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2016-11-16

この世界の片隅にで立ち見があるのはテアトルぐらいです

他の劇場スカスカです

一応報告まで

2016-11-14

売れないジャニーズJr.を好きになった。

ある日売れないジャニーズJr.を好きになった。

きっかけは簡単で、売れてるデビュー組のファンからの、いわゆる担降りというやつだ。

このタイプジャニーズJr.ファンになるひとの大半がこの道を通ってきていると思う。

詳細は省くが、彼はほとんどテレビへの露出はなく、先輩のバックダンサーを務めるか、先輩が座長舞台に出るかで1年を過ごしている。

コンサート舞台仕事数のわりに、彼は本当に人気がなかった。

知られていないわけではない。この界隈のジャニオタには名前も顔も知られていたし、目立つ方でもあった。

ただ、彼のファン、彼だけのファンは、ごく少数であった。

初めて彼を見に行ったとき、まだそれはあの子ちょっと気になる、程度の時期で、

初めて作った彼の名前うちわを持って、大きくない会場の後方の席に入った。

数曲終わり、彼らが出てきて、ほんの数秒。何小節か踊ったところで、顔を上げて、私のうちわを見て、にこーっと笑って、指をさした。

それは一瞬の出来事だった。

その前何年間もジャニオタをやっていた。

何種類もうちわを作った。

目立つように目立つように、少しでも目に入るように、見てもらえるように。

しかし、自分担当の視界に入ったと思えたことは一度もなかった。

他のメンバーにはあった。

しかし、こと担当には全く無縁で、まるで私は透明人間かおばけのようだった。

それが当たり前だと思っていた。

それが、初めての現場で。ほんの数秒で。

こんな世界があったなんて。

あっという間に夢中になった。

喜んでもらいたかった。

広い広い会場で、先輩の後ろで、ライトもろくに当たらず、出てくるときもハケていくときも、拍手も歓声もない

だけど私は、あなたを見にきたよ、と伝えたかった。あなたを見にきている人が、いるんだよ、と。

顔を覚えてもらうのに時間はかからなかった。

はいつもステージの上から顔をじっと見るからうちわで顔の下半分を隠しても、見透かしているようだった。

そして、うちわのない現場でも、私を見つけるようになった。にこっと笑ったり、うん、と頷いたりするのは稀で、いつもほんの一瞬見るだけで、すぐに目をそらし、彼は彼の"仕事"に戻った。

相変わらず彼のファンはとても少なく、劇場に預けるファンレターは、いくつかの束になってるどれにも乗せられず、いつも机に直接置かれた。

20代も中盤に差し掛かり、ジャニーズJr.でいられる期間も残り少ないだろう。

劇的な何かが起きて彼に注目が集まり、売れてる若い子を押しのけてCDデビューすることも、たぶん可能性はない。

彼が自分人生を見つめ直し、夢や希望(もしかするとある種の惰性や成り行きも)と、現実的自分の将来を天秤にかけたとき、そしてそれが傾いた時が、

私が彼を失うときである

きっとその時は突然くるだろうし、予測不可能だ。

誰かのコンサート初日、わらわらと出てくるジャニーズJr.双眼鏡を向け、彼だけがいないことに気づいて愕然とするだろうか。

舞台出演者の発表のときに、彼の名前けがないのを見て、静かに察するだろうか。

決して避けることができない、死を待っているかのようだ。

2016-11-10

オタク文化=「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」の文化 ではない

いろいろと誤解も多いのだが、いわゆるオタ文化というのは元来「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」の文化である。その点においてジェンダー規範からの逸脱が気持ち悪がられ、長らく迫害対象となってきた。いまも特に女性オタクたちはその趣味を秘匿してる人たちが多い。

http://koshian.hateblo.jp/entry/2016/11/09/175602

 

なんだこれ雑だなあ。あるいは主従が逆転してる。

 

引用文における「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」ってのはセーラームーンを見るような少年と、キャプ翼とかスラダンとか幽白とか封神演義を見たり読んだりする少女のことを指してるんだろう。“長らく”とあるし、最近のみならずコミケ晴海でやってたような頃のことももちろん含んでるのだと思われる。確かにこういう連中はオタク扱いされた。

しかしながらそれがオタク文化イコールで結べるかというともちろん結べない。エヴァを好んで見てた連中は男だろうが女だろうが“教室”でモロにオタク扱いされたし、ときメモなんてもっとヤバかったし、シスプリなんて最悪だ。こういう連中がオタクラベリングされることから逃げるのは、90年代当時不可能だった。

 

また、「ジェンダー規範からの逸脱が気持ち悪がられ、長らく迫害対象となってきた」というのもかなり語弊があるというか端的に言って間違ってる。というのはオタク迫害されたのは社会的弱者社会一般から見て理解できない、迫害側が見たことのないアニメのような気持ち悪いものを愛好してるからだ。ドラゴンボールは許されるけど、エヴァは許されない。ジェンダー規範からの逸脱が許されないのではなく、所属するコミュニティ文化から逸脱すると攻撃されるのだ。そこに「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」というのは含み得るが、レイヤーは一段下がる。含み得るというだけにすぎない。

 

ところでいちばん鼻につくのは「いろいろと誤解も多いのだが」という表現。ここでいう「誤解」が何を指すのかわからないが、引用した「いわゆるオタ文化というのは~」以外のオタク文化に関する言説と理解しうるのが普通の読みだろう。しかし「ジェンダー規範からの逸脱」うんぬんはすでに述べたように低レイヤー事象拡大解釈して一般化するという誤ったものであるし、誤ったものを真のオタク文化みたいな言い方をしてしまう言説は非常に劣悪だと思う。

 

記事劇場アニメ聲の形』評であって、オタクうんぬんはその前口上にすぎないようだが、しかし『聲の形』を評するために現実を歪めて解釈することは、むしろそれがいちばん罪深いことだ。

2016-11-05

anond:20161104152326

まず人間の味覚は均一にできてないという事実がある。

たとえばブロッコリーに苦味を感じる遺伝子を持つ人間とそうでない人間がいる。

わかりやすソースはこの辺 http://blog.goo.ne.jp/itokin_of_joy_toy/e/17fb9c0d20c7593f82e7960a27416f17

で、米もはっきり品種や処理がわかる舌とそうでない舌が存在し得る。

けれどこの記事は「同じ○○という品種単一米で、無洗米普通の米とで味を比べました。自分は違いを感じなかった」とまで正確に検証したことを書いていない。

お金にこだわると無洗米だけ複数混合米にして比べてしまうこともある。

(そりゃだれが比べたって味が変わるだろうという条件の一例です。)

 

まり記事の書き方に最低でも情報後出しという手落ちがある。

この先どういう話にもっていくつもりかわからないが、

・わざと書き落として後出しして男女の対立を煽るタイプ煽り記事メーカー

・わざとあとでなかなおりしましたとのろける

などの劇場愚痴記事メーカーさんである疑いが高い。

 

これらの情報を踏まえてなお言えることがあるとすれば、

婚姻年齢に達した男女が同意の上」結婚したんだから

食卓の好みにせよ、家事分担にせよ、十分協議しろ一方的ネット愚痴を持ち込むな、承認に飢えすぎ。

というごく当たり前の結論です。

そこらのおばちゃん同士の井戸端会議でも大体おんなじことを(言葉は少しやんわりとですが)言われるだろうとおもいますよ。

 

