はてなキーワード: 劇場とは
http://anond.hatelabo.jp/20160925060352
辻褄あってるというか「整合性の塊」なんてコメントもでるくらいだけど、やっぱ辻褄あってないんだよなー
映画の始まり、彗星が落ちてくる場面のあと、瀧と三葉がそれぞれ東京暮らししている家で目覚めて、
2人とも「何かが消えてしまったという感覚だけが、残る」という意味のことを言って、出勤。
電車に乗って、それぞれドアの近くに立って外を見ながら、
「ずっと誰かを探している、そんな気がする」「そんな気持ちになったのは、たぶんあの日から」となる、
そして、瀧は、自宅団地というかマンションの屋上っぽい場所で割れている彗星を見上げている場面の回想シーンになる。これはいい。
しかし、三葉のほうは、浴衣姿で、割れている彗星を眺めているシーンを回想する。これは明らかにおかしい。
彗星落下日に浴衣姿だったのは、【彗星が落ちて500人死んだ時】のものだ。
考えてみて欲しい、彗星落下日に避難訓練というテイで奇跡的に三葉も四葉もテッシーらも死なずに住んだあの日、
中身が瀧の三葉は、朝、制服姿で学校に行って、「このままじゃ全員死ぬ」とか言って作戦を練るも、
中身が瀧の三葉は、「俺じゃダメなのか」ってなって例の酒のある場所に行って三葉と会う。
あの日、中身が瀧の三葉も、中身が三葉に戻った真三葉も、一度も浴衣姿にはなってない。
制服姿で街中をあちこち走り回って、彗星落下のグラウンドゼロ周辺から住人を避難させたわけで。
だからこそみんな生き残って東京で電車に乗れて、そして最初の場面が最後の場面につながるわけで。
世界線が変わって2人が入れ変わって奔走したわけでない浴衣姿の時にも被害でなかったってなら、
東京の電車に乗ってる2人は入れ替わりもなく出会うこともないし。
浴衣姿で空を見上げていた世界線でさえ2人が出会うならそれはもう単なる運命でしかなくて、
辻褄合ってるとかじゃなく、辻褄合わせようとして設定とかあれこれこねくり回しているレベルにすぎない。
「運命だとか未来とかって言葉がどれだけ手を伸ばそうと届かない場所で僕ら恋をする」ってことと真逆のことにもなるしね。
落ちてくる彗星、死んだはずの人々、そういう運命を、互いを好きだという2人の行動で変えたからこそ、その2人がラストで出会うことに意味があるわけだし。
個人的にこの作品大好きでだから何度も劇場に行ってるわけだけど、辻褄合っている、整合性の塊みたいなのは言いすぎかな。
自分の大好きで最高だと思う作品が、完璧で誤謬も矛盾もない素晴らしい作品だ、
あるいはほとんど矛盾もなくほぼすべてのことに説明がつくんだ、と思い込みたい気持ちや、
自分の大好きな作品へのツッコみや批評を、まるで自分が否定されたかのような気になってイラついてしまう気持ちはわかるけどね。
設定ゆるゆるだしツッコミどころやおかしなとこともあるけれど、俺は好きだよ、おもしろかったよって言ってる人たちはずっと真摯だよね。
バイトや学校行ってるのにまったく時間のズレに気づかないとか、都合のいい部分だけ忘れる、とか、
そういうあれやこれやのご都合主義解釈や、スピンオフ小説や、監督の後説でツッコみどころもなんとか説明できないことはない、
くらいのレベルのお話って、少なくとも「辻褄合ってる!すごい!」って言えるレベルのものではないと思うよ。
盛り上がる印象的なシチュがまず第一で、それらのつながりの辻褄はこの映画はお世辞にも上手いものじゃない。
でも俺はおもしろかった。俺はあわなかった、そういうことでいいじゃない。
これは普段から映画やアニメを積極的に見ていない層まで取り込んでいるからだそうだ。
確かにプロットも一捻りした謎要素があり、しかし決して難解ではない(見る前からある程度オチが予想できる)
加えて男女の恋愛も盛り込んでいるのだから女性も話に入り込みやすい。
で、だ。
この記録的大ヒットがもたらす今後のアニメの道筋はなんだろうか、と考えた。
主流はやはりTVだ。深夜アニメの数は膨大に膨れ上がっている。
TVアニメの続編、あるいは総集編といった形での映画化は結構ある。
ただそれはTVアニメという土台があり、見てくれる信者がいてこそ、採算が取れるからGOとなった。
かたや君の名は、はどうだろうか。
宣伝がうまかったにせよ、監督のことを知らなかった人も多いはず。
信者以外の人を大勢動員したことで、つまり単発アニメ映画で採算が取れる可能性が見えたのではないか?
