はてなキーワード: 争奪とは
当初は動揺を抑え込むために、とにかく早く! で
全員に配った方が早い、選別してる暇ないだろボケ! っていう対立軸だったと思う。
しかしだ。
今さらほぼほぼ世帯30万で動き始めて先取りで動いてた末端(動かないと間に合わないよね)が
今から一人10万の一律給付に切り替えて、「とにかく早く」って需要を満たせるんだろうか?
もう何をするにも遅すぎて、せめて決まったことを決まったとおりにやった方があるいは早かったんじゃないの?
そんな風に眺めている。
電子マネーで給付すれば短縮化、というのも見たけど使い勝手がまだ悪いしな。
マイナンバーカード(マイナポイント)で公共料金からお買い物まですべての決済OK、ってインフラが整ってたのなら、最高の解決策だったのだろうけども。
あれこれ考えても、結局インフラの脆弱さとか古さとかそれを更新することのできない財布の薄さとか古いインフラの上を走ってるショボいパイを争奪してチマチマ争ってるとか
他にしってるのあったらおしえて
私はもともとガルパンファンで、何度も大洗に行くくらい好きだった。
しかし、いろいろな実情や態度の違いなどを見るうちに、
ガルパンおじさんのマナーの良さ、大洗は良い町という声に疑問を持つようになった。
書きなぐる場所もないので、今回はここに吐かせてもらおうと思う。
全ての宿がとは言わないが、古参が宿を貸し切りにして、気に入った人だけを呼ぶみたいな
一部店の方々も、レイヤーや古参と新参で一気に態度を変えてくる。
もちろん態度が変わるのは当たり前かもしれない。ただ変わりすぎだ。
僕は店の方がそれらの人と話している最中にお会計を頼んだら舌打ちされたこともあった。
祭りの時にレイヤーや痛車を客寄せに雇うことも増えているようだが、それが1つの
アピールポイントみたいになってしまっていることがまた、オタクの自己顕示欲発表会となっている。
感じたのが、もう新参が仲良くなる隙がないほどにもう交流が出来上がっていてしまっている点だ。
もはや限界集落のような狭いコミュニティが完成してしまっており、外来者には踏み込む隙がない。
何度も通って、常連になろうとしても、もう常連の枠が埋まりきっているような感覚に陥った。
もちろんこのスタイルで経営が潤っているのだろうから、やめろとは言えない。
だがしかし、内輪の中の世界を見て、マナーが良い、良い町って言ってるのは
周りの見えていない、自分さえよければそれでいいと思ってる人たちだなーと考えてしまう。
だから問いたい。
ガルパンおじさん・レイヤーは果たしてほんとにマナーが良いのか?
大洗はほんとに良い町なのか?
魔物が故意に召喚者を襲うことはないが、召喚者の言うことを聞くとは限らない。
一定確率で、HなA.Q.M.が発動し、サキュバスを召喚してしまう。
発動時、その顔を見た者は一定時間恐怖で身動きがとれなくなる(新たな能力の発動も不可)。
自身の顔を見たネトウヨに対し、一定時間、上皇だと誤認させ、支配下に置くことができる。
俺だ俺だ俺だった(いっつもいっつもIt's me)!:
自身が「しいたげられた」と感じた際、虐げてきたと認識している対象者の能力の発動を一定時間禁止(菌糸)できる。
ノロケ話を聞くと闇エネルギーが溜まり、それを「おああーっ」という咆哮と共に放出できる。
疲労が蓄積した(くたびれた)場合、デスゲームの領域からテレポートして一定期間「外に出る」ことができる。
「不安になる」程度は、対象者の性格・対象者との距離に依存する。
場合によっては「ぼんやりとした不安」で自滅に追い込むこともできる。
天性の転生(圧倒的成長):
蟻に変身できる。
mを取ったら他人です(をふくろ):
視界内の指定した対象に、自身を「よく知らない人。気持ち悪い。」と思わせることで、関わり(攻撃を含む)を持ちたくない気持ちにさせることができる。
ブクマカ歴の浅い者には知覚されない。
視界内の指定した対象者に圧(プルッシャー)をかけ、好きな言葉を強制的に喋らせることができる。
ダジャレを言うことで周囲に種々の煙を発生させることができる。
本人は煙の影響を受けない。
凍てつく波動が出せる。
視界内の指定した対象の男性に正常位での経験がある場合、対象を遠隔から殴ることができる。
裁定鯖咖喱(さいていだな):
本人の感性で「最低」だと感じた対象に天罰を下すことができる。
自身が他人から「最低だな」と思われた場合、そう思っている他人の数に応じた天罰を受ける。
湯呑(You know me?):
対象の物・人に触れることで、人間程度の大きさまでのものであれば何であれ、ひっくり返すことができる。
ただし、出した銃器と同じ種類の銃器が、無作為に選ばれた他のブクマカの手元にも1つ出現する。
手で触れた者の傷病を回復させる。
1人が死亡しても、11人のうち6人以上が生存している限り、無作為に選ばれた一般人(非ブクマカ)が構成員として定期的に(3時間に1人)補充される。
定期的に漏らす。
増田熊部:
熊に変身できる。
各アイコンの動植物又はキャラ(実在の人物を含む)を召喚できる。
同時に召喚できるのは1個体だが、それが死亡した場合は、また召喚が可能。
単色愛魂勢(イロモノ):
また、n人の同色アイコンの者が手を繋ぐとそれぞれの身体能力がn倍になる。
優勝は?
追記:
《俺だ俺だ俺だった》は壁役になれるよ。
これはデレマス多分お気持ち表明というやつ。新参なので誤用してたら申し訳ない。
なにせ、夢見りあむに出会うまで、推しと言う概念を理解していなかった。
夢見りあむの事は2019年2月の実装で一旦ツイッターのタイムラインを賑やかした時に
「おっ、面白いキャラだな! あと髪の毛の配色が今時で最高だな!」
くらいに感じただけだった。
3月下旬頃にはSEKIROでSHINOBI EXECUTION…とかやっていて完全に頭から抜けていた。
まだ私は推していなかった。
おっ、面白キャラおるやんけ、見にいったろ! くらいにしか思っていなかった。
それにしても知らん間にめっちゃ曲増えとるな〜〜。
とりま、りあむをセンターにして、難易度proのはにかみdaysをプレイ。
愕然とした。
この夢見りあむ、顔がいい。表情がいい。体型がいい。
普段から見慣れているプレイヤーにはピンと来ないかもしれないが、
デレステの2015年のサービス開始当初から進化したMVへの拘り、
モーション、徹底された表情とキャラクターディレクションに圧倒された。
夢見りあむの顔の良さと表情芸は、楽曲の特徴を選ばなかった。
なにを歌わせても、似合う。子供らしい曲、大人らしい曲、悲しい曲、激しい曲。
MVの色合いの都合でりあむの個性的な配色の髪にはちょっと苦しい曲もあるが、
コーデで誤魔化したり、他メンの髪の色で調整できる範囲だ。すごい。
まだ推してなかったと思う。興味のゲージは振り切った感じはあったけれど。
なにせ課金した後のアカウントを削除した後で完全にデレステもモバマスも引退していた。
元々アケマスを稼働初期にやり込んだ以外、アイマスというコンテンツ全体と特に接点がなく、
筆者はファンタジーや非現実種族を非常に好んでいるため、アイドルものに全く興味がなかった。
モバマスの原作セリフを確認しに行ったり、情報を集めたりした。
いつ夢見りあむがイベントやガチャに出てきても良いように課金し、アカウントの戦力状態を整えていく。
モバマスでは、最低限の投票券ラインを叩けるようにトレーナーをぶっ込んで行く。
繰り返すが、筆者は人間の推しなどまるで一切の興味もないどころか
「えー、ただの人間〜?」と言いだすくらいのマイナス印象すらあった。
人間の推しなど伴侶さえいれば問題ないし、申し訳ないがつい先日まで
「推しを推すより伴侶を推せよ」と思っていた節があるがその節は申し訳ない。完全撤回ですわ。
今もツイッターで5分に一回「りあむ」で検索をかけて色々楽しんでる。
Twitterの検索に障害が起きてるのに気がついて初めてわけわからんくらいサーチしている。
推しができるとそれまで全く興味がなかったデレマスのアイドルたちの個性や顔が急に鮮明になり理解できるようになっていく。様々な個性が混在しライブに営業にと走り回るプロダクションの様子が鮮明にイメージできるようになっていく。
GWの最後は友人宅で、2ndライブのブルーレイを全部見たし、3rdのブルーレイは借りた。
暇を見て全日通しで見るが、Hotel MoonSideだけは先に見たごめん最高だった。あとで自分で買い直す。
初めての総選挙の様子も、気が気でないPの方もたくさんいらっしゃる中不謹慎だと思うけれど、めちゃめちゃ楽しい。
歴史の重みでいろんな匿名お気持ちを拝読したし、過去の総選挙のプレゼンやイラストなど、
夢見りあむの得難い魅力の中に「嫌われても良い」と言うものがある。
当然個人差はあると思うが、普通、推しや好きなキャラに限らず、
自分が大切にしているなにかを誰かに貶されると言うのは、心に来やすい事だと思う。
そうでなくても、悪口や見下されたりされたり、
