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はてなキーワード: アンチテーゼとは

2021-09-22

anond:20210922132146

個人的には「コンピュータサイエンスをやれ」ってのは「React!Rails!Firebase!アプリをサクッとリリースして一儲けだ!」みたいな言説へのアンチテーゼ的な意味合いがあると思っているんだけど

そういう意味ではブラウザ掘り下げるとかも十分コンピュータサイエンス一種と思うな

何もオートマトンとかネットワークとかの話ばかりがCSではない

2021-09-20

anond:20210920161004

続き

https://anond.hatelabo.jp/20210920161004

8. 全面的3Dアニメ化チキン・リトル』(2005年から現在まで

おすすめ作品:なし

いよいよ作品は完全に3D化し、『プリンセスと魔法のキス』『くまのプーさん』を最後2Dアニメは公開されていない。アニメーションとしてのたのしさを感じることは少なく、かろうじて『塔の上のラプンツェル』のランタンや『モアナと伝説の海』のココナッツ妖怪のシーンが関心を惹く程度。個人の好みの問題ではある。劇場の大スクリーンで見ると印象が違うかもしれない。

きわめて雑な括りにまとめると、ここからオタク少年ポリコレ少女時代であり、2021年現在ネット政治談義の地獄絵図と完全な地続きとなる。もちろん、ディズニー作品上でそういった地獄の扉が開くわけではないのでその点は安心してほしい。

オタク少年物語は『チキン・リトル』『ルイスと未来泥棒』『ベイマックス』の3つ。ポリコレ少女物語は『プリンセスと魔法のキス』『アナと雪の女王』、あと『ズートピア』を入れてもよいかもしれない。ビデオゲームが題材であり、かつ社会問題とのつながりを思わせる『シュガー・ラッシュ』はその両方にまたがる作品と言えるだろう。

そのうえで言うと、『チキン・リトル』『ルイスと未来泥棒』『ベイマックス』は物語希薄で、率直に言ってあまり見るべきところがない。

チキン・リトル』はナードの息子との関係性に悩むジョック父親というキャラクター設定は興味深いものの、あまりアメリカ固有の事情がすぎるため感情移入しづらい。『ルイスと未来泥棒』は出来の悪いバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなやつ。『ベイマックス』はあからさまな吊り目描写を控え、許容範囲内のアジア人描写採用した点では興味深いものの、お話は薄い。

逆に『プリンセスと魔法のキス』『アナと雪の女王』『ズートピア』はテーマ設定は高尚なものの、物語として十分に消化されているかというと疑問符をつけざるを得ない。

プリンセスと魔法のキス』は初の黒人プリンセスものだが、物語の大半で主人公王子様はカエルに変身させられており、カエル同士の恋愛模様を見せられる羽目になる。人種以前の問題で厳しい。

アナと雪の女王』は暴力を抑えられないエルサが他者との共生を諦め、山に引きこもるというかなり重たい話から始まる。すったもんだあり最終的には女王に復帰するものの、物語彼女が心を開いた相手は妹のアナ1人のみであり、(作劇上なんとなく誤魔化されているが)共生範囲は著しく狭く、また他者理解とも程遠い。

プリンセスものへのアンチテーゼとして悪役に王子のハンスが配され、アナクリストフとくっつかないという展開も、批判されやすポイントを表面上回避しているに過ぎない。ここではプリンセスを求める消費者欲望フェミニズム倫理が奇妙な連合を築いており、かつての植民地主義とはまた違ったグロテスクさがある。

続編の『アナと雪の女王2』は前作に対する心底意地悪な批評とも見れる作品で、エルサは女王の座を離れ再び山へ、アナクリストフは無事マイルドヤンキーバカカップルに発展と、前作でごまかされていた点を露悪的に展開させてしまう。

ズートピア』は『きつねと猟犬』同様に動物種を人種メタファーとして描いているが、生物学的に異なるものを示す種の概念と、生物学的には同一である人種を重ねることによる概念の混乱が拭えず、メッセージぼんやりしたものにならざるを得ない。

シュガー・ラッシュ』は卑しい職に就いたが最後、「これは社会必要仕事だ。だからどんなひどい待遇でも文句を言うな」と清廉潔白な人々に差別されるという現代社会欺瞞を描いた作品であるしかしヴァネロペは実は高貴な生まれだったので問題解決主人公ラルフもなんの理由付けもないままなんとなくハッピーエンドを迎える。解決策を示さないままハッピーエンドを迎えるというのは、なんと欺瞞的で残酷映画だろう。

なお続編の『シュガー・ラッシュ:オンライン』は話皆無・物量勝負典型的な続編映画だが、ディズニー/ピクサー/スター・ウォーズを使った物量作戦はなかなか侮れないものがある。ここに来て『アナと雪の女王2』『シュガー・ラッシュ:オンライン』と続編商法が続いているのはどうも社内の制作体制に関するゴタゴタの影響がありそうだが、詳細はよくわからない。

そのほか『塔の上のラプンツェルはいわゆる毒親の話だが、劇中「みんな同じだ」と高らかに歌い上げてしまうのは問題本質を捉えかねている印象を覚える。毒親問題子供自分とは根本的に異なる個体であり、かつ尊重しなければならないという意識を欠いているからこそ問題なのだ。それが「みんな同じ」では困る。

モアナと伝説の海』『ラーヤと龍の王国』は頭を使わず見れる娯楽作で、とくに『モアナと伝説の海』はまあまあ出来がいいが、それ以上書くことは特にない。ポリネシア東南アジアがそれぞれ舞台となっており、現地のひとが見るといろいろ不満点があるのかもしれない。