崩壊寸前の現場は、君の名はの成功を見て、劇場で見るアニメの可能性を模索し始めているのではないかと想像した。
そもそも発声可能上映だとかペンライトがんがん振りながら見るとかある種の「異空間」を演出できるのが、今の映画館の強みだ。
3Dだって4Dだってアイマックスだって可能性はてんこ盛りんぐ。
ニコ動でコメント打ちながら見るのが新しかった時代は終わった。
これからは、誰かと同じ空間で同じ興奮を味わいながら楽しむ、「ライブ感」が重要になる。
君の名は、はそういったライブ感とは違うけど、皆が見てるから俺も私もという連鎖に入っている。
オタクはもう引きこもっているだけじゃ物足りなくなってしまったんだ。
そして制作側も、あわよくば一般層を引き込める劇場アニメに魅力を感じるかもしれない。
『君の名は。』に色んな意味で心鷲掴みにされて、もう何度も何度も劇場に足を運んでいるのだけど、
この作品の大ヒットに関して、ブコメも含め様々な場所で個人的にちょっと気になることを目にしてる。
しかもそこそこな頻度で。
新海監督が、『君の名は。』で、「アーティストとしての作品性や作家性を捨てて、万人受けを狙った、そして売れた」って感じの意見ね。
いやいや、『ほしのこえ』当時からハマって追っかけてきたオタとしては、ちょっと待ってって思うのよ。
「作品性」や「作家性」って、新海監督は別に捨ててなくね?って。
『君の名は。』では新海監督の強いこだわりで魅力でもある画面のライティングや構図であるとか、
大きな力で引き裂かれる思春期(とそれ以後)の2人と恋愛と喪失だとかは、
何にも変わってないよね。
ボーカル曲に合わせてMVか!って感じで見せていく手法もそのままだし、
ナルシシズム漂う独り語りも、ロマン主義も、センチメンタリズムも、そういう作品の特色なんかも昔と同じ。
なんか、個人制作の『ほしのこえ』と、感動とトラウマを多くの人に植え付けた『秒速5センチメートル』っていう過去作のインパクトがあまりにも大きくて、
ああいうものこそが新海作品だ、万人受けしなくても、一部の人に響く強烈な作品やこだわりを志向するのが新海監督なんだ、
ラストで結ばれないものを観客に容赦なく突きつけるのが新海作品の本質なんだっていう考えを持ってしまった人が結構いるような気がする。
新海監督は「わかる人だけが自分の作品をわかってくれればそれでいい」という立場より、
「万人に受け入れられたい」そして「メジャーな規模で売れたい」という立場の自己顕示欲や願望のほうが、
昔からずっとずっと強かった人のように思うんだよ。
大ヒットでインタビュー受けまくってる姿なんて、ほんと昔から目指していたことが叶って嬉しい、って気持が、なんかありありと伝わってくるし、
『秒速』は見た人を励ますつもりで作って、「鬱だ」って反応が予想外だったって新海監督自身も言ってたし。
過去作だって、『エヴァ』とか、『最終兵器彼女』とか、ジブリとか、村上春樹とか…、とにかくメジャーで大ヒットした有名作品とかにそこまで寄せなくても…って思うくらい寄せてくるし。
『ほしのこえ』『秒速』みたいな作品は、ニッチな層にだけ強烈に響くこと意図的に志向して制作していたわけでなくてさ、
たぶん、単に個人制作・小規模制作で視野が狭かったり、監督個人のスキルが低かったり、お話の引き出しがワンパで、
(そして今作でも周りの大人たちやDQN客みたいなのは、相変わらずびっくりするくらい定型的でチープで、そことのやりとりも上手く描けないから省かれてたり)
決して『秒速』みたいな作品や、あの作品への反応みたいなものこそが新海作品の本質だ、作品性だ、ってわけじゃないと思うのね。
『君の名は。』はわかりやすいエンタメを目標にしたわけだけど、
そもそもが新海監督は、わかりにくいものや非エンタメ的作品を志向してたわけじゃないんだから、
描きたいこだわりを省いた、作品性や作家性を捨てた、と言うより、
周りのスタッフとの共同作業を通じてスキルアップしたって言い方のほうが正しい気がする。
川村元気Pから「新海誠のベスト盤を作って」って言われて、描きたいものを描いて出来たのが『君の名は。』なわけだし。
ともかくも『君の名は。』で、メジャー映画監督の仲間入りした新海監督だけど、
個人的には次回作も楽観視してる(『君の名は。』を超える興収をあげるかどうかは別にして)。
優秀なスタッフと関わることで成長していく可能性もあるだろうし、
逆にそこまで成長しなくて、また底の浅い引き出しからワンパターンな思春期男女の話を作ったとしても、
その時それは「ああ、今度のも新海さんっぽいねー」って言われてると思うの。
「ジブリっぽい」って言葉と一緒でさ、オタだけじゃなくて一般に広くそう思われるようになったら、
思春期のこの手の話をああいう絵力を交えて魅力的に見せれる作家って、実写含めて今は新海監督が一番だと思うしさ、
次回作が仮にワンパターンなものになってたとしてさえも、たぶん、きっと大丈夫。
それに新海監督は興収やら評判やらがしょぼくて落ち込むことはあったけれども、
とりあえず興収で一定の結果を残せさえすれば、庵野監督のように大ヒットしたのに深く苦悩する、そういうことに陥るような人とは実は違うタイプだとも思うから。
元ネタ:アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない新海アニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメを布教するのではなく 相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。
あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」
そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠な
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品が新海誠のフィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
「猫の集会」の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、
一方でこれが宮崎や富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
「君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がエロゲのOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
劇場用アニメでしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫』最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化するでもないささやかな日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。
「ほしのこえ」から始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
増田はキノ子P。女性。総額7桁いかないくらいの微課金勢。アニメのシンデレラガールズはとても良い出来だと思っているが、声優さんがキャラクターに扮してライブイベントを行う風潮が好きでないので、毒茸伝説を生で聞いたことはない。
スクフェスを頑張っていた時期にデレステリリースがあり、操作感の違う音ゲーをやりこみきれずにデレステにしっかり移行できなかった。(μ's解散につきスクフェスを引退したので、Android版の操作感が向上していればデレステ再開してもいいかな…と思っている)
モバマスの良いところは何も考えずに時間つぶしのようにポチポチするだけでなんとかなったところだった。
一曲集中して叩かなければならないリズムゲームや、戦略性のあるゲームは頭を使わなくてはいけないが
モバマスが完全に「デレステたのしいよ、やろうよ」と押しに押しまくってくるプレッシャーから逃れるためにあんスタをはじめたのが3ケ月前。
解像度の高い初期モバマスという感じ。最近はデレマスというんだっけ?
