はてなキーワード: 国公立大学とは
常に職探し。〇レックイ〇をチェックしない日はない。
公募に応募。任期なしの仕事があってもぴったりという条件のものはなかなか出ない。出るのはおそらく数年に一度。タイミングがうまく合わないと移動したばかりだったりしてそれすら逃してしまう。
5年ぐらいの任期付きのはまだ採用されやすい。でも毎回、応募の書類揃えるのも大変。激務の主人の代わりに書類チェック、書類を郵便局に出しに行く。
次の仕事が決まるまでは迫って来る任期を意識しない日はない。任期満了に怯える日々。
新しい仕事が決まっても引っ越し代は満額出ない。ぼろぼろのお化け屋敷のような官舎は数年待ちの状態で空きがないことも多く、賃貸住宅を借りることになる。
しかし敷金とか礼金は自腹。家賃補助も夫のお小遣い程度の額。引っ越し代も最低額しか出ないので春に引っ越したら大赤字。転勤先で知り合った企業様の転勤族との待遇の違いに驚愕する毎日。
引っ越し代も家賃補助も満額で近い金額が出るなんて夢のよう。一方のこちらは転勤に伴う定期的な引っ越し代の出費に怯える日々。
子どもが小さかった頃はもちろんワンオペ育児。そして子どもがある程度育った今は転勤先のよく知らない土地のよく知らないコミュニティに積極的に入っていかなければならない。
子どもが疎外感を感じないようにいじめられないように、学校や地域の活動には積極的に参加するようにしている。
でも本音はもうフルタイムで自分の仕事を持って働きたい。だって引っ越し代がかかるから。自分の年齢が再就職が難しい年齢に差し掛かっているから。
でも近くに頼れる人は誰もいないし、子どもが小学生になってようやく働けるようになった今も休みやすくて辞めやすいパートの仕事をするのがやっと。
そろそろ落ち着きたい。家を買わないとこのままやどかりみたいな生活で定年を迎えて困ることになりそう。でも計算してみたら、夫単身赴任で世帯分離できるだけの収入があるかどうかあやしい。少なくとも自分がフルタイムで働かないと世帯分離できなさそう。
国公立の大学で任期付きの研究職を転々としてる教員の家族はこんな感じです。食べられているだけましなのかな、というレベルで、この先任期なしの仕事にありつけるまでこのままだと思われる。
数年前に国公立大学で無利子奨学金、授業料免除を全額とか半額とか受けて祖父母に支払ってもらって卒業した。
下宿は親せきの家で、家賃25000円で置いてもらって、かなり恵まれていた。
父親とは縁を切ろうとして家を出たのに、奨学金も授業料免除も、親の証明がいる。
祖母が父親と交渉してくれたけど、それはもう毎回、戦争だった。
社会的にクズだからか、不満の当てつけか、書類が遅れることはいつものことで、何度、学生課に頭を下げたかわからない。
父親が自営業で、実質経営破たんしていたから助かったけど、下手に収入あったら困ってただろうって思う。
それでも、こんなのマシだ。
毒親を想定しない制度の多さ - T.が過去を振り返る http://t-ritama.hatenablog.com/entry/2016/06/03/113152
自分が国公立大学に入って驚いたのは、お金に余裕はなくても、親がちゃんといる、ちゃんとした教育を受けている子が圧倒的に多いことだった。
そりゃそうだ、入る段階で、選別されているんだから。
自分は運が良かった、と本当に思う。
堀茂樹教授「どちらかといえば金銭的&文化的に恵まれた若者達の組織」に対する反応と奥田君の苦悩 - Togetter https://togetter.com/li/921944 @togetter_jpさんから
自分も、授業料免除の度に、何の苦労もない人が羨ましくて仕方なかった。
目の前が真っ暗にならなかったのは、大学での友人の存在と、今は夫になる人がいたからだ。
夫は、親が継父でお金を出してもらえず授業料免除は却下され、奨学金を借りて毎日8時間アルバイトをして、大学の講義にも出て、ちゃんと卒業した。
友人は、バイトしたお金を自由に使って遊んでいるし、貯金もある。
そんな格差を目の前で見せつけられた、高校を卒業したばかりの若者が耐えられるか、と思うのだ。
今も、日本は、こうして、呪いを貯めこむ学生を増やしているんだろう。
自分も、その一人だ。
でも、これで救われるのは、自分じゃないのだ、と気付いて、気が重くなってしまった。
あの時の、自分のつらさを、他人にも味わってもらわないと平等じゃない、と考えてしまうようになってしまった。
社会人になって数年。
大学の時は、これから働いて豊かになるぞ、人生、楽しもう、と思ってた。
だけど、身体を壊してしまって働けなくなって、夫に収入は頼り切りだし、明るくて楽観的だった夫も、残業続きで疲弊している。
高度プロフェッショナル制度も通ってしまったし、夫の会社が、この制度を悪用しないことを祈るばかりだ。
他人がちょっとでも幸せそうにしていると、妬むようになってしまった。
それを、国公立の授業料免除の改善ニュースで、気付いてしまった。
これからも、他人を妬みながら、くらすようになっていくんだろうか。
それは怖くて自分に失望する未来だ。そんな時期もあったなと思って無邪気に笑える未来は来るだろうか。
きっともう、どうしようもない。ただ流れに身を任せるしかないんだろうな。
受かりそうな国公立大学を選んで、隣の県へ進学した。中国地方の田舎だ。
家賃は3万5000円。高校生の頃にお母さんと下見に行って「安くて大学に近いからここにしなさい」と決められた。
入居してみると壁が薄くて、隣の部屋に住んでる男の子のギターの音がやかましい。
だけど夜23時以降は静かだし、友達もいなそうだから許してる。
高校生の時は、何となく弁護士になりたかった。ガッキーの出てたドラマの影響である。
本当は法学部に行きたかったけど、学力が足らなくて文学部に入った。
4月に「とりあえず友達」になった女の子に誘われて入ったサークルは、6月には行かなくなった。
あとはバイトで余裕だと思ってたけど、意外とキツイ。まず高校生の頃よりお金がかかる。
服も買わないといけないし、大学の付き合いもある。
店長が厳しいし、シフト週6で入れられるし、辛くて6月に辞めた。
時給が高さにつられて始めた学習塾のアルバイトは、週2なので何とか1年続いている。
クラウドワークスに登録して、くだらないネットニュースを書く在宅ワークも半年以上している。
何のやりがいもないので、適当にやってる。5記事書いて3000円。安い。
高校時代からずっとやってるブログに広告を貼るようになり、最近ようやく月3000~5000円(笑)稼げるようになった。
バイト代と在宅ワークを合わせて月6万。授業がない春休み・夏休みは日雇いをやって稼ぐ。
ギリギリだけど、これ以上バイトするのは無理。しんどい。授業だって真面目に出てる。
楽して稼ぎたいと思い、友達に誘われてキャバクラの体験入店に行ってみたけど、体験入店で1日だけ働いて断った。
塾のバイトは楽しくなってきた。ボランティアでフリースクールの子どもに勉強も教えている。
親には「学校の先生になったら?」って言われるけど、あんなに忙しくてストレスのかかる仕事はないと思う。
自分の時間がないのは耐えられない。会社で正社員で会社で働くのも大変そうだ。
卒業したら非正規雇用で塾かデイサービスで働きつつ、自宅で副業をしたら生活できるんじゃないかと思ってる。
この計画を親に話したら、呆れられた。
休日はブログ書いたり、Twitterやったり、5ちゃんに書き込んだり、youtube観たり、AbemaTVを観たり、はてな匿名読んだり、Amazonプライムを観たり、ヤフコメで喧嘩したり、図書館で借りた本を読んだり、スピッツのCDを聴きながら家事をしてすごす(料理は嫌い)
お金はほしいけど、しんどい思いして働きたくないし、それなら自由な時間があって節約生活する方がマシだし、だけどやっぱりお金はほしい。
もしお金持ちになったら、まずコンタクトレンズをワンデイにしたいし、激安スーパーの割引の総菜じゃなくてデパートの総菜が食べたいし、冬でもスイカとかイチゴを買って食べたい。あと追い炊きができる浴槽のついたマンションに住みたい。
おおたとしまさ氏という、中学受験を中心とした評論家がいる。自身は麻布中高という名門私立中高一貫校出身であることもあって、私立中学受験市場のマスメディアに多く登場するが、専門外の記事になると、的外れで、唖然とするような記事を多く書く。
4月13日、高校受験に携わるものとしては看過できないような記事を見かけたので、掲載しておく。まずは読んでほしい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20180413-00083769/
おおたとしまさ氏は、中学受験しか精査して調べていないことが丸わかりな記事である。お願いだから、高校受験について何も知らない素人が、こういうデタラメ記事を、一般大衆を煽るかたちで書かないでいただきたい。
