば、小規模なシアターを1日貸し切るなど)

イノベーションファーストで考える

いずれのアイデア完璧とは程遠いと思いますし、これですべての人の需要に応えられるとも思いません。「それでも会場に行って聴きたい」という人の需要供給を上回ると思います

それでも多様な楽しみ方ができるようになることで、少しはコンクールチケットへの過剰なお金の流れを分散することはできると思います

「言ってることはわかるけど、吹奏楽でそんなことできるわけない」そんな風に感じている人も沢山いると思います

日本吹奏楽には歴史があり、吹奏楽コンクール運営する吹奏楽連盟にも歴史があります歴史があることで新しいことにチャレンジしにくいのかもしれません。

それでも、「イノベーションを起こせない業界は必ず衰退する」のが21世紀だと思います

私は吹奏楽界が健全に発展してほしいと心から願っています

今回テーマとして取り上げたチケット転売問題は、もしかしたら取るに足らない問題なのかもしれません。

しかし、その問題本質とイノベーティブな解決策を考えて真剣に取り組めば、吹奏楽界はお金以上に得られるものがあると思っています

私のような一ファンができることはそんなに多くはありません。それでもファンがみんなで真剣に考えて、インターネットというオープンな場で建設的な議論を重ねることで、吹奏楽界に少しは良い影響を与えられると思い、この投稿を書きました。

匿名ブログ投稿した理由は、今現在私が自分の好きなことを書くためのブログを持っていなかったためです。

筆者はこの↓podcastで喋っているアマチュアの方の人間です。

カイセのセカイ – 吹奏楽・クラシック音楽談義 配信中!

意見お待ちしております

2016-09-23

子ども遠征費の募金

全国的ものなのか、ローカルものなのか分からないけど、

会社で、子ども野球チームとかバレーボールチームとかに入ってて、

全国大会に行くってんで、費用を募るヤツが何人かいる。

それが不愉快

知らねーし。

お前の子もの趣味に何で金出さなきゃなんねーんだよ。

さないけど。

でも直属の上司だったりすると、オレもホラ、外面いいからさ、出すけど。

不愉快

会社プライベート持ち込むなっての。

自腹で行けや。

2016-09-20

幸福の科学合唱団

本日おこなわれた全日本合唱コンクール東京支部大会に、幸福の科学合唱団が出場。

ちょっとおもしろかったので備忘録的に記す。

真っ白いテカテカの衣装を身にまとい、出演者が登壇。

男性白衣のような服、女性ドレス肩に紐状の飾り(将軍とかが身につけてるやつ)を装着。

現実的というか、シュールというか、すごい服装である

見た目のインパクトで観客も少しざわついていた。

ひょっとして幸福の科学の正装なのか?と思い画像検索したが、大川隆法天使コスプレをした画像しか見つからなかった。

課題曲はいいとして、自由曲は「勝利の歌」、作詞松本弘司 作曲:水澤有一

作詞者、作曲者ともに信徒らしく、過去にも幸福の科学のために作品を残しているらしい。

どんな歌なのかドキドキしていたのだが、予想通りエルカンターレの讃美歌だった。

演奏が始まる前は、金に物を言わせてクオリティの高い映画アニメを作っている幸福の科学のことだから

ひょっとして合唱もかなりの実力があるんじゃないかとドキドキしていた。

全国大会まで行って、エル・カンターレ宣伝をされたらたまったものではない。

しかし、それは杞憂で、まぁひどい演奏だった。というか、エル・カンターレの前で披露したら怒られるんじゃないかな。

基礎出来てないし、そもそも音取れてないし…。

やはり信者だけで回しても良いものは作れないのだろう。

まぁしかし、今でこそ幸福の科学カルトだが、数十年後には大きな団体になっているかもしれない。

こいつらの悪趣味政治文化に持ち込まれるのは、本当に御免だ。

創価学会しなの合唱団は、名前の通り創価学会合唱団だが、歴史も実力もありとても良い演奏をする。

やはり創価学会というのはそれだけ力を持った集団なのだと思う。

同様に、幸福の科学合唱団演奏聴くことで、幸福の科学の実力が測れるかもしれない。

今後、賞を取るような合唱団に成長していくようなら、要注意だ。

2016-08-19

吹奏楽コンクールって言うほど大事か?