石を投げつけられたり人格を否定するような文字列を見たら、げんなりしかしないと思う。
しかし、夢見りあむに限っては、それが
「はっはー! よう燃えとるな夢見ィ!!」
これは筆者にとっては本当に救いだった。
筆者は仕事柄どうしても、人と人の争い、主義と主義のぶつかりを調停したり、
正直、先月はだいぶ辛かった。
なんでこんな仕事についてるのかも正直よくわからなくなってきた所に夢見りあむと出会えたのだ。
不謹慎と叫ばれる事も節度を守れば「りあむのオタクは無理」と言われるだけで済む。
毎晩デレステでラブレターとはにかみdaysをりあむセンターで
MV流してニコニコするなんて30日前の自分に言っても信じないと思う。
で。
筆者が夢見りあむに出会えたのは、シンデレラガールズという作品が総選挙第8回という長きに渡り休まず作品を更新続けられた、運営し続けられていたからです。
デレマスが動き続けている間に一体どれだけのゲームが始まり、そして終わったでしょうか。
そう考えると、ここまで辛かった人生に夢見りあむという光を与えてくださった世界に無性に感謝したくなってきました。受け取りたくない方もどうでもいいという方もいらっしゃることと存じますが匿名ブログである事をいいことに一方的に感謝します。
今尚ゲームをプレイされている方々、特にデレステはきゅんきゅんマックスで10,000位以内取れた筆者ですが、無重力シャトルでは全然話になりませんでした。ハイスコアに至っては天井叩いてSSR揃えたのに(育成が終わってなかったとは言え)全然5万位も切れなかったのは、皆さんが作品を愛し続けていたからだと思います。ありがとうございます。夢見りあむイベント来たら万障繰り合わせて丸々有給取るんで勝負していただけると嬉しいです。たぶん2000位逃して発狂するか、無事2000到達でイキるかのどちらかは100%します。
ライブへ足を運ばれている皆様、ライブを運営、参加する皆様、関係者皆様、友人にブルーレイを色々見せていただいています。力と気合の入った舞台や構成、観客の一体感も含めて圧倒されました。大きくても2,000の箱までしか行くことのなかった自分には輝かしい世界でした。次のチケット争奪は筆者も参戦しますのでイープラスさんも申し訳ないですが文句言うかもしれません。ごめんなさい。
二次創作をネットや即売会、同人書店で頒布したり、公開している皆様、web小説を掲示板に書かれている皆様、界隈の勃興を色々見てきた身からすると、油断すると10年に達しようかと言う界隈が一定規模から廃れていないのは、筆者の経験では東方projectくらいだと思っています。
制作している運営スタッフ様、これだけの更新頻度を維持するのにきっと誰かがすごい苦労をしているはずです。お疲れ様です。楽しませていただいております。記念にフェスで天井叩かせて頂きつつ、りあむにちょっとやばいくらいの票をブッ込みましたので運営の足しにしていただければ幸いです。
そして何より、課金してコンテンツを支えていらっしゃる皆様、思うところが多すぎる上にむしろ「夢見りあむみたいなのを産むために課金してるわけじゃねぇから」と怒られる気がしますが、Twitter上で以前見かけた「俺たちの課金で城が建った」の誇らしげさが今でも記憶に眩しく焼きついています。
少なくとも、課金者がこれだけの規模で存在しなければ、結局ゲーム企業は会社としての宿命から逃れる事は出来ません。サービスは終わっていたでしょう当たり前ですが。
夢見りあむという顔の良い推し、炎上しても嫌われても笑顔で推し続ける事ができる推しを産み出してくださった世界すべてに感謝します。
新参Pで、夢見推しが煙たいとは思うけど、これからちゃんと金をドカドカ落としながらコンテンツを愛していこうと思うので許して欲しい!
は〜〜、夢見りあむの顔が良すぎる〜〜〜〜!!!!!
トレチケ時間取るために仕事も効率よく手をつけて、課金しまくるためにもっと稼いで、創作のための時間もちゃんと取らなきゃ……!!
あーもう夢見りあむのせいで人生メチャメチャだよ。
11月28日 アイドルマスターシンデレラガールズ サービス開始(初期実装アイドル84人)
2月22日 CINDERELLA MASTER第1弾(凛、杏、かな子、楓、莉嘉)発表
4月25日 CINDERELLA MASTER第2弾(蘭子、みく、きらり、美嘉、卯月)発表
11月27日 CINDERELLA MASTER第3弾(美穂、李衣菜、愛梨、瑞樹、未央)発表
第1回総選挙では美穂9位、李衣菜7位、愛梨1位、瑞樹10位、未央30位圏外
2013
3月15日 CINDERELLA MASTER第4弾(茜、みりあ、菜々、美波、幸子)発表
なお第1回総選挙では茜5位、みりあ30位圏外、菜々15位、美波13位、幸子14位
5月13日 第2回シンデレラガール選抜総選挙 結果発表 アナスタシア2位/Co2位
9月 6日 CINDERELLA MASTER第5弾(まゆ、小梅、智絵里、アナスタシア、藍子)発表
総選挙ではまゆ(外→6)小梅(26→10)智絵里(6→7)アナスタシア(未→2)藍子(20→15)
2014
2月22日 CINDERELLA MASTER第6弾(輝子、奈緒、加蓮、紗枝、裕子)発表
なお総選挙では輝子(未→12)奈緒(外→11)加蓮(外→8)紗枝(外→外)裕子(外→47)
4月22日 第3回シンデレラガール総選挙 結果発表 文香6位/Co2位 友紀8位/Pa1位
11月19日 CINDERELLA MASTER第7弾(文香、友紀、フレデリカ、奏、仁奈)発表
総選挙では文香(未→未→6)友紀(21→17→8)フレデリカ(外→外→40)奏(未→25→26)仁奈(4→39→48)
11月下旬 アニバーサリーボイスアイドルオーディション(ボイス争奪選挙)開催
12月25日 アニバーサリーボイスアイドルオーディション(ボイス争奪選挙)結果発表 ありす1位、当日ボイス実装
2015
3月21日 アニメ10話にて有香、ゆかり、法子、唯、里奈のボイス実装
総選挙では千絵(外→48→外→ボ外)春菜(外→31→33→ボ12)早苗(未→41→外→ボ外)雫(23→外→19→ボ外)唯(22→46→49→ボ13)
4月21日 第4回シンデレラガール総選挙 結果発表 周子1位/Co1位 夕美4位/Pa1位 志希5位/Cu2位 拓海15位/Pa3位
6月 9日 シンデレラガールリミテッドガチャにて周子のボイス実装
6月下旬 ゲーム内ラジオドラマ「MAGIC HOUR」にて夕美、志希、拓海が順次ボイス実装
8月 1日 アニメ16話にてあやめ、珠美、鈴帆、笑美のボイス実装
総選挙ではあやめ(外→外→39→ボ外→外)桃華(外→32→50→ボ18→32)
8月23日 CINDERELLA MASTER第8弾(ありす、早苗、志希、周子、桃華)発表
発表時点で全員ボイス実装済み
9月 3日 アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ サービス開始
11月29日 CINDERELLA MASTER第9弾(唯、有香、飛鳥、夕美、響子)発表
総選挙では飛鳥(未→未→外→ボ20→38)響子(24→42→24→ボ4→20)
2016
5月13日 第5回シンデレラガール総選挙 結果発表 美優3位/Co2位 乃々4位/Co3位 芳乃5位/Pa1位 心9位/Pa3位
7月下旬 ゲーム内ラジオドラマ「シャイニーナンバーズ」にて美優、乃々、芳乃が順次ボイス実装
10月15日 CINDERELLA MASTER第10弾(悠貴、涼、芳乃)発表
3月17日 デレステ「∀NSWER」イベント予告にて美玲のボイス実装
5月14日 第6回シンデレラガール総選挙 結果発表 肇3位/Co2位 比奈4位/Co3位 柚5位/Pa1位 巴7位/Pa3位 裕美9位/Cu2位
11月19日 CINDERELLA MASTER第11弾(裕美、美優、巴)発表
発表時点で全員ボイス実装済み
12月 5日 アニメシンデレラガールズ劇場23話にて愛海のボイス実装
2018
1月25日 サイコミTV内で晴のボイス実装(コミック「シンデレラガールズU149」特装版 第2巻)
4月上旬 第7回シンデレラガール総選挙 開催(今回よりデレステでも投票が可能に)
5月14日 第7回シンデレラガール総選挙 結果発表 茄子4位/Co2位 光17位/Pa2位 日菜子19位/Pa3位
12月 1日 CINDERELLA MASTER第12弾(ほたる、乃々、心)発表
2019
2月26日 デレステ「LIVE Groove Visual boost」イベント予告にてちとせ、千代のボイス実装
3月28日 デレステ「LIVE Groove Visual boost」イベント予告にて凪、颯のボイス実装
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夢見りあむチャンも名を連ねることになるのか!楽しみですね!