どうせトップ都立高に入れないのであれば、中学受験をしたほうがいい、あるいは私立高校に行ったほうがいいという判断が働くのも無理はない 【記事より引用】
上記記事をご覧になったうえで、おおたとしまさ氏の脳内思考はこうである。「都立高校がいくつも定員割れを起こした」⇒「日比谷や西といった都立トップ進学校の人気が落ちたのだろう」→「都立上位校といえども、中学受験の中堅校の同程度の進学実績だから、私立高校に進学する生徒が増えた」
果たして、本当にそうなのだろうか。都内高校入試最大の母体を持つVもぎの合格基準を用いて、過去3年間分の都立高校普通科のランク別の受験者数と実施率倍率の推移を書いてみる。
●男子
Aランク 1398人→1327人→1427人 (1.66→1.57→1.69倍) ↑
Bランク 944人→917人→947人 (1.37→1.42→1.46倍) ↑
Cランク 2863人→2934人→3000人 (1.53→1.55→1.64倍) ↑
Dランク 2911人→2902人→2967人 (1.53→1.53→1.59倍) ↑
Eランク 4403人→4389人→4107人 (1.45→1.46→1.37倍) ↓
Fランク 3667人→3858人→3332人 (1.28倍→1.33倍→1.18倍)↓↓
都立高校の合格に必要な偏差値をAランクからFランクに分けた。Aが難関校、Bが上位校、C・Dが中堅校、Eが下位校、Fが課題集中校となる。見ての通り、A~Dランクまでは、3年間のうちで2018年度が最も受検者数が多く、倍率も高かった。つまり、都立高校のうちのトップ校から、多くを占める中堅校のC~Dランクまでは、人気の上昇は継続している。
おおたとしまさ氏は、なぜかAランクやBランクの進学校の話ばかりしている。きっと、私立中高一貫校の専門家であり、難関校の取材ばかりしているから、EランクやFランクの学校をよく知らないのだろう。都立高校の定員割れの話をする際に、今年も人気が上昇した都立上位校の話をするのは、リサーチ不足と言わざるを得ない。
おおたとしまさ氏は、「学区を撤廃して、日比谷のような一部の超トップ校に難関大学合格者が集中しただけ」と語っているが、おそらく、何も分析せずに印象だけで語っている。実際にはまったく異なる。都立高校改革で、2番手や3番手の学校の大学合格実績も大きく伸びている。おおたとしまさ氏は、まず以下の都立2~3番手校の大学合格実績を10年前と比較されたい。
小山台、駒場、三田、竹早、小松川、豊多摩、大泉、富士、三鷹、武蔵野北、小金井北、調布北、町田、日野台、調布北、昭和
これらの学校は、都教委肝いりの進学指導重点校ではない。ところが、軒並み大学合格実績が伸びている。特に、国公立大学の合格者総数は、激増といっていいほど増えている。あなたのおっしゃる通り、都立高校生は、国公立大学志向が強いので、同じ表を、国公立大学の合格率で計算したい。
都立高校改革が、当初は「一部のトップ校だけに高学力の生徒が集中して、ほかの都立進学校が地盤沈下する」と危惧されていたのは事実だ。2000年代初頭ぐらいには、多くの方々がそう語っていた。ところが、都立高校間で進学指導のノウハウを蓄積した結果、都立高校全体での指導力が高まり、結果としては、都立進学校全体が伸びた。2000年代前半に都立全体で東大に50人台しか合格しなかったのが、2017年は改革以後最多となる170人半ばを突破してた。参考までに、東京都内の私立高校、都立高校全体が、2012年から2017年の5年間でどれだけ大学合格実績が伸びたかを調べたので、掲載しておく。
都立高校 +892人 (115%)
私立高校 -489人 (97%)
●難関国立大(東大・京大・一橋大+東工大+旧帝大+東京医科歯科大)
都立高校 +81人 (136%)
おおたとしまさ氏の指摘する「特定校への集中」は、実は、氏の支持する私立中高一貫校の方が顕著かもしれない。
おおたとしまさ氏の最後の発言は、もはや教育ジャーナリストという肩書を返上してほしいと思わせる大暴言だ。
難関大学合格の可能性の観点から言えば、もしも世田谷学園を切り捨てたのであれば、日比谷や西に合格できない限りその選択は失敗だったことになり、同様に、田園調布学園や獨協を切り捨てた場合、駒場や小山台に合格しても失敗だったということになります【記事より引用】
おおたとしまさ氏のこの発言が暴言であるのには二つ理由がある。
第一に、データが滅茶苦茶であるということだ。おおたとしまさ氏曰く、難関大合格の観点からすると、「独協を切り捨てた場合、小山台に合格しても失敗」らしい。だが、この感覚は、一般人の感覚とは相当ずれていると言わざるを得ない。
独協 国公立大 12人 (うち現役合格5人) ※卒業生数約200人
小山台 国公立大 115人 (うち現役合格92人) ※卒業生数約300人
単純に比べて、どちらの方が進学実績が優れているかといえば、独協高校には本当に申し訳ないのだが、どう考えても、小山台高校の方が格上と言わざるを得ない。東大+京大+東工大+一橋大の指標も、小山台が5人(全員現役)、独協が1人(浪人)だ。
それなのに、恣意的なデータを用いて「独協を切り捨てたら小山台合格でも失敗」とサラッと言ってしまう感覚が恐ろしい。そしてそれを、教育ジャーナリストという肩書で全国配信してしまうのだ。
第二に、これは単純に、その高校に通っている生徒に失礼ということだ。「小山台高校に合格しても失敗」「駒場高校に合格しても失敗」なんてことを、何度も言うが、教育ジャーナリストと名乗っている人間が全国配信している。しかも、具体的な都立高校名を挙げて。
おおたとしまさ氏は、ぜひともこの調子で、中学受験の子を持つ保護者に、逆のことを言ってほしい。
「日比谷高校より東大合格者数の少ない私立中高一貫校に通っている生徒は、合格しても失敗」
「都立国立高校よりも東大合格者数が少ない桐朋中に通っている生徒は、合格しても失敗」
「都立西高校よりも東大合格者数が少ない国学院久我山中に通っている生徒は、合格しても失敗」
「南多摩中等よりも東大合格者数が少ない穎明館中に通っている生徒は、合格しても失敗」
おおたとしまさ氏の都立高校に関する記事が、まったくもって不正確であることを指摘した。最悪なことに、全国配信されているので、この記事を読んだ一般の方々が「なるほど。都立高校定員割れは、学力優秀層が都立進学校から私立高校へ流れたことが原因か」と誤解してしまう恐れがある。
今回の事象について、日経新聞では、さすがと言いうか、冷静で精緻な分析を記事にしている。つまり、中堅校以上、偏差値でいうと50以上の都立高校にはほとんど影響はなく、それどころか、大学合格実績の伸長によって、ますます都立高校人気が高まる結果となった。一方で、偏差値30台の課題集中校や、商業科、工業科の人気が極端に下がり、私立高校に流れたと。
私立高校無償化政策による都立高校定員割れについて、我々が考えるべき最大の問題は、都立の商業高校や工業高校を、このまま不人気ということで廃校にしてしまっても良いのかということだ。今の若い子達には、なかなか商業高校や工業高校の良さは伝わらない。嫌な言い方をするが、商業高校や工業高校へ行くぐらいなら、私立高校からFランクであっても大学へ進学させたいという家庭が多い。しかし、都立の商業高校や工業高校は、長い伝統の中で実習教育に長けていて、高卒の大切な人材供給の源。これをなくすことは、結果としては、国にとって損失ではないか?そういう議論などをしていかなければならないと思う。
おおたとしまさ氏も、そこに着目して、「都立高校の定員割れは、商業高校や工業高校が見捨てられて、私立高校に流れたからだ」という論調で書いていれば、的を射た記事になっていただろうに……。
お願いだから、少なくとも「教育」ジャーナリストと名乗るからには、そういった学校にも目を向けて、足を運び、たくさん取材をしたうえで、この、「都立高校定員割れ」という国レベルでの大きな問題に提起する記事を、ぜひ全国配信してほしい。
男
26歳
既婚
メーカーとか言ったけど最近色々悪事がバレてたくさんニュースになった会社のひとつ。
そこで4月から働いてる。入社して半年は研修と実習で実務に入ったのは10月から。
ただ、とにかく仕事ができない。基本的な内容もよくわかってない。
人のせいにするのは簡単だし、とにかく自分のおもっていることをつらつら書く。
まず先輩がポンコツっぽい。先輩に言われた通りにやって、これで課長に説明してきてと言われて説明したらどういうこと?これはなんで?どういう理屈?の嵐。
答えに詰まってたらたまらず課長が先輩呼んで、おんなじ質問したら先輩もだんまり。実務始まって1か月はそれの繰り返しだった。
だいたい月の中でやる仕事のルーチンが決まってるんだけど、そのたんびにこの繰り返し。