以上がディズニー映画59作品歴史だ。個人的には『白雪姫』『ダンボ』『眠れる森の美女』『リロ・アンド・スティッチ』の4作品は見てよかったと思っている。

全部見るのは正直苦痛なので、気になったものだけでも見てみてほしい。最新作の『ミラベル魔法だらけの家』は今年の11月劇場公開されるが、歴史の流れを知って見れば、作品単体のおもしろさとはまた別の発見があるかもしれない。

2021-09-17

正直、ここ最近まともな政策議論が始まって感動している

今までの「話のわからんお前が悪い」みたいなのとか、「お前に話すことなどなにもない」みたいなのでなくて

どの総裁候補も「これがしたい」「自分の話を聞いてくれ」って感じで、ちゃん聞き手を説得しようとしてて感動したわ。

いや、そんなんで感動するなって話かもしれないけど。

あと、「共産党暴力革命をまだ志向しているのか否か」から始まって、

共産党綱領の中身について議論が盛り上がるのとか生まれて初めて見たわ。

それ以外にも「立憲民主党政策、もうちょっとこうならんか?」とか、「国民民主党はこんなんやで」とか、

好き嫌い」を前提とした罵り合いではなくて、

「なにを目指すのか」「なにをすべきなのか」っていうことについての議論が活発で、

やっと国民が主役になれた感じで楽しいわ。

キレ逃げ連発コミュニケーション拒否のガースーが強烈なアンチテーゼになってくれて、「感謝」やわ。

2021-09-09

モリカケ再調査国民生活関係があるに決まってるだろ

最近ずっと常駐してるような元増田だが、毎日紅衛兵みたいに党の言挙げ繰り返して野党ガーやってる奴に岸田プラン評価なんて出来るはず無いだろ。殆ど現状の政策アンチテーゼだぞあれ。

https://anond.hatelabo.jp/20210908083306

毎日書いてる事もHanadaやWillの引き写しで高市が票取れると錯覚してやんの。その上でモリカケ再調査バカげてるとか言ってる。

 

内閣人事局

そもそもモリカケ問題が何故起きたかっていうと内閣人事局発足のせいなんだよ。官僚人事権官邸が一元掌握出来るようにした。

これは公共クタ行政各部署は自律して肥大し腐敗するという考えに基づいている。だから国民代理人である総理大臣が直接介入して人事権行使して風通しを良くする事を目的にしていた。閣法&予算要求予算執行→閣法&予算要求のサイクルに外からフィードバック入れるって考えだな。

 

だが2014年内閣人事局直後からこんな使われ方はされてねぇ。ずっと官僚私的利用と汚職の為だけに使われてきた。

その結果公文書統計もない国になってしまった。行政の風通しなんてN95マスクレベルだ。官僚退職も続いている。

で、おまえはそれが国民生活関係するなんて思ってないって事だろう。

 

ソ連末期とゴルバチョフ

ソ連がなぜ衰退してゴルバチョフが出てきたか知っているかゴルバチョフが何故ペレストロイカグラスノスチ情報公開)を進めたか判っているか

共産国では物の生産量を中央で全て管理するが、ソ連末期には帳簿上は生産高が上がっているが実際には何も動いていないという状況に陥った。これは原料から加工の各部署で粉飾が横行したからだ。原料が規定量来ないか生産高も粉飾して…とやっているうちに最後工程では蓄積された粉飾の方が大きくなってしまう。

こうなるともう中央でも数量を把握出来ない、どこが詰まっているのか粉飾されてる数字はどこなのかが全く把握できない。セクショナリズムで風通しが悪くなった社会というのはこんな風に生産性がほぼゼロまで下がるものなんだ。それで西側のやり方とその精神である情報公開を導入する事にしたんだよ。

 

ワクチン配送システム

これ最近どっかで見た事無いか?この国のワクチン配送だよ。

担当大臣河野は「数量は自治体にプッシュできている」と言っている。なのに実際には10月の予約さえ取れないと嘆く人が多数いる。

こういう場面でおまえなんかの党員もどきは「出荷は出来ているか自治体のせい」と言って論破した気になって終わりだろ?戦争でどんどん南方行きの輸送船に若い兵隊押し込んで潜水艦に撃沈されてを繰り返してたのと同じだな。

そういうのをセクショナリズムという。言っとくがワクチン接種が終了するのが勝利条件だ。

 

どこに幾つモノが滞留しててこことここの間のバッファは幾つってのが判って都度の配送量を決められないと駄目なの。それを実現する為にPOSのようなシステムが開発されてきたんだよ。

だったら国だって出来るんだよ。2品目しか無いんだからPOSが出来る前でもカンバン方式とか「途中を把握」する方法は開発されてきた。POSが出来る前も日配品スーパーに途切れず配送されていたんでな。

なのにセクショナリズム立場から「それは自治体のせい」みたいな論破ルームでこと足れりとなっている。

人事局発足に端を発しているんだよ。これでもモリカケ国民生活関係ないのか?

 

日本って防疫先進国だったよな

日本島国なのに同じ島国台湾NL豪州なんかと比べるとコロナ感染制圧が出来ていなくて防疫劣等生だ。感染爆発のせいで経済的ダメージ回復できない。

だけど日本というのは防疫では超優等生だった。家畜伝染病でも人の感染症でも多くの病気清浄国だった。制圧が得意だったのだ。

なのにコロナではこんな事になっているし豚コレラ制圧できていない。この10年に大きな問題があると思わないのか?モリカケ関係がないのか?モリカケが起きた構造のせいじゃないのか?

