はてなキーワード: 癇癪持ちとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230113180013
ゲーム好きなら社名を出せば「あぁ」と分かるくらいには有名な某ゲーム関係の会社をパワハラで退職しました。
在籍しててきつかったことをツラツラ書いてるだけなんで面白いかどうか分かりません。ただ、心のもやもやをぶちまけないと区切りがつかないので書きます。
平均的増田が在籍している富士通やNTTのような超大手ではないですが、あわよくばこれがバズっていろんな人に読んでもらえることを祈る。それで私を退職に追い込んだ品質部のハゲの目にも止まって少しでも嫌な気持ちになってもらえたらとても嬉しい。私に優しくしてくれた大多数の一般的良識を持った社員の方々、巻き込んでごめんなさい。
ちなみに転職会議でもボロクソに書かれてます。退職された先輩方、お疲れさまでした。
タイトルの通りです。ピリピリを通り越して死んでる。
ボスが癇癪持ちで自分が言ったやり方で出来ないとバチ切れるし成果を出せなくてもブチ切れる。ちょっと間違えてもキレる(当然か…?🤔)
以前、定時後に入社2年目をみんなの前で1時間以上説教した時は流石に居た堪れなさ過ぎてトイレに逃げたちゃった。勘弁してくださいよ社員のやる気削ぐだけですよ…。
私自身とある業務をマニュアル使ってやってたら、そのマニュアルが間違っててポカしちゃったんだけどそれが原因で机ぶっ叩かれるほどブチ切れられて泣いちゃった。ワァ・・・ア・・・・。
マニュアルが間違ってたんだからしょうがないでしょ…な態度が出てたらしく声張り上げられた。マニュアル作った人にも注意してくれよ何を信じればいいんだよマニュアル疑ったらなんも出来ないでしょ…
「あ、パワハラだ証拠取る為に録音しなきゃ…」と一瞬考えたけど行動に移せなかった自分が情けない。
「とりあえず謝っとけ」が出来なかったので大激怒させちゃいましたもちろんみんなの前で。それ以来そのボスと普通に話せなくなっちゃった。焦点が合わなくなって何も考えられない。会議の時地蔵になっちゃいましたよ怖すぎて。言うことすべてが「間違ってたらどうしよう」になってうまく言葉が出てこない。なにを言えば正解なんですか?
ちなみにそのボスは「仕事してる時は多少ピリっとしてた方がいい」と仰っていました。どこが多少なんだ。
専門知識がないしやる気もないので基本的に私にぶん投げてました。
それでいて文句しか言わない。文句言って具体的な指針は出してくれない。社員のやる気しか削がない。
2週間ほど「お前がダメな理由をこれから一つずつ挙げていく」と言わんばかりに私が提出した資料に関してくどくどネチネチ1時間以上じっくり挙げて頂いた結果めでたく鬱手前になって退職しました。ハゲは1言えばいいことを10に伸ばしてねちっこく説教してくるから嫌いだ。
この品質部のクソハゲは社内でも有名なねちっこさで、先輩に私がこのクソハゲの下でプロジェクト動かすことを伝えたら「あーあのねちっこい…」と同情されました。実際そのねちっこさが原因で退職しました。
このねちっこさで退職に追い込まれた人は割といるらしく、今の役職持ちの方も本気で辞めようとしたとか。その時は会社のトップに相談してクソハゲをプロジェクトから外してもらったらしい。
私は追い込まれ過ぎてたのと、直属の上司がこのプロジェクトに関わっちゃ駄目ってトップに言われたのでその選択値がありませんでした。せめて言うだけ言っておけばよかったと少し後悔してる。
「もうお手上げです。どうしたら出来るようになるの?」
「自己防衛で胸抑えてるんだったら止めた方がいいよ」
「君とやっていく自信がない」
「鬱になったら終わりだよ?」
全部品質部のハゲに言われたことです。世間一般で言うパワハラでいいの?これ。よく分かんないや。モラハラ?テメーのやる気のなさとイラつきをこっちにぶつけてくんじゃねぇよハゲ死ね。
こんなハゲが人の親だってことが信じられません。どういう人生歩んだら他人の子供に上記のような暴言吐けるんですかね。
苦しんで死んでほしい。
ちなみにこのハゲに遠回しで「俺はお前より1時間早く出社してお前より遅く退社してるが?」と言われた。だからなんだよ死ねハゲ。お前転職会議でも「かわいそうな髪の毛してる。陰湿でマイナス思考な質問をしてくる」って書かれてるぞ。やっぱ昔からじゃねーかハゲ。陰気陰鬱陰湿陰性。
役員会議で「お前の言ってる事がどう間違ってるか一つ一つ解説したいからお前が今言ったことをホワイトボードに書いて一から説明してくれ」と言わんばかりに社長自ら晒し上げた時は流石にドン引きしました。
なんというか「お前がどう間違ってるか一から説明するわ」を1:1でなく社員の前で平然とやるのが怖すぎる。文化が違い過ぎる。
今ってこういうのパワーハラスメントになるんじゃないんですか?私他所の会社の事よく分かんないんですが、昔の会社あるあるなんですか?
