はてなキーワード: オーボエ奏者とは
この判決は非常に重要なもので、朝日新聞とかが馬鹿みたいに批判しているけど、当然です。
これ、反差別界隈とかジェンダー平等も同じね。実力ではなくマイノリティとか女性というだけで就職できたり、学者になれたり、マスコミの記者になれる。
現に、暇空茜は報道しない。ジャニーズは犯罪者と決めつけて報道する極悪女が存在します。
最高裁判所、大学の入学決定に人種を利用する判決でアファーマティブ・アクションを拒否
6-3のアファーマティブ・アクション意見で、最高裁判所は大学入学の要素として人種を利用することは憲法修正第14条に違反するとの判決を下した。
アンダース・ハグストロム、 ブリアナ・ハーリー、 ビル・ミアーズ、 シャノン・ブリーム、 ヘイリー・チーシン| 著 フォックス・ニュース
SCOTUS積極的差別是正措置判決、判事の間で「激化」:シャノン・ブリーム
主任法務記者シャノン・ブリームが、アファーマティブ・アクションに対する最高裁判所の判決を解き明かします。
米国最高裁判所は木曜日、アファーマティブ・アクションに関する重要な判決を下し、大学入学の要素として人種を利用することは憲法修正第14条の平等保護条項に違反するとして却下した。
ジョン・ロバーツ首席判事は6対3の判決で、多数派意見の中で、「例えば、人種差別を克服した学生への利益は、その学生の勇気と決意と結び付けられなければならない」と述べた。
「あるいは、その伝統や文化がリーダーシップの役割を引き受けたり、特定の目標を達成したりする動機となった学生への利益は、その学生が大学に貢献する独自の能力と結び付けられている必要があります。言い換えれば、学生は以下の基準に基づいて扱われなければなりません」人種に基づくものではなく、個人としての経験だ」と意見書には書かれている。
「多くの大学は、あまりにも長い間、その逆のことを行ってきました。そしてそうすることで、個人のアイデンティティの試金石は、乗り越えた課題、培ったスキル、学んだ教訓ではなく、肌の色であるという誤った結論を下してしまいました。歴史はその選択を容認していない」と意見書は述べている。
ロバーツ判事にはクラレンス・トーマス判事、サミュエル・アリト判事、ニール・ゴーサッチ判事、ブレット・カバノー判事、エイミー・コニー・バレット判事も加わった。
ソニア・ソトマイヨール判事が主な反対意見を書き、エレナ・ケーガン判事と、ハーバード大学の監督委員会での以前の役割を理由にハーバード大学訴訟から身を引いたケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事も一部参加した。
バイデン大統領は木曜日午後12時30分にこの決定についてコメントを発表する予定だ。
判事らは、私立のハーバード大学と公立のノースカロライナ大学が教室の定員をどのように決定するかについて、2つの別々の法的異議を申し立てた。
これらの有名な学校は、自分たちの基準には、将来のリーダーのために堅牢で知的に多様性のあるキャンパスを推進するという、裁判所によって数十年にわたって支持されてきた、より大きな社会的目標があると主張している。
しかし、アジア系アメリカ人の学生連合は、この基準は「人種的ペナルティー」で差別されており、多くの黒人やヒスパニック系の学生よりも選択的に高い基準を課していると主張している。
学生活動団体「Students for Fair Admissions」は、ハーバード大学とノースカロライナ大学の両大学に対して訴訟を起こした。同団体は当初、2014年に公民権法第6編に違反したとしてハーバード大学を告訴したが、同法は「連邦資金やその他の連邦財政援助を受けるプログラムや活動において、人種、肌の色、国籍に基づく差別を禁止する」と定めている。
ハーバード大学に対する訴状では、ハーバード大学の慣行がアジア系アメリカ人の学生に不利益を与え、人種中立的な慣行を採用できなかったと主張している。ノースカロライナ州の訴訟では、人種に基づいていない慣行が学校の学力を低下させたり、キャンパスの多様性から得られる利益に悪影響を及ぼしたりすることを示さずに、大学が非人種に基づく慣行の使用を拒否できるかどうかという問題が提起された。
判事がハーバード大学、UNC最高裁判所でアファーマティブ・アクションをめぐる議論を審理