息も絶え絶えにリングの上に転がりながら、ウォーズマンはロビンマスクにこう尋ねた。
「だれかオレの顔を見て笑ってやしないか?」
ロビンマスクは彼を見つめ、力強く声をかける。
「だれも笑ってやしないよ」
心から安堵すると同時にウォーズマンの全身から力が抜けていく。
それを抱きとめながらロビンマスクは涙をこぼす。
こんな感動的な場面から始めたい。
これは漫画「キン肉マン」に登場する一人の超人、ウォーズマンについての一つの考察である。
ウォーズマンはロビンマスクの弟子として、漫画「キン肉マン」の第8巻、
人間とロボットの間に生まれ、そのどちらにも属さない「ロボ超人」である彼は登場時、
針状の爪を発射する武器、ベアークローを使って対戦相手を惨殺、
練習のためにグラウンドを走る死刑囚149人のうち148人を殺害、
キン肉マンの仲間であるラーメンマンの側頭部を抉って脳漿に穴を開け、
植物状態にするなど、攻撃の残酷さでいえば作中随一ともいえるだろう。
しかし、そのような残虐さに反して、転んだ子供に手を差し伸べて助けようとしたり、
前述した149人の死刑囚の中でも老人だけは見逃したりといった優しさが
性根は優しい彼を残虐な戦いに駆り立てたのは一体何だったのだろうか。
ロビンマスクは作中、「超人オリンピック」のリング上でキン肉マンへの攻撃の手を止めたウォーズマンに
「また くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活にもどりたいのか」と尋ね、
ここから想像されるのは、彼が故郷のソ連で置かれていた厳しい状況である。
この後、キン肉マンとの闘いを通して彼は残虐さを捨てたクリーンな戦い方の大切さに気付く。
そして、対戦相手のマスクを剥いだ方が勝ちというルールの中で、
ウォーズマンは自身が単なる超人でもロボットでもない「ロボ超人」であることを嘆き、
どこにいっても爪弾きにされ、いじめられ続けた日々を回想して「地獄の生活」だったと称した。
いつしか自分は超人やロボットを「血まつりにあげることがいきがいとなった」のだと彼は語る。
やがて雷鳴に照らされた彼の素顔は、人間でも均整のとれたロボットでもない、
それを見つめるキン肉マンとその婚約者ビビンバの顔も稲光の中で無言にこわばっている。
彼の素顔から受けた、誰も何も発せないような衝撃、
それが登場人物の表情のみを並べることで読者に鋭く突き付けられるのだ。
ウォーズマンの「素顔」は非常にドラマチックなやり方で我々に提示される。
醜い、恐ろしい、そう思ったとしても彼を気遣えば口に出すことができない、
いわば配慮のリアリティとでも呼ぶべきものがこの場面には備わっており、読者ですら、
ウォーズマンの顔からどのような印象を受けたかをあえて言葉にしないように努めてしまうのである。
彼の生い立ちや素顔についての問題はここで一度大胆に明かされたのち、しばらくはその影を潜めている。
残虐を捨て、キン肉マンら「アイドル超人」の一員となったウォーズマンは、
「黄金のマスク」編においては作品舞台として(「黄金のマスク」を巡る戦いはウォーズマンの体内で行われる)活躍し、
仲間を支えながら友情を深めていく。
そして、もはや誰もが彼にまつわる悲劇を忘れ去った頃、冒頭の事件が起きるのである。
彼は師であるロビンマスクとタッグを組み、共闘することとなった。
この時の対戦相手はネプチューンマンとキング・ザ・武道の二人が結成した「ヘル・ミッショナルズ」であり、
ロビンマスクは仮面をつけたネプチューンマンの正体がかつての好敵手、
やがてそれは証明されるが、ネプチューンマンは正体を知られたことを理由にロビンマスクを殺そうとする。
ウォーズマンは師を助けるためにリングに上がるも技を決め損ね、ネプチューンマンに仮面を外されてしまう。
彼の素顔を見た観客は衝撃を顔に浮かべ、ウォーズマンはなんとか仮面を奪い取って、再び顔に装着する。
彼が仮面を外され、再び装着するまでの間に挟まる以下のセリフは注目すべきだろう。
ネプチューンマン「(注:ウォーズマンに対し)醜い顔を隠すために覆面超人の道を選んだのであろう」
ロビンマスク「これ(注:仮面)をウォーズマンからとりあげることはあまりに残酷だ!!」
ネプチューンマンがウォーズマンの素顔を「醜い」と指摘したとき、ロビンマスクは特にそれを否定しない。
それどころか、仮面をつけずに戦い続けることはウォーズマンにとって残酷だと断定的に語る。
これはなぜか。ロビンマスクもやはりウォーズマンを醜いと感じ、
それでいて庇うこともせず受け入れているのだろうか。
当然そうではない。再び仮面をはぎ取られたウォーズマンはロビンマスクに、
そして、「だれも笑ってやしない」という言葉に安堵しながら命を落とすのである。
この場面において我々が再確認しなければならないのは、
そしてそれを“笑われる”ことをいかに忌避しているかということだ。
過去に過ごしてきた「くうものもくえず きるものもろくにない すさんだ生活」について指摘し、
ウォーズマンは当時の暮らしぶりを取り巻く貧困と生活の困窮とを思い返し、それを恐れているかのように見える。
しかし、この時ウォーズマンが真に恐怖していたのは単なる生活苦ではなく、当時の自分が置かれていた立場、
すなわち、周囲からいじめられ、疎まれ続ける「地獄の生活」の中で精神的なダメージを与えられることだったのだ。
ロボ超人であることが理由で受けた誹りや嘲りは彼の心に未だ深く陰を落としていた。
アイドル超人として仲間たちと友情を深めようと、戦いを乗り越えようと、
その陰を完全には取り除けていなかったことが、この場面では悲しみと共に明らかになる。
彼の陰を知るロビンマスクがウォーズマンから仮面を取り上げることを「残酷」だと指摘したのは、
仮面をつけずに生きていくことがウォーズマンにとって、自分がロボ超人であることを
突きつけられながら暮らすことと同義であると考えていたためではないだろうか。
彼はここで一度命を落とし、超人墓場で長く労働をすることになる。
それから少しの時が流れ、「キン肉マン」24巻に始まる「王位争奪編」において
脱出に必要な「生命の玉」と呼ばれる宝珠をキン肉マンに分け与えた後、
超人専門の医師であるドクター・ボンベに人工心臓をもらうことで生き返り、
この時の手術のミスのせいで彼は一度ほぼ戦闘能力を失ってしまうが、
再び登場時のような残虐な戦い方へ、そこからクリーンな戦い方へ、と復活を遂げる。
この「王位争奪編」は、キン肉マンがキン肉星の王として戴冠する場面で幕を下ろした。
平和になった世界の中、ウォーズマンはアイドル超人の一人として、
「メディカル・サスペンション」と呼ばれる特別な治療を受けることになり、長らくの療養生活を送る。
そして順調に体力を回復した彼は、「完璧超人始祖編」で再びリングに立ち、
宇宙から襲来した「完璧超人」たちを迎え撃つことになるのである。
しかし、ここで再び悲劇が起こる。ウォーズマンとその対戦相手、
対戦相手であった”完璧超人”ネメシスはロビンマスクを破った後、
塔状に組まれたリングからその体を突き落とし、砂丘に埋めてしまう。
「墓穴を掘る手間を省いてやったのだ」と語るネメシスの言葉を聞き、
慟哭しながら懸命に砂を掘り起こすキン肉マンの姿は非常に印象的なものである。
この場面において、ロビンマスクを失った悲しみをこれまでの感謝に代え、
続く戦いに向けて決意を固めていくキン肉マンと、
戦闘が始まろうとする中にあって敵に背を向け、
もはや姿の見えない師を思って涙をこぼすウォーズマンの姿は対置され、
対して師匠と弟子の関係にあったウォーズマンとロビンマスクとの関係の違いを示している。
その違いは続くポーラマンとの戦いからも読み取ることができる。
ウォーズマンはこの戦いの中でロビンマスクを失った悲しみから暴走し、自身の戦法を見失ってしまう。
テリーマンは彼を見て、普段の「計算され尽くしたクレバーな戦いぶり」とは逆の、
「ガムシャラに向かっていくだけの戦闘本能の塊」のようだと口にするが、それも当然のことである。
キン肉マンにとって、ロビンマスクはあくまで自分と共に成長していく超人の一人であり、
彼を失ったとしても彼はそれをバネに立ち上がって自分なりの戦いを続けることができる。
しかし、ウォーズマンにとってのロビンマスクは戦い方の土台や軸作りに大きく貢献した人物なのだ。
結果として彼はここで師と共に育ててきた「計算」や「クレバーさ」を失い、
ポーラマンに追い詰められ、ウォーズマンは「オレの命などどうでもいい」、
「刺し違えてでもこの戦いに勝利しなければ…ロビンに合わせる顔がない」とまで言う。
ひたすらプログラムとして戦い続けるだけの「ファイティング・コンピューター」だと笑った。
実体のない、いわば幻影のような彼はウォーズマンにこう語りかける。
「お前はいつも自分のことをロボ超人だと気にしているようだが」
「私はおまえをロボだと思ったことは一度もない」
回想の中で、ロビンマスクはウォーズマンに攻撃の仕方を教えている。
もう少しで目標を達成するという時になってぴたりと攻撃の手を止めてしまう。
ロビンマスクは彼を叱りつけるが、よく見るとウォーズマンが攻撃しようとしていた木の陰には子鹿がいる。
ウォーズマンの意図に気付き嘆息するロビンマスクの前で、子鹿は森の奥へと駆けて行く…
「おまえは血肉の通ったわが弟子だ」