まぁ…いつもこうじゃないんですけどね……平時は普通なんですよ。普通なんですけどね……なんかDV受けてる彼女の気分だ。「時々こうなるだけで普段は優しい」。
以前先輩に「あの役職持ちのパワハラヤバくないですか?年上の人に『こんなことも出来ないんですね』って…ちょっと酷いと思います」と言ったら「それは期待の裏返しです。頑張ってほしいからああ言ってるんです…」とちょっと苦しい顔で返されました。そこは擁護しなくてもいいんじゃないかなぁ…。
上のような思考の人って「なんでこんな簡単なことも出来ないの?やればいいだけじゃん」な気持ちで仕事してるから怖いです。
全員アンタみたいに動くことが出来たらこんなに苦労しないですよ。出来ないから悩むのであって…って、これ言うと「出来ないじゃなくてやらないだけ」になるんですよ。サイコかお前は。
基本的に叩き上げしかいないから「俺はこれでここまで来れたからお前らもこれやればここまで来れる。別のやり方するなら倍努力しないと評価しないからな」な思考しかいない怖い。
ポジティブに捉えれば「自主的に動ける人」「協調性がある人」「向上心のある人」「推進力のある人」「行動力のある人」と、どの会社からも求められる人材です。
でもネガティブに言えば「押し付け」になるし「他人のことを考えられない」。「俺はこれで成功した」でしか教育が出来ないしそれも時代にそぐわないからガンガン辞めていく。
とある新卒が先輩社員に「なんでこれやってないの?」「こうすれば出来るよね?」「なんでやらなかったの?「明日まで/今すぐにやって」と毎日進捗確認という名のガン詰めされた結果半月ほど休職した時は頭抱えました。実際これが原因か聞いてないので分かりませんが、これぐらいしか思い浮かばない。
会社的には「後輩を指導している先輩」なんだろうけど、はたから見たら「新卒をガン詰めしてる先輩」なんですよ……助けてあげられなかった…あれで辞められてたらどうなってたんだろう。
昭和からある古い会社なのでこの令和の時代にも昭和の感覚で会社が動いています。
個人的に入社してドン引きしたのが「新卒向けの軍隊式研修がある」。
毎年3月に社外講師を招いて軍隊式の研修を行います。4月入社の、まだ入社してない新卒向けに。
何度か拝見する機会があったのですが、よく分からん精神論10条ほどを丸暗記させて一人ずつ大声で暗唱させてました。
もちろん一度でも間違えたらやり直しで、全員が終わるまで終わりません。
行う順番も自主的に手を挙げて前に出ないとダメです。少しでも遠慮すると講師から怒られます。
こんなクソ下らねぇ、うちはブラックなので未だに根性論重視で会社回してます^^と言ってるようなゴミカス研修
誰が自主的に受けたがんだよボケが。3月だから逃げられんし新卒可哀そう。
2010年後半まで山奥に連れてかれて一週間ぐらい軍隊式研修を受けていたらしいです。
こんなんやって帰属意識でも芽生えるとでも思ってんのかね。今日日流行らんですよ。
これやって「うおおおおおお!!うちの会社最高!!!!!!!!!!」ってなる奴います?何のためにやってんですかねほんと。
以前誰かが「なんで土曜出るの?」と上司に聞いたら「他の会社に差をつけるためです」と大真面目に返されたそうです。
ば~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っかじゃねぇの????????????????