http://www.j-cast.com/2016/08/18275579.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2016/08/18275579.html

俺も高校時代20人そこそこの吹奏楽部の一員だった。地区大会で金賞もとったことあるよ。でも俺なら100%甲子園選ぶと思った。

吹奏楽部は年中コンクールのために練習してるわけではない

吹奏楽部にはコンクールの他にもさまざまなイベントがある。ウチの場合は最大のイベント定期演奏会であり、

他にも高文連や地域吹奏楽祭、学祭学校の内外の様々なイベントに参加する。

ぶっちゃけ俺なんかは、早くコンクール終わって定期演奏会練習したいなーと思ってた方だ。

21人の吹奏楽部

名門の吹奏楽部だと100人くらいいて、その中からコンクールの大編成に出場できる55人を選抜するわけだ。

それに対して21人の吹奏楽部というのは、通常地区大会の最小編成(小編成は全国大会が無いので人数の規定地区によって違う)

25または30にも満たない数字だ。

これはどういうことか。あくまで俺のいた吹奏楽部の例だが。

まあだいたい毎年10前後の新入部員が入って、何人かは辞めながら20数名になる。

10名のうち楽器経験者は3,4人ってところで、あとは未経験者だ。

当然補欠はいないので、楽器を持って数カ月の連中がコンクールに出るわけだ。やっと音が出るようになった奴もいれば、

ほとんど音も出せなくて楽器を持ってるだけのやつもいるかもしれない。

なんでそれで金賞を取れるかというと、他所も似たようなレベルからだ。

要するに、俺のいた部活なんかは完全にエンジョイ勢なのだ。某アニメとはまるで別の世界なのだ。冬場なんかは練習に2,3人しか来なかったりする。

そんな俺らの部活がもし甲子園にいけるとなったら、全員コンクールよりも甲子園を選んでたと思うよ。野球応援楽しいしな。

まあ君らはもし、あの生徒らから甲子園自分達で選んだ」って証言があったとしても圧力があったとかいって信用しないんだろうけどね。

2016-08-18

甲子園応援なんて勘弁してくれ(by元・吹部)

https://www.buzzfeed.com/takumiharimaya/brass-band

この記事見て、本当に頭にきたので書いておく。

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私は中高と吹奏楽部で、

毎年県コンクールやこの記事でいう北九州大会のような規模で金賞まで取れるぐらい頑張っていたんだけど、

甲子園応援とかこれはいくらなんでもないわ。

私がもし同じ立場で、高3だったら、絶対コンクールへ行って応援なんて行ってないですね。絶対

私は野球が嫌いだ。これは、死んでもそのことはなくならんだろう。

甲子園がなぜきらいのか。

そうですね、それ以前に野球が嫌いだからです!!!

小学生時代野球少年いじめられたことが原因で野球が嫌い。

テレビの中継やニュースになるとトップで伝えるでしょう?それが嫌。

そして新聞はじめマスコミが大々的に取り上げることも嫌。

なんでそんなにトップニュースのように大きくに取り上げるの?

意味が分からない。

そもそも、甲子園応援ってなんのためにあるんだ?

にぎやかしか野球部員の活気づけか?学校名誉のためにあるのか?

学校運営費がほしいとか?それなら天理でも創価でも金銭問題のあった大阪桐蔭でもあるでしょうが

まさか部活全国大会(いわゆる甲子園)に行ったからってお金もらえますよ♪なんて滑稽な話。

春も夏も暑い炎天下の中、

野球部員はもとより吹奏楽部員もチアリーディング部もその関係ない応援する生徒教諭もつらくていやがるでしょうが!!!

応援というより、もう、甲子園なんてなくなったら?もう15年ほど思っています

そもそも甲子園の良さなんてわからないし

野球なんて最低のスポーツだ、私にとってはな!

言いたいことは山ほどあるが、こういうことをなすくためにも

春のセンバツ夏の甲子園をやめたらどうですか、高野連の皆さま!

