はてなキーワード: 全国大会とは
https://anond.hatelabo.jp/20171029085625
ひどいディベートの授業の体験増田があったので、ディベート経験のある自分が解説してみる。
ディベート経験は5年くらい。大学から始めて、高校生の指導やディベート甲子園の運営、全国大会出場などをしてきた。
何について討論するのかを決めなくてはいけない。
元増田にあった、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」ではディベートにしづらい。中高生では基本的に政策ディベートというものを論題にする。
例えば、「日本は生徒のルーズソックスの着用を禁止すべきである」
という、行うことがはっきりしており、肯定と否定に分かれる事ができるテーマが望ましい。
また、現状で肯定側と否定側の意見が戦えるほど現状の価値観が偏っていない論題が望ましい。
もしルーズソックスは校則で禁止されてる場合は、この論題をすべきではない。
今までディベート甲子園で行われた論題はここにある
http://nade.jp/koshien/proposition
ゆるい論題だと、「ドラえもんは未来に帰るべきである」「日本の学校は制服を廃止すべきである」などがある。
これは大前提。1チームは2~4人。というのも、スピーチをする機会というのは試合を通して4回しかないからだ。
自分の考えとは関係なく、機械的に決めたほうがよい。また複数回行い、肯定側・否定側を両方経験することが望ましい。
ディベート甲子園では、試合当日に肯定側か否定側のどちらになるのかが決まり、複数回試合をする。
ディベートをするには、立論というものを最低限準備する必要がある。これは討論の土台となるものである。
肯定側は、論題を肯定する政策の中身と、それを行ったときに発生するメリットを説明する。
この立論がディベートの試合の中で土台となり、試合の一番最初にスピーチする。そこから討論を行っていく。
逆に立論中に述べられなかった論点は後から出してはいけない。出してしまっても審判は、その発言を無効と判定する。
なので言いたいことはできるだけ立論にいれる。中学生なら4分、高校生なら6分にまとまるよう原稿を用意する。
メリットは、「現状分析」「発生過程」「重要性」の3つから構成される。
現状分析では、主にルーズソックスが規制されていない状況で起きている問題について説明する。
できるだけ問題が大きいことを主張する。例えば、ルーズソックスを履いていることで犯罪に巻き込まれやすい、と設定する。
この問題を具体的に説明できるよう、資料を集める。例えば、高校生が犯罪巻き込まれる率、ルーズソックスを履いている高校生への印象調査、声をかけやすいと言った定性的な資料など。
発生過程では、ルーズソックスを規制したときに、この問題が解決されることを立証する。
現状では、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる であるが、
プランを実行すると、規制されるとルーズを履いてくると怒られるので履かない→下校時に遊びに行くが、声をかけられる率が減る→トラブル減少
というルートを立証する。
重要性では、このメリットが発生したときに、それがどれだけインパクトがあるのかを示す。
青少年のトラブルは精神に悪い影響を与え、学業を疎かにさせる。それは国全体の産業と競争力に大きく影響してくる。
できるだけ大きいほうが良いが、大きくするとそれだけ立証が甘くなるので注意。
デメリットは、「現状分析」「発生過程」「深刻性」で構成される。
現状分析では、現状で特に問題が起きていないことを述べる。現状サイコーという訳である。
週5日も校則され時間の大部分を占める学校生活でみんなルーズソックスを履いていきて、おしゃれとして、自己表現として楽しんでいる。
発生過程では、立てるデメリットが起こる過程を立証する。デメリットを「多様性の低下」としてみる。
ルーズソックスが規制される→学校に履いてこれなくなる→時間の大部分を占める学校生活で自己表現ができなくなる→画一的な人格が形成される
とか。演繹的に論理の矢印を作ったら、主張を補強する資料を集める。
「ルーズソックスは私を表現するもの」と言っている資料だったり、服装の厳しい学校の卒業生はクリエイティブな職業に就く割合が低いみたいな資料を探す。
深刻性では、デメリットが発生した場合にどれほど深刻なのかを述べる。
画一的な人格形成によって、クリエイティブな思考が苦手で国際競争力が低下するとかかな。あまりよい深刻性が思い付かないが。
ここまで準備して始めて試合ができる。
各側の発言機会は4回。スピーチ担当者以外は話してはいけない。(準備時間を除く)
①肯定側立論 4分
②否定側質疑 2分 (肯定側立論にわからないことを質問する。反論はNG)
③否定側立論 4分
④肯定側質疑 2分
⑥肯定側第一反駁 3分 (否定側立論に反論する + 否定側第一反駁の反論に再反論する)
⑦否定側第二反駁 3分 (肯定側第一反駁に再反論する +議論をまとめる)
⑧肯定側第二反駁 3分 (否定側第二反駁に再反論する + 議論をまとめる)
①発生過程を削る
②重要性(深刻性)を削る
のいづれかになる。
発生過程というのは、A→B→C→Dのようにつながっているものうち、一箇所でも切れば、例えばB→Cを完全に切ると、全く発生しなくなる。
完全に切るのは難しいので、B→Cの半分を削る、という反論の仕方になってくる。
例えば、メリットの現状分析の、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる、だと
1. 規制なくても全員履いてるわけじゃないよね
2. 全員が下校途中に遊びに行かないよね
3. ルーズソックス履いてるからといって声かける人の割合がわからないよね
みたいな反論になってくる
重要性への反駁だと、
みたいな反論になる
ここまでやれたとして、ジャッジができる人間がいないと教育としてのディベートに価値はない。
議論をまとめて、メリットとデメリット、どちらが大きいか判定して、勝敗をつける。
ジャッジは、すべてのミクロな議論について、どういう反論があったかと説明し、最終的にどちらが優勢で、なぜその判定をしたのかを話す。
その結果、立論におけるメリット・デメリットが何%削れたのかを定量的に示す。
