じゃあどういうつもりでつけたのかな?せんせいにしょうじきにいってみなさい。
「社会ってのはそんなに甘いもんじゃないぞ!」とか説教したがる昆虫博士ばっかで笑えるw
昼食
間食
せんべい 2枚 170kcal
クッキー 1包 80kcal
グミ 2袋 300kcal
夕食
今日は1600kcalで収まったような気が。
昨日飲み過ぎて午前中は胃が受け付けなかったのが功を奏して。
しかし体調がよくない。
少し剥いてから口の中で残りを剥く。
ヘタより尻から剥く方がきれいに剥ける。
でもブドウは甘さがくどくて毎年すぐに食べ飽きる。
だんだん舌が痺れてくる。
言いにくくて黙ってたけど、味の問題じゃなかったのか?
そういう元上司みたいな人間が、人の上に立って「上司」面できる世の中のガバガバさ
最初に書いておくとこれは女性や女優ををdisりたいために書いた記事ではない。そう伝わるのは本意ではない。
この記事はどちらかというとキャラの役目やストーリーの話である。
ドラマの女性キャラが苦手な時がある。それは折角面白いのに恋愛っぽいパートの部分がその面白さを阻害している、と思う時だ。
たまたま先程家族が垂れ流していたドラマを見ていた。「リッチマン・プアウーマン」という少し前のドラマらしい。家族の話と話の展開から、IT会社の天才かつ偏屈な社長と社長の会社にたまたまインターン生として入れた女性がメインの話だと分かった。ドラマは平たく言うと社長を取り巻くビジネスっぽいストーリーと、女性が全く価値観の違う社長と段々打ち解けてったりライバルの女性が現れて一悶着するといった恋愛っぽいストーリーで構成されている。
途中から見たのだが面白く、つい今見てしまっている。だが面白いのはビジネスっぽいストーリーの部分だ。そこの進展に興味があるのに、途中で恋愛っぽいパートが挟まれると一気にテンションが下がる。
とはいえ女性キャラの全てが悪いわけではない。ビジネスっぽいパートで価値観の違う女性キャラが社長に新たな目線から助言し良い展開に進んだ時とかは面白かった。そうして心が通じ合っていくというのは良いと思う。女性キャラが悪いわけでも人の心が動くシーンが悪いわけでもない。
悪いのはそれと恋愛パートを両立してしまうことだ。恋愛だけならそういうドラマとしてみるのだが、両立されてしまうと…。これが社長とインターン生の女と男が逆転しても変わらない。
折角ビジネスパートが緊迫してハラハラしているのに、そこにライバル女性が現れて三角関係!となるとげんなりしてしまう。
しかしそのライバル女性がキャリアウーマンとして悔しがったりするシーンは悪くない。
後女性キャラの性格がビジネスパートの足を引っ張ってると思う。役者の演技の問題ではない。
簡単に言うと…なんだろう、良くも悪くも少女漫画に、月9によくいそうな女子っぽい。感情を表に出し易いというか…。
恋愛ドラマには合ってそうなのだがビジネスパートにいると少し感情的過ぎるというか。
ウィキを見るとには恋愛とビジネスストーリーを意図して両立して描いた様だが、個人的には恋愛パートはいらないんじゃないかなと思ってしまう。
恋愛ドラマは嫌いではないし、ドラマの女性キャラ全ての存在を否定するわけでもないが、悪目立ちしてしまうと折角面白いストーリーを邪魔しているなと感じる。
類似例だとガリレオである。アレは原作小説がミステリーで、小説も探偵役と助手役両方男性だったのに、ドラマだと女性が追加されてしまった。まあ思ったよりミステリーの話を邪魔してはいなかったようには思うが…(ちょっと昔見たっきりだから覚えてない
その辺うまいことしていると思ったのは重版出来とシンゴジだ。重版出来は女性主人公が恋愛するわけでもなく、でも空気になる訳でもない、「出版社のストーリー」をやってくれていたと思…う…(これもドラマを少ししか見てないから間違っているかもしれない…。ただ漫画は全巻読んだのだがこの様な印象を受けた。)シンゴジは美人な女性も出てきたがあれも終始ゴジラを主軸にしたストーリーをしてくれたし、最後も主人公と女性キャラは恋愛オチではなかった。
なんか例に出したものが悉くあやふやで例として成り立っているか微妙だが…兎に角ドラマに恋愛を無闇に押し込むのは面白さの邪魔になるのかもしれないと言いたかった。女性キャラではない、過度な恋愛が邪魔な場合もある。仄めかすくらいなら良いのだろう。ドラマを例に出したのは実写ドラマにそういうのが多く見られる印象があったからである。
あー…でも掟上今日子はミステリーと恋愛だったけどドラマ面白かったんだよなあ…
全てが全てそうとは言い切れない…しかしシンゴジなんかは恋愛人情を過度に演出することをやめてゴジラを倒すストーリーを押し出したからこそキャラの魅力があったし話も面白かった…うーん…演出の問題でもあるのだろうか…
私は、生きている意味がない。
生きている意味がないし、自分を表現して生きていく自信もない。
不安なのに不安がないかのように振る舞うことが、良いと思っていた。
もう43才を過ぎた。
小学校の高学年からマラソンというか、長く走ることを通じて、苦手な球技がある程度出来るようには、なった。
だけど、会話だけは上手く出来ない。
悩み事を、しっかりと順序立てて話すことが大変に難しい。
これから、どうしたら良いのか。
なんか、慰めてくれた人にも申し訳ない。
「何に困っているか、何を助けて欲しいのか」を言わないと助けてあげられませんよ、という言葉。
話せるところから、話せば良いのですよ、なんて言われても、困ってしまう。
『悩みを、話すこと』『相手の人に負担を掛けてしまうこと』『自分の怒りの気持ちを表明することが出来ないこと』
これが苦手だ。
本当は、嬉しくないのです。
ネタにして欲しくないのです。
私の父親は、欝病で大学1年生の時に自殺して、なくなりました。
欝病の知人や友人の人の話を聞くと避けて来ました。
そのような話の時には、深入りをせずに、話の輪には入らないようにしてきました。
なぜ、今更?とも、言われます。
あるいは、「人付き合い、挨拶、人間関係について、親に教えて貰わなかったの?」みたいな言葉を掛けられることが、大変に苦痛です。
なんとなく、追われるように仕事をして。
なんとなく、結婚をして。
なんとなく、人へ波風を立てないように