味と体調については、保温できる炊飯器を二台買って夫婦がそれぞれ自分のを使うことにしてるお宅も知っています

体調上、片方が全玄米、片方が白米しか食べられないという理由を聞けば合理的対処だとおもいます

 

また、家事負担については、ちょっとソースが見当たらないのですが、

自炊するようになって母に冷たい水で米研いでくれてありがとうといったら、

泡立て器で研いでたから全く寒くなかったと返答がきて、

自分もそういう大人になりたいとおもいました」というツイッターもありました。

炊飯器の内釜で米を研いだり泡立器を使うと早く傷むのでやってはいけません)

 

愛情とは、不必要な苦労を背負って相手に恩を売ることではありません。

サトウのごはんでいいならそれでもいい、質を落とさずに楽に家事をできる道は必ずあるということ。

工夫してだれも苦労しない生活をすることのほうが愛情いっぱいな家庭です。

(その中では無洗米を買ってみること自体はいトライだったといえるでしょう)

60、80歳になればたいていのご夫婦はそれぞれ違う病気を患います

これから先もどんどん違う価値観、違う体質、違う感覚が露わになるばかりで、同一人物になりきることはできません。

最後まで添い遂げられる結婚には協議が不可欠です。

=====

そのあと「それだめ大百科」とやらのテレビで、「ドライ研ぎ」と「水多め」とかテクニックやってた

まさかこの元益田テレビネタ釣りだったんですかね。

2016-11-02

土壌汚染関係仕事過去していた立場からみる豊洲問題

僕は過去土壌汚染関係仕事を数年していた事がある。今は別業界にいる。

今の、豊洲問題が余りにも小池劇場過ぎて、本質からまりにも離れた議論ばかりが出ていて耐えきれない。

おまけに、盛り土責任者処分かいう血迷った事になってきた。

小池さん、皆さん、冷静になってほしい。

彼らは法律違反など何もしていない。

汚染対策にしてもそうだ。今していることで法律は完全に満たしているし、リスクはほぼ0だ。

そこまで言うなら、お前豊洲に暮せるか?という問いにも「余裕で暮せます」と答えられる。(勤務地とかの問題はさておき)

専門家学者先生達も、問題ないと認識しているし

僕も(元現場レベル人間としての解釈だが)今回行われている対策は、まったく問題ないと思っている。

報道が余りにも化学知識不足法律解釈無理解から問題の指摘がずれているのも問題だし

意図的比較対象から築地の現状を外しているのも理解不能だ。これじゃあ反対のための報道じゃないか

盛り土対策は、過剰対策をせざるをえない土壌汚染対策費用を、少しでも法律的問題ない範囲で工期も費用圧縮させようとした

現場判断だ。どう考えても悪気はない。

しろ、それによって少しでもかかる費用税金)を軽くしようとしている手段だ、褒められていい位だ。

からなかった費用は着服とかい意見がある。

それは施工業者側の話で、都の人間には関係のない話だ。

本件で唯一問題があるとすれば、「本件の承認をどこまで取ればよかったか」この点だけだ。

今回の件で最終的に変わった事、市場移転延期による補償金の問題が増えただけなのだ

まったく法律的問題ない対策を騒ぎ、移転事業を混乱させ、少しでも費用のかからない安全方法をとろうとした無実の職員が晒され

膨大な移転延期による補償金が発生しただけだ。

ちなみに、僕は普段公務員が大嫌いだが、本件に関しては心から同情する。

どうか、冷静になって報道を見てほしい。今 この報道で最終的に損得を得たのは誰なのかを。

2016-11-01

映画館ハック(ぼっち映画を観に行くときに参考にして下さい)

ぼっち映画でも観に行こうかって時は、どう選んでいいか悩むと思います

アニメみたいに1話みて切るってわけにも行かないし、何観たらエエんや、みたいな。

そういう時は、シネコンスケジュールを観てください。

実際に行かない映画館スケジュールを観る

劇場サイズを大小そろえてて、映画の本数が多い場所

さらに、自分雰囲気にあった街ならなお良いです。

例えば、名古屋はわりとアニメ好意的川崎映画ファン向け。

思い入れがないなら、Googleマップで近所にイオンがある映画館なら無難

この映画館に実際に行く必要は無いです。

映画館ビジネスオススメを知るためです。

映画館でのオススメの探し方

まず、シネコンスケジュールなら「新作」マークが必ずついてます

観る映画に悩んでるなら(難しいところですが)新作は避けましょう。

「新作」マーク付き

上映回数の多いもの

ビジネスライクに当たる」と思ってるモノです。

映画面白さとは無関係に、PRバンバンされてる、前評判が良いナドナド。

(当たることにされてる映画、というのもあります)

上映回数の少ないもの

これは客層が限定されるものです。

最初から儲かるとは思っていない。でもお客さんがいるもの

もし新作で観るとするならこっちかな?

マーク無し(上映開始から時間がたった)

上映回数の多いもの

ビジネスライクに当たった」モノです。

映画館って、たぶん想像以上にかけ替えが多いです。

これは映画製作本数が多く、作品が沢山あるから

なので、ハズレはすぐに入れ替えられます

マークが無いのに上映回数が多くて、どの時間帯でも観られるのは、当たってる映画です。

自分にあうかどうかは別として、わりと万人向けの「最近映画」ってことが多いです。

上映回数の少ないもの

映画名でググって、いつ公開か調べると2種類あるのが判ります

  • 1ヶ月以内に公開の映画
  • 1ヶ月より前に公開された映画

「1ヶ月以内の映画」なら、単にコケ可能性が高いです。

「1ヶ月より前の映画」なら、オススメかもしれません。

(時期によりますが、コケ可能性が消えるのがだいたい1ヶ月です)

上映回数は少なくて、2回とか1回だけだけど、まだやってる。

「あるジャンルでヒット」した「お客さんが居る」映画です。

この中から自分の気になる映画を選べば損したと感じることは少ないでしょう。

映画館で観よう(まとめにかえて)

1ヶ月以上やってる映画で、上映回数の少ないものを、なんとかやりくりして観る。

これが自分の知らないジャンルで「良い映画」に出会方法の一つだと思います

(誰かには広報されてるけど、自分に届いていない作品出会方法として)

公開日が1ヶ月以上前なのに5回以上(シアター1日専有状態)やってるのは、大ヒットです。

映画館はどこもヒーヒー言いながらなんとか維持してる状態なので、儲からないことはしません。

君の名は。」は、公開が2016年8月26日と2ヶ月以上前で、まだ多くのシネコンで5回以上やってる。

それは、ビジネスライクに当たった映画で、普段映画を見ない客層にも届いた映画だと言えると思います

(日本人映画を観に行ける客層が幅広いので、どこかに届けば大ヒットしまhttp://anond.hatelabo.jp/20161030202934 )