先程出てきた
を元に、紙に丸を書いて、メリットとデメリットの大きさを書いて判定するやり方が取られている。
ディベートのジャッジは通常ディベート熟練者が行う。つまり有効なディベートは経験者がいないとまともに成立しない。
ディベートをやるときは、1つの論題に対して数ヶ月かけてリサーチ、立論作成、試合を繰り返し、議論を熟成させていく。
この過程で、反論のポイントの探し方、強固な論理的思考力、頭の回転速度、スピーチの聞き取り及びメモの方法を学んでいく。
ディベートで一人前になるには2年くらいかかると思っている。授業で1回やったとか、企業研修で1日とかでは決して身につかない。
中学校、高校の場合は、地域のディベート甲子園事務局に連絡を取ろう。
それか近くにディベートサークルがある大学を探そう。指導に来てもらえるかも。
大学生・社会人の場合は、サークルに入ろう。探せば色々出てくるよ。
とにかく指導者が付いて、じっくりやらないと身につかない。
http://japan-debate-association.org/contest
想像を絶するスピードと論理、資料の殴り合いが見られて、初見ではほとんど理解できないだろう。
だがこういう世界があるということを知っておくのも良いだろう。
ジャンプでやってる漫画。連載打ち切りの危機を、コアなファンの声のおかげで何度も乗り越えてきた。
読んでないわけじゃないけど正直1話目読んだ時から微妙と思ってた。
絵柄とかではなく、話に入り込めなかった。
強キャラの箔付けの意味で「あいつは国宝〇〇だ」と説明されるが、「国宝」という言葉の定義にまつわるエピソードをやらずにいきなりキャラ紹介と同時に言葉が出てくるので意味が分からない。しかも全国大会では雨後の筍のように、あいつも国宝、こいつも国宝と出てきて、国宝のありがたみが分からない。元横綱が学生時代に「国宝」と呼ばれていてそれを引き継いだみたいなのが最初にあったら分かるが。
漫画にはいろいろな決まり手が出てくるが、リアルなようでいてオリジナルの名前っぽい。リアルの決まり手とフィクションの決まり手の技の違いが分からない。オリジナル技の凄さを、ハッタリでもいいから解説してくれるとありがたい。
スポーツ漫画によくある要素として
主人公入学で底辺から強くなり強豪をどんどん倒していく爽快感がある
野球など皆がルールを知ってるスポーツ以外は、主人公と一緒にスポーツを基本から学んでいく構成の方がわかりやすい
例えば初心者が必死に練習して三年でレギュラー入りして一回戦敗退や、スポーツ経験有りの主人公が強豪校に入学し三年でレギュラーになり全国大会に行くではドラマが地味すぎる
そもそも三年生が主役のスポーツ物がまずほとんどないが、試合に出れないのでは物語にならない
面白く出来るのだろうか
中にはありがたい教育論やご高説を垂れるやつもいる。
だけど、その中で偏差値36の高校でまともに教育受けさせられる奴がどれだけいるのよ。
野球部とは言わなくても、全国大会出場させて、偏差値50以上の大学に一般入試で入学させられる文武両道の教育をちゃんと与えられる奴なんているの?
君らはいつも正論と自分の信じたい理想論で人をぶん殴るけど、自分とは無関係で責任も現実の汚いとこも背負わなくていいとこから石投げてるだけなんだよ。
ネットで許しがたい悪を叩いてる暇があるなら、君らの有り難い教育論で底辺高校の生徒を救ってやってくれ。
そもそも、偉そうに正論や理想論を振りかざすやつは、他人を批判できるほど、理想的で模範的な生活を送ってるの?もう一度自分の胸に手を当てて、その発言にどれだけ実感があるのか考えてみてよ。
弟の夏はもう終わった。
例年より早い終わりだった。
弟は普通だった。
背は低いし積極性はないし人望がある訳でもないし、
かといって問題がある訳でもなく、毎日を滞りなくこなす、ごく普通の少年だった。
弟のこと、どうせ個人競技だろうと思っていたのだが、
彼が選んだのは団体競技、しかもこの学校が強豪と名高いスポーツだった。
家族総出で驚いたのを、よく覚えている。
そのスポーツは、競技人口は少ないのに、この地域ではなぜか盛んだった。
しかもその学校は、公立なのに全国常連という、歴史ある名門だった。
実際、先代は地方大会を難なく勝ち進み、全国大会でも活躍したし、
けれど、弟の学年は、とても弱かった。
少なくて、小さくて、下手くそで。
それが弟のチームだった。
強豪なのに、今年は弱い。
貼られたレッテルも、違わない現実も、相当に重たかっただろう。
父は弟を「谷間の世代」だと言った。
経験者ばかりの後輩たちは、自分たちのほうが強いのに、と思っていたに違いない。
代替わりしてから、弟のチームは公式戦で一度も勝つことがなかった。
夏の選手権を全敗で終えて、弟は初めて泣いた。
多分、たとえ頑張らなくても、試合に負ければ悔しいし、泣きたくなるんだろうと思う。
結局、頑張ったかどうかなんて、結果以上のことは、本人にしか分からないのだ。
でも。
炎天下で真っ黒になって。息苦しい室内で全身汗だくにして。
靴下を体操服を泥だらけにして。練習着もシューズも擦り切れて。
彼の頑張りは、目に見える形で、そこにあったはずだ。
誰よりも頭を回し、誰よりも相手から圧力を受け、誰よりも点の取りにくいポジション。
そこで彼は、速攻を決め、リバウンドを取り、先制点を3も奪ってみせた。
大差がついても最後まで諦めずに、走って走って、一点でも多く取ろうとしていた。
けれど、先生の熱心な指導に、当たり前のように着いて行こうとする子だったのだろう。
「疲れた」としょっちゅう愚痴をこぼしても、「嫌だ」とは一度も言わなかった。
彼なりに、このスポーツが好きだったのだろう。
団体戦というのは、当たり前だろうけれど、一人だけの力ではどうにもならない。
偶然に集った仲間にもよるし、巡り合わせた相手にもよる。運だって人にはどうしようもない。
他のチームが強くて、弟のチームが弱かった。
この結果は、ただそれだけなのだろうけれど。
あの、淡白でこだわらない弟が、「悔しい」と涙をこぼしたから。
一度、たった一度でいいから、誰もが分かる形で報われてほしかったと。
今でも願ってやまない。
進学しても、このスポーツを続けるかどうか分からないと、弟は言う。
ただ、きみはたしかに頑張っていたよと。
戦績からは見えない、記録にも残らない、きみの懸命な二年間がそこにあったよと。