差がついてるのが古参連中とそれ以下の意識の差だろが。なんで普通に休ませられないんだ?最近は出勤日を有給強制消化させられるしアホらしいわ。
これのせいで何度か行きたかったライブ見送りました会社死ね。TRFの30thライブ行きたかったよ。
うちの会社は割と始業時間が早いんですが、始業時間10分前に全社員が集まる「朝礼」なる儀式があります。
各部署や各社員持ち回りで事業内容や「私は今こんなことやってます!課題はこうです!」みたいなのを発表するんですが…それがまーキツイ。
運が悪ければ我が社のトップが長時間全社員の前で盛大に説教してきます。晒上げ吊し上げ状態です。
私も一度やられましたが完全に心折られました。他部署の部長からも「これ覚えるの1,2週間で出来ますよwなんでそんな時間取ってるんですか?」と煽られて泣きそうになりました。それ今言うか???
あと朝礼のせいで何だかんだ始業30分前に出社しないといけないのが嫌でした。
私が辞める前年、若手が4,5人辞めました。怖いねぇ。
20代後半~40代前半がいません。ほとんどいません。20代後半はマジにいなかったです。5年目前後が本当にいなかった
聞いた話では一時期大量離職されたみたいで若手とベテランしかおらず、技術の継承や教育がろくすぽ出来ていない状況。
なんで離職されたかはこの増田を読んで察してください。昔はもっと酷かったらしい。
そもそも社員を使い捨てにしか考えてないからどんどん辞められるんですよ。中堅がいなくて若手も結構な頻度で辞めていく会社に未来なんてあるんですかね。
役職持ちが鬱休職した方が出たため「鬱で休職しました」「ああいうところに行けば八割(鬱判定)貰える」「私は鬱になりませんから相談してください」と堂々と部内朝礼で報告した時は泡吹いて倒れちゃった。
個人的に休職自体結構センシティブであまり詳細に言ってほしくない事だと思うんですが、あろうことか鬱で休んでいる事、鬱休職は誰でも取れることを普通に報告しますかね……。
なんか言葉の節々に「鬱は甘え」と言いたげというか鬱で休むのは悪い事だと言いたげというか……人の心が分からない人に相談出来ないでしょ、無理ですよ相談できないです。気合で直せとか言われそうですもん。
実際に体調不良で休むと詰められる文化があったそうです。今でも月曜は休めませんし、休まないことが文化としてあります。分からんでもないけどそれを自信満々に文化として捉えてるのがちょっと面白い。自慢できるもんじゃないでしょ。
パワハラクソ上司に心をバッキバキにされて鬱退職する人結構いました。私もその一人。
正直「怒られない為に」仕事をしていた気がする。もう何が楽しくて仕事してたのか分からない。怒られたくないからビクビクしながら業務をこなしてた。下手なことするとガン詰めされて死ぬ。
「チャレンジ精神を持て」とはよく言われてましたが、環境が死んでるから委縮してなんも出来なかったです。そんなの関係ねぇやるぜやるぜ俺はやるぜな人なら上の方まで登り詰められます。それ以外は悪いこと言わないんで辞めましょう。
一族経営なので経営陣にたてつくと死にます。絶対に口答えはしないでください。「でもでもだって」なんて言い訳したらパワハラクソ上司に半日詰められます。とにかく謝ってください。
ちなみにトップはちょいちょい部署で決まったことをちゃぶ台返ししてきます。勘弁してくれさい。
当然っちゃ当然だし私もそう思います。ただ、この会社では放置プレイを意味します。放置したくて放置してるわけじゃなく一人ひとりの仕事量が多過ぎて他の人にまで手が回ってません。
若い子が先輩に仕事ぶん投げられすぎてキャパ崩壊した挙句飛びました。かわいそう。ぶん投げまくった先輩は反省してませんでした。お前人の人生潰してるんだぞもう少し反省した顔しろ。
「教えてくれるのを待つのではなく自分から学びに行く姿勢が重要」と言ってしまえば簡単です。物は言いよう。
・パワハラが横行してる
・社内の空気が死んでる(一部)
仕事自体は箇条書きマジックでやりがいあるし名も通ってるし一目置かれる有名会社なんですけど、内情はかなり死んでる。老舗で名前が結構売れてる会社でこれなのか…って結構ショックでした。
もちろん一部社員がゴミカスなだけでいい人も多くいました。私が辞めるとき悲しんでくれたり餞別くれたりパワハラで辞める事伝えたら「相談してくれたらよかったのに…」と心配してくれる方もいました。
最後の最後でゴミカスハゲ上司にボロボロにされたけど、本当にこの人の下で仕事できてよかったと言える上司にも出会えました。私の入社を推してくれた上司に挨拶に行くと本当に悲しそうな顔をされていたのが少し心残り。
上でちょっと悪く書いたトップも言ってることは分かるし結構話が面白い。叱責するにしても間違ったことは言ってない。言い方がキツイだけで。流石トップと思う。
ただもう限界でした。本気で上層部の意識と会社の空気を変えて欲しい。部長が率先してパワハラしちゃダメでしょ…いやハラスメントは誰がやってもダメですけど…。
外部講師呼んで一年ぐらいセミナー受けてくださいよ…もうこれ以上若いのがボロボロになって辞めていくのは見たくない。
正直品質武のハゲのパワハラが原因で辞めてなかったら退職エントリ書いてないしそもそも辞めてないですからね。
あのクソハゲが二週間で私を鬱寸前まで追い込んで頂いたおかげで逃げ出せましたし、こうして元気に退職エントリ書いてます。ありがとう品質部のハゲ。もう会うこともないので盛大にハゲハゲ言います。あいつは本当に苦しんでお亡くなりになって欲しい。お前のせいで辞めた人何人もいるんだろうな。いるって聞いたぞ。10年前からやること変わってないのな。
あと退職希望日伝えたら「トップが『キリがいいので今月までの方がいいんじゃない?』と仰っていたのでそうしてほしい(面倒事起こしたくないよね?)」と却下されました。そんな会社。
自分の性格がクソだから、子供にもそれが受け継がれるんじゃないかなって心配してたんだ。
でもどうやら杞憂だった。
同年齢の子と比べても重度の人見知りで、加えて癇癪持ちで些細なことで何時間もブチ切れていられるし、ああ俺の子だわ、って思ってたんだ。
人生辛いだろうな。性格や人付き合いはしょうがないとしても、健康的に育てて、あと学力があれば何とかなるかな、みたいなことを考えていたんだ。
挨拶も結構できるようになって、家族以外の人とふれあえるようになって、年下の子にも優しくなった。