毎日の報告も月の報告もそう。なんとなくわかってきて自分で準備しても突っ込まれたら前と一緒。答えらえない。
どうしたらいいと思う?とか聞かれても知るかいなどうにもできんって思ってるからなんにもできてないんんじゃ。
他の細かい仕事(資材を買う雑務とか書類作成とか)も先輩にきいてもダーッと喋ってはいこんな感じやってみて、で終わり。もちろんわかんないから何回も聞く。
そんで前聞いたことも覚えてなくておんなじこと聞いて呆れた顔される。
3か月くらいしてなんとかルーチンワークはこなせるようになった気がしたけど、求められるレベルには達してないし、結局報告会が迫ってきて時間切れタイムオーバーで終わるばっか。
ぜんっぜんなんにもできてないし、成長していない。
朝から怒られるし、一度おこられるとその日一日相談したくてもなかなか課長のデスクまでいけない。体が動かない。俺はメンタルが弱すぎる。
これでも学生のころはそこそこできた。第一志望の大学には現役浪人どちらもおちて、そこそこの国公立大学に入り、大学院へ行き、学会に出て賞をもらい、奨学金も全額免除になった。
でも今おもえば、先輩がめちゃくちゃ優秀で、その恩恵にあずかってただけのような気がする。
結局自分はそこまですごくない、むしろ全くすごくない。できないダメ人間だったのだ。
今は仕事もろくにできないし、それでもたくさん仕事は舞い込んでやらなきゃいけないことが増える。片づけようにも一つ一つに時間がかかり、自分ではどこまでやればよいのかも判断できない。毎月同じことを繰り返して同じことで怒られて同じような末路をたどって次の月が始まる。それが10月から今日までつづいてきたし、これからも続く気がする。
なにをやってもできないし、何を言われても理解できない。理解が何か、理解してるってどういうことなのかもわからなくなってきた。何ができるようになったのか、全く分からないし、何ができればできるようになったと言えるのかもわからない。
ルーチンワークのほかに工場の改善業務も与えられている。生産量をあげるためにコレコレを改善しましょう、そのために調査もしましょう、みたいな。
それを毎週同じ課で進捗報告するんだけど、俺だけ何にも出来てない。8個案件があって、よくて週に半分しか手をつけられていない。
月末には部長に報告するんだけど、それも全然進んでない。案件によっては12月から進んでいないものもある。
他の人はちゃんとすすめられてるのに、俺だけなんにもできてない。もうどうすればいいのかもわからなくなった。自分で締切を決めて、1個1個つぶしていくんだとかアドバイスにもならんアドバイスもらって、はいすいませんわかりました進めますしか言えない。もう疲れ果てた。なんでこんなに仕事できないんだろうか。もうなにがなんだかわからん。
そんな中、4月から先輩が他部署へ異動する。今の工場は俺一人で管理することになる。
さらに、先輩は大型設備投資案件をやっていたがそれは自然と俺にスライドしてくることになる。
今ですら何もできていないのに、俺にそれまでやれというのか。何とかなると思っているのか。
野球の大事な場面で、全く使えないポンコツピッチャーがマウンドに上がってきたらどう思うか。期待なんてできないし、結果は目に見えてる。監督は経験を積ませたいとかいうのかもしれないけど、できなかったらできなかったでまた怒られるだけだ。ポンコツピッチャーには2軍での調整が必要なんじゃないのか。なんで俺にそんなことをやらせるんだ。
もうしんどい。疲れた。何もできない事実だけが広がっている。俺には何もできなかった。
これまで何度か、もう少しやれるかな、とか思った。でも無理だ。もう何にもできそうにない。
今日も朝から怒られて、課長から、何回も言うけどな、これはこういう考え方で~でお説教された。
社会に入ったら、社会人になったらみんなこんなもんなんだろうか。
俺だけメンタルがクソ弱くて、俺だけこんなにできないだけなんだろうか。
それともみんなもっとしんどい世界で生きていて、俺が甘ちゃんなだけなんだろうか。
俺は社会を全うに生きていけない人間なんじゃないか。俺はそこそこの大学を出ただけで、本質は社会に出ちゃいけない人間だったんじゃないか。
めたくそに怒られると後頭部がぼーっとしてくる。実務に入って怒られるようになってからしょっちゅうなるやつだ。
解放されて、トイレに逃げて、窓から飛べばすべて楽になるのかな、3階だから死にはしないだろうけど自殺未遂って事実は残るから同情されて仕事が減ったりしないだろうか、と考える。
会社やめて転職しようにもそんな自信は全くない。どこいっても同じだろうな、転職して今の会社の方がよっぽどマシだったなとか思うんだろうなとか考える。
残業時間も月45時間以内に抑えるし、無理やり100時間を超えるようなこともないし残業を強制する風潮もない。残業代も満額でる。
今の時代、それだけで恵まれてるんじゃないか、そこそこ名前のある会社に勤められて、待遇面・給与面・精神面全てが転職して楽になるとは思えない。
4月を迎えたくない。死ぬしかないのか。逃げるしかないのか。もうどうしようもない。
つらつら書きたいことはこんなことだったんだろうか。違う気もするけど、そもそも書きたいことなんて決まってない。
ちなみに会社の寮に住んでるんだが、その寮も3階である。でも会社の3階よりちょっと高そうだから、ここから落ちるのは痛そうだし嫌だな。
大学に落ちた。
と言ってもあまり悲観的になったりはせず他人事のように「そりゃそうだわな」としか思わなかった。ちょっと悲しくて1分泣いたけどその程度。周りの友達が続々と難関国公立大学に合格したとのつぶやきを見た時は流石にマジ泣きしそうだったけど耐えた。「現役で国公立合格とかすげえ、やべえ」って母に言って「なんでそんなひとごとなの」と苦笑された。他人の合否はマジで私の人生となんの関係もないし素直におめでとうの気持ち(嫌いな奴が合格してたのは腹たった。人間なので)でいっぱいです。合格した皆さんおめでとうね。
こんなに不合格をスッキリ受け止められるのはこの1年間全くと言っていいほど勉強していなかったから。全くと言っていいほどは0ではないけど受験生としては論外レベル。毎日1日10時間は勉強してる人とかいっぱい居たけどなんか自分はそれができなかった。夏になったら出来るかなと思ってたけど出来なかったし、秋になっても冬になってもセンター一週間前になっても、二次試験前日になってもできなかった。夏頃からあれ?って思った。秋には狂い始めた。私は6年前の中学受験を最後にのんびり中高一貫で大した試練もなく過ごしてきたくせに、なまじまあまあ良い学校に入ってしまったがために「いざとなったら私だって出来る」と根拠のない自信でいっぱいだった。本当に根拠がなかったのだ。いつか出来るいつかっていつかは自分が作るものだって気づいてからも出来なかった。通ってた塾のひとりの社員は私の性格に気づいたらしく、そいつじゃ無い人と面談した時にアドバイスのコピーが置いてあってこっそり見てみたら「恐ろしくプライドが高いので気をつけて笑」って書いててもうなんか泣いたし辛かった。事実やったし。そういうことを理由にして塾にも行きたくなくて、なんとなく勉強したくなくて、もうそんな感じ。この1年間、自分が人間として終わりだと思って、でも努力もできなくて、やばかった。今まで頑張らない人を心から蔑んできたけど、もしかしたら彼ら彼女らも私と同じように「頑張れない人」なのかもしれないと思った。そんで勉強してない代わりに色々なマイノリティーのこととか調べて記事読んで自分で言うのも何だけど寛容な考え方を身につけた。これは悪いことではなかったけど高三にやることでは無いよな。逃げよな。ってまたしんどくなって悪循環。よくよく思い出せば、6年前だって勉強に打ち込んでたわけではなかった。勉強しないと勉強しないとって思いながら母に隠れて漫画読んでたし。謎の自信を抱えたまま母も諦め気味で受けてたまたま通った。その偶然を偶然と理解していなかっただけでわたしは今も昔も成長せずにクズだった。初夏、担任の先生に相談したらカウンセリングを勧められたけどまだその頃は認めたくなくて、自分が「普通じゃ無いかもしれない(その頃私は普通というものの存在を信じていた)」ことを認めるのが怖くて、断った。今思えば受けてればよかったのかもしれない。助けてくれるかなと思って、秋頃母に泣きついたら「この子は頭がおかしいのか」という反応をされスルーされたり、「発達障害かもしれない」と言ったら職場の人間関係がうまくいかず去年に鬱の診断を受けた母は「私こそ」と職場の愚痴を聞かされたりして諦めた。母も父も過剰に私を褒めたりする様子から見ると「出来損ないの娘」を認めたく無いのだと思う。両親ともに一浪してるけど真面目で、勉強ができないことに悩んでた時も淡々とやれとしか言われなかったし(当たり前なんだけど私にはそれができない)私とは違う人たちだ。あと2人ともかなり差別意識が強い人たちなので発達障害だってわかっても多分受け入れてくれない。「逃げ」だとブチ切れられるだろうな笑 なぜ親なのに理解しようとしてくれないのかと(親は子供を産んだ時点で子供に対しては誠実であるよう努力してほしいという幻想があった)怒り狂ったが、今考えればそりゃそうだよな。自分の娘が「自分的にダメな人種」だったなんて認めたく無いよな。ごめんな。生まれてきて。申し訳ないけど、私は生きたいし人生楽しみたいからまだまだ金をかけさせる。ごめんな本当に。多分私は発達障害でもなんでもなくて普通にメンタルの弱いクズなのだろう。だからこれからも病院にもカウンセリングにも行かないつもりだし、予備校に毎日通って勉強の習慣をつけて努力することを覚えたいと思う。私の欠点は他の誰でもなく私の責任だし、誰かに責任を押し付けたくない。自分の人生には自分でけじめをつけたい。ただ親がどうであれちゃんとできない自分は存在してて、色々悲しいけど私だけは私自身を肯定しなきゃと思うし。こういうポジティブだから受験向いてないんだろうけど肯定しないと死んじゃうから自分に優しく頑張ります。
