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はてなキーワード: 希薄とは

2021-04-21

酸素のない水

普通とは何なのだろうか。

普通でいることが善なのか、はたまた悪なのか。

よく「量産型」という言葉を耳にする。

個性的で、長いものに巻かれる。それは当たり障りない人生というテンプレートをなぞっていくような言葉にも感じられる。

しかし。

先天的発達障害(ASDADHD、DCDのトリプルコンボである)を抱えて生きてきたわたしには未だに今ひとつ普通」「没個性」というものがピンとこないのだ。没個性を目指してもなれない、普通を求めても手に入らない。最初約束と違ったことを言われたり、イレギュラー要求をされるとそれを「普通」にはこなせないし、0か100かしかないので50を求められても相手の思うように返せない。

その発達障害20歳になるまで見つけられることがなく、いわゆる定型発達の子どもたちと混ざって幼少期から常に「変な子」「面白い子」と揶揄されてきた。その度に普通でいることのハードルの高さを感じさせられた。

かに物心ついた頃から子ども特有の目のキラキラ感がなかったことも自覚はしているし、どこか冷めているというか物事純粋に楽しめなかった。その上父方の家庭が自分たち価値観の型にはめていく教育方針だったこからそれに当てはまれなかったわたしはそこでの居場所も失ったこともその後の成長過程に大きな影響を及ぼしていると思っている。幼稚園小学校に行っては大人にとっては「ちょっと変だけど元気で明るい子」を演じ続け、帰ったら帰ったで本ばかり読んでいた。そして当時月に2回ほど行っていた父方の祖母の家((今はもう6年ぐらい行っていないので祖母も叔母も元気にしているかどうかすら知らない))では、わたしを連れて行っていた父親含めほぼ誰にも話しかけられることはなかったのでずっと2階の広い部屋に引きこもってポケモンを捕まえ続けた。常にいい子でいなければ死ぬ、という感覚はこの頃からあるし、過干渉されると怒るくせに愛されたい願望が変に強いとにかくめんどくさい人間になった。

いわゆる「普通の子」との疎外感からわたしは気がついたら常に死にたいと思うようになっていた。記憶の限りではおそらく小学校に入る少し前ごろからだっただろうか。でも大人にそれを言うとまた色眼鏡で見られることや世間体を気にされることは子どもながらに理解していたので、誰かにそんなことは言えないでいた。何なら今の今でも誰かに言ったことはないので、ここで初めて誰かに気持ちをぶつけている。

死にたいという感情を悟られるまいと思い必死にその時その時に全力で自分の生きる意味を探した。特にこれといった特技もなく、決して健康子どもでもなかったのでその度に壁にぶち当たったし器用に生きられなかった。し、今でも器用に生きられないでいる。

そして小学校高学年からだんだん学校に行かなくなった。気がついたら中学入学後、完全な不登校になって1週間寝つくことがないまま夜を過ごしたりその間に考えるべきでないことばかりを考えるなどした。その頃から心療内科カウンセリングを受けるようになり、良くも悪くもならないままこの前気がついたら干支が1周していた((むしろここ半年仕事などの過労から抗鬱剤を飲む生活を送っているので正直悪化している、けれど新しい病院開拓するにも腰が重い))

高校受験の時だって、「普通の子」になりたくて偏差値部活の活発さも平均的なそれこそ「普通」の高校を選んだのに周りからは「もったいない」((無駄論理力だけがずば抜けていて他が壊滅的なIQであるために、自分で言う話でもないが中途半端に成績だけは良かったので同級生保護者たちからはあまりまれ子どもではなかった))「もっと上の学校に行けばいいのに」と批判された。この時ほどにわたしの追い求めていた普通否定された経験は後にも先にもないように思う。

その後その高校入学し、不登校経験した上での高校生活での目標に「皆にとっての当たり前の日常」を掲げた。しか高校2年生の頃に病気が見つかり、当たり前の日常はおろか出席日数もギリギリクラスでは孤立しながら廊下からすぐのいちばん後ろの席で生活した。こんなはずじゃなかったのに、と何度も思ったけれど、どこか仕方ないと思って諦観している自分もいた。

大学でも2年生修了時に高校時代からの持病が悪化し中途退学。自分人生の中で比較的イケていた時期だと思っているが、学校生活「すべて」を謳歌したことは一度もない。その結果通信制大学編入し、単位まったりまったりと取りながらズルズルとマイペース学生という身分を続けてしまっている。

20代も半ばとなった今でも時に日常会話で「普通に」とか「常識的に」と自分の中で繕った普通をぶった切られることもある。最初は何とも思わないが、それを同じ相手から何度も何度も言われることで自分の中での普通はまだ全然普通ではなくて、むしろまだまだ程遠いところにいると感じてしまう。そして「普通」という名の相手感情の押しつけに嫌悪感を抱くし、「あなたが言う普通だってあなた個人価値観だよね」と言ってしまうので感情的にカッとされることも少なくはない。((カッと、ということで余談だがリストカットなどの自傷行為に走ったことはほぼない。その時間無駄だと思ってしまうしもっと具体的でもっと苦しいものを選びたくなるしいつもそれを考えているうちに過呼吸になっている))

この普通適応できない息苦しさはいつまで続くのだろうかと思うと過去記憶フラッシュバックしてくることも頻繁にあるし、それで過呼吸を起こすことだってある。結果身近な人が迷惑を被ることになる。いつまで経っても身近な人の立場からしたらわたしは最高にめんどくさくて、普通には到底なれなくて、どこまでもまっすぐに生きていけないとても厄介な存在なのだ

からこそ交友関係もどんどん希薄になっていくことには慣れているし、距離を置かれていくことを察するようにもなった。自分から誰かと接するということも積極的にできないし、むしろ入られたくないゾーンに入られたら精神の平静を保つべく全力で拒むようになってしまった。自分友達だと思っている相手からしたらわたしという存在は知り合いないしは顔見知り程度なんだろうなと斜に構えてしまう。iPhoneアドレス帳なんて家族含め3人しか登録されていない始末だ。でも別に特別広い交友関係を持っていてもメリットもないし、むしろ自分に相応しくないように思えてきてしまうしそれを悩む時間無駄だなと思う。

結局ひとりぼっちでいることしかできないし、結局誰かに頼る強さを得ることもできない。いつまで経っても弱くて、いつまで経っても自分自身のことを好きになることができない。常にコンプレックスに直面している。

アポンプのない酸素の薄い水がたっぷりと入った広い広い水槽で、必死に呼吸をする魚のような感覚だ。

いつかひょんなことからこの文章を見つけた未来わたしが、少しでも笑ってこれを見られますように。

そして、今よりも生きることを楽しんでいる「普通の人」に近づけていますように。

2021-04-17

私はクソコラが嫌いだ

私はクソコラが嫌いだ。

ネットに数多存在するクソコラを見て笑えていたのは過去の話だ。

笑えなくなったのは私が間接的に「される側」になったためであり、この記事にはそれに関した懺悔の思いも含まれている。

この記事はいわゆる「お気持ち」であり、二次創作への個人的価値観もあり、また、製作であるが故に匿名にせざるを得ない情けなさをないまぜにした長ったらしい愚痴である

=====

インターネットには実写、イラストわず無数のクソコラが転がっている。

まだましなもの人物を雑に切り抜いて別の背景に合成したり、当事者から許可の降りているコラージュだ。(ぼっさんなどが最たる例だと思う)

故に、私がここで明確に「嫌い」とするクソコラは全ではなく、「製作者側の許可はなく、二次創作範疇であり、且つなんらかの二次的影響を波及させるものである

正直、公式画像使用している時点で本当に二次創作範疇であると言えるのかは微妙であるが、製作側が直接注意をしないのであれば黙認の範囲なのだと思う。

以下記事内でクソコラというワードが出た場合は、このように対象限定したものであるということである

 

また、大きめの主語となるため特定などに意味はないとは思うが、大なり小なりフェイク部分を混ぜることをご容赦願いたい。

(このような稚拙一方的な狡く読みづらい文章を読む物好きがいればの話であるが)

これは例えの話である

あるアニメにおいて、至極真っ当なキャラクター存在する。

そのキャラクター作品内では比較的人気は高くなく、しかし嫌われているわけではない。

性格や設定にある程度の尖りはあれど、それは創作キャラクターにおいては大して異様な特徴ではない。しかし、その少々尖った部分がそのキャラクターに深みを与え、個として際立たせているポイントでもある。

このようなキャラクターなど無数にいると思う。むしろこちらの方が基本的には多いはずだ。

こうしたキャラクターが、時にクソコラの餌食となるのだ。

 

今まで見てきた犠牲者達のパターンはいくつかある。例を挙げると、

画像の頭部を切り抜かれ、実写や全く異なる体型の別キャラクターの頭部にすげ替えられる

身体の一部を過剰に変形させ、原型からかけ離れた骨格になる

名称の似た別のキャラクターと融合させる

二次創作で誇張されがちな尖ったキャラクター性をより強調して変態性へ改変する

etc.

