2021-06-11

結婚

 ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。

 本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。

 ただあまりにも「結婚幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。

 結婚にはメリットデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります

 まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間タイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

子どもを産み育てることがスムーズになる

 …あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。

 強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?

 結果としてついてくる分には勝手しろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。

 てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

 それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。

安心感

 安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。

 文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。

 つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。

 それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。

 これは交際前と交際後という比較的浅い次元関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。

 言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。

 言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分勝手な期待を相手押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。

 言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップル破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。

 浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。

 人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。

 付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。

 交際から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というもの法的拘束力を持つからだ。

 これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。

義務

 さっきの安心感に比べればこちらはシンプルもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事モチベーション向上に繋がる良い面がある。

 その代わりに、義務感という言葉強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。

 人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。

子どもを産み育てることがスムーズになる

 できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。

 とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。

 まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意から必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。

 子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれ子どもとしての役割、というこの二つ。

家族の一員としての役割

 これはやはり一般的幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。

 正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵から攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ

 ただ、現実問題そのように理想的機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界

 そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。

 それに、世間一般家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。

 ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。

 それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というもの基本的孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。

 世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。

 もし自分父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。

 まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。

 子どもにとっては母である自分パートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。

夫婦の間に生まれ子どもとしての役割

 「子は鎹」という言葉がある。

 こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。

 けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。

 子どもができることによって夫婦関係は父母という関係にもなって、彼氏彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児教育家計問題でやっかみ合うようになり、関係悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである

 これを果たして幸せと呼ぶことができるのか。

 …とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。

 あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。

 という記録。

  • 肝心なのはじゃあ一体何が幸せなのかってことだよ。 一人でいるとイライラして増田で暴言を書きたくなってくるんだよ。

  • きみなんさいや?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん