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はてなキーワード: えことは

2015-03-18

えこひいき」でぐぐったら…

えこひいきは悪い事じゃない!平等を求める方がおかしい!という記事ばかりが出てきてクラクラした。

えこひいきをやめようとか、やめてもらうには、という内容は殆ど無し。

日本社会は依怙贔屓肯定社会か。病的だな。

外国にも贔屓はあるだろうけれど少なくとも建前上は平等を目指していこうという気概はあるように思える。日本みたいに容姿差別を前面肯定してるようじゃ終わりだと思う。

えこひいき」されるようになるにはどうしたらいいか、っていう記事もいっぱいあったけれど…

うーん、仮に自分えこひいきされる側になるとしても、それでその代わりに誰かが辛い思いをするならそんなの嬉しくないし

それなら今のまま冷遇されるままでもいいや…。

重要仕事を任されないのは辛いけど、それは生まれつきの容姿や重ねた年齢のせいであって努力してもどうしようもないんだろうし。

若くて可愛い子が贔屓されるのは当たり前って事で、BBA嫉妬無駄努力をするのをやめとく。

2015-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20150312101506

怒鳴ったらそうなるわ。力で相手を抑えこもうとしてるんだもん。

大人の男なら冷静に話をするべきだし、それで解決しないなら法的手段を取るべきだった。

2015-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20150305021937

はあああああああ!!!?????

貴方のことは知らない!!!

分かったところで99.9パーセント何の接点もない!!!

でもめっちゃイライラする!!!!!

俺!!???俺か!!???

俺は就活終えた4年!!!!!!

2015卒!!!!!!

からさあ!!!!!!

ちょうど今なのよ!!!!!

3年生の就活が始まるちょうど今ごろの時期!!!

こういうのに口挟みたくなる精神状態になる時期なのよ!!!

からちょっとだけ言わせてくれ!!!!!

1回だけ!!!

もう2度とこんなウザ絡みはしないから!!!

アドバイス罪の罪悪感を背負いながら言うから!!!!!

すぐ終わるから聞いてくれ!!!!!!!!!

イオイオイオイオイオ!!!

まだ就活解禁から1週間経ってないんだぜ!!!!????

なんだその私もう疲れ果てましたみたいなニュアンス!!!!!!味付け!!!!!!

文章に施されたその味付け!!!!!!!!!

落ち着けって!!!!!!

いったん落ち着けって!!!!!!

1週間でへこたれてどうすんだ!!!!!!

めっちゃ怖い話するから落ち着いて聞けよ!!!!!!

15卒でまだ就活してる人けっこういるか!!!!!!

15卒は12月からから、彼らは1年3ヶ月就活してんだぞ!!!(ちなみに俺は1年1ヶ月だ!!!!!)

オイ!!!!!

でも大丈夫だぞ!!!!!

1年超えると逆にポジティブになってくるから!!!!!

めっちゃメンタル強くなるぞ!!!!!!

なんで優秀な俺が雇われないんだみたいなプライドとか粉々に破壊される!!!!!!

粉々というか、粉も残らない!!!!!

友達より有名な企業入りたいとか、そういう俗っぽい欲望から解放される!!!

解放されるというか、奪われる!!!!!

ただ毎日を生きることに喜びを感じ始める!!!

家の前の花の色に感動!!!!!

その横の雑草も、まあ緑色の鮮やかなこと!!!

なんだかんだ毎日まともな食事にありつけるありがたさ!!!

就活の苦労は無駄ではなかったと思う!!!!!

オイ!!!!!オイ!!!!!

から死ぬなよ!!!!!!

いいか!!!!ぜったい死ぬなよ!!!

就活茶番だと啖呵を切ってみても、就活に反抗して自分起業するだけの気概もなければ、反抗心をむき出しにして面接の場で本音を語るだけの勇気もない。けれど反抗心をなかったことにして適当茶番にのっかる自分を許すことも出来ず、中途半端人間が出来上がり、そんな風しか生きられない自分が、しんどい

嘘つけ!!!!!!

お前たぶん自分のこと好きだろ!!!

自分を変える気ないだろ!!!!!!

しんどい」ってのは自分じゃなくて大好きな自分を受け入れてくれない世の中に対して思ってることだろ!!!

もちろん自分が好きなのはいいことだと思う!!!

それ自体めっちゃ健全!!!

から変な自虐風の文章に味付けするのはやめろ!!!

自分を変えるか、自分を通すか、どっちかにしろ!!!!!!

個人的イライラする!!!!!!!!

私は仕事を通した自己実現なんて求めていないし、社会を良くするというような使命感も持ち合わせていない。仕事に求めるのは、自分一人の生計が立てられて、1ヶ月に1回ぐらいお寿司とか焼肉とかおいしいものが食べられて、1年に1回ぐらい国内旅行18きっぷでかまわない)に行けるぐらいのお金を稼げて、休日には家でゆっくり読書ネットサーフィンができる時間があって、こころと身体の健康を損なわないこと、である

俺もまだ学生身分で偉そうなことはいえないけども!!!!!!

社会を良くするというような使命感」を持たないで、自分社会恩恵を受けて楽したいって!!!!!!

それ無理だろ!!!!!!

社会に対して何もしないのに、自分社会に世話してもらいたいって、オイオイオ!!!!!

お前はヒモ!!!!!!

そりゃ社会に影響力を持つとか、ましてや変えるってのは難しいと思うよ!!!!!

でも気概くらいは持とうよ!!!!!!

社会っつーのはそれを構成してる1人1人の働きかけで成り立ってるわけだから!!!!!

何も苦労が美徳と言ってるんじゃないぜ!!!???

から、志望理由を聞かれたって、上記が満たせそうだからということしか言えないし、他の企業でもいいんじゃないのって言われたら、そうですねとしか返せない。10年後のビジョンを聞かれても、幸せ(私の感じる)に暮らせてればなんでもいいですと言いたくなる。でもやっぱりそれじゃあ通らないのもわかっているから、ちゃんと、まともに、業界研究をして企業研究をして自分の適正に合った志望の職種を考えて…ってのをやらなきゃいけないとも思うのだけど、(条件を満たすところであれば)どこでもいいと思っているから、やる気になれない。数十社も受けなきゃいけない中で上位数社以外に志望理由なんてあるわけねーよばーか、一度も働いたことの無い学生に当社でどのようなことがしたいですかと聞かれても言えるわけねーよばーか学生企業研究を求めるのは企業側の教育放棄なんじゃねーのばーかと心の中で噛み付いて就活から目をそらす自分肯定してみても、冷静な部分の自分が、そうはいっても企業からしたら志望理由ややりたいことを言える子を採りたいと思うのは当然だよねって心の脛をコツコツと蹴りあげてくる。痛い。

からその養ってもらおうみたいな発想から脱却しろって!!!

社会は売れないバンドマンに尽くす女とは違うって!!!

俺が社会を語っても的外れだろうけど、たぶんそれだけは言えるって!!!

人並みに仕事はできると思う。勉強することは好きだし、真面目(というか不真面目になれない臆病者)だし、なんだかんだ要領もいい方だと思う。知らない人と明るく気さくに話さなければいけないような、営業のような(ステレオタイプだろうか)仕事には向いていないと思うけれど、自分が傷つきやすい分、自分に関わる人には優しくできると思うし、そうありたいといつでも思っている。規範意識が高すぎるところはあるけれど、その分時間は必ず守るし、約束を違えることもしない。就活自分アピールする場だとわかっていても、自分の美点を語ることを恥ずかしいと思ってしまうような融通のきかなさはあるけれど、その分謙虚仕事ができると思う。

自分謙虚!!!!????

マジか!!!!!!???

イオイオ!!!!!

マジで言ってるのか!!!!????

私にできないのは、自分アピールすることと仕事に関する夢を語ることだ。仕事をするにあたっての素質、みたいなものは、まあ人並みにはあるんじゃないかと思うけれど、この2つができないことは、どうやら就活の場では致命的らしい。適当に何かでっち上げてしゃべることをよしとしなければ、フリーター一般職になることだってプライドが許さない、そんな自分がもうどうしようもなくて、なかなかしんどい。ばかだなあ、適当にやっとけばいいのにって、そう自分でも思うけど、やっぱりできないのだ。

決めつけるなって!!!

これは俺が経験者だから言うけど、割と本音を語ったほうが良かったりするんだって!!!

俺は落ち続けていろいろ吹っ切れて、途中から本音面接してたぞ!!!

内定もらったのも本音で喋った企業だぞ!!!!!