例えば「レッドタートル ある島の物語」なんかは、上映回数は少ないが上映期間は長かった。

映画館で「閉じ込められて」「真っ暗にされて」「外部の音が聞こえない」状態で観るには最高の映画でした。

家で気軽に映画が楽しめる今だからこそ、劇場映画を観よう。ボップコーンを片手に。

6年間待ち続けたアニメブルーレイの予約をキャンセルした。

2008年、僕はその世界に恋をした。

そう、あれは今から8年も前のことで、僕はまだ大学生だった。軽い気持ちで入ったオタサーに所属しており、新作アニメで目についたものを、取り敢えず視聴するのを習慣にしていた。それらの内容について、サークルメンバーとうだうだ語るのが日課だった。とはいえ、ぬるま湯めいたモラトリアム生活にそろそろだれ始めたまさにその時、破格のアニメ既存の枠組みをぶちこわすような、エポック世界観をもったアニメシリーズが放映され始めて、僕は瞬く間に虜になった。アニメ一期の遥か前からOVAや企画などの展開があって、物語の背後にとてつもない情報量を含んだ異世界が広がっているのを知って、沼にはまり込むようにその世界へ沈んでいった。DVDを買い、マンガを買い、小説を買い、ゲームを買い、記事の載っている雑誌を買い、ドラマCDを買い、同人誌を買い、SSを読み、ラジオを聞き、イベントに足を運んだ。絶叫上映会で吠えた。自分がこんなに深く、何かに夢中になれると初めて知った。

就職活動をして、社会人になり、いつの間にか新作アニメを追う習慣が失われていっても、そのアニメに対する想いは失われなかった。劇場版ライブイベントに、欠かさず足を運んだ。声優イベント歌手ライブアニメ会社イベントもだ。補給が何度か途切れそうになっても信じて待ち続けていた。だからイベントで、テレビアニメの第3期制作が発表された時には狂喜乱舞して、夜、サイゼで仲間と祝杯をあげた。

1期、2期、劇場版、OVAと違って、今回からは新キャラたちの物語になるのだけれど、大した問題ではなかった。もう一度あの世界がテレビで観れる、と考えるだけで多幸感に満たされた。 第3期の第1話はまず先行上映会で観た。少し引っ掛かる部分はあるにはあったけれど、その場の興奮や、長い時間を経てようやく新作を観れた感激が、不安を押し流した。先行上映会の帰りに、アニメショップで即座にBDを予約した。第1巻にはイベント参加チケット付属していて、早めに予約しないと参加券が無くなるという危惧もあった。 その後、第1話をとうとうTV画面で観ることになり、少し引っ掛かっていた、違和感めいたところが更に目立つようにはなっていたけれど、それでもまだ、この世界をもう一度TVで観れたという喜びが上回った。録画を何度も視聴し、次回を待つの幸福時間だった。

その1週間後、第2話が放映され、地獄に叩き落とされるまでは。

第2話の大半を占め、物語全体でも重要な転機となる戦闘シーンが、正視に耐えない代物だったのだ。いまや流行りのアニメを多少追うくらいの超ライトオタクに過ぎない自分が、耐えられないほどの惨状だった。1期、2期、劇場版、OVAと、8年続いてきた映像魔法が、一夜にして解けたようだった。海面は水色の板になり、艦船は書き割りになり、航空機は張り子になり、キャラクターは棒人形になった。画面を覆っていたのは、僕を釘付けにした踊るようなキャラの動きではなく、素人でも稚拙と分かるCG人形遊び、ハリボテの継ぎはぎだった。これがいわゆる「作画崩壊」ならまだ救いはあった。円盤での修正に望みを繋げばいいのだから。でも、そこには欠片の希望も残されていなかった。CGでボロを出さないようにするためだろう、一定距離を置き続けた、単調で臨場感皆無のカメラワーク物語世界観や戦いのリアリティを根こそぎ崩壊させるコンテがそこにあったからだ。万一円盤に修正が入ったとして、コンテから切り直されることはないだろう。

そこからの1週間は、うってかわって、処刑を待つような気分で過ごした。まともな第2話が放映される夢を2回見て、2回とも、目覚めた後、激しい悲しみに襲われた。そうして迎えた3話は、ストーリーに集中することさえできなかった。前話のことは何かの間違いだったのでは、と、祈るような気持ちで画面を見つめ、もう一度裏切られた。戦闘シーンに移るたび魂が削られ、どうかもう日常だけ映していてくれ、と思った瞬間に、突然、反射的にテレビを消した。そしてもう一度電源をつけることも、続きを見ることもできなかった。電源を落として真っ黒になったテレビ画面の前で、リモコンを握り締めたまましばらく金縛りにあったように動けなかった。激しい動揺が自分の中で荒れ狂っていた。

たかCGが壊滅していたくらいで、自分が、もうこの世界実在を信じていないのだ、と、気づいてしまって、もはや、続きを見ることはできなかった。

驚いたのは、自分の中にこんな逆鱗があったと気付いたことだ。自分のようなライトオタクとしては、キャラの絆や誇りさえ美しければ良いとまで思っていたし、このアニメについて他人に紹介するときも、世界設定や関係性の話ばかりしていて、戦闘シーンがカッコいいから観て、と言ったことはなかった。そんな自分不見識を心より恥じたい。あまりにも当然のように実現されていて意識にのぼっていなかったが、この世界や、キャラ喜怒哀楽といったものは、戦闘シーンを含む特殊な動きのリアリティによって説得力をもたされていたのだ。それに以前は、一般論として「作画に比べてCGダメ」と言われているのを見ても、老害迷信に過ぎないと考えていた。あの戦車アニメCGは凄いし、あの劇場アニメCGは格好いいじゃないか、などと思っていた。今なら分かる。CGは、舐めて使う連中、省エネを考えて安易に利用する者たちの手にかかれば、作品抹殺する、世界を絶命させる力さえあるのだ。

円盤キャンセルすると決めた理由は、最初は怒りだった。この世界をこんな風にした連中に、一文たりとも落としてやりたくない。あり得たはずの3期を奪った奴らに、免罪を与えてはならない、と。アニメが壊れていても、まだ小説マンガは次々出る予定がある、そう考えて、自分を慰めようとした。これまで集めた小説マンガを読んで、心を鎮めようとした。 しかし、駄目だった。かつて僕の心を満たした幸福も興奮も甦ることはなく、ページをめくるたびに、奪われたものの大きさが実感され、胸を絞られるような痛みが襲った。もうこの世界は壊れてしまったのだ。いま僕の本棚に収まっている無数の物語は、かつて確かに存在した、けれど既に潰えてしまった世界の残骸でしかなく、僕の心は、死者の生前の姿を眺めて安息を得られるような、鈍感な構造をしていなかった。やはり耐え切れなくなって本を閉じた時、怒りよりもずっと深い悲しみが僕を包んで、ああ、きっと僕はもう、この物語円盤どころか漫画小説も何もかも楽しむことはできないのだろうと悟った。

僕より度量の広いファンは、「この程度で円盤を買わないというのなら、お前はファン失格だ」と言うかも知れない。だが僕にとっては、円盤を買ってこの作品を認めてしまったら、その時こそ僕は、ファンとして死ぬのだ。

シリーズも、爆発的にではないだろうが、そこそこ売れるはずだ。昔から視聴者でも僕より大らかな人間は、作品に満足し、あるいは満足しなくてもお布施として、ソフトを買うだろう。当初目標とされた売上からは大きく落ちつつも、まだ戦える、と、制作側は思い込む。既に戦争は最悪の形で終わってしまったことにも気づかずに。 そして4期なのか劇場版なのかOVAなのかが既定路線的に作られ、しかし売り上げはジリ貧となり、遠から作品を閉じることになるだろう。そうなったら、なぜコンテンツが死んだのか犯人探しが始まり、新しいキャラや新声優シナリオ濡れ衣を着せられ、いわれなき誹謗中傷を受けるかもしれない。その時のために、だから、僕は、宣言しておく。