小学校に上がってからは、人並みに社交的でリーダシップをばりばり発揮して困った子は助けて足は速く成績優秀でポケモン大好きで多分見た目もよし。ただし走る以外の運動はからきしダメというなんというかすごい成長を遂げて。
今に至る。
俺とは大違いだ。成績優秀だけは同じ。
育て方がよかったのかな。環境かな。
全員静音キーボードを使っているが一人だけ音量がけた違いにうるさい。だんだん音が大きくなっている
カチャカチャやガチャガチャとかじゃなくてバコバコドカドカゲチャゲチャと叩きつけているから静音もくそもない
この上司は30代後半だから50代以上の中高年一部層にあるキーボードを強く叩く癖でもない
彼はすごく癇癪持ちでここ半年はいつもイライラしているからただ八つ当たり的に音を出しているようにしか見えない
イライラしているからキーボードにあたっているのだろうが、キーボードが壊れて最近買い替えた実績(?)もあるんだから少しは手加減してほしい
そもそも指は痛くないのだろうか、それとも指を痛みつける一種の自傷行為なのだろうか
いずれにせよ大きい音を出して強いアピールをする動物みたいで事務スタッフは皆ノイローゼ気味だ
田舎の家族経営に毛が生えた会社だから社長に言ったところで意味がないし逆にチクられる
■息子と、飲む。
いつかプリキュアのキュアレモネードが変身した日にパニエを履いていた話を思い出す。
栄町のコンビニは華やかはあれど、明治の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、よっちゃんいかのような。甘酢の強さが強調された力強い雰囲気がある。私が過ごした40年前と大して変わらない空気。
するめいかが持つ甘さは、そこに一切存在しない。うまい棒コンポタの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。お菓子売り場に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
カップ麺売り場の棚が、かつて持っていた世界初の乾麺の威厳が薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは袋麺なのだろうか。
私と息子は行きつけの総菜コーナーに向かう最中に味は変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
どの味も変わらないと。
目印的存在であった切り身魚の真空パックが売り切れてしまっても、私らは何喰っても変わらないと口にする。
おにぎりコーナーを抜けて、すぐの総菜パンとデザートの棚は永遠と広がる夢のファンタジーである。
今では5段重ねの立派なミルフィーユに生まれ変わっていたチーズケーキ。されど、心の中は小学校当時のままだという。
あぁ、中学一年生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す私は立派な犯罪者だった。
それでも紅潮する息子の顔はとても粋だ。私は新装の日にホットスナックを頼んで、仲良くなった店員が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す私は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の私も、今日ばかりはトップガン・マーヴェリックのトム・クルーズよりもはるかにカッコよく見えることだろう。
普段は、近くにいたくもないと思える私も、なんだかきっと息子の憧れだろう。
息子が私に連れられたレジは、ホットスナックの棚に何が残っているのかもよくわからない場所だった。
入店から歩いて8分程度。大型冷凍庫の横にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
私と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が中学進学してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、私は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親に自分がマザコンであることを突き付けられたと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、私は母さんを俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ決して母さんの悪口を私は一切言ったことがない」
その言葉を受け止める息子の瞳は、普段とは違った熱がこもっていて、80年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない息子の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないよね。カッコつけられて、かっこいいと思わされちゃったかな。
そんな私が、私はなぜだか愛おしかった。
いつかロバートの秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。
池袋の夜は華やかはあれど、昭和の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気。
バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
新宿の歌舞伎町が、かつて持っていた日本一のネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは池袋西口なのだろうか。
父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
この街は変わらないと。
目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。
東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である。
今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。
