はてなキーワード: 斉唱とは
9月21日の日産スタジアムで行われたニュージーランド対南アフリカの試合をみてきました。
とても涼しくて、会場一体となって盛り上がるのは、とてもエキサイティングでした。
ただ、一部でも話題になっているとおり、売店事情がとても酷く、辛い思いをしました。
ツイッターをみてると、ほんとにそんなに酷かったの?という疑いの声や自己責任論が多い印象だったので、
実際に2時間売店に並んだ個人としての感想を書かせていただきたいと思います。
前提→体験談→普段のスポーツ観戦との違い→Twitterでみかける疑問への反論
の順で書いていきます。
【9月22日東側1階で飲み物が10分で買えたため、最後に追記を設けました】
全体の様子は別にまとめたのでそちらも参考にしていただければと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20190923123653
○前提
・席は2階席で、入口はW26らへん
・15時45分開場、18時45分キックオフ
(選手入場とか国家斉唱とかはキックオフ前なので、18時には準備を終えて座っておきたい感じ)
・手荷物検査に60分以上かかるかもしれないよという大会からのアナウンスあり
・飲食物持ち込み不可
(水筒可というのは大会直前にされた緩和で、チケットと一緒にきた利用案内の段階ではそのような記載はなかった)
・再入場不可
・会場には多種多様なフードが用意されているとの大会からのアナウンスあり
→入場に1時間、売店やトイレで1時間並ぶとすると、16時半には会場にいたいスケジュール感だと理解しました。
また、15時45分に開場し、20時半前に試合終了時間すること、多種多様なフードがあるという案内から、
夕飯は会場で食べることを運営も想定しているんだろうと思い、会場で夕飯を食べることを決定
○私と旦那の当日の行動と会場の様子
スタジアムから一時間くらいのところに住んでいるのですが、混雑を避けて快適な試合観戦をするため、スタジアム徒歩圏内のホテルを確保していました。
正確な時間は思い出せませんが、ホテルを16時に出発し、16時15分(開場から30分くらい)には到着していたはずです。
60分以上かかるかもしれないと言われていた手荷物検査は、特に並ぶこともなくスムーズに終わりました。3分もかからなかったんじゃないかな。
1Fの売店はすごく並んでいて、6Fにも売店があり、二階席は7Fにあるということで、
この時点で、わりと奥まったところに売店があるにもかかわらず、階段付近まで列が伸びている状態でした。
私たちがようやく水(と食べ物)を入手できたのは、18時15分頃でした。
水を手にいれるのにこんなに並ぶってどういうことかな。。という呆れはずっとあったのですが、
売店の中をみて、納得。
現金かマスターカード(スポンサー)のみの対応なので、Suica(JR東日本はスポンサーじゃない)でピッとやるわけにもいかず、精算に時間がかかる。
(スポーツの会場ではペットボトルでの提供は難しくて紙コップに移しかえるものらしい )
圧倒的に売店の人数が足りていないのです。
レジは2つにして、レジ専属係をおいて、ドリンク担当を四人にしておけば、倍以上のスピードで回ったと思います。
後ろには、私がならび始めたときよりも長蛇の列が。
数を数えるのは苦手ですが、300人は並んでいたのではないでしょうか。
キックオフまであと30分です。
売店には応援が来ることもなく、レジ1つでレジがドリンク兼任体制のまま。
一度も責任者のような人が様子を見に来る気配もなく、売り子の人たちは懸命にさばいていました。
今並んでる人たちは確実に試合までに売店にたどりつかないなと、悲しい気持ちになり、売り子用意できなかったんだなぁと、運営に同情する気持ちも湧きながら、
7Fで、ビールのみを売る売り子さんが、いたるところにいる光景が目に入ってきたのは。
その瞬間、腑に落ちるものがありました。
ビール以外を売る気が、なかったのだと。
大きいイベントだから、経験不足だから、人不足だから、ソフトドリンクとフードにアクセスするのに2時間かかったのではないのだと思えました。