米国第一巡回区控訴裁判所は、地方裁判所の裁判員裁判の結果を支持し、ハーバード大学に有利な判決を下していた。地方裁判所は、ハーバード大学に対する証拠は決定的ではなく、「観察された差別」は少数のアジア系アメリカ人学生にのみ影響を与えたと述べた。SFFAはこの訴訟において資格を有さないとの判決を下した。
UNCの訴訟では、連邦地方裁判所は同校の入学慣行は厳しい監視に耐えたとして、同校に有利な判決を下した。
ロバーツ氏は多数派意見の中で、ハーバード大学とUNCの入学プログラムはいずれも「人種の利用を正当化する十分に焦点を絞った測定可能な目標が欠けており、人種を否定的な形で採用せざるを得ず、人種的な固定観念を伴い、有意義な最終目標を欠いている」と述べた。
「我々は入学プログラムがそのような形で機能することをこれまで一度も許可したことがないし、今日もそうするつもりはない」と同氏は述べた。
クラレンス・トーマス判事は多数意見に同意しながらも、自身の考えについては別の同意書を書いた。
同氏は、「今回の決定は、大学の入学政策をありのままに見るものだ。入学するクラスに特定の人種を確実に混入させるよう設計された、舵のない人種に基づく優先政策である。これらの政策は、色盲の憲法と国家の平等に反するものである」と述べた。端的に言えば、それらは明白に、そして大胆に憲法違反である。」
「私は、私の人種と差別に苦しむすべての人々に降りかかった社会的、経済的惨状を痛感しているが、この国が独立宣言と憲法で明確に宣言された原則を遵守するよう、私は絶え間ない希望を抱いている。米国:すべての人間は平等に生まれ、平等の国民であり、法の下で平等に扱われなければならない」とトーマスは書いた。
アファーマティブ・アクションの訴訟は、ジョン・ロバーツ首席判事とサミュエル・アリト判事がハーバード大学の弁護士セス・ワックスマン氏を激しく非難するなど、この期間に最高裁判所の建物内で行われた中で最も活発な法廷討論の一つを引き起こした。
アリト氏はワックスマン氏に、アジア系アメリカ人の学生が他の人種に比べて出願書類の個人スコアがいつも低いのはなぜかと尋ねた。ワックスマンは判事の質問を迂回して話したため、アリトは弁護士に不満を抱いた。
アリト氏は「アジア人に与えられる個人スコアの差についてはまだ説明を聞いていない」と語った。
その後、ワックスマンはロバーツと緊迫したやりとりを繰り広げた。判事は、ロバーツによれば人種は何らかの影響を与えるに違いないが、そうでなければ人種は考慮に入れられないのに、なぜワックスマンが入学決定の要素として人種を軽視したのかを尋ねた。
ワックスマン氏は、「ハーバード・ラドクリフ管弦楽団がオーボエ奏者を必要としている年に…オーボエ奏者であること」と同じように、「一部の優秀な応募者にとって」人種は決定的なものだったと認めた。
「私たちはオーボエ奏者を巡って内戦を戦ったわけではない」とロバーツ氏は言い返した。「私たちは人種差別をなくすために内戦を戦ったのです。」
オコナー率いる法廷多数派は、少数派のロースクール志願者に対するミシガン大学のアファーマティブ・アクション政策を支持しながら、次のように警告した:「我々は、今から25年後には、利益を促進するために人種的嗜好を利用する必要はなくなると予想している」本日承認されました。」
19 年が経ち、6 対 3 の保守派多数派が現在、大学が競争入学プロセスの一部として人種を利用することを阻止しています。
FOXニュースのタイラー・オルソン氏がこのレポートに寄稿した。
Makes sense. So, does this also mean "AA" in employment, handouts, government loans, and other areas of life are also unconstitutional? (And yes, corporate America says there are no race-based quotas for hiring in large meetings but then set up individual manager & HR meetings where hiring is analyzed for the manager's team and managers are told to focus on certain groups based on race.)