書きながらめっちゃ泣いてスッキリした。自分のことは発達障害だろうがなんだろうが結構好きだから結局親の悪口書きたいだけだった。育ててもらったことの感謝と人格の評価は別問題だからなー。私の嫌いなものは単純に悪なので、はい。親にどう思われようと生まれてきた瞬間から他人同士なので気にしないようにしよう。あと数十年したら死ぬしな。私は生きよう!
私はただのゲーム漫画アニメが好きな、好きなことには熱中するよくいるオタクだ。
成績も、中学入る辺りまでは特に何も言われたことなかったし親が話題にしたことだってなかった。
中学入ってからだってようやくできた友達と好きなアニメで盛り上がって楽しむようなオタク趣味満喫していた。
ただ、しばらくしてその唯一の友達がその地域の難関高校に入ると宣言した。
成績とコミュ力のある彼女のおかげで私はスクールカーストから免れていたらしい。
両親はそれを知って、多分順位が下から数えた方が早かった私に発破をかけるつもりで言った。
「このままじゃ彼女と離ればなれになるよ。あんなに良いお友達は大事にしなさい」
小学生の時ぼっちで本ばかり読んでいたせいでいじめられていた私はもうあの頃に戻りたくなかった。恐怖から、必死で勉強した。
先生の覚えがよくなって色々話してくれて褒めてくれるようになって、より勉強するようになった。
模試で合格圏内に入って、その友人が自分のことのように飛び跳ねて喜んでくれたのが今でも忘れられない。
無事同じ高校に入ってしばらくは友人の他にもやや話せる人が増えてきて楽しかった。
でも面談で担任にこの成績なら難関国公立を狙えますよと言われて、聞いた母がおかしくなった。
漫画を読んでいると何をしているの!と勉強を促すようになった。
大学受験が近づいて、その友人もアニメ漫画を封印した。話すことが学校の授業の難しい話になっていって、ついていけず話せることもまだアニメしかなかった私はいらないものになって、その友人は別の友人とずっと話しているようになった。
最初よくわかってなかった私はそれでも彼女にかまってしまったから、彼女に私のいやな点をたくさん挙げて縁切りをされた。
彼女は親の言うとおり頭の良い正しい人だから、全部自分が悪いんだと自分を責めるようになった。
わたしは、大事にしなければいけない友人を失ってしまった。もうこの先友達なんて一生できないんだと思った。
あの頃テストの点数成績だけが自分を肯定してくれる気がした。でも、全然あがらなくなった。
ゲームもアニメも漫画もやめて、勉強だけして受けたテストも全然だめで、嘘つきっておもった。
私がだめな理由を私が好きなもののせいに、友人親先生みんなしてきたのに。
一日中すごく眠くなって、弁当とかの匂いに吐き気がするようになって、明確に体がおかしくなってきた。
拒食や自傷癖がでるようになって、唐突に暴れたり、ひたすらぼうっとしたりするようになって保健室通いになった。
保健室の先生、みんなから評判悪かったらしいけど、あんたの親おかしいから何が何でも家をでるべきと私には言っていた。親は正しいと思い込んでいたからそれは大分びっくりだった。
両親は私がほんとうに壊れたとわからなかったらしくて、あちこち連れて行っては次の日また呆然としている私にあれだけやったのに、と怒った。まだ成績の良い私を取り返せると思っていたそうだ。
結局受験までに回復せず、親や先生の希望より偏差値の低い、実家から遠い大学になんとか入り一人暮らしを始めた。
面接で、あの大学ですか、すごいですねえ、よく頑張ったんですねえと言われて泣きそうになった。そんなことを言ってくれる人が、あの頃いれば良かったと思った。
国公立大学しか認めず授業料と偏差値について散々口を挟んでヒステリーを起こした両親は、塾をサボり月謝を着服した弟を情報系専門学校に行かせた。どこにも行き場がなかったからだそうだ。
それを聞く度、思い出す度、じゃあ、私はなんだったんだろうと思う。
今でも中学高校あたりの楽しかった時期の、クラスメイトたちといるときの夢をみる。
ただの昔語りだね。嘘ももちろん混ぜてるから、これと同じような人が身近にいてもその人私じゃないから、迷惑かけないであげてね。ただどうしても、どうしたらよかったんだろうってやるせない気分になるのを誰かにわかってほしかっただけだから。
そうだ、友達はあの後何人かできたよ。私が話に詰まっても気まずい空気にならない人が。
年を取る度に、子供の頃恐怖していた「良い成績とって良い大学出て新卒で良い会社いかなきゃ人生終わり」の外で普通に苦しまずに暮らしている人がいるってわかった。でも勉強はそこそこならさすがにした方がいいとはわかってる。
実力でいうとギリギリだった。
でも、やりきったので後悔はない。
心配させたくなくて出来るだけ明るく伝えたら、どの先生も安心していた。
そして1番伝えたかった、一緒に受験をがんばってきた友達に結果を言いにいった。
明るい様子に友達は安心して、後悔してないみたいやしよかった、おつかれさま。って言ってくれて、そのままあっさりと別れた。
友達は今からが勝負だから、これで良かったんだと思う。負担になってほしくない。
でも、ほんとは実はものすごい悔しかったし、泣きそうなことを気づいてほしかったような自分もいる。
でも、気づかれなくてきっとよかったから、やっぱりいい。
報告を済ませて、家に戻って、やっと涙が出てきた。
月並みな理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。
毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、
挫折を知ったのは中3の時だった。
数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。
何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。
テスト勉強に於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。
高1になって数学は数ⅡBに入って難しくなり、勉強時間の7,8割近くを数学が占めるようになった。
高1の数学の先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。
その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。
そして、得意な英語や国語の勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。
私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。
私はまさに井の中の蛙だった。
結局、塾の数学のテストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。
偶然見つけた某私大の学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語・国語を深く学びたいからだというのもあったが、
京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。
私たちの次年度から大学の入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。
国公立至上主義の我が校では国公立を選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。
数学の先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。
