はてなキーワード: 内罰とは
何が原因かわからない苦しみ
モラハラ被害者が、加害者から攻撃を受けると、被害者は、自分に対する不満があるのだろうと受け止め、その不満を解消し、夫婦の関係を改善しようと努力したりします。
モラハラ被害者は、問題があると自分に原因があると思いやすいという内罰的傾向があります。
ただ、これは悪いことではなく、自分に原因があると考え、改善することで、状況を良くしようという建設的でポジティブな性格の現れであったりします。
その性格を生かし、夫婦関係を改善しようと努力するのですが、いくら努力を続けても、一向に夫婦関係は改善しません。
ある点を改善したと思っても、モラハラ加害者は、また違う点で攻撃してくるということが繰り返されます。
それでも関係は改善されないばかりか、加害者は、被害者が苦しんでるのと裏腹に、ケロリとしていて、問題があるという認識がないように見えます。
モラハラ被害者は、自分のどこに原因があるかわからず、加害者にも罪の意識がないように見えるため、辛い気持ちをどこにぶつけて、何に向かって努力すればよいのかわからないという状況に追い込まれます。
わかるか?何でお前が「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を否定しているか、俺が教えてやる。お前は単に嫉妬してるだけ、ルサンチマンを抱いているだけだ。否定の対象をシン・エヴァに向けてるが、それはお前の人生が満たされていないことの裏返しなんだよ。
※以下、シン・エヴァのネタバレを含むからよ、観てない人は閉じてくれていい。
何でお前がシン・エヴァに否定的か、それはお前の潜在意識、深層心理にある。
戦闘シーンがどうのこうの、展開がどうのこうの、難癖付けて講釈を垂れてるが、その嫌悪感や納得できないという感情の端緒は、ラストシーンにある。
端緒なんだけどラストシーンなんだよ。
すなわち旧劇の人類補完計画後の世界の変わりに提示された、別の理想の世界だからだ。
どうだった?旧劇と違ってたよな。
人類補完計画は行われず、宇部興産に就職したシンジが、マリとイチャイチャしてたよな。
この世界のシンジは、お前に持ってないもの、全て持ってるだろ?
いい仕事といい女、どちらもお前は持ってない。
よくありそうな現実。
だけどお前にとっては現実ではなく、むしろ実現が非常に難しい、フィクションに近い世界。
いい仕事にもありつけず、安月給をちまちま貯め、たまに風俗に行って憂さを晴らす日々。
「シン・エヴァで氷河期世代は救われない」https://anond.hatelabo.jp/20210309164507 と誰かが言ったが、その通りよ。
誰もが皆、シンジのようにいい仕事とパートナーを得られるとは限らない。
現実はシンジが作った新世紀と全く違うほど、残酷な日々だということを。
ラストシーンの新世紀の映像に、お前のような輩は、写ってたか?
安物のB〇arのダウンジャケットを着て、一人とぼとぼホームを歩くオッサンは写っていたか?
秋葉原で買ったアニメ絵がプリントされた紙袋を両手に、汗臭いネルシャツ着たデブは写っていたか?
競馬新聞とワンカップ片手に短波ラジオ聴いてるオッサンはいたか?
不摂生もしくは貧乏で、歯が抜けても直さず、活舌の悪いオッサンはいたか?
頭からフケが落ち、スーツの肩の部分に粉ふいてるオッサンはいたか?
写ってないよな?俺は観なかったぞ。
だからお前の人生は「新世紀には存在しないものとして扱われた」「写す価値のないものとして省略された」ということだ。
だけどお前の人生は続く。
提示された新世紀とは全く違う、いい仕事もいい女もいない、無為で、非生産的で感動が希薄な日々。
こんなことなら…もう…そうだよな。
人生を悲観したことだって、一度や二度ではなく、たぶん人並みよりも多いだろうよ。
人と人との境目がなくなり、単一の生命体になることは、格差がなくなるということ。
愛する対象とも一つになれる。
そういうシーン、旧劇にあったよな。
誰からも愛されないキモくて金のないオッサンでも、人類補完計画後の世界では、愛する人と一つになることができる。
だけどシン・エヴァでネオン・ジェネシスされた人と人の境目がある世界においては、キモくて金のないオッサンは、ただただ孤独な日々を死ぬまで続けて、風呂場で汁になって腐乱死体で発見されるのが関の山だ。
エヴァのクオリティとかではなく、本当は、お前の内面や日常の問題なんだよ。
作品批判で悦に浸り、閲覧数を稼いで、ちっぽけな自尊心を満たした。
それでいいのか?これ読んで目が覚めたか?