2016-07-18

緒戦負けの涙

俺の母校は、何年かに1度、甲子園に出られるような

運動でも勉強でも生徒を集めて、その中の極々少数の生徒が果たした大きな成果を

学校全体の誇りにするタイプの私学だったが、俺の所属していたバスケ部は弱かった。

弱かったが、練習毎日あったし土日もあった。

長期の休みだってお盆とか2、3日程度の休みはもらえたが、基本的には部活だった。

海やプールへ繰り出して、同年代の女の水着を見ておかなかったことが悔やまれるが、

女っ気の一切ない部活中心の高校生活もそれはそれで楽しかった。

土日の練習では寝坊してサボることもあったが(無断欠席より遅刻して行ったほうがその日食らう罰が重かった)、

練習に出たら、基本的に声を出し、よく動いていた。

しかし、元々下手くそだったのと、サボっていたことによる顧問から評価中学ではスタメンだった俺が、

3年間1度も公式戦に出場することはなかった。

3年生最後の緒戦、俺の高校は負けた。

俺以外にも3人、3年間1度もユニフォームを着れなかった制服姿の同級生と(うち1人は1年次、公式戦出場経験有)

メガホンを持った練習着姿の20~30名程度の下級生を従え、制服と白い手袋までして応援団長を気取っていた俺は

「あー、これで明日から体育館行くことはなくなるのか…」

とか、そんなことを思っていたと思う。

もっと真面目に取り組んでおくべきだった。

練習に対する顧問の考え方への不満を行動で示せれば良かった。

試合に出たかった。

などということは一切思わなかった。

さっきも言ったが、部活のお陰で高校生活は充実していた。

部活仲間とは今でも交流がある。

でも、この高校バスケ部では、こういう振る舞いをする他なかった。

から、後悔もないし涙も出なかった。

会場にいた似たような他校も、やはり涙を流している生徒がいたという記憶はない。

高校野球中継は好きでよく見るが、

コールド負けしているような高校でも涙を流している姿を目にすることは珍しくない。

あれは何なのか。

硬式野球全国大会に出場するなんて、全部活の中で一番難しいのではないかと思う。

関東の話をすれば、甲子園へ出場するのは私立で、10年に1度、公立が出られるか出られないかとかそんなレベル

しかも、各校スタメン出身中学を見ると全国から集まってきている。

緒戦コールド負けするような公立高校に、はなからチャンスなどないのが事実

でも、実際は負けて涙を流す弱小ナインをよく見る。

いくら弱小校でも少年野球から10何年も続けた野球が終わるからなのか。

何らかの後悔なのか。

あの涙の成分は何なのか不思議しょうがない。

ベスト32ぐらいの高校が涙を流すのはまあ理解できる。

たぶん、本気で部活に取り組んでいただろうし、本気で甲子園を目指していただろうし。

ベスト8ベスト4ぐらいまで来ると、カメラワークによってはこっちまでもらい泣きしそうになることもある。

でも、弱小校のお前らはちょっと待てって。

高校野球高校バスケ程度の注目度だったら、

3アウト取られた時、俺や俺が見た他校の連中と同じような振る舞いをして、涙なんか出やしないんだろ?

高校野球が注目されるコンテンツから、弱小といえどもその一端になれているってことに酔っているからこそ出る涙なんだろ?

もし、注目度が全くなくて、それでも涙を流すんだとしたら、それはただただ羨ましい。

2016-07-14

人畜無害が嫌われるのは自己愛が透けて見えるから

http://anond.hatelabo.jp/20160713233611

気持ちはすごくわかる。自分もかつてはそうだった。

ここでは利他性と強さの2つの要素に分けて、独自定義し、話をしたいと思う。

 