人事「仕事私生活より大事だと思う?」

俺「えーと、思いません。仕事私生活は両輪の関係だと思っています。両方同程度に大事ということです。仕事ダメになったら私生活ダメになるし、逆もしかりだと思います

落ちたかなー、って思ったけど内定もらえたぞ!!!

何より本音で受かると自分価値観合致する会社なのかなー(実際わかんねえけど)って期待が持てて入社まで気持ちよく過ごせるのがメリットだと思う!!!

あと「フリーター」「一般職」を見下すのをやめろ!!!!!

謙虚以前の問題だぞ!!!!!

恥ずかしげもなく夢を語れ人間に生まれたかった。

オイ!!!!!オイ!!!!!!

夢を語る人間馬鹿にするな!!!!!

さすがにそれはヤバい!!!!!!

中高生思考!!!!!!!!!

友達なくすぞ!!!!!!!!

落ち着け!!!!!!

現実的内向的で悲観的な人間が、社会自分必要とされているという実感を得るのは、難しいみたい。せめて私だけは、そういう人たちに理解承認を与えられるようになろう、というのが今のところの私のよすがである

求められたいなら、自分から求めろ!!!!!!

もっというと「別に御社とか入りたくないけど給料欲しいし」っていう意識を改めろ!!!!!!

社会を良くしたい使命感とかない」みたいな態度やめろ!!!

社会恩恵をもたらさないのに、社会から必要とされるわけないだろ!!!

から「君のこと好きじゃないし何もしてあげられないけど俺のことは好きになって」って言われて好きになるか!!!???

無理だろ!!!!!!

ああ!!!!勢いでわけわかんねえこと書いちまった!!!!!!

結論!???

無えよ!!!!!!

これは俺のための文章!!!!!

俺のきしんだ心の内圧を発散するための文章!!!!!!

読み返したらビックリマーク多すぎるから減らしたわ!!!!

16卒のみんな!!!

がんばれよ!!!!!

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論

はじめに

映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。

シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリングから成り立っていますが、シナリオから分析局面では、プロットのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリング重要だということになります

ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。

様々な作家による小説、ラノベ創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。

正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスゼロにする」ものしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロしかないからではないのか。

一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである

ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。

であるならばそれは、システマチック再利用可能な一定演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。

仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である

金子映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディ不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。

「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。

本論

定義調査対象

本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話キャラ萌え特化の現代ラノベ普遍的存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。

大塚新城をDisった上で、つまりあ特定様式における「テンプレート」の抽出必要なのであり、本稿ではボーイミーツガール様式をもつラノベ限定することとした。

ボーイミーツガール定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公ヒロイン出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。

まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョン主人公であり、涼宮ハルヒヒロインである。加えて主人公ヒロイン性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公ヒロイン女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公女性ヒロイン男性である表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。

次に、では「非日常」とは何か。

例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公ヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公ヒロイン出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。

そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロイン意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公意識している相手」と定義する。

以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベボーイミーツガールと考える。

  • 語り手/視点人物(主人公)はある人物(ヒロイン)と遭遇し、これを意識した行動を取るようになる。この行動が物語の主たる軸として描かれる。

なお、本稿におけるボーイミーツガール排他的ものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である

これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から映像化された作品を中心に絞り込むこととした。

シリーズ化している場合、本稿での調査原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。

以上からWikipediaアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。

長くなったが、以下やっと本題に入る。

本論

本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的判断によってまとめたものである学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものしかない点は注意されたい。

遭遇のテンプレート

主人公ヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公ヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味ヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。

さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。

問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である

突然同じ部活所属することになったヒロイン毒舌であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロイン天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロイン魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。

筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である

設定の極端化

「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロイン挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものしか認識されないリスク内包する、という点である

演出の工夫

既存陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。

主人公を困難に直面させる

クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能であるヒロイン奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。

とはいえこれらの例において実質的主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。

一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。

秘密漏洩

偶然からヒロイン秘密主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。

知ってしまった秘密主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公ヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密漏洩ヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロイン人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。

謎の提示

その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である

例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。

しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型ヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。

印象的な絵面

例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。

筆者は全く百合趣味理解できないが、そうであっても「美人美少女ネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。

マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。

遭遇の多段階化

以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。

例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインエロゲ趣味主人公漏洩する第一の遭遇(秘密漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロイン主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。

化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロイン体重が無い」という「謎の提示」と「秘密漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインカッターナイフホッチキス主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃性格ヒロインに特段の目新しさはないが、文房具凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。

とらドラ!』の第一の遭遇はヒロイン主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。

興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。

例えば『俺妹』ではエロゲヒロインに返した際、その場でヒロイン主人公へ自室でそのゲームプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロイン夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。

中編へ続く

2015-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20150223124652

これまでは直してたんだっつーの。仕事はチェックじゃなくて後課程をすることだから仕事してると自然に前過程ミスとかがわかるようになってんだよ。最初そいつも直してたんだけど言い方が上から目線上司ヅラして偉そうにいうんでみんなでほとんど相手をしなくなったらものすげえこまけえところまであら探ししていちいちミスがあったとかいってフローを戻してくるようになった。誰もおめえの相手したくねえんだよ早くやめろ。てめえ一人だけ忙しいふりすんな。

2015-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20150213000517

すごく似てる。

自分根本的に仕事が向いていない。

学生の頃、バイトを数種類経験したがどこでも「何かズレてる奴」認定されて使えない人間として疎まれてきた。

プライベートでは普通に話せるし、あまり嫌われることもないけど仕事となるとルーティンワークさえろくにこなせない。

結果仕事ではことごとく嫌われる。

アルバイトとしてプログラマーを始めて、プログラムを書くことはそれなりに楽しいので今も仕事としているが、

コミュニケーションが壊滅的に下手で、やはりズレてる奴認定はされる。

メンタルが弱いので、職場で辛いことがあるとかなり早い段階でキツくなって辞めてしまうので1年程度しか続かない。

はいっても、自分からプログラムを取ったらルーティンワークさえこなせず、コミュニケーションもまともに取れない

社会的に見て完全な役立たずの人間になってしまうのでプログラムにしがみつくしか無い。

自己実現云々ではない、これしかないのだ。

勉強はそれなりに出来て、地元では有名な大学を出たのが逆に重くのしかかってくる。

面接時の学歴に対する期待が仕事ぶりを見られた瞬間落胆に変わる。その振り幅がとてつもなく大きい。

面接の時もどうせなら高卒って嘘ついた方が楽なのではないかとよく考える。

学生の頃は周りは自分に似たようなタイプの人ばかりで楽しかった。

彼らは今どうしてるんだろうか。

2015-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20150212174247

そんなか?

2012/02/13 07:47

はてなブックマーク - スマホが拓く世界市場 和製「LINE」ヒットの裏側  :日本経済新聞



2012/07/12 13:04

はてなブックマーク - LINEのソーシャルネットワーク化の先にあるもの | little_shotaro's blog



2014/02/26 17:11

はてなブックマーク - 業界に激震走る。本日のLINEの発表でネットの世界はどうかわる? | More Access! More Fun!



2014/12/16 17:32

はてなブックマーク - モバイル決済サービス「LINE Pay」が始動–手数料0円で個人間送金や割り勘可能に - TechCrunch

2015-02-10

はてなにはきょうもえことjizouさんや青二才ことtm2501さんという人がいる。

彼らはネットでめんどくさい人を追いかけることが三度の飯より大好物という人種だ。ネットではよく頭のおかしい人を見つける。しかし、普通わざわざ説明するひつようがなさそうなパッと見てわかるクズオブクズを見ても、それについて丁寧に発言を調べたりまとめたりするのは面倒である。そんなことをしなくてもわかるし、twitterブクマ一言石でも投げつけておけばそれで満足できてしまう。それ以上頑張ってもなんの生産性もない。だから普通の人はやらない。そんなことをしている暇はない。だがしかしそういうものに対する需要結構ある。なぜならネットバカ暇人のモノ故に。

でんでんで、上のお二方はこういう特にやろうとは思わないけれど誰かやってくんないかなと思ってることについて、わざわざ調べて丁寧に説明するという極めて面倒くさい作業をいちいちやってくれたり言及したいけれど直接言及すると穢れちゃいそうな話題について堂々とつっかかってくれる。

いわゆる汚れ作業ってやつだ。余計なトラブルであるとか誹謗中傷リスクを引き受けてくれる代わりに、おひねりでブクマわずかばかりの広告報酬を得るというどぶさらビジネスを丁寧に行ってくれている。