 

おまえら検査抑制にせいをだして防疫妨害してただろうが、安倍ちゃんは一貫して検査は拡充の必要があると言っていた。

だがトップが支持してもキャパを増やすことは出来なかった。末期ソ連みたいじゃないか

人事局は汚職の指示には使えても真っ当な政策トップダウンには効果が無かったって事だ。モリカケ関係ないんか?これ。

(こいつはてなーの過誤としてノーマスクを詰ってるのにもっと大きな過誤の検査抑制は触れてないのhttps://anond.hatelabo.jp/20210831114802

その前日に検査妨害戦犯リストホテントリ入ってるのな。判り易い奴 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/osamu_iga/n/nd17e78fe4a1b

 

日本空港税関麻薬が入ってたと別室に呼ばれて賄賂さないと逮捕なんて事はないだろうが、こんなの放っておいたら日本もそうなる。

ソ連時代と今のロシア国民生活はどうだ?韓国台湾軍事独裁時代と今の国民生活は同じなのか?

モリカケ再調査っていうのはそういう事なんだよ。それが判っているから岸田は再調査すると言ったんだよ。

おまえみたいな連中に足引っ張られるから引っ込めちゃったけどな。

2021-09-07

暗記数学が正しい Part. 1

長くなりすぎたので、概要編と実践例に分けます

本稿では、和田秀樹氏らが提唱している暗記数学というものについて述べます

受験数学方法論には「暗記数学」と「暗記数学以外」の二派があるようですが、これは暗記数学が正しいです。後者の話に耳を傾けるのは時間無駄です。

受験諸君は悪質な情報に惑わされないようにしましょう。

よくある誤解と事実

まず、読者との認識を合わせるために、暗記数学に関するよくある誤解と、それに対する事実を述べます

誤解1: 暗記数学は、公式や解法を覚える勉強法である

暗記数学は、数学知識有機的な繋がりを伴って理解するための勉強法です。公式や解法を覚える勉強法ではありません。「暗記」という語は、「ひらめき」とか「才能」などの対比として用いられているのであり、歴史年号のような丸暗記を意味するわけではありません。このことは、和田秀樹氏の著書でも繰り返し述べられています

誤解2: 受験数学は暗記数学で十分だが、大学以降の数学は暗記数学では通用しない

類似の誤解として、

などがあります。これらは事実に反します。むしろ大学理学部工学部で行わていれる数学教育は暗記数学です。実際、たとえば数学科のセミナー大学入試の口頭試問などでは、本稿で述べるような内容が非常に重視されます。また、ほとんどの数学者は暗記数学賛同しています。たまに自他共に認める「変人」がいて、そういう人が反対しているくらいです。大学教育関係者でない人が思い込みで異を唱えても、これが事実だとしか言いようがありません。

嘘だと思うならば、岩波書店から出ている「新・数学の学び方」を読んで下さい。著者のほとんどが、本稿に書いてあるように「具体例を考えること」「証明の細部をきちんと補うこと」を推奨しています。この本の著者は全員、国際的に著名な業績のある数学者です。

そもそも、暗記数学別に和田秀樹氏が最初に生み出したわけではなく、多くの教育機関で昔から行われてきたオーソドックス勉強法です。和田秀樹氏らは、その実践例のひとつ提案しているに過ぎません。

暗記数学の要点

暗記数学の要点を述べます。これらは別に数学勉強に限ったことではなく、他の科目の勉強でも、社会に出て自分の考えや調べたことを報告する上でも重要なことです。

  1. 数学重要なのは、技巧的な解法をひらめくことではなく、基礎を確実に理解することである
  2. そのためには、具体的な証明計算例を通じて学ぶことが効果である
  3. 論理ギャップや式変形の意図などの不明点は曖昧にせず、調べたり他人に聞いたりして、完全に理解すべきである

ひらめきよりも理解

一番目は、従来数学重要ものが「ひらめき」や「才能」だと思われてきたことへのアンチテーゼです。実際には、少なくとも高校数学程度であれば、特別な才能など無くとも多くの人は習得できます。そのための方法論も存在し、昔から多くの教育機関で行われています。逆に、「"才能"を伸ばす勉強法」などと謳われるもの効果があると実証されたもの存在しません。

大学入試に限って言えば、入試問題大学研究活動をする上で重要知識や考え方が身についているのかを問うているのであって、決していたずらな難問を出して「頭の柔らかさ」を試したり、「天才」を見出そうとしているわけではありません。

実例を通じて理解する

二番目はいわゆる「解法暗記」です。なぜ実例重要なのかと言えば、数学に限らず、具体的な経験と結びついていない知識理解することが極めて困難だからです。たとえば、

などを、初学者が読んで理解することは到底不可能です。数学においても、たとえば二次関数定義だけからその最大・最小値問題の解法を思いついたり、ベクトル内積定義線形性等の性質だけを習ってそれを幾何学問題に応用することは、非常に難しいです。したがって、それらの基本的概念性質が、具体的な問題の中でどのように活用されるのかを理解する必要があります

これは、将棋における定跡や手筋に似ています。駒の動かし方を覚えただけで将棋が強くなる人はまず居らず、実戦で勝つには、ルールから直ちには明らかでない駒の活用法を身につける必要があります数学において教科書を読んだばかりの段階と言うのは、将棋で言えば駒の動かし方を覚えた段階のようなものです。将棋で勝つために定跡や手筋を身につける必要があるのと同様、数学理解するためにも豊富実例を通じて概念定理の使い方を理解する必要があります。そして、将棋において初心者独自に定跡を思いつくことがほぼ不可能なのと同様、数学の初学者有益実例を見出すことも難しいです。したがって、教科書入試問題採用された教育効果の高い題材を通じて、数学概念意味や論証の仕方などを深く学ぶべきです。

そして、これは受験数学だけでなく、大学以降の数学を学ぶ際にも極めて重要なことです。特に大学以降の数学抽象的な概念が中心になるため、ほとんどの大学教員は、学生が具体的な実例を通じて理解できているかを重視します。たとえば、数学科のセミナー大学入試の口頭試問などでは、以下のような質問が頻繁になされます


不明点を曖昧にしない

教科書や解答例の記述で分からない部分は、調べたり他人に聞いたりして、完全に理解すべきです。自分理解絶対的に正しいと確信し、それに関して何を聞かれても答えられる状態にならなければいけません。