シンジは言ったよな。
お前はやってみたのか?
今までの人生で、何かをやってみるという生産的な営み、行動力のある実践、大してやってきてないはずだ。
その帰結が、今の、キモくて金のない残酷なオッサンの日常なんだよ。
自己責任論を言ってるわけではないぞ。
生まれ育った環境の違いや社会の状況も、成功の可否に影響することだってあるよな。
だけど、自分の人生を棚に上げ、あーだーこーだと作品批判、カッコ悪いだろうが。
何でもいいから、お前が生きていたという人生の爪痕、人や社会に迷惑をかけること以外で。
まず大前提として、「あつまれ どうぶつの森」でどうぶつの森を初めてプレイして、めちゃくちゃ面白くて、毎日起きてすぐ始めるくらいハマってるんだけども。
川や崖といった地形を変えたり、道を舗装して小綺麗な町並みにしてみたり。レアな虫や魚を捕まえては、売って金に変えて…。
自分のような人間がヒョッと無人島に住み着いて、ひとつの島の運命を変えていくことに、なんとなくうっすらと罪悪感を覚えてて。
ゲームなのにさあ…。
てかゲームの中だからこそ自由に遊べるんだから、現実の価値観とか倫理観とかは横においておけばいいのにさあ…。
マイデザインとかできれいに島を彩ってる人たちを見て、スゲ〜!かわいい!いいな〜!とか思う反面、無垢な自然を切り開いて自分好みにデコレーションすることへの抵抗感がなんでか捨てきれず…
でっかい滝と滝を作って、その間に墓石立てて笑顔で写真撮ってる人をツイッターで見たけど、自分にはそんな発想無くてガッカリ。
レアな虫や魚の金銭的価値を知ってから、それを捕まえて売るという行為がなんか乱獲ぽくてストレスに感じてしまい、ひたすら海岸で貝殻を拾ってた。
虫に関しては、めちゃくちゃ虫を愛しているレックス君が島に来てくれたので「こんなに虫が好きな人なら悪いようにはしないだろう…ていうかむしろ珍しい虫を捕まえて見せてあげたい」という気持ちが芽生えて、ちょっとストレスが軽減された。魚も同様に扱ってくれるキャラがいるらしいのでちょっとホッとした。
まあ正当化なんだけど。
とまあ、そんな罪悪感覚えたところで、現代人の、リアルな自分自身の営みの否定じゃんね…
屠殺されたお肉食べてるのにね。
とか、どうぶつの森やっててこんなこと考えてる事自体、かなりめんどくせぇし重いわ自分。
でも今日、ときおり流れる流れ星に祈りを捧げながら、滝の横をきれいに舗装して、露天風呂施設的なものを作りました。
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虫が嫌いなフータ、「虫=気持ち悪いもの」みたいに決めつけるのってどうなの?と最初思ったけど、むしろ嫌いなのに虫にめちゃくちゃ詳しくてすごいな!
普通にためになるわ。
そして自分も虫は嫌いなんだが、あつ森のおかげで外で見かけた蝶がアオスジアゲハだとひと目でわかったので嬉しかった。
気がついたら結構反応もらえててうれしい。
雑草かわいくて抜けないよね。自分も敢えて抜かなかったり、植えたりしてる。
自分で植えてしばらく放置しておくとワサワサ育つみたい。あれ、ホトケノザかな?
「あれ(島の開発もろもろ)は、ただの提案」ていうのが一番刺さるブコメだった。
たしかに、開発する・しないっていう選択をするのも自分なんだよなあ。
ずっとテントっていうのもありなわけだ(クリアはできんけど)。
とりあえず、島の形はこのまま変えないことにした。
家の中の開発はわりと楽しいから、DIYしたものを中心に置いてる。
あと島に移住してくれた住民との交流も楽しいんだけど、そのためには島をある程度発展させないと島に来てくれないんだよな…
植えた木を生やしっぱなしにしてたら「木が多すぎて未開発な印象を受ける」とか言われてションボリした。無人島とは…?
