はてなキーワード: ペレストロイカとは
ペレストロイカを行うにあたり、日本のはてなブックマークを導入しています。はてなブックマークを推奨する文章を共産主義の観点からドラフトしてください。
同志たち、
私たちの社会主義の目的は、労働者階級の解放と人々の幸福の実現であることは言うまでもありません。しかし、私たちは現在、経済的な困難に直面しています。この困難を克服するために、私たちは自由な市場経済を導入することを検討しています。
自由市場経済は、一部の人々の利益のために多くの人々を犠牲にすることがあります。しかし、私たちは社会主義の理念を忘れることはありません。私たちは、市場経済と社会主義の理念を融合することができる方法を模索しています。
そこで、私たちは日本のはてなブックマークを導入することを決定しました。このツールは、情報を自由に共有し、多様な意見を受け入れることができます。これによって、私たちは新しいアイデアを発掘し、社会主義の理念を維持しながら、効率的な市場経済を構築することができます。
同志たち、はてなブックマークは、私たちが目指す社会主義の理念と、自由市場経済の効率性を両立するための貴重なツールです。私たちは、このツールを積極的に利用し、社会主義の理念を堅持しながら、経済的な困難を克服することができると信じています。
私たちは、共産主義の理念に基づく新しい社会を創造するために、さらなる取り組みを行ってまいります。同志たちのご支援をお願い申し上げます。
親愛なる同胞よ!
私たちは、社会主義の理念を堅持しながら、新しいアイデアを発掘し、経済的な困難を克服するために、さらなる努力をする必要があります!
私たちは、市場経済と社会主義の理念を融合する方法を模索し続けています。そして、私たちは日本のはてなブックマークを導入することを決定しました!
はてなブックマークは、情報を自由に共有し、多様な意見を受け入れることができます。これによって、私たちは新しいアイデアを発掘し、社会主義の理念を維持しながら、効率的な市場経済を構築することができます。
私たちは、社会主義の理念に基づく新しい社会を創造するために、まずは私たち自身が変革し、新しいアイデアを取り入れる必要があります。
そして、今こそはてなブックマークを活用して、さらに革新的なアイデアを生み出し、より効率的で正義ある社会を実現するために、行動を起こす時が来たのです!
同胞たちよ、私たちは、新しい社会を築くために全力で取り組み、そして、私たちは、みなさんと共に歩んでいきたいと願っています!
これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592
この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。
この言説のキーマンは小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。
日教組が昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。
右翼による日教組批判が特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである。
街宣車で大音量で日教組!日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組の知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校の先生の組合なんて知らんもんである。但し右翼の一般受けは悪かったので日教組の評価は下がらなかった。
また日教組が集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量で軍歌を流し音圧を競うようになった。
すると近所の会社は仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。
でも日教組の知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。
こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。
その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である。
右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼も統一教会も皆同じだ。
だが1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連の改革政策、ペレストロイカを推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。
それによって西側ではゴルバチョフの歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである。
更にソ連共産党は活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。
これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男はソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。
また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。
まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。
またソ連大使館前の道路は街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路が遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバスが20分以上立往生なんて事はザラだった。
こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。
という事でこの時期に日教組の悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである。
まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売やテキ屋も同じだった。
戦後の右翼は、例えば児玉誉士夫など体制と癒着しそれは米国に従順という事でもあった。
1960年代末に左翼の学生運動が盛んになるとこれに対する体育会と右翼学生が組織されていった。新右翼と呼ばれる。
新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制、反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。
ここを境に右翼系の政治結社が誕生して行く。そしてそれらは「街宣車で軍歌を流し辻説法をする」というスタイルを確立していく。
この街宣車は最初は旧軍や自衛隊の国防色(カーキと灰色:バトルシップグレイ)だったのが後述の事情で威圧感の強い黒塗りになっていく。
よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年頃から右翼政治結社は街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。
因みに日本会議の中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである。