たとえば、以下のようなことは常に意識し、理解できているかどうか自問すべきです。

  1. 文中に出てくる用語記号定義を言えるか。
  2. 今、何を示そうとしているのか、そのためには何が言えれば十分なのか。
  3. 式変形をしたり、ある性質を導くために、どのような定理を使ったのか。
  4. その定理仮定は何で、本当にその条件を満たしているのか。
  5. そもそもその定理は本当に成り立つのか。自力証明できるか。
  6. どういう理屈意図でそのような操作・式変形をするのか。

ほとんどの人はまず「自分数学が分かっていない」ということを正確に認識すべきです。これは別に、「数学の非常に深い部分に精通せよ」という意味ではありません。上に書いたような「定義が何で、定理仮定結論が何で、文中の主張を導くために何の定理を使ったのか」といったごく当たり前のことを、多くの人が素通りしていると言うことです。

まず、用語記号定義が分からないのは論外です。たとえば、極大値と最大値の違いが分かっていないとか、総和記号Σ でn = 2とか3とかの場合に具体的に式を書き下せないのは、理解できていないということなのですから、調べたり他人に聞いたりする必要があります

また、本文中に直接書いていないことや、「明らか」などと書いてあることについても、どのような性質を用いて導いたのか正確に理解する必要があります。たとえば、

整数l, m, nに対して、2l = mnとする。このとき、mまたはnは2の倍数。

などと書いてあったら、これは

pが素数で、mnがpの倍数ならば、mまたはnはpの倍数。

という一般的定理を暗に使っていることを見抜けなければいけません。上の命題はpが素数でなければ成り立ちません。たとえば、l = 1, m = n = 2として、4l = mnを考えれば、mもnも4で割り切れません。他にも、

a ≡ b (mod n) ⇒ mamb (mod n)

は正しいですが、逆は一般的には成り立ちません。nとmが互いに素ならば成り立ちます。それをきちんと証明できるか。できなければ当然、調べたり他人に聞いたりする必要があります

l'Hôpitalの定理なども、もし使うのであれば、その仮定を満たしていることをきちんと確かめ必要があります

さらに、単に解法を覚えたり当て嵌めたりするのではなく、「なぜその方法で解けるのか」「どうしてそのような式変形をするのか」という原理意図理解しなければいけません。たとえば、「微分極値が求まる理屈は分からない(或いは、分からないという自覚さえない)が、極値問題からとりあえず微分してみる」というような勉強は良くありません。

そして、教科書の一節や問題の解答を理解できたと思ったら、本を見ずにそれらを再現してみます。これは「解き方を覚える」と言うことではなく、上に書いたようなことがすべて有機的な繋がりを持って理解できているかかめると言うことです。

はじめの内はスラスラとは出来ないと思います。そういう時は、覚えていない部分を思い出したり、本を見て覚え直すのではなく、以下のようなことを自分で考えてみます

  • 問題文の条件をどう使うのか
  • 何が分かれば、目的のものが求まるのか
  • どのような主張が成り立てば、ある定理を使ったり、問題文の条件を示すのに十分なのか

こういうことを十分に考えた上で本を読み直せば、ひとつひとつ定義定理、式変形などの意味が見えてきます。また、問題を解くときは答えを見る前に自分で解答を試みることが好ましいです。その方が、自分が何が分かっていて何が分かっていないのかが明確になるからです。

以上のことは、別に数学勉強に限った話ではありません。社会に出て自分の考えや調べたことを報告する時などでも同様です。たとえば、近年の労働法道路交通法改正について説明することになったとしましょう。その時、そこに出てくる用語意味が分からないとか、具体的にどういう行為違法(or合法)になったのか・罰則は何か、と言ったことが説明できなければ、責任ある仕事をしているとは見なされないでしょう。

2021-08-10

はてなも変なスラング増えてきたしもう終わりかな

はてなでだけ流行ってる最近スラング

パラレルワールド

 コロナ流行ってない世界のことを指すらしい。コロナに対する楽観論へのアンチテーゼらしいが、正直脳が死んでいる表現に思える。特定発言に基づいた悪質なパロディであることは分かるが、もはや元の定義は失われ「ばーかばーかチンカス野郎ー」以上の意味を持っておらず使えば使うほど自分品位が下がるだけの表現である自分IQが130あると思っているIQ80の人が好みそうな言い回し

熊の置物

 APIよけのために使用される無意味記号群。俺の発言はとても素晴らしく評価されるべきなんだぞ!という自己顕示欲象徴便所の落書き蛍光塗料金箔の入ったスプレーを使うようなものである

はて〇〇

 はてなーでありフェミニストウヨクリベラルなどであるアカウント総称として使われる。これらがはてな内部に置いて独自進化を遂げたという思い込みに基づいているようだが、実際のところははてな他所からの借り物で構成されているのでどこかの界隈には普通にコピー元がいる。自分たちが独自進化できる程度の生態系を持っているという思い上がりが現れている。


これは私の持論なんだが、基本的コミュニティは変なスラングが出てきたら既に末期になっている。

ニコニコ然り2ch然り学生運動然り淫夢界隈然り、数々の歴史においてコミュニティが迷走を始める直前には独自造語が飛び交うものだ。

はてなーよ。

スラングを捨てよ。

お前たちはこんなところで朽ち果てるような奴らなのか

2021-08-03

先行者特権もあるしそもそもパイオニアでもあるし

KREVAってラッパーがいる

KICK THE CAN CREWってグループ1990年代後半から2000年代前半にかけて組んでいて

2002年には紅白にも出ているので知っている人もいるかと思う。

 

KREVAは元々MCバトルに出ていて、当時MCバトルの最高峰だった「B-BOY PARK」で1999年から2001年にかけて史上初の3連覇を達成している。その後、殿堂入り