CGだ。あのCGを作った連中が、翼を折り、魔法を潰し、少女たちと世界の息の根を止めた下手人なのだ

今考えれば、電話などで済ませられたのかも知れないが、円盤キャンセルなどしたことのない僕は、予約したアニメショップまでもう一度赴いた。ここまで辿り着いたのに踏ん切りがつかず、広くて階層もあるアニメショップをうろついて、このシリーズ小説新刊が目立つように並べられているのが目に入ってしまって、出し抜けに嘔吐しそうになった。声優結婚が発覚して吐いた、みたいな、よくある都市伝説が、自分の身に起きかけると思わなかった。すっぱいものが、何の前触れもなしに体の奥、心臓のあたりから、とがった感じでせりあがってくるのだ。それを無理やり押しとどめなくてはいけなかった。ほとんど破れかぶれでレジに向かった。キャンセルをしたいという僕の説明が下手で、BD予約に来たと勘違いしたらしい店員が、一旦は、新たな予約申し込み書とイベント参加券を渡そうとしてくれた。ああ、急いで予約したのに、まだ余っているんだな、とぼんやり思った。あまりにも、精神の均衡が狂っていた僕の説明が要領を得ず、店員さんにキャンセルの旨を伝え、イベント参加券を返却して、前金を返してもらうだけの行為に、20分もかかってしまった。

すべてが終わって、地下鉄に揺られている間、これまでの8年間で堪えていたたくさんの悲しみが、走馬灯のように蘇って、一挙に僕に襲い掛かってきた。イベントアニメの発表がされなかったときトラブルコミカライズの終了が決まったとき小説を書いてくれた作家が亡くなったとき世界が壊され、死んでいくのを看取ったとき。週末の夕刻、都営新宿線座席で、ぶざまに泣きじゃくっていた三十歳近いキモいオタクを目撃した人がいれば、それは僕である

さようなら、僕の愛した世界。8年間、たくさんの楽しい時間をくれて本当にありがとう。そして、あなたが死んでいったときに、何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい。

2016-10-27

この世界の片隅にって予告から面白くなさそう

テンション上がっちゃった人達が発生してたので、わざわざ予告見に行っちゃった。

ぶっちゃけ時間無駄だったとしか思えない。

映画この世界の片隅に予告編

https://www.youtube.com/watch?v=kczb7IJJg0g

パッと見た瞬間から臭ってくる説教臭さ。

三丁目の夕日にも似た昭和の人マンセー

こんな見栄えがしない映画君の名は。と同列に宣伝出来る訳ないだろw


テンション上がっちゃった人達はこちら

偏向報道】高評価アニメ映画この世界の片隅に』がマスコミから圧力工作で潰される

http://togetter.com/li/1041183


この映画な、予告編だけで見る気が失せるんだわ。こんな暗い映画見たくない。

昭和戦争悲惨でした、昭和の人は人情深くて偉かったです、昔を思い出してまっとうに生きましょうってか?

説教臭すぎてヘドが出る。ジジババの自己正当化は聞き飽きたんだよ。

そんで、70年以上前戦争の話も、大概にしろやと思う。

戦争の話が聞きたければ中東アフリカの人呼んで、現代リアルな話聞けばいいだろ。

もう二度と再現されない、過去総力戦を振り返って、一般人にどんな良い事が有るんだ?

くっさい自己満足とジジババに媚びて金もらう能無しが作った映画なんて見たくない。

加齢臭漂う映画なんて、もう見たくないんだよ。

ジジババが昔を懐かしんで見るのを止めはしないが、宣伝する価値が無いと感じたか宣伝されないんだよ。

面白く無さそうだから無視されるんだよ。

そのくらいわかれよ。

君の名は。の予告PVも貼っとくから、ちっとは見比べてから言えや。

https://www.youtube.com/watch?v=k4xGqY5IDBE


追記

何かブコメ原作ファンと思われる人たちがテンション上がっちゃってるけど。

まずさ、予告編だけで判断するな本編見てから言えって人、本当のバカなの?

ナメクジ並の脳みそなのはお前だよ?予告編って何の為に有るのか考えろよ。

本編を見たくなるように作るのが予告編なの。その程度もわからないって頭沸いてるの?

そしてあの予告編三丁目の夕日アリアリだろ。「そういう層」を取り込もうとしているスケベ心すら感じられるわ。

特定の層にウケるかもしれない事は否定しないが、興行成績では君の名は。は当然の事、聲の形すら抜けないよ。

映画館であの予告流れるの見て、誰が見に行きたいと思うよ?少なくとも僕は説教臭いから見る気ゼロになるわ。

ちなみにこうの史代夕凪の街を途中まで読んで投げた。劣化サザエさんみたいな作風が合わない。


少なくとも、この作品一般ウケしない事はメディアの人には明らかで、だからこそ宣伝されないのだろうと腑に落ちる予告編だったよ。

特定の限られたサークル内で楽しむのは勝手だけど、陰謀論とかやめてくれませんかね。


原作ファンエンターテイメント性の低さは自覚している様子で何よりです。

この映画宣伝されない理由は、予告編のつまらなさと、内容の古臭さや説教臭さ、そして一般ウケ皆無な内容によるものです。

興行収入的には失敗に終わるでしょうからマスコミの皆さんは無視した訳ですよ。


追記の追記

先にも書いていますが、ファン個人的に楽しむのは勝手です。

そもそもこのエントリーも、僕の個人的意見ですから、僕の勝手であるのと同じようにね。

陰謀論を述べる人達が居て、そこまでのものなのか?と疑問に思ったのがはじまり

その後予告編を見て、昭和テーマにした古臭い映画だと感じた事をそのまま書きました。

「この作品面白い批判する者はクソ雑魚ナメクジだ、マスコミ宣伝するべきだ」というようなファンがついている作品だとわかって有用でした。

メジャー作品ならともかく、ドマイナー作品でこの調子では、内容も推して知るべしでしょう。

個人的に楽しむのは勝手だし、クラウドファンディングお金集めて作るのも勝手だし、僕のエントリー文句言うのも勝手ですけど

マスコミ宣伝するべきまで言っちゃうのはイッちゃってる感アリアリですよ。

熱心なファンの方々は、ブコメでも少しいらっしゃる大人対応を学んだ方が良いんじゃないですかね?

原作好きだし、作者のファンだし、この映画応援してるけど、エンターテイメント性が『君の名は。』と比べて低いことは認める。ただ説教臭さはないし、昭和賛美でもないし、トラウマ系でもないので安心してほしい。


もしもこのブコメみたいな意見が大半なら、僕は見に行ったと思うんですよね。

人ってそういうものでしょ。

11/15追記

何か別の増田ブコメ言及されてたけど、あれは僕じゃないです。

マーケティング予算が尽きて、匿名釣り記事に頼るようになっちゃったのでしょうか?