3教科受験だからと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストもケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。
結びに、「数学楽しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。
それを見て涙が止まらなかった。
私は数学が好きだった。
大好きだったのだ。
何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。
だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、
かなり時間をかけて取り組んだ模試の数学の偏差値が、殆ど対策をしていない英語の偏差値を超えることもなかった。
敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。
と冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。
後悔していないと断言すると嘘になる。
なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。
3月1日、午前0時0分、男たちが一斉にノートパソコンのキーボードを叩きはじめた。スクリーンに映った空欄に、名前や出自、志望動機などを打ち込む。ネット回線は良好な我が家だが、全国で同じ光景が広げられているようで、マイナビのwebサイトは就活生の大挙によって渋滞している。
ついこないだ2回目の留年が決まった俺には無関係な話だが、今日、世間では”就活”が開始された。22時頃、良好なネット環境を求めてうちに集まってきた友人たちは、漫画を読む俺の傍らで、エントリーする会社を選出する作業を始めた。先輩は50社エントリーしたらしいだとか、10社くらいに絞るのがコツだとか、たらたら雑談をしながら、就活サイトを頼りにイケてそうな会社を数十社抽出する。また、”とりあえず名前の知れているところはエントリーしておこう”という考えを基に、業種問わず大企業は就活の候補に含まれることとなる。
俺は、”何が何でも大企業に入りたい!”というような価値観を全く持ち合わせていないので、そのような大学生を見ると、こいつは体裁のみで生きている薄っぺらい人間なんだなと、ついつい見下していた。スカした考えだなとは思うけど、誰もが知っている企業に入ったからって何が幸せなんだろうとか、安泰なんてものは絶対に無いんだからとか、そういうことばかり考えていた。
ここに集まっている友人たちがいわゆる大企業信仰を持っているというワケじゃないことは長い時間一緒に遊んでいるから分かっている。ただ、いざ就活となると、”とりあえず”大企業もエントリーしなきゃ、という強迫観念に襲われるらしい。就職した先輩にエントリーする企業の一覧を見せた時に「中小企業ばっかりじゃん。大企業も受けなよ」と言われたり、家族と話す時に「受けるだけタダなんだから、一応大企業も受けておきなよ」と言われたりするそうだ。
特に俺らが通っている中堅国公立大学では、大企業信仰を持っているヤツが多い気がしている。ある程度名前の知れた大学ではあるが、もっと偏差値の高い大学を目指して、落ちて、ここに入学した人が多いからか、履歴をロンダリングする意味合いでネームバリューのある企業に入りたいのかもしれない。OBやOG、そして家族も、この大学が”ある程度”であることを認識した上で大企業を勧めているのだろう。
そして、就活生からすると、自分がどの企業を受けるべきか分からない時に頼りにするのは”その企業を知っているかどうか”が大きい。大学に4年通っただけで自分の進路が明確に見える学生なんて、ほとんど居ない。大企業の吸引力は未だ健在なのは、そこにあるのかもしれない。
実際に今就活をしている友人たちは、3年間遊び呆けることに終始していた。彼らと遊んでいる時、”大企業信仰”を蔑視するような話題は何度も挙がっていたし、そういう考えのヤツとはソリが合わないから遠ざけていた。汚いワンルームのアパートで麻雀を打って、安い酒を飲んで、テキトーな女の子と遊んで、貧乏暮らしを満喫することが、俺らの一生だと思っていたから、就職なんてアホらしいことは遠い未来の話だと思っていた。
キーボードの打鍵音が聞こえる横で話題について行けない俺は、彼らが就活に対する弱音を吐いた刹那に「留年すればいいじゃん」と堕落の道を促す。あと1年、俺のようにだらだら行こうよ、と。皆、一度は乗り気の姿勢を見せるが、それはただのノリに過ぎず、すぐにスクリーンに目を移す。冗談で言ったものだが、自ら口に出すとなんだか本当に寂しい気になってしまうのは我儘だなと思い、漫画のページを繰った。
ここでは学問を、理系と文系の二項対立的に捉える、と仮定する。
科学技術がなければ豊かな生活が送れない、という理系の研究に比べて、文系はおろそかにされがちである。
法学や政治学は歴史上の経緯を学んだ上で国家という団体を統治するために必要な要素であり、
そのような魅力が理系・文系にあるにも関わらず、高校時代に数学が出来なかったからという理由だけで
他者から決められたルールに基づき、強制的に存在する学問の半分を切り捨てなければならないことは残念である。
また、数学をすることで鍛えられるとされる、論理的思考力は法学においても重要な要素の1つである。
にも関わらず、今の世の中は高校1年生の段階で"大人の都合"によって進路を半分に狭めることが求められる。
また、近頃文部科学省が言い出した「国公立大学の文系廃止論」が実施されると、ただでさえ半分に狭められた進路をより限定的にされる。
「プログラミングができる人材を育成する」「社会の現状を知る」だけの薄っぺらい知識は専門学校の範疇であると思う。
学問とは、先人たちが発見した知恵を生かして、社会を豊かにする方法を自ら提案することであるように感じる。
大学に通うことで今後の社会を豊かにする方法を自ら提案できる力を鍛えられるような大学が生き残り、
現状維持を目指すための人材育成は専門学校に任せるべきであると思う。
受験生は「この学問をすることで【現在存在する】この問題を解決し、それによって【将来的に】このようなことが解決されることが期待されるから
この大学の学部学科で学びたい」という意思のもと、大学を選び、成長されたい。
また、文部科学省は現状の考え方を改め、5年後の世の中がプラスに動くことも重要だが、それ以上に50年後の世の中に対してプラスに動く政策をとって欲しいところである。
支離滅裂な文章になってしまっているので訳が分からないかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章。
まず、僕の状況から説明する。某都道府県のトップレベルの進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCHを受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人。早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。
こんな所に書き込みなんてしてないで、最後の最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。
どう言っても敗者の言い訳にしかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。
親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。
僕は一小一中の地元の学校に通って成績でトップに位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校に入学して気づいた。
高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。
高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。
今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。
そして、高校にぎりぎり、滑り込みで入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。
僕はどうしたらいいか分からなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間はゼロに等しくなった。
勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生。格差なんて一気に広がった。