理にかなっています。 では、これは、雇用、給付金、政府融資、その他の生活分野における「AA」も憲法違反ということになるのでしょうか? (そう、アメリカ企業は、大規模な会議では採用に人種に基づくノルマはないと言っているが、個別のマネージャーと人事会議を設定し、そこでマネージャーのチームの採用が分析され、マネージャーは人種に基づいて特定のグループに焦点を当てるように指示されている。)
That's not true. There are plenty of examples on Linkedin and other public forums of corporations hiring for a specific race
それは真実ではない。 Linkedin やその他の公開フォーラムには、特定の人種向けに企業を雇用する例がたくさんあります。
これジョークね。
This is a fantastically accurate ruling. It is about time the court affirms what is basic common sense. Judging anyone (positively or negatively) based on race IS racist. The simple statement "we want to make sure we have diversity", goes in with the racist assumption that race defines the diversity of who you are. Every individual is diverse. Their life experience is unique. There are some shared experiences for individuals of certain similar upbringing, but the assumption that a certain "race" brings "diversity" IS racist.
これは驚くほど正確な判決だ。 そろそろ法廷が基本的な常識を肯定する時期が来ている。 人種に基づいて誰かを(肯定的または否定的に)判断することは人種差別主義者です。 「私たちは多様性を確保したいと考えています」という単純な発言は、人種によって人間の多様性が決まるという人種差別的な思い込みと結びついています。 すべての個人は多様です。 彼らの人生経験はユニークです。 特定の似たような生い立ちを持った個人の間で共有される経験はいくつかありますが、特定の「人種」が「多様性」をもたらすという仮定は人種差別的です。
Amazon Prime Videoのおすすめが定期的に話題になるが、見ようと思ったらプライム対象外になってた…ってことが割とある。ならAmazonオリジナルなら消えないのでは?と思いオリジナル作品からいくつか感想など書いてみた。そんなに見てないので大したリストにならなかった。アマプラ入ってる人は大抵見てるだろう。今から入るって人にはちょっと参考になる…か?
どれ見たか思い出すためにWikipediaの「Amazonが配信するオリジナル番組のリスト」を見てわかったが、Amazonオリジナルと表記されていても「買い取り」作品の場合は配信が終了することかある。現に評判の良かった「Mr.ロボット」はアマゾンでの配信は終了してしまっている。「リーガルバディーズ フランクリン&バッシュ」も一度配信終了リストに載った(現在配信中)。
アメドラ見てる人ならどこかで見たことがある、色んなドラマに(主に)悪役ゲストで出てるタイタス・ウェリバーが主演の刑事もの。顔つきからダーティコップものかな?と思わせて割と真っ当な刑事っぷり。人気が出てS7まで製作され、現在スピンオフの「ボッシュ: 受け継がれるもの」S1配信中。
個人的にはS1はいまいちだがS2からはめちゃくちゃ面白かった。脇のデカ箱+ビア樽コンビが最高。
ちなみにスピンオフは「買い取り」作品なのでいつか見られなくなるかもしれない。
syfyチャンネルでS3まで製作され打ち切られたがベゾスが大ファンだったためにAmazonで拾われたハードSFドラマ。
S1序盤は地味だがどんどん盛り上がっていく。S4からはまた地味になるが。宇宙船や戦闘の描写がいいんですよ。ちゃんと宇宙船に穴が空くし。
