はてなキーワード: 加虐行為とは
まず、最初に彼の語ったいじめ(と言うより暴力行為)は決して許されるものでは無いと言う事を申しておく。その前提の上で、一個人の意見を述べたい。
この問題に関して調べていくと、90年代鬼畜カルチャーという文言をよく見かける。私は現在30歳で当時の空気感がわからないが、鬼畜カルチャーに関しての個人的感想を述べたい。
当時のお利口で軽薄でゴージャスな成金文化へのアンチテーゼみたいなものだったのだろうか。綺麗なメッキを剥がした下のグロテスクな現実を暴くという大義名文の下、弱者を痛めつける事をコンテンツ化し面白がり消費していたのだろう。消費する事が強者であるバブル文化の中で、それに乗り切れなかったものが、強くあろうとしてもがいた結果なのかとも感じた。
そんな時代の空気感の中で、メインのカルチャーに馴染めなく、自意識過剰な斜に構えた者たちへの娯楽として供給された文章が、例の案件だったのではないか。
小山田氏の語った行為は許さない事だが、当時の消費者が求めていた娯楽を提供したと言う点では、彼は仕事をこなしたと言えると私は思う。その内容はいいか悪いかを置いておいて。
何度も述べるが、私は小山田氏の語った行為に関して擁護はしないし、許されない事だと思っている。だが、当時の時代の空気を考えると加害者は彼や出版社で無く、鬼畜カルチャーを面白がってた人達にもある。当時の空気感を無視せず、そこを社会全体で追及し、反省するべきではないか。
現在の彼に対する私刑ともいえるネットリンチを見てて思う事がある。これは90年代悪趣味カルチャーと地続きではないかと。
意気揚々といじめはダメだと語り、彼に退任を求めてた姿は、次第に彼への攻撃をコンテンツ化し、エンターテイメントとして消費しているように感じた。集団いじめの本質は、誰かが理由を作りその理由を元にターゲットを決め、皆で面白おかしく攻撃する。現在の私刑リンチは、皆が非難している小山田氏の加虐行為と被らないかと私は思うのだ。
鬼畜カルチャーがメッキの下に隠された加虐性をコンテンツ化し供給するものだと仮定すれば、現在の私刑カルチャーは加虐性にメッキを塗りたくり正義感のラベルの下で楽しんでいるように思える。
上記の点を踏まえ、私は個人個人が自己の加虐性を認め、90年代鬼畜カルチャーを総括し、負の連鎖を断ち切る必要性を感じている。
ハラスメントって罵倒リプライと同じでやってる本人にはすこぶる快感だから、そして大抵は社会的に優位な立場からやるせいで止める人間が現れにくいから(さらには「教育」だとか「評価」だとかの何らかの大義名分がくっついていることもあるから)、当事者による自浄作用が最も期待できないタイプの愚行で、それを根絶したければ法なり内規なりで制度的に介入してハラスメント当事者の社会的地位を剥奪するしかない。
これはハラスメント被害者がかわいそうだから剥奪するというよりも、放置するとあちこちで同じことを繰り返してその社会(コミュニティ)の存在価値を低下させるから剥奪すると考えるべき。
そして当事者は快楽を求めて加虐行為に走っていて、それは依存症みたいなものなので、普通の人間が対処すべき相手ではない。
ハラスメント当事者は薬物依存症患者と同レベルかそれ未満だとみなす必要がある。
ヤク中の中にはお部屋で一人でラリってるだけの者もいるのだろうが、ハラスメント人間は例外なく他人に攻撃しているので、後者のほうがより有害なのは明らか。