しょうもな……

問題はこれらのクソコラ犠牲者達が、前述の通り「作品内では比較的人気ではない」部分にある。

もしこのクソコラ対象がその作品で最も人気のあるキャラクターで行われていたとき不快感を顕わにする人々は多くいるし、それを声明する。

しかし、往々にして比較的人気のないキャラクターの数少ないファンたちは、これらのクソコラを楽しむ「実はそのキャラクター自体はどうでもいい大勢の人々」を前に閉口することがままある。

「言っても仕方ない」、「水を差したくない」、「自分が見なければいい」くらいの気持ちであると思う。

私もそうしたいと思っている。

 

こうしたクソコラにはさらに先の問題存在する。

それは、「キャラクターイメージの改変」だ。

少し前に、二次創作におけるキャラクター改変を糾弾する文章投稿され、話題になった。

私は該当の記事の(過激言動はともかく)内容については同意できる部分が多かった側だ。

二次創作をするにあたり、元のキャラクター性を捻じ曲げる行為は、それが必要でなければすべきではない……というべきか、「二次創作である意味が無い」というべきか……

 

特定キャラクター性を捻じ曲げたり、極端に誇張したりした作品群が広く認知されたときファン間においてあまりにもあんまりだと思える状況が起こる。

『(該当キャラクター)って、〇〇(クソコラによって付与された改変)だよね』

このキャラ改変が単独同人作家によるものであれば、作家性がついて回るためある程度「二次創作である」という感覚視覚的にも制限を与えてくれる。

しかし、クソコラは“公式画像使用している”という部分があり、故に“誰が作っても視覚的な作家性が希薄になる”のだ。

 

どういうことか?

Twitter蔓延する漫画の数コマの改変コラ画像がよい例である

その改変コラ画像は、誰が作ったものであるか、パッと見て判別できるだろうか?

少なくとも私にはできない。

そしてできないからこそ、製作者以外の人間別所使用拡散するし、更にその作家性は限りなくゼロに近づいていく。

作家性がほぼ失われた二次創作であるコラ画像が高い認知を得たとき、それは一定概念となって読者やプレイヤー認識に擦り込まれしまう。

これが最大の問題だと私は思っている。

変態ではないキャラクター変態とされたり

決して筋肉質ではないキャラクターがムキムキマッチョとされたり

言ったこともない台詞がそのキャラクター代名詞とされたり

……

そしてそれらの認識ファンの間で“常識”になる。

そしてとき無能製作側がそれを逆輸入する。

そのキャラクターを好きな者、製作に関わった私からしたら、かなり“““嫌”””なのだ

もし私がこの吐き出しを行う切っ掛けになったキャラクタークソコラが、「1人1回くらい」のものであれば何も感じなかったと思う。

ここまで汚物を垂れ流しているのも、そのキャラクタークソコラを年単位で作り続けている者たちが存在するからだ。

真っ当に作ったキャラクターが、そのクソコラによって「変態キャラ」にされているからだ。

 

この感覚はおそらく、「そのキャラクター純粋に好む人」「製作側になった人」にしかからないのだと思う。

実際、そうしたクソコラを笑って楽しんでいた人物が、己の最も好きなキャラクターにその歯牙がかかった途端に不快感を顕わにしたのを見ている。

 

クソコラに愛はなく、愛あるクソコラ存在しない。

そこにあるのは自覚のない悪意だけだ。

そのキャラクターは、お前のものではない。

 

何故ここまでこれらクソコラ嫌悪するのか。

それはかつて、クソコラとは言えないが若輩の私は知り合いの創作キャラクターを改変して遊び、当事者に苦言を呈されたことがあるからだ。

そのときは戯れのつもりであった。そのとき申し訳なかったという気持ちはあった。

が、いざ、しかも全く面識のない人間の手によって「される側」に立ったとき、愚かにもようやくその苦しみを理解してしまった。

ここ数年、私はそのことについてより深く反省し、恥ずかしかったと思い、思い出す度に身悶えするような懺悔の思いに苛まれている。

おそらく当該人物はもう気にしていないとは思うが、かといって許されたわけでもないと私は独り悔やんでいる。

これは自己嫌悪と、自己投影による己かわいさの苦しみによって引き起こされている嫌悪感の吐露だ。

 

よりにもよって商業方面での製作側になったため、そのキャラクターの全権を持っているわけではなく、個人的に釘を刺すことも出来ず、Twitter愚痴るのも都合が悪く、こうして匿名に甘んじている。

 

コラージュをやめろとは言わない。言えない。

ただ願わくば本来キャラクター尊重された上で二次創作が行われるようにならんことを。

 

 

[追記4/18]

記号については私が変えればいいだけのことに思えたので消した。

 

かに何かを強要している文章ではないし、反応に対して何か返すことはしないと思っていたが、私の文章の拙さ故に明らかに読み違えられていそうなことに関してだけ補足。

「人気キャラクタークソコラされない」のではなく、「人気キャラクタークソコラに対してはキャラクターを好む人間の母数が多いため不快感を口に出す方もそれなりに現れる上、人気キャラクターであるが故にクソコラによる二次創作認識は拡がっても同時にそれが公式ではないという感覚も伝わりやすい」ため、私が嫌悪している(記事内における)クソコラ群とは少しばかり性質が異なると考えている。

あらゆる事物には例外があることも理解している。

私がここでクソコラと呼んでいるのは、あくまで「人気が無い故に歯止めの利かなくなっているコラ画像」であって、すべてのクソコラではありません。

[追記ここまで]

2021-04-07

「女をあてがえ」論者は藁人形じゃなくて実際にいるよ

「女をあてがえ」論者は藁人形じゃなくて実際にいるよ。以下に具体例を出してやる。

赤木智弘

弱者男性論の元祖ともいえる赤木智弘は、2006年に「私は男女平等実践として「私を養ってくれるお嫁さん」を募集します」「応募がなければないで、「男女平等なんて言ったって、本当に平等にしようなんて誰も考えていないじゃないか」ということを実証したことになります」と言っていた。

http://journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html

島本

饅頭が「「女をあてがえ」論者マジでいるのだろうか」「フェミニズム女性自由にしたせいでオレらが結婚できなくなった」と主張している人って本当にいるの?」と問いかけたときに、「僕です」と名乗り出た 島本 @pannacottaso_v2 というTwitterアカウントがいる。「『アンチフェミは女をあてがえと言ってる』というの、全くそのとおりだしそれの何が悪いのかさっぱり僕にはわからない」「『女を充てがう方法』として税制を使えと言うてるわけです、我々は。それを『直接じゃないから充てがえと言うてるわけではない(徴税というペナルティを被れば拒否する権利はある)』みたいなのはただのレトリックだと自分は思う」と主張している。ちなみに彼は2回「僕です」と白饅頭リプライしたが、返事をもらえなかった。

https://togetter.com/li/1121535

■黒屋ぶるー

非モテに女をあてがえ」と主張している 黒屋ぶるー @kuroya_blue ​というTwitterアカウントがいる。彼は「「非モテに女を宛がう」で僕自身が想定してるのは男の年収改善(それが女の年収低下を意味することは否定しない)と独身者への社会的圧力の強化、マッチングの強化で結婚やすくしようというもの」「人口維持を目的とするなら「非モテに宛がわれる女性にあるメリット」はズバリ人口維持でしょ」と主張している。

https://togetter.com/li/1408490

弱者男性差別をなくそ

弱者男性差別をなくそう」というTwitterアカウント @tufozi2 がある。「共学が諸悪の根源」「自由恋愛が諸悪の根源」「やはり自由恋愛は廃止してお見合い制度を見直すべきであろう」「それが女性幸せもつながる」と主張している。

https://twitter.com/tufozi2

黒猫使いの鈴木

すもも @sumomodane が「そもそも「男に女をあてがえ」って言っている人、いるんですか?」と問いかけたときに「私とかがそうですね。」と答えた黒猫使いの鈴木