虫や魚は、外で自由に生きてたのに展示しちゃってごめんね…と思いつつ、展示してもらう分以外はキャッチアンドリリースしてる。
ていうかあの博物館はめちゃくちゃ魅力的だもんな〜。
「聲の形」という作品は、読み切りから映画まで、一貫して「障害」や「いじめ」はテーマではない。
それを読み解くこともせず、眼前に広がる一見ショッキングな"状態"に"反射"して思考停止し、瞬間感じた嫌悪感を武器に批判しているだけの批評が散見されていて、反吐が出る。
決して自らの罪を許さない将也と、どこまでも内罰的な硝子の二人が、すれ違い続ける悲哀に満ちた少年少女の物語にむかって、
「加害者目線のファンタジー」だの「障害者を使った感動ポルノ」だの、
あげく、以下のありさま。
https://twitter.com/sssugita/status/778894069380427776
将也は言わずもがな。そして硝子は許すも何も、自分を害悪・加害者だと思っている。なんでそれがわからないんだろう。
ただ,ヒータをHとRの班が壊してしまったので,新しくヒータを購入しなければなりません.
CCでこういうメール回ってきてHの立場だったらすまない気持ちにはなるけど弁償しろと言われたとは思わないなたしかに
ただ名指しされてるからそう読もうと思えばそう読める文面ではある
で、増田がキレるのは
独善的な不適切な判断でRとD教授とをメールで一気に巻き込んでるからそのショックで感情的になってるのだなと思う
悪い方向へ一気に傾いてるから焦ったせいなんじゃないかな、理解できるよ
Hは真面目というか内罰的というかそういうタイプなんだろうなあ
「相手の立場になって考える」とか「相手の気持ちを考える」とか言われてもわからん。
結局は「自分から見て」相手の立場とか気持ちを想像するしかないわけでしょ。
それが自分の思い込みや妄想ではなくて、本当に相手の立場や気持ちになれているのだと、どうして信じられるんだろう。
相手と接している時間が長ければそれなりに「この人はこういう考え方をする人かもしれない」と想像の精度を高めることはできるかもしれないけど、それだって100%相手の考えがわかるわけじゃない。
わかるはずもないものを「わかろうとしてない」と言われたって、こっちはこっちなりに考えてはいるんだよ。
ただ、自分でもそれが「想像」なのか根拠に基づいた「推測」なのかまったく根拠のない「妄想」なのか区別がつかなくなってるんだ。
もっと言えば、普通に考えると「おそらく嫌われているだろう」とか「たぶん嫌に違いない」とかネガティブな思考に陥ってしまうんだ。
別にその相手が口に出して「イヤだ」とか「キモい」とか言っているのを聞いたわけではなくても、そう思われているんじゃないか、という妄想をしてしまう。しないわけがない。これまでだって散々そう言われてきたんだ。その優しくしてくれる人だって表に出さないだけで実はキモいと思ってるんだ。おそらくそうだ、そうに違いない。
そうやってネガティブになっていると、余計にキモいだけだ、というのはわかってきた。自分が悪くもないのに謝ってばかりの人間を見ているのはイライラするというのは、エヴァのシンジくんを見ているとよくわかる。内罰的になったところで誰も幸せにはならない。
嫌われているという最悪のパターンから、もしかしたら本当に好意を持ってくれているかもしれないという好意的なパターンまで、複数通りのルートを想定して、その中から少しでも希望のありそうなルートを選択する。
嫌われていることを想定していないわけじゃない。むしろ嫌われている可能性は高いとすら思っている。
本当にただ嫌われているだけだったら相手に不快な思いをさせるだけかもしれない。そんなことはわかってる。
それでも、推測や憶測だけで尻込みしていたら何も変わらないということも身に染みてわかってる。
箱を開けよう。
禍もたくさん出てくるに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20151202233120
罪悪感ってことだけならエロ絵批判してる人は確かにけっこう危ない存在だよね。ただし罪悪感作ってる相手は男じゃなくて女にだけど。だっておっぱいデカかったり見られて恥じらったりしたら「公共の場にふさわしくない!」とか見苦しいって思われたりするってこったよ?
個人相手はそこまでハッキリじゃなくてもさ、内心「エロい体の女や恥じらいがあったりするる女は視界に入るなよ、不愉快だから」って思われてるかもってさ。これ怖くないか?
受け身っぽいのがエロいって言われたら、受動的な女の人は自分がセクハラを呼び寄せてるんだって落ち込んだりしない? そういう体や恥じらう心を持って生まれちゃった女はもう人間性の一部をガッツリ否定されちゃうのと同じと違うか? そんな女性は誰も彼もから「そんな体(心)を持っててエロいお前は見苦しい」って言われてるのと同じじゃんね。内罰的な人なら罪悪感直結じゃねえかな。
そーいや実際におっぱいデカかったりする女性とか色気がある女性って、能力関係なしにお硬い席から疎まれる傾向あるよね。謎のエロいから相応しくない系批判が多いから。