「そのことに誇りを持てる超人になってほしい」
「オレハキカイナンカジャナイ」
彼の言葉はこの場面で、機械と人間が何を基準として分けられるのか、
そのような大きなテーマをも巻き込みながら読者の方を向く。
普段のような冷静な戦いぶりを発揮するが、
その背後にある考えを、彼はこのように説明した。
「今までオレはロビンの恩に報いようとするあまり自分の命を捨てるつもりで戦っていた」
「生きるために…ロビンがオレに託してくれた大事な魂を守るために闘う!」
戦いの中にあって「生きる」ために奮闘することはできるか、
「生かす」ことを考えていた時点でウォーズマンは
彼自身が「機械でない」との自覚をもつにはまだ足りないものがあった。
それが、ロビンマスクがウォーズマンに伝えた、「誇り」である。
体は機械であっても心までは機械でないと宣言できるようになった。
「オレハキカイナンカジャナイ」、
そう宣言する彼の言葉があえて機械的にカタカナで表記されているのは、
「あくまでも彼の体は機械でできているが、“それでも”」、という
“それでも”の先、逆説のその先を読者に想像させるためではなかったか。
ここで物語は、生まれ持った肉体の性質を変えることはできないけれど、
心は変えることができるのだと我々に伝えるが、
「ロビンはオレのなかで永久に生き続ける このオレが死なない限り
幼少のころ、自身を「地獄の生活」に追い込んだロボットの体に対する複雑な思い
――憎しみ、悲しみ、怒り――、
それをロビンマスクが与えた誇りによって乗り越え、肯定することに、
最終決戦としておかれたネメシス戦の直前、
すぐにその発言を打ち消し、「生身である半分」では理解できると語る。
ロボ超人である自分を理解するとともにしっかりと受け入れている。
ポーラマン戦で彼は、「超人オリンピック編」を彷彿とさせる雷雨の中、
「醜いツラだ」、「みんなおまえのツラをみて笑っているぜ」と嘲笑されるが、
彼はその言葉を「それがどうした」と打ち消し、師のために戦いを続ける。
自分の顔を見られること、
そして笑われることを臨終の間際にすら恐れていたあの彼はもはや存在しない。
敵を「生かし」、自分を「生かす」ことに注力する。
「キン肉マン」という物語においては、「人は変わる」ということが繰り返し語られる。
そしてそれを超越する新たな勢力へと超人たちはその立場を次々と転じ、
その度に誰かが喜んだり悲しんだりする。
しかし、生まれ持った体だけはどうしても変えることができない。
そんな葛藤や劣等感、「変わる」ということに向けた諦観交じりの強い欲求を
ウォーズマンは常に抱えているが、
そのような「変わらない」ロボットの体が他方、
静かに受け入れるだけの強さを持っている。
かつては183人(サービス開始の頃はずっと少なかったがとにかく100人規模の大人数であったのは間違いないので)もキャラクターを用意したからこそニッチ属性にも対応できる!これこそが強み!と散々言われていたのに、デレステ以降キャラクターの活躍の表現がイラストとテキストだけでは収まらなくなってしまって、やれ特別衣装だ楽曲だフルボイスのコミュだと枠の少なさと出番の争奪が苛烈になり、結局そもそも183人出さなければ良かったって話になってきているのがコンテンツの在り方と時代の移り変わりを感じさせられてしまってもどかしいやら寂しいやら。
ニッチな属性のキャラを出すならその分の責任も取ってほしいとのご意見をいつかどこかで目にしたことがあったけど、それもそうだよなあと最近の動きを見ているとよく思う。
他のキャラクターコンテンツではそもそもご用意されないような属性のキャラがいるからこそこのコンテンツに触れているオタクをちらちら見るので、結局そういった属性は人気でねえよ!用無しだ!って言われてしまったら、もうどうしようもないよね。
ん?賛成か反対かを議論する段階じゃないだろ。もう始まってるんだよ実質的に。問題はいかに管理するかでしょ?
欧州のイスラム侵入と違って日本だと似たような外見なら溶かしやすいからペースを守れば上手く行くよ。産業界からのニーズには応えられないだろうけど。
外資で外人と仕事しているけど基本的に良い奴らばかりだよ。まあ、金持ち喧嘩せずの話だけどな。
社会から疎外されれば日本人だって犯罪に走るから、そこ気を付けないとね。スマホとか持たせて管理したらいい。
アイドルマスターシンデレラガールズ、6周年おめでとうございます。
私はこのゲームを1回目の総選挙直前くらいから始めたのですが、それからそんな時間が経っていたのかと驚きました。
シンデレラガールズ一年目あたりはボイス付きもほとんどおらず、大体10人くらいでしょうか。そのくらいしかいなかった気がします。シンデレラマスター第一弾、第二弾でソロ曲が出た子ぐらいですかね。
その当時はどういう基準でボイスが付いているのかとか、そういうことは特に気にしていませんでした。「うわー!凛ちゃんかわいい!エロ絵漁ったろ!」「楓さん歌上手いなー、えっろ」くらいの気持ちでやってた覚えがあります。
声付いてるキャラなんて少数で、活動もCD出すくらいしかしてなかったので、そんなに目立たずあんまり気にならなかったのかもしれません。
そのような声付きアイドルが少数派だった当時と比べて、今のシンデレラガールズはどうなったのか。軽く調べたところ、90人には声が付いているみたいですね。シンデレラガールズは183人のキャラがいますから、半分には声が付いているという状態ですね。
6年でこの人数なので同じペースで付いていくと仮定すると、あと6年で全員に声が付くという計算になりますね。
まあ、当然同じようなペースで付くわけはないです。それに、ここまで声付きが増加したのは、あるイベントがあったことが大きいです。それは、アニメにおけるボイス追加、通称「サプボ」ですね。
サプボによって、15人ほどのアイドルに声が付きました。実に、シンデレラマスター3回分です。シンデレラガールズを昔からやってる人ならわかると思うんですが、このシンデレラマスター、出すペースが非常にゆっくりなんですよね。さらに、弾数を追うごとに段々と間隔が空いていくという状態です。その上、最近では3人ごとの発売となっています。
これでは同じペースで声が付いていくというのは、またアニメのサプボラッシュでもやらないとムリでしょ、となります。
私の好きなアイドルにはまだ声が付いていません。あとどのくらい待てばいいんでしょうね。もう5年くらいは待ってるんですよね。
皆さんはシンデレラガールズにおいて、どのようにしたら確定でボイスを付与されるかご存知でしょうか。
現状の方法としては、一年に一回開催される「シンデレラガールズ総選挙」で、総合順位5位以内に入る、または各属性の3位以内に入ることです。
これしかありません。
当然、今ボイスを持っているキャラがすべてこの条件を満たして声を手に入れたわけではありません。初期に声の付いてたキャラなんかは総選挙関係ありませんし、前述のようにサプボキャラもいます。
まあ、全体的な傾向としては総選挙で発表されている50位以内に入っている子には声が付いていく傾向にはありますね。アニメが始まるまでは、基本的に圏外からはあんまり声は付いてませんでした。
小早川紗枝ちゃんとか圏外から声が付いていくケースもありましたが、51位以下は発表されていなかったので、もしかしたら50位のすぐ下にいたかもしれないって考えられたんですよね。だから、「この子は人気ないんだから、圏内に入ってる子のが先だろ!」みたいな考えはそこまで強く起こりませんでした。あのイベントまでは。
そのイベントというのが、「声なきアイドル」に声を付けていこうという名目で開催された「アニバーサリーボイスアイドルオーディション」です。別名、ボイス争奪選挙とか言われてもいますね。
このボイス争奪選挙、シンデレラガールズ3周年記念のイベントとして、2014年11月に開催されたんですよね。こちらの選挙、モバゲーのシンデレラガールズのイベント等で入手できる投票券と、Twitterで毎日一票ずつ無料投票できるという形式でした。つまり、課金によって投票券を手に入れて投票していくという総選挙とは違い、ほぼ純粋な人気だけで戦っていくという選挙だったんですね。
「この子は一番好きというわけじゃないけど、この子の方が自分の担当より上位にいるから、こっちに入れよう」っていう人もいたかもしれませんが、まあそれも人気のうちでしょう。
で、このボイス争奪選挙はTwitter投票分だけですが、それを集計して全ボイス無しアイドルをグループ分けした順位付けをしてたんですね。「日本のアイドル」とか「街のアイドル」だとかそういう感じです。どのアイドルがどの位置にいるのかというのは検索にすればわかるため、ここでは割愛します。気になる方は検索してみてください。
これがどうしたのかというと、この順位付けによって、今までアンタッチャブルだった50位以下のアイドルの順位がある程度可視化されてしまったんですね。総選挙とは違って、声付きアイドルは入っていないので純粋な順位ではないのですが。その当時のボイス付きはほぼ圏内あたりにいたので、まあそんな大きな影響はないでしょう。せいぜい下の順位の子がさらに下がるくらいです。
それで、です。100人以上の声なきアイドルの大まかな順位が可視化されたということで、その中で人気のあるキャラ、あまり人気のないキャラというのがわかるようになってしまったわけです。