@kuronekomasters というTwitterアカウントがいる。「基本的には、戦争絶滅を望まないなら、あてがえ論をベストと考えます」「妥協点として30くらいまでに自由恋愛で結婚できないなら国や自治体選択肢提示離婚可能だが繰り返す」と提案している。

https://twitter.com/kuronekomasters

すもも

上で出てきたすもも本人は自分弱者男性だと思っていないし、自分が「男に女をあてがえ」論者ではないと自認しているが、一方で氏は「女性上昇婚志向の高さは男性モテ関係している。男性にとって女性上昇婚志向高まることは結婚しにくさにつながる」「女性高望みをやめることは社会的メリットにもなる。①日本少子化対策になる、②男性幸福度を高められる、③日本男女平等度を高められる」「現在未婚者において経済的理由結婚できない人が多いため女性高望みをやめればマッチング機会が増えるだろう」「日本男性幸福度が低い。それは未婚男性幸福度が低いことが寄与している。日本では家族以外の共同体希薄なので未婚男性孤立やすい。女性高望みをやめマッチングが増えれば男性幸福度高まるだろう」とも言っている。つまり女性高望みをやめて強者男性以外も選ぶようになれば、今は結婚できない日本男性結婚できるようになり、家族共同体を持ち、孤立が解消され、幸福になる、と主張している。自分には、これは弱者男性外部から見た「あてがえ」論の変形に見える。

https://note.com/sumomodane/n/nda55d2cf494e

少なからアカウントが、マッチングシステムを変えたり(自由恋愛→お見合い女性側の価値観のものを変える(上方婚志向下方婚の許容)ことで、弱者男性非モテ男性(上に挙げた人達ほとんどはこの2つをはっきり区別していない)が女性マッチングされる機会が増える、増やせ、と言っている。また彼らの一部は、自分の主張が「あてがえ論」だと明言している。

ここで挙げたのは一部の例で、はてな他で非モテについての議論が盛り上がっていた時代には、こういう論調は(かなり極端な側には属していたが)そう珍しいものでもなかった。増田過去検索してみれば同じような意見が出てくるだろう。今回炎上をめぐって「『女をあてがえ』論者は存在しない」とか「藁人形だ」という意見を目にするが、事実はそうではないし、白饅頭やすももがそう言いだした時にも実際に「女をあてがえ」論者が名乗り出てきている。

おれは性的承認問題を抜きにして弱者男性の話をしたい人達がいるのは理解できるけど、彼らが「性的承認問題重要視し、その問題の解消のために制度的な解決を求めている弱者男性達」をいないことにするのはよくないと思う。弱者男性界隈が弱者男性内部の多様な声を抑圧してたらマジで救いがなくなる。まずは「女をあてがえ」論者が存在すること自体は認めて、彼らを弱者男性論の中でどう位置づけるのか、真面目に考える必要がある。少なくともこのエントリを読んでまだ「『女をあてがえ』論者は藁人形だ」という人間がいたら、そいつ事実より先入観や願望を優先して、弱者男性内部の多様な意見封殺するやつだ。言うならせめて「弱者男性みんなが『女をあてがえ』論者ではない」とか「チェリーピッキングだ」ぐらいにしとけ。わかったな。

おまけ:米国インセル界隈では「女をあてがえ」という主張は割と普通にある。保守派論客のRoss Douthatは、インセル問題提起を受けてニューヨークタイムズコラムで堂々と「セックスへのアクセスが困難な人々にセックスを再分配しろ」と言っていた。これも弱者男性の外部から見た「あてがえ」論だろう。

https://www.nytimes.com/2018/05/02/opinion/incels-sex-robots-redistribution.html

■2024/05/27追記最近バズった「あてがえ論」

烏賊さぶという自称非モテ弱者男性」のアカウントがいる(別アカで顔出し)。彼は「おれは今37歳の青年男性だが、この歳になっても20代若い女と付き合う権利は当然あると思っている」「したくもない中学受験をさせられ中高一貫男子校に入れられた結果、思春期に同年代女子交流する機会を極端に制限されたから。その補償として今こそ若い女との交流権が付与されて然るべき」「そうしないと中高一貫男子校育ちの男が救われないから。共学男子ばかりいい思いして、おれらだけが辛酸舐めるのは不公平」と言っている。彼は単に「交流しても咎められない」という意味ではなく、積極的交流の機会を提供されるべき、という意味で「交流権」という言葉を使っている。

https://x.com/xLHogBxKi174302/status/1793787514286944478

2021-04-03

anond:20210403110424

かに中学からだし、部活だろうな。

一気に小学校並に関係性は希薄化するはず(ガチ部活に参加してる人の割合少ないし)の大学でも残り続けるしな。

2021-04-02

RE: 新社会人になれなかった者による戯言

https://anond.hatelabo.jp/20210401174952

から10年前自分もこの増田と同じく新社会人になれないまま卒業した。

そのためこの記事を読んで当時のことを思いだした。

共感したこと:

地獄要素は書ききれないほどあるが大まかに分けると3つだ。配慮の無い人事との面接家族への引け目、友人との比較

これは本当に共感する。自分もこの3つがとにかくきつかった。

配慮の無い人事については一発芸は無かったが、その質問をして意味あるの?というのは山程あった。

あと地味にキツい質問が「なぜこの時期まで就活をしているのか、説明して」というのがあって、いやこっちが知りたいと常に思っていた。

自分が振られた理由企業によってケースバイケースだし、仮にあっても正直に言うのも微妙。どういう回答が欲しいのかよく分からなかったしそれを見極めるのがあなた仕事ではと思った。

家族への引け目もきつかった。当時、卒業後に姉が結婚式をしたり祖母が亡くなったりして親族一同と会う機会があって気まずかった。微妙に気遣ってくれるのがまた心苦しくていたたまれなくなった。

家族も気遣ってくれるのが伝わってきて、それに対しての申し訳無さもあった。ただ、両親もアドバイスをくれたが両親が新卒の時と時代が違いすぎて参考にならなかった。

友人との比較もあった。友達就活が終わり悠々と卒業旅行をしているのを聞いた時は羨ましさ半分、どうせ一緒に行っても純粋に楽しめなさそうだなとも思った。

また友人の新社会人生活愚痴も聞きたくなかった。こっちはそもそもそのスタートラインにすら立って無いのだがと思っていた。またそうやって友人と比較して卑屈になっていく自分も嫌いになって落ち込んだ。

さてその後自分がどうなったのかというも書いていく。

ただし、これはアドバイスではない。参考にしたいところだけ取り入れればいい。

■ 志望企業について

増田と同じように100社にぐらいは自分もそのぐらい受けたと思う。というよりもそのレベルになるとどこの会社を受けたのか覚えていない。

ただ、既卒になってやめたのは受けたくない企業は受けないようにしたこと。恐らく増田もそうだが普通に考えて100社も行きたい企業はない。

かに志望度が低い企業を落ちても精神的なダメージは少ないが、結局ダメージは0ではないし、時間交通費無駄であるので闇雲に受けるのはやめた。

また世の中には新卒至上主義業界企業存在する。残念だがこれらの業界企業既卒になった段階で受かる確率が低くなるのでこれらは受けるだけ不毛になるので調べられるなら調べといた方が良かった。