模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。
トップであることが勉強のモチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強を普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。
偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。
3年に無事進級してからは受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分を勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。
はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。
ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。
冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。
僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校で先生に候補の大学を出して貰いなさい、ということを言った。
次の日、先生と面談して幾つか候補の国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。
意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションがゼロになった。
昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である。
自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。
出願を行ったのも自身であったから勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。
親は自身の体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。
でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代と現代は事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか。
僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ。理系だから院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分の体制を整える猶予が。
残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。
書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずである。しかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。
他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である。
内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。
もちろん、親に関しては自分へ金銭、時間の投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分の意見をきちんと突きつけられるようになりたい。
出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。
かなり長い文章になってしまったから、最後まで読んでくれた方はいないかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えます。ありがとうございます。
一応エンジニアとしてIT企業に就活を予定しているが、上を見ればプロが沢山いる。そういう奴らと闘って勝てる気がしない。
例えば、俺の場合はWebサービスを作ることが好きなので、PHPだろうがPython3だろうがRubyだろうが、状況によって使い分けている。しかし就活となると、ある一つの言語に特化している方が受かるらしい。ソースは俺。人事から聞いた。大体それなりの学習度なので、より奥まった、例えばこの言語の言語仕様がこうで云々、みたいな話にはついていけない。
夏にインターン行ったところの早期選考を受けたら落ちた。インターン中も面接中も、ずっと良い感じで穏やかに話が進んでいたにも関わらず、だ。
もういっそ留年して、儲かるサービスを作って、それで飯を食いたい。一応案はあるし、その需要も十分にある。あとは作るだけだ。。。
かつて、総合選抜という高校の受験制度をとっている地域があった
(っていうか今調べたらすでに全国で廃止されたのを知ってビビった)
これは、市内のすべての私立以外の高校が同じ学力レベルであるという建前の元、
高校入試が1回だけ行われ、合格者は校区ごとに振り分けられるという感じになる。
合格率は9割を超えているのでかなりのアホ以外は合格、アホはアホな市立を併願するという形になる。
で、私の校区はおそらくは南高校だった。
ここは校舎が古臭く、生徒の進学先の質もあまりよくない。
進学先も優秀だった。
まぁつまりは殆ど全部同じレベルの高校でるよーという建前があったが若干の格差はあったわけだ。
市内の上位10%(うちの市の場合)は、合格すれば好きな高校を選べる、というものがあり、
「その制度でH高校に入れるはずの人が押し出されちゃうかもしれないから…」
は? なんでそんな奴の事を私がおんばかる必要があるわけ?
これは高校ごとの特色として存在し、3年持ちあがりで特化した授業を受けるクラスが存在する。
正直私は理科と国語が得意で、数学は得意ではなかったが、背に腹は変えられない。
(英語も得意ではないので本当につぶしの効かない得意科目組み合わせ)
推薦というフィルターを潜り抜け、40人定員に60人受験で合格。
ちなみに早めに受験があるので、落ちた場合は通常の高校受験をするのでリスクは全くない。
大問題の(1)と(2)だけやって(3)(4)をスルーするようなテストっぷり。
おそらく歴代のコース生の中でぶっちぎりの酷い進学先をたたき出したはずだ。
クソすぎ。
親と仲は良い方だけど、この件に関しては今でも親を恨んでいる。
私は父、母、姉の4人家族。
厳密には2匹の猫を加えて6人家族。
父は自営業で、母は会社員。姉は国公立大学を出て今は立派な社会人。
お父さんは毎日遅くまで働き、(大変失礼な発言だが)自営業でありながら大金を稼いでらっしゃる。
中1の夏頃から私が家事を引き継いだが、それまでずーーーっとお母さんは仕事と家事を両立した兼業主婦。
お姉ちゃんは早くに寮生活を初めて家を出たせいか、とにかく私に優しくて甘々な性格。まるで友達みたい。
じいちゃんは一緒に住んでないけど、慈愛の塊みたいな人。最近ちょっと体の調子が不安。
ばあちゃんも暖かくて優しい人だったけど小学生の頃に旅立ってしまった。
私は学校では、言動や制服の着こなしのせいでいわゆるギャルっぽい扱いをされており、
生徒会室でたこ焼きを焼くとか時々突拍子もない事をするのでちょっとした有名人だった。
「突拍子もないことをしている」自覚がある時点で普通の人だと思うんだけどその言い訳はあんまり通用していない。
お父さんを尊敬していると言えば、普段真面目な女子生徒にあからさまにドン引かれ、
お姉ちゃんを大好きだと言えば、シスコンネタで1年くらいイジられ続けている。別にいいけど。
因みにじいちゃんが好きって言った時は大体みんな共感してくれた。
そんなに家族を好きな事って恥ずかしいのだろうか。
皆、家族が好きだけど口に出せないだけじゃ無いのだろうか。
「じいちゃんやばあちゃんは好きでもセーフ」な空気を感じて、私は少し切なく思う。
今度はジンギスカンを焼けばいいと、使い捨てのジンギスカンの鍋をじいちゃんがくれた。
流石に焼かないけど。
真面目を気取れば父を蔑ろにしていいのか、仕事に就けば母への感謝を忘れていいのか、
お姉ちゃんが好き、がどことなく恥ずかしい発言であることは弁明の余地なしだが、
人生で出会った沢山の友達と同じように家族を愛したってバチは当たらないんじゃないかなぁと、私は感じる。
そして思う、
胸元をちゃんと閉めろ(少し緩めてるだけ)とか、スカートが短すぎる(少し短いだけ)だとか
時々そんな文句を言われると何だか家族って鬱陶しいなぁ、と思う私は