30才になってしまった。
つくづく思う。若さがもたらすエネルギーはすごい。10代の頃を思い返すと、とても正気だったとは思えない。
誕生日の記念に自分の人生をざっと振り返ってみたい。長くなるか、すぐに終るか、それは書いてみないとわからない。
2年前からイーストヴィレッジのセントマークスで仲間達とバーをやっている。大抵はヒップホップがかかっている。客層は黒人、日本人、ヒスパニック。
日本酒がメインのバーにするはずだったが、すぐにうやむやになってしまった。夏はフレンチスタイルのパナシェがよく売れる。地元の人がこれを読んだら、もう場所を特定できてしまうと思う。
大儲けとはいえないが、店はそれなりに繁盛している。僕はほぼ毎日カウンターかDJブースにいる。ちなみに趣味はボディビルで、アマチュアの大会で2回ほど入賞したことがある。
まさか自分がこんな生活を送るようになるとは思わなかった。中学生の頃は、江戸川乱歩と京極夏彦に傾倒していた。将来は図書館司書になるつもりだった。顔は青白く、ひどい猫背だった。ある女性との出会いが僕を大きく変えた。
そうだ、あの子について書こう。
最初に彼女と遭遇したのは、高校に入ってまもない頃だった。校庭と校舎をつなぐ階段の途中ですれ違った。彼女はジャージ姿だった。背が高く、涼しげな目が印象的だった。かっこいい人だと思った。一瞬だけ目が合い、僕はあわてて逸らした。
当時の僕は最低だった。勉強も出来ないし、スポーツも苦手。しかもクラスではパシリだった。どういう経緯でパシリになったのか、まったく思い出せない。梅雨の訪れのように自然な成り行きだった。
僕をパシリに任命したのはNというクラスメートで、彼は教室内の権力を一手に握っていた。髪を金色に染め、足首に蛇のタトゥーをいれていた。15才の僕にとって、蛇のタトゥーはかなりの脅威だった。
昼休みになると、僕はNを含む数人分のパンとジュースを買いに行かされた。金を渡され、学校の近くのコンビニまで走らされる。帰りが遅かったり、品切れだったりすると怒鳴られる。そういう時はヘラヘラ笑いながら謝った。歯向かう勇気はなかった。そんなことをすればさらに面倒なことになるのは目に見えていた。
いじめられていないだけマシだ、パシリに甘んじてるのもひとつの戦略だ、そう自分に言い聞かせていた。
ある日、いつものようにパンとジュースを買って裏門から教室に戻ろうとした時、また彼女とすれ違った。相変わらずクールな表情。今度は制服姿だ。ジャージの時より断然かっこいい。ネクタイをゆるく結び、黒いチョーカーをつけていた。目が合う。すぐに逸らす。前と同じだ。
僕はすっかり彼女に魅了されてしまった。教室に戻るのが遅れて、Nに尻を蹴られた。いつも通りヘラヘラ笑いながら謝った。
それからも広場や廊下で何度か彼女を見かけた。一人だったり、何人かと一緒だったりした。彼女は常にクールだった。それにどんどん美しくなっていくようだった。どうしても視線が吸い寄せられてしまう。そのくせ目が合いそうになると、僕はすぐに逸らした。
彼女のことをもっと知りたいと思った。気を抜くとすぐに彼女のことが頭に浮かんだ。できれば話してみたい。でも僕ごときにそんな資格は無い。きっと冷たくあしらわれて終わりだろう。遠くから眺めているのがちょうどいい気がした。
なんだか出来損ないの私小説みたいになってきた。こんなことが書きたかったんだっけ? まぁいいか。もう少し続けてみよう。
30才になった今、少年時代の気持ちを思い返すのはとてもむずかしい。あの頃は恋と憧れの区別もついていなかった。おまけに僕は根っからの小心者だった。彼女の目を見つめ返す勇気もなかった。世界は恐怖に満ちていた。蛇のタトゥーが恐怖のシンボルだった。
1学期の最後の日に転機が訪れた。大げさじゃなく、あれが人生の転機だった。
よく晴れた日の朝。バスターミナルに夏の光が溢れていた。まぶしくて時刻表の文字が見えなかった。僕はいつものように通学のために市営バスに乗り、2人掛けのシートに座った。本当は電車の方が早いのだが、僕は満員電車が嫌いだった。それにバスなら座れるし、仮眠も取れる。僕は窓に頭をあずけて目を閉じた。
発車する寸前に誰かが隣に座った。僕は目を閉じたまま腰をずらしてスペースを空けた。香水の匂いが鼻をくすぐった。
ふと隣を見ると、彼女が座っていた。目が合った。今度は逸らすことができなかった。彼女がにっこり微笑んだのだ。彼女は気さくに話しかけてきた。
校内でよく僕のことを見かけると彼女は言った。その時の驚きをどう表現すればいいだろう。うまく言葉にできない。
さらに彼女は僕の頭を指して「髪切ればいいのに」と言った。たしかに僕の髪は無造作だった。でもそんなに長いわけでもなかった。わけがわからなかった。彼女が僕の髪型を気にかけるなんて。
彼女はひとつ上の2年生だった。ふだんは電車で通学しているが、初めてバスに乗ってみたという。色々なことを話した。幸福なひとときだった。なぜだろう、初めて喋るのに僕はとてもリラックスしていた。きっと彼女のおかげだと思う。人を安心させる力があるのだ。
車窓から見える景色がいつもと違った。こんなにきれいな街並みは見たことが無かった。行き先を間違えたのだろうか。ふたりであてのない旅に出るのか。落ち着け。そんなはずはない。もういちど景色を確認してみる。いつもの道だ。たまに彼女の肘が僕の脇腹に触れた。スカートから伸びるすらりとした足が目の前にあった。目眩がした。
特に印象に残っているのは、彼女が小学生の時に"あること"で日本一になったという話だ。でもそれが何なのか、頑なに言おうとしないのだ。絶対に笑うから教えたくないという。それでも僕が粘り続けると、ようやく白状した。それは「一輪車」だった。
一輪車駅伝の全国大会というものがあり、彼女はジュニアの部で最終走者を務めた。その時に日本一になったらしい。僕はそんな競技があることすら知らなかった。
あまりに想定外だったので、どう反応すればいいかわからなかった。でもこれだけは言える。彼女が恥ずかしそうに「一輪車」とつぶやき、はにかんだ瞬間、僕は本当に恋に落ちた。
彼女は一輪車で燃え尽きて、中学から一切スポーツをやらなくなった。部活に入らないのも体育を休みがちなのも、すべて「一輪車で燃え尽きたから」。ずいぶん勝手な理屈だ。なんだか笑えた。そんなことを真顔で語る彼女がたまらなくチャーミングに見えた。だいぶイメージが変わった。