アルバイトについて

既卒になってまず実感するのは社会との繋がりが希薄になった。今まで学生ですと答えていたが、既卒ですというのもなんか変な気がする。

そのため、面接以外にも普通大人と喋る機会はあった方が良いと思う。何かしらアルバイトをして社会との繋がりは残しておいた方が良いし、少しでも金銭面で家族への依存がなくなるだけで気は楽になった。

あと自分は近所でアルバイトをしていたが、振り返ってみると出来るなら興味がある業界アルバイトをした方が良かった。

正直今の時代アルバイト正社員かという経験の有無よりも、「何ができるか」ということの方が重要になってきている。だから自分は〜が出来るという具体的な引き出しは増やしていくことの方が正社員経験有りますよりも有利。

たぶん採用からすると業界経験第二新卒採用するよりも、業界経験有りの若いアルバイトの子採用すると思う。アルバイトからそのまま正社員登用が無難だけど、それよりも経験ちゃんと積めるアルバイト先を見つける方が優先度は自分なら高いかな。

面接について

相手企業のペースに合わせるのではなく、自分のペースに巻き込むようにして面接をする。増田もそうだが自分もわりとマイペース人間だった。

から相手企業に合わせて自分を作り変えるというのがそもそも向いていないし苦痛を感じる。もちろん訓練によっては改善できるのかもしれないが、そもそも不得意なことを頑張っても費用対効果が薄い。

自分マイペースに話してダメなら、それはその企業と縁が無かっただけだし、むしろ自分違和感を感じれば辞退してもいいと思う。

もちろん言うは易く行うは難しではあるが自信に繋がるので重要である。コツは相手の話をよく聞き、友達感覚で話す(多少敬語が崩れていても問題はない)

ただし、注意としては正直過ぎる必要もない。別に言う必要のないことは言わなくても良かった。分かりやすく言うと自分メリットにならないことは喋る必要はない。

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そんなこんなで自分はその後就職して今は独立して仕事している。

結局自分会社所属して仕事するというのが合わなかったから、当時の面接官の見る目は結果的に正しかったのかもしれない。

でも、傲慢だが就職した後は抜群の結果を残しいたのでやはり見る目がなかったのかもしれない。

新卒就職するのも全てではないし、企業所属して仕事するのも別に全てではないし、タイミングもそれぞれ。

どんなときでも、思いこんだものと違うやり方はあるし、違う価値観があるよ。

2021-03-31

生きるのって辛い

私は20代女、公務員だが休職中。復職絶望的だろうと医師から見解。診断はADHD気分変調症。そして回避性パーソナリティ障害

休職とは関係ないが持病で脳血管疾患(難病)とハウスダストアレルギーと成人アトピーがある。

両親や親戚はおらず、精神障害を持つ年の離れた兄がいる。

まり詳しく書くと身バレが怖いが、時々辛くなって自分語りをしたくなる。

正直現状めちゃくちゃに生きずらい。薬がないとまともに生活を遅れないが、目に見える形の障害がないため健常者として生活を無理やり送ってきた。くそ長いけど私の人生を知ってください。

まず小学校中学年まではそれなりの生活を送ってきた。一軒家で両親健在。収入はそれなり。

問題子どもへの愛がなかったことくらい。衣食住に金をかけてもらえず、幼稚園のころから同じ下着をずっと着ていたり、朝食は8枚切りの食パン半分だったり(朝食が出るだけ良いかもしれない)したが、その年頃の子どもは家庭内世界の全てなのでそれが当たり前だった。

父親仕事ほとんど帰らず家は母親の天下だった。帰宅すると宿題をやった後、母親マッサージ。兄が帰ってきたら交代して、両親が買ってきた教材をやる。母親の機嫌を損ねるとヒステリックに怒られたあと無視され、ご飯を抜かれる。テストの結果が100点以外でも似たようなことになる。たまに甘えたくなり母親に近づくと「ウザいから近寄るな」と突き飛ばされる。触れ合った記憶は機嫌が良い時に耳掃除をしてくれたことくらいしかない。なので父親が帰ってきたとき必死父親に甘えていた。母親はそれを冷ややかな目で見ていた。

両親は外聞を気にするタイプだったので、私たち下着ボロボロでも服はそれなりに綺麗なものを着せられていた。外での母は優しかったが、そこではしゃぎすぎると帰ってから調子に乗るな」と怒鳴られ叩かれる。いつも母親の顔色を伺っていた。

ある日の夜、私は全身麻痺を起こして倒れた。前々から半身麻痺の症状が出ていたが、両親に話してもまともに取り合ってもらえなかった。私は救急車を呼んで欲しいとお願いしたが、「救急車を呼ぶと近所で噂になる」という理由拒否された。結局麻痺が収まら呂律も回らなくなり、父親の車で救急病院に連れていかれた。1週間ほど入院したが、病院生活がとても楽しかたことを覚えている。

半年後に手術をする予定ですすめていたところ、母親くも膜下出血で倒れる。私の病気母親から遺伝だった。この際、母親我が家貯金を全額実家横流ししていたことが発覚して両親が離婚する。私たちは両親のどちらにつくか選ばされたが、こんな状態父親以外選べるはずもなく兄妹ともに父親について行く。手術は無事に終わった。

父親と兄と3人で暮らすことになり、平和になるかと思えば、父親母親と似たような人間だった。特に父親プライドが高く、少しの意見も口答えも許さなかった。まだ小学生だった私には生きるためにも父親の顔色を伺いながら生活を送るしか無かった。やはりテストの点は満点しか許されなかったし、褒める時は「俺の娘は他のバカとは違う」貶す時は「こんなの俺の前に出して恥ずかしくないのか」と常に父親が中心の声掛けをされた。そのうちテスト学校で捨ててくるようになったが気が付かれなかった。週に1回父親と家の掃除をやり、週に2回父親に連れられて買い物に出かける。父親は「年頃の娘と仲の良い父親」像に固執しており、出かけることを拒否したり、外で不満を口に出すと家に帰ってから怒鳴り散らされた。少し抵抗するような態度をとれば「俺にそんな態度とっていいとおもっているのか」と怒鳴られ、物をぶちまけられて脅された。この頃には自己主張ができなくなっていた。おまけに父親は娘を育てる知識がなく、極少ないナプキンしか買って貰えずしょっちゅう服や寝具を血まみれにしたし、ブラも買って貰えず膨らんできた胸が目立つのが嫌だった。生理ショーツや胸パット付き下着存在もこの頃は知らなかった。

兄は父親に反抗し帰宅が遅く、部屋に閉じこもりがちだった。父親は兄に興味がないようで成績以外で構うことがなかった。だが、お金ほとんど渡していなかったようなので兄の生活は苦しかったと思う。(進学校バイト禁止だった)父親からは兄の愚痴を聞かされ、兄から父親愚痴を聞かされた。

父親地域の人との関わりを嫌い、学校行事にも一切顔を出さなかった。保護者ありきの授業参観運動会はとても惨めな気持ちになって辛かった。周りに頼ることは恥ずかしいことだと教えこまれ、誰にも何も言えなかった。自己主張ができない私は友だちも少なく、地域との繋がりも希薄で家が世界の全てのようなものだった。中学生の時は部員との交流はあったが、土日に友だちと遊ぶことに父親が良い顔をせず深い仲にはならなかった。小学校高学年のころいじめあい学校行きたくない父親に打ち明けたが、「ゲームを買ってやるから行け」と言われてちゃんと行った。ゲームは年に1回誕生日にだけ買って貰えるものだったので、いじめに耐えるだけで新しいゲームができるならそれでよかった。これ以降父親になにか相談することはなくなる。

中学生になった私はADHD特性が顕著に現れるようになった。遅刻したくないのに遅刻してしまう、授業に集中したいができない等のストレスから解離症状が出るようになり、色々な場面で意識を失うようになった。他にも色々と要因はあった(父親洗濯を正しく行えず体操服がいつも生臭かったり)(家庭内でも意識を失うようになり起きていられなかったり)で不登校気味になっていった。その頃には父親学校に行かないことに文句を言わなくなっていた。それだけはありがたかった。