どぶさらいやワイドショーレポーターみたいな仕事をしてくれる人間一定数以上は必要だ。毒を持って毒を制すともいう。いつもその存在感謝している。

2015-02-09

女性向け】合コンのガッカリ感を下げる、たった三つのこと。

不幸な合コンを多く見かけます。まさに不毛です。

私の周りには「新郎新婦は共通のご友人を通じて知り合われ(≒合コン)」というケースが結構あります

そういった事例を踏まえて、女性陣にお伝えしておきたいことがあるので、書きたいと思います

お伝えしたいのは、たった三つだけです。

  1. 何を目的とした合コンか、確認しておくこと
  2. 好きな料理、行きたい店、苦手なモノを伝えておくこと
  3. 男性からのお誘いを、恥ずかしがってとりあえずで断らないこと

何を目的とした合コンか、確認しておくこと

まず最初に直接的な表現になる事を謝っておきます

合コンは、女性陣側も一枚岩ではないことをまずは受け入れて下さい。

だいたいの女性陣は彼氏(になり得るような男性アラサーならいずれかの結婚相手)と出会いたくて、合コンに行きます

セフレ愛人になりたくて、行くわけではありません。友人もビミョー。

から釣り合いの取れるメンツを揃えましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20150208214807

それは、貴女だけ、もしくは貴女の周りの今だけの状態である可能性が非常に高いです。

まず、「お持ち帰り」が都市伝説ではないことを理解して下さい。

その日に出会いそのまま夜の街に消えていく男女が居ると言うことです。

まり、「それを期待する女性」も合コンには来ますし、そういう女性陣も居るわけです。

  1. (結婚を考えない)カレシを探す女性
  2. (とりあえず飲んで)セックスしたい女性
  3. (特に現状を変えない)刺激を楽しみたい女性
  4. (強く結婚念頭に置いた)パートナーを探す女性

まり、4番であると宣言し、4番を期待する相手を選定する必要があります

例えば、男性幹事が25歳なら、まず間違いなく1〜3番狙いです。

女性幹事が29歳であり、男性幹事が25歳なのに、4番であると期待するのは止めましょう。

ガッカリするだけです。

好きな料理、行きたい店、苦手なモノを伝えておくこと

まず最初男性が無神経であることを謝っておきます

合コンに来るのは、「合コンに来る男性であることを受け入れて下さい。

まり女性に対して配慮が行き届きジェントルに接しお姫様のように扱う男は、遊びに来ています

低価格帯の大衆居酒屋チェーンは好まれません。

価格帯は女性が支払う金額が¥5000までを目安にして下さい。(社会人女性)

飲み放題付き、コース¥3000にすると必ず不味くてカロリーが高い、安っぽいメニュー(から揚げ焼きそば枝豆等)が出てきます

それは、貴女が先ほどの2番(あわよくば1番)狙いの男性陣としか合コンをしていない可能性が非常に高いです。

男性女性に会えることが優先順位第一位で、飲み放題コーラが入っているかを気にしたりはしません。

イタリアンが良い、フレンチが良い、和食が良い、中華が良い、どんな料理でも構いません。伝えましょう。

その時点で、自動的に安い居酒屋に行くことは無くなります

日本ではあまり気にする必要はありませんが、ベジタリアンなら必ず伝えましょう)

えこちらがそちらの要求に見合わないメンツだったとしても、少しの手間と1人数千円の経費削減のために出会って間もない女性から全力で嫌われたいですか?

大変残念なことですが、1〜3番狙いの男性にとって「おもってたんとちがう」時は、繋がりを気にする必要がありません。

「どうせ女子会ではクソミソ言うんだろ」と最初から思っているので、関係無い女性から嫌われても気にしません。

まり、数千円すら惜しい、回収しない男性幹事無能だと男性陣に判断されていると言うことです。

男性人間です。嫌われたくない相手には好かれようとします。現実直視して下さい。

放っておいても男性が素敵な店を紹介してくれると期待するのは止めましょう。

ガッカリするだけです。

男性からのお誘いを、恥ずかしがってとりあえずで断らないこと

まず最初に4番(パートナー探し)狙いの男性シャイであることを謝っておきます

結婚を考えずに遊びたい男性の方が、手慣れてスムーズです。なぜならば経験豊富からです。

まり結婚相手が見つかれば良いな、と考えて来る男性は、女性慣れしていないことを受け入れて下さい。

大規模合コンでもない限り、合コン中の自主的な交換に任せず、お互いがきちんと連絡を取れるように回しましょう。

男性も気に入った女性に、連絡を取りやすくなる上に、女性から連絡が来ることもあるかもしれません。

「誰か気になる人いた?」…女性から言えるわけがありません。わざわざ、人を通し、連絡先を聞き、相手を誘えますか?

それは貴女男性からの「連絡先を交換したい」というサインを逃しているか、断っている可能性が非常に高いです。

「やっぱりLINE使ってる?」と聞かれたときに「やってるよ!グループとかで(以下略)」と返していませんか?

「この中だと誰が気に入った?」と話しかけられたときに、笑顔曖昧に返していませんか?

いずれも、「連絡先を交換したい」と言う遠回しなサインです。

女性が周りを気にするのは判ります。連絡先交換なんていかにも合コンで恥ずかしいというのも理解できます

しかし、気に入った男性がいれば、恥ずかしがらずにむしろ女性から積極的に連絡先を交換しましょう。

気軽な感じで全員をLINE登録して、後日気に入った男性とだけ電話番号を交換しても良いのです。

繰り返します。

ジェントルスムーズに、女性に気を遣って連絡先を交換できる男性は、手慣れています

女性側に配慮されたスムーズな連絡先交換を期待するのは止めましょう。

ガッカリするだけです。

最後

こちらからお伝えしたいのは以上の三つです。

合コンは、好きになれそうな相手と出会い出会いたくなかった相手を忘れる場所です。

男性側が「おもってたんとちがう」と考えたときに、最低限の良い印象を残す気遣いが出来ると期待するのは止めましょう。

ガッカリするだけです。

最後に少しだけ、4番(パートナー探し)狙いの男性に対しての立ち居振る舞いについて。

会話:合コンの「さしすせそ」は忘れましょう。ただ、否定や先回りはしないであげて下さい。

できれば、料理の自慢、休日の過ごし方、行ってみたい場所の話を振りましょう。

男性ロマンチストです。共に夢見られる女性を探しています

服装:ドレスコードがある店に行くときは別として、気張りすぎないで下さい。

普段の自分の延長線上にある、少しだけ気取った格好がベストです。

男性は下側の落差でキュンとしません。素顔をみたがるのはそういうことです。

うまくいかない要素:「こいつないわ」と思っても、会話を楽しんでみて下さい。

作り笑いで流してる女性、バレてますよ。気づいていても敢えて頑張っているんです。

パートナーを探すような男性陣は、そう言う態度に敏感に反応します。

本当に当たり前のことなんですが、セックス目的合コンに行く男性はとても多いです。

大衆居酒屋チェーンを提案する男性陣に、結婚相手を期待するのは止めましょう。

ガッカリするだけです。

色々書きましたが、全ては「男性にとっての素敵な合コン」と「女性にとっての素敵な合コン」が一致することを願ってのことです。

女性の皆様に、合コンで良い出会いが見つかるきっかけになったら幸いです。

昨晩の夫婦げんか

おかしいことばかり。

なぜ女性は話を聞かないのか。

妊娠中の妻が葉酸を買ってきた。コンビニとかで売っているヤツ。

妻は妊娠6ヶ月を迎えようとしている時期なので科学的に葉酸必要ない。

葉酸問答

葉酸は、妊娠初期に神経を造る時期に必要栄養である

今は内蔵や皮膚が形造られている時期だから葉酸の出番はない。

から、初期の時にこんなやりとりをした。

ぼく「葉酸サプリを取ったほうがいいよ」

妻「サプリは薬やから胎児に悪い。野菜で取る。」

ぼく「いまの野菜には、それほどの含有量がないよ」

妻「大丈夫たくさん食べる」



・・・・・4ヶ月後



妻「妊娠中は葉酸サプリとったほうがいいんだって友達が言ってた!」

ぼく「え?いま摂っても意味がないよ。前に説明したでしょ。」

妻「障害児が生まれる可能性が下がるらしい!友達も採ってたって!」

ぼく「いやいや、だから前に言ったやん。効果があるのは初期だし、国産サプリには十分な含有量が無いよって。」

妻「ええことやろ!ええやん!」

ぼく「そやけど、なんで僕の話聞いてくれへんの」

妻「・・・・・・・・・・」

ぼく「そんな怒るなよー。なんか言えよー」



ってわけで、一日話してもらえませんでした。

完全に僕の理屈が通ってるわけですが、

ブーブーされて、部屋の空気悪くなるのは

嫌なので、こっちが折れたことにして手打ちしますが

やっぱ、これおかしいですよね。

2015-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20150206135221

たまに思うのは、子供連れや子育て中の親に冷たい世間の風潮(なんてもんが本当にあるのか余り実感がないんだけど)よりも

「わたしの苦難の子育てぇぇぇ!」とか「共働きで大変でぇぇぇぇl!」とか、そういう自己満昇華系の垂れ流しの方が、

若い女性を、うわあ面倒くせえこんなテンパるなら子供産みたくねぇ、って選択肢に迷い込ませる可能性の方が高いんじゃないかとかなんとか。

2015-02-05

ポジショントークというのか、政治的というのか。

何を話すかよりも、だれが、話したか

同じことを言っても、発言権次第で、聞いて貰えたり聞いて貰えなかったり。

日本会社でも、学校でもヒエラルヒーみたいな、序列があって。

  