スタミナ等の回復アイテムに時限がついていて、プレゼントボックスで受け取れる期間および受け取ってから使用できる期限が
かなり短く定められている。これによって貯蓄をぶっ放してイベント上位に食い込むことが難しく、都度都度の微課金が有効に働く仕組みをとっている。
また、同システムのお陰で後発ユーザが損をしづらい、いつでも入って来やすい構造になっている。
無課金でもガチャ用アイテムがかなり貰えるため微課金、無課金であれば一年続けている人も先週はじめた人も同じくらいの強さ。
また、ユーザ同士での直接対決系イベント(プロダクションマッチフェスのような)ものがなく、ランキング報酬と完走報酬にあまり差がないため、色々とストレスフリー。
イベント期間外のアイドルタイムを使い過去開催の任意イベントに参加出来るシステム。
但し前述の回復アイテム賞味期限制により、かなりはしりづらい。
復刻イベント自体が最近実装されたものらしく、回復アイテム賞味期限制との相性を良く考慮されないままだと思われる。
過去イベントストーリー、スチル等の回収が可能なので全体的にはとても親切。
「アイドル」と「高校生」という2つで縛ってしまっているためバリエーションが少ない。
女性向けなので関係性が重視されているが、「幼馴染」や「過去友人であったが現在は確執がある」等の(おそらく人気なのであろう)設定がある組み合わせが重複してしまっている。
メインのライターさんが二人いるらしく、キャラクターの口調がぶれる。
また、アイマスシリーズにおけるPのように、主人公がどのような仕事をする役割なのかはっきりしていない。
乙女ゲー要素+アイドル関連だと良くある事態だが作中の設定を信じれば主人公のやっていることは
10ユニット分の仕事を取ってくる、仕事現場に同行する、その合間に全員分の衣装を縫う、更にその合間に差し入れの食事を作る等高校生とは思えないハードワーカーだ。全く感情移入出来ない。
(ちょっとしかやったことないけど、うたプリに触れたときも主人公ちゃんはつんくさん並に曲を書くスーパー作曲家という印象が強い)
作中キャラクターの妹が出て来るあんさんぶるガールズ!!がリリース予定とのこと。
正直期待している。
目新しさは全くないが電車でポチポチしたりするにはすごく丁度いい。
改善して欲しい点はストーリーをもっと緻密に作ってもらわないと(これはシナリオライターさんの問題と思われるが)
女性アイドルもののようなみんなで頑張ろう系でなく、同じ学園内での足の引っ張り合い劇場なので、本気で推すキャラが出てしまったら精神的に辛いだろうなと思う。
*観に行った当日に書いたものです。極力他人の感想等を見ない・聞かない努力をしています。
*とはいうものの記憶は薄れてしまっているので、読まれる方の混乱を防ぐためWikipediaなどのによりあらすじ・登場人物名確認を行った上で投稿されたものです。
*自省的なものです。レビューは他のかたの記事をお当たりください。
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映画を見なくて久しい友達が、ハリーポッターくらいしかまともな(?)映画を見たことのない僕に「観に行かへんか」と誘われ数々の選択肢から導かれて「聲の形」を観に行くことになった。
コミック未読の身としては、予告編の限りでは「普通によさそう」だと思い前向きだったが、相方はヒューマンドラマ的すぎて醒めてしまうのではないか、と消極的。結局後々の話題性(新学期の話のネタ)を考慮した結果がこれだったんですが。
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昼過ぎ集合、東宝の某劇場で別の映画を観るも機材のトラブルでサイレントに。7割は観たけど全額返金で謎のオトク感をかみしめ、軽食をとり松竹にうつる。
スクリーンにつく。若い人が多い印象。ぼくらみたいに男だけで来てる集団もかなり多かったような・・・
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主人公・石田が責任を負う形にはなるが、西宮に対するいやがらせは根本的には植野(黒髪の女子)から始まったように描写されている。
そもそもこの「いやがらせ」から「いじめ」への変遷で最も大きなものは、攻撃人数の増加・攻撃者の集団化だと思う。
集団化とは、ときに思わぬ人を巻き込むこと。川井(クリーム色の髪の女子)は集団化の被害者であり西宮への加害者である。
また、極端な描写とはいえ、教師の配慮の無さも事態をエスカレートさせている印象があった。
加害者追及(石田が全責任を負う)の場面は自分の小学生時代の記憶がフラッシュバックした・・・(加害者ではなかった分とても不愉快な記憶)
どれもこれも、人の未熟さゆえの出来事であり、高校生になった今、未だ未熟でありながらも、子どもたちはあの時の集団性を見返すのです。
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なんといっても、主要人物全員が橋の上で集まるシーンがこの作品の中核をなしていると思う。
広義的ないじめ加害者・観測者はすべてあの人物中にカテゴライズできる、と言っても過言ではないかもしれない。
そしてその一人ひとりに対し「主要な」いじめ加害者・石田が吐き捨てる言葉は的確であり、「こんなやつおるよなあ」と感心したくらい。
永束のキャラ性は決して浮きすぎず、むしろ重くなりがちな展開を緩和してくれてありがたい。
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途中に入れようとしたけど入れられない書きたかったところ。
すぐ「ごめんなさい」と伝える傾向にある西宮に対し、怒りを爆発させる植野の心情。
いじめは攻撃のある場にいるだけで参加しているようなものだ、と思う(陳腐ですが)。これを自覚できずただ流されるままの人間にはなりたくない。
たとえ偽善者と言われようと、嫌悪感を抱いたら行動は起こすほうがいい(身の上のためにも)。
島田(金髪男子・遊園地のバイト)はともかく、広瀬はWikipediaみるまで覚えてなかったんですが、なぜ彼らが石田の命を救ったのか。
・永束の扱い
記憶が正しければ劇場においてはいわゆる「正義の味方」役にとどまっていたはず(Wikipediaに載っているようなバックグラウンドは描写されていない)。ただこの一面だけであっても、実に典型的で現実的ないじめの観測者になっている。
・美也子(将也の母)の人物像
綺麗事を並べているわけでもないが、将也をはじめとした多くの人物に一言で影響を与えるとてもいい役をしている。画面にいるだけで安心する(?)。
劇場では厳格で冷たい人物であるように事故前まで描かれていた。館内で配られたSpecialBookでバックグラウンドが補完されている(ことにあとで気づいた)。
・そして、結弦
・石田・西宮が立ち寄った現代美術的モニュメント群は一体・・・?