あぁ、大学一回生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。
それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガンのトムクルーズよりもカッコよく見える。
父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。
池袋駅西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。
お前が成人してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」
その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。
そんな私がなぜだか悔しかった。
人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機を回避するために必要な仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。
虐待、という言葉は日常的に――さまざまなニュース、ネットの記事、大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。
多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から。扶養者から。祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待も問題視されている。わたしのiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力や言葉による脅しなどが挙げられている。
そして、本題である。
寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいからの虐待、である。
わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいだから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義づけができないのだろう。
でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。
わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形やミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。
ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズの小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。
単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。
姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから。生理的に拒絶して責められても仕方ない。
それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものをわたしの身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。
そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。
ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動がさらに悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。
契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。
「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。
足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。
ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。
ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。
そのあとは、わたしはリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女が高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中にものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。
「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正面から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときにじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。
姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分で制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかしい存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在。
幼い頃から培った「この人と自分は平等ではない」という意識は根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在、姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解が存在しているから、比較的穏やかな日常が保証されるようになった。
でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。
この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情や記憶を吐き出して保っている。
わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。
あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神も成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。
AとBという二人。
まずA。鼻をかむ時は絶対に廊下に出る。休み時間なんかは別に気にならないけど、授業中で皆静かにしてる時に(特に先生に断りを入れるでもなく)勝手に席を立って廊下に出ていってしまう。そして思い切り鼻をかむ。鼻をかみ終わったら普通に席に戻ってきて普通に授業を受けていた。なぜそんなことをしていたのかは知らない。突然席を立つので気が散るな、とは思っていた。
次にB。癇癪持ちといえばいいのだろうか。何か気に入らないことがあるのか、授業中でも唐突に「やだやだやだ……」と何かを拒否しだす。普通に授業をしてただけなので傍から見てても何が嫌なのかよく分からない。エスカレートすると「い゛や゛ーーー!!」と耳をつんざくレベルの絶叫と化す。更にエスカレートすると床に仰向けになって泣き叫びながら手足をバタバタさせる。あまりにも収拾がつかないと教頭先生や校務員のおじさんが宥めにくることもあった。これは低学年の子が愚図ってるというものではなく小6になっても同じ調子だった。こうした行動が起きると授業も止まってしまうので内心ではとても面倒くさかった。同級生でBと同じ通学グループの子がいうには、Bの母親は彼の癇癪を"個性"と言っていたそうだが自分が聞いたわけじゃないので真偽は不明。
小学校はいわゆる普通学級しかなかったけど、卒業して地元の中学校に進学したらAは特別支援学級(〇〇学級とか呼ばれるところ)にいたので、まあそういうことかとちょっと腑に落ちたような気持ちになった。Bは地元の学校にいなかったので卒業後のことは何も分からない。
上司が癇癪持ちでその感情を中学生並みに前面に出す人なんだけど、どうにかできるのこれ。
それを一切隠さず、新人には「朝はみんなピリピリしてるから気をつけて」などとおっしゃる。お前がおらんかったらみんなにこやかだわ。
40半ばくらいの独身男で、ここ最近記憶の衰えのためか、言ったことが言っていないことにされる頻度が増えている。
また発言がどうかしているため、やんわりと「頭どうかしてるぞ」と増田が指摘する機会が増えた。そのせいか、敵認識を強めているようで、こちらの発言を曲解することも多くなってきた。
業務上のなんでもない報告に対してすら引っかかられると、もうかなりコミュニケーションをとる意欲が削がれる。
ごく少数の職場なので、これからずっとこいつのご機嫌うかがって介護生活かよと思うと嫌気がさすが、なんか上手い解決の手立てはあるんだろうか。
おそらくこの上司の自己認識では、「自分は誰よりも会社のために働いていて、みんなに優しく、思いやりがある」みたいになってる節があって、そういう発言をたまにもらす。
自覚ないのであれば、「あまりにもネガティブな感情を出すのは、どうか本当にやめていただけませんか」ってストレートに言いたいけど、たぶんダメなんだよね。
あー、もうめんどくさー。
俺には1つ上の兄がいるんだけど、小さい頃から仲が悪かったし、もう15年くらい顔を合わせていない
兄は陽キャだが自分は陰キャだったためか、まるで好みや性格が合わなかった
喧嘩も絶えなかった、といっても以下のように一方的なものだけど…
小学生のとき、父親から買い与えられてた月間漫画2種のうち面白い方を、兄が突然俺のだと主張し、読むなと言い張ってきた
それでもこっそり読んでいたのだが、うっかり見つかるとブチギレられて、俺は一目散に鍵のかかる部屋に逃げ込む
すんでのところで間に合ってドアに鍵をかけると、兄は罵詈雑言を浴びせながらドアを壊す勢いでこじ開けようとする、すると祖母がやってきて30分くらいかけてなだめる
というのを100回くらいやった気がする
また中高生の頃、兄の買った漫画をこっそり読んだり、(兄にゲーム機本体を占有されていたので)自分のゲームソフトで遊ぶために兄の部屋に忍び込んでたところを見つかってキレられ、逃げ出す、というパターンもあった
(俺には自分の部屋を与えられなかったし、漫画を持ってなかった、だが欲しいとも思わなかった)
兄は大学卒業後正社員になって、結婚して子供もいて東京で暮らしてる
俺は兄より断然偏差値の高い大学に進んだけれど、その頃から人間関係がうまくいかなかったり、勉強のやる気がなくなったり将来への不安から、引きこもったのち実家暮らしで派遣の工場作業員として働いてるわ
親の庇護下にあったときは、勝手に人の部屋に入るコソ泥みたいなやつなのに何のお咎めもないため、俺は兄から憎まれていたし疎まれていた
俺は反抗期がなく良い子だったが、兄は中高生の頃は反抗期真っ盛りで母親とよく口論する悪い子だったと言える
だが大人になったら俺は駄目人間で兄は立派な一人前の社会人になったんだ
死にたくなるし、兄に対して(社会に対してさえ)憎しみが沸く
兄はきっと、昔と今を比べて、胸の内でガッツポーズを取っているだろう、いや、あまりに格下の存在に対し比較することさえないかもしれない
トラウマなのか都合の悪い事実もあってか、兄についての記憶は今まで思い出すことがほとんどなかった
だが暇さえあればネットに齧りついてる俺にとってこの冬休みはあまりに暇で、ふと書き出したくなったのだ
にしても、祖母や両親はいつも兄を宥めたりするだけで、俺や兄を叱ったり、何かしら対処したりということをしなかった、事なかれ主義なんだな
兄は癇癪持ちだったし(今は真人間らしいのが不思議で悔しくてならない)俺は偏屈だし、教師である父親はアスペの毒親だし、同じく教師だった祖母も毒親だった…母親はいくらかまともだが、父親の愚痴を俺に吐き出してくるので困る
家族全員歪んでる気がするよ
祖母の善人のような振る舞いが子供ながらに信用できず、小学校から帰ってきたとき出迎えてくる祖母が、もしかしたらルパンのように巧妙に変装した強盗かもしれないと妄想し、怖かった