これが、(目に見えない)マウンティングってヤツかぁ。

  

と、自分正論だと思う意見が通らなくて、困っていたなぁ…。

誰がやっても同じ仕事なのに。

そうは、言いつつさ。世の中、えこひいきだらけだよなぁ。

  

外資系とか、帰国子女的な人とか、外人の方が、案外、そういうことを重視していることが分かって、がっかりしたなぁ。

民主主義ってオマエらの国からまれんとちゃうんかって、言いたくなったわ。

議論していても、力というか、暴論でおされて、面食らったよなぁ。

2015-01-24

ダイエットするのに運動す勧める人

勧めるどころか運動しないでダイエットすると健康を損なうみたいなことまでいう人いますよね。

あいう間違った考えこダイエットハードルを上げてるんですよね。

単純に「一日の摂取カロリーを2000k以下にする」みたいなことを実行してそれを習慣化すればいいだけす。(数値は人によって違います。念のため)

そりゃ毎日10kmも走ればダイエットになりますけど、そんなの一生続けるつもりのなんですかね。

そのまんま東スポーツマニアで一日10km走らないと物足らないとか言ってましたけど、そういう特殊な人でないと無理ですよね。

何ヶ月かジョギングして、それをやめてしまったらリバウンドでしょ?運動痩せるなんてめちゃくちゃハードル高いです。

ダイエットはなぜか怪しい方法論を信じこんでる人がたくさんいて「運動すると太りにくい体質になる」みたいなことが言われるけど、これだってウソですよね。

基礎代謝をあげてどうこうみたいな話も、ダイエットに影響するほど基礎代謝を上げるなんて現実的でないです。

筋肉だけで体重を5〜10k増やしてそれを維持し続ける覚悟のある人以外は「基礎代謝で太りにくい体質になる」なんて目指さないほうがいいです。

運動を併用しないでダイエットすると不健康だって話もありますね。

しか運動は、健康増進には有用です。

でも、もともと運動してなかった人が、運動なしでダイエットすると健康面でマイナスになるってことはありません。(もちろん運動したらプラスになるけど)

もともと運動なしで太り過ぎの人が、運動なしのダイエットで「適切な」体重になったら、それで不健康になるなんてことはありませんから

もちろん運動をすればプラスの影響があるけど、運動だけのダイエットに頼ってリバウンドしたり、ダイエットに対するハードルを上げるなら「運動なしのダイエット健康マイナスだ」という考えは有害なだけですよね。

2015-01-23

イスラム国人質事件踏み絵を踏ませようとする風潮が気持ち悪い

イスラム国助命嘆願をした国内イスラム法学者が叩かれてるらしい

http://anond.hatelabo.jp/20150122200634

人質ビデオ公開後の動きとして、

有名中東研究者の人は「この件で政府批判するのはテロリストの味方しているのと同じ」と釘を刺し

NHK含め報道番組では解説者たちが「この件で国内が揺さぶられることはテロリストの思う壺」と話し、国民一枚岩になることを要請する。

マスコミはただ単に政府方針を伝えるだけではなくて「身代金を払うのはテロリストの味方になることだ。新たなテロ資金源になる」と解説し、それが普遍的で唯一正しいメッセージだと視聴者に植えこませようとしている。

英米は身代金絶対に払わない、相手に絶対に譲歩しないという立場を表向きしているが、他の国では柔軟に対応人質解放を目指す交渉をしている。

イスラム国絶対に譲歩しない」は唯一の解決方法ではないし、自由主義国家では国民がそれぞれ解決方法を提案できる。

イスラム国に揚げ足取られて殺害予告動画に使われた安倍総理中東訪問について、もっと他にベター選択肢はなかったのか、と疑問を発することもできるし、批判したっていい。批判たからといってテロ暴力肯定し、イスラム国を支持することには絶対にならない。「反日」「売国」になると思う人がいれば、日本語不自由か、それこそテロリストイスラム国と同じ圧力で従わせる性質を持っているのだろう。太平洋戦争中の窮屈さもこんな感じだったんじゃないか。こんなもんだったと言うべきか。

あと、国内ネットでは「譲歩できない」と吹き上がってるけど現場では普通にあらゆるカードを想定して動くのが普通だよね。表に出す出さないは別だけど。

2015-01-19

ループものには3種類あるんじゃないかな

というか、「サザエさん時空」に代表される、主人公たちが歳を取らないのはループものじゃ無いと思うんだよね。

もっと極端なことを言えば、ループとして一緒くたにされがちな物語類型には、以下の5種類があると思うわけだよ。

  1. ループもの(劇中の人物がループ自覚的目標達成型)
  2. ループもの(劇中の人物がループ自覚的で好き勝手型)
  3. ループもの(劇中の人物がループ無自覚もしくはメタ
  4. 不老もの(劇中の人物は歳を取らないが、世界は変わる)
  5. 遅延加齢もの(極端に歳のとり方が遅いが、進んでいる)

それぞれ結構違うと思うわけだよ。

ループもの(劇中の人物がループ自覚的目標達成型)

これが、SF代表される時間ループものなんかでの主流だよね。

最近(?)の作品だとオール・ユー・ニード・イズ・キルなんかが典型例で、映画版もかなり良いよ。

何らかの理由ループに巻き込まれ主人公が、ある目標を達成しようとするのが基本。

かいことを言えば、さら目標達成型にも3種類あって

映画の「ミッション:8ミニッツ原題Source Code)」は、結構特殊なんだけど、まあループものだね。

オッサンが多いはてな村だと、「素晴らしき哉、人生!」の方が通りがいいかも知らん。

ループもの(劇中の人物がループ自覚的で好き勝手型)

細田守版の「時をかける少女」が典型例。

もう気持ち良いぐらいにスパンスパン能力を使うんだよね。

目標達成型に似てるんだけど、「ある瞬間は二度とは訪れない」という逆説的な下地があるものが特徴。

元々コレを書こうと思ったきっかけの以下で言うと

なぜかゼロ年代には両者一緒に「ループもの」と同一視されてきたわけですが、しかし「ループ手段とするか目的とするか」で、「ループもの」は全く二つに分かれるのです。

そして僕は、「ループ自体目的とする作品」に、「乗り換え可能な『柔らかい宿命観』」を持つための、重要なヒントがあるのではないかと、そう考えるのです。

http://amamako.hateblo.jp/entry/2015/01/19/000332

ループ目的主人公が、途中からループ手段になるものも多いね

乗り換え可能な宿命という点で見れば、映画バタフライ・エフェクト」も似ている。

ループもの(劇中の人物がループ無自覚もしくはメタ

アニメの「ゆるゆり♪♪」(2期)が典型例。

主人公たちの修学旅行土産木刀が、既に部室に飾ってあることを不思議がるシーンが有る。

これはちゃんとループしてるので、後述する不老ものとは違う。

また、特に脱出目的達成もしない点で異質。

不老もの(劇中の人物は歳を取らないが、世界は変わる)

これがサザエさんが典型例の、劇中の人物が歳を取らないもの

これをループものとして分類するのは雑だと思うんだよね。

なぜなら、長期連載の都合として主人公たちは歳を取らないけど、劇中世界は変わっていくから

象徴的なのが、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の日暮熟睡男

初登場はモスクワオリンピックが行われた1980年で、ロンドンオリンピック2012年とか32年後だぜ。

まあ、実は不老ものにも2種類あって

ルパン結構無茶な終わり方(宇宙船登場)とかあるし、部長派出所吹き飛ばすシーンとかありがちだが、

まあギャグ系に突っ込んでもしかたがないところではある。

遅延加齢もの(極端に歳のとり方が遅いが、進んでいる)