予想通り初登場低位置スタートでこのまま消えていきそうですね。

iTunes配信も2500円とかアホな価格つけてるの、本当にマーケティング担当が居ないのだなと思います

まりに初動が悪いので、回収を焦った誰かが居るのでしょうね。

上映中に配信するくらいなら、ガンダムUC方式劇場でもDVDBlu-ray売ればいいのですよ。まぁそんな予算無いでしょうけど。

極狭いマニアの間で、せいぜい盛り上がって下さい。

年明けには誰も話題にすらしなくなっている事でしょう。

映画本編がアマゾンプライム特典にでも上がったら、触りだけ見てあげますよ。

2016-10-25

コンテンツ消費のために他人に気をつかってなんかいられるか。

俺は絶対映画館にも劇場にもいかんぞ。

2016-10-24

しろ下手にヒットしてIQの低い感想シンゴジラ並みに出てきたら精神汚染されるからこの程度でいい

商業的には劇場数のスケールに反して成功してるし

2016-10-22

シンデレラガールズ未来

筆者の担当アイドルは、総選挙圏内に入ったこともないし、ガチャ目玉にも上位報酬にもなったことがなく、

運営からしてみたら、金にならないと思われている方だと思う。

ずっと見捨てられないか怖かった。普通であれば、収益が出ない部分から切り捨てていくのは当然だから

シンデレラガールズで新しい展開がある度に、喜ぶのと同時に、担当の姿が見えなくなったらそこが潮時だと常に思っていた。

アニメは、単純にアニメとしては楽しかったが、誰もがシンデレラではなかった。

最終回を見た後、シナリオ以外の部分で、ここで終わってしまうのかと正直残念だった。

新しくボイスがついた子には純粋に心からおめでとうと言っていたし、とても良かったと感じる部分もあった。

でも、全てを受け入れるにはあまりにも偏りがあった。

アニメ化が発表されてからずっと期待して待っていた。なのに、アニメを全部見ても、担当は影も形もなかった。

ひたすらに登場人物を増やしても、話が面白くなくなる可能性や、新規がついてこない危険性もわかっている。

でも、どんなやり方でも、もっとアイドルを出すことはできたと思った。

あの世界に存在していることくらい確認させてほしかったと、恨み節を言ってしまうことくらい許してほしい。

アニメが終わって、スターライトステージ製作が発表されたときは正直血の気が引いた。

あのアニメの直後で、しかもボイスが重要になる音楽ゲームだ。完全にモバマスを捨てて、アイドルの取捨選択が始まると思った。

シンデレラガールズの人数は膨らみ続けて200人弱。もう運営は誰が稼ぎ頭で、誰がそうじゃないのか知っている。

ここで終わりかな、とくらくらした。

続報映像で、区別なくずらーっとならんだアイドルたちと続々登場のテロップで少しだけ安堵はしていたが、

アニメでの記憶根底にあったから、全力で期待することはできなかった。

実際に配信されてみて、全員お馴染みのメンバーだけで始まるのかと思っていたら、

ボイスがない子も何人か登場していた。驚いた。ボイス付きで人気がある子も全員揃っていなかったのに。

カードと全く同じ顔で、完璧3Dモデルで踊ってる。一人一人出会いコミュも作ってくれている。

稼働当初から担当はいなかったけれど、ここでもまた出会えるかもしれないと思えた。

次々と追加でアイドル実装されていって、追加された子を紹介するツイートを毎回公式が流してくれている。

ちゃんと遅れた分だけ注目してもらえるように工夫していたし、遅れただけの理由があると確信できる渾身の出来であるのが一目でわかる。

やっと、モヤモヤを感じることも少なくなった。

先日の新宿ジャック広告では、残念ながら実装が間に合わなかった子は出ることができなかったが、

流れてくるぷちデレラの並びには感動した。

ランダムに配置してただ流すことだってできたのに、隣合ってるアイドル同士が

必ずなにかしら共通点のある組み合わせになるようになっていた。

あれだけの数を、1人たりとも仲間外れを出さずに組み合わせを作ろうとしたら膨大な時間資料必要だ。

たくさんのキャラクターを生み出して、育ててきた運営いかアイドルを愛しているのか思い知らされた。

この思いがさらに強くなったのは先日の4thライブだ。

ライブは、演者アイドル表現者となって、舞台に立ってパフォーマンスするものだ。

その特性上声がないアイドルは出れないのが当然のものから

そこへ不満を抱くことすらなかったが、多少の蚊帳の外感はずっと感じていた。

ところが4thライブ神戸公演1日目、安部菜々楽曲メルヘンデビュー!で、持田亜里沙矢口美羽が後ろで踊っていた。

安部菜々はウサミン星人。持田亜里沙パペット名前はウサコ。矢口美羽のあだ名はみうさぎだ。

声の有無は関係なく、キャラクター特性を考えて、そこに連れてきてくれたのだ。

その後も、2日目も何度か現状ボイスがない、ステージに立つはずがなかったアイドルがたくさん出てきた。

単なる演出といえばそれまでだが、3rdまでではボイスのないアイドル

ステージに立つなんて予想もできなかった。大変なことだ。

200人弱いるアイドルひとりずつと改めて向き合ってくれてできたことだ。

スターライトステージで一人一人に固有のモデルを与えなければ絶対にできなかった。

深く感謝するとともに、新しい段階へ進んだのだと確信した。

4thライブSSA公演も両日ともにとても心が揺さぶられた。

1日目はメンバーだ。総選挙の結果ありきでボイスが付いていた時代には

そこに立っていることすら想像していなかった子がたくさんいた。

衣装も、初期衣装、印象強いRやSRきらびやかSSRまで様々なものモチーフにした衣装がたくさん。

どういう基準で選んだのかはわからなかったが、たくさんの思いが乗っていたことは伝わった。

1stからステージに立っているメンバーがほぼいないにも関わらず、

しっかりとシンデレラガールズをやりきってくれた。誰かがいなくても、ちゃんと成立することを証明してくれた。

翌日のSSA2日目をもって、アニメエンディングを迎えたと思った。

アニメで、一気に知名度も上がり、新規層も増えた反面、アニメ内設定に縛られるようになってしまった。

シンデレラガールズの良さは多様性でもあり、いろんな組み合わせを楽しめるところも魅力なのだから

いつまでもCPだけにこだわっているわけにもいかないだろうとは常々思っていた。

演者をそろえ、オリジナルメンバーできっちりと楽曲披露してけじめをつけて、

アニメとその先の未来の2部構成にすることで、はっきりとアニメ栄光から一歩進んだことを見せてくれたのは見事だ。

"Future castle"の名の通り、未来へ続くステージだった。

今回の4thを経て、初めてステージに立つ担当の姿を思い描くことができた。

今まで自分力不足と向き合うこと、何ありえないこと言ってるんだと言われるのが怖くて、

本当は声が聞きたいと思っていても、とても自分では言えなかった。

でも、今なら少しくらい夢を見てもバチは当たらないんじゃないかという気分だ。

そのくらい今まで以上に未来を感じるライブだった。

デレステ実装アイドルはあと19人。

おそらくこのペースで追加されていけば、年明けには全員が実装されるしれない。

全員実装が叶ったら、声ありなしで出ているコミュへの参加率も、改善されていくかもしれない。

2017年から劇場アニメも始まる。そこで、アニメときのように新しく声がつく子もいるかもしれない。