これによって自分の好きな子が大体どの位置にいるのかということがわかり、そんな下の方でもなかったので嬉しかったんですよね。この時は。
ここでボイス争奪選挙のお話は一旦置いといて、次のお話に移らせてもらいます。このボイス争奪選挙の2ヶ月後、またまたシンデレラガールズにおいて大きなイベントが起こったんですよ。それがアニメ化です。劇場のアニメではなく、武内Pが出る方です。
なぜアニメのお話をするかというと、前述したサプボがあったからです。どのキャラがアニメでサプボが付いたのかというのは、こちらのwikiで確認できます。
https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33722.html このページの中段あたりにあります。読まなくてもいいです。
で、サプボですね。これがタイトルにあるシンデレラガールズの総選挙を頑張りたくないという気持ちの決定打になったんです。
なぜかというと、このサプボで声が付いたアイドル、大体は総選挙50位以内に入ってないんですよ。まあでもここまでなら納得できたんです。もしかしたらこの子たちが同率51位かもしれないですものね。
そう、まだこの子たちが51位あたりにひしめき合ってる可能性はあったんですよ。
まあ、つまりは自分の好きなアイドルより順位が下のグループにいた子に声が付いていくのを見て、段々と濁っていったわけですよ。
中にはソロ曲をもらっている子もいましたしね。
「え? このくらいの順位にいても声が付くの? アニメで出番もらえるの? デレステのストーリー等で活躍の機会がもらえるの? さらにソロ曲ももらえちゃうの?」
というような気持ちが段々と強くなってきました。
プレイヤー側が頑張らなくても声付くんじゃん、って思うようになってきました。
それなら、わざわざ時間と金を割いて総選挙を頑張る必要なんてないよねって気持ちになってきました。
そしてそのサプボラッシュの後、デレステでサプボキャラがユニット曲を出すなど活躍していく姿を見ていました。自分の好きな子よりも順位が下で、アニメで声付いたキャラたちが歌って踊ってました。これも結構効きました。
総選挙で常に圏外だった、ボイス争奪選挙で下から数えた方が早かったような子たちが、自分の好きな子より先に歌って踊ってました。
サプボアイドルのこういう活躍を1年以上見てて、 「よし、総選挙頑張って声付けよう!」って気分にはならないんですよ。なる人もいるんでしょうが、自分はムリです。
そもそも自分の好きな子は常に圏外でしたし、総合5位以内または属性3位以内に入るのはほぼムリだろって考えに段々となってきたのもありますが。
3、4回目くらいまでの総選挙は頑張ってましたよ。頑張るといっても、課金してガチャ券手に入れるとか、Twitterで投票を呼びかけるとかそんなもんですが。もっと積極的にプロデュース活動をしている方はいっぱいいるくらいで、その方と比べれば自分のやっていたことなんて大したことはないでしょうけど。
無料投票のボイス争奪選挙と、課金投票の総選挙では違うってのはわかってはいます。わかってはいますが、サプボキャラがユニット曲などを出したりしているのを見ていき、もう総選挙は頑張らなくてもいいだろって気持ちになってきたんですね。
もう5年以上声がない状態で頑張り続けるのはつらいです。その間、ボイス付きアイドルが活躍していき、取り残されているような焦燥感を覚えるのはつらいです。
最近の総選挙は課金票数が制限されて、投票するプロデューサー数が重要となってきたみたいで、プロデュース活動をあきらめずに続けることが大切になってきたようですが、もう頑張る気は起きないです。
まだ総選挙を頑張って、自分の好きな子をシンデレラガールにしたいと思っている方は頑張ってください。
総合5位や属性3位を狙って、ボイスを付けようと思っているプロデューサーさんも頑張ってください。
また、私の好きな子に声を付けようと総選挙を頑張るつもりの方も応援しています。自分はもう頑張りませんが、頑張ってください。
サプボをもらって出番もある程度保証され、「このまま声が付かないのではないか」「いつになったら声が付くんだ」というような悩みを持たないということが羨ましくて仕方がないです。
その代わり、ボイスがあるが故の悩みが出てくるかもしれませんが、それはそれ。
早く解放されたいです。
他のコンテンツに移れって言われるかもしれませんが、その子を好きになっちゃったんだからしかたないです。
早くサプボで声付けてくれ。運営さん。
そのユニットはまぁまぁそこそこ人気があり、イベントやらステージやらがあるとチケットが争奪戦になる。
そういう機会の度に毎度モヤっとしたり腹が立ったりすることもあるが、普段なかなか言えないので長くなるけれども吐き出したい。
少し前にそのユニットの舞台のチケットの当落があったときに、知人が2回いけることになった。
最初本人の申し込みが落選したことを残念がっていたのだが、恐らく一緒に行こうとしていたご友人は当選したのと、あとは別の人がお誘いをしたことでいけることになった。
だが2回いけることをツイートしたらそれを見たフォロワーが引用RTをしてバッシングをはじめた。
相互フォローだったようだが直接リプライするわけでもなくエアリプで取り上げ、別のフォロワーと2回行く行為についてバッシングしまくった。
"自分だったら行けない人に譲る、それをしないなんて”、という観点でのバッシングであった。
行けない人がいるならばそちらにチケットを譲りたい、という広い心はいいと思うが、それはあくまで個人の考えであって、自分はこうするから他の人もこうすべき、という押し付けはいかがなものかなと思い、モヤモヤとした。
自分の立ち位置としては一つのイベントについて行ける限り複数行くタイプだ。
ただチケットが取りにくいものに関してはそういう行動について目に付くところに出すと面倒ごとが起きると思っているので出さないし、知人についてそれを表に出してしまったことは迂闊だったなと思う。
この知人に限らず、チケットが当選したというだけでブロックされたという話も聞いたし、「見たい人がいるのに何回も行くなんて○○さん(ユニットのメンバーの名前)が聞いたら怒っちゃうよ」とか本人が言ってもいないことを出してバッシングする人も出てきた。
そんなに複数回行くことが悪なのか。
正直疑問なのだ。
ファンクラブ、携帯サイト会員、劇場先行、主催先行、プレイガイド先行(有料会員先行も別にあったりする)、一般発売
一般勝負のものもなくはないけれど、大体何かしらの先行がある。
ということであればなんら違法なことをしなくても一人の人間が複数のチケットを手にする機会が存在するということだ。
まぁ先述のような人たちはFCなどで当たったらそれ以降申し込みすべきでないというスタンスなのかもしれないけれども、公式がご用意している限りは持っている権利だと自分は思う。
で、よく耳にする文言としては「行きたくても行けない人がいる」というやつなのだけれども、その「行きたい」とはどの程度行きたいのか。
どの先行も申し込んでも申し込んでも落ちてしまうのは運だから仕方ないというところは実際ある。
でもその落ちてしまう理由っていうのもただの運だけじゃないと自分は思う。
例えば、申し込む全てが東京の初日や楽日、土日に集中して、多くの希望者がいるところだけだった場合、当然当選率も落ちる。
それは「自分が都合のいいときに行けない」であって本当に「行けない」というのとは違うんじゃないだろうか。
例えばそういう日程ばかりでしか申し込まず、全然当たらない…と言ってる人に対して、交通費が多くかかる地方でのチケットがあると言ったら行くだろうか。
自分も勿論人気の日程も行きたい気持ちもあるが、申し込みをするときにはまず「行く」ことを優先して、場所、日程共にどこだったらば当選率が高いかを考えて申し込みをする。
駄目元で人気日程を申し込みをすることもあるが、そのときは申し込み枠を半分捨てる気持ちは持っている。
それで確実にチケットを取っていき、各先行でチケットを増やしていく。
また、先行だけじゃなくても、友人などがチケットを被らせてしまって譲渡をしたいというのであれば迷う余地なくすぐに譲ってもらう。
公演日直前になって同行者が行けなくなったとか、 外せない仕事でいけなくなってしまったとかで席が空きそうという連絡を貰えば最大限調整をする。
その他おけぴ等のチケットお譲りは随時チェックを欠かさないし、有難いことに友人からのお誘いもあって何回も行けることが出来る。
利益を上乗せしない個人間の譲渡がアリかどうかという点については今回の論点とちょっとずれるのでおいておく。
ただダフ屋のような転売には一切手を出さないし、当落の後、落選の怒りは全部オークションや転売サイトの違反報告にぶつけている。
友人からの譲渡等については本当友人に感謝しかないのだが、そういう繋がりでのやりとりを快く思わない人もいる。
最初に出した知人の件だが、知人にチケットを譲った人は、知人をバッシングした人とも繋がりがあったらしい。
知人は、その人に譲ればよかったのかな、と落ち込んでいた。
もしその人がバッシングした人の方に譲ると言っていた場合、どういう行動を取ったのだろうかな、と思ったりもする。