原作漫画の「名探偵コナン」が典型例。

原作者である青山剛昌サザエさんと同じって言ってたらしいけど、ちゃんと時系列としては進んでるんだよね。

大抵の長期連載の漫画小説はこれで、主人公たちは歳を取らないけど、物語は進んで、たまに歳を取る。

みんな大好き「美味しんぼ」もこれ。

世相を取り入れつつ長期連載で主人公たちが歳を取ると、どうしてもギャップからこれになる。

まとめ

コナンいつまでも公衆電話使ってたりとか、サザエさん達が毎年昭和44年を繰り返してるなら確かにループものだけど、

主人公たちが不老であることと、ループしていることは、必ずしも同一ではない。

こち亀両さんが戦中生まれ戦後まれ、いつ生まれたか曖昧と変化があるように、日常系の設定変更は致し方ないものもある。

また、美味しんぼのように、歳は取るものの世相を取り入れつつ連載をする都合で、物凄く歳のとり方が遅い物語もある。

作品世界のすべての人間が不老だとループものだと錯覚やすいが、それは違うだろう、と。

とは言えこれも単なる分類の一つなので、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」をみんな観ろよ、で締めたいと思う。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

はてなー世代中間管理職

うまく説明できるかわからないのだけど、多分この考え方ってはてなユーザーには絶対しっくりくると思う

散々言われていることだけど、はてなのメインユーザーって30~45くらいでしょ?

その頃の人たちって、団塊ジュニアからゆとり世代に移り変わるちょうど間の年齢ですよね

それって、世の中の価値観が大きくねじれた世代だと思うんです

時代背景に照らし合わせると高度経済成長からバブル崩壊を迎えた頃だと思うんだけど、因果関係は偉い人に任せます

いつも思うのは真面目な人が割りを食った時代だなぁってこと

それまでは序列が大切と教えこまれてきたのだけど、バブルと一緒にその価値観崩壊してしまったで突然何も持たない状態で投げ出されてしまったわけでしょ

言い換えれば、社会にでると同時にそれまで教わったことを全部捨てて一から学び直す必要に迫られたわけですよね

しかも、自分たちより前には成功者がいない、いてもその成功者自分でみつけないといけなかった

今考えてもそれってすごい無理ゲーだなって

下の世代はさっさと開き直って上の言うこと効かないし、上の人間は下がなってないといつまでたっても序列という価値観押し付けてくる

真面目な人は上からの教えに素直に従うのだけど、当然結果は伴わないし、それどころか素直に頑張るだけどんどん乖離していってしまう始末

この世代ニートひきこもりが多い理由って、その結果不条理さが無気力に変わっていったことが原因だとぼくは睨んでます

なんだか、中間管理職が抱えている悩みを生まれながらに背負わされてるみたいだなぁって

から、この世代成功している人はまさに自らの手で成功を探し当てた人ってイメージですごく尊敬できるし、もしそうした失敗を自分責任だと攻め続けた結果に引きこもってしまった人は、さっさと他人のせいにして自分幸せを追い求めて欲しいと思います

この間の会社の食事会の席で、40歳の先輩が老害に捕まってたときの話

先輩が「子どもの面倒見なきゃいけないので帰ります」って言うと、老害は「そんなものは嫁に任せればいいんだ。だから今の若いものダメなんだ」とか言い出した

ニコニコなだめながら何とか解放された先輩にまぎれてぼくもついでに抜け出せたので、その時のことを聞いてみると

あの世代が家族をないがしろにしたか自分たちが尻をぬぐっているようなものだけどね、そんなこと言って揉めるくらいならなだめて帰ったほうが得だからだって

自分なら何も言わずに帰ったろうしそもそも普通なら参加すらしないのだけど、悪戯に人を責めず円満な人付き合いも仕事の一つとある意味では達観してるんだなって思うと、それから先輩の見方が少し変わりました

はてなって、単なる情報収集というよりは、そうやって回りの考えを収集しながら自分の考えを整理するのに向いているサービスからそうした層にうけてるのかなって思ったんですけど、どうなんですかね?


42歳 男性 匿名希望

2015-01-11

ちきりん記事批判

久々にちきりん日記話題だったから読みに行ったら、最新の記事通勤時間無駄から通勤時間を長くするインセンティブと成り得る通勤手当企業は廃止するべき、という話だった。炎上芸が得意な人は、こういう解決策に見せかけた不満の代弁を良く記事にする。何かおかしいな、と思ってることに対して、こうなればいいなあ(でも別にそれに対して何かするってわけじゃないんだけど)程度の意志を持った人の溜飲を下げるための記事だ。そういうものが多くの人に求められているからなんだろう。みんなさえこの正しい行いをすれば、問題が解決するのに。そんな人向け。だから、こういう記事に対して実効性が無いとか間違っているとか言うのはあまり意味が無いと思う。もともとそれを主眼として書かれているわけじゃない、ただのエンタメ小説みたいなもんなんだから。本当にこういう記事批判たかったら、もっと痛快に読者の不満を攻撃するか、実際に不満を解決してしまうかのどちらかしか無いと思う。それができてる人はあまり居ないし、自分自身も大して思いつかない。だから世の中は変わらないんだなあとつくづく思うけど、世の中を変えるフリをすること自体を食い扶持にするのは見ててムカつく所がある

2015-01-07

インターステラーをまったく楽しめなかった

以下、映画インターステラーネタバレだらけなので嫌な人は読まないでください。













一年以上映画館なんて行ってなかった(映画自体レンタルで月に1~6ぐらい観る)程度の無いオレですが、インターステラーをやたらと褒めちぎるウェブ記事に触発されて観に行ってきました。

もともとSF好きで、特にハードSFを好むのですが多くのレビュー宣伝インターステラーハードSFの名作として紹介していたことが決め手になったわけです。

GIGAZINEインターステラー」のSFっぷりは一体どれぐらいで何がスゴイのか、SF小説とかSF映画とか大好き野郎が見るとこうなる

http://gigazine.net/news/20141121-interstellar-review/

その他のブログや紹介記事も多くは「本格的なSF」「インターステラー世界現実に起こりうる?」「物理学者の誰々を監修に起用!」といった情報が多い。

SFと言ってもブラッドベリのようなファンタジーテイスト作品や、スターウォーズガンダムのような現実度外視した作品も多い。それらの作品も好きだが今回は特に興味のある現実路線のハードSFだということで期待はどんどん高まっていった。

結果としてはまあひどいトンデモSFでした。

いくつか挙げる

他にもいくつもおかしな部分はある。情報伝達手段が限られた状況においてモールス信号ではもどかしいとばかりに「バイナリだ!」とか言って謎のピクピク技を繰り出したり、タイムパラドクス的にアレなことがあったり、地球環境悪化の速度がご都合主義的に変動したりといろいろある。

途中で気が付いたんだけどこれアルマゲドンだったわ。「オレが行く!」ってヤツ。


失意にまみれて帰宅してから映画レビューサイトを漁りましたよ。同じような不満や疑問を抱えてる人がたくさんいるんじゃないかと思って。

見つかったのは多数の好意的レビューでした。大別すると「相対性理論とか難しくてよくわからなかったけど面白い」「相対性理論とかを採り入れててすごい!」「よくわからないけれど絵がきれい」という絶賛が7割ぐらい(ザッと眺めた50個ぐらいのレビューの中での話しです)。「小難しくてつまらなかった」「長すぎて飽きた」という低評価が3割ぐらいって感じ。

必死に探しても「科学考証や当該時代における技術レベルの設定に問題があり楽しめなかった」という意見は見つからなかった。いや、楽しむ楽しまないは主観的ものなのでどうでもいいのだけれど、オレが間違ってると思っている部分が本当は間違いではなく、おかしいのはオレ自身なのかと不安になってきてしまったんです。

「こまけえこたぁいいんだよ」的な意見もあるだろうし、そう思える人はそれでいいですが、現実路線の映画なのだからストーリーの根幹をなすような部分ぐらいはしっかりしてほしいのです(だからストーリーとはあまり無関係な要素、例えばロボットの形状があーだこーだとか、船外活動時の減圧時間がどーだとか、宇宙服ペラペラ過ぎワロタwwwとかは言うつもりもないのです)。