サイコサスペンス…サイコスリラーかな?S1はジュリア・ロバーツ主演、S2で完結。一回30分なので見やすい。S1では過去のアメリカの復員兵の復帰支援施設での出来事と、そこで働いていたケースワーカーのハイディの現在が交互に描かれる。とにかくS1の不穏な空気感が良い。演出が素晴らしい。Wikipediaにはズバッとネタバレが書かれているのでネタバレ嫌い組は見てはいけません。
話題になったので知っている人も多いであろう、ブラックな笑いのヒーロー物。かなりグロ。エロもある。話は面白い。ホームランダーが取り繕っていたものがどんどん剥がれていく。
ニューヨークのオーケストラにいたオーボエ奏者による回顧録を原案とし、南米から来た天才指揮者ロドリゴ(デュダメルがモデル)と新人オーボエ奏者ヘイリーをメインにオーケストラをめぐる人間模様や楽団の現実問題等を描く。
自分の中のイマジナリーモーツァルトに話しかけてるロドリゴ、楽団に入りたいヘイリー、ヘイリーのルームメイトのリジー、予算確保に走り回る総裁グロリア、ちょいちょい口を出したがる名誉指揮者トーマスなど脇の人々もみんなチャーミングで良い。S3のシベリウス5番のシーンが美しい。
S4は日本が舞台になるが、変なロボと変なクラオタが出てくる。あんなチンピラみたいなクラオタおらんやろ…面白いからいいが。
画集からインスパイアされたというSFドラマだけど、装置や研究の謎は特に明かされたりしないのでSFっぽい雰囲気のドラマ、って感じ。北欧の田舎の薄暗い空気と佇むなぞのロボ、って絵はたっぷり味わえる。そういうの好きな人におすすめ。
最近公開されたクリス・プラット主演のお父さん復讐もの。クリス・プラット、今回はシリアス演技。アクションは金かかってて見ごたえはある。
これ書いてる今現在3話まで見た。配役の人種がどーたらこーたらと色々物議醸してて、検索してもストーリーの感想までなかなかたどり着かん。個人的には人種は気にならないけど、ヌメノールでのガラドリエルが若者ムーブ過ぎてちょっと気になる。ガラドリエルでも若い頃はあんなもんなんだろうか。
新聞の読者投稿欄の恋愛物語を一話完結でドラマ化。S1はいい感じにオチもある物語が多くてほっこりします。
死後に脳内の記憶をバーチャル空間にアップロードして金がある限り永遠に生きられる世界のコメディ。金が無い人はアップロードしても容量の問題で一日に数分しか活動できなかったりという世知辛さ。主人公がアップロードされた経緯に不審な点があり…とサスペンス展開に。
イーガンで似たような設定あったなと思い出す。
オカルト事件を解决していくコメディ。面白かったけどS1で終わってしまった。
ハルマゲドンを阻止しようとする天使と悪魔、人間のオカルトコメディ。悪魔たちは悪魔の子を人間の子とすり替えるが、うっかり間違ってすっかりいい子に育ってしまうのであった。地獄の番犬もかわいいわんこに。
その他、マーベラス・ミセス・メイゼル、スニーキー・ピート、子供向けだとまほうのレシピ、ゴーティマー・ギボンが評判いいみたいです。そのうち見る。
元英軍兵士で今はホテルのナイト・マネジャーであるパインがかつて殺された恋人の復讐をすべく、武器商人ローパーの組織に潜入。ドキドキスパイもの。
トム・ヒドルストンとエリザベス・デビッキが美しい。ちなみにタイトルはナイトマネジャーだけどマネジャーやってるの序盤だけだった。
スター・トレックの続編ドラマ。親友データを失い、失意のうちに実家のぶどう畑でワインを作っていたピカードのもとに一人の女性が助けを求めて現れる。
スター・トレック全然見てないんだけど、冒頭の掴みが好みすぎて見てしまった。面白かった。
本国アメリカではパラマウントの配信サービスにて配信中なので、最終シーズンはアマゾンでの配信がないかもしれない。悲しい。
二人の破天荒弁護士のドタバタコメディ。よくありがちな深刻な展開がなく気楽に見られる。嫌味な同僚や弁護士の父親との確執もあるにはあるが、全員アホなので全然深刻にはならない。「シリコンバレー」のディネシュ役の人が広場恐怖症の弁護士役で出てくるが、ほぼディネシュ。
あとグッドオーメンズと原作者一緒ということでアメリカン・ゴッズはS1だけ見た。かなり暗かった。
ハンズオブゴッドは1話でやめてしまった。つまらんとか面白いとか言えるほど見てないが、単に1話目の殺人シーンとかが辛くて。
エロゲー批評空間(https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/)には“なりそこね”というタグがある。名作になりそこねたという意味だが、それに倣うなら神回になりそこねた4話だった、ということになろうか。