ただ、飲食物のスポンサーが、ハイネケンだけだったせいなのでは、と。
(9月22日23時補足 サントリーが大会サプライヤーというタイプの協賛企業なのでハイネケンだけという記述はその時の勘違いでした)
ビールの売り子さんの1割でいいので売店に回してもらえれば、こんなことにはならなかったのに。
フードやソフトドリンクのスポンサーがついていれば、もっと快適な会場になったのでしょう。
どう考えてもこれは、経験不足とか、キャパオーバーとかではなくて、
人為的に作られた不幸でした。
ビールさえ売れればいい。喉がかわいたらビールを飲めと、アルコールが飲めない人のことを全く考えていない、いやむしろ切り捨てているように思えました。
フード売り切れ問題についてはよくわかりませんが、18時15分まで並びながら見ていた感じでは、なくなりそうだなぁと思う量ながらちょいちょい供給され、
我々も焼きそば2つ、ソーセージと唐揚げ串を手に入れられました。
唐揚げの衣がサクサクで、焼きそばも食べたことのないタイプのもちっとした太麺で、ものすごく美味しかったです。
ただ、開場して30分でならんでこの状態だったので、試合開始に間に合わなかった人もいただろうし、
並ぶのを諦めて空腹に耐えていた人もいたでしょう。
私はスポーツ初観戦なので、ラグビー、サッカー(Jリーグ)、プロ野球をよく見に行っている旦那からの意見です。
・持ち込み可なのでスタジアム外に屋台がたくさん並ぶ。圧倒的に売店の数が少ない
・ドリンクとフードの列は分けていることが多い
・会場内を歩き回る売り子さんにもソフトドリンクを売っている人がいる
・再入場可なので食べ物を買うために外に出ることができるケースもある
旦那いわく、プロ野球やJリーグでこんなことをしたらリピーターが離れて大問題になる。リピーターを想定してないからこういう酷いことができるんだろう、とのことでした。
(旦那によると、サッカーのスタジアムグルメと言えば、神戸牛ステーキ丼とか、芋煮とか、しらす丼とか、ご当地グルメが食べられるものらしい)
・自分は買えた。
→広いスタジアムなので、売店のあるエリアごとに状況が違ったのかもしれません。別の売店をアナウンスされることはありませんでしたので、並んでるがわとしてはどうしようもない状況でした。
→二時間待つ行列を諦めて、試合中に並ぶことも避ける人が一定いるとすると、フードにアクセスできなかった人もたくさんいたでしょう。残っていたから問題なく提供されたわけではないと思います。
・事前に食べていかないのが悪い
→確かに、16時すぎから試合終了の20時くらいまで、なにも食べないということは、自衛策としてとれたでしょう。
でも、水はどうすればよかったのでしょう?トイレの水、飲めない味ではなかったですけど。
また、会場で食べることが、運営の利益に繋がるのですから、「多種多様なフードを用意している」と主張しているのに、事前に食べていかなければいけなかったんだという批判は、ナンセンスな気がします。
個人としての自衛の問題と、大会運営の問題は、分けて考えるべきでしょう。
・スタジアムで食べるのは日本の文化だ。海外の人はスタジアムでは飲むだけ。
→日本の文化だからこそ、日本でやるワールドカップで、海外のお客さんにその楽しみを体験してもらう機会だったのではないでしょうか。plenty of foodを用意していると、アナウンスしたのですから。
・水筒は持ち込めたのでは。
→チケットと一緒に送られてきたものには、飲食物禁止とかかれていました。
調べたところ、大会直前緩和されて、水筒持ち込み可になったようですね。
緩和に気づかなかったのは落ち度でしょうか?
・水は給水場があった
→これも、入ってすぐ並んだので見つける機会もなく、(ビールだけなら買えますというアナウンスはあったけれど)、給水場があるというアナウンスはありませんでした。
並ぶのが遅れたら試合間に合わなかったと思うので、入ってすぐ売店に並んだのが批判されるような状況でもなかったはずです。
・声をあげている人はいない。極端なのでは?