映画ハードSFだと言って紹介・宣伝している人たちには腹が立つし、自分の知識や考えが間違っているんじゃないかという不安もあったりして困っております

GIGAZINEは金銭の授受アリの宣伝だってことで理解できるんだけどその他のブログレビューもみんなステマなのか?と疑ってしまますよ本当に。(といいつつもオレが間違っているのかも?というモヤモヤが消えない)

http://anond.hatelabo.jp/20150106002824

えことゆってるわーほんまや

あと

ATM扱いされてるとかほざいてる男は、

ATM扱いするようなショボい女としか出会えない自分はしょぼい人間ですアピになってることに気づいてない。

婚活だろうが合コンだろうが職場だろうが学校だろうが、

レベルの低い女としか会えないってことは

おまえがレベルの低い男ってことなんよ。気づけ。

2015-01-02

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰4

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

原稿

原稿の段階においてはこれまでより表面的な文章それ自体に関する事柄が重要となる。冲方はこの段階を「肉書き」「皮書き」の2段階に分けるが、原稿執筆推敲をそれぞれ意味しているに過ぎない。本稿では表現上の混乱を招くだけであるため、特に冲方の分類には従わない。

さて、西谷のように本一冊を使ってこれを解説したているもの存在するが、その内容は全て基礎的な日本語文法の復習であり、独自の知見は少なく、例えばうなぎ文などを交えた日本語文法それ自体に関する細やかな議論があるわけではなく、また修辞技法に関する詳細な分類と効果について言及しているわけでもない。会話文の閉じカッコの前に句点は付けない、中黒ではなく三点リーダ偶数個使う、といった些末な作法をめぐるこれらの内容について本稿では特に言及しない。

文法、作法上の間違いではないが避けた方が好ましい表現についても、断片的ながらそれぞれの作家ごとに主張されている。例えば水島の「同じ語尾を連続して使わない」「台詞以外で「である」「なのだ」という語尾を使わない」「三点リーダ感嘆符の多用を避ける」、榎本の「三行以上にわたる一文は避ける」「会話の順番を固定し、誰がしゃべっているのかフォローの文なしでも理解できる方が良い」、西谷の「物事が起こった順番に書く」などである

はいえこれらは絶対に避けねばならないものではない。例えば同じ語尾を重ねることは畳語法として効果的に機能しうる一つの技術である。会話の順番を固定する、というのも、例えば5人の登場人物の会話順が完全に固定されて順に発言しているような状態が自然な会話文として望ましいとは思えない。それぞれ場合によって使い分けられるべきであろう。

よって本項では各作家によって提案されたいくつかの修辞技法についてを断片的ながら俯瞰するにとどめる。

水島の「ラノベ文体」と榎本の「ガイド

水島は「明るい文」「ラノベ文体」として、「難しい表現を使わず、何が起こったのか一目でわかる」こと、「読者がハイスピードかつリズミカルに読める」ことが望ましいとする。

具体例として次の例を挙げている。

「すごい美少女だ!」

俺は驚き、つい声を上げた。と、同時に……、

――ドカーン

背後で、謎の爆発が!

なぜ難しい表現を避けるのかといえば、「読者は気合いを入れて読んではくれない」「メインターゲットとなる読者である中高生学校の登下校、勉強の合間などに読むので、集中して読んでくれない」からだとする。「ラノベは読み飛ばされるのが宿命」だと水島は言う。これに近しい意図を持つ指摘としては、榎本による「ガイド」の提案がある。ガイドとは榎本独特の表現であるが、「シーン冒頭に「これがどういうシーンなのか」がわかる描写を書き込む」もので、つまりそのあとの文を読み飛ばされても何が起きたのかざっくりとは理解してもらえる、という効果が期待されているものである

何が起こったのかわからないような文章を避けるべきなのは当然だろうし、テンポ悪くだらだらと薀蓄を書き連ねたようなものは(それをウリにしている作家もいることは事実だが)大体の場合避けるべき、というのはさほど違和感のない話である

はい学校の登下校、勉強の合間などに遊ぶテレビゲーム携帯ゲームは集中されないのか、といえばそうではないだろう。読者が集中してくれないのではなく、読者の集中を誘うだけの内容が無いからではないのか。

読者はバカからバカでもわかるように書きましょう、というのは、逆に言えば中身の無さ、文才の無さを読者に責任転嫁しているに過ぎないとも考えられる。筒井は様々な実験小説を書いてきたが、それは「読者の理解力に対する理解があってこそであった」と自分の読者ならわかってくれるという確固たる自負が見て取れる。もちろんそれは既に作家としての名声を確立した後だからこそ、という面は否定できないが、作家から読者をバカにしていく、という水島姿勢はいささか理解に苦しむところである

第一文と冒頭からの3ページ

クーンツ作家に与えられたチャンスは最初の3ページだという。第一文から始まる3ページで面白いと思わなければ読者はそこで読むのをやめる。そして読者を3ページで魅了するための技術として、過激なアクションに始まること、ユーモアを含ませ、一度冷静に状況説明をしてから再度緊迫した場面展開に話を戻す、という手順を紹介している。

一方で西谷は望ましい書き出しについて、いくつかのラノベの冒頭を並べてその傾向を述べており、主人公描写自己紹介、考え方から始まるタイプと、主人公の目に映るもの描写する書き出すタイプの2通りのいずれかが望ましいとしている。

また忌避すべき典型例として「壮大な書き出し」を挙げている。例えば人類の9割が滅んだ世界であることを厳かに説明するような文章は避けるべきと言い、それくらいなら他愛もない会話からはじめ、その途中で人類の9割が滅んだことを明かす方が望ましいとしている。

人類の9割が滅んだ、とは物語背景となる情報であり、重大だが具体的な動作を連想させる情報ではない。それに比べると会話文は動作とひもづくものであり、その意味ではクーンツの「アクションに始まる」という内容と大きく矛盾するものではない。

しかしながら、これも絶対的忌避されるべきかといえば難しい。

例えば名作と名高い「猫の地球儀」は

あれから七百年と半分が過ぎた。

朧はもちろん猫で、牡で、おいぼれで、最後スカイウォーカーだった。

と、まさしく壮大な書き出しで始まる。「同じ語尾を連続して使わない」に余裕で違反する3連続接続助詞「で」に加え、何の説明もなく独自専門用語を第二文目で出すなど言語道断である

しかし筆者は、上述の水島のドカーンはるか凌駕する圧倒的な魅力をこの書き出しに感じる(もちろんそうは思わない人もいるだろうし、それを否定する意図はない)。

作家に与えられたチャンスは最初の3ページだ、というクーンツの主張には、一読者としての経験則的に筆者も同意できるところではある。しかしではどういった書き出しが望ましいのか、といえば一概にこうでなければダメだ、というのは難しいように思われ、筒井による「いい書き出しかどうかは結局のところ作品全体の出来に左右される」という指摘がもっと妥当であるように思われる。

従って、アクションから入ろうが主人公身の回りから入ろうが壮大な書き出しで始まろうが、3ページで読者を作品世界に没頭させる内容が実現できればそれで問題は無いと言えるだろう。

情景描写臨場感

頭に浮かんだ順に適当に書いていくと散漫な記述になりがちであるとして、西谷は「自分が描こうとする場面を実際に図に書いて、どういう順番で描写するかを決める」のが効果的だとする。この主張はその場に存在する様々なものを具体的に詳細に想定しているかどうかの事前確認という意味合いが強い。

また、「目に見えるものだけを書いていると、リアリティーのない文章になってしまう」として五感への意識を促す。嗅覚については言及されることが少ないが、特に音については場所、方向、登場人物存在を示す役割を果たす効果的なものだとする。また西谷独特の主張として、足下の変化は触覚という点で効果であると主張する。

こうした西谷の指摘に加えて榎本による「静止したものだけでなく動作する物を混ぜる」という指摘を考慮すると、情景描写臨場感とはその情景における時間経過ではないか、と筆者は考えている。

止まった絵ではなく、音や匂いを含めた一定時間の流れを含めた「図」が望ましいという意味では、作家西谷の言うような「図」ではなく「絵コンテ」を書くべきだと言ってもいいだろう。

仮に作家自分想像を完全に文章化でき、そこから読者が作家想像通りに完全に場面を想像できるとした場合、静止画が再生されるよりも動画再生された方が臨場感が高いのは言うまでもないし、そこにに音や匂い付与されているのであれば、臨場感さらに高くなるだろう。

絵コンテという考え方はまたカメラワークへも影響すると考えられるが、映像作品におけるカメラワークセオリーとこうした娯楽小説における情景描写の順序や方法類似点、相違点については十分な調査検討必要と思われ、本項では今後の検討課題として割愛したい。

