はてなキーワード: アメノウズメとは
秩父に縁もゆかりもないのだが、今年の夏、仕事がやたら忙しく、週末になんとなくラビューにのって秩父にいったら、すっかり魅了されて5回も行ってしまった。
秩父のなにがいいかって、都内からちょうどいい距離感で抜けるような空と山と渓流があるところで、駅からちょっと離れたところにある道の駅に入るとポテくまくんの上りが上がっているすぐそばでみそポテトが売っていて、御花畑駅前の駅そばのはなゆうのそばのダシが美味く、長瀞にいくと最高な感じのロープウェイに乗れて、降りると山の中腹の意外と規模の大きい動物園で猿が大騒ぎをしており、秋になると紅葉が美しく、宝登山神社の参道の道の脇に野菜やお風呂に入れる用の柚子が無人販売されてたりして、自然を胸いっぱい摂取した後は西武秩父駅前の祭り湯で都内に帰る最終のラビューが出る21時ギリギリまで風呂に入れて色々最高なのである。
参拝すると人生が変わるとまで噂の三峯神社は最近やたら人気で、秩父市内からは結構遠い上に、山の上の駐車場に参拝者の車が入りきらずに2時間の駐車場渋滞が発生したりするのでちょっと注意だ。
秩父はこういった観光資源と生活の場があんまり明確に分かれてなく、観光地にありがちな緊張感があんまりないのがいい。
神社もロープウェイも温泉も、そこにいくまでの特急も、実のところ箱根にあるし、よりちゃんと観光地然としてるのはなんだったら箱根で、秩父はちょっとユルいのだが、そのユルさがいいのだ。
箱根は海外でも有名で、最近は外国人観光客でいっぱいなんだが、そこいくと秩父は欧米の外国人にはあまり知名度がないらしく、たまに台湾や韓国から見た人を見かけるくらいで呑気なものだ。
秩父は生活の場というのもあって、土地に「秩父LOVE」的な空気が流れており、それも心地いい。
秩父夜祭を見てきて興奮冷めやらなかったので秩父について書いた。
朝おきて夜祭と昨夜秩父土産で買ってお風呂に入れてゆず湯にした路上販売のゆずの香りを思い出しながら、ささっと書いたエントリーがバズっててびっくりした。
嬉しい。
書くきっかけの夜祭についてちょっと書くと、ブコメで紹介した人の言うとおり、秩父夜祭は日本三大曳山まつりの一つで、昼に出発した山車が町内を周り、夜の帷が降りた後も、冬の花火が上がる空の下で男衆や女性の引手がボンボリの赤い光で照らされた山車を引き廻す。
2日の宵祭に行った時には秩父神社で神楽が奉納されていて、演目は日本神話で最も有名なエピソードの一つである天の岩扉開きでなんかラッキーだった。
演目のクライマックスのアメノウズメの踊りは神話に忠実にやると結構凄い事になってしまうんで、そこは榊をもってバタバタするコミカルな表現になっていたりした。
で、山車の方なんだけど、夜になると照らされるボンボリの光源はLEDとかでは無く、トラディショナルな蝋燭で、そういうモノとはいえすげーなと思った。
圧倒されたのが山車の方向転換で、秩父夜祭の山車には車輪に方向転換できるような舵がない。
なので、ゆるいカーブは大回りに曲がるけど、90度の方向転換が大仕事になってくる。
これをどうするのかというと、山車の側面に備え付けてある角材を抜いて、山車の底面にかまして、そこに20人ほどの男衆がぶら下がってテコの原理で持ち上げて、下部に方向転換用の軸を入れて水平に回すという「ギリ廻し」で山車を回す。
これが見もので、2階建ての家屋ほどある木造の山車に角材突っ込んで上げるもんだから、乗っかった男たちが掛け声を上げる中、「ギギギ」とちょっと心配なるようなすごい軋み音を上げて山車が持ち上がるのだ。
この「ギリ廻し」は動画でも見られるし、実物を見たい人は来年12月に秩父に行ってみてほしい。
読んでくれてありがと!
「すずめの戸締まり」観ましたけど、わからないところがたくさんあるので教えてほしい。筆者は難癖増田ではなく、不明点を解消したい増田です。こんなこと記名で書いたら叩かれるから、増田にしか書けないのです。
<<以下ネタバレ注意>>
⇒和魂として長年信仰されていた神が、信仰を忘れたことにより荒魂と転じた? 巫覡(シャーマン)のすずめを気に入り、邪魔者である男を祟った? そもそもなんでネコのかたちを取るのだろう?