利己であると嫌われやすく、利他的であると好かれやす

利己的な人は総じて嫌われやすい。ただし、後述する「強さ」がずば抜けている場合、その限りでは無い。

逆に、利他的な人は好かれやすい。そして、その度合いはその本人の「強さ」に比例する。

弱ければ嫌われやすく、強ければ好かれやす

あなた集団の中の立ち位置で強い立場であれば嫌われにくい。

この強さには能力や成果、集団に対して与えるメリットなども含まれる。

立場が上であれば、話が面白ければ、何かの全国大会優勝者であれば、とんでもなくダンスがうまければ、

そうで無い場合と比べて好かれやすい。

逆に、その人に得意分野が何もなければ軽んじられやすい。

嫌われないように振る舞うのに嫌われるのはなぜか

嫌われないように振る舞おうとすると利他的な行動になるはず。にもかかわらず嫌われるのはなぜか。

それにはいくつかの理由が考えられる。

まず、上述の通り弱い場合

自分の得意分野がなにもなく、ただぼーっと生きていれば軽んじられるし、能力が低ければ邪魔扱いされ嫌われやすくなる。

次に、利他性を示しても利己性が透けて見える場合

人に嫌われるのが怖い、自身の身の安全を守るために利他的に振る舞っているのが透けて見えると、

そこから利己性を感じ取られてしまう。その結果嫌われてしまうのだ。

どうすればいいか

人に嫌われるのを恐れなくなったら逆に人から好かれるなんて経験談を目にすることがある。

自分もこれを経験したが、その理由を書きたい。

それは、人目を気にせず自分のやりたいことを求める姿勢が強さとして捉えられるからだ。

加えて、その姿勢を続ければ、追及した分野の知識や経験がその人に力になるから、結果本当に強くなる。

弱いのに自分を磨かなければ弱いままだ。

その状態集団に入ろうとすれば、集団からすれば資源を奪われ、お荷物しか無い。

結局、人に好かれるためには、自分自身を成長させるしかないのだ。

増田は何か一つ、これだけは負けないという分野を作ると良いだろう。(もちろん一般受けしないものは避けるべきだ)

また、嫌われたく無いという本音は弱さにつながるので、極力見せないほうが良いだろう。

2016-06-21

或る愚か者の吐き捨て

私はとても怖くなっていた。

私がとあるもの全国大会へ通ってしまっただけで、人が優秀である勘違いしてくるのである。そして、才能があると言ってくる輩もいる。私には才能なんてものはない。私にあるものはほんの少しの虚勢と愚かな心だけである

私はどんなに自分が愚かであることを言ったとしてもそれを認めてくれる人はいない。謙虚なことを言っているという扱いになってしまうのであった。

私がその全国大会というものに通ってしまったのは、おそらく私の実力でないと確信している。事実、私以上の実力者から「贔屓されている」ということを書かれているくらいには通ることが絶望的な人間であったと自覚している。