映像や演出は本当に素晴らしかった。みぞれの頬に落ちる優子の涙、みぞれを暗がりから光の射す場所へとすくい上げる優子、希美の「きゅーん、としてさあ」に撃ち抜かれるみぞれなど判りやすい箇所は言うに及ばず、心情を映し出す表情や、そんな顔をあえて映さず手元の動きで表現するカットなど、画面からにじみ出る感情の豊穣さに圧倒されっぱなしの30分だった。
が、それでもなお神回には届かなかったという結論は変わらず、そしてそれは原作に横溢していた残酷さが意図的にオミットされていたからに他ならない。
一期からアニメを見てきた視聴者には明白だが『ユーフォ』は残酷さを多分に含んだ物語だ。努力してきたのにパート演奏を外れるよう指示された久美子に、後から入ってきた一年に最後のコンクールのソロパートを奪われる香織。特に香織は、かつての“楽しい思い出づくり”という部の方針によって実力上位にも関わらず上級生へとAメンバーを譲ってきた過去があり、最後のコンクールには期するところがあった。しかし新顧問の滝と決めた“全国大会出場”という目標に従って新入生の高坂麗奈がソロパートを吹くこととなった。
どんなに努力をしても席には限りがある。それに自分が座れるとは限らない。『ユーフォ』はそういう物語だ。
そして原作2巻、アニメ『ユーフォ2』では「コンクールってなんだろう」ということを通してソレを照射する。
2巻のメインキャストのひとりである鎧塚みぞれはコンクールに否定的な考えを持っていた。
「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」
「でも、そういうのなんとなくしかたないかな、って……思っちゃってます」
「しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」
「すみません……」
「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」
はたまた吉川優子は「納得いかないことが多いのは確かなんじゃない。でも、結果がよかったら納得できる。今のあたしたちみたいにね」と前置きして言う。
「みんな夏休みを潰して練習してる。けどコンクールは優劣をつける。(中略)努力が足りなかった、劣ってたってことにされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、っていう空気がいいかというとそんなことはなかった」
そして高坂麗奈はこう言う。
「よく音楽は金銀銅とかそんな簡単に評価できないって言うひとがいるけど、あれを言ってもいいのは勝者だけだと思う。下手なひとが言っても負け惜しみでしかないと思うし。だからけっきょく上手くなるしかないと思ってる。それに、たくさんのひとに聴いてもらえる機会ってそんなにないから。……わたしは好き」
三者三様ではあるが、ここで浮き彫りになるのはコンクールは演者の積み上げてきた努力や感情に対し残酷に優劣をつける場ということだ。それに傷つく者もいれば、上手くなるしかないと思う者もいる。どちらが正しいとかではなく向き合い方の違いだが、いずれにせよ久美子たちが立ち向かっているコンクールはそういう残酷さを孕んでいる。
『ユーフォ』における残酷さの表現はそれだけにとどまらない。むしろ#4に関してはこっちが本論にあたる。それが鎧塚みぞれと、過去の部員大量退部事件の際に吹部を辞めた傘木希美の軋轢だ。
軋轢といってもみぞれが一方的に感情をこじらせているだけで、希美はそれに気づいておらず今も仲の良い友人だと疑っていない。しかしここではそれに気づかれてさえいないというところがみぞれの絶望をより深くする。
オーボエ奏者である鎧塚みぞれは内向的な性格で友人がほとんどいない。そんな自分に声をかけ、吹部へ誘ってくれ、日々を楽しいモノに変えてくれたかけがえのない友人が傘木希美だ。だが希美は中学のときに吹部の部長をやるだけあって友人が多く、みぞれはその中のひとりにすぎない。だから上級生と揉めて吹部をやめるとき、みぞれに相談はおろか報告もしなかった。希美が辞めたことを、みぞれは上級生に訊ねて初めて知った。みぞれは希美の中における自分の存在の小ささに酷く傷ついたのだ。しかし、そのことはどこまでも希美に伝わらない。原作から引用する。
「もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然。みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」
(中略)
「勘違いなんて、してない」
この断絶!