担当の昇格を見ることもなく、諦めて離れてしまうかもしれない自分が怖かった。

いつかくるかもしれないモバマス終了およびコンテンツの終了が怖かった。

媒体に移行して、必要だと判断された子以外を見捨てていく不安はいつまでもあった。

これから先、可能性が広がっていくことを何の気兼ねもなく期待ができる日が来るとは思わなかった。

シンデレラガールズ未来は明るい。

2016-10-21

生花と造花

本日記は、新海誠監督による劇場アニメーション映画君の名は。』および『秒速5センチメートル』の結末に関する内容を含みます












今日新海誠監督作品君の名は。』を観て、私はふたつのことを思った。

ひとつは、新海氏の監督作品でまだ観ていない、『星を追う子ども』と『言の葉の庭』を観てみたい、ということ。

もうひとつは、「新海監督って、一貫してるなァ」ということだった。「観てない作品があるのに、一貫してるかどうかなんてわからないだろ」

とは自分でも思うのだが、「一貫してるなァ」と思ってしまったのだからしかたがない。

秒速5センチメートル』の二人は、なぜ最後に、本作のような形で、出会えなかったのかなァ、ということを考えた。

あの二人を、本作のような形で、出会わせなかったものはなんだったのだろう、『秒速5センチメートル』にあって、

本作になかったものなんだったかな、と考えて、それは、罪悪感とか後ろめたさのようなものではなかったか、と私は思った。

なぜ罪悪感なんかを抱くかといえば、「大切な存在を小さくしたのは、時の流れるままにした、他ならぬ自分だ」と思うからで、

一方の本作で罪悪感なんかを抱かないのは、「大切な存在を小さくするのは時間のせいでも自分のせいでもなく、

人智を超えた力によってそれをスパッと忘れさせられてしまうからである

喪失感はあるが、「喪失させたのは他ならぬ自分だ」という後ろめたさはない。

一緒に観に行った友人が、『秒速5センチメートル』で劇中の時間を多く割かれた恋愛ディテールが本作ではほぼ描かれないことを、

「欲をいえばもっと胸キュンたかった」とか言って少し不満がっていたのだが、私はなんとなく、それはこんな理由じゃないかと思っている。

私の憶測に過ぎないが、『秒速5センチメートル』では、長い「時間」を見せることで、大人になった主人公が罪悪感というか、

後ろめたさというか、申し訳なさというか、そんな感情を抱いているのだと、観客に理解して欲しかったのだろう。

第2部以降、主人公が送る日々を見る観客は、「彼の心の中では彼女との思い出の領域はもう増えないのに、

その他の領域は大きくなるばかりだ」ということがわかる。

彼女存在相対的大きさの縮小に慣れようとする彼が、その「慣れようとした」という自覚によって、

思い出や、かつて抱いた強い想いを粗末にしているような疑念や後悔を感じ始めることも。

恋愛ディテールが長く描かれたのは、そんな第2部以降の時間とのバランスをとったからだろう。

一方、本作では、「何か大事なことが色々あったはずなんだけど、思い出せない」という、喪失感だけを観客に共有して欲しかったのだろう。

そのために、観客を「二人に恋をさせたものが色々あったのだろうけど、断片しかからない」という状態に置くことを選んだのだろう、と私は思う。

本作で、再会を果たす直前の主人公は『秒速5センチメートル』のモードに入りかけている。

それは時間が経つにつれて、「思い出せないままにしている」自分を責める気持ちが徐々に強まるからだろう。

きっと、時間とともに何事かを忘却したり喪失したりすることに対して、罪悪感のようなものを感じてしまう、というのは、

新海氏のひとつ人間観(あるいは男性観)なのだろう。

しかし、本作の二人は再会できる。それはおそらく、本作の世界観では「忘れる」だけでなく「思い出せない」もまた、

時間のせいでも自分のせいでもないからだろう。「時間という要素によって、出会えなかった」物語を描いた人が、

時間という要素がないのなら、出会える」という物語を描いたのだ、と私は思った。

海監督の2作品、『秒速5センチメートル』と『君の名は。』の対比は、生花と造花を思わせる。

タオマークの陰と陽のようでもある。

当然だが、だから良いとかだから悪いとかいう話ではない。

表現されたものは違うが、新海氏はきっと、ずっと同じことを考え続けているのだな、と思うのである

2016-10-20

シン・ゴジラ日本北米の盛り上がりのギャップについて

やったぜ! シン・ゴジラ 北米好調

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161020/1476918294

NYに住んでる者だが、日本話題だったので先週末日曜日タイムズスクエアAMCで観てきた。

別に会場は終始いたってずっと静かだった。ゴジラが下に火を吐いたシーンは迫力があったが、それ以外はだれも興奮していなかった。アメリカ人普通ちょっとでもアガるシーンがあればオーディエンスがすぐに反応する。手を叩いたり、大笑いしたり、Hooo!と叫んだり。特に公開初週の週末ではなおさらだ。それがほとんどなかった。最後申し訳程度に拍手がパチパチあったくらいだ。

後ろに座っていたアメリカ人二人組は明らかに終始失笑していたし、トイレに立った際に出会ったアメリカ人は「ゴジラ第一形態)がなんだかweirdだね」くらいの感想だった。子供は「ママゴジラ全然出てこなかったね」と言っていた。

個人的感想としては「よくこんな3流の映画日本全体盛り上がれるな」ということだった。まあ日本にしてはマシな作品を作ったということなんだろうが、それでもあの盛り上がり、持ち上げは異常だ。

まず演技が下手すぎる。最初のだらだら続いた閣僚内の会議のシーンは学芸会かと思った。あの防衛大臣みたいな女性間抜けなしゃべり方や、菅直人チックな首相役のおっさんの過剰な決断力のなさの演出、こういうキャラがいた方が面白いんだろと言わんばかりの半沢直樹に出てたへこへこするおじさんのキャラ作り。ギャグ映画としてみていいのかシリアスな展開を表現したいのかさっぱりわからなかった。アニメキャラにしゃべらせらば違和感はないのだろうが、「そんなこと普通言わねーだろ」というセリフと大げさな演技オンパレードで、小難しい単語連呼すれば緊迫感がでると思っている演出と相まって、チープさがすごかった。なんか映画観た後で批評を調べたらあのあたりの前半の会議のシーンを「リアリティのあるポリティカルサスペンス」などと形容しているようだが、失笑ものだ。。24House of Cards政府内のやりとりなどと比べて欲しい。

そもそも、「国にとって重大事が起きた時の政治決定力のなさ」を描きたいのかもしれないが、そんなの東日本大震災の時に見たばかりなのでなんの新しいメッセージもないし、見ていてちっとも面白くない。あれだけ前半時間を使って視聴者ストレスをためさせたくせに、全然それを映画後半のシナリオ解決させていない。閣僚たちが死ぬシーンももっとちゃんと描くべきだし、いっそ国会を木っ端微塵にすべきだった。主人公矢口立ち位置中途半端で、これまでの決断力のない日本の政治システムを変えていく毅然とした態度があったかというとそうでもない。むしろ矢口チームがギリギリまで粘ったが結局国連核爆弾を落とされてしまった、東京は再び焼け野原になった、これを機に本当に日本は変わらなければいけない、という展開の方が、中途半端ゴジラを停止させてしまうよりメッセージ性が際立って良かっただろう。

