先日あるテレビ番組がいくつかのハラスメントを扱い、その内容がネットでも話題になった。
それについて様々な反応が見られたが、そもそも「告白」という言葉の認識が人々の間でちゃんと共通しているのか私は気になった。
当たり前ではあるが、その認識にずれがあると無意識のうちに「告白ハラスメント」しかねない。
そこでタイトルの通り、恋愛における「告白」という行為のもつ様々な意味を考えることにした。
(ここで考える「告白」はセットで交際の申し込みがあるものとする。また論点がぶれるため、ここでは「交際」の意味については言及しないこととする。)
恋愛における「告白」の意味は、簡潔に述べるなら「自身の行為を意中の相手に伝えること」といったところか。
さすがにこれに異を唱える人はいないだろう。
今回取り上げる側面は、以下の2つである。
何当たり前のことを言ってるんだ、と突っ込まれそうだが恋愛における「告白」という文化が一般的な現代日本では重要なことだと私は考える。
このメリットは、告白された者が相手の好意を知った上で自身の気持ちを伝えることができる点である。
「あの人は私のことをどう思っているのだろう」とやきもきした経験は多くの人々にあるが、その葛藤がなくなることで晴れて交際が開始できるのだ。
さらに両想いなのに交際が遅れるまたは始まらないという悲劇を回避できる。
片思いであった場合、「そのままの関係でいよう」とどちらかが言ったとてきれいさっぱり意識しないのはほぼ不可能だろう。
どれだけ好意を寄せているようでも、告白していない段階ならばその好意を胸に秘めたままなかったことにできるが、告白したら後戻りはできない。
両者の関係が近ければ近いほど修復は難しく、学校や職場仲間や同性同士などの関係なら大変であるのは間違いない。
まず、序盤で述べた「告白ハラスメント」はこれに該当するだろう。
自己満足な「当たって砕けろ」なんて言葉はあるが、それは告白した者の当たり方が弱いこととされた者がきれいに砕けることが前提である。
告白した者の当たり方が強い例としては、目上の人が下の人に告白する場合、告白の内容が重かったり回数が多かったりする場合がある。
された者がきれいに砕ける例としては、目下の人が上の人に告白する場合、元の関係が希薄な場合、された者からした者への心遣いが良くも悪くもない場合がある。
これらのような条件が満たされないと、「告白ハラスメント」になりかねない。
また、周囲の人々が告白があったことを知っているとややこしい影響が出てくる。
「付き合えばいいのに」「ふられて可哀そう」と勝手な意見を出す野次馬的な人が出たり、告白した者に好意をもつ人が逆恨みしたりする(これの究極が不倫)。
他にも様々な影響はあるだろうが、ポジティブなものはほぼないと思う。
これら2つの側面を考えると、「告白」がいかに厄介なものかわかる。
だからこそ、「告白」をする者には事前にある程度状況を理解する義務があると言っていいだろう。
「告白」は基本的に一発逆転を狙う行為ではなく、両者の気持ちを確認する行為である。
確かに世の中に「○○ハラスメント」という言葉が増えて面倒に思うかもしれない。
しかし、「告白ハラスメント」という言葉を知って単純に批判的な考えを持った人の中に、相手のことを考えられない人がいないことを私は望む。
生きづらい世の中ですね
わかる でも好きな人にくらい気を遣える人でいたいとも思う
いちいち面倒だなあって思うけど、考えることを放棄して一方的に思いをぶつけると相手がその分面倒な目に合うからね
あたって砕けろ!なんて無責任なこと言えるやつは告白された経験が乏しいんだと思う