→それは私も疑問に思うところです。
周りの知らない人とも意気投合するレベルで、売店のスタッフの足りなさはやばかったんですが。
あのエリアだけの問題だったのか、みんな文句を言わないのか、"自衛策の足りてない我々"だけの問題だったのか。
以上になります。
単に二時間並んだだけだったら、
記事を書いて公開しようとは思いませんでした。
最初から、食べ物はほぼ売ってないと公式にアナウンスされていれば、食べていったので文句も言わなかったでしょう。
スタジアムでは多種多様な飲食コーナーが用意されている、とアナウンスされていたこと。
なのにスポンサーのハイネケンばかりで食べ物はおろか水にもアクセスできず二時間並んだこと。
ソフトドリンクとフードを求めるお客さんを切り捨てているのが見透かされるような現場の空気。
最後に、快適な入場環境とトイレ環境を守ってくれた現場スタッフさん、
Twitterにて声をあげてくれ、詳細を教えてくれた売り子さんに感謝を伝えたいと思います。本当にありがとうございました!これから続くワールドカップ、まだまだよろしくおねがいします!
【9月22日 アイルランド対スコットランド観戦 追記 超快適】
13時45分開場 16時45分キックオフ
前日の反省を踏まえ、15時半過ぎに到着
昨日は西側2階での観戦でしたが、今日は東側2階での観戦でした。
まず、今日東側は入った時点で、昨日の西側と雰囲気が違いました。
入ったところに広場があって、パブリックビューイングをやっていたのですが、
フードのトラックが数台いました。
また、東側1階売店は、ドリンクとフードが分かれて提供されていて、
私が並んだドリンクのお店はは3つのレジがあり、10人体制くらいでさばいていました。
30人くらい並んでいた気がしますが、10分くらいでソフトドリンクが買えました。
(15時45分に並びはじめて15時55分には入手)
広場のトラックに並んでいた旦那も15分くらいでフードを入手。
16時すぎには、ソフトドリンクもフードも入手して、昨日は見られなかった選手たちのウォーミングアップを見ることができました。
そこで気になるのが、昨日の売店。
昨日はしまっていたドリンク専門のお店があいていて、3人体制。これならわりとすぐソフトドリンクは入手できそう。
・しかし、フードのお店が、やっぱり1つのレジしかなくて、のぞいたときにはスタッフ二人体制。
並んでいた人の数は、昨日の自分の位置から考えると最後尾で1時間半待ちくらいの人数(100人から150人くらい?)。
この時点でキックオフの30分前。
昨日の同じ時間よりはだいぶ減ってるけど、うーん。。。。
Twitterで自分達のようなめにあった人がほとんど見受けられなかったのは、
ここだけ悲惨だったの??
直接目でみたのは、昨日のW26付近6F売店と、今日の東側1階売店だけなので、
昨日に比べて改善されたのか、
1階の方がスタッフが多いのか、
この店だけ異常なのかは分かりませんし、さすがにそこまで探索もしませんでした。
W26付近6F売店って、なんか他のエリアから切り離されてる感じで、
他のところの様子もわからなかったし
もし、あそこだけ混雑してるなら、応援を回したり、他のところに誘導してほしいです。
昨日は2時間飲まず食わずで並んで、疲れはて、飲む気になれなかったビール。
とっても楽しい観戦でした。
現地のスタッフさん、ありがとうございます!
(9月23日17時半追記 普段の売店は電子マネー使えるんだそうです。あと、調べてみると普段の日産スタジアムの4階と5階にはグルメタウンというものがあるみたいですね。うろ覚えだけれど、昨日西側5階は閉鎖されてたかな・・?)