会話が途切れると彼女はバッグからイヤホンを取り出して、片方を自分の耳に差し、もう片方を僕の耳に差した。ヒップホップが流れてきた。ジェイZだった。いちばん好きなアーティストだと教えてくれた。
僕はジェイZを知らなかった。そもそもヒップホップをあまり聴いたことがなかった。素晴らしいと思った。リリックなんてひとつもわからなかったが、極上のラブソングだった。本当はドラッグの売人についてラップしていたのかもしれない。でも僕にとってはラブソングだった。
あの日のバスは僕を新しい世界へと導く特別な乗り物だった。バスを降りて、校門で彼女と手を振って別れた瞬間から、あらゆる景色が違って見えた。すべてが輝いていた。空は広くなり、緑は深さを増していた。
次に彼女と目が合った時は必ず微笑み返そう。蛇のタトゥーはただのファッションだ。この世界はちっとも怖い場所じゃない。
新しい世界の始まりは、夏休みの始まりでもあった。僕は16才になった。(14年前の今日だ!)人生が一気に加速した。そう、書きたかったのはここから先の話だ。ようやく佳境に入れそうだ。やっと辿り着いた。
僕は髪を切った。坊主にした。そして体を鍛え始めた。近所の区民センターのトレーニングルームで筋トレに励んだ。それから英語の勉強に没頭した。図書館の自習室で閉館まで英語と格闘した。単語、熟語、文法、構文、長文読解。最初は暗号のように見えていた文字の羅列が、だんだんと意味を紡ぐようになっていった。
英語と筋トレ。なぜこの2つに邁進したのか。理由は至ってシンプルだ。ジェイZになろうと思ったのだ。彼女がいちばん好きなジェイZだ。
①僕がジェイZになる
②彼女は僕に夢中になる
できれば夏休みの間にジェイZに変身したかったが、さすがにそれは現実的では無かった。でもとにかくやれるところまでやろうと思った。僕は筋トレと英語に励み、ジェイZの曲を聴きまくり、真似しまくった。日差しの強い日には近所の川べりで体を焼いた。
夏休みが終わった時、僕の見た目はジェイZにはほど遠かった。当然だ。そう簡単に変われるわけがない。日焼けして、少しだけ健康的になっただけだった。でも内面は違った。ヒップホップマインドが根付いていた。誇りがあり、野心があった。闘争心に溢れていた。
僕はパシリを断った。特に勇気を振り絞ったという感覚もない。単純に時間がもったいなかった。昼休みは英文のリーディングに充てたかった。誰かのパンやジュースを買いに行ってる暇はない。
パシリを断ると、彼らは一瞬どよめいた。こいつマジかよ、という顔をした。Nが笑いながら尻を蹴ってきたので、笑いながら蹴り返した。教室全体がざわついた。Nはそこで引き下がった。
それからしばらくの間、 嫌がらせが続いた。机や椅子が倒された。黒板には僕を揶揄する言葉が書かれた。でも相手にしている暇はなかった。早くジェイZにならなければ。僕は黙って机を立て直し、Nをにらみつけながら微笑んで見せた。Nの表情にわずかな怯えが走るのを僕は見逃さなかった。
筋トレ、英語、ラップ、筋トレ、英語、ラップ。その繰り返しだった。僕は少しずつ、でも着実に変わっていった。あの日からいちども彼女と会っていなかった。校内でも見かけなかった。でも焦ってはいけない。どうせ会うなら完全にジェイZになってからの方が良い。
そんなある日、柔道の授業でNと乱取りをすることになった。たまたま順番が当たってしまったのだ。組み合ってすぐにわかった。こいつは全然強くない。いつも余裕ぶった笑みを浮かべてるが、体はペラペラだ。とんだハッタリ野郎だ。絶対に勝てる。
Nが薄ら笑いを浮かべながら、足でドンと床を踏んで挑発してきた。腹の底から猛烈な怒りがこみ上げてきた。なぜこんなやつのパシリをしていたのだろう。さっさとぶちのめすべきではなかったのか?
僕はNを払い腰で倒して、裸締めにした。Nはすぐにタップしたらしいが、僕はまるで気付かなかった。先生があわてて引き離した。Nは気絶しかけていた。僕は先生にこっぴどく叱られたが、その日から誰も嫌がらせをしなくなった。勝ったのだ。
でも連戦連勝というわけにはいかない。ヒップホップの神様は残酷だ。僕は恋に敗れた。いや、勝負すら出来なかった。なんと彼女は夏休みの間に引っ越していたのだ。僕はそれをずいぶんあとになってから知った。
彼女とは二度と会えなかった。筋肉と英語とヒップホップだけが残った。なんのための努力だったんだろう。せっかく坊主にして、体つきも変わってきたというのに。仮装パーティーで会場を間違えた男みたいだ。マヌケ過ぎる。しかし、そんなマヌケな彷徨の果てに今の僕がいる。
高校を卒業して、さらに英語を極めるために外語大に入った。それからNYに留学して、今の仕事仲間と知り合い、色々あって現在に至る。仲間達はみんなヒップホップを愛している。それだけが共通点だ。すべてのスタートがあの日のバスの中にある。
ずいぶん長くなってしまった。まさかこんな長文になるとは思わなかった。そろそろ止めよう。
僕は今でも週に3回は筋トレをしている。当時よりずっと効果的なトレーニング方法も身に付けた。知識も格段に増えた。でも本当に必要なのは、あの頃のような闇雲な熱意だ。
30才になってしまった。
みんなちゃっかりやることはやっている
僕は小学校の頃からガリ勉風のメガネをかけたただの勉強嫌いなガキだった
どうせ他のやんちゃしてる奴やキャーキャー言ってる女子も勉強なんて眼中にないんじゃないかと思っていた
中学に上がると、ヤンキーなどの不良やませた中学生カップルなんかもいて、より勉強なんか眼中になかった
だけど、中学三年生になってようやく気づいた
かわいいあの女子もサッカーに熱心なあの男子も、みんな勉強はやってたんだな、と
普段は全然そんな素振りをみせないくせに、授業もただボーッと受けているだけだと思っていたのに、勉強嫌いなくせに
なんで勉強なんかしてるんだ
もっと女子同士で放課後遊びに行ったりしろよ!部活動で大会優勝だけを目指しとけよ!みんなのことだけを考えてろよ!と思った
みんなが実は勉強をやっているという事実に気づくのが遅すぎて、僕はみんなが進学したような都道府県内屈指の名門校なんて進学もできずに、地元の名前を書ければ受かるようなな高校にしか行けなかった
ずるすぎる
そしてその高校に進学したら、かわいい子はちゃっかり男と付き合ってデートしたり、部活動に熱心だったやつは全国大会に出場したりするんだろ?