そんな最中父親会社をクビになる。私が中学生の時のことだ。パワハラモラハラサボりが原因だ。父親会社営業本部長で実質No.2(本人談)だったが、母親離婚してからどんどん帰宅時間が早くなっていった。職場まで車で2時間かかるのに最終的には朝は9時に家を出て、17時半には帰宅していた。あまりにも出勤時間が短いので大丈夫なのか聞いたことがあるが、営業先に口裏を合わせてもらって出張扱いにしているらしかった。とんでもないことだがさらに、「俺は他のやつらより効率よく仕事をしているから早く帰っても問題ない」と言っていた。今思うと頭がおかしいとしか思えない。そして女性社員気持ち悪いメッセージを送り、新人愚痴を言いふらす……典型的なとんでもパワハラクソ上司だった。そんなだったので部下から告発を受け会社を即日クビになったのだ。本人は「不当な解雇だ。裁判を起こせば俺が勝つ」と何度も言っていたが、自分に非があることはわかっていたのだろう。裁判は1度も起こさなかった。

クビになったタイミングが悪く家を立替えた直後だったため、収入必要だった父親コンビニ店長をやると言い出した。しかし、コンビニ経営するには連帯責任者としてもう一人人員必要になる。父親には友人が一人もいなかったし、親戚も一人もいない。そのため、他社に内定が決まっていた成人したての兄を連帯責任者として引っ張りこんだのだ。今まで見たことがないくら必死拒否をする兄を力で脅して内定辞退させ、結局二人でコンビニ経営することになった。

その後研修のため2週間家を空けるとの事で、私は児童養護施設一時的に預けられた。そこで、我が家生活が異常だったことを知る。皆が好きなように時間を過ごし、ルールをこっそりやぶって笑いあったり、ご飯がまずいと文句を言ったりのんびり団欒を過ごしたりする。私はそこで初めて家庭の温かみを感じた(違うかもしれないが)、家庭の会話に温度を感じたのが初めてだったのだ。予定は2週間だったが、直前で兄が家出をしたため結局1ヶ月をそこで過ごした。兄は警察保護され、父親研修を受け、私は最終日に家に帰りたくないと大泣きした。そしてコンビニ経営スタートする。

そこから半年ほど私は廃棄のコンビニ弁当だけで生活をした。父親と兄はローテーションでひたすら無休で働いていた。生活リズムはめちゃくちゃだった。兄は父親への反抗で風呂に入らず出勤したりしていた。4日風呂に入っていない兄は汚くて臭くて嫌だった。これでコンビニ接客してるのは今考えてもやばい。私は父親に捨てられることが怖くて、反抗はできなかった。食器を並べる時、父親の箸を少し崩して置くのが小さな抵抗だった。父親メニエール病発症していたがそれでも休むことはなかった。「このままじゃ破綻すると思う」と声をかけても「私への誕生日プレゼントとして休みを取ってほしい」と声をかけても「俺の仕事に口出しするな」と怒鳴られ物を投げられて終わった。いつか父親死ぬだろうなと思った。死んだ。

中2の冬のある日。父親が死んでいた。

その頃の私は起きられている時に父親学校に送迎してもらっていた。その日もいつも通り学校へ乗せていって貰おうと思っていたが、寝室に父親がいない。トイレにもリビングにもいない。家中探してもいない。けど、外に車はある。そうして車を覗きに行くと、眠るように死んだ父がいた。最初普通に眠っているのかと思ったが、こんなに寒いのに白い息が出ていなかったため何かがおかしいと思った。大声で何度も父親に呼びかけるがピクリとも動かない。何度も何度も呼びかけても動かなくて混乱した私は中学校の先生電話をかけた。

それからはあっという間で先生が来て、警察が来て、救急車も一応来て、警察の人に「恐らく煉炭を使用した一酸化炭素中毒による自殺事件性はない」と説明を受けた。兄はコンビニに出勤していたので、事情聴取は私が受けた。警察の人に色々教えて貰って、家族葬の予約をとって父親を骨にした。

父親のために生きていたようなものなのに捨てられたんだなぁと思った。私と兄はみっともなくあがいて生きてまでどうにかしてあげたい存在ではなかったんだなって。

この時から私の内側の時間は止まっている気がする。

ちなみに母親は、父親の死を知り家に押し入って来て、殊勝な態度で「また一緒に暮らしたい」と言ってきた。どの口がと断るのだが断った途端に豹変し、ズカズカと家の奥へ踏み込んで家探しをして貴金属を持ち去っていった。

兄は対人恐怖症で私以外とまともに会話ができないので、来客や自治体等の対応は今も昔も私がしている状態だ。

なんか思い出してつらくなってきた。

この後のことは簡単説明する

・しばらく兄妹で生活する

精神科入院する(半年ほど)

退院と同時に児童養護施設入り(中3)

・入れ違いで兄が入院

高校進学。兄、就職

・兄が家事できず家がゴミ屋敷になる

・またも解離症状が出るも施設から理解がない

施設に馴染めず入院から退院

・安定して通学できず単位が危うくなるも担任先生サポートでなんとか進学

ADHDの診断を受けるがやはり施設から理解がない

・薬でなんとか通学できるようになる

公務員を目指す

・なんとか内定をもらい高校卒業する

施設を出て家に戻る(ゴミ屋敷)

公務員就職

パワハラやら元々の特性やらでぐちゃぐちゃになり休職

半年くらいの入院生活人生で1番楽しかった。

ゴミ屋敷支援員の方々の協力で脱却した。別に綺麗ではないけれど。

休職して半年ほど経つけれどいまだに無気力で何も出来ない。人とのコミュニケーションが怖いし、他人を信用できない。体調が良くなっても性格が、性格が良くなっても、特性人生邪魔をする。

目の前のことに必死すぎて友達ほとんどいないままここまで来てしまった。というか人の頼り方がわからなくて信頼関係が誰とも築けない。誰と話しても気を張ってしまう。相手不快にさせないようにと顔色を伺ってしまうし、自分自分を大切にできない。

兄は給料が少ないことと友達がいないことを度々気にしながらも、趣味ゲーム息抜きしながらなんだかんだ楽しそうに生きている。今はウマ娘にハマっているようだ。よく私に育成の楽しさを語ってくれる。

現状生きてれば良し、面倒なことは後回しで良くも悪くも細かいことは気にしない性格なのだ。私もそうなれたら良いのだが。

なんか今まで色々、色々あったけど社会に出たら一人の人間しかない。親ガチャの失敗のせいにしたいけど、毒親持ちでも立派にやってる人はたくさんいて、自分を褒めてなんてあげられない。

これからどうしたらいいのかビジョンも何も浮かばないよ。死ぬのは怖いから生きたいけど、生きるのは辛いよ。

2021-03-27

「昔のゲームのほうが面白い」って結局アイデンティティ希薄オタク逆張りしかないよね

んなわけねえじゃん。普通に新しいほうが技術グラフィック進歩してんだから面白いだろ。認知歪んでる?

本当に面白いなら古いも新しいも関係ないよね。それなのにわざわざ「昔のゲーム」のくくりを愛してるって主張するのはただの逆張りしか思えませんわ。

雰囲気がいい」とか「昔のゲームならではの工夫が感じられる」みたいに食い下がる人もいるけど、それは「ゲームとしての面白さ」ではないよね。

ドラクエで使える文字の種類が限られていた」「スターフォックス64のノイズはどうしても消せなかったからうんぬん」

みたいなの。それゲームの良さに関係ある?

そりゃ新しければ面白いってもんでもないよ。最新のクソゲーと古の名作なら古の名作のほうがゲームとして優れてるよ。でもそれは時代とか関係なく、ゲームとしての面白さじゃん。古いか面白いとか言い出すのマジで意味わからんyoutubeの昔の楽曲MVコメント欄で「中学生だけど今どきの曲よりこういう曲のほうが好き」とかイキってる中学生と変わらんでしょ。

ゲーム価値に古いか新しいかを持ち込んでるオタク、本当に見苦しいからやめてほしい。良い悪いに新旧は関係無いだろ。ちゃんと新しいゲームやってる?その上で古いゲーム楽しいって言うならもうなんも言わないけどさあ。

2021-03-25

はてな自称リベラル勢、理念捨てすぎでは?