今まで呼んだメンバーを見るとSNSで大暴れしてる自称保守の面々…(某籠池さんが呼んだ人達と被っている)。
だけど保守というよりネトウヨの親玉みたいなメンバーを呼んでるのがどうしてもダメだった。
確かに過去の大学紛争の記事で母校が出てこないのは気になっていた。
調べてみると周囲の大学が左翼化して大学紛争をしているとき、母校は保守大学として周囲の大学に打って出ていたらしい(反憲法連とかそんな感じのやつ)。
言われてみれば私立にも関わらず大学の式典では必ず日の丸が掲揚されていたし、君が代の斉唱もある。
戦前には学徒出陣とか軍部による研究の簒奪などがあったわけで権力と一定の距離を置くべき大学が、権力に媚びへつらうのは辛い…。
それも我が母校が…。
これからは我が母校に有利になるようなことはしない。
さっきふと、「あ、戦争してもいいな」って思いついた。
徴兵されたら、衣食住は保証されるし。ごはんも食べられる。衣食住なら刑務所でもいいけど、刑務所は前科ついちゃう。それは嫌だ。でも戦争なら勲章やらもらえる機会もあるしさ。少なくとも前科はない。
それに最悪、前線で行方をくらましたり、PTSDになったり、シェルショックになって病院に担ぎ込まれたりすると楽だし。
まぁ、生活にどんづまったわけだよ。
別に他国の人に恨みがあるわけでも、愛国心があるわけでもない。
でもこれはそろそろ戦争したいな。
戦地に行きたい。
まぁ大変なことは分かってるよ。俺も2本指ないし。ああいう痛みが日常にあるのだということをわかっている点では、これを読むあなたよりはよく想像しているよ。
しかしあれだ。前の戦争の時も一般の人ってこういう感覚で戦争行ったんじゃないかね。
兵士になれば白飯たらふく食えるってんで志願した人も多かったんだろ。
愛国心よりも飯よ。
で、まぁ戦地に行けばそれなりにムクムクと愛国心だとか使命感とか湧き上がってくるだろうしさ。部隊の人らと一体感を感じたり。それで飯が食えるならまぁ別に。
もちろん日本はクソだから自衛隊の奴らとかがここぞとばかりにリトル牟田口みたいになって新参をイビりまくるんだろうけど、俺はそこそこガタイもいいし、動物的なコミュニケーションも苦にならないから向いてると思うんだよな。まぁ最悪、いじめの標的にはならないくらいの知恵と体力はある。
理想は宇宙人とか地底人が侵略してくることだけど、奴らを撃退しても金はもらえない気がするんだよな。文永弘安の役とか秀吉の明出兵みたいな感じで、石油とか資源とか領土を得られないと生活は苦しくなるだけだ。
いや待て、地底人なら領土増えるか。いきてえな、地底出兵。テレスドンとかゴモラとかいるのかもな。
「靖国で会おう!」とか絶対面白いだろ。靖国とか知らねぇし行ったこともないけど、戦地の高揚感で俺は絶対言う自信あるよ。
めっちゃかっこいい遺書とか書くしな。そりゃ書くよ。腹は減っても脳内物質。ここぞとばかりに文例探しに精を出すよ俺は。
あれだよ、普段奥さんに何にも言わない奴が病気とかになったらいきなり感謝の手紙書くやつ。あれよ。
短歌とか詠んじゃうかもしれねぇ。やべぇな。飯も食えて短歌も詠めるんだぜ。半端じゃねぇよ戦争。
まぁまじめな話をするとさ。
つまるところ戦争って無能な奴でもそれなりに名誉と一体感と成し遂げた感を得られるからすげぇシステムなわけよな。それが封印された現代はそりゃあもう鬱屈してくるわけでさ。モヤシ野郎が金稼いでウェヒヒやってるわけだし、ウェヒヒ野郎と俺とで最前線に出て平等に死のリスクにさらしてほしいもんだ。