あとCGがひどかった。第一形態ゴジラは敵の雑魚キャラかと思ったし、笑えた。街が壊されていくシーンのCGも、ボートとかCG感丸出しでチープさがすごかった。予算がないのだろうが、それならもっと夜のシーンを増やすとか、工夫できる余地があったはずだ。最終形態になって夜に大暴れするシーンは格好良かったから、もっとあいうシーンを増やすべきだった。血液凝固剤を使ってゴジラを止めるシーンでは、絶対ゴジラがまた振り切って動き出すと思ったが、なぜか米軍ミサイルなんかよりよっぽど威力のないであろう電車爆弾で都合よく倒れ、倒れたところに都合よく潰されず待ち構えていたポンプ車で放水開始し、それを都合よく口を開けたゴジラが都合よくチューチュー吸い続けて、結果止まってしまった。劇場全体が「えっ止まっちゃったよ」感でいっぱいだった。

あとなにより全体的なプロット未完成感がすごかった。例えば今年DisneyのZootopiaを見たが、最初から最後までの1シーンも無駄がない。最初に出てきたなんでもないシーンも、実は伏線で、映画最後の方にきちんと回収され、いささか伝統工芸品かのような緻密な構成美を感じさせてくれる。対してシン・ゴジラは、「今のやり取り必要あった?」と思う部分だらけだ。教授調査記者みたいな人に依頼するシーンとか、必要か?そもそも教授動機や背景など最後までよくわからずじまいだし、石原さとみ役の人物の背景の説明が弱いか感情移入できず、最初から最後まで終始全ての言動が突飛で違和感しかなかった。

以上、まとまりがないが、とにかく日本シンゴジラマンセー一色の雰囲気一言物申したかっただけです。終わり。

2016-10-18

今の淫夢は変わってしまったという話

例のアレ界隈は個人的には年2013年あたりが一番居心地が良かった。

というのも、なんか最近youtuberとか精神疾患者とかを直接的に玩具にして遊ぶという過激な方向が主流になってるのでそこまでされると引いてしまう。

それを言ったら淫夢だって同じような事やってたと言われればそこまでだけど、直接住所特定だとか法に触れるような事を動画にされても

面白い以前に正気を疑ってしまう。

自分としては一昔前の2chでよくあったようなネットスラングの共有(vipとかネ実とか)に近い物を求めていた節があり、

ホモ男優個人情報にはさほど興味を抱いていなかった。

ある意味ホモビに出ている人物での二次創作(BB先輩劇場とか)のようなキャラクター的な楽しみが良かったのであって、

スキャンダルだとかそういった類のものまで行くと他所でやってくれと思ってしまう。

という訳でnico nico ranking ng最近の荒れネタ関連は非表示に突っ込んでいったら3~4割の動画ランキングに表示されなくなった。

一部淫夢動画投稿者が昔に戻して的な事言ったりしているのも見られるし、世代だとかコンテンツに求めているものの違いによる

食い違いって普遍的ものなんですかねぇ(小学生並みの日記)

2016-10-14

機動警察パトレイバー the Movieニコ生でやるよ

見どころは、90年代日本空気と、90年代から見た昭和です。多分。

おっと劇場公開は89年か……。

2016-10-13

暗い映画館すみっこで僕は咽び泣く

映画の楽しさを阻害するもの

それは映画自体うんこでなければ、

周囲の客の行動がストレスになっている事が多いのではないだろうか。

僕はそういうのがとても嫌なので、可能な限り最後列の一番端の席を選んでいる。

片隣と背後が壁で、人的ストレスが最小限で済むからだ。

ひとりで観る映画は良い。

ダイレクトにぶつかってくる映画という感動と自己との対話

素晴らしい映像音楽役者の熱演に大いに怖れ、驚き、笑い、涙する。

リング松嶋菜々子が貞子に腕を掴まれるシーン。

ロード・オブ・ザリング 二つの塔でのガンダルフ率いる援軍の逆落としのシーン。

エイリアンvsプレデタープレデタージャイアントスイングをかますシーン。

シン・ゴジラで放射熱線が東京を焼き尽くすシーン。

様々な名シーンを目の当たりにして、

僕は映画館すみっこでひとり涙する。

その感情の発露を

そのひととき

隣に座った馬鹿貴様らは阻害しているのだ。

上映中に馬鹿が僕の隣で行った所業を終生忘れない。

しゃべる。音を立てて食う。座席を蹴る。

携帯ディスプレイを点灯させる。乳繰り合う。

上映前にパンパカパンツ幼稚園児でもわかるよう、マナーを守ろうと言っているのに

貴様らは何故むざむざそれを犯すのか。

ただ静かに映画をみたいだけの僕は

貴様らが楽しむための犠牲となっている。

席を移動したくてもここは通路から最も遠く

また僕が移動することで馬鹿以外の観客に迷惑をかけてしまうのは嫌だった。

そうして心が凍るとき

かつて自分しかいない映画館イノセンスを観た思い出が蘇ってくる。

最高の映画体験だった。

映像音楽も、劇場という空間全てが僕のものだった。

僕はその記憶に縋って

僕だけの映画体験を求めて

暗い映画館すみっこで、クソのような馬鹿所業呪い

ひとりスクリーンの光に身を任せるのだ。

2016-10-09

地方住みのオタク

チケット代よりも遠征費のほうが馬鹿にならない。

劇場に来い来い来い来いいうばかりでなく、みなさまが地方にいらしてくださいと

たまに思うことあります

チケットのウン倍が交通費で飛びます

観劇時間より遠征時間のほうが断然長いです。

それでもいいと思って普段遠征してまで行って楽しんでますが、

たまにふと我に返って使ったお金の多さにちょっとびびります

そんなでもやめられないか依存症に近いんだろうなーなんて思いました。

2016-10-08

少女という映画を見て感じた話【ネタバレなし】

原作を読まずに観に行った。

私が勝手純粋狂気とか殺意とかに期待していたのでそういう意味では期待はずれだったけど、まあ普通に面白かった。なるほどねって感じ。

ほんとに言いたいのはこの映画で感じた話。

ゴムバイブも使ってるし、1分ぐらいずっと乳揺れ映像流してるし、途中から実はエロい映画なんじゃないかと思いながら見てた。

主人公の目もとてもよかった。別にMとかではないと思うんだけど、なんかすごくぞくぞくした。

一番よかったのは実質的に眼姦してるシーンかな。あそこは興奮する。

まあもう少し劇場が空いたらまた観に行こうと思う。人目が気になってしまった。

あと何て言うかもっと死の匂いがするような小説みたいなのを知らないので、いい感じに気持ちよくなれそうな小説とか漫画とか映画とかあったら教えてーーーーー

言の葉の庭自分語り

※ 一部新海監督作品のネタバレを含むので注意してほしい

  • 前 ---

君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている

様々な解釈念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。

新海監督の作品は「ほしのこえからの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである

50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。

ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。

どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。

君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、

最も正確に彼そのものを表しているように思う。

ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。

全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、

40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、

1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。

創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。

  • 序 ---

20年ほど前、自分は地方私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、

地方であること。理系であること。あまりハイブロウ属性でないことなから大きな刺激も無く、

かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、

どこにでもある普通日常だった。

卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、

(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。

ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。

師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。

「今度新しく入ったH先生だ。」

「どうも初めまして。Sといいます。」

学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。

彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら

「新任のHと、も、申します!よ…よろしくおねがいします!」

と、およそその完璧お辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。

新任教師ということだから、歳の頃は24、5だったと思う。

少しだけ長めのボブカット

新任らしいカチッとしたスーツタイトスカート

そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。

(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)

そう、思った。

「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」

これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。

  • 二 ---

その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。

実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の

とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。

見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。

明かりの落とされた職員室。

冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。

買ってくれた缶コーヒーの温もり。

年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、

壊れたFATテーブルエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。

見かけによらず、頑固でもあった。

突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。

H先生らしい、深いグリーンのK11マーチ

エアコンが効かず、少し蒸した車内。

シフトレバーにかける細く白い腕。

まるで童貞妄想のものだった。

一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき

「お前、あの人はお嬢なんだから丁重に扱えよ」

と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。

…その通りだと思った。

あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?

