「邦画が面白くない」問題について、色々な論が飛んでいますが、私の考えを述べます。
おおよそ2000年になるまで、くらいと考えるのが妥当でしょう。
その時代はまだまだネット普及率も高くはなく、必要な情報を検索して調べることが
できたのも一握りの人だけで、コミュニケーションツールとしてもまだまだ未成熟だった。
では人々は何を頼りにして映画を見ていたのかといえば、それはTVによる宣伝など
また、映画を評論する映画好きの人達も一定数いて、糞映画を何本も自腹でみては
その中から面白い映画を選りすぐり、評してそれらを参考に一般の人達は映画を見ていた。
広告代理店にしても、面白くない映画を売り出すことは難しいので、企画にまで絡んで
いただろうし、プロの宣伝人と、プロの企画者と、色々とプロな人達が提供するものを
これが良いかどうかは別として、やはりプロの人達が頑張った結果、それなりの水準のある
映画を作ることができていたのだとは思う。これは結果論として。
スマホの普及により、ネットコミュニケーションの闊達が著しくなった。
それと同時に社会情勢も踏まえて、娯楽にお金をかけることに最大のパフォーマンスを得れないといけないという観点が高まってきた。
今までは、そもそも他にどういう選択肢があるのかわからない状況で、TVの宣伝だけをみて、良さそうなところを選ぶ。
この時点で、それなりのプロが選んだフィルタリングがかかっているわけで、それなりの水準のサービスを享受できていた。
しかし、ネットの情報により、選択肢がそもそもたくさんあるということが見えてきた。
だとしても、選択に失敗をしたくないという人が多くいるので、ネットの口コミというのを参考にするというシステムが出来上がった。
当初はこれも、口コミをする人が、正常な大人だけで、よく機能をしていたが、
スマホのおかげで、どこの馬の骨ともわからない有象無象が、勝手な意見をする状況になってしまった。
ネットで話題が、正当な作品の評価によるもので話題なのであればいいが
今あるネットで話題は「シェアしても面白いかどうか」になってしまっている。
絵面が面白いとか、ツッコミどころがあるかとか、そうしたことがシェア要素になってしまって
また、作品を評価する人も単に「つまらん」「おもんない」という一刀両断切り捨てタイプが多くなってしまい
本当の意味で作品を評価できる人よりも、ただ気に食わないから低評価をする人の割合の方が多くなってしまった。
そうした評価をみて、多くの人が作品選びをするので、作品の質とは違った所で
作りて側もそうした、時流をみて、とにかく話題になることを1番に考えて作品を作るわけだし
見る側も、根拠の無い評論をするので、どんどんと場は荒れていくのはしょうがないことだと言える。
負のスパイラルに陥っていることは現状を見ればわかることだ。
・どうすればよいか
そもそも論として、映画を見るのに他人の評価を気にすることが無意味だと思うのだが、
実際の所そうして、安牌を選びたいという人が増えている現状なので、
それではやはり年間何百本と見ているプロに評価をお願いするのが良いのではないかと思う。
ネットの有象無象が作品もなにもかもぐちゃぐちゃにしてしまう世の中で、
「本当に良い物は評価されるはず」みたいな美談はもう成り立たない。
上述した通り、面白い映画をつくるだけでは、話題にならないので、商業的には失敗する、という状況になっているのです。
ネットで話題にならないと、土台に建てないのです。
卵が先か鶏が先かわかりませんが。
自分にとって面白いと思えない作品を見ることで、面白い作品がより際立つというもの。
視聴者側の沸点が低くなりすぎて、すぐに「クソ」とか言っちゃう。
別にいいじゃないか、映画にエンタメ性だけを望んだら、ハリウッド映画以外存在しなくなっちゃうよ。
あれこそ紋切り型でつまらないとも言えるし、露骨な商業路線だという人もいるはずです。
「1800円で2時間過ごせてよかったなぁ」くらいの気持ちで映画見ましょうよ。
一度浜村淳の映画解説を聞いてから、映画を見てみることをおすすめする。
邦画は2000年より以前から既に落ちぶれていた、っていう人の
(俺の中では)くそってなんでも言えるしな。
hobbling 洋画が面白いのはネットが普及してないからか!
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こいつアホだなー。
元増田の考えには別に大きく異論はないんだけど、一点気になったところがある。 主題とほとんど関係ないので反論じゃない。 それは何かというと、インターネット世代の選択肢って結...