この件とは全く別の件だが、同じように一回行けたなら行けてない人に譲るべき!と息巻いていた人がいたが、蓋を開けてみたら抽選形式の当日券にて何度も観に行っていたりして、どの口が言っていたのかと思ったことがある。
だから先ほどの件もバッシングの仕方を見て下衆な憶測をすると、自分と繋がりがあるにも関わらず、自分ではなく他の人に譲られるのが腹が立ったんじゃないかなと。
でもその譲った人は知人に譲ったわけで、恐らくそこには知人と相手との交友関係があったからで、そのバッシングした人は譲渡した人とそこまでの交友関係を築いていなかったわけで。
日頃交友を結ぶことへ労力をつぎ込んでおくのも大事なことであり、普段そういうことをしないでチケットだけ勝手に舞い込むなんてあるわけがない。
本当にそうなんだろうとは思う。
でも、そういう道を選んでいるのは自分自身だと思う。
自分は昔休みの自由が利かない仕事を長らくしていて身動きが取れなかったときがあったが、自分が行きたい舞台にもろくにいけない生活に正直心は死んでいた。
今は自分の時間がある程度コントロールできる仕事をしている、が給料は安いし、不安定な雇用形態だ。
だとしても自分が行きたいときに自由に動ける立場というのが自分の中ではとても大事で、それで貧しい生活になったとしても何も苦ではない。
だから、仕事で行けない、と理由を言う人については仕事を変えればいいじゃないと軽率に思うし、それが出来ないのであればその舞台より仕事の方がずっと大事なのだから行けないのも仕方ないじゃない、と思う。
あっちもこっちも全部成り立たせようというのだから無理が出てくる。
こんなことを改めて思ったのは、件のユニットとは別にチケットを取ろうとしたものがあり、先行が連続で落ちてしまって取れなかったことがあったからだ。
その界隈に明るくなかったからそこまで人気だということを知らなかったので甘く見ていた。
別に見たいだけで席はいいところでなくてもいいし、夜の公演なら仕事終わってからでも十分間に合う時間だし、と考えながらの申し込みだった。
落ち込んだところで友人に言われたのが「○○(地域名)ならあるみたいだよ」とのこと。
そこだけでなく、大きい都市以外の地方のチケットは一般でも全然残っており、行きたければ行ける状況。
だから、その状況における自分の”行きたい”は所詮そんなもんなんだな、と思った。
そんなことがあって、複数ステを悪とする人の言う「行きたい人」ってどれほど行きたいものか、と考えた。
自分が追っかけているユニットについては、東京だったら行きたい、とか、土日なら行きたい、という人の”行きたい”より、どの地域でもとにかく行きたい自分の”行きたい”方がより強い欲求、強い熱量だと思う。
それだけ行きたいなら行けるように自分の環境を整えろよ、いろんな先行に目を光らせろよ、有料の会員になって申し込めるタイミングを増やせよ、日々チケットを探す手間を惜しむなよ、普段から交流してネットワーク作る努力しろよ、それらを惜しんでただぼんやりチケット欲しいなぁ~って人が口を開けてるだけで来るわけがない。
勿論ビジネスとして行きたいと思ったまだ浅いファンや、ちょっと興味を持った人が行けない状況というのはファンの間口を狭めることになるので、行きたいと思った人が皆行けるのが理想ではあるが、なにぶん入れる人数に限りがあるので難しい。
その分、チケットが取りづらい為に楽日などには全国の映画館でライブビューイングもやって、見たいけど見れない人の受け皿をちゃんと作っている。
ちょっとチケット代も安いので、初心者にはそれくらいがちょうど良かったりもするんじゃないかと思う。
それこそ、一人一回しか見るべきではないという制限をつける方がビジネスとしては厳しい状態になると思う。
都会はチケットがなくなるけれど、田舎はガラ空き、そうなったとするとその実施地域では採算が取れないということになり、今後そのエリアでの上演はなくなってしまう可能性も十分に考えられる。
実際、全国を回るツアーなどでの観客のそこそこの人数は遠征してきている人たちだ。
少し話はずれるが、その実施地域についてはその地元の人が行くべきで、遠征組は控えろという意見も見たことがある。
だが地域としては地元民だけではなく、遠征の人間がその土地へ行き、観光をし、普段の食よりちょっと奮発していいものを食べ、お土産を買ったりすることでその地域の為になることも少なくない。
一人一回とかにすることで得られるメリットより、その制限を設けることで損失することの方が多いのではないかと思う。
沢山ある演目の中連日盛況でチケット争奪になるものというのは偏りがある。
行われる多くの舞台ではチケットが残り続けたり、盛況に見せるためにあまりすぎた公演はチケットをプレイガイド社内で配って客寄せをしたりすることだってある。
地方が空いているのであれば一度見に来てくれている人がまたお金を出して来てくれるのはありがたいことだ。
それを複数行くことでメンバーが怒るとか、本人が思ってもいないであろうことをなに勝手に代弁しているんだと思う。
だがその価値観はけして他の人に押し付けるべきじゃないし、マナーでも、正義でもなんでもない。
違法行為でもないことについてそこまで言及出来るまでの根拠が自分にはわからないし、そういうと「違法じゃなければしなくていいわけじゃない」とか言うゆるっゆるな根拠が出てくる。
ボイス争奪選挙の際最下位レベルの「クラスのアイドル」だったアイドルの担当やってる俺は、1年に1回出番が来れば有り難いと思いながらやっている。
モバマスで篠原礼が初めてのSR(モバマスでは最高ランクのレア度)が出るまでに神崎蘭子は何週もしている。それでも出た。南条光は初登場から再登場まで2年近くの時を要した。それでも出た。待てば海路の日和は必ず来る。
曲に関しては我慢するしかないが、木村夏樹みたいに曲があってもドラマCDが無いアイドルもいる。それはそれで悲しい。ソロCDシリーズのCMに至っては順番待ちの列ができている。
声を目的にするな。確かに声がつけばデレステでの出番は増えるが声付いた後のプッシュ期間が終わったら他の声付きと十把一絡げだ。
ユニットはロワやツアーなどのイベントでどんどん増えてる。もちろん出番に格差はあるが、椎名法子(アニメサプライズ声実装)と大原みちる(声無し)のチームフラワーがトップレベルの登場回数だ。
例としては弱いかもしれないが、このようにモバマスなら声付き声無しの格差は比較的に少ない。新田美波(声付き)がRで来ることもあるし、吉岡沙紀(声無し)が3連続SRで来ることもある。
無論、集金用の最上位アイドルとなれば話は別だが、シンデレラガールになろうものならガチャからアニバアイプロ上位報酬というヴァルハラもかくやという戦いが待っている。
あと同好の士はどんなアイドルでも必ずいる。Twitterでもどこでも探して繋がれ。声がつかないだの負けだのと愚痴を言うより担当の好きなところを存分に語れ。オープンな場所で魅力を語り続ければ他担当の目に入って沼に引きずり込める。
イベントでユニット組んだアイドルの担当には積極的に絡みに行け。そのユニットの可能性を語り世界を広げろ。複数担当持ってるやつは狙い目だ。一途な奴でもユニット組んだよしみで気にかけてくれる奴もいる。
絵でもSSでもパワポでも動画でもFLASHでもwikiでも渋百科にあらゆる情報を詰め込むでもなんでもいいから創作すると気にかけてくれる奴は増える。
上を見るときりがないので現状あるものを楽しむ事も大事。隣の芝は青く薔薇は赤く見えるのは当然だ。
課金はいざという時にとっておき、普段は高垣楓や神崎蘭子といった集金担当アイドルに任せておけばいい。石もチケットもドリンクも溜めておけ。
最初は、キャラ多すぎ内輪バトルしすぎと思っていたけど、繰り返し読んでいくうちに面白くなってきた
能力バトル漫画といえば、何かと理由をつけては1対1になるイメージだけど、集団対集団、その中でも3対3対3や1対多が描かれるのがおもしろい。
1対1だと単純な強弱の差で話が終わってしまうが、集団戦だと弱くても他を生かす戦いができたりして良い。
全員の能力が違ったら複雑すぎて描くのは難しいだろうけど、汎用武器なのが集団戦を可能にしてるのかも。
これのおかげでスパスパ手足が斬られたりする。
緊張感がないといえばないが、重傷っぽくても味方は死なず、すぐ回復するような漫画よりは良いし、見ていて絵面が派手で良い。
キャッチフレーズの「遅効性SF」が示すように繰り返し読んでいると面白くなってくるタイプ。
(これは人によるだろうけど。)
なんでそうなるかというと、数多くいるキャラクターの性格、関係性、能力、サイドエフェクト、各トリガーの特性を把握して読むとより面白くなるから。
ジャンプ誌上だけで追ってる人とかよく把握できるなと思う。
ここからは気になるところ。
キャラがわらわら出てくるわりに見た目もそんなに差別化されてなくて、漫然と読んでると覚えきれない。
似たような「僕のヒーローアカデミア」は、見た目も分かりやすく違うし、名前が能力とリンクしてたりするから分かりやすいんだけどね。
そのうちディープなファンしかついていけなくなるんじゃないかとちょっと心配。
一回
七つの大罪もそうだけど、男性キャラが女性キャラにセクハラをするシーンを肯定的(? 少なくともあまり否定的には感じなかった)に描くのは何なんだろうか。
飄々としたキャラを描こうとしてるのか?