まぁ無理だな。
ウェヒヒ野郎はなんとしてでもリスク回避するし。政治屋どもはゴミカスだし。自衛隊野郎はイビるしか能がないしな。つーか当たり前だな。戦争を上手くやれるような能のあるやつらが舵取りしてりゃ、こんな史上最高の好景気なんて来ないわな。
リトル牟田口跳梁国家・ジャパンにようこそってな。カモンベイビームタグチ。
牟田口もやべぇよな。余裕で現代でも通用する男だぞ。河辺も忘れちゃいけねぇ。河辺-牟田口の最強ラインに東條からの最凶指令が飛んでくるんだぞ。完全にやべぇな。
断言するが、牟田口が現代に転生するとめっちゃ出世するよ。むしろ森あたりが生まれ変わりかもしれねぇ。安倍は河辺だな。
でもやっぱ森では役者不足だな。凄みが違う。森はゴルフだが牟田口は前線で芸者遊びだからな。サラリーマンとしてのモノが違うわけよ。
一周回って牟田口が好きになってきている。やべぇ。
なんかかわいいだろ牟田口ってさ。目がしょぼしょぼしてて、まるで自信も能力もなさそうな小男。髪の毛はやして髭そったら普通のサラリーマンだろ。
そんな小男が8万人だったか?兵士を殺戮した超将軍。サラリーマン牟田口やべぇ。
ちょっと値段の張る車に乗ったら途端に態度でかくなるサラリーマンいるだろ。あれだよ。そいつが牟田口だ。
牟田口がそこら中にいる。昔も今もな。
適当な上司を思い出してみろ。そいつが牟田口だ。髪の毛そって適度に太らして髭はやしてみろ。リトル牟田口の完成だぞ。
逮捕された宮崎(どっちの宮崎を思い出してもいい)な。あれも同じ画像処理すれば牟田口だぞ。ああいうのも牟田口になるんだよ。もちろん俺も、お前の上司も、お前もさ。
そろそろ「牟田口学」とか創設してデビル風見鶏・東條とか見つめ合うと素直におしゃべりできない河辺とかごく普通の日本のサラリーマン牟田口とかを徹底的に研究すべきじゃねえか。
まぁ話は逸れたな。
戦争なー。
まぁしたい気持ちとしたくない気持ちは半々だな。能動的な理由はあんまりないんだよ。飯食えたり、人生リセット(電源落ちるかもな)したり、いろいろできるだろ。ゴミカスが戦争責任でいなくなるかもしれんしな。
軽く考えてるように見えるけど、やるとなったら結構ガチでやっちゃうよ俺は。
というか否応なしにそうなるだろうな。高揚感と愛国心ブーストがめっちゃかかるから、今じゃ考えられないほどシリアスになるだろう。
「昔の人は立派だった」なんてことは一切ないわけよ。その場にいれば誰だってそうなる。
ウェヒヒモヤシ野郎も女を抱いて金を稼ぎ始めたらいっぱしの哲学語り始めるだろ。あれと一緒だ。
戦争してみりゃわかる。みんなすごい立派に見えてきて、「たとえ負けても日本は大丈夫だ」みたいにシリアスになるよ。そのシリアスな空気と、飯が食える環境と、名誉が欲しいんだな俺は。
やはり俺は戦争したいな。
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業務を遂行する上で合理的な理由があるならば。相当、難易度高そう
公権力を形成する地位の国家公務員など外国籍が適当ではない職ならば要件に含まれても致し方なしだけど、これは違うのよね?
実際に採用されているかは別として、それ以外の公務員であれば外国籍でもなれるので、民間の業務での妥当性のある職は存在しなそう
こういう求人してもいいの?
自由やで?