なんで勉強やってるやつがそんなことやってんだよ!おかしいだろ!
みんながみんな揃って僕を騙してたんだ
https://anond.hatelabo.jp/20170703203542
正直言わせてもらうと、労働契約守って手抜き教員やってもらったほうが世間の目が覚めると思う。教員の情熱も、現状ではヘンな方向に走ってしまいがちになる。正しい基準の適用が必要だよ。2017/07/03 21:16
我々がそれをしない理由は簡単で、生徒を人質に取られてるから。
サビ残しません、休日も勤務命令なければ仕事しません、だと、確実に生徒が不利益を被る。
例えば手厚い受験指導の評判に惹かれて入学した生徒。休日の補習補講や平日の勤務時間外の補習補講があれば合格できた志望校に、合格できなくなるかもしれない。
例えば部活強豪校の評判に惹かれて入学した生徒。高校推薦、大学推薦、プロ入りなどといった(公立校でそこまでのレベルは稀だが)可能性を、つぶすことになるかもしれない。
「生徒の将来のために」なんて青臭いことを言うつもりはない。単純に、責任取れないんだわ。
「俺は家が貧しくて予備校に通えないけど、この学校なら平日も土日も学校残って自習したり、受験向けの補講があるって聞いたから入学したのに。先生、どう責任取ってくれるんですか」
「俺は野球に命かけるつもりで、野球部強豪校のこの学校に入ったのに、土日は練習なし、平日も30分のみの練習。甲子園に行くのが夢だったのに。先生、どう責任取ってくれるんですか」
って言われてもね。
だから慣習として、去年一昨年と同じだけ練習する。同じだけ補講する。
本当はそういう、「教員のボランティアによって成り立ってる部分」を売りにしちゃまずいんだけどね。
「うちの会社は営業時間外でも電話一本でお客様の元に駆けつけます。トラブル発生時には365日24時間対応します。(ただしそれらは全て社員のサービス残業、サービス出勤によって賄われています。社員が拒否したらそのサービスは成り立ちません)さぁウチと契約を」ってのと一緒だから。
ウチは部活に力入れてまーす。○○部は去年全国大会行きました^^ なんて煽って生徒募集しておいて、その部の顧問はその年で異動して、入学してみたらもういませんでした、なんてのはザラ。あるいは在学中に顧問がいなくなるとかね。で、上手いこと後釜に入る教員がいればいいけど、潰すわけにもいかないから無理やり若手がやらされて、生徒が頑張ってるから仕方なく土日も部活やってますなんてのもザラ。
腐ってるね。
民間も経験ある人の話は説得力がある。勤続年数だけじゃなくて、管理職の査定で昇給が決まるようになってきてるよねー。2017/07/04 00:02
え、それどこの私立高の話?
少なくとも東京都では管理職査定なんてあってないようなもんですよ。
せいぜい、学校にとって(というより、管理職にとって)有益な実績を挙げた教員に対し、勤続一年分くらいの昇給ステップアップがある程度。
あ、あと公立学校特有の異動(勤務校が変わる)の際に関係してくるかな。優秀な教員は希望が通りやすい。
で、報道されちゃうくらいの事件事故になるくらいの問題を起こした教員は別として、それ以外は全部昇給ペース一緒。まるで仕事しないダメ教員だろうとね。
だって、そのダメ教員の査定を昇給に響くくらい悪くつけると、管理職の管理能力が問われることになるし、いろいろ理由書とか報告あげなきゃいけないんですもの。
保身を考えたら、どんなにダメ教員でも、事件事故を起こすまでは、他の人と同じように昇給させておくのが、管理職的にはベター。
ベルマークについてはどう思う? なくせないの?2017/07/04 08:45
ただ、効率悪い効率悪いって言われてるんだから、なくせばいいのになーとは思う。
でも、これも部活と同じで、一部「やりたい」って人がいるんだよね。それも、直接的な利益が自分にはないのに。例えばPTAの重鎮だったり、ベルマークに命かけてたりね。で、それを他にも強要する人とか、マジでいる。
(学校の先生の、「勝手にやっている」ことでした怪我の扱いってどんななんでしょ?)2017/07/04 09:53
学校としては命令してなくて教員が勝手にやってることだけど、一応教育活動の一環だし、給付金とか学校内での活動と同じですよーって扱い。
土日の練習や試合とかもね。だから、試合一つやるにしても、練習試合やるにしても、「学校が認めた活動です」という建前を作るために、無駄な書類を作って事務仕事が増える。
長文だけど、民間平均と比較して高額な年収には触れないのな。重要なことでも都合の悪いことには触れないわけか。2017/07/04 12:11
まぁ唐突だけど、民営化はまずいと思うんだよね。
部活制度が是正されたり、勤務時間の適正化とかは大賛成。
教員の給与が高いってんなら、法外な時間外労働をなくすのと引き換えに、基本給引き下げもやむなし。
長いんで読むの面倒だと思うけど、基本給引き下げもやむなしと書いてます。
で、もうちょっと言うと、民間平均と比較して高額ってのは基本給だけの話で、労働時間(残業、休日出勤手当、その他歩合等含む)に対して比較すると、どうなのよ、と。
俺が前の会社(ブラックIT土方)で、今と同じだけ働けば、各種手当やら歩合やらで、確実に今より給料貰えますがな。
あ、でも今、年収/年間労働時間で時給換算したら、一応時給1400円くらいだから、高いっちゃ高いのかな?