選択夫婦別姓や「呉座先生事件」関連のエントリブックマークコメントをみつつ連想したこと

呉座先生個別失言は、まあ擁護は難しいしするつもりもないが、リベラル自称する界隈の先鋭化が気になってしょうがない昨今。

最も気になるのは、保守派の主張を全面的に不合理なものとしてバッサリいく態度。

多様性尊重社会的公正の基礎はどこいったんやと。

一見不合理かもしれんけど、保守思想というのはそもそも現状維持が基本姿勢で、その背景は「経験歴史尊重」「人間理性に対する懐疑」にあると思ってる。

これ自体リベラル根底にある理性の信奉と根っこでは矛盾しないはずで、「歴史に耐えた制度にはなんらかの合理性があるはず」と考える態度は、科学的に見ても「合理的」でしょうに。

まあ政治思想理念的な背景は明るくないのでこれくらいにしとく。

リベラル勢に聞いてみたいのは、

例えば選択夫婦別姓が成った後に、一族天皇制といった概念希薄化し、日本民族性文化愛する人々が少数派になったとき、彼らをどう扱うつもりなのか、ということ。

そこまで来てからマイノリティとして手厚く遇するの?

他者自由を阻害しない範囲思想信条自由尊重されるべしというのが、リベラルの基本理念だと思うんだけど、マイノリティになってから初めて尊重します、っておかしくね?

現状において支配的な思想信条が、女性性的少数者自由侵害しているという主張はわかるし、それを解消すべく制度設計を行いましょうというのもわかる。

でも、「現状の戸籍や姓・婚姻制度にも機能利益があるはずで、性急な改革伝統文化を損なう可能性がある」という反論をバッサリシャットアウトするのはダメだ。

現状の被害者と同レベルとまではいかずとも、理解を示して妥協点を探るべきでしょう。

少なくともその伝統を拠り所にしている人々がいて、あなたがたは、かれらを「少数派」にしうる政策を支持しようとしているんだから

想定問答をあげておくと、

選択的なんだから問題ないだろう」というのがまず返ってくる反応だろうけど、保守派は「文化伝統」を問題にしているのであって、選択肢が発生すること自体に対するデメリット危惧している訳だから

その反論相手文意を読むつもりがないと言わざるを得ない。

「姓が別になった程度で文化は損なわれない」という反論もありえる。ここは保守側の仮定なので一定妥当である。「文化」の定義カバーする範囲が広すぎるので合理的説明が難しい。

でも、自分祖父祖母世代とのコミュニケーションから保守派の心情を勝手に代弁するなら、もう彼らは相当に妥協しているし戦線を後退している。

日本文化米国文化に塗りつぶされ、最後の一点で耐えている」という世界観現代高齢者世代は持っている。

(親父がネトウヨにいつのまにか傾倒していたなんて話がよくあるが、それもこの流れの一旦だと思うし、呉座先生高齢者ではないが歴史学者としてこういう流れに影響を受けていそうな気がしている)

彼らの世界観からすれば、今も米国文化によるマイルド同化政策は続いているし、それは一面では事実でもあるだろう。

かれらの青春時代にはリベラルなんて影も形も無かっただろうし、「家を継ぐことが至高命題」として育てられた彼らが、生きているうちにここまで世界が変わるなんて思いもしなかっただろう。

それは同情すべきこと・尊重すべきことではないのか?

日本文化もできるだけ維持し継承します、そのうえでみんなが活躍できる社会にしていこうとしてるんです」と、言い方だけでも寄り添ってあげようよ、という主張は、トーンポリシングとして糾弾されるべきことなのか?

自分自身は、ムラ社会の嫌な面を経験してきているので、家を継ぐべしというような思想は消えていいと思っている。

一方で、ムラ社会最後世代になるであろうジジババが寂し気に「私は親にそう教育され家を守ってきたしそれを誇りに思ってきた、子に受け継ぎ家を守りたかったがもうあきらめている」と語るのを聞くにつけ、かれらに「わきまえたマイノリティ」の像を重ねることもある。

(まあかれら自身保守政党に投票するだろうが、世代が変わればいずれムラ社会解体されるだろう)

ムラ社会総論として害が大きいと思っているが、それでも私の原風景は「田舎のばーちゃんちでジジババに載せてもらったトラクターからみた風景」であり、自分はそれを享受しながら、自分の子世代にそれを残せないことの寂しさや後ろめたさも感じている。

なんというか、そういう対抗派閥に対する共感配慮なしに、一方的断罪する論調は、先鋭化が行き過ぎているし、リベラル根底に置く理念矛盾していると思う次第。

2021-03-23

anond:20210323161801

ブログユーザー同士のコミュニティなんてもはや希薄すぎてないも同然だよ

ダイアリー時代ならあったかもしれないけど今はみんなプロに金はらって一国一城の主になりにきとるんやで

anond:20210323133750

家族関係希薄な人向けのファンタジーなんかね。

リアルに弟妹がいる人は弟妹と恋仲や性的関係になるドリームはウケないというのはわりと知られてると思うけども。

ちな近親相姦について調べたことあるけど、多くの場合血縁のない父娘か、あるいは血縁があるけど幼少期から思春期まで共に暮らさなかった父娘のケースなんだとか。

母親を同一にする兄弟姉妹の近親相関は0に近く、これは猿ですら破らない自然の摂理であるらしい。

2021-03-20

例の電通の人に始まったことじゃないが、なんか悪いことした人に面白くないとかつまんないとかダサいとか言うのやめてほしい。

まらないのはその通りなんだろうけど、まるでセンスないことが罪深いみたいな感じになるので無駄に傷ついてしまう。

否定したいとか貶めたいっていう意図でやってるんだろうけど(特にクリエイティブ仕事の人に対して)、やったことに対して真向から批判してほしい。

追記

思ったより反応があったのでちょっと補足。

まず電通のおじさんは批判されるべきだと思うので擁護するつもりはない。

ただ、今回の件はセンスのなさとかじゃなくて、人権意識希薄さとかパワハラ的なやり方とか要するに道徳的な面で批判されているはず(と思っている)。

センスがないことはクリエイターとして評価する文脈でなら別に構わないと思うが、この件に絡めるとまるでセンスのなさが道徳的に悪いことのような印象を受けてしまう。(別にそんな意図はないと思うが)

どういう意図があるのか想像すると、クリエイターとして根本的に否定したいから、クリエイターにとって致命的なダメージを与える方法としてのセンス批判なのかなと。

2021-03-16

シン・エヴァ劇場版非難している奴の大半はキモくて金のないオッサン

わかるか?何でお前が「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を否定しているか、俺が教えてやる。お前は単に嫉妬してるだけ、ルサンチマンを抱いているだけだ。否定対象をシン・エヴァに向けてるが、それはお前の人生が満たされていないことの裏返しなんだよ。

※以下、シン・エヴァネタバレを含むからよ、観てない人は閉じてくれていい。

何でお前がシン・エヴァ否定的か、それはお前の潜在意識深層心理にある。

戦闘シーンがどうのこうの、展開がどうのこうの、難癖付けて講釈を垂れてるが、その嫌悪感や納得できないという感情の端緒は、ラストシーンにある。

端緒なんだけどラストシーンなんだよ。

なぜならラストシーンは、ネオンジェネシスされた世界

すなわち旧劇の人類補完計画後の世界の変わりに提示された、別の理想の世界からだ。

どうだった?旧劇と違ってたよな。

人類補完計画は行われず、宇部興産就職したシンジが、マリイチャイチャしてたよな。

この世界シンジは、お前に持ってないもの、全て持ってるだろ?