⇒人身御供として捧げられたものが神と転じた可能性あり? ネコの神様はマイナーなだけで先行事例がないわけじゃないし。
・あんな自宅のカギ以下のペラペラなカギで、タタリ(みみずのことです)が漏れ出すようなヤバい扉閉められるの? 神器でもなんでもなさそうなのに。カギの救急車あたりに大金積んで、もっと立派なやつをつくってもらったほうがマシでは? カギの救急車がイヤなら伊勢神宮でもいいよ! あそこなら建物だけじゃなく道具も定期更新を行っているから、ノウハウ貯まってるよ!
あの白衣はりかけいのおことである証なの? 神主の資格が取れる國學院大學か皇學館大学であたりで修行して、もっと装備を調えたほうがよくない? 劇中でもケガしてたし、腕にシルバーでも巻いてみたらどう?
・主人公のすずめは天の岩屋戸説話に登場するアメノウズメから名前を取られたらしいけど、やってることは天手力男のほうでは? センシティブ極まりない踊りをするほうではなく、力ずくで天の岩屋戸の戸をこじ開けた天手力男のほうが主人公の名の由来にピッタリとあてはまるんじゃないかしら。
⇒このことは企画会議中に指摘がなきゃおかしいけど、そのまま通った理由がわからないし、知りたい。タイトル変わっちゃうけど。
・すずめは映画のラストで常世に行く。常世といえば大国主神と国造りを行ったスクナヒコナがお隠れになった場所でもあるけど、あんなに燃えててOKなの? スクナヒコナ死んじゃうよ?
⇒常世は映画独自の解釈かも。地名(?)が同じだけで、Apple Store 銀座があるほうの銀座と戸越銀座ぐらい違うとか。燃えてる銀座はヤダなあ。
古事記の時代、アメノウズメがストリップをしてもそれはエロではなく笑いだった。たぶんそのへんがおおらかだったので、エロと見なさなかった。
人はだんだん衣服を着るようになる。平安時代、女は何重にも服を着て素肌なんてほとんど見えず、そもそも人前にはめったに姿を現さなかった。よって、男はその評判や歌の上手さ、声の良さ、なんなら後姿だけで欲情できた。
着物がもっと軽くなった江戸時代、歩いてるときに足がすそからチラっと見えるのがたまらなかったらしい。うなじとか、わずかに見える素肌へも熱い視線が注がれた。お尻や足の長さがポイントだったので「小股の切れ上がったいい女」なんて言葉があったり、厚底下駄が流行ったりした。一方で、授乳なんかでおっぱいはよくポロリしてたから、別段どうでもよかったらしい。春絵でも上は着物を着たまんまだったりする。
海外でも、19世紀ヨーロッパの娼婦はスカートが長かったから、靴下が見えるだけで十分なアピールになったそうだ。素人じゃなくてプロでそれ。
つまり、人間は隠されたところにエロを感じるのだ。もうこれは色んな人が言い続けているが、まったくそのとおりだと思う。
そして、僕は今20代前半だ。
ぼんやりと異性に興味を持った段階で、美女の裸が、もう毛穴までという高画質で見えた。
需要と供給で、どんどんそれでは満足できなくなる受け手に対して、もっと過激に、もっと丸見えに、情報は流れ続けた。
昔のほうが過激だったって言うけど、ネットはない。手軽さ、意図しないでも目に入ってしまう率がぜんぜん違う。
無法地帯なネットではない、少年誌だって第一話からクッキリのパンチラ(じゃない、もうパンモロ)があたりまえだし、胸の形も露骨な絵が多い。
グラビアはお姉さんが少なく、ロリっぽいアイドルが多くて、タブー感もない。二次もロリが当たり前でいいもの。他の選択肢はほとんどない(もっと深くエロマンガを探せば嗜好にあわせていろいろあるんだろうけど、さらっと最初に触れる範囲で)
ちょっとまとめサイトでも見れば、スマホの広告はエロマンガばっかりで、全裸の女の子が汁まみれでアヘ顔をしている。
物心ついたらもうこうだったのだ。いまさら、初々しいトキメキなんて、ない。
いきなり生々しいものを見せられた。女の子なんて洋服の下はこんなものと思わされ「女の子」じゃなくて「おっぱいとおしりがついてるいいもの」みたいなかんじ。
そして大多数の一般の女の子はここまでイイ体してない。当たり前だけど。それに、作られた女の子(2次元も3次元も)みたいに、こんなに都合よくはしてくれない。
作っていたりずっと見ているおじさんたちには段階を経てエスカレートした結果でも、僕たちには初めてのものだったんだ。
欲情じゃなくて恋がしたかった。
でも見ちゃうんだよな。