みぞれは自分の中の希美と、希美の中のみぞれの大きさの違いに傷ついている。その差の大きさに泣きそうになっている。しかしそんなみぞれの感情は、これっぽっちも伝わらない。
「うん。大丈夫」
みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、舌の裏側がざらりとした。
そばでそれを見守っている久美子には、ふたりの温度差が見えている。が、この歪みはアニメ版からオミットされてしまっていた。
理由はいくつか考えられるし、興味もあるが、ここでそれは論じない。この残酷なシーンには何の意味があるのかということについて考えたい。
ところで原作を読めばこの場でもっとも残酷なのはみぞれだ、というところにだいたい落ち着くと思う。
アニメでもがっつり描かれたが、暗闇でひとり膝を抱えるみぞれを光の射す場所にすくい上げたのは他でもない優子だ(ちなみにみぞれ、希美、優子、夏紀は同じ南中出身で、前者の3人は吹部だった。最後の府大会でまさかの銀賞を取ってしまい、高校では絶対に金賞を取ろうと約束している(いちおうアニメ版でも僅かに入る回想でそれが判るようにはなっている))。
優子はみぞれに友人として強い好意を持っていた。しかし「だって、私には希美しかいないから」と言われてしまう。「そしたら何! みぞれにとってあたしは何なの!」と優子は怒るわけだが、原作は一歩進んでえげつない。
「きちんと話してみ」
「え、でも、」
優子は力強く断言すると、ずいとみぞれを希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。希美はそれに視線を落とし、一瞬だけ切なげに目を細めた。
(中略)
みぞれは希美との話し合いの最中、優子にすがっていた。しかし希美との和解が成るや優子から手を離すのだ。アニメ版であすかが穿ったことを言うのはこのことを指している。
さらにみぞれは「もしよかったら、練習付き合ってくれる? 私のソロ、聞いてほしい」と希美に言う。希美から言い出すアニメ版とは逆なのだ。
手を伸ばさない希美に、気を良くしたみぞれは自分から手を伸ばす。
この時、自身をすくい上げてくれた優子の手を、みぞれがもう片方の手で握るなんてことはない。優子はどこまでも置いてけぼりにされる。
「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」
「しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」
「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」
かつてコンクールが持つ残酷性を批判し希美が持つ無邪気な残酷さに涙したみぞれは、希美との形ばかりの和解に舞い上がり、かつて自分が受けた傷を優子につけるのだ。
香織の一番にもなれず、みぞれの一番にもなれない優子。彼女がこんどは残酷さの犠牲となるのか。いや、違う。
夏紀のひとことが優子を救う。
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希美に向けてみぞれが満面の笑みを見せたとき、その後ろで優子はどんな表情を浮かべていたのだろう。
おそらく。
おそらく夏紀はそれを見ていたはずだ。優子の胸のうちに想いを馳せたはずだ。だから優子の行動をちゃんと報いたのだ。
残酷さの果てには哀しみだけが待っているんじゃない。心でつながっている友人が、あるいは神様がちゃんと見ていてくれて報いてくれることだってあるはずだ。残酷さの先にあるのは希望なのかもしれないのだ。
原作が描ききった残酷さの向こう側。それを零してしまったTVアニメ『響け!ユーフォニアム2』#4。
できれば攻めきってほしかった、そう思った。