2024-05-01

少子化問題と、責任負いたくない問題について思うこと

周知の事実だろうが少子化問題に関しては別に日本固有の問題ではなくて、あらゆる先進国で発生している事象だ。

ここに関して、国が悪いだの、なんだのいう考えなしはここでは無視する。

まず医療技術の発達が、子どもが生き残る確率を上げたのは言うまでもない。

そしてリベラル思想の醸成により、口減らしみたい行為は表立ってはできなくなった。

どのような才能や出自を持ってこの世に生まれ落ちたとしても、あまねく子どもたちは育てられるようになった。

これが一つ、今では誰もが知っているだろう現代の大きな問題の要因だ。


ガチャ禁止

昭和中期頃まで、まだギリギリ口減らし的な思想は残っていた。

ハンセン病を始めとする病気由来のものもそうだし、生来的な障碍者差別もそう。

知り合いの親戚はとある身体ハンディを負っていたが、

周囲や、若い人の反応は気にならなかったようで、それよりもむしろ親や親戚などの身内が、

地域社会から自分存在を隠そうとしていたということに傷ついた、と語っていたのを思い出す。


どんな形質を持って生まれたとしても、成人できるようになった反面…

よく現代病などとして、最近花粉症が増えた、とか発達障害が増えた、などと言われて久しい。

これはもちろん、科学医療が発達して色々なことが分かるようになった、ということもあるし

からそういう素質を持った人はゴロゴロしていたよ、という話もあるだろうが、

一番の理由は、子ガチャが出来なくなった、許されなくなったからだと思う。

で、今になってグレーゾーンだとか、ひまわり学級だとかが見直されつつあるわけだ。


もちろん、社会全体として生物学的な多様性を保つことは、種全体としてもリスクヘッジになっているだろうし

倫理的な側面からも、人間社会が豊かになったことの証左であると言える。

だが、個人としての本人の意思はいかほど尊重されているのだろうか。


自分とある身体ハンディと、重度のADHDを抱えていたものの、そこそこの努力

周囲の助けもあり、大学卒業し、サラリーマンを経て、親の敷いたレール、つまり家業を継いだ(祖業は廃業したが)

クソボンボン野郎、という声が聞こえないでもないが、幸福度で考えても全く釣り合わない、と思う。

ノブレス・オブリージュなど聞こえはいいが、結局は社会奴隷かつ、労働者奴隷でもあるのだ。


半出生主義者ではないものの、この社会は求め過ぎではないのか

自分アメリカ式の超競争主義社会能力主義社会のように、

はたまた巷にいくらでも溢れている成功者自伝本のように、努力が足りない、

などという世迷い言をいいたいわけではない。

この努力、というものを、子ども押し付けいか?ということだ。

これからますます、勤勉で、清潔感があって、思いやりがあって、物事分別がつく、聖人君子が求められる。

もうちょっと、緩くていいんじゃないのか、とそう思うのだ。

厳しくなりすぎたからこそ…自ら世捨て人となる人が増えているのではないか

トラックに轢かれて別の人生を、自ら子ガチャをやり直すような妄想が、蔓延しているのではないか


責任世代に、救心錠剤

で、この少子化問題に関わる議論として、責任負いたくない問題がある

裏返すと、子どもを育てる親の責任重すぎやしないか問題

さらには、経営者責任者、政治家責任重すぎやしないか問題

今では部長が悪い、課長が悪い、OJTが悪い、親が悪い、環境が悪い、国が悪い等と

終わりのない他責思考と、昇進拒否退職代行のような責任回避思考蔓延している。

そんな責任を負うのなら、JTCで怒られない程度にお茶を濁すが如く耐える方がいいと。

ただ、それすらも今は…


でもさ、子育てなんて、ローグライトみたいなものじゃん

現代社会で子を持つ親たちは自分ひとりで子育てをするような、

傲慢な考え方を、いつの間にか持たされちゃあいいか

だって社会法律が、どうあっても子供を殺すな、きちんと責任をもって教育しろ、と言っているのだから

だが、お前ひとりで育て上げろとも言っていない。


そもそも人ひとりで育て上げられるはずもない。犬猫を育てるのとはワケが違い過ぎる。

人間社会性の動物であり、文字通り、社会の中で、人々と交流することで全てを身につける。

そうした側面を無視して、新自由主義的な、自らの力で全て何とかしないといけないような考え方に囚われちゃいないか

別に個人主義自由主義否定したいわけではない。

ただ、オギャーと産まれてくるのは、ただの動物だ。チンパンジーだ。

まれてずっと親と暮らすわけでもない。社会性をどこかで身につけなくてはならない。

そしてそれは、才能にもよる。マセガキもいれば、少々社会性の獲得が遅い人間もいる。


何より実際のローグライトゲームのようにリセットなど出来ないのだ。

何も持たず生まれて、何も持たずに土に還るのだ。そうした自然な循環をしようじゃないか

からこそ、基本的には子どものしたいようにさせるのが一番だ。


※躾をしないのとは違うからな、そこをはき違えないでほしい

 時には殴ってでも止めないといけないこともある。

 刺し違えてでも、社会迷惑をかけないように体を張って止める。

 それはお前の役目だ。それは覚悟しておけ。その責任社会にだけ負わせるな。

 今は教師も、近所のカミナリ親父も、その役目を負ってはくれない。

 そういう意味で、精神的な子育てハードルは上がっているのは間違いない。

 ただ、それが出来ないと思うのならよく考えて親になってほしい。

 犬猫を飼うつもりで子育てをしないで欲しい。

 躾をされないで育ち、大人になってから鬱になるか、反社として生きるかの二択を迫るのか。

 いいか、躾というもの水疱瘡はしかなどと似ている。

 大人になって水疱瘡などにかかると重症になりやすい。

 それは、肉体的にほとんど完成しつつあるからだ。

 精神も同じだ。三つ子の魂百までではないが、

 大人になってから躾を身につけさせるのは非常に難しいし、個人主義現代にそのようなお人よしはいない。

 社会に出てから虐められてみろ。怒られてみろ。言いたいこと分かるよな。

 そして大人になってから無礼は、無視される。

 いじめられるわけでも、怒られるわけでもない。

 そうして、社会での居場所をどんどんと狭めさせてしまう。

 子供のうちはいくらでも挑戦させろ、失敗させろ、身内で迷惑を掛けさせろ。


色々と偉そうなことを書き連ねてしま申し訳ないが

一つだけ伝えておきたいのは、別に世界社会あなたの敵ではないということ。

そして、今は未曽有の危機第二次世界大戦前後以来の混迷期だということ。

もっと言えば、明治維新第二次世界大戦を同時に経験しているくらいの、

大きな変化の渦中にいるということを、頭の中に入れておいて欲しい。

産業革命以来の、"働き方改革"(強制)と、年間数十万人の人口減の同時発生。

そんな場面で、日本人同士でいがみ合って、責任押し付け合ってどうする。

国家総動員任意体制と思おう。

別に指をくわえてみてたって構わない。

けど、お願いだから、これに対処しようとしている人たちの足を引っ張ることだけはしないでくれ。

別に賛同してくれなくたって、協力してくれなくたって、疎外したりはしないから。


あまねくご先祖様、これだけの天下泰平を築いたものの、戦後最大の危機が訪れております

どうかお知恵と、立ち向かう勇気を授かりますよう、見守って頂ければ幸いです。

未来ある子どもたちの為に。

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