はじめは金沢美術館あたりかなあと思ったんですが、舞台である岐阜の大垣市は結構名古屋寄り・・・今度調べなければ。
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全体的な感想としては、久々に映画を観るからか、とても楽しめましたし、精神的収穫もありました。
これが「日本映画の典型的なお涙頂戴」とは違う感慨であってほしい・・・
とりあえず自分の思ってたことはかけたので、他の人のレビューを見ていって補完していきたい所存。
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以下オタク雑感。
アニメをみてたのはほんの一時期だったので全話見て知ってるのは俺妹のあやせたんくらいなのですが(すでにうまい)、某動画サイトで異能バトルなる作品での名演が残されています。5分間しゃべりっぱなし・・・
いじめの様子を目の当たりにして、僕は劇場に来たことを後悔した。
原作である漫画は全巻読んでいて、事の結末まで全て把握しているはずだった。
それでも、イラストだけでなく映像という形で視聴する事で、これが初めて観る作品であるかのような衝撃と胸が締め付けられるような感覚を得た。
いじめを招いてしまった当事者のみんなも、いじめに対し悪気は無かったのだと思う。
けれども、将也を中心とするいじめは次第にエスカレートし、植野はそれを一緒に楽しみ、佐原は辛くなり途中で逃げ出し、川井は見てみぬふりをした。
(川井の台詞は後の将也に対するいじめの決定的な理由を作った。)
高価な補聴器の紛失と故障がきっかけとなり、硝子は転校し硝子へのいじめは収まった。
ただ、いじめの矛先は将也に切り替わっただけで、硝子へのいじめが明るみになった事が、いじめそのものを無くす方法にはなっていなかった。
将也と硝子の自殺未遂に共通していた未遂の発端は、2人の弱さにもあったと思う。
作中、周りの生徒の将也に対する誹謗中傷の台詞は、将也自身の声が当てられていたが、卑屈で自意識過剰になった将也のメンタルが反映されていたと思う。
また、自分へのいじめは見て見ぬふりが出来たものの、想い人が嫌な目に遭っている事に、ついに耐えきれなかった硝子。
小学生の当時から生きやすいように、自分にとって都合の悪い部分から目を逸していたものの、それを直視せざる得ない状況になって限界を迎えてしまった。
決して2人だけが悪いという話ではない。
かと言って、誰が悪いというわけでもない。
コミュニケーションのぎこちなさが、微妙な噛み合わなさが、作中の登場人物が置かれたいびつな状態を作り上げてしまったと感じる。
ただ、2人に関わった人達が硝子の未遂と将也の転落事故をきっかけに少しづつ変化し、将也の通う高校の学祭を迎える事となる。
そこで、ついに将也の雨空のような視界が晴れやかとなった。「×」が付いていた周りの人達の顔から「×」が全て剥がれたのが、将也自身の心境に変化が生まれた証拠だろう。
硝子についても、植野に対して手話で「バーカ」と言い返していた。人に対し言いたいことをきちんと言えるような人に変化したのかもしれない。
物語終盤は、2人の未遂を乗り越えて成長した人たちの様子が描かれていたが、同時に視聴者である僕達の変化も期待されているのかもしれないと感じた。
この作品におけるいじめは、身体障害を持つ硝子の身にのみ起きたものではなく、健常者である将也の身にも起きた。
聴覚障害という硝子の身体障害がきっかけではあったものの、それが無いと起こり得ない話だとは感じられなかった。
作品の中で植野は「西宮が最初からいなければ良かった」と硝子に対して直接言ったが、後にその植野自身が手話を覚えたという事実だけで、硝子のネガティブな気持ちはだいぶ軽くなっていたと思う。
聴覚障害者、ひいては身体障害者が持つ障害という名のちょっとした壁を、たったそれだけをきちんと考慮し、周りの人が受け入れ取っ払おうと努力する事が出来れば良い話なのかもしれないと感じた。
それは身体障害者だけではなく、他の極一般的な人たちに対する差異の理解にも通ずるものだと思う。
万人がそういった感覚を持つことが出来れば、いじめは無くせると思う。
そういった理解を助けになったこの作品を視聴することが出来たことは良いと思えた。
もう当初の後悔は無い。
みんなが盛り上がっていたので、ファインディングドリー以来、久しぶりに劇場に足を運んだ。以下ネタバレ含む感想。
・くっついた
新海誠は、恋愛映画は最後に二人をくっつけた方がいいとようやく気づいたらしい。
・人以外の絵が綺麗
彗星とか。ご神体の盆地の外縁からの景色みたいな壮大な絵を無理矢理シナリオに盛り込むのも良い。
上映開始前に下らない話を大声でひたすらに続けてくれたお陰でテンション最悪。おっさん本人は片割れに対するひょうきんな俺アピールのつもりだったのかもしれないが、あれは公害以外の何物でもなかったし、おっさんじゃない方は保護者としておっさんを即刻つまみ出すべきだった。上映中もうるせーし何だったんだあの豚。
・手の動き
・主題歌
前前前世がどこで流れてたのかわからなかった。寝てないのに不思議。
実態に即しているかは不明だがリアリティを感じた。各人物の無能有能度合いも極端でなく、戯画化の度合いがちょうど良い。このパートがあんまりにも面白かったので、特別な事件が起きない架空内閣の成立から解散までをだらだらやってくれるだけの映画を見たい。誰か撮って欲しい、もしくは既存の作品を教えて欲しい。
各シーンを地理的に把握することが容易で、感情移入も楽だった。蒲田が吹っ飛んだ時は、蒲田在住の姉に心の中で感謝した。
・ゴジラが怖い
今までに見たのはビオランテ~デストロイアまでの作品だけで、その実内容を殆ど覚えていない。ただゴジラを怖いと思ったことは1度もなかったし、戦隊のロボ戦と区別していなかったと思う。翻って今回、ゴジラが動き、道路や家屋が吹き飛ばされ、都心が赤く染まる光景は心底恐ろしかった。多分それまでの過程で作品のリアリティのレベルを上げるよう苦心した結果だと思うんだけど、これが本当に新鮮で驚いたところ。ジュウオウジャーも週一くらいのペースで大惨事が起きてるんだけど、あれはリアリティを低く保ってるからストレスにならないんだなと改めて気づいた。
石原さとみは別に悪くない。通勤中東京メトロの看板で顔を見かける度にストレスが和らぐし、総監督もそういう狙いがあったんだと思う。
・OP
冒頭は石田がカレンダーでカウントダウンを始める下りから。その後は軽快な音楽にのせて石田と島田と島田じゃないやつの関係性をモンタージュで表現しながら右から左にジャンプしてる例の構図でタイトル。最高。
・永束
一番最初に×が剥がれる人物。登場時点で石田に十分感情移入していたため、終始好感の持てるキャラ。永束も石田によって救われているはずなんだけどそれをあまり意識させない。いわゆる天使。
・結絃
みんな誉めてるけど気にせず誉める。完璧な仕事をした。君の名は。ではどうでもいい仕事をしていたけど差し引きでも大幅にプラス。
・取捨選択
この映画は石田が主人公で自他との関わりがテーマになっている。元々原作者は恋愛ジャンルを標榜していないが、映画はさらにその手の描写をオミットしている。例えば植野の石田に対する感情は原作と変わりないのだが露骨な表現をほぼ削り落としている。寝込みも襲わない。それはラストの違いにも象徴されるように石田西宮間でも同様であり、結果として上手くテーマにフォーカスすることに成功していると思う。恋愛はコミュニケーションの一形態ではあるけれど、一形態にしか過ぎないので。石田や西宮の行動についても、原作では読者が意図を解釈しづらかった部分がスムーズに把握できるつくりになっている。シナリオ各所でなるべく台詞での説明を廃して絵と音で観客に理解させようという姿勢が見てとれて、全7巻の原作を2時間に落とし込む上での問題を上手く解消している。キャラの細かい仕草に気を使って意味を持たせているので何周しても損はしないタイプの映画。川井は描写が減った結果存在が若干マイルドになり、西宮への叱咤を観客が受け入れやすくなった。植野も同様。真柴は少しかわいそうだが本領を発揮されても困る。原作自体が優れた作品だったが、それを2時間の映像作品として昇華した結果一回りも二回りも質が上がった。意義のある映画化だったと思う。
・鯉
パンを食べさせ過ぎて怒られそう。
暇だったのでやった。今は反省している
zinjoutarou やたらと、#豊洲移転 に論を進める #やまもといちろう 氏。以前は女性のヒステリー発言もあったね。もしかして、本業と言われる投資にも関わっている?