場面の切り替え

より良い場面の切り替えについて、クーンツによる指摘に触れておきたい。クーンツは「ひとつの場面が終わったら、すぐさま読者を次の場面へ案内しなければならない」こと、そして簡潔さを重視する。例えば主人公は一人自室でテスト勉強をしている場面Aと、学校テストを受けている場面Bを連結させるとする。この間にはもちろんさまざまな出来事、例えば寝て起きて朝ごはんを食べて家を出て電車に乗って学校に到着する、といった過程があるはずだが、それらをだらだら書くべきではなく、場面Aが終わった次の文ではテスト中の主人公を描くべき、という。

これは場面の切り替えにやっつけ仕事めいた過程を描く必要は無い、という単純な指摘に留まらず、各場面はプロット必要不可欠な要素であるべきで、必要のない場面を含めるべきではない、とも理解できる。例えば場面Aのあと電車ヒロインと遭遇させる必要があるのであればそれを場面Cとして独立させ、プロット上場面AとBの間に配置すべきである

会話文

クーンツは会話は全体の20~30パーセント必要だとする。一方で30ページ以上続く会話文も問題であるとしており、当然であるバランス必要である

その場に登場人物が2人しかいないときに、いちいちどちらの発言か説明しないと読者が理解できないようならその会話が悪い、という指摘や、「「言った」という動詞が連発しないよう、表現を工夫する、などというのは過ちである」というのはなかなか面白い指摘と言えるだろう。クーンツ発言内容が重要なのであれば、それ以外の「言った」という表現を「尋ねた」「口を開いた」「聞いた」など必死に工夫する価値はないとする。一方でアクションシーンでは動詞の選択は重要だとしており、その場で強調すべき要素とそうでない要素を区別することを要求している。英語日本語の違いはあれど、これは文章のメリハリを付ける上では面白い指摘と言いうるだろう。

ヒックスは会話の機能として、「ストーリー前進させること」と「登場人物を明らかにすること」を挙げるが、特に後者については人物の性格を読者に理解させる重要な要素だ、と換言できるだろう。

このようにクーンツヒックスはともに会話文を重要な位置づけにあるとみなすが、一方でラノベ作家からの指摘として、榎本は「キャラクターの会話ばかりで「そのシーンはどういう状況なのか」「今どうなっているのか」が全く書かれていない作品」を批判する。

この点については筒井が「描写や展開が面倒なのですべて会話で片付けようとする」ことを批判しており、何のために会話文を書いているのか、という目的意識に違いがあるように考えられる。すなわち情景描写が苦手だから、間が持たないから、といった問題を正面から解決するのではなく、会話文で埋めることでごまかすようなことが榎本筒井批判するところと言いうるだろう。

人称の効果と神の視点

説明するまでもないが、小説では一人称体、もしくは三人称体が多く用いられる。この人称に関しては、どの創作技術本でもありがちなミスとして、一人称体にも関わらず語り手の知り得ない情報記述してしまう、という点がよく指摘されるところである

一方で三人称体は登場人物の知りえない情報記述することができるという利点があるが、一人称体がその語り手が同化する先の人物への感情移入を惹起しやすいのに対し、三人称体はその点で劣ると言えるだろう。

このことから水島は、「楽しさ重視のコメディ一人称」が望ましく、「複雑なストーリー三人称が向いている」としている。では一人称体と三人称体を組み合わせて書けばいいのではないか、という意見については、それは読者の理解の混乱を招く手法として否定し、また三人称体においても実質的には「主人公が今どうなっているか」を中心に描くことが望ましいとしている。

一方で飯田三人称体をとるメリットは「キャラクターそれぞれの内面が描ける」点にあるとしている。実際「インフィニット・ストラトス」を例に、飯田一人称体と三人称体の混濁を否定せず、それどころか「主人公一人称視点と、ヒロイン寄りの三人称視点を使い分けて全ヒロインからの愛され感をもたらしている」と高く評価している。

はい三人称体として振る舞いつつ登場人物それぞれの視点に入ったり、といった視点を「神の視点」と表現し、これは避けるべきものだとする論調は少なくない。

一切言及されていないが、現実には三人称体に一人称表現が入り込む技法自由間接話法と呼ばれて存在し、主人公の知る由もない情報を描けるという三人称メリットと、感情移入を容易にする一人称メリットを同時に享受できる極めて強力な技法である

なぜ言及がないのかといえば、これを多用する作家はさほど多くなく、むしろ全く使わない作家の方が多いことから、おそらくはプロ作家自身、これを人に説明できるほどうまく扱える自信が無い、ということが原因ではないかと思われる。

他方、これと似て非なる技法に「神の視点」があり、これについて触れたものとして、クーンツは「ストーリーの途中で作家登場人物批評したり意見を述べるのは19世紀時代遅れ手法」としており、もはや使うべきではない技法だとしている。

端的に言えば「あぁ、神よこの男を憐れみたまえ」といった大仰なそれに対する指摘であるが、例えばH.P.ラヴクラフトなどは意図的かつ効果的にこの神の視点を用いていたように筆者は考えているし、町田康の有名な「あかんではないか」などは見事にこれを活用した好例と言いうるだろう。

筒井はこれを「劇化された語り手」であるとしているが、これについてはまた詳細かつ精密な議論必要であることから本稿では割愛する。

過去の回想/夢

水島は夢や過去の回想について、これらは今誰が何をしているのかがわかりにくくなる、述べており、またこの点についてはヒックスも同様の指摘をしている。「バック・ストーリー情報提示するのに最も効率が悪く気の効かない方法が、フラッシュバックである」と、フラッシュバックドラマの勢いを失わせるものだと注意を促している。

一方で、筒井による「遅延・妨害」に関する記述ある意味でこのフラッシュバック効果を逆用したものとも言いうるだろう。具体的内容としては、「読者の疑問を宙づりにしたまま進行させる」ものである特にクライマックスの直前など、いよいよ事態が緊迫し抜き差しならない状況であることを描いたところで、突如穏やかな場面に切り替えて「あれはどうなっているんだ」と読者の不満をあえて買い、じらした上で緊迫した事態の展開に再度移る、ということでより大きな満足感を読者に与える効果があるとする。

クーンツもその冒頭において、過激なアクションの次に一度冷静な場面を挟み、再度戻る、という手法を提案しているが、効果としては似たようなものだろう。

推敲

推敲重要性を否定するものは一つとしてない。しかしどう推敲するか、という点について具体的に述べているものはそれほど多くは無い。例えばキングによる6週間空け、そして1割削減する。ワナビにとっては6週間も余裕がないことの方が多いだろうが、一定時間を空けて自分自身で読み直すことの効果は少なくないだろう。

冲方推敲の要点として、「冒頭とラストインパクトと引きを作る」「事件とはあまり関係のない人間の登場を減らす」「専門用語は前半は少なく、後半は多くする」という推敲の指針を挙げる。最初の2点はプロットレベルでの書き直しが要求される内容でもあるだろうし、そもそも事件物語)に関係ない人物を登場させる意味はなにか、という疑問もあるが、専門用語の配分などは参考になるだろう。

最後に、推敲は一度で終わるものではない。アイディアプロット原稿まで順に進めるとこれまで述べてきたが、推敲によって再度プロットへ、またはアイディアまで戻ることはいずれの説においても当然のこととして主張される。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰5

2014-12-25

2014年クリスマスイブ

匿名はてなへ書き残すことは、記録になるのだろうか。

しかし、日記だと破棄される可能性もある。ここ以外に長文を残せる場所を持っていない。

2014年12月24日(水)