いい仕事といい女、どちらもお前は持ってない。

シンジ創造した新世紀が、これだった。

よくありそうな現実

だけどお前にとっては現実ではなく、むしろ実現が非常に難しい、フィクションに近い世界

幸せ雇用関係と男女関係、それが理想新世紀。

「これが、新世紀なのかよ…」お前は愕然とする。

もう既に齢30代半ば、40代半ば、50代…還暦独身

いい仕事にもありつけず、安月給をちまちま貯め、たまに風俗に行って憂さを晴らす日々。

「シン・エヴァ氷河期世代は救われない」https://anond.hatelabo.jp/20210309164507 と誰かが言ったが、その通りよ。

誰もが皆、シンジのようにいい仕事パートナーを得られるとは限らない。

からラストシーンを見て、口にはしないけど、不快に思った。

現実シンジが作った新世紀と全く違うほど、残酷な日々だということを。

お前は「新世紀に存在しないもの」として、無視されたんだよ。

ラストシーン新世紀の映像に、お前のような輩は、写ってたか

安物のB〇arのダウンジャケットを着て、一人とぼとぼホームを歩くオッサンは写っていたか

秋葉原で買ったアニメ絵プリントされた紙袋を両手に、汗臭いネルシャツ着たデブは写っていたか

競馬新聞とワンカップ片手に短波ラジオ聴いてるオッサンはいたか

摂生もしくは貧乏で、歯が抜けても直さず、活舌の悪いオッサンはいたか

からフケが落ち、スーツの肩の部分に粉ふいてるオッサンはいたか

写ってないよな?俺は観なかったぞ。

からお前の人生は「新世紀には存在しないものとして扱われた」「写す価値のないものとして省略された」ということだ。

だけどお前の人生は続く。

提示された新世紀とは全く違う、いい仕事もいい女もいない、無為で、非生産的で感動が希薄な日々。

こんなことなら…もう…そうだよな。

人生を悲観したことだって、一度や二度ではなく、たぶん人並みよりも多いだろうよ。

から旧劇の人類補完計画を、どこかで肯定してるんだよ。

人と人との境目がなくなり、単一生命体になることは、格差がなくなるということ。

愛する対象とも一つになれる。

そういうシーン、旧劇にあったよな。

からも愛されないキモくて金のないオッサンでも、人類補完計画後の世界では、愛する人と一つになることができる。

だけどシン・エヴァネオンジェネシスされた人と人の境目がある世界においては、キモくて金のないオッサンは、ただただ孤独な日々を死ぬまで続けて、風呂場で汁になって腐乱死体発見されるのが関の山だ。

からお前はどこかで、嫌悪したんだよ。

今回の新劇場版で完結した世界が、納得できなかった。

お前はサルベージされないからな、旧劇の世界とは違って。

エヴァクオリティとかではなく、本当は、お前の内面日常問題なんだよ。

作品八つ当たりして逃げてるんじゃねえよ。

「逃げちゃダメだ」ってシンジも言ってだろ?

でもお前は逃げた、自分の糞溜めみたいな人生直視せず。

作品批判で悦に浸り、閲覧数を稼いで、ちっぽけな自尊心を満たした。

それでいいのか?これ読んで目が覚めたか

わかったら今すぐ作品批判をやめることだな。

シンジは言ったよな。

「やってみるよ、ネオンジェネシス

お前はやってみたのか?

今までの人生で、何かをやってみるという生産的な営み、行動力のある実践、大してやってきてないはずだ。

その帰結が、今の、キモくて金のない残酷オッサン日常なんだよ。

自己責任論を言ってるわけではないぞ。

まれ育った環境の違いや社会の状況も、成功の可否に影響することだってあるよな。

だけど、自分人生を棚に上げ、あーだーこーだと作品批判、カッコ悪いだろうが。

内罰的なシンジを見習うべきよ。

何でもいいから、お前が生きていたという人生の爪痕、人や社会迷惑をかけること以外で。

加地リョウジのように生命の種を残すみたいな大げさなことでなくてもいいからよ。

特殊清掃作業員死体で見つけられる前に、考えて、汗水垂らしてやってみろや。

anond:20210313235019

増田に似てるわ

創作系の趣味がいいよ&プロ比較して物を作ることを極めないから~とかブコメとかでさんざん言われてるけど、違うんだよな

物を作る過程やはじめたては楽しいけど根本的に自分の作るものに興味持てないんだよな

創作系の趣味の人って基本、内に沸き起こる情動音楽にぶつけたり絵にぶつけたりして趣味にしてくんだと思うけどマジでそれがない

それがないのでなんとなく他人がぶつけた作品をみていいな~と思ってそれをなんとなく模倣することしかできないんよ情動がないから だから飽きる

ただ模倣する能力に長けているので一定水準以上は出来ると思う

承認欲がないと思い込んでるけど結局足りないのは承認欲求とドーパミンじゃないか

個人的おすすめネトゲだね FPS・対戦ゲームとか、反復運動戦術知識他人より上に行けるチーム戦系

ネトゲリアルスポーツより人間関係希薄だし手軽にできるし大体が真剣にやってないからすぐ上に行けて報酬系満たされて楽しいぞ+女だと大体姫扱いされるから一石二鳥

2021-03-12

anond:20210312163429

増田で「お前は具体的に誰?」って聞かれて、具体的な説明をしなかったら存在しないことになるんか?w

存在希薄すぎて怖すぎるわ

人としゃべれなくなる

コロナ流行によって、元々控えめだった人付き合いがさら希薄になった。

テレワークも始まり、身内以外とほぼしゃべらなくなっている。

身内以外としゃべらないと、身内ネタに特化してしまって、共通言語の少ない人とのしゃべり方がわからなくなる。

しゃべれなくはないんだけど、ぎこちないし何となく噛み合わない。

人間こうやって引きこもっていくのかな。

2021-03-11

anond:20210311135635

結局「好きな人になら言われて嬉しいこと」を好きな人以外が言うのはセクハラっていう有名な例えと同じ話だなと思った

まあこの例えも普遍的原則ではないけどね

可愛い」って批評容姿差別の土壌を肯定するルッキズム的側面があるわけだが、「背が高いね」と同様に例の記事はこの手のルッキズム批評否定しているわけではない

単に初対面の人(便宜上こう書くが要するに関係性の希薄な人)から言われても嬉しくない人もいると言っているだけだ

逆説的に言えば「初対面で可愛いと言われて喜ぶ女」、「初対面で背が高いねと言われて喜ぶ男」の価値観自体肯定している

じゃあ件の記事本質は何なの?って言うと増田の書いている通り「安全モテる為の指南」なんだと思う

初対面の男から可愛いね」と言われて喜ぶ女はいるけどそれを見極めるのは難しいから親密な関係性になってからぶっ込もうっていう指南

ただそれだけ書くと恋愛工学と同じで「女性とヤる為である」という目的が露見して女性から評価されないので「女性の為である」というオブラートで包んだ結果女性から喝采を浴びたわけだ

女達よ、それでいいのか

2021-03-07

いくつか参考になりそうな文献があったので貼っておく

多くの人が運転中に感情ストレスを覚えるらしいので「運転という環境下では誰しもストレスがかかり、感情的になりやすい」と考えたほうがいい

しかあなた父親には問題があるが、それは運転という状況下によるもので、本人の人格はあえて切り離して対処法を考えたほうがいいか

日本アンガーマネジメント協会安藤俊介代表理事は、イライラした場合でも、6秒、間を置くことで多くの人は冷静になることができるので、その間に言葉に出して気持ちを落ち着かせるのが望ましいと言います

その際に有効なのが、イライラする場合を想定して、自分自身にかける言葉をあらかじめ用意しておくことで、「大丈夫」とか「たいしたことない」といった、前向きな言葉を言い聞かせることが大切だといいます。また、温度計イメージして、自分がどれくらい怒っているのかを客観的に考えることで、怒りを行動に移すのを避けることができると指摘します。

運転中になぜキレやすい? | NHK生活情報ブログ:NHK

https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/283055.html


職業ドライバーアンケートを取って聞いた対処法の具体例がいくつか載っている

ドライバー感情特性運転行動への影響 - 国際交通安全学会

https://www.iatss.or.jp/common/pdf/research/h076.pdf

対処法としては

運転前に、身体状態をチェックする。

運転前に軽い体操をし、身体をほぐす習慣をつける。

変だなと感じたら、運転を控える。

無理のない計画を立て、適切な休憩を取る。

正しい運転姿勢を習慣づける。

などがあります

一般高齢者の皆さんは、

安全を守ろうとする強い気持ち

自分コントロールできる

豊富経験

高い遵法意識

などの長所をお持ちです。それらの長所いかすとともに、自分自身の心身機能状態自覚し、安全運転を心がけましょう。

安全運転講座/高齢者身体心理的特性

http://www.anzen-unten.com/home/a2/b3/drive023.html

原因の一つは、車という場所プライベート空間公共の場狭間位置するからです。「車に乗っていると、どこか匿名になったように感じるのです」と語るのは、ヴィラノーヴァ大学社会心理学であるErica Slotter氏。「匿名感覚により責任を負わなくてはならないという感覚希薄になってしまうため、時に普段は取らないような行動を取ってしまうのです。」