言われるまでもなく本業は投資と自称してるし、余計なリスク取るまでもないぐらい大金持ってるのも昔から公言してるけど知らないか。それぐらい有名になったってことか
shufuo すげーポジショントーク。身内が絡んでるんだろうね。
enemyoffreedom この件では徹頭徹尾ポジショントークなので「いったい誰に言わされているんだ、どういう筋のしがらみなんだ…」と気になって文章が頭に入ってこない
最初から「築地市場は早々に移転するべき」ってタイトルで自分のポジション示して論を展開してるのに、「ポジショントーク」とかっていって批判した気になってるのすっごく頭悪くない?
TakamoriTarou ここからわかるのは技術会議を役人が見事に騙していたという話だけでは? 資料読み込んでるなら分かると思うけど、報告書は明らかに全面盛り土の前提になってるよね。こんな強弁何の役に立つと思ってるの隊長?
ここからわかるのは、専門家会議が思いつかなかったよりよい方法が小会議である技術者会議の途中で見出されて採用されたことしかわからないけど。役人騙したとかどこから読み取れた?「保身は大事ですよね。」の方がよっぽどまともな読み取り方に思えるが俺だけか?
誰が謝れって言ったんだよ?お前か?名誉毀損で訴えられたら謝るだろうよ
kkzzrr まぁこいつは元々自身の経営するi&p社の社員に業務中に2chで工作や情報操作させてる様なネット弁慶だしな。ここのはてブのコメントにもくっさい臭い社員コメントが増えてきててうける
懐かしいレスだな。感動した
馬鹿が出てきたら叩くのがこの人の芸風でしょう。そもそもタイトル読もう
masafiro1986 声を荒げるでもない小池さんをヒステリー呼ばわりするのに、石原慎太郎がブチ切れても、熱量があって芸達者、などと呼ぶのか。
何がおかしいの?確証もない適当なタレコミ鵜呑みにして都職員に確認することもなくと突然土曜日に記者会見開いて「全職員綱紀粛正」とか言い出したらヒステリーとしか言いようなくない?芸達者伝統芸はこの有様で何年も都知事やってたことへの皮肉でしょ。俺の解釈が間違ってる?
典型的な中身も見てないし理解もしてないし興味もないけど批判だけしたい時の常套句だな
Redcolor これは金をもらってか、何かが絡んで記事を書いていそうだね。
toshi20 この件に関しての隊長は「ちょっとあんた黙っててくんねえかな?」と言いたくなる攻撃性の高さ、バイアスの掛かり方で引きながら見ている。小池知事がヒステリーって決めつけた初手から攻め方が露骨だし。
取材先がみんなヒステリーって言ってた、そうだが。前は集団脳障害って書いて訂正求められてたな
www6 投資が絡んでるとかじゃなくて、単純に引っ込みがつかなくなってるだけだと思うの。キクマコとかも同じなんじゃないかなあ。リセットできるやさしい世界だったら良いのに。
お前のリテラシーが強烈に低いのはよくわかった
is11045 畑明郎は地下水汚染の専門家なんで文句があるなら一度ガチで議論してはどうか。海水がどうとか素人レベルの議論では太刀打ちできないと思うが。
son_toku 図面だけを資料に入れてその場で説明が無く、意見がなかったら図面内容含めて了承したから瑕疵がない、というのはちと無理筋のような。次々議事と説明が繰り出させる会議の場で専門家と言えど気付けたかどうか?
AKIT これで水からベンゼン出たらどうするんだろ、たいちょ。「技術会議」が都庁の言いなりの人たちを集めた会議だから「専門家会議」の提言をネグったと言われてるけど、そこはネグるの?
豊洲のベンゼン検出量、環境基準値もクリアしてるし晴海よりも低いんだけど知ってた?
そうとしか思えないけど、お前にはどう見えたの?
urashimasan 都合のいいとこだけ抜き出してもね。事務局側としてはあの案をコソッと出して技術会議に責任を押し付けたつもりなのだろうが、質疑応答ではあいまいな返答でごまかしている。
son_toku 図面だけを資料に入れてその場で説明が無く、意見がなかったら図面内容含めて了承したから瑕疵がない、というのはちと無理筋のような。次々議事と説明が繰り出させる会議の場で専門家と言えど気付けたかどうか?
