3月1日、午前0時0分、男たちが一斉にノートパソコンのキーボードを叩きはじめた。スクリーンに映った空欄に、名前や出自、志望動機などを打ち込む。ネット回線は良好な我が家だが、全国で同じ光景が広げられているようで、マイナビのwebサイトは就活生の大挙によって渋滞している。
ついこないだ2回目の留年が決まった俺には無関係な話だが、今日、世間では”就活”が開始された。22時頃、良好なネット環境を求めてうちに集まってきた友人たちは、漫画を読む俺の傍らで、エントリーする会社を選出する作業を始めた。先輩は50社エントリーしたらしいだとか、10社くらいに絞るのがコツだとか、たらたら雑談をしながら、就活サイトを頼りにイケてそうな会社を数十社抽出する。また、”とりあえず名前の知れているところはエントリーしておこう”という考えを基に、業種問わず大企業は就活の候補に含まれることとなる。
俺は、”何が何でも大企業に入りたい!”というような価値観を全く持ち合わせていないので、そのような大学生を見ると、こいつは体裁のみで生きている薄っぺらい人間なんだなと、ついつい見下していた。スカした考えだなとは思うけど、誰もが知っている企業に入ったからって何が幸せなんだろうとか、安泰なんてものは絶対に無いんだからとか、そういうことばかり考えていた。
ここに集まっている友人たちがいわゆる大企業信仰を持っているというワケじゃないことは長い時間一緒に遊んでいるから分かっている。ただ、いざ就活となると、”とりあえず”大企業もエントリーしなきゃ、という強迫観念に襲われるらしい。就職した先輩にエントリーする企業の一覧を見せた時に「中小企業ばっかりじゃん。大企業も受けなよ」と言われたり、家族と話す時に「受けるだけタダなんだから、一応大企業も受けておきなよ」と言われたりするそうだ。
特に俺らが通っている中堅国公立大学では、大企業信仰を持っているヤツが多い気がしている。ある程度名前の知れた大学ではあるが、もっと偏差値の高い大学を目指して、落ちて、ここに入学した人が多いからか、履歴をロンダリングする意味合いでネームバリューのある企業に入りたいのかもしれない。OBやOG、そして家族も、この大学が”ある程度”であることを認識した上で大企業を勧めているのだろう。
そして、就活生からすると、自分がどの企業を受けるべきか分からない時に頼りにするのは”その企業を知っているかどうか”が大きい。大学に4年通っただけで自分の進路が明確に見える学生なんて、ほとんど居ない。大企業の吸引力は未だ健在なのは、そこにあるのかもしれない。
実際に今就活をしている友人たちは、3年間遊び呆けることに終始していた。彼らと遊んでいる時、”大企業信仰”を蔑視するような話題は何度も挙がっていたし、そういう考えのヤツとはソリが合わないから遠ざけていた。汚いワンルームのアパートで麻雀を打って、安い酒を飲んで、テキトーな女の子と遊んで、貧乏暮らしを満喫することが、俺らの一生だと思っていたから、就職なんてアホらしいことは遠い未来の話だと思っていた。
キーボードの打鍵音が聞こえる横で話題について行けない俺は、彼らが就活に対する弱音を吐いた刹那に「留年すればいいじゃん」と堕落の道を促す。あと1年、俺のようにだらだら行こうよ、と。皆、一度は乗り気の姿勢を見せるが、それはただのノリに過ぎず、すぐにスクリーンに目を移す。冗談で言ったものだが、自ら口に出すとなんだか本当に寂しい気になってしまうのは我儘だなと思い、漫画のページを繰った。
いやー、ほんと1時間くらいマイナビのログイン画面繋がらなかったね…