今でもいくつかの当時の闇映像Youtubeで見ることができるが、はっきり言ってレベルは低い。

現在現役でやっているラッパーからも当時のKREVAなら負けるわけないと言われるくらいにはレベルが低い。

 

だが今から20年前はまだまだ「フリースタイル」、その中でも「トップオブザヘッド(完全即興)」で長い韻を踏める、ということ自体ほとんど特殊能力だった時代だった。KREVA相手が言ったことを受け取って韻を踏むという対話が強く、慶應義塾大学入学までのお勉強で培った豊富な語彙で意外性のある韻を踏んだ。

ここでちょっと余談なのだけど、最近ではフリースタイルバトルなんて言われているけど、元々フリースタイルは「音源で発表していないトラック(演奏)とリリック(歌詞)の組み合わせで演る」ことを指す。アメリカフリースタイルが生まれた当時は音源発表したリリックを別のDJが作ったトラックいかにうまく乗せるかで勝敗を競っていた。

 

そしてKREVA対話式の押韻(ライミング)重視のバトルスタイルに対するアンチテーゼとして、歌いまわし(フロウ)重視のスタイルや迫力(パッション)重視のスタイルなど様々なスタイルが生まれ、ぶつかり統合し分裂していく過程で、KREVAは『最先端から基準』、最低限のスタートラインになった。

から当時のKREVAのバトルが今見るとどれだけショボくても多くのMCKREVAに対してリスペクトを払っている。KREVA対話押韻主義で怒涛の三連覇を果たしたからこそ、MCバトルの進化スピードは飛躍的に上がったといって間違いない。

若い「今」しか見てない子にはわからない積み重ねというものがあるのだ。

 

じゃあ今のKREVAMCバトルをやったらどうなのかというと中々難しい。

KREVAは今でも精力的に作品リリースし続けており、デカい箱でライブバンバンやるバチバチの現役ラッパーだ。作品内では相変わらずクソカッコいい韻をバンバン踏んでいるし、最近は控えめだけどオシャレに喧嘩を売るテクニックも持ち合わせている。

から本気でMCバトルをやると決めて数か月練習してきたら、とわからないんじゃないか……

王貞治も今の練習理論と道具を最初から持って生まれてきたなら今でもHR王を獲れると言ったとか言わないとかいう話もあるし、こういうもしも話はいつになってもわくわくさせてくれるものだ。

2021-07-31

anond:20210731012305

努力して私立中に入るやつもいれば努力したって俺みたいに中学受験もできず動物園に入れられるやつもいる

動物園入れられたら以後いくら勉強したって「動物園さえなければもっと上にいけた」になるし

そうだよな。学区のせいで、地方に生まれただけでチャンス減るという現実に、親が直面して私立中高に入れてくれたのだけど、親も「インテリ動物園があるとは思わんかっただろう」しね。自分高専というルートは、私立中間一貫校に対する有意義アンチテーゼだと思う。

2021-07-24

anond:20210724123242

DAZNあるからそれで女子テニス見てるわ

オリンピックへのアンチテーゼスポーツ自体に罪はないを両立できる

まぁクロンボ陸上は見るかもしれん 白人黄色人種パンチラ以外見る価値ない

2021-07-22

お前らも加害者なんだぞ!(小山田問題に関して)

まず、最初に彼の語ったいじめ(と言うより暴力行為)は決して許されるものでは無いと言う事を申しておく。その前提の上で、一個人意見を述べたい。

この問題に関して調べていくと、90年代鬼畜カルチャーという文言をよく見かける。私は現在30歳で当時の空気感がわからないが、鬼畜カルチャーに関しての個人感想を述べたい。

当時のお利口で軽薄でゴージャスな成金文化へのアンチテーゼみたいなものだったのだろうか。綺麗なメッキを剥がした下のグロテスク現実を暴くという大義名文の下、弱者を痛めつける事をコンテンツ化し面白がり消費していたのだろう。消費する事が強者であるバブル文化の中で、それに乗り切れなかったものが、強くあろうとしてもがいた結果なのかとも感じた。

そんな時代の空気感の中で、メインのカルチャーに馴染めなく、自意識過剰な斜に構えた者たちへの娯楽として供給された文章が、例の案件だったのではないか

小山田氏の語った行為は許さない事だが、当時の消費者が求めていた娯楽を提供したと言う点では、彼は仕事をこなしたと言えると私は思う。その内容はいいかいかを置いておいて。

何度も述べるが、私は小山田氏の語った行為に関して擁護はしないし、許されない事だと思っている。だが、当時の時代の空気を考えると加害者は彼や出版社で無く、鬼畜カルチャー面白がってた人達にもある。当時の空気感無視せず、そこを社会全体で追及し、反省するべきではないか

現在の彼に対する私刑ともいえるネットリンチを見てて思う事がある。これは90年代悪趣味カルチャーと地続きではないかと。

意気揚々いじめダメだと語り、彼に退任を求めてた姿は、次第に彼への攻撃コンテンツ化し、エンターテイメントとして消費しているように感じた。集団いじめ本質は、誰かが理由を作りその理由を元にターゲットを決め、皆で面白おかし攻撃する。現在私刑リンチは、皆が非難している小山田氏の加虐行為と被らないかと私は思うのだ。

鬼畜カルチャーがメッキの下に隠された加虐性コンテンツ化し供給するものだと仮定すれば、現在私刑カルチャー加虐性にメッキを塗りたくり正義感のラベルの下で楽しんでいるように思える。

上記の点を踏まえ、私は個人個人自己加虐性を認め、90年代鬼畜カルチャーを総括し、負の連鎖を断ち切る必要性を感じている。

2021-07-15

バブル期サブカル文化の鼻をつく強烈な異臭の残り香

小山田圭吾いじめ座談会の件、1995年サブカル誌の座談会の内容を令和3年のインターネット越しに読んだ感想

バブル期に、不良文化とかヤンキー文化とかのアンチテーゼ的に急成長したサブカル文化の極端に歪んだ悪意の塊が、急にフラッシュバックしてきて、最悪で懐かしい気持ちになった。