やっぱりどう考えても、性格が悪い。
今日本では国民の借金の増加について議論が繰り広げられている。特に、現在問題になっているのは学生ローンすなわち奨学金である。長引いた不景気に伴う就職難や収入の不安定な階層の高学歴化によって自己破産する家庭が出現している。日本政府は日本の学歴社会化を待ち望んでいるが、奨学金ローンによる弊害を知った庶民が高学歴化(高校卒業後の進学)を諦め、景気の自然回復(とはいえ不況から普通になっただけだが)による有効求人倍率の上昇や企業努力などによる働きやすい環境の整備などもあって、早期就職を選択する若者が急増している。これは政府にとって痛い現実だ。世界は経済や社会の成熟に合わせて学歴社会が進むのが当たり前(北欧や韓国がその例)だが、日本の学歴社会化は減速している。(日本の大学現役進学率は1990年代の不況以降上昇し続けてきたが、2010年代に入ってから減少に転じた。)これは日本社会を成熟させるに当たって解決せねばならない問題だ。
そこで、私は、ローン式の学生奨学金制度を順次廃止して、給付式の奨学金に移行させる、学生奨学金改革を提案したい。その前提として、人口増加率の減速に合わせた学校の整理を行わなければならない。具体的には底辺の私学に対する閉校勧告や公立学校の整理で、学生ローンの原因となっているランニングコストの削減を図る。一般的に、日本では高偏差値の学校ほど志望倍率や学生人口が多く、低偏差値になるにつれて倍率や人口が少なくなる傾向がある。欧州で教育インフラの成熟がうまくいっているのは、まず大学の絶対数が少ないために、公的機関によるランニングコストの負担が軽減されているからである。底辺校は切り捨てられる流れにし、学生ローンでまかなっていた教育コストの負担が公的に行える土壌になればよい。ついでに、加計学園のような底辺校の新規開設も止めさせるべきだ。底辺校の粗製乱造は公共にも学生のためにもならない。そういう学生は浪人して別の大学を志望するなり、大学進学が必要なければ高卒就職する方がよい。大体日本の学歴社会なんて韓国よりは100倍ましなのだから。
なお、今ある学生ローンについてだが、私が教育界隈を司る大臣や役人であれば、徳政令によって債権や債務を帳消しにすることを考える。「自己責任」という意見もあるだろうが、大学の学費ローンは住宅ローン並みと同じくほぼ一生付き合わされる重い負担である。その負担を軽減したほうが、経済復興の加速や若者の消費意欲の向上にも繋がるのではないか。私は国公立大学を卒業した中流の上の家庭出身だが、それでも元大学生としての経済的な痛みは理解できている。もし、地方自治体レベルでもいいから選挙や政治シンポジウムに参加する際には、是非とも日本の学生ローン問題について取り上げてみたいと思う。
とにかく、学生ローンというのは日本社会にとって喫緊の課題であるので、次の国会や自治体の議会において取り上げられればと思う。いや、選挙のときに争点にされなければならないレベルになっているのではないかと思う。しかしながら、私は公務員として働いており、娘や息子も今年受験して来年公務員になる予定があるので、民間人のように政治思想を自由に語れないという不自由さもあるのだが……。
中学校の成績は中の上ぐらいで、友達が受験する普通高校に合格する自信が無かったから、兄弟が通っていた実業高校を選んだ。県内でも下から数えた方が早いくらい偏差値が低くて、自分の学力でも余裕でやっていけそうだと思った。履歴書に書けないような検定・資格の試験対策がメインだったけど、ゲームをクリアするような感覚で楽しかった。少し頑張れば常に成績はトップだった。卒業後の進路は先生に進められるまま、地元の国公立大学を受験した。もちろん正面からセンター試験を突破できるような学力はなかったので、推薦を受けて合格した。
入学してしばらくは講義を真面目に受けて、分からないことは教授に質問しに行って、必死に食らいついていた。学科の先輩たちとの勉強会にも頻繁に参加して、大学って楽しいと思っていた。でも1年後期には、講義を受けるだけでは追いつかなくなって、質問をしても返ってくる答えの意味が理解できなくなった。基礎学力があまりにも足りないんだとようやく気づいた。でもまだ1年後期だし、今から勉強すれば遅くないと思っていた。そして学力不足を補うことができないまま大学3年になって、単位を落とすことはなかったけど評価は散々だった。
大学3年になると研究が始まって、ただ講義を受けてレポートを出せばいいってわけじゃなくなった。自分で考えて研究を進めないといけないのに、今まで受け身でしか物事を考えてこなかったから何をしたらいいのか全く思いつかなかった。ゼミに入って進捗報告を求められてもその場しのぎの報告しかできなくて、どんどん切羽詰まっていった。
大学4年になって、卒業研究の中間発表の時期がきても状況は変わらなかった。その頃から文章が読めなくなったり、思考停止が著しくなってきて変だなと思った。でも自分がサボってきたツケが回ってきたのだと思うことにした。そのうち熱が下がらなくなり、身体が痛み、起きられなくなった。風邪だと思って病院に行ったら精神科の受診を勧められた。うつ病だった。休学を勧められたけど、中学ぶりに自分で頑張ったと思えた院試の合格内定を無駄にしたくなくて、薬を飲みながら大学には通い続けた。どうにかお粗末すぎる論文を書き上げ、卒業はできたけどもう限界だった。
でも環境が変われば体調も良くなると思って、そのまま院進した。大学とは少し違った講義のスタイルで、友達にも恵まれてしばらくは元気に過ごすことができた。でもやっぱり学力不足とお粗末な論文を書いた研究の続きをやらなくてはいけないという不甲斐なさは消えず、体調はだんだん悪くなった。夏休みに入る頃にはまた起きられない日も増えて、研究活動は一旦休み、履修している講義の単位を取ることだけに集中した。そして、同期が就活を始めたのを知って心がぽっきり折れた。こんなボロボロの状態ではこの先やっていけないと、ようやく決心がついて後期の休学を決めた。
研究から離れると気が楽になって、体調もかなり良くなった。カウンセリングを受けて、研究に対する考えを整理したのも良かったのかもしれない。1年間の休学を終えて、復学後は研究テーマを変えて少しずつ作業ができるようになっていた。でもそれは長く続かず、最近また何も手につかないことが増えた。前みたいに体調が悪いわけではなく、ただただやる気が起きない。タスクを書き出して細分化したうちの1つも満足に終わらせられない。
そもそも僕は勉学に自信がなかったのに、いつの間にそれを自分がやりたいことだと思い込んでしまったんだろう。今研究している分野も高校でやっていたことの延長線で、本当にやりたかったとは到底思えない。院進した理由も、就活が上手くいく自信が無かったからで、研究がしたいという嘘の理由を作って不安から逃げていただけに過ぎない。僕は自分で自分の首を締めることを選んできたことに向き合うまでに、あまりにも時間をかけてしまった。
またしばらく研究活動を休むことにした。自分の今後の進路について、今度こそしっかり考えようと思う。逃げや甘えだと言われるのは分かっている。全て努力不足が招いた結果だとはっきりと分かる。だからこそ、何を言われても否定せず、逃げずに自分に向き合うことが、今できる最善の手段だと思う。8年間流れるままだった自分の選択を、次こそは自分で決めたと断言できるようになりたい。
小学校では転校してから4年間、クラス中の女子に囲まれどつかれ、
そして、それでも自尊心は失わなかったことに気づいた。
と振り返って思うことがあったので、
誰か一人でも役に立ったらいいなぁと思い、書くことにした。
いじめをする人は、心も貧しければ自分に自信もない、かわいそうな人達だ。
相手がどんな気持ちになるか想像し、心に痛みを覚えることすら出来ない。
そして、わざわざ人を見下さなければ心が安定しないのだ。
例えば自分は中学時代受験期にクラスの男子一同(?)から問題集をボロボロにされた。
お手洗いに行き戻ってきたら、一面に、死ねだのバカだのなんだの、そして署名、
うるせー。バカはお前らだ。
全員の 全 が 金 になっとるやないかーい。
さて、
なぜいじめなんていう下らないことをするのか。
彼らは、自分自身の直面する課題・困難に立ち向かうことができず、
大人になれば、多くの人は、人を苦しめずに自分自身を落ち着かせる方法を習得する。
自分自身を高めることで解消することもできるし、
いずれにせよ、彼らはまだ未熟で、受験期の自分たちの不安に対処できなかったのだろう。
私がターゲットになった。
冴えない不細工なメガネガリ勉だから狙われた、などと思うことは簡単だが、
そこから更に一歩踏み込んで、
相手は一体何に苦しんでいるのか、
なぜわざわざ、自分の好きなことややるべきことに打ち込まず、
その苦しみの根源について思いを巡らせるのだ。そして倍返しだ!