ROYGB 提言では全面に盛り土することになってるのだから、それを変更するには明確な変えるという提案と承認がないとまずいような。勝手に変えた図面出して文句言われなかったからOKというのはインチキっぽい。
ysync とりあえず、議題として上がってきたわけでもなく、しれっと変更された図面を入れとくとかペテン以外の何物でもないと思うが。議論に集中せず資料だけずっと眺めてるタイプ(よく居る)なら気づくかもしれんけどなw
u_eichi なに言ってんだ。エクスキューズもなくペロッと出された会議の資料で問題と認識していないところがさらっと変更されてても、よほどじゃないと気づかないだろう。空洞化を会議内で共有されてなかったのが問題で。
tyatya_moon なぜここまでポジショントークなのか気になる。安全云々よりも技術会議などをスルーして決定していった事に対して、信頼が崩れているのに・・。
議題に上がってたのは共産党もわかってるんだけどな「わが党の調べでは、2008年11月の第6回技術会議で、5つの土壌汚染対策案の一つとして地下空間を利用する提案が初めて紹介されました。」
copyxxx いろいろ強引なのを見てると、実は豊洲移転に反対で、逆張りで無理な論理展開して意見を誘導しているように見えてきた
gaojin2180 問題は、安全性にあるのではなく、盛り土を計画していたにも関わらず、実際には報告せずに計画を変更して施工していた点にある。計画と異なる施工をしたが、結果的に安全だからそのまま計画を進める、とはならない。
前の記事読んだ?報告先である親会議はなくなってたんだよ。知ってた?当時の都知事も知ってたみたいだよ。
dissonance_83 ポジショントークは不要。どういう皮算用があるのか知らないが、フラットに事実を見て判断しているのでなく特定サイドに加担している。コンセンサスとっていないこと、手続きが適正に取られていないことを軽視し過ぎ
現都知事は理解しようとしたのでしょうか?手続きの話は移設後ではできないのですか?
ninosan 隊長擁護してるのは痴れ者か?やましいことがないならメディアを地下に入れても良いはずだし(都が断っている)、水の調査もさっさと公表できるだろ。なんで共産党の調査の方が先行してんだよ?
「さっさと公表できる」ってお前専門家か?ジャム瓶で適当に水掬ってpH試験紙で測っただけで「調査」だとか言いたいんじゃないだろうな。
kingate 奥さんもいてお子さんもいるのに、金の方が大事でしょう、というスタンス嫌いじゃないですよ、テメェの家族をウィッカーマンに放り込んで火かけるなら。市場経済に大地の恵みがありますように。
何言ってるかわからんけど、この騒動でクビ切られる都庁の偉い人の心配してるんだよな?
時事通信か共産党員がリトマス試験紙とpH試験紙の区別もつかないの揶揄してんだろ
nibo-c なんでこの人、今回こんなに必死なの?
築地のクッソ汚くてボロボロの市場で売られてる物食いたくないからじゃね(適当)
マジかすげーな
kenjou 読むに耐えないので飛ばし読みしましたが、この件についてこのひと必死すぎますね。こんなに各方面に無理筋のケンカを売りまくると後に響きそうですが。なりふりかまってられないほど追い込まれているのかな。
アホか
siomaruko まともな社会人の発想じゃないレベルまで偏ってきているかんじ。そんなゴミみたいな言い訳的擁護して恥ずかしくないのか。こんなに酷いと誰からいくら貰ってるんだろうと疑われても無理ない。
揮発したベンゼンが危ないって主張しているところにマスクも無しで視察しに行ったり、強アルカリ性の水を素手で救ったりしてる方がどうみでもまともな社会人じゃないと思いますけど
madaranokarasu スマホゲーの闇に斬り込んだときも、過去にもしもしゲー自分で作ってたことにはだんまりでしたね
クッソつまらない駄ゲー自慢してたのは知ってるけど、ガチャゲーも作ってたの?
s025236 “(3)はそもそも盛り土が耐震性その他建屋の強度に関係するわけもないので、ここは除外で問題なかろ”←盛り土だからというより空間になってるので耐荷重下がって問題になってますよね
nao_cw2 この人は別に専門家でもなんでもないんで軽く言ってますが、地下水流入はまずいんです。アルカリ反応もコンクリがアルカリだからって茶化さないのが専門家です。工法変更してるんだから結果オーライじゃないですね。
KAZ99K 本日の誤認誘導ポイント|一般論としてですが→不確実なこと言うな|概ね4つの論点があります→勝手に並列すな|必死に追及しようとしているのは(2)→論点ズラすな|さすがにそこに広報ミスはない→都合のいい解釈すな字数
字数が足りない時はこうやって増田に書けばよくない?もう書いてるかもしれないけど
euda pH のくだりが絶望的。pH 12-13 とかは固化する前の“セメント”ね(アイドルがやけどしたやつ)。pH 10 って下水に流せない。海水がアルカリそうですか。みんな定量性にかけるのだけど、高等教育受けてない?
「コンクリートは、セメントの水和によって水酸化カルシウム(Ca(OH)2)が生成され、pHが12~13の強アルカリ性を示します。」「海水中のpHは一般的に弱アルカリ性を示し、表面海水中での約8.1」ありがとう勉強になったよ
おかしなこと書いてたら基地外の社会復帰活動の一環だと思ってスルーしてくれ
正直ちょっとソース調べるだけで疲れたし、まともに記事に仕上げた上で毎日のようにツイッターでこんなことやってるの凄いと思った(小並感)
劇場通いしてるわけでもないし、自分が演劇をやってたわけでもないど素人ですが。
虚構の世界を本物のように作り上げようとする芸術が素敵だと思います。
手塚治虫先生の『七色いんこ』、今話題の松浦だるま先生による『累』など、演劇を扱っている漫画も好きで読んでます。
高校の時も文化祭の時演劇部の舞台を自分のシフトの合間に見に行ったりしました。
演技はプロではないけど、普段授業で使っている教室に、現実から切り離された舞台の空間が展開されているのにどきどきしました。
実は演じることにも興味はあったんだけど、勇気がなくて結局そのままきてしまった。
気が向いたとき、お風呂につかりながらで「マクベス」とかの戯曲の台詞を一人で読んでいます。結構楽しい。
おすすめとかあったらだれか教えてほしいです。
私は今、モスクワの大学寮にいます。ロシア大使館主催の第6回ロシア語学短期留学プログラムに参加しているからです。
日本の大学生約80名がモスクワの国立大学に派遣され、授業料免除で約1ヶ月間ロシア語を学べるありがたいプログラムなのですが、
大学側の対応や日本での担当窓口のロシア旅行社に思うところがあるので、この記事を書きました。
約6畳の部屋に3人押し込まれるので狭いです。
1つの風呂、トイレ、洗面台を5人で共有する部屋もあるので、ストレスが溜まります。
共有キッチンもありますが、電熱コンロなので火力が弱すぎて、炒め物は無理です。
鍋・食器なんで全くありませんし、電子レンジや湯沸かし器ももちろん無いです。
仕方がないので、皿、フライパン、食器、電気ケトル、炊飯器を現地調達しました。
物価が安いので3000ルーブルでなんとか揃ったのが救いです。
あと、ベッドの毛布が臭いし、部屋に人数分机がないところもあるので勉強が大変です。
ロシア旅行社様(日本側の窓口)の説明では、寮にWifi完備とありましたが、
半分本当で半分嘘です。
大学1階ロビーには登録不要で使えるWiFiがあるのですが、寮の部屋で使えるWiFiはロシアの携帯番号がないと登録できないので使えません!