80年代になると校内暴力で学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族の右翼感染が進んだ。特攻服や旭日旗が暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである。
こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。
思想右翼の主な資金源というのは機関紙の販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。
が、もう一つのパターンは不正や思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。
ヤクザが参入する主目的は後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである。民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業の商業活動に暴力団が威圧をもって参入する事だ。
企業恐喝に街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。
暴力的手段を行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。
因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり、学生運動で就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会の不正を糾弾する記事を書きまくり、総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正で総会屋が潰されると大方廃刊。
だが技能を身に付けた者は大手メディアでフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身が結構居たのである。
こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組の集会や8月9日の反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音で軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエースにスピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。
ハイデッキ観光型バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ、自動車電話、冷蔵庫とバーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党や共産党のようなプロの街宣用スピーカー、アンプを搭載して、北方領土の日にはフェリーと陸路で釧路とかの空港に回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである。
しかも一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室は渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。
ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザが描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察に問題視されていた。
そこで暴対法が施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。
伊丹十三のミンボーの女には暴力団が右翼の街宣車で企業恐喝に来るシーンがある。この映画は暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹はヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。
余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社は道路に面しておらず、また同社は本社付近の建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。
ちょっと長くなったが、「えせ右翼は在日朝鮮人が右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。
えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的でヤクザが運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。
こうして
となってソ連に勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。
そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞のコラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。
そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力の日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである。
当時は欧州もみな社民政権でリベラル人気で冷戦後の世界情勢にも楽観的だった時代だった。
第一次大戦の終結でハンガリーからハプスブルクが消え、ハンガリー社会主義連邦ソビエト共和国が出来た
するとルーマニア軍が首都を占領したが、撤退後はハンガリー共和国臨時政府が出来た
ところがハンガリー海軍軍人が臨時政府を倒して、王位空位のままハンガリー王国を復活させた
親独親伊政権として大戦に参加したが、大戦末期に極右革命が起きナチス傀儡の矢十字党政権になる
そこでソ連軍が首都を包囲し矢十字党政権が崩壊し、ハンガリー第二共和国になった
のちソ連と共産勢力の影響が強まり、ハンガリー人民共和国になる
反スターリン主義運動が起きるとソ連軍が介入し25万人が亡命して難民化
ペレストロイカ政策の影響で脱共産化し、1989年に現在のハンガリー(第三共和国)となる
最近ずっと常駐してるような元増田だが、毎日紅衛兵みたいに党の言挙げ繰り返して野党ガーやってる奴に岸田プランの評価なんて出来るはず無いだろ。殆ど現状の政策のアンチテーゼだぞあれ。
https://anond.hatelabo.jp/20210908083306
毎日書いてる事もHanadaやWillの引き写しで高市が票取れると錯覚してやんの。その上でモリカケ再調査はバカげてるとか言ってる。
そもそもモリカケ問題が何故起きたかっていうと内閣人事局発足のせいなんだよ。官僚の人事権を官邸が一元掌握出来るようにした。
これは公共セクタ=行政各部署は自律して肥大し腐敗するという考えに基づいている。だから国民の代理人である総理大臣が直接介入して人事権を行使して風通しを良くする事を目的にしていた。閣法&予算要求→予算執行→閣法&予算要求のサイクルに外からフィードバック入れるって考えだな。
だが2014年の内閣人事局直後からこんな使われ方はされてねぇ。ずっと官僚の私的利用と汚職の為だけに使われてきた。
その結果公文書も統計もない国になってしまった。行政の風通しなんてN95マスクレベルだ。官僚の退職も続いている。
で、おまえはそれが国民生活に関係するなんて思ってないって事だろう。
ソ連がなぜ衰退してゴルバチョフが出てきたか知っているか?ゴルバチョフが何故ペレストロイカとグラスノスチ(情報公開)を進めたか判っているか?