現場にいたのは、父、私、妹、娘。

横になりながら足首を動かすのが癖の父。

コタツ仕事をしていたら、父が私の膝を足裏で撫で回してきた。

たぶん無意識だ。

こちらとしてはつらい。くすぐったくて、仕事に集中できない。

「足首を動かすのをやめて。」といったら

『俺にこたつに入るなということか。』といって

まだクリスマスケーキが残るコタツをひっくり返そうとした。

コタツをおさえて阻止。

コタツで寝ていた娘がびっくりしておきた。

「違うでしょ。くすぐったいからやめてって話でしょ。」

またコタツをひっくり返そうとした。

コタツをおさえて阻止。

父は諦めて、風呂に行った。

風呂から出てきた。

ペンチをだし「俺が入れないコタツなんていらない。」とコードをきろうとした。

コタツ我が家唯一の暖房器具だ。

「お父さん、一時の感情で動いちゃダメだよ。」

『俺は考えてる。』

父はコタツコードを切ろうとする。

阻止。

「やめてよ。こたつに入るなじゃなくて、くすぐったいって話でしょ。」

『クセなんだから変わるわけ無いじゃないか。それになんだ、女のくせにアグラかいて。お前がアグラをかくから、当たるんだろう。』

「当たるのはお互い様だよ、こたつなんだから今日仕事をしていたし、くすぐったいからやめてって話でしょ。」

『なんで俺がお前のために我慢しなきゃいけないんだ。』

父はコタツコードを切ろうとする。

阻止。

暴れる父からペンチを剥がそうとしたり、コードを引き離したりするうちに、周囲はグチャグチャ。

娘と妹は泣きながら逃げていった。

「だからってコタツ壊すことないよね。」

『お前は実家に帰ってきてから、男を潰すようになったな。お前は男を潰す女だよ。』

-私の元旦那アル中×暴力×うつ病無職で、夜逃げ・別居・離婚、そのうち死んだ。-

実際、暴れる父を抑えこんで潰していた。

ペンチの先は私の手の中、周りにはシャンメリーの瓶やたちハサミもあるけれど、距離がある。

恐らくやられることない。

泣き落としにかかった。

あの時、私を助けてくれた男の人は誰も居なかった。大好きなお父さんに一番に電話したけど、うるさいといって切られた。

お母さんもお義母さんも友達も助けてくれたのは、みんな女の人だった。

お父さんは助けてくれなかった。大好きだったのに!!!

私の聞き手の手首は父により止血され、だんだんと握力がなくなり、ゆっくりと手から流れる血で、ペンチの先を握ることが辛くなってきた。

時系列を変えて、大好きな大好きなお父さんが、助けてくれなかったトークを続けた。

父は感情コントロールすることた、気持ちを汲み取ること、状況を読むことが苦手だ。

私は発達障害じゃないかと思っているけれど、それは本人にいってはいけないことになっている。

から、大好きなお父さんが愛してくれなかったエピソードなんて山ほどあるんだ。

でも、表現が下手なだけで本人は愛しているつもりなのは知ってる。

ただ、本当に辛い時に助けてくれなかったあの日から、そんなことはどうでもよくなったし、父の暴力回避するために媚びへつらうこともやめた。

いよいよ指の感覚がなくなってきて、私と家族コタツが助かる別の方法を考えていた頃に、

父がペンチを離してくれた。

父はそのまま去っていったので、後片付けをした。

こたつの周りはグチャグチャで、壊れてしまったものもあるが、テーブルの上に残ったクリスマスケーキも娘へのクリスマスプレゼントも無事だった。

熱を出して寝込んでいる母も年老いた祖母も起きなかったし、被害は最小限で済んだ。

別室で泣いていた妹と妹に抱きついていた娘が戻ってきた。

「おねぇちゃんがぁ死んじゃうかと思ってぇ、でもなにもできなくてぇ」と泣きじゃくる妹を励ましながら、

怖かったねーとぎゅーっと娘を抱きしめたら、娘はようやく泣き始めた。

娘はこういう時に泣けない。なんらかの精神病わずらわないといいなって思う。

娘と妹が安心して眠れるようになるまで、テレビで気を紛らわして、抱きしめて、お話をして、それから3人で一緒に寝た。

翌朝、私を待っていたのは怪我の痛みと結局終わらなかった仕事

そしてサンタクロースからプレゼントを抱きしめる娘の姿だった。

忙しくて病院に行けそうにないので、もしもの時のために、あったことの記録と、写真を残すことにする。

首と腕が超痛い。

家族を置いて行くことはできないし、私の父嫌いが父にバレてしまったし、どうしようかな。

2014-12-17

netcraftです

netcraftです。メール電話はてなfacebookTumblrTwitterslackBacklogなど個人や仕事の全てを絶って、薬を飲みながら自宅で療養していました。

昨日コウモリさんが警察通報したようで、神田警察署から6人くらい警察官が来て、「開けなければ鍵を破壊します」と迫ってきました。

鍵を開けたら6人くらいに無理やり押さえこまれて、神田警察署に車で運ばれました。その後、独居房のようなところにしばらく閉じ込められました。

独居房でどうなるか不安だったのですが、その後、先ほどの警察官たちに取り押さえられて、都立病院に運ばれました。

都立病院警察と一緒に色々聞かれて、自殺しそうならば措置入院必要がどうかが診断されました。診断の結果は、話は理にかなっているので措置入院必要なしでした。

その後、警察が自宅まで送ってくれて、自宅に戻りました。水を飲まずに薬を飲んだので、舌がただれて激痛がして、蜂蜜を飲んでいました。

いま目が覚めたところです。コウモリさん、私のカメラを売れば今月分の皆さんの給料はなんとかなるので、警察通報するのはやめてください。

メール電話は届きません。しばらく休ませてください。

2014-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20141204231241

大学の頃、そんなこと言ってる教授がいた。

温暖化したら野菜も育つし、ええことばっかりやで~って。

大人ってさ

つまんねえことばっかやるのが正しいとでも思ってんだよな。

もうすぐ死ぬってこと忘れてない?

2014-12-03

トイレでケツ拭く時ってちょっとケツ浮かして中腰でケツ拭かないの?

huluナルトの配信始まってたから見てて、ナルトが腐った牛乳飲んで腹壊してトイレに何回も行くシーンあったんだけど、みんなトイレでケツ拭く時ってちょっとケツ浮かして中腰で拭くもんだと思ってたのにナルト野郎、ケツ浮かせないでそのまま後ろに手をやって便器に手突っ込んで拭いてやがった。

俺の今までのケツの拭き方がなってなかったみたいにナチュラルに拭いてやがった。

まぁ確かに中腰にケツ浮かしてケツ拭く格好って客観的イメージしてみたら情けないというかなんか絵にならないし、あんまりこう見られたくない格好になっている。チンチンぶらぶらしてるし。

かと言ってトイレにいる時に見られたい格好なんて1秒たりともしていないし見たいとも思わないけど、便器的に想定していたポーズとか排便の仕方とかがあるだろうし、なるべくそポージングに乗っ取った排便体制ってのを実践していきたいわけよ。便器だって困るだろうし。

自由研究とかもあんまり自由すぎると何も手がつかなくなって、面倒になって自由研究なんて考えるのやめておいプール行こうぜ!とかなるし、もうちょっとプラットフォーム的なものをかっちりするとかして導いて欲しいわけよ。自由研究はなんか自由にさせて大人になってから自由生活の中で自分というものを見失わないで自我を保つ訓練とかに必要なのかもしれないけどさ、いやわからないけどさ。

トイレの中で用を足してる時って誰にも覗かれないし、覗けないからこそわからないし、ある程度の自由存在しているけど逆立ちしながらの小便とか普通しないでしょ、濡れるし。そういう形してないからすぐわかる。

便器の形、洋式トイレ的には

(洋式和式って呼びかたっておかしいと思っていて、洋式使ってた人も絶対和式形式の便器の形を辿って最終的に洋式に行き着いたんだから和洋の呼び方とかナンセンスすぎるけど)

「座ってくださいね

って感じで佇んでるから

「おおよしそれじゃあここに座って排便をしてやろうか」

って思えるのだけれど、ケツを拭く時になると「さてどうしたものか」ってなもんで、あとは人それぞれの自由にしてくださいってなってるから俺はちょっとケツ浮かして中腰でケツを拭くんだけど、最近洋式トイレってあれなのな、ケツ浮かしたら流れるようになってるのな。

こっちとしては人それぞれの自由にしてもいいんだろうって気持ちでちょっとケツ浮かして中腰でケツ拭いてるんだけど、そのポーズの下で「シュゴーーー」っとか勢い立てて流れてるわけよ。中腰でいるとチンチンぶらぶらしてて情けない格好で「あっ。。」とか声だしちゃったりして。悲しいわけよ。

しかもチンチンに流れる時に出る水しぶきがかかるわけよ。冷たいんだよ。

とりあえず冷静さを装ってまずケツ拭いて、拭いた後の紙を便器に投げ込むんだけど排便した物はもう流れ去ってしまっていて紙が取り残されたままになってるからまた流すわけよ。水がもったいねぇよ。なにがecoだよ。高円寺駅で酔っ払った外人ハンバーガー食べながら「えこぉ!」って絡んできたの思い出せるわ。えこぉ!

ちょっとお前らさ、トイレでケツ拭く時ってちょっとケツ浮かして中腰でケツ拭かないの?

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