黒トリガーがそんなに強いなら、なぜ量産しないのか。遺族には名誉と財産をあげることにしたりして量産できたりしそうなもんだけど。
派閥争いがあるからって黒トリガー争奪でいきなりドンパチはじめるのは組織としてどうなのか。
読み込んでいるわけじゃないから既に答えが示されているのもあるかも。
増田家(六)の崩壊は増田島中央部のパワーバランスを一変させた。
増田騎馬軍団を傘下に取り込み、はてな騎兵が一部使えます状態になった増田家(四)の存在に最も危機感を覚えたのは以前から増田家と対立している増田家(五)であった。
彼らは使い慣れた道具である遠交近攻策を用い、増田海側の増田家(三)と密約を結んだ。
海辺の増田家が「今日から毎日港焼こうぜ!」にハゲむ一方で、平野の増田家が陸路増田家に侵攻するのである。
しかも、ねらいは新しく増田家領になった旧増田家領であった。増田家の大軍に包囲された新参家臣の城、増岡城を威信をかけて救うべく、放火の煙がくすぶる港町を背景に増田家(四)当主は出陣した。
だが、それは増田の巧妙な罠だった。当初一万と見積もられていた増田軍は三万もの大兵力であり、後詰め決戦にひきずり出された一万の増田軍は初手から包囲された。
これまでは高度にシステム化された増田軍でも末端部分では補給の問題があり、十分な兵力を前線に送ることができなかった。今回は旧増田領を戦場に選択することで拝金主義の増田家(七)から必要な物資を買い付け、側面からの物資補給で大規模遠征を可能としたのである。増田家(七)の動向次第では補給が滞って破滅しかねない危険な賭だった。だが、増田家(五)当主は増田家が境を接する増田家の巨大化を喜ばないことを察し、賭に勝ったのである。
「してやられたか!」
「敵が逃げるぞ。追え!」
増田家の「イチジクの葉に蜷局蛇」の旗が風にたなびき、追撃戦が開始される。それは、
人馬の足音は百千のいかづちの血に落(つる)かとうたがはれ、剣戟のひらめきけるは電のごとし(梅竹論)
しかし、追撃する増田軍も仇敵を討つ千載一遇の好機に冷静さを欠いた。結果、増田軍の人馬が落としていった物に足を取られ、転倒する者が続出する。
後方で起きている事態に気付いた増田家当主は兵の立て直しを試み、反転攻勢に出た!
前に出過ぎた増田軍の先鋒は乗り崩しを受けて、あえなく討たれる者が続出する。だが、増田軍の反撃は限定的であり、最終的に臭う戦場の支配者になったのは増田軍であった。
死者の間にあったのは腹の中身をぶちまけてから倒れるか、倒れながら腹の中身をぶちまけるか、その程度の違いである。
画竜点睛を欠いたものの戦いは増田家の勝利に終わり、争奪地となっていた旧増田家領の支配権を広げた。だが、もっと大きな利益をあげたのは増田家の港町に一方的に被害を与えた増田家であったかもしれない。
なお、しょうこりもなく増田家(八)が漁夫の利をねらって、増田出羽守指揮下の部隊を東の旧増田領に攻め込ませたが、苦もなく押し返されている。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160530121038
次回
方々からアンチャーテッドでたけどやらないの?と質問されるのでやらない理由を書きますぅ。
まず、アンチャーテッドって時点でもう財宝発掘争奪WINストーリーって分かるから、結局なんだかんだあってそれなりに終わるんでしょ感半端ない。
少年心的には心躍るワンピース感があるのだと思うけど、そういうのは少年ジャンプでおなか一杯ですしもう飽きてますぐふぅ。
ゲーム内での熱いストーリーなんて、松岡修三ぐらいのうっとうしい熱さじゃないと引きがないっすよ。
■主人公強すぎ
だってなんだってこなしちゃうもの。アクション映画の主人公じゃん。強すぎ。死ななすぎ。危ない!って思うときもストーリー上あるかもしれんけど、
アクション物ってだけで、危機一髪はいはい生きてたね感が先に想像付くしその想像裏切らないからもう面白くない。意外性ない。欲しいよ意外性。
要するに、単なるアクション映画がゲームになってるって域をどうしても超えないんすよ。アクション映画そのものすらもうそんなに需要ないんだし。
もっと引き込む、興味汁出まくる奥深くて緻密で想像できないストーリーを頂戴よ。Last of usみたいにさ。
もっとやりがいのある、試行錯誤してなお難しい、思わず天を仰いで絶望してしまうほどの難易度頂戴よ。ダークソウルみたいにさ。
「邦画が面白くない」問題について、色々な論が飛んでいますが、私の考えを述べます。
おおよそ2000年になるまで、くらいと考えるのが妥当でしょう。
その時代はまだまだネット普及率も高くはなく、必要な情報を検索して調べることが
できたのも一握りの人だけで、コミュニケーションツールとしてもまだまだ未成熟だった。
では人々は何を頼りにして映画を見ていたのかといえば、それはTVによる宣伝など
また、映画を評論する映画好きの人達も一定数いて、糞映画を何本も自腹でみては
その中から面白い映画を選りすぐり、評してそれらを参考に一般の人達は映画を見ていた。
広告代理店にしても、面白くない映画を売り出すことは難しいので、企画にまで絡んで
いただろうし、プロの宣伝人と、プロの企画者と、色々とプロな人達が提供するものを
これが良いかどうかは別として、やはりプロの人達が頑張った結果、それなりの水準のある
映画を作ることができていたのだとは思う。これは結果論として。
スマホの普及により、ネットコミュニケーションの闊達が著しくなった。
それと同時に社会情勢も踏まえて、娯楽にお金をかけることに最大のパフォーマンスを得れないといけないという観点が高まってきた。
今までは、そもそも他にどういう選択肢があるのかわからない状況で、TVの宣伝だけをみて、良さそうなところを選ぶ。
この時点で、それなりのプロが選んだフィルタリングがかかっているわけで、それなりの水準のサービスを享受できていた。
しかし、ネットの情報により、選択肢がそもそもたくさんあるということが見えてきた。
だとしても、選択に失敗をしたくないという人が多くいるので、ネットの口コミというのを参考にするというシステムが出来上がった。
当初はこれも、口コミをする人が、正常な大人だけで、よく機能をしていたが、
スマホのおかげで、どこの馬の骨ともわからない有象無象が、勝手な意見をする状況になってしまった。
ネットで話題が、正当な作品の評価によるもので話題なのであればいいが
今あるネットで話題は「シェアしても面白いかどうか」になってしまっている。
絵面が面白いとか、ツッコミどころがあるかとか、そうしたことがシェア要素になってしまって
また、作品を評価する人も単に「つまらん」「おもんない」という一刀両断切り捨てタイプが多くなってしまい
本当の意味で作品を評価できる人よりも、ただ気に食わないから低評価をする人の割合の方が多くなってしまった。
そうした評価をみて、多くの人が作品選びをするので、作品の質とは違った所で
作りて側もそうした、時流をみて、とにかく話題になることを1番に考えて作品を作るわけだし
見る側も、根拠の無い評論をするので、どんどんと場は荒れていくのはしょうがないことだと言える。
負のスパイラルに陥っていることは現状を見ればわかることだ。
・どうすればよいか
そもそも論として、映画を見るのに他人の評価を気にすることが無意味だと思うのだが、
実際の所そうして、安牌を選びたいという人が増えている現状なので、
それではやはり年間何百本と見ているプロに評価をお願いするのが良いのではないかと思う。
ネットの有象無象が作品もなにもかもぐちゃぐちゃにしてしまう世の中で、
「本当に良い物は評価されるはず」みたいな美談はもう成り立たない。
上述した通り、面白い映画をつくるだけでは、話題にならないので、商業的には失敗する、という状況になっているのです。
ネットで話題にならないと、土台に建てないのです。
卵が先か鶏が先かわかりませんが。
自分にとって面白いと思えない作品を見ることで、面白い作品がより際立つというもの。
視聴者側の沸点が低くなりすぎて、すぐに「クソ」とか言っちゃう。
別にいいじゃないか、映画にエンタメ性だけを望んだら、ハリウッド映画以外存在しなくなっちゃうよ。
あれこそ紋切り型でつまらないとも言えるし、露骨な商業路線だという人もいるはずです。
「1800円で2時間過ごせてよかったなぁ」くらいの気持ちで映画見ましょうよ。
一度浜村淳の映画解説を聞いてから、映画を見てみることをおすすめする。
邦画は2000年より以前から既に落ちぶれていた、っていう人の
(俺の中では)くそってなんでも言えるしな。
hobbling 洋画が面白いのはネットが普及してないからか!