私はMegafonという携帯会社のSIMカードを買ったので、なんとかなりましたが、
多くの人はわざわざ1階に降りてネットを使ってました。
日本からレンタルWiFiを持って行くという方法もありますが、
1ヶ月1万円以上かかるのでおすすめできません。(ロシアでSIMを買えば1ヶ月1000ルーブルで8GB以上使える)
ロシア旅行社様からの説明では、1日5000円計算で15万円程ドル・ユーロ等の現金を持参するのがおすすめとのことでした。
しかし、実際は外食も日本と比べて安く、博物館・劇場の料金もかなり安いので、
1日2000円も使っていません。頑張れば1日500円で生活できます。
クレジットカードはかなり通用しますし、VISAデビットのキャッシュカードなら簡単に現金を引き出せたので、現金は少なめで大丈夫です。
ロシアは遠いので仕方が無いと思いますが、寮の部屋などの現地情報をもっと詳細・正確に伝えて欲しかったです。
クラスの移動がかなりありました。
上級から初級まで6クラスあるのですが、上のクラスは本当に難しいようで上智のロシア語学科でも死にます。
まあ、実際に授業を受けてクラス分けするというのはある意味合理的ですが。
以上のように大学に来てからいろいろ大変なことはあったのですが、
なんとか生きながらえています。
金~日が休みなので、バレエやサーカスをみれて非常に楽しいです。
まだ2週間ほどですが、ロシア語力は伸びているのでかなり有意義だと思います。
ただ、寮がひどすぎますが…
日本の食材(レトルトカレー、米、緑茶、乾麺など)とマイ箸 ※必須
フライパン、鍋、まな板、ナイフ・フォーク、コップ、マグカップ、湯沸かし器 ※現地の方が安く買える
※以上の文章は個人の感想・体験を記したもので、 ロシア旅行社 様および プーシキン記念ロシア語大学 (Государственный институт русского языка имени А. С. Пушкина) の社会的評価を低下させる意図はありません。
ロシアの学生にしては快適な生活を送らせて頂けているものと思っていますし、あくまでもロシアで感じたカルチャーショックを伝えたいだけです。
平日の昼過ぎ、カップルやイケイケの同年代などに囲まれて、君の名は。を観た。
友達がいないので、スマホを持っているがLINEもしないような人間が、上映前の数分間、覚悟してたが、それはそれは居心地が悪い時間だった。そもそも、あの新海誠の作品が一般に広く受け入られて大ヒットしていることを驚いたことが劇場に足を運んだ理由だった。
いままでそんなこと思ったことがなかった。
自分にとって中学校時代の漫画、アニメ、ゲームの"消費"は、いわゆるリア充である校内の主流派になじめない自分への言い訳だった。
「小2でラノベに触れてしまった。小3で深夜アニメにはまってしまった。小4でエロゲに手を出した。」だから「普通の人と私は違ってしまった」
本当はそんな因果はないのだが、そうしなければ自分を維持できなかったのだと思う。
いつもニコニコ気だるげな受け身の人間、関わってくる人を拒絶せず、自分からは他人に関わろうとしない。
そんな3年間だった。
高校に入学し、その言い訳はさらにひどくなった。"消費すら"を辞めたのである。理由は単純。そこそこ偏差値が高め、だがパッとしない私立高校へ入学したところ、周りにオタクであることを公言する人間が一気に増えたからである。
野球部イケイケしかしオタク。そんな奴がごろごろいた。もちろん世間から典型的オタクと呼ばれるような人間もたくさんいる。
最初はそんな彼らが羨ましかった。前者の人間だけでなく後者の人間すらも。みんな楽しそうにめいめい自分たちの感想を述べている。いままで自分が感じたものを共有することができず、何より他人と考えを共有しようともしなかった自分は彼ら彼女らが本当に羨ましかった。
しかし、交わることができない。そこでコンテンツの消費すら辞めた。
「私はテレビも見ない、本も読まない、一緒遊ぶこともないから出来事を共有することがない(高校から家が遠いことを理由に誘いはすべて断っていた)」だから「普通の人と私は違っている。なじめない。」
そんな考えのもと、他人が楽しそうに生きているのを見ることを趣味をしていた時期があった。
そんな高校生活前半だった。
後半は更にひどいものであった。部活の先輩に言われた言葉がきっかけである。
「○○(私の名前)って今この瞬間、この部の誰かが死んでも何も思わなさそう」
面と向かって言われて、確かにその通りと思った。実際、中学時代の同級生の通夜か葬式かに出た時も同じ部活の同級生だったが何も思うことはなかった。(中学時代の人間とは誰とも連絡先すら知らないような仲だったが帰り道に斎場があり、声を掛けられて出ることになった。)
自分はそもそも何にも興味がないのだろうとそれから思い始めた。
「私は何も楽しめない」だから「普通の人と私は違っている。なじめない。」
何もせずゆっくりと生きていた。
そのまま1年間の浪人生活に入った。人と関わりたくない自分は研究室は向いていない、センター試験後にそう思い絶対安全と言われた国立大学を落とした。浪人生活中にできる限り人と関わらずに卒業できる近場の大学と学部を探した。ゼミ無しで卒業できる文系学部に現役時とほぼ変わらない成績で入った。
親の金を浪費し、予備校までの電車を終点から終点まで行ったり来たり、本を読んで過ごした。そもそも行ってないのだから、当然、予備校の人間に知り合いは一人もいなかった。
ただ自由な時間ができたことで再び漫画、アニメ、ゲームを楽しむことができた。
大学に入った、予定通り人と関わらず過ごしている。
バイトも役を演じればよい塾講師、友達も作らず、飲み会など行ったことなどない。
とても満足していた。
大学を卒業したら家を出て一人で静かに暮らすのだろうと、そのうち専門業者とでも契約して死んだ後の処理をしてもらえるようにして適当に暮らそうと、そう思っていた。