この時期のサブカルってアングラとの境界線曖昧で、みうらじゅんとか、いとうせいこうとか、唐沢なをきとかが、蒸留して上澄みだけをライトでポップな文化昇華させた一方で、そのヘドロのような残渣はサブカル雑誌の形で強烈な異臭を放ってた。

今でも、裏モノJAPANとか実話ナックルズみたいにコンビニ本棚の片隅で確かな存在感を放ってるサブカル誌はあるんだけど、このころのサブカルって今みたいに「明解にワル」的な感じじゃなくて、もっともっとライトな部分がアングラと地続きの感じというか、普通に生活している人でも半歩踏み外したら即闇みたいな、そういう危険なワクワク感があった。

何も悪びれる事もなく当たり前のようにライト犯罪告発してる小山田雑誌座談会なんて、ほんと最悪だ。が、

令和の極端に浄化された空気の中で、自分の息子と公園で遊ぶような事をしている今でも、たまーにブックオフ雑誌コーナーの片隅で色褪せている20世紀末のサブカル誌を手に取って、吐き気をもよおすほどの邪悪を嗅ぎたくなる瞬間があって。

そんなことを久々に思い出した。

2021-07-07

anond:20210707152859

いやいや氷河期だけどこの世代アムラー茶髪ロン毛のキムタクワナビーコギャルギャル男がイキイキしてた時代で、その下の世代に比べてもみんな普通に遊んでたよ。下層でウジ虫のように非モテを拗らせた男が、カースト中位以上へのアンチテーゼとして処女厨になったんだよ。オタクもっと差別されてた時代で、今の若い人みたいにカジュアル普通の子オタクを名乗る感じではなく、オタクと名乗るようなやつは普通とは違うおかし価値観標榜しなきゃいけなくて、現実とはかけ離れた処女幻想みたいのを抱いたんじゃないの。