後々になって聞かされたが、嫁である母には当たりがきつかったようだから、警戒しておいて間違ってなかったと思う
小1の頃の祖父の葬式ではワンワン泣いたのだが、高1の頃の祖母の葬式では一滴も涙が出なかったし、出す気もしなかった、それを陰で親族の人に指摘されたのが耳に入ったっけ
過去のトラウマに向き合わなければ救われることはないだろうが、普通の家族関係がわからないから、今振り返ってみても何がおかしいのか自分でわからない
こうして言葉に表すのも、子供の頃の記憶というのは妙に客観的に捉えづらくて難しい
向き合うにしたって、心が苦しくって中々できるもんじゃないね、頭を巡らせているうちに何を考えていたか忘れてしまうのも厄介だ
生きていたって何も良いことがない、そればっかり心の中で繰り返している
そこはベッドタウンであることだけが取り柄のしがない町であった。
しいて特産品を挙げるのならのなら、現代の価値基準で言えば圧倒的な勝ち組家庭がモーレツに嵐を呼びがちな国民的アニメぐらいである。
私はそんな都心に近いことだけが拠り所のそこで、そのアニメの主人公たちからは1回りぐらい下の家庭に産まれた。
十二分な中流であった。
私を産んだ時に既に母は40を超えていて、父はそこから更に2歳ほど年を取っていた。
両親の性格は今で言えば大人の発達障害、その血をかけあわせて出産適齢期を過ぎた母体から世界に飛び出した私は、当然のように見えざる発達障害を抱えていた。
物心ついた頃、テレビで見た自閉症特集で「自分はこれをギリギリ回避しただけなのだ」と子供心に嫌というほど感じたものだ。
発達障害からくる情緒不安定、また生まれつきの運動音痴とリズム感の無さが幼少期の私を苦しめた。
せめて産まれたのが3月でなければ……。
持って産まれた才能と産まれた時期によって本能レベルの優劣を植え付けられた幼稚園時代、思い出せる記憶はおゆうぎ会で失敗した結果泣き出して最後には小便を漏らしたことだけだ。
他の記憶はどうでもいいものと辛いものしかないので忘れてしまったが、一番辛い記憶は忘れきることが出来ていない。
小学校に上がってからは、持ち前のコミュニケーション不全と癇癪持ちにより友人を作りかけては次々に失っていった。
ただ、両親が共働きの鍵っ子で、ゲームや玩具だけは持っていたため、それを目当てに厚かましい連中によく家を遊び場にされていたことを覚えている。
私にとって人と一緒に遊ぶことは食い物にされることだった。
結局彼らとの間に友情が芽生えることもなく、クラスで班分けがあると決まって彼らは本当の友人たちと群れあい、私は余り物のグループにいた。
同じグループにいる者たちは、今思えば全員が発達障害だったのだろう。
その顔つきは目がつり上がってこそいないが、うっすら自閉の色に染まっている。
スポーツは苦手だった。
ゲームも自分で遊んでも家をたまり場にしている連中よりうまく出来ないことにイライラしがちだった。
それで暗記が好きな子供だと勘違いされたのか、学校の教師は私に自信をつけさせようとよく電車や動物の名前を答えさせようとしたが、私は物についた名前に興味はなかった。
科学や論理に基づいてどういう事が起きているのかが好きだったのだ。
その理由は結局の所、生まれつき物覚えが悪い自分でも、名前を覚えなくても概念だったら分かるし、テストで出るときも穴埋めの周りにヒントが沢山あるので昔の偉人の名前なんかよりはずっと覚えやすいと感じたからだろう。
私の中にただ一つ人より出来ると感じられるものがいつの間にか産まれていた。
そんな私を見て、両親は中学受験を勧めた。
勉強が好きだと思ったのだろう。
新しい環境で、勉強の好きな同級生と一緒になれば、自閉症じみた我が子にもちゃんとした友達が出来ると信じた両親は、私を塾に通わせることにした。
塾に通うことの条件として私は大嫌いだったスイミングスクールと習字教室を辞めることを提案した。
取引は成立した。
それから私は受験勉強をそれなりに頑張り、それなりに手を抜き、結局暗記が得意でないことで躓き、志望校から2段階落ちる滑り止めの私立に入学した。
中学受験の勉強どころか学校の授業さえ本当に真面目にやっていれば受かれるような学校だったが、親戚や両親は私を賢いと褒めてくれた。
私だけが、自分がいかに努力しておらず、そもそも勉強自体も苦手なのかを思い知らされていた。
そして、同じく受験勉強をする塾の同級生を見ているうちに、自分が得意げにしていた「記憶力が足りない代わりとしての理解力」というも、実際は大したことがないことを嫌というほど分かっていた。
我が子を無事私立へと送り出したと胸を撫で下ろす両親とは裏腹に、私は自分という人間の程度を思い知らされた烙印としてその学校の制服へと袖を通した。
子どもも五体満足で一姫二太郎、若干癇癪持ちではあるものの普通学級
何甘えてんだよって言われるかもしれないけど
自分の時間が 労力が 気力が 全てが 子どものためだけに吸われていくことに
ある日突然とてつもない恐怖に襲われる
でも多分独身や子無しならそれはそれで悩んでると思うので、
今の生活に後悔はないんだけど、それでももう少し「私」を返して欲しいと叫びそうになる
学校に行ってる&在宅の仕事なので、昼間は時間結構あるはずなのに、使い方が分からなくてフリーズしてるみたいになる
それで毎日焦って夕ご飯の準備して、お迎え行って宿題見て習い事の練習させてるうちに口論になってイライラして
毎日これ
早く独り立ちして欲しい
●4月2日
とにかく事務所に乗り込む。
『QJ』赤田氏と僕とで、
まずマネージャー岡氏を説得しなければならない。
と思っていたら、「本人来ますよ」
20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、
「この対談、読み物としては
自分がやるとなると……(苦笑)」
やはり引き気味のコーネリアス。
しかし話をしていくうち、
小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい。
僕の確信は間違ってなかった。
紹介していたぞ。
独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。
小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。最初に登場するのが沢田君(仮名)だ。
「沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、
転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。
もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、
『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。
なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?
で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、何か一個(笑)。
そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。
で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」
「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ。(笑)。
で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。
で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、
まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。
おまけにこいつは、体がでかいんですよ。
それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけてきたりとかするんですよ。
で、みんな『怖いな』って。ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、
怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、
で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。
それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」
「僕とこいつはクラスは違ったんですけど、小学校五年ぐらいの時に、
僕、"太鼓クラブ"とかに入って(笑)、かなり人気のないクラブだったんですよ。
『サンサ踊り』とか、何かそういう凄い難しい踊りを取り入れてて。
僕、踊り踊るのヤだったの、すごく。
それで踊らなくていいようにするには、太鼓叩くしかなかったの。
クラスで三人とか四人ぐらいしか太鼓叩く奴はいなくて、後は全員、踊らなきゃいけないってやつで。
僕は『踊るのはキツイなー』って思って、『じゃ、太鼓の方がいいや』って。
それで太鼓クラブに入ったんですけど、するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。
本格的な付き合いはそれからなんですけど、
太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。
野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、
太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、
それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。
五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。
そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」
全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、
『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。
そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって、
しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、
『ヤバいね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、
部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?
何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、
『おかあさ〜ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして」
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。
ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」
はやく死ね。
アル中とか癇癪持ちとか家に金入れないとか子供の面倒全部親戚に押し付けたとかばあちゃん殴り殺したとか妻と20年近く別居してるのに離婚してないとかそういうのはマジでどうでもええ。
容器の口開けずに電子レンジ使うところとか食べ物こぼしたらティッシュでぐちゃぐちゃ拭けばいいと思ってるところとか一人だけスリッパ履いて生活してるところとか家族で使う洋式便所で立って小便するところとか風呂場で水バシャバシャ飛ばすところとか洗濯機に制限以上の服突っ込むところとか自室がバカみたいに汚いところとか。
とにかくお前と一緒に暮らしてると家が汚れる。家が嫌いになる。特にトイレ。トイレいくたび小便アイランド見せられて憂鬱なるわ。死ね。
何度か伝えたけど全部無視したよな。自分に都合のいい話だけ耳傾けて他はすべて我関せずですか。
俺が一人暮らし始めたらお前が寄生してる実家からは出てってもらうからな。お前の老後なんぞぜってー見ねえから、裏のまいばすあたりで野垂れ死ね。