高校時代淡い好意を持っていたクラス女の子を忘れられなかったからだろうか?

卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?

今となっては思い出すことができない。

ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、

自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。

時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが

つの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。

勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、

また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、

しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。

  • 三 ---

それから季節が一巡…二巡くらいしたかもしれない。

大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う

年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。

そんなある日。

高校の「部室」へ顔を出した。

自分は高校時代ややヲタクサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメゲーム好きが集まるような

内輪志向趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場メンバーとつるんでいた。

先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。

部室にはYがいた。

Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリック性格ではあるものの、

当時の世相でそういったサークル志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、

その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、

ヲタサーの姫がベターワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、

方々穴兄弟にはなったものの、サークルクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。

Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、

唐突にYが話題を振った。

「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」

驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。

卒業後に赴任した教師話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。

「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」

事実を答えた。Yが続けた。

「H先生、辞めちゃったんですよ」

公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立主体の都会では事情が異なるかもしれないが、

地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)

滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。

Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。

「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」


「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」

  • 四 ---

それから数年の年月が過ぎた。

大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。

しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、

大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジション

新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。

それを期に、意を決して東京へ出た。

友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、

面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。

入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。

給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活エンジョイし始めることができた。

そんな矢先。

アキバメイド始めたんで、良かったら遊びに来てください』

Yからメールだった。

当時の秋葉原メイドカルチャー黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が

続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校卒業したYは東京大学へ進学したが、

生来の不安定性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。

生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。

メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。

自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の

戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。

  • 五 ---

「おかえりなさいませ、ご主人様~」

Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。

万世橋渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が

ボロボロになったような定型のコールで迎えられた。

やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、

常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする

Yに目配せだけをして、入り口に近いスツールに腰をかけた。

隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。

「君、初めて?」

声をかけられた。

「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」

「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」

女性(T)は銀座ホステスをしていた。非番今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、

と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、

後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。

2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。

「ねぇ、SはYの先輩なんだから、N高校なんだよね?」

「そうですよ。Yは3つ以上下から、直接一緒になったことはないですけどね」

「そっか。そしたら君…」


「H先生って…、知ってる?」

  • 六 ---

ドキリとした。

自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。

しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末メイドバーだ。

これが地元のバーでの出来事であったとしたら不思議ではない。

100歩を譲って、自分達の高校埼玉神奈川にあったとすれば分からなくもない。

だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ

心臓が早鐘を打つのを感じた。自分はTに話をした。

卒業生ではあるものの、偶然新任教師として紹介されたこと

ボブのかわいい初々しい先生だったこと

人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと

たった徒歩10分の道程緑色マーチで送ってくれたこと

大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常出来事だろう。

Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。

彼女とは夜の世界で知り合ったこと

髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと

プレリュードに乗っていたということ

…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ

少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。

日付なんて全く覚えていない。

でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である

  • 結 ---

言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを

きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策

(そしてそれは成功する)した女生徒主人公が抗議をするシーンがある。

客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、

このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。

勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、

孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。

では彼女は、H先生はどうだ?

H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である

実業科教師の「お嬢だから」は冗談ではなく、本当だったのだ。

名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。

時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルート彼女の想定の範囲だった可能性は高い。

もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。

これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。

それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、

想定されたルート幸せだったなど、他人人生価値判断想像でするべきではない。

ただ、人生ターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、

現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、

そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、

いつも必要以上の涙が溢れてしまうのだ。

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自分語りはこれで終了だ。

最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。

あくま想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?

恋愛という通常とは比較にならないエネルギー必要とする行為において

その力を一方的放出還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。

ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。

またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。

監督はどうだ?

監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠作品性の源流であり、

彼の心象世界価値観なのだと自分は思う。

君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。

これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。

だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、

雨の非常階段の2人には、明らかな力の循環があった。君の名は。は、それを実態に反映させたに過ぎない。

からきっと、大丈夫だ。また気負わずに描きたいものを描いて欲しい。

http://anond.hatelabo.jp/20161007170735

から流出してることも知った上で「なかなか」ないって書いたんだけど

でもまあ、流出してても、映画館で見たいと思う人の方が多いだろうし

違法アップロードされてる作品でも、オールナイト上映とか

劇場で上映されたら見に行く人はいるだろうから、だから劇場アニメ増えたんだろうね

2016-10-07

最近劇場アニメ増えたなぁ

最近本当に劇場アニメ増えてきてる印象あるけど、テレビアニメだとタダで見れて当然と思ってる人でも映画館には金払って見に行くもんな。

円盤になるまではネット流出することもなかなかないし、テレビアニメと違って円盤も1本で済むからファンも買いやすいし、まさに金を取りやす媒体なんだろうな。

競走馬の馬名

ダンス

20世紀最高の種牡馬ノーザンダンサーに由来することが多い。

など

ゴールド

海外では大種牡馬ミスタープロスペクター日本ではステイゴールドが有名。陽に当たると金色に輝く栗毛に多い。

など

フラッグ

ホイストザフラッグから続く、旗・紋章系の名前が付く一族

など

スカーレット

日本に輸入された牝馬スカーレットインク一族によく付けられる。

など

ローズ

日本に輸入された牝馬ローザネイから始まる血統によく付けられ、「薔薇一族」として有名。

など

2016-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20161006062333

ラサへの歩き方」

http://moviola.jp/lhasa/

はどう?

今週末公開の劇場があったとおもう。

今週末に映画を見に行きたいと思っているんだけど何を見たらいいかな。

近所の大衆映画館には「シン・ゴジラ」とか「君の名は。」とかみたいなゴミ映画しかない。

ちょっと遠くまで出掛けてもいいから、「これを見ておけ!」という映画を一本だけ教えてほしい。

追記:情報ありがとうございます。どちらの映画も見に行きたいのは山々なのですが、劇場が余りにも遠かったり上映中でなかったりで見に行けません;;

2016-09-30

anond:20160930205935

ガチャを回さなければいいや、なんて思って安易に始めたはずがいつの間にか沼にはまってたので、はじめから近寄らないという判断は正しい。

劇場単行本は、きららとかの4コマ漫画コーナーとかに紛れ込んでたりするかも。

リズムの部分は、想像以上に厳しそうだな。

「設定」→「LIVE設定」の中の「練習LIVE」あたりで慣れてみるとかかなあ。

根性論的なアドバイスと思われるかもしれないが、ともかくまずはタイミングを合わせてしっかりPERFECT をとれるようにしておかないと始まらないと思うし。

あとは同じく「LIVE設定」で、タイミング調整してみたり、アイコンの種類を変えてみたり、自分のやりやすいように調整してみるとか。

イベント東京群馬あたりで地道に動員数稼ぐくらいでいいのでは。

難易度高いところに挑戦しなくても観客動員数さえ増やせば大丈夫なはず。

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