そして、周りはこういってくるのだ。「努力が実ってよかったね」

私は平々凡々、そして何よりこんなところへ来るべきでないくらいの愚か者であった。

少しだけ通った当初は自惚れてしまったが、現在自分の実力の無さを恥じて、努力するしかなくなっていた。

今の立場がきつい。

2016-06-13

大食いを好きになれない

大食いはもはや市民権を得ていると思うけれど

どうしても好きになれない

アスリートと一緒にしているのもすっごい違和感がある

足が速くなりたいとは思うし

マラソン走れる人を凄いとは思うけれど

たくさん食べられるようになりたいとは思わないし

食べられる人を凄いとも思わない

小さい頃に「足が速い奴スゲぇ」っていう風潮はあっても

「たくさん食べられる奴スゲぇ」っていうのが無かったからなんだと思う

「たくさん食べてたくさん動くやつスゲぇ」ってのはあったけど

「たくさん食べるくせに普段普通の奴マジクズ」って感じだったと思う

そりゃ地域によっては「たくさん食べる奴スゲぇ」ってのがあったのかも知れないけど

少なくとも学校単位大食い競争してるとこは聞いたことないし

大食い高校生全国大会とかも聞いたこと無い(ありそうだけど)からマイナーなんだろう

それなのにテレビ番組になると大食いが幅を効かせているのが凄い違和感を感じる

みんな本当にスポーツ選手を見るような憧れの目で見ているんだろうか

2016-06-03

定番お約束が生まれない現代

一週間以内に部員10人集めないと廃部だ!全国大会に行けないと廃部だ!とか

主人公が躓いて、ヒロインを押し倒してしまう。時間が止まったように見つめ合う二人。触れそうになる唇。慌てて我に返る二人……とか

そのほか腐るほどお約束の展開ってあるけど、もちろん世界最初にそれを考えついた人は凄いとして、それを真似た人も功労者だよね

で、その真似をさらパクる奴がいて、さらさらパクる奴がいて…

って流れを汲んで、「お約束の展開」としてみんなに認知されるようになったわけだ。

昨今のネット文化、粗探し文化炎上文化により少しでも似通ったことすれば祭り上げられ叩かれる。

結果、「新しい定番」「新しいお約束」はもう生まれないだろう。

このテーマ突き詰めていくとパクリオマージュリスペクトパロディ論争に発展して収拾つかなくなるからここで打ち切るけど

何にせよ今後新しい定番が生まれないのはそれはそれでさみしいことだと思う。

2016-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20160530121311


俺がお気に入りにしてるイメクラ嬢、地元ハンドボールが強い高校レギュラーだったってさ。

全国大会まで行って体育系大学からスカウト受けたけど、スポーツで食っていけないと思って資格取得できる専門学校行ったんだと。

資格とったけど給料少なくて続かなくって、夜の仕事に落ち着いたとか。

でも、夜に染まるとヤバイと思って今は昼職バスガイドやってんだよと。

何を言いたいかというと、男と女ではスポーツやってた経歴の価値がたいぶ違うと思うんだが、どうなんだろう。

男は就活とかモテとかで報われる場面もあるかもしれないが、女の場合は(特に目立った実績なければ)たんに人生経験が狭まるだけなのでは。。

2016-05-29

正論じゃ救われない。

東大文学部卒おばさんが、何がもったいないのか解説するよ

http://anond.hatelabo.jp/20160524012315

久々にはてなを開いてこれを読んで、やっぱり増田っていいなと思い、久しぶりに書きたくなった。

当方、今回の学歴論争のキッカケになったブログ主と同じ大学出身男性

学歴に関しては、色々言われるよ、やっぱり。

同じ大学を出た人と比べると給料の低い仕事に就いてるから、「もったいない」的なことを言われたこともある。

そういう言葉が気にならないといえば嘘になるけど、自分としては納得して職業選択してるので、楽しく生きてます

しろ大して中身もないのに出身大学言っただけで一目置いてくれる、っていう役得も同じくらい大きいと思う。

ハードル上げられるのは辛いところもあるけど、「やっぱり」とか「さすがだね」って言ってもらえるように頑張ってる。

ところで、ブコメ散見された、以下のような意見

自分が決めたことなんだから他人がとやかく言うことじゃない。そんな気にしないで好き勝手やればいいじゃない」

正論だし、議論は最終的にこれに行き着くと思う。

でも、いわゆる「学歴逆差別」に悩む人は、こういう正論じゃ絶対に救われないんだよね。

俺の同期の話なんだけど、この「逆差別」に悩んだ結果、

ネットワークビジネスマルチと言われたりもする)にガッツリはまっちゃった人がいる。

そのはまったキッカケってのが、その同期が学歴逆差別に悩んでた時に、

「このビジネス学歴とか関係なく稼げるよ」

学歴なんて関係ない、みんな仲間なんだよ」

っていう勧誘が心に響いたこと、だったらしい。

これは根の深い問題だと思ったよ。

その同期は勤めてる会社出身大学で変に持ち上げられて、疎外感とか、孤独を感じてたんだ。

(その人の態度に依るところもあるかもしれないけど)

でも、そういう人ほど「出身大学」が自信になってて、心の拠り所でもあったりするんだよね。

救いを求めてそれを自ら投げ捨てて、余計に自信がなくなって、薄っぺら人間関係に寄りかかる。

結局何ひとつ救われてない。

何でこんなこと書いたのかというと、元のブログが消えちゃってたから。

「ああ、このブログ主は救われなかったんだな」と思ってしまたから。

「じゃあ、どうすればいいんだよ」と言われると何も言えないし、

その同期に対して何かしようとも思わない。(割と冷たい人間なのです)