それはすぐに気づくことができたし、
そこでかえって一層勉強している姿を見せつければ、
一層苦しむことになる。
力で応えるのでもない、
口で応えるのでもない、
思い通りの(相手が不安を一時的に解消するための)反応を返さず、
反撃するのだ。
「やれやれ。下らない人たちだな。」
二度と同じことは起こらなかった。
(でも逆にいじめる側に回っちゃだめですね。あくまで、やめてもらうために反撃するということ。)
もし、
殴る蹴る、万引きを強要するなど、自分では立ち向かえないようなことがあれば、
それは
出来るだけ早く、
いつ、
どこで、
だれに、
何を
どのようにされたか、
証拠を残し、
証拠を残し、
警察に持って行きましょう。
いじめはただの悪ふざけじゃなくて深刻な犯罪・犯罪予備軍だと捉えるべきで、
同じ組織にいる先生になんとかしてもらおうとするよりも、社会の手を借りたほうがより良いこともあると思う。
いじめの原因の1つに、いじめっ子自身が家庭内での虐待を受けていることも多々あるらしい。
もし、その相手の子の親も虐待などしていそうな雰囲気があったら、
ひとつの案としては、児童相談所に電話して、いじめを報告すると共に、
その子のご家庭で虐待の疑いがあるんじゃないかと状況を通報したらよいのではないだろうか。
ひどければ家庭に調査が入る。
自分はこんなひどいことをされたが、これくらい普通だから我慢しろと言っていた、という風に伝える。
これが普通っていう環境はとんでもない、虐待されているのでは?!と。
同じ組織の中にいる先生以上に相談に乗ってくれる可能性もある。
一番だいじなのは、助けは出来るだけいろいろなところに求めたほうがいいということ。
親がダメなら先生、先生がだめなら児童相談所、いじめ対策団体、
地域の人(でも危ない人もいるかもしれないので、誰に会うかは必ず記録に残し、まずは公の団体などに相談し、慎重に。。)・・・など。
1人だけに頼ろうとすると、スルーされて対応されないリスクが高い。
本当にどうしようもなかったら、
オススメは最寄りの国公立大学に行き、事務に行き、なんとか相談できる大人の人が必要なんです、
と伝えて、探してもらってみてもいいと思うんだ。
国公立の大学であれば、どの都道府県にもあるし、その都道府県で一番しっかりした大学であることが多い。
苦労しながら一生懸命勉強して、人生を切り開いてきた人たちが沢山いると思う。
フラフラ遊んでいる人もそんなにいない。
苦しい状況を切り抜けてきた大人の人たちは親身になってくれると思う。
話を聞いてくれる温かい人に出会えることが、何より救ってくれる。
いろんな人を救うシステムを、事務の大人の人たちも、大学の学生さんも、知っていたり考えてくれると思う。
(特に大学の事務の方々は、いろんな社会の仕組みをよくご存知なので、力になってくださるのではないかな。。
事務は人も多いし、職場だから、そこの場所でまたいじめられること/ 追い返されることはなかなか起きにくいと思う。)
(いきなり大学内の学生に声を掛けるのは、犯罪に巻き込まれる危険がないとは言えないので、しないほうが良いです。。。
できれば、同時に二人以上いるところでお話をすること。変な人に巻き込まれる危険が減ります。)
ひたすら楽しくてのめり込んだし、
足を引っ張り合うことよりも、自分を高めることが好きな友達に囲まれるようになった。
音楽でもいいし、小説でもいいし、マンガでもいいし、オムライスを作ることでもいい。
それを見つけるために、何かにとことん打ち込んでみる。
たった1人で何かに向き合えば、
わざわざ周りの空気を読まなくても良くなり、1つのことに徹底的に向き合える。
徹底的に向き合えば、どんどん面白くなってくる。
今はインターネットがあるから、同じように極めている人たち同士で会話が出来る。
生まれつきのものだけで勝負して得られる自信なんて、ほんのちっぽけな、狭い世界で終わる話だ。
いじめっ子も、もしかしたら自分の存在のちっぽけさに直面して、もがいているのかもしれない。
いじめに走る人たちがフラフラとくだらないことをしている間に、
お先に!と言って、一生懸命何か好きなものを極めて、いち早く、自分の人生を切り開いていこうよ。
そもそも、まだ中学生なのに、ブスだのデブだのバカだの死ねだの言っていじめている奴ら…!!!!!
輝かしい未来が待っている原石たちを前にして何を言ってるんだお前ら!!!!!
お前らどんだけ偉いねん!ただの中学生やぞ!!!!!子供やぞ!!!(中学生を仮定。小学生でも良い。)
何も分かってないくせに人のことアレコレ言えた身か!!!!!!
(でも子供だからこそ処罰されにくいのが非常に悔しい。やっていることはかなり残酷なことなのに。)
そうなんです。今、いじめられて、落ち込んでいたとしても、
大きくなったらどんどん変わって、輝いていくんだよ!!!!
勉強だけでもないし、スポーツだけでもないし、この世の中には沢山の面白いことがある!!!!
いじめている奴らに、
うるせーお前ら!かっこよくなるんだから!素敵になるんだから!今に見てろ!!!!
将来ビル・ゲイツやぞ!!!!!!同窓会が楽しみやな!!!!!行く気もないけどな!!!!
と思っておけばいいのさ。きっとなる。
なんだか段々とつい熱く書いてしまいました。
実親は両家顔合わせの時に、「お披露目の時に、援助してあげる」と言われた。
お祝いしたい、晴れ姿を見たい、けじめをつけたいという思いをひしひしと感じるが、
全部突っぱねて、受け取らなかった。そんなものは無駄だと思っていた。
親を宙ぶらりんにして、けじめをつけさせないという復讐をずっとやってきた。
中学受験の途中で勉強がつらくなってドロップアウトし、大学受験も失敗して一浪した。
失敗を挽回するために、なるべくお金も手間もかからない子どもになろうとずっと思いながら生きてきた。
ずっと育ててもらって申し訳ない、手間も金も吸い上げてごくつぶしでごめんなさいと思いながら生きて生きた。
ずっと親は何かにつけて、茶化すように
「お前の塾代は大変だった、何百万もかかった」「大学には偶然受かったようだが、お前は浪人した上に、(別の私大)には落ちたからな」
と金銭的負担や私が失敗したということを言われ続けた。(どんなにやめてと言っても、やめてくれなかった)
なんとか必死に頑張って、公立高校から、実家から通える国公立大学の就職がいい学部に進学して、条件のいい職場に就職して、
自分にはもったいないような最高の相手と結婚した。留学もしなかった。
弟は自分の倍以上の学費がかかる高校大学に行き、低賃金の気ままなフリーランスのため、いまだに実家から出られない。
しかし、弟に親は何も言わなかった。お金のことは何も言わなかった。
親の甘えで、愛情表現なのだと頭では分かっているから、我慢してきた。
最近になって子どもができ、親は「孫の学費は心配いらない」と言い出すようになった。
何かが切れてしまった。
お前ら、経済的に苦しいんじゃなかったのか。
これまで頑張ってきたのはいったい何だったんだ。
やっぱり私が失敗したから、まだ挽回できてないからまだ許されていないのか
進学就職結婚孫もうあともうできることなんて残ってない、どうすればいいんだ。
本当は着飾りたかったけど、くだらないことにお金をかけるのに抵抗があった。
お披露目や挙式がしたかったけど、何事もなかったかのように笑顔でスピーチなんてしてほしくなかった。
結婚祝いにせめて何か贈りたい、と言われたときに、冗談で「じゃあ訪問着がほしいな」と返したら
親はとてもうれしそうにしていた。それを着て、お宮参りのときにお食事会をしよう、ちゃんとした写真を撮ろうと言われた。
それを見て、やっぱりいらないと言ってしまった。
喜んでお金を出したいというそぶりを見せられ、反射的にそう言ってしまった。
お金はもう受け取れない、おめでとうとだけ言ってほしい。
『最後まで余計なこと(挙式)にお金をかけないで、偉いね、失敗を挽回したお前は手間もかからない上に黒字だよ、結婚おめでとう』
と言ってほしい。
本心じゃないことを苦しみながら、自分の子供のために言ってほしい。子どもに尽くすことができないという不幸を味わってほしい。
「あなたが我慢してきたおかげでみんなが経済的にも気持ち的にも楽できた」と言ってくれれば、
私に一銭も出さないまま、おばあちゃんの入院や弟の結婚式に何百万突っ込んでも、許せる。
自分はみんなの踏み台だと言い聞かせないと自分の心がもたない。
逃げるなんて許さない、孫の誕生で一旦リセットできると思ったら大間違いだからな。
親だって完璧な人間ではないのもわかっている。逆恨みの親不孝なのもわかっている。
親にもう囚われたくない、執着したくない、こんなどうしようもない形で甘えたくない。
好きなようにすればいいと言われたけど、親の喜ぶことと親が悲しむこと以外にやりたいことが見つからない。
どうやったら親離れできるんだろう、性格悪すぎて手がつけられない。
誰も私にそうしてほしいなんて言ってない、恩着せがましく「~してやった」て思っているところが独りよがりでばからしい。
早く楽になりたい、前向きになりたい、こんなくだらないことで悩まず、何も気にしないで生きていきたい。
どうして子どもを作ってしまったんだろう、生まれるまでには自分の気持ちの整理をつけないといけない。
ごめんね。生まれるまでにちゃんとした人間になるから、ごめんね。