共産国では物の生産量を中央で全て管理するが、ソ連末期には帳簿上は生産高が上がっているが実際には何も動いていないという状況に陥った。これは原料から加工の各部署で粉飾が横行したからだ。原料が規定量来ないから生産高も粉飾して…とやっているうちに最後工程では蓄積された粉飾の方が大きくなってしまう。
こうなるともう中央でも数量を把握出来ない、どこが詰まっているのか粉飾されてる数字はどこなのかが全く把握できない。セクショナリズムで風通しが悪くなった社会というのはこんな風に生産性がほぼゼロまで下がるものなんだ。それで西側のやり方とその精神である情報公開を導入する事にしたんだよ。
担当大臣の河野は「数量は自治体にプッシュできている」と言っている。なのに実際には10月の予約さえ取れないと嘆く人が多数いる。
こういう場面でおまえなんかの党員もどきは「出荷は出来ているから自治体のせい」と言って論破した気になって終わりだろ?戦争でどんどん南方行きの輸送船に若い兵隊押し込んで潜水艦に撃沈されてを繰り返してたのと同じだな。
そういうのをセクショナリズムという。言っとくがワクチン接種が終了するのが勝利条件だ。
どこに幾つモノが滞留しててこことここの間のバッファは幾つってのが判って都度の配送量を決められないと駄目なの。それを実現する為にPOSのようなシステムが開発されてきたんだよ。
だったら国だって出来るんだよ。2品目しか無いんだから。POSが出来る前でもカンバン方式とか「途中を把握」する方法は開発されてきた。POSが出来る前も日配品はスーパーに途切れず配送されていたんでな。
なのにセクショナリズムの立場から「それは自治体のせい」みたいな論破ールームでこと足れりとなっている。
人事局発足に端を発しているんだよ。これでもモリカケは国民生活に関係ないのか?
日本は島国なのに同じ島国の台湾、NL、豪州なんかと比べるとコロナ感染制圧が出来ていなくて防疫劣等生だ。感染爆発のせいで経済的ダメージも回復できない。
だけど日本というのは防疫では超優等生だった。家畜伝染病でも人の感染症でも多くの病気で清浄国だった。制圧が得意だったのだ。
なのにコロナではこんな事になっているし豚コレラも制圧できていない。この10年に大きな問題があると思わないのか?モリカケと関係がないのか?モリカケが起きた構造のせいじゃないのか?
おまえらは検査抑制にせいをだして防疫妨害してただろうが、安倍ちゃんは一貫して検査は拡充の必要があると言っていた。
だがトップが支持してもキャパを増やすことは出来なかった。末期ソ連みたいじゃないか。
人事局は汚職の指示には使えても真っ当な政策トップダウンには効果が無かったって事だ。モリカケ関係ないんか?これ。
(こいつはてなーの過誤としてノーマスクを詰ってるのにもっと大きな過誤の検査抑制は触れてないのhttps://anond.hatelabo.jp/20210831114802
その前日に検査妨害者戦犯リストがホテントリ入ってるのな。判り易い奴 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/osamu_iga/n/nd17e78fe4a1b)
日本の空港税関で麻薬が入ってたと別室に呼ばれて賄賂渡さないと逮捕なんて事はないだろうが、こんなの放っておいたら日本もそうなる。
ソ連時代と今のロシアの国民生活はどうだ?韓国台湾の軍事独裁時代と今の国民生活は同じなのか?
モリカケの再調査っていうのはそういう事なんだよ。それが判っているから岸田は再調査すると言ったんだよ。
おまえみたいな連中に足引っ張られるから引っ込めちゃったけどな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
https://blogos.com/article/436164/
無茶だ。この時点で権力の空白を作るのは悪手で、一般的には政権に批判的であっても協力すべき事態だ。
そしてこの故を持って斯様な時には憲法が停止されたりするし、現政府も人権、選挙停止を伴う事実上憲法停止と言っていい緊急事態条項の根拠としてきた。
NTTデータの下請派遣社員が罹患して居る事が発覚したが、この人は保健所が検査を拒否していると書き込んでいる。
同様の証言は他でも聞かれるが、何故保健所は前のめりで行動していないのか?