いろんな教員がいて、いろんな大人がいるのを間近に感じてもらうのは増田の言うとおりだと思う。だけど生徒や、生徒と同い年ぐらいの少年少女とHする大人だけは見せないでくれ(教員のごく少数なのはわかってるが)2017/07/04 12:22
マジでそういう奴が一人いるだけで、教員全体のイメージが一気に悪くなるから、本気で氏ねばいいのにと思います。
中には、教え子と結婚したりしてる奴もいるけど、マジでやめてくれ、と。
ボンクラだったりオタクだったりリア充だったりギャルだったり、色んな教員がいていいと思うけど、条例違反・法律違反がバレるのはダメ絶対。
3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。
中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。
辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。
中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。
1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。
その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会に進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。
また冬が来た。
去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。
「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍が口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。
真冬で太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。
一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。
県大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。
僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。
東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。
勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。
僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。
ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。
2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。
そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。
設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会に運動部が出場するのは初の快挙だった。
僕らは涙を流しながら抱き合った。
顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。
数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会の舞台に立った。
1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。
実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。
全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。
詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイクで大会に臨んだ。
だがこの判断が間違いだった。
ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。
下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。
集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。
僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。
僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。
仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。
自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。
同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生の勧誘やらを前に迷っていた。
「これから先でも戦えるのだろうか」
全国大会で天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元の友達皆が行く近場の学校に入学しようと考えていた。
そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。
僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。
正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。
結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心はボロボロだ。
それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。
前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。
色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。
僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。
この事実を教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑だから走れ」と練習を強制された。
当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。
僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。
そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。
今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。
歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。
この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。
1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。
ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。
それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎの区間だったが。
少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。
怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。
それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。
僕は迷った。
でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。
少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしまい練習ができなくなる。
救いなのは大学はある程度自由にトレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。
ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝のメンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。
県大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。
正直箱根駅伝のメンバーにもなれない人間は実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。
でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。
http://anond.hatelabo.jp/20170529081025
「同人小説をフィルタリングしてみたwww」というちょっとガチのブログ記事レベルの話なんだよ。
査読もないし、国際的な成果として認められない、だから多忙な指導者の目が届くわけがない。
全国大会の予稿には、ある程度研究が稚拙だったりしても、しょうがないよな…という雰囲気がある
でも、その先の査読付き論文を出すプロセスの練習としては必要なんだ。だから大目に見てくれ。お願いだ。
今回のことも、大きくニュースにしなければ、
同人サイドがゾーニングされた場所であれやこれやしても結果的になにも起こらないように、
なにも起こらなかったのではというつらみがある
長すぎたようなのでこっちで増田に応答。
http://anond.hatelabo.jp/20170527122912
人工知能学会全国大会論文は査読なしだ。これは、人工知能学会だけが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会は査読なしである。
ただ、その理由が「本会議でボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。
この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。
AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要な査読付き国際会議にどれぐらい通したかで研究者の業績が決まる。
つまり、英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメな論文は、国際的に評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。
この辺の常識は分野によって違うので私もわかってなかったです。教えてくれてありがとうございます。
人文系だと和文でも立派な業績になるので、その辺の感覚の違いというのはあるかもですね(もちろん、英文やその他の外国語で書いた方が評価されるのはその通りなんですが)。
ただ人文系の論文って、文章だけを並べて数十ページとか普通に行くやつも多いです。歴史系だと、ちゃんとした和文学術雑誌の文字数上限は30,000字ちょいくらいで、20,000字未満だと「あそこ短いから書きにくいよね」とか言われる世界なんです。英文だと8,000 wordsくらいかな? この辺、理系や情報系の人たちとは「論文の長さ」に関する感覚がけっこう違うと思うんですがどうなんでしょう(あと、基本的に単著)。
英語じゃないといけないっていう縛りもなくて、たとえばフランス研究ならフランス語で書いた方が評価されるだろうし韓国研究なら韓国語で書いても立派な業績になりますよ、って感じです。最近は若手研究者の国際化が進んで、英語で博士論文書く人も増えてますが、ドイツ語で博士論文書きましたって人も増えてきてるんですね。そういう意味で、そちらの分野とは国際化の感覚は違うのかな、と。
人工知能学会から返って来た人工知能研究者。例の論文の著者の1人とも知合で今回もご挨拶した。家族に文系研究者あり。
多分理解されていないところをいくつか書く。
これは工学の論文なので、あくまで分析の対象はフィルタリング手法であり、小説は手法に入力するデータに過ぎない。
文学研究と異なり、小説の内容については評価を下していない。あくまで、データにどういう文字列が含まれていると、手法がどういう影響をうけるのかについて分析しているだけ、という立場だ。
分析の対象は手法であって小説ではない。だからこそ、「有害」という内容について評価を下しているかのような表現が不適切なのだと思う。
人工知能学会全国大会論文は査読なしだ。これは、人工知能学会だけが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会は査読なしである。
ただ、その理由が「本会議でボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。
この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。
AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要な査読付き国際会議にどれぐらい通したかで研究者の業績が決まる。
つまり、英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメな論文は、国際的に評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。
今回の人工知能学会も、多くの論文が、今年、同内容でどこか良い査読付き国際会議に投稿された英語論文の原稿を、日本語に翻訳したものだ。
国内学会を査読なしにしているのは、多様な論文を受け入れる意味もあるが、一番の理由は、査読者を確保する事が難しいからだろう。
査読者になるのは国際的に活躍するトップの優秀な研究者たちだ。彼らの時間を、国内学会の論文の査読などに使わせてしまっては、国際競争力が落ちる。
ただ、一応、賞を出す制度があるので、全論文に対し、誰かが読んで評価はしている。
そういうわけで、全国大会で発表することに大した業績的意義がないので、学生も普通に発表する。
企業研究者も全国大会に大勢来ているので、優秀な学生が入ればインターンに呼んだり就職勧誘したりする。
多分、今回問題になったのは、ここだろう。人工知能学会は、全論文PDFを一般公開してしまう。
このあたりの対応は、情報系でも、国内学会によってまちまちだ。昔は、CD-ROMを配るだけで、CD-ROMを持っていないと論文が見られないなんて会議や、電話帳みたいな紙の予稿集を配っていた会議もある。
http://anond.hatelabo.jp/20170525145352
の記事を見ながら考えたこと。
今回の分野がどうだったか知らないけど、私が見てきた分野だと使ったものは閲覧日も添えてURL載せるべきだと思う。閲覧日は今回みたいに作者が引っ込めたら困るじゃん。困るっていうか、本だったら第何版みたいな話。あと他の人が"オラもやってみっぺ"ってなったら元データは必要じゃん。
ただ載せるべきだと思うからこそ、発表者側が「配慮」として作者に使用確認できればよかったよねとは思うよ。こういうデータの扱いについて、所属大学が研究倫理指針としてどういう考え方を持っているかは確認していないけど。
あと「学術論文」を前提とした話をよく見るけど、アレは「全国大会論文集」だろ。それを学術論文として話を進めるのはどうなの。雑に言えばレジュメじゃん。査読なんて入ってないじゃん。そりゃ、指導教員何やってたとは思うよ。筆頭が学生だし。M1ってことはおそらく卒論ベースの発表でしょ。URL載せるかどうかという問題以前に、ゼミ発表レベルで突っ込んでおいてよ、というところはあると思ったもん。
でも会場にいたと思われる人のツイートに
ってあって「学術論文」になる前に揉めなきゃいけないところはもめてるじゃん。アレに対するツッコミがその2つだけかって言ったらそんなことないけど。でも学会発表の場なんて、時間制限もあるだろうし。
同人屋としての感情論を言えば、そんなわざわざ(無料とはいえ)会員サイトまで来て掘り起こして研究に使わないでくれと思う。そりゃね。でも両手で足りるような会員数ではない企業サービスに何かしらの形でアップロードしておいて、一般に公開してない!って言うのは確かに無理があったなと考え直している。変な話だけど、今回学会に参加しただろう人数よりずっと多数のユーザーに公開していたのではないか。
「作品」が個人情報か、と言ったら心情的には個人情報に近いものはあるのかもしれない。twitterアカウントも載せてることも多いし。「作品」に紐付けられる形で、同一のサービス上に「個人情報だと感じるもの」を出してるのも、結果的に不用意だったかもしれない。
GWに四国アイランドリーグ初観戦
ちなみにワイ、学生時代には大阪ドームに通い詰めで、3連戦3つとも観に行くのはザラ、社会人野球も日本選手権の準決勝2試合は毎年観に行ってた近鉄ファン
まずは四国アイランドリーグのレベルから
四国アイランドリーグのチームが都市対抗に参戦しても、まず優勝はできないと思われる
やはり、ええピッチャーはプロに行きやすいし、社会人に比べて年齢も若いので、ILは社会人に比べて打高投低なイメージを持った
観た日マニーに投げてたピッチャーは、社会人ならエースクラスだろうけど、ドラフトはかからなそうなレベル
スライダーでカウントも取るし決めにも行けるタイプのピッチャーだった
なんだろう、高2のマー君みたいな感じかなー
そんな中でみたマニー