2021-07-02

○○○○ー○

アイスバーン

アイソトープ

アウトコース

アウトバーン

アジアニーズ

アストナージ

アドバルーン

アドリアーノ

アネクドート

アピトベール

アフタヌーン

アメリカーナ

アラビアータ

アリエノール

アリギエーリ

アルスラーン

アルダシール

アルパチーノ

アロエリー

アンチテーゼ

アントラーズ

アントワープ

イオンモール

インカコーラ

インクボール

インストール

エアグルーヴ

エイトビート

エカテリーナ

エキスパート

エクスポート

エゴシーレ

エスカレート

エルマリート

エレクトーン

エングレーブ

エンドノート

エンドロール

オウンゴール

オキシドール

オメガルーラ

オンパレード

カスタマー

カストラート

カナダグース

カマンベール

カメラワーク

カルベローナ

カルボナーラ

カンタロープ

カンピオーネ

ガルフポート

キシリトール

キリスパート

キルケゴール

キングデール

キンタマーニ

ギネスビール

クアドラード

クセノポー

クミンシード

クラスルーム

クリアベース

クリアベール

ロウカード

クロスシート

クロスロード

クロムハーツ

クングラード

クンダリーニ

グインサーガ

グランゾート

レゴワール

ケルナグール

コインパーク

コダクローム

コパカバーナ

コルコバート

コルチゾール

コルトレーン

コンクラーベ

コンクリート

コンサドーレ

コンジローマ

コンタドール

コントロール

コンビナート

コンプリート

ゴスペラーズ

サザンビーク

ボナローラ

サラダボール

サルトー

サルドール

サロメチール

サンクレール

サンタローズ

サンパギータ

サンマリーノ

ザミンダーリ

シエラザード

シコンコート

シナモロール

シルクロード

シロガネーゼ

シロノワール

シンガポール

シンクレール

シンジケート

シンドローム

アスター

スカイマーク

スカイラーク

スカルボーズ

スクラロース

スコアボード

スタンダード

スタンダール

スパイゲート

スパムメール

スピリトー

スピルバーグ

スリムハーポ

スレイヤーズ

スワンボート

センコロール

ソウルフード

ソステヌート

ラムナード

エトロープ

タイトロープ

タイムセール

タイムリープ

タウンページ

タラベール

タンガニーカ

タンジマー

タンアール

ダイスダーグ

ウンコート

ダウンロード

ダクトテープ

ダブルリー

ダブルリー

ダンスホール

バクローム

チンチコール

ツインターボ

ツインテール

ツバメノート

ツルナゴーラ

テニスコート

テルパドール

テルミドール

レスコープ

テレタボーズ

デスタムーア

デストラーデ

デスペラード

デビルロード

デフレパード

デルダール

トスカニーニ

トトトツート

トマトソース

トリコロール

トルクカーブ

トロピカーナ

トロンボーン

トンデミーナ

ドボルザーク

ドルトー

ドンキホーテ

ナイシトー

ナイトプール

ハイドレート

ハズキルーペ

ハンカチーフ

ハンドソープ

ハンドボール

バトルドーム

バブルソート

バリアリー

バロンドール

バンガロール

パズルゲーム

パリダカール

パルムドール

パンチパーマ

ヒメノアール

ビエンナーレ

ビオサバール

ビスクドール

ビデオテープ

ピラメキーノ

フジクローム

フラゴナール

フラペチーノ

フランセーズ

フレイザー

フレグモーネ

フロンターレ

ブイヤベース

プライベート

プラズマート

プリマベーラ

プレイアード

プレパラート

プロテアーゼ

プロムナード

ヘルプマーク

ベイスターズ

ベオグラード

べレロポー

ベンザエース

ベンチシート

ベンチマーク

ペスカトーレ

ペプシコーラ

ペプチターゼ

ペルグリー

ホセリサール

ボアソナード

ボラギノール

ボンピアーニ

ポポラマーマ

ポリメラー

ポルトキー

ポンドガール

ポンパドール

エストー

キラドーラ

マグコロール

マスカレード

マデサゴーラ

ハブフーラ

マリオカート

マルガリータ

マルコポーロ

マンマミーア

ドルラー

ミナカトー

ミルクセーキ

ミルクボーイ

ミルクレープ

ムシコナー

インコース

メトロノーム

リンガー

メルクマーク

モザンビーク

モノクローム

マンドール

モンロワール

ヤクトドーガ

ユルスナール

ヨクアタール

ライフワーク

ラブラドール

ランドマーク

ランペルール

リズムゲーム

リブルアーチ

リムルダール

リングノート

リンチバー

リンドバーグ

ルバイヤート

レイストーム

レトロゲーム

レンズフード

ロトスコープ

ロマンサーズ

ロングシート

ロングボード

ワンパターン

2021-06-16

anond:20210616103740

簡単にまとめると

・「転生者が実は悪者」というのは「なろう」でも手垢が付きまくったネタでこの程度では到底「なろう系のアンチテーゼ」にはなれない

・「ヒーローが実は悪者」というのは直近数ヶ月で三・四作品くらい新連載が始まっているほどの流行ネタなので飽きられている

・「一発でキャラ元ネタが分かる」「元ネタを読み込んでいるとは思えない」などパロディとして単純に質が低い

理由だよ。

2021-06-11

結婚

 ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。

 本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。

 ただあまりにも「結婚幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。

 結婚にはメリットデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります

 まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間タイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

子どもを産み育てることがスムーズになる

 …あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。

 強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?

 結果としてついてくる分には勝手しろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。

 てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

 それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。

安心感

 安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。

 文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。

 つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。

 それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。

 これは交際前と交際後という比較的浅い次元関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。

 言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。

 言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分勝手な期待を相手押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。

 言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップル破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。

 浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。

 人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。

 付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。

 交際から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というもの法的拘束力を持つからだ。

 これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。

義務

 さっきの安心感に比べればこちらはシンプルもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事モチベーション向上に繋がる良い面がある。

 その代わりに、義務感という言葉強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。

 人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。

子どもを産み育てることがスムーズになる

 できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。

 とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。

 まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意から必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。

 子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれ子どもとしての役割、というこの二つ。

家族の一員としての役割

 これはやはり一般的幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。

 正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵から攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ

 ただ、現実問題そのように理想的機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界

 そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。

 それに、世間一般家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。

 ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。

 それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というもの基本的孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。

 世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。

 もし自分父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。

 まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。

 子どもにとっては母である自分パートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。

夫婦の間に生まれ子どもとしての役割

 「子は鎹」という言葉がある。

 こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。

 けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。

 子どもができることによって夫婦関係は父母という関係にもなって、彼氏彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児教育家計問題でやっかみ合うようになり、関係悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである

 これを果たして幸せと呼ぶことができるのか。

 …とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。

 あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。

 という記録。

2021-06-02

anond:20210602120628

社会的破滅可能性も厭わず声明を発表するような会社製品が、消費者の方を向いて開発・製造されているかというとそうではないんじゃないか、究極的には自分たちが良ければそれでいい、消費者から金を搾り取れればいいと思ってるんじゃないか、という判断があってもおかしくない。

CSRブランディングの強烈なアンチテーゼ、建前を捨てた企業危険性のようなものだと思う。

2021-04-24

日本インターネット女性蔑視史をを振り返れば「まーん」はそもそも

インターネット懐古厨の皆様はご存知だろうけど「まーん」はインターネットでは比較的新しい部類のネットスラングで、少なくともガラケーユーザー揶揄する「ポチポチ」や、ケシカラン画像投稿する女性ユーザーを指していた「女神」などよりも新しい。
この「女神」、「電車男」以降は女性2ちゃんねらーを指すようになっていくが、そもそもは前述したとおりケシカラン画像投稿する女性ユーザーを指していた。

2ちゃんねる黎明期では女性ユーザーと判明することが珍しく、女性ユーザーが登場したスレッドでは一種の「祭り」のように大騒ぎすることが定番化していた時期があり、まぁ言ってしまえば「オタサーの姫」扱いされていた(オタサーの姫はまーんよりも新しいネットスラング)。
そこからピンク」側でけしからん画像投稿する女性ユーザーが増えて、優れた能力を有するユーザーを指す「神」から派生してケシカラン画像投稿する女性ユーザー限定して「女神」という呼称が用いられるようになったのだ。
女神」の対象が拡大するのは前述したように電車男以降である

オタサーの姫」という言葉から察せられるように、何かにつれてスレッド内で持ち上げられる傾向にあった女性ユーザーをよく思わないユーザーは少なからず居た。
注目すべき点はこの女性ユーザーをよく思わないユーザー性別不明という点である
シカラン画像投稿するしないに関わらずスレッド内で「女神」と持ち上げられるとスレッド主題から外れて盛り上がってしまうことが多く、言わば「スレが荒れる」状態へ陥ってしまう傾向が確かにあった。

そこで用いられたアンチテーゼ意思表示が「まーん」である。多用された板はニュー速VIPだ。
その当時「ねとらじ」が流行するようになると容易に「ねとらじDJ」の男女がわかるようになった。すると当然「女神ミームが発生し、ニュー速VIPは一時期「女神」による「ねとらじ」が席巻してしまう。
ニュー速VIP別にねとらじ」だけの板ではなく、その他の面白そうなスレまで「dat落ち」する憂き目にあってしまい徐々に「女神」への風当たりが強くなっていったのだ。

さて、ここでこのエントリに着目した当時の様相を知る元VIPPER女性へ1つの質問をしてみたいと思う。
アナタは「女神」へ対して「まーん」と書き込んだ経験がありますか?
もし「無い」と言うのであれば、このエントリ偽史として投げ捨ててくれ。
もし「有る」と言うのであれば、その当時の様相を思い出し、なぜ同性へ「まーん」と言い放ったのか教えて欲しい。

以上だ。

2021-04-22

伊藤計劃の「ハーモニー読了

物語としての面白さ、社会実験的な知的好奇心ストーリーロジック共存、全てがすごいとしか言いようのない小説だった。

こんな小説を書く人間夭折したのは社会の損失としか言えない。クローン作成し、クローンとして目覚めた彼に、クローン作成するような社会へのアンチテーゼとしての小説を書かせたい。

2021-03-23

ギザギザハートの子守歌

 ギザギザハートの子守歌はルックス少女マンガの不良、15の夜歌詞レベル少女マンガの不良である事を指摘するためにいつ発表されたかを調べた結果、恐ろしい事実に気付きました。

 

ギザギザハートの子守歌

1983年 9月21日発表

 作詞康珍化という韓国系日本人

 

15の夜

1983年12月1日発表

 作詞作曲歌手本人

 

 本来目的は「おじさんとジャニーズオタクを貶めながら自分達だけうっせぇわのファンの味方面する図々しい大人に対する嫌味」でしたが、実態が斜め下。

 言っておきますが、うっせぇわのがギザギザハートの子守歌に対するアンチテーゼなのも知っていますし、むしろヤンキー界隈の怠惰に大して厳しい目を持つキモオタです。

 「ギザギザハートの子守歌に対する皮肉だと気づかないの?」と絶望していますわ。

2021-03-17

結局エヴァにさえ見捨てられてしまったおたく

エヴァが、おたく達へのメッセージとして結局、「普通にしてさえいればいいんだよ」ということしか言えなかったのが悲しい。そりゃ俺も、きっとほとんどの大人も、他に何も思いつかないわけで、だからこそおたくは、どうしようも無くおたくな訳だけど。

あんまり拗らせずに、ただ普通にしていればいい。普通にしていれば、普通力学がはたらいて、普通に周りの助けを借りて、あるべき所に収まることが出来る。心配しなくても、あなたの出番、あなたしか出来ない仕事というもの絶対にやって来る。それも、誰の目にも、もちろん、あなたの目にも明白な形で、やって来る。」っていうメッセージは、悩み一般テーマにした物語の結末としてはよくあるし、実際、ほとんどの”元・拗らせてた”大人は、そういう結論を通って、まともになったんだと思う。

うそういう結論しかエヴァを終わりに出来なかったって言うのも分かるし、庵野新劇場版を始めた意図全然違うところなのかもしれないけど、やっぱり26年おたくを待たせておいて、最後最後でいつもの「納得感」をフルスクリーンで叩きつける、っていうのもどうなんだろう。

アスカケンスケとのあれこれだっておたくを舐めているとしか思えない。アスカケンスケと過ごして居心地良いのは納得できるけど、ある一つの言葉アスカを救ったような描き方をするのは辞めて欲しい。エヴァは「人を劇的に救う、核心的な一言」みたいな安いドラマアンチテーゼではなかったのか。

安易な「この世界の片隅に」みたいな場面も、本当にエヴァでやる必要があったのか?どんな状況でもしたたかに暮らす人々の力(に触れたアヤナミ)でしかシンジを立ち直らせることは出来なかったのか?エヴァは「人をやがて救うのは、時の流れと日々の暮らし」みたいな、安いドラマアンチテーゼではなかったのか?

庵野、結局お前さえ結論を出せなかったせいで、おたくたちは今でも、どこで聞いてきた言葉なのだろうか、”他者の痛み”がどうだとか言ってエヴァを語っているぞ。おい見ろよ、「ガフの扉」だとか「ゴルゴダオブジェクト」だとかの話は凄く厳密に考察できるのに、心の問題になるといきなり、曖昧言葉でなんとなく語ることしか出来ないおたくありさまを。心の問題は、「絵コンテにはこう書いてある」だとか、「ウルトラマンオマージュだ」だとか、とにかく情報を集めていけば解明できるような事じゃなく、おたく自身がその”他者の痛み”とやらにしっかり向き合って、「普通に自分の心を見つめ直していかなければいけないのに、おたくはそれが分からないんだよ。そもそもシンジだって、そういう面倒臭い奴として描かれていたのに、結局、じゃあそんなシンジが(そしておたくが)どうすれば救われるか、庵野、お前にも、結局分からなくて、急遽シンジ一定時間黙らせて、それから人格シンジやらせることにしたんだろ。それであんなに、シンジの心の動きが追えないような造りになってしまったんだろ。庵野あんまりじゃないか庵野ほとんど前田真宏が作ったって言うのは本当なのか、庵野。本当にあれで、シンジシンジのまま救うことがないままで、いいのか庵野

2021-03-16

anond:20210315224407

そもそも正しいとかどうでもええねん

「正しい」とか言い出すと今の研究哲学だって難問やろうしな

p値出してハイ終わり〜なんて一分野だけの正しさやで

脱構築はたしか他人経験否定せず受け入れて構築していくみたいな感じやったわ

従来研究へのアンチテーゼにしても雑やんな

ちなみに一人一派もその多様性肯定から来てるねん

まぁこれが有効なんって哲学文学さらにごく狭いとこやろうけど

まりに前時代文系研究すぎるしその分野の人も気にしてへんちゃう

ただ、その研究のとこで脱構築だのなんやかんや言うのは好きにして〜って感じやけど、女性問題って現実問題フェミニズムって社会運動にこれ武器として携えたのアホちゃうかって思うわ

結局いろんなグチグチした話集めただけやんな

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