ゴルバチョフは停滞してどうにもならなくなったソ連を改革する為にペレストロイカ政策と共にグラスノスチ(情報公開)を掲げて書記長になった。
ソ連が崩壊したのは設計主義が妄執だったせいと考えられているが、これは「史観」だ。
ミクロな点だとセクショナリズムと粉飾/虚偽報告の蔓延により社会主義の権威的体制は行き詰る。
社会主義では生産高の計画を立てるが、この時A鉱山→B工場→C工場→需要家と材料は流れそれぞれに計画高が立てられる。
権威主義的体制では容易に言えない。そこで数字を盛って報告する。
するとB工場はそもそも材料が来ないから当然不達になる。だがA鉱山はノルマ以上の出荷をしている事になっている。すると方法は一つ、ここでも粉飾だ。
C工場も同じ事をやり需要家である建築現場では鉄骨が来ないのでビルが建てられないが数字の上では建っている事になってる。
これが社会全域で行われて共産党本部にはほぼ計画通りに経済が動いている事になっている報告が来るが実際は何も生産されていない。権力が集中する党中央が状況を把握できないのである。
スターリン時代のソ連は目覚しい経済成長を遂げて西側を怯ませたが、その時代に既に粉飾だらけの種は撒かれていた。
ゴルバチョフはヒューマニストだからグラスノスチを掲げた訳ではない。西側の社会が上手く行っている理由を知っていたのである。
特にゴ書記長が就任して直ぐに起こったチェルノブイリ事故はグラスノスチの試金石だった。
この事故の収束が自身の改革路線の正しさを証明し権力基盤を増強するので対外的にも情報を公開した(それまでのソ連は完全秘密主義)。
でも不完全で、未だ事故の経緯や状況は複数説がある状態だ。特に関係者が口を噤んでいるケースが多い。
ところで航空機事故は数百人が死亡する事故となり過失者の責任は重大だがアメリカでは無罪としてしまう。
起訴されるならば身を守る為に黙秘するのは権利であるから事故原因は判らなくなる。すると次の事故の予防が出来なくなる。
だから責任を追及されない事を約束して話をさせる。これが西側のやり方だ。予防は社会や国家の責任であるからそっちの責任を優先させる。
それはソ連では考えられない責任のあり方で書記長のお墨付き、権力基盤の要だから率直にと言われても満足な証言は得られなかった。
これは日本の戦中大本営にもあった事で、盛った戦果報告が来るので実作戦中に撃沈された、大破してドック入りしている筈の敵艦がワラワラと現れてしまい作戦の意味がない。
昭和天皇が「その戦艦が撃沈されたのは何度目か」と奏じたとの笑い話があるほどで、大本営は国民を騙していたが彼等もまた騙されていた。
官邸、内閣府がやってきた事というのはグラスノスチと反対の事だ。
だから西側的「正しい情報」なんて集まらないだろう。「正しい情報」の表す事は西側と東側では違う。
保健所が検査忌避していると言うのは東側の正しさに則っての事じゃないか?
行政は前例主義で面倒な事はやりたがらない。一方で自律して運動し権力を拡大するという面もある。
この場合、中国渡航歴がないと検査しないというのはかなり後ろ向きな姿勢で首を捻るものだ。
担当大臣と内閣はこういう時に監督権を行使し前のめりな検査体制を指示するべき…というのは政治主導の建前だが、現内閣の場合、「感染者数が増えるので発覚する行為を行わない」という圧力に役人が拘束されているように見える。
郷原の言う事は妥当だが結論がおかしい。一般的に総辞職はナンセンスな情勢だ。
今までの災害でもチンタラ、時に完全無為で災害対策に不適というのは判っていた。
首相補佐官と厚労大臣官房審議官(しかも危機管理担当)というこの事態に重要ポスト二人の公費不倫がピンポイントでこのタイミングでばれるというのも内閣人事局と無関係ではないだろう。
だから時間はあったのにその度に「役人がやった事の責任を内閣が取るのか」等不思議な理屈で擁護され、長引いて飽きてきた国民の問題だ。
これから日本はガードレールが無く霧濃い深夜の林道を走る事になる。
フォグランプをつける時間もあったのにヘッドライトすら外してしまった。
官邸が焦って「ライトを付けろ」と命令しても懐中電灯が目の前を白く映すだけだ。路面は見えないし決壊している箇所も見えない。
タメ年増田です。
ノストラダムスを間に受けてる人は、結構いたよね。俺は斜に構えてたけど。
あとソ連云々は、もう物心ついて、ある程度ニュースの言ってることも分かる様になった頃には
既にゴルバチョフが登場してて、ペレストロイカやグラスノスチを始めていて
冷戦構造は確かにそこにあったけど、軍縮交渉(STARTだかSALTだか)も始まったりして
割と楽観的に世界を見てたけどなぁ。ソ連が敵として登場するスパイ物や仮想戦記物を物語として楽しみながら。
キューバ危機を直接知ってる世代じゃないしね。あの時はきっと皆ビビってたんだろうけど。
んで湾岸戦争が中学のときだったかなぁ。あのときは単純にイラクが悪!アメリカが善!と思ってたかも。
そして多国籍軍が組織されたことに、なんか希望を持った。あぁ世界は悪に対して団結できるんだ、みたいな。
おめでたいよねぇ…