↑
こいつアホだなー。
今更と言えば今更、佐藤亜美菜さん(みーなさん)の話がホッテントリ入りしているようで。
話がドラマチック仕立てになっていたとはいえ、みーなさん側の話だった。
総選挙でもそれなりにアベレージがあったし、二次創作でも受けが良い。
さて、彼女にみーなさんが割り振られたのは2014年秋~冬のボイス争奪オーディションでのこと。
これは毎年やっていた総選挙とは別にボイスを付けるための総選挙として開催された。
最有力は塩見周子だと言われていた。
「とりあえず速報」というシンデレラガールズ初期から愛されたまとめサイトが周子Pを公言していたことも要因の一つだろう。
中間発表の模様は絶賛発売中、2nd LIVE「PARTY M@GIC!!」のディスクで確認出来る。買おう。
なお周子はその後の第4回総選挙で1位を取り、ルゥ・ティンさんが担当となった。
「青の一番星」、素晴らしいので聴こう。そして買おう。
最終結果はありすが逆転しての2位だった。
この騒動で唯一、運営のミスと言えなくもないポイントがここにある。
この期間でオーディションが終わるのを短いと考えた人が多かったようで、
まとめサイトに「出来レース」という格好の批判材料を与えることとなった。
発表後2ヶ月ほど間を開ければ話は別だったかもしれない。
P界隈も反応はまちまちだった。
基本的には「橘ありすが好きでいてくれたらいい」という人が大勢を占めていた。私もそう。
それはみーなさんにも伝わっていたのだろう。申し訳なく思う。
そこからアニメ2クール目、2015年8月あたりまで大きな動きはなかった、と思う。うろ覚え。
アニメではプロジェクトクローネとして登場し、喋る機会も多かった。
そして、みーなさんは初期ボイスより上手くなっていた。
自然に橘ありすを演じられるようになっており、努力の片鱗を見せていた。
「in fact」の試聴が始まり、ラジオにもゲストで登場するようになる。
昔のミンゴスっぽい、というのが私の認識だ。語る時の語りっぷりは本当によく似ている。
ラジオに出演することで人柄が分かり、愛されるようになるのはアイマスのいつものことである。
そして3rd Live「シンデレラの舞踏会」が11月末に行われた。
「in fact」は最終ブロック。速水奏=飯田友子さんの「Hotel Moonside」の後の一曲だった。
同じ初ライブ、最終ブロックで、プロジェクトクローネのメンバーとしてアニメでもよく話す間柄だったのだろう。
みーなさんと飯田氏はその後もしばしばペアとして登場し仲の良さを披露してくれる。
(アイマスタジオであったり、デレパの公録「あせかき」であったり)
今後も良い関係でいてほしいと願うばかりだ。
古くは765プロが道を切り開いたように、
田所あずささんが体調を崩しながらも1stのステージに立ったように、
Jupiterがずっと待っていてくれたように。
だから私もそれに応えたい。
そして(傲慢な考えではあるけれど)少しでも支えになれればと思う。
みーなさん、ありすを好きでいてくれてありがとうございます。
http://synodos.jp/society/15869
について、まぁすこし前に流行った弱者男性と同形の議論だよね基本は、そして弱者男性議論と同様に根本的に間違えてる部分がある。
これに対してコメントを見てみると
それ以前に当事者の運動すらないのに、「被抑圧下で権利主張を行うマイノリティ」に対して自分たち以外の権利獲得・保護まで一方的に背負わせるのは無理筋だと思います
LGBTが包含しにくい勢力をLGBTと同等の勢力と多数派が認めればいいだけでは。少数者はひと固まりになるべきてのは押し付けに過ぎない
分かるけど「お前らの運動は思想的に無矛盾じゃないからニセモノ!」って足引っ張るのはやめような。オタクはオタクで頑張れ。共闘はできなくても互いに応援はできるはず
考えてみれば当たり前だ、そもそも論理を貫き通せばそれでOKなら、差別そのものがとっくの昔にこの世にないはずだ。となれば必然、運動は論理を超えた、つまり矛盾を含むことになる。
論理的には山口氏は正解だろう。「性的少数者は守られるべきか?」「多様性は擁護されるべきか?」という直截な疑問にLGBT側の多くの人間は留保を付けずに「YES」と答えられないのではないか。そして留保を付けた途端、この教条の絶対性は揺らぎ、次なる理由を求められることになる「では、なぜLGBTだけが?」「その理由は?」
理由など無い、たまたま自分かあるいは近しいところにその当事者がいたとか、そういう理由ならあるだろうが。論理的な説明は無い。
こうした運動にとってロジックは「根拠」ではなく「道具」に過ぎない、ってことをわかってない。まず第一に「ある特定の差別解消」という恣意的な目標があり、ロジックは都合のいいものだけ後付けされる。そんなことはわかった上で、なのかもしれないが。
なぜ矛盾してもいいのか?
それはそもそも第一の目的が「論理性の追求」などではなく「ある特定の差別解消」だからだ、この目的のもとに、手段の(特に論理的)正当性は言ってしまえばどうでもいい。そもそも論理的であるべき(矛盾すべきでない)とする論理的な理由は無い。それは常に(他の場面でも)戦略的なものだ。
そう、戦略だ。ここに山口氏の主張をベタに受け取る上記の反論の未熟さが伺える。彼らも分かってるはずだ、ここにはコンスタティヴではない、パフォーマティヴな意図が隠されていると。
被差別者は矛盾してもいい、そのことには論理的な正当性すらあるが、一方で戦略的にはよろしくない。大半の人間は馬鹿だから「矛盾してもいい」ことを理解できないし、となると論理的矛盾は論理的ではなく戦略的な足かせになる。
彼らがやるべきは「その言い分は戦略的にまずい」とコンスタティヴに言ってしまうことではなく、山口氏と同様にパフォーマティヴな意味を獲得する論理ゲームに参加することだ。
彼らは勘違いしている。これは「論理的正当性」という称号を賭けたただのゲームなのだ。これを獲得すると「説得力」という全然論理的には役に立たないが戦略的に役立つものが手に入り、逆に負ければ論理的には全く問題ないにもかかわらず戦略的には大きなリスクを負うことになる。
彼らは文章の表層に表れる論理ゲームしか見えていない、その上空で展開されるメタ称号争奪の戦略ゲームが見えていない。彼らは「論理より戦略を考慮しないと」と言うわりに自らの戦略的位置・意味には驚くほど鈍感だ。正しいことを言ってればいいわけじゃない。
論理ゲームの勝敗が戦略ゲームの戦況に影響を与えるということ、この簡単な事実を前提とした意見は残念ながら今のところあまり見られない。
その信用ってのは最終的に生産物=誰かの労働の成果によって払い戻されるだろ?
資産ってのもストックされた生産物(あるいは間接的に、生産物と交換可能な何か)にすぎないんだし。
必要な生産物が労働しないでも誰にでも好きなだけ得られるようになったら貨幣経済は成り立たないんじゃない? 実際、生産物の複製が限りなくタダに近くかつ生産量に上限が無い場合は贈与経済が成立する (エリック・レイモンド参照)。贈与経済で得られる評判は交換不可能だ。
もっとも、たとえ物質的に不足が無くなったとしても、他人のアテンションみたいなものは有限だから、アテンションの争奪でもって交換経済が残るのかもしれないけれど…
「麻生太郎氏による「日本の借金」の解説が超わかりやすい! 「経済をわかってない奴が煽っているだけ」 | ログミー[o_O]」
この記事のブコメが惨憺たる有様だった。
家族の借金だから踏み倒すつもりかとか、金刷ったらハイパーインフレだとか、国債無限に発行して無税国家にしてみろとか。
素朴()な経済観の人多いですね。
まあでも、これは元記事の「家族間の借金」の例えが悪いとも言える。
この酷い例えを、一部の自称経済通は何故かわかり易いと勘違いしてよく引き合いに出すので、誤解が拡大し議論の混乱に拍車がかかるという悪循環が延々続いている。
そこでこの例えを、実態に沿うように拡張してみようと思いました。
話を破綻させないための設定の無理矢理さを見て、いかに筋の悪い例えかを実感してもらう
こと。
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さて、父ちゃんはその借りた金を何に使ってるのか。パチンコか酒か?
実は、増田家の増改築や補修をしたり、熱元機や家族共用車を買ったり、同居のじーさんばーさんに小遣いやったり、家族の医療費払ったりしてる。
そうやって建てたり買ったりしたものは父ちゃん名義になるので、資産という意味では超持ってる。ぶっちぎりで町内一の資産家。
ところで、父ちゃんは町のどこの店に頼んで増改築したり車買ったりしてるのか。
実は、長男が大工、次男が自動車工で、よそにお願いする必要がない。
さらに、増田家は子供が異常に多く、しかも全員がなにかしら手に職を持っている。
そのため、たいていのことはよそにお願いする必要はない。
また、子供たちの間でもお互いに仕事をしては代金を払っており、よそにお願いする必要は少ない。
で、子供たちは、そうやって得た金をどこに預けるのか?町の銀行?
実は、母ちゃんに利子付で預けている。
で、母ちゃんは子供たちから集めた金を、仕事で何かと用入りな子供に貸したり、父ちゃんに貸したりしている。
そもそもの話だが、実はここでいう金は日本円じゃないくて、増田お手伝い券だ。
このお手伝い券は、父ちゃんに頭が上がらないおじさん(父ちゃんの弟)が作って母ちゃんに流している。
お手伝い券は、その気になれば父ちゃんも作っていいことになっている。
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疲れてきたのでとりあえずこんなもんで。カネは基本循環してるけど、経済環境によっては信用を担保に滞留してしまい、そこの額が膨らんで見えるというだけの話なんだよね。
あと、大事なのは「たいていのことはよそにお願いする必要はない」ってところ。
仮におじさんがトチ狂って何京枚も券を発行したり、増田家全員が催眠術にかけられたりして、お手伝い券の信用が毀損したとする。
もちろん短期的には、増田家内は混乱し、酷い損をする奴とか得をする奴が出るだろう。
でも、人材に由来する増田家自体の生産力が毀損されるてるわけではない。モノやサービスを生み出す能力はあるが、その分配ルールが一時的に麻痺するだけだ。
絶対量の少ないモノを争奪するモヒカンどもが跋扈する世紀末にはなりようがない。
結局長い目で見れば、また新たなお手伝い券が作られるし、その価値は増田家全体の供給力に見合った価値水準に落ち着く。
だからハイパーインフレ(ここではすごいインフレ程度の意)なんてのは、デフレ…つまり供給力の余りまくってることの方が深刻な今の日本じゃ、起こすことの方が難しいという話です。