自制心には限界があり、運転という行為自分を律する能力負担がかかりますフロリダ州立大学の心理学者、Roy Baumeister氏は自制心をガソリンに例えました。それを使って衝動感情コントロールしますが、いつかは使い切って空になってしまうということです。

そして自制心が空になると私たちは「判断疲れ」を起こし、自分抑制する能力が低下します。判断疲れが起きると、乱暴な行動を起こそうとする衝動を抑えにくくなるのです。

心理学者Mark Muraven氏は、自制心が疲弊した人でも、その行いが他人の為になると伝えられると、自制が必要作業をうまく行えるということを発見しました。ということは、「落ち着いて親切な運転を行えば同乗者や他の車を危険に晒さなくて済む」と運転中に言い聞かせることで自制心を強くすることができるというわけです。

運転中に乱暴になってしまうのは何故なのか?

https://www.gizmodo.jp/2016/01/aggressive_driver.html

anond:20210306160755

2021-03-02

まあ未だに「森元首相マスゴミ恣意的な切り取りのせいで炎上させられた!」というアホが散見されること自体マスゴミのせいではあるわな。

「大体ニュアンスが合ってればいい」とかそういう話じゃなくて、有無を言わさぬ「事実」を提示するために「引用」するんだから、そりゃ一語一句正確に引用する必要があるに決まっているし、その辺の倫理観希薄人間報道に携わる資格ないんじゃない?とは思う。

2021-03-01

anond:20210228235254

貰うって呼び方してる時点で動物愛護精神希薄そうやね

引き取るって言うんやで

2021-02-26

最近なんのために働いているかからなくなってきた

から家族のために、なんて意識希薄自分のために働いてきたんだけど

最近時間がなくて趣味もすべてなくなったし、趣味をしたいという欲求のものがなくなってきた。

代わりに美味しい物を食べるということに少しハマって

「ああ、毎日必ずやるし努力する必要もない美食無趣味な人には都合がいい趣味なんだな」

と思いもしたが、体調が悪い時や満腹になればまたやる気のでない状態へ戻るから不便。

わかりやすくアレを買うために稼ぐ、って欲求が欲しい。

2021-02-19

恋愛における「告白」という行為を改めて考える

先日あるテレビ番組がいくつかのハラスメントを扱い、その内容がネットでも話題になった。

その中のひとつには「告白ハラスメント」というものがあった。

それについて様々な反応が見られたが、そもそも告白」という言葉認識が人々の間でちゃん共通しているのか私は気になった。

当たり前ではあるが、その認識にずれがあると無意識のうちに「告白ハラスメントしかねない。

そこでタイトルの通り、恋愛における「告白」という行為もつ様々な意味を考えることにした。

(ここで考える「告白」はセットで交際の申し込みがあるものとする。また論点ぶれるため、ここでは「交際」の意味については言及しないこととする。)

恋愛における「告白」の意味は、簡潔に述べるなら「自身行為を意中の相手に伝えること」といったところか。

さすがにこれに異を唱える人はいないだろう。

それでは恋愛における「告白」の側面はどうか。

今回取り上げる側面は、以下の2つである

1.「告白」という行為をした者の好意の確定

2.「告白」という行為をされた者に与えうる影響

1.「告白」という行為をした者の好意の確定

何当たり前のことを言ってるんだ、と突っ込まれそうだが恋愛における「告白」という文化一般的現代日本では重要なことだと私は考える。

このメリットは、告白された者が相手好意を知った上で自身気持ちを伝えることができる点である

「あの人は私のことをどう思っているのだろう」とやきもきした経験は多くの人々にあるが、その葛藤がなくなることで晴れて交際が開始できるのだ。

さらに両想いなのに交際が遅れるまたは始まらないという悲劇回避できる。

逆にデメリットは、両者の関係性が維持できなくなる点である

片思いであった場合、「そのままの関係でいよう」とどちらかが言ったとてきれいさっぱり意識しないのはほぼ不可能だろう。

どれだけ好意を寄せているようでも、告白していない段階ならばその好意を胸に秘めたままなかったことにできるが、告白したら後戻りはできない。

両者の関係が近ければ近いほど修復は難しく、学校職場仲間や同性同士などの関係なら大変であるのは間違いない。

2.「告白」という行為をされた者に与えうる影響

まず、序盤で述べた「告白ハラスメント」はこれに該当するだろう。

自己満足な「当たって砕けろ」なんて言葉はあるが、それは告白した者の当たり方が弱いこととされた者がきれいに砕けることが前提である

告白した者の当たり方が強い例としては、目上の人が下の人告白する場合告白の内容が重かったり回数が多かったりする場合がある。

された者がきれいに砕ける例としては、目下の人が上の人に告白する場合、元の関係希薄場合、された者からした者への心遣いが良くも悪くもない場合がある。

これらのような条件が満たされないと、「告白ハラスメント」になりかねない。

また、周囲の人々が告白があったことを知っているとややこしい影響が出てくる。

「付き合えばいいのに」「ふられて可哀そう」と勝手意見を出す野次馬的な人が出たり、告白した者に好意もつ人が逆恨みしたりする(これの究極が不倫)。

他にも様々な影響はあるだろうが、ポジティブものはほぼないと思う。

これら2つの側面を考えると、「告白」がいかに厄介なものかわかる。

からこそ、「告白」をする者には事前にある程度状況を理解する義務があると言っていいだろう。

告白」は基本的に一発逆転を狙う行為ではなく、両者の気持ち確認する行為である

かに世の中に「○○ハラスメント」という言葉が増えて面倒に思うかもしれない。

しかし、「告白ハラスメント」という言葉を知って単純に批判的な考えを持った人の中に、相手のことを考えられない人がいないことを私は望む。

2021-02-13

このまま一人で死んでいくんだろうな

年に一度のバレンタインデー自分へのご褒美チョコを買う日になったのはいからだっけ。

ダイソー女子中高生くらいの女子たちでごった返していて、ふと思った。

ここ数年、誰かにチョコをあげるなんてしてこなかった。自分へのご褒美チョコだけ。

別にチョコが好きなわけじゃないんだけど、ピエールマルコリーニやジャンポールエヴァンのような高級チョコは美味しいからつい買ってしまう。

年に一度だけ高いチョコを買ってもいい日がバレンタイン

 

百貨店チョコレート催事ピエールルドンの列に並びながら考える。

よく見たらカップルだけじゃなくて友達チョコを買いに来ている人が大半だ。

そういえば私にはチョコを一緒に買いに行くような友人がいない。友達らしい友達なんて皆無。

欲しいとは思ったことはあるが、大学中退しているか学校繋がりの友人はいないし、契約社員から社内での繋がりも希薄

SNSで人と出会ったら、どこぞのサロン信者のような意識の高い集団飲み会に参加させられ「もっと面白いことしなくちゃ、人生もったいないよ!会社に縛られてない?」と説教されるし。

人に対して気を遣うとか、人に好かれる会話をするとか、そういうことはわりと得意だけれど、だからこそ疲れる。

 

たまに寂しくはなるが一人が至高。

買ったチョコを全部自分で食べられるし、手作りチョコなんて作らなくて済むし、交際費はかからない。

デートプラン文句言われることもないし、無理に着飾る必要もない、二か月に一度も美容院に行く必要もない。

人間関係コストがかかりすぎる。

 

今夜は家で響を飲みながらチョコをつまもう。

2021-02-12

anond:20210212102217

その感覚まぁまぁやばい

都会は知らんが田舎だとハブられるレベル

まぁ都会の人は人間関係希薄からね(どや

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