でも、ひとつ言いたいことは、学歴だけを特別能力と思わないでほしいってこと。

俺は人に学歴のことを話すとき、「なんかのスポーツ全国大会に出た」くらいに考えてくれ、と言う。

その大学に入るために努力はしたし、部分的には人より秀でたところがあるかも知れないけど、何でもかんでも出来るわけじゃない。

ただ、こっちも「学歴を鼻にかける」わけじゃないけど、そう思われるような行動や発言無意識にしてるとも思うんだよね。

そこはいつも気をつけてる。

というわけで、持ち上げるでもなく敵視するわけでもなく、「得意分野がひとつある」くらいに思って頂けると、お互い幸せなんじゃないかと思うよ。

2016-05-20

学校ダンスの授業が嫌いだった

本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。

個人的ダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しか学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったか無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。

嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である自分学校進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校ダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンス振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチ集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。

また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から全然上がらないんです。

嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近学校はどうだか知らないが、自分学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」であるしかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団運動神経神経悪い芸人の共演であるテレビだったら死ぬ面白い絵面だろう。しか自分芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。

最後の嫌いな理由は「練習であるイソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生時間練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しか勉強に比べてダンス技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。

応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人から特に脱出出来なかった。

因みに自分学校期末試験の終了数時間後に、体育祭ダンス練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。

しか学校ダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれダンスの授業を嫌がっていた。

他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。

数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛時間しかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか

自分ダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。

実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい

後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しか普通の人にとっては自分運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。

2016-05-03

[]

トリツカレ男を読んだ。すごくあたたかな内容の小説だった。大人童話。短いのに充実感で胸がいっぱいです。

この小説はなんといっても、トリツカレ男ことジュゼッペの人となりが愛おしい。

ある一つのことに馬鹿みたいに熱中して、どんなことでもプロ顔負けの練度にまで達してしまうジュゼッペ。取り憑かれる事柄はどれもこれも奇想天外で、例えばオペラに、次には三段跳びに、その次には探偵ごっこに熱を上げてしまう。熱中する切っ掛けも馬鹿げていて、オペラならラジオで下手な芝居を聞いたから始まったのだし、三段跳びバッタを見てたら突然衝き動かされてしまったのだという。

その上、どれもこれも違う熱中対象出会ってしまうと、ぱたりとやめてしまう。三段跳びでは世界新記録を叩きだして全国大会まで駒を進めていたのに、大会当日になって探偵に取り憑かれてしまっていた。せっかく応援に駆けつけたのに、町の人々はまたかと苦笑することしかできない。

この取り憑かれは本人の意思関係なく発生するようで、時と場合によっては周りの人がひどく迷惑することになる。オペラの時はところかまわず歌うもんだから周りの人は騒音に悩まされてしまうし、なぞなぞに取り憑かれてしまった時なんて、働いているレストランで客に謎かけをするもんだからものすごく疎まれしまった。

取り憑かれは節操が無い。語学学習に熱中し、潮干狩りに熱中し、昆虫採集に熱中し、競歩に熱中する。使いもしないサングラス収集し、誰も見たことがないくらい大きな雪だるま作りに性を出し、つなわたりを極めようとしてしまう。

代わる代わる、ある一つの物事ブレーキが壊れてしまった自転車のように突き進むもんだから、町の人は優しく呆れながらジュゼッペのことをトリツカレ男と呼んでいるのだ。

そんな素敵な素敵な彼がとある女性に取り憑かれてしまうのが本作なんだけど、火を見るより明らかな恋心がとても微笑ましい。相棒の人語を操るハツネズミ皮肉屋だけど可愛らしい。物語重要人物にあるタタン先生エピソードでは思わず目頭が熱くなってしまった。

みんながみんな真っ直ぐで、お馬鹿で、一生懸命なのだ最後まで読んで、この物語をぎゅっと両腕で抱きしめてあげたいような心地にさせられた。

ところどころ毒が利いてるのもよかった。一時間ほどで読める一冊だけど、充実した読後感が得られる小説でした。

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