やっぱ、このレベルでは格が違うわ、というのはひと目でわかるレベル
スライダー5球見逃したフルカウントからのストレートを一閃して、痛烈なセンター返しがひとつ
次もスライダー攻めの末、最後までストレートが来ず、外角のスライダーをしゃあなしで打ちに行って右中間フェンス直撃
どちらもストレート待ちが完璧わかるようなタイミングの取り方だけど、待ってないスライダーも右に打てるし、ストレートも打ち損じない
まあ、このレベルのピッチャーじゃさすがに無理よね、ってレベルだった
それは難しい問題
かつてはウェスタンリーグも何度か観に行ったけど、かつて阪神でレギュラーだった藤本、近鉄で不動の1番だった大村なんかが、故障開けでファームで調整するような試合を観に行ったこともある
このようなケースでこのあたりの選手でも、ファームレベルじゃ抑えれんな、って印象を与えるほど強烈な印象を残すんよね
もし、ILとファームが同レベルとするなら、フルでコンディション維持できたら、一軍でもあの頃の藤本、大村と同じ程度、つまり3割程度は打てる可能性がある
でも、ピッチャーは明らかにILのレベルは高くなかったからなー、一軍レベルだとどうかなー
しかし、とにかく現在でも、もはや全然やで笑、みたいなことは決してない
打撃に限れば、確実に通用する
控えめに予想して、、、、フルで出たら、、、、2割6分22本くらいかなー
結論からいくと、「百合作家に『私、女の人とお付き合いするのは生理的に無理なんですよね』って言う人、いるの?」だ。
百合を書く作家は女性が多いと思う。Twitterを見ていても、百合を書く作家は少なくとも過半数が女性だ(異論は大いに認める)
それで、女性が多いといえばやはりBLである。だが、BLと百合とでは作品と作家の関係が大きく異なる点がある。
BLは扱っているキャラの性別は男性、書き手の性別は女性である。
百合は扱っているキャラの性別は女性、書き手の性別も女性である。
お分かりの通り、BLと百合も勿論同性同士の恋愛(に近い関係)を扱ったジャンルである。
話は変わるが、少女マンガを読む少女達が「私もこんなステキな恋愛したい!」「私も風早君みたいな彼氏ほしい!」と思う様子は想像できないだろうか。
ベルセルクに自分の人生を重ねる女子高生がいるかはわからないが、スポーツ漫画を読んで「俺も全国大会に行きてえ!!」とかヒカルの碁を読んで囲碁を始めましたとか、ハイキュー!!読んでバレー始めましたとか、そういうことはありそうだ。
で、話は戻すが、百合作家にもこれと同じ現象が起きてもおかしくない、ということだ。
ましてや創作していれば思い入れは一塩だし、その作品に対して一番考えているのはまぎれもない創作した自分自身である。自分が考える理想的な百合を仕上げた後に「あーあ、私もこんなだったらな……」と考える姿くらいは、あってもおかしくなさそうだ。
さあ、そこでだ。百合作家が純粋な異性愛者はいないのでないかという問題が出てくる。
確かに、ストレートアライと呼ばれる人も存在する。創作物に対して自己投影をしない人ならそのような立場でもありうるだろう。しかし、居たとしてもそれはごく少数ではないだろうか。
現に、百合が好きな人同士の出会いを目的としたオフ会が開かれている(のを見たことがある)。
「コミケッコン」なんていう言葉もあるが、百合作家同士のカップルが居てもおかしくはないと思う。
今回は書き手という括りにしたが、これは重度の百合好きには共通する話題だと考えている。
勿論百合作家の方や百合が好きな方でも異性のパートナーがいらっしゃる方は大勢いるとは思うが、社会的な面はひとまず置いておいて「私、お付き合いする人は男性じゃないと生理的に無理です」と言う人はあまりいないのではないかと考える。
数年前に「女性は誰しもレズかバイ」だという研究結果があるとのことだが、この狭い界隈の中では、首を縦に降らざるを得ないのではないかと思う。
ちなみにこれを書く私はバイセクシャルです。
「そんなことはないだろ」
「そういう話してんじゃないだろ」
「そもそも比較対象がおかしいってんだよ。和菓子には和菓子の良さがあるだろ」
「その良さってのが、洋菓子に比べて美味しさに比例していないって話なんだけど」
「というか和菓子に対して、洋菓子って括りがフェアじゃねえ。何で日本一人で、世界と戦わないといけないんだよ」
「お前、ちょくちょくカッコつけた表現したがるよね。『日本一人で、世界と戦わないといけない』って」
「そーいうお前は、話の趣旨とは関係のないところばっかり気にしたがるよな。話の腰を折る天才」
「とりあえずさあ、もう少し和菓子、洋菓子だとかの雑な括りを何とかしようぜ」
「じゃあ、中菓子」
「は?」
「いや、雑なことには変わりないし。というか中菓子って、高知県の郷土菓子をそう呼ぶのだが」
「あ、そうなんだ。じゃあ丁度いいじゃん」
「何が丁度いいんだ」
「フェアじゃねえし。洋菓子どこいった。日本規模の大会を、全国大会って表現しているくらい違和感あるんだけど」
「和菓子はどこいった」
「あ、そうか」
「ははは、ポカをやったな」
「……いや、今度は高知一人で世界と戦わないといけないから、一層アンフェアなんだが」
「お前、ちょくちょくカッコつけた表現したがるよね。『高知一人で世界と戦わないといけない』って」
「『高知一人で世界と戦わないといけない』のどこがカッコいいんだよ!」
「ツッコむところ違うと思うんですけど」
14 ハイキュー!!(ジャンプ)・弱虫ペダル(チャンピオン)・Free!!(アニメ)
16 あんさんぶるスターズ!(ゲーム)
年表入りの基準
97年以降:週刊少年ジャンプ・アニメ・アニメ化後にブレイク500sp以上、
※97年C52からビッグサイト東1~6西1~2ホール使用3日間開催が開始
※16年C90から工事で使用ホールが毎回変動しているため総参加サークル数も毎回増減しています
09
13
16 おそ松さん・あんさんぶるスターズ!
年表入りの基準
少年ジャンプ・アニメ・アニメ化後にブレイク1500sp以上、その他900sp以上
※00は09/2/8全国の1390spが最大
※ヘタリア(擬人化)の全国初開催はアニメ化後の09//6/21大阪な為1500sp基準
※TBは11/10/30貴方が1480spで未達な為12年へ
※進撃は13/8/25全国が1440spで未達な為14年へ
※Free!!は2013/10/20貴方オンリーが900sp98%で翌週の10/27火花全国プチが734サークル
※弱虫ペダルは14/7/6全国が1721spで基準をクリアしたが、 ハイキュー!!は14/6/22全国995spのあと14/1/25まで全国が無くクリア出来なかったため別年
なんで3年の差があると気づかなかったんだよとか、いくつかツッコミどころはあるものの、設定は面白いと思うし、ストーリーもまあまあ面白かったと思うのだけど、オープニングで台無しになってるんじゃないかと思った。
自分の記憶違いでなければ、オープニングで三葉の大人の姿を描いていたと思うのだけど、本当、何でオープニングで三葉の大人の姿を描いたのか意図が分からない。オープニングが最大のネタバレになってるじゃないかと。
そのせいで、途中に三葉はすでに死んでると分かっても、「あれ? オープニングで大人の姿描いてたよな?」と混乱したし、その後に町を救おうとしたところも、展開的には救えるのか失敗するのか分からない流れだったのに、ふとオープニングの三葉の大人の姿を思い出して、気持ちが萎えてしまった。
ただ、映画を見終わった後にいろいろネタバレ考察を見てみたけど、自分と同じように思っている人は見つからなかった(二回目見てオープニングでネタバレされてることに気づいて驚いた。というレビューならあったけど)。
逆に、そういうサイトを見ていくと、「そう言われてみればいい話だったのかもしれない」とは思ったけど、少なくとも映画を見終わった後はいまいちだと思った。
そもそも、大人の場面から始まる必要あったんだろうか。大人の姿で始まるから、てっきり本編は回想なんだろうなと思っていたら、むしろ丸ごと忘れているという設定だったのでちょっと混乱した(これは自分の頭の回転が遅いということもあるだろうけど)。
最近見たアニメだと、『響け!ユーフォニアム2』の1話が最終回の最後のシーンから始まってたけど、あれも必要なかったんじゃないかと。『響け!ユーフォニアム2』自体は2016年のアニメの中でも名作といっていい作品だとは思うのだけど、あの始まり方のせいで、「多分最終回のシーンだろうけど、雪が降ってるってことは全国大会で終わるわけじゃないのか」と予想がついた。まあ、それ自体はそれほど問題ないのだけど、最初に持ってくる意味はやっぱりなかったんじゃないかと思う。
いろいろ書いてきたけど、そういう意味では、すでに話の展開を知ってる二回目のほうが楽しめるのかもしれないと思った。テレビで放送されたら見るかもしれない。
ブコメ見て追記:
>> "テレビアニメでもよくありますけど、オープニングって見方によってはネタバレの塊ですよね。本編のその後の展開を凝縮してるようなものですし。見終えてからもう一度見てあれはこういう意味だったのか、でいいのでは"
確かに、そう言われてみれば、ラブライブのオープニングで絵里が踊っててもネタバレだとか気にせずに展開を楽しんでような。
なんだかもう一回見たくなってきた。