それが「君の名は。」を見たときに自然と「青春をしたかった」と思ったのである。
君の名は。を見て感じたのだからだれか他人を求めているかもしれないが、そもそも家族にすら演じている自分を見せている自分が何ができるのか。人との付き合いの方法など分からない。
どうすればいいのか。どうすることもできないのか。誰にも聞くことができない。聞き方すらわからない。どうすればいいのか。
いろいろ理由はあるけど、自分的には「中高生アニメ好きが増えたから」だと思う。
電車やバスの中で、劇場版アニメの話をしている中高生をよく見かける。
今は昔と違って、サブカル好きや中庸層が安パイとしてアニメ好きに位置しているから
(アニメは人気作は見る、湘南乃風やエグザイルのライブはたまに行くっていう層)
その人たちが気に入って、
最初はアニメ好きの人たちだけで、そのあと「よかったよー、行こうよ!」とイツメンで、
「え、まだ見てないの?よかったよ、行こうよ!」とクラスの見たことない子と一緒に
てな感じで増えてるように思う。
結局は作品のよさはあるけど、中高生の共通体験に使われているだけなんじゃないか。
今の友情は金かかって大変だよな…。
君の名は。にはまってしまい、劇場2回の視聴に加え、小説と外伝も読んでしまった。
それで思ったのが、瀧と三葉の入れ替わりは、赤の他人同士のものでは無く、瀧が三ツ葉の生まれ替わりであることに起因するという仮説。
また瀧が思い出すのが三葉の隕石落下までの記憶に限られることから、瀧は隕石落下で死んでしまった三葉の転生ではないかとも思う。
上映開始直後、いつもの新海節が劇場に鳴り響いた瞬間、興奮のあまり俺はちょっと泣いた。
しかし、その後の展開は、個人的に納得できるものではなかった。
まず、新海誠特有のセリフ回しが圧倒的に足りない(新海節が少ないことを評価する人がいるのもわかる。しかし、俺はあの新海節が好きなんだ)。
次に、ラストシーンでのカタルシスが足りない(とって付けた感じがしてしまう)。
秒速の何が良いかって明里が他の男と幸せにやってる描写が挿入されるところにあると思うのだけど、今回はそれに値するものがない。
記憶がなくなってしまうってのがラストシーンを際立たせるのかもしれないけど、秒速の明里しあわせ描写に比べると弱い。
ニコ動だと、明里しあわせ描写で「あーーーー!!!」みたいなコメントで埋まるだろうし、強烈な印象を与える。
しかし、今作は「忘れてる!!」って言ってるだけで、心に響いてくる度合いが小さい。
俺は今まで「ガルパンはいいぞ」と言ったり、シンゴジラについて絶賛したりしていたのだが、
いざ自分に合わない作品が絶賛されていると、すげー居心地が悪い。TL見たくない。
ちっせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
面白い、とは思う。設定もありきたりではあるが良く出来ている。シナリオに粗さはあるものの、それを誤魔化せるほどの熱量がある。このまま行けば、間違いなく今年一番のヒット作になるだろう。
さて、日本人の映画鑑賞に関する調査によれば、国民の半数は年に一回以下しか映画館へ足を運ばない。(http://research.lifemedia.jp/2015/02/150225_movie.html)
『君の名は。』の客層は、上記の「一年に一度以下映画館で映画を観る客」に学生を加え、そこに僅かばかりの童貞中年オタクを足せば出来上がる。女子高生の休日なんてカラオケ、映画、ショッピングのいずれかで片付くし、童貞中年オタクが新海映画を観に行かないわけがない。こいつらが『君の名は。』で涙を流し、ヤバいヤバいとSNSで連呼しているのだ。
彼らは決して『シン・ゴジラ』を観に行かないし、秋に公開される『怒り』の存在など知らない。『君の名は。』のシナリオの粗さにも気付ず、大満足で家路に着く。素晴らしい。まさにエンターテイメントじゃないか。
しかもアニメは取っ付き易い。実写映画とは違って役者の過去作のイメージもなければ、プライベートでのスキャンダルも関係ない。話にすんなりと入っていける。ジブリのおかげでアニメの地位はぐっと上がり、今やポスト宮崎駿と銘打てば映画は注目される。皆がそれを求めているから。マスコミに言わせれば新海誠もポスト宮崎駿らしい。それは全く違う気がするが、世間的にはパヤオっぽければ何でもいいのだろう。誰も、ポスト高畑勲なんて求めちゃいない。細田、またデジモンを作ってくれよ。
『君の名は。』を観た客よ、頼む。頼むから映画館へ通ってくれ。
パヤオの影だけを追い求めるお前たちが普段から映画を観てくれれば、『6才のボクが、大人になるまで。』ももっと大規模に上映されたんだよ。劇場で観たかったよ……。良い作品が埋もれることすら許されないこの現状はどう映っているんだろうか。日本の映画はどこに向かっているのか。
感想についてはさんざん語りつくされてるだろうから割愛する。レイトショーにも関わらず中高生やカップルが多かった。
正直なところ驚きである。自分は秒速5センチメートルから新海作品に入り、それ以前・以降の作品も観てきたがここまでヒットすることになるとは。
アニメが好きな人は知ってて当たり前だが一般人には全然、ぐらいの人でしかなかったというのが自分の認識である。
新海誠もそこまで認知されるようになったのか、とも思ったが劇場で感じた限りではそういったわけではなさそうだった。
ここで思ったのは今時の中高生はこの年齢でもアニメを見ることに抵抗感がなくなってきている、ということだ。
自分もまあ、アニメを見るのが好きではあるが10年前学生だった頃(ハルヒ・時かけ・とらドラ辺り)と比べるとアニメ好きなどと公言しようものなら
上記の作品やニコニコ動画等が今の(ジブリを除く)アニメを取り巻く環境に火をつけたということだろうが、それでもこの10年でここまで変わるとは思わなかった。