もちろん、職業安定法第5条の4及び、平成11年告示第141号 (社会的差別の原因となるおそれのある個人情報などの収集)に該当するので、
https://twitter.com/keiichisennsei/status/1007435376850493440
id:segawashin 逆だよねこれ。俺この人の一回り下だけど、威圧的な街宣車や暴走族の旭日旗を見て「日の丸だの愛国だのってなんかやばいわ」って思わされたもん。日の丸や愛国をバカな方向に振り回した連中を批判しなよ。
id:Cunliffe どこでそんな教育が受けられたんだろうな。普通の日本人しぐさ。 これはひどい こいつバカ
これに寄せられるコメントを見て思う。
小学生時代、国歌なんて歌おうものなら教師から激しい叱責を受けた。
講堂で国歌が流れるときは誰一人歌わず、ピアノの伴奏だけが響く。
おかげで「国家斉唱」と言うのを「国歌『静』唱」だと思っていた。
毎年、音楽の教科書の国歌のページには笛の運指表を貼っっていた。
もちろん私が通っていた小学校が、特殊な環境の特殊な学校という可能性もある。
ただ中学も高校も変わらなかった、いや、中学はもっと酷かったな。
枚数制限が原稿用紙10枚だとか異様に多かったので記憶に残っている。
id:bottomzlife そんな教育を受けた事実はない。あるなら検定教科書を資料として提示すべき。「日の丸を掲げる街宣車や暴走族は危険な集団」と理解する実体験は大量にあったが、それは思想教育でも洗脳でもない @keiichisennsei
この人にすれば私は存在していないんだろうかな。
でも、世代が違うと見ている景色がまるで違うんだろうから、仕方ないのだと思う。
父母の世代からは与党の政策に少しでもうなずくと「体制に従うな!」と批判されるが、
マスコミのニュース一つで政治家の首が飛ぶ時代を目の当たりにしてきたので、
報道機関が誘導しようとする与党批判の方こそ、体制側と思ってしまうときが多々ある。
おかげで「政府を疑え」よりも「マスコミが流す情報を疑え」という姿勢が身についたのだろうか。
韓国人は日本人が大好きなのに日本人は韓国人を差別する、でしたっけね。
そういう時代の流れの中で教育を受けて成長していけば、まあ思想信条も自ずと固まるよね、と思う。
逆に、軍隊上がりの体罰大好き教師が暴力を振るっていた学校で教育を受ければ、日本死ねとも言いたくなるだろう。
俺が通った田舎の公立小学校は入学式も卒業式も国歌斉唱しなかった。国旗も端っこに下がってただけだった。
ところが自分の卒業式に君が代を歌うことになって、そこで初めて練習したんだ。歌詞の意味を解説する時間もあったりして。子供ながらに何だか大変なことが起きているみたいだ、と感じた。
で、卒業式当日、いつもはそこにない日の丸が体育館のステージのど真ん中にデーンと掲揚されててビックリした。
いつもより心なしか厳粛に式が始まって、いよいよ君が代の斉唱。ところがここで体育館の後ろの方からハンターイ!とか叫んでるオッサンやらババアが湧いて出てきて、これまたどこから湧いてきたのか警察官がそれを静止していた。
騒ぎは一瞬の出来事だったので、そのまま式は時間通りに終わったんだけど、なんだか大変な卒業式だったと記憶している。
ま、そういう地域もあったんだぜ。
僕が入学した高校は、この地域では有数の進学校で、100年余りの伝統で知られている…というのが僕が聞いた前評判だった。
ところが、入学した途端に奇妙で恐ろしい風習にさらされ、ひどく困惑している。
入学式の翌日、体育館で全学年がそろった歓迎会のようなものが開かれた。伝統校であるゆえか、歓迎会に限らず、どんな集まりでも校歌を斉唱する。
当然僕は、入学したばかりだから、校歌の歌詞など覚えているはずもなく、なんとか上級生が歌うのについていこうとした。しかし、上級生男子の一部が、無駄に声を張り上げて歌うため、うまくついていくことができなかった。(今思うと、一年生が歌を聞き取れないように、わざとそうしていたのではないかと思う)
なぜそこまで声を張り上げるのか腑に落ちないまま、会は終りを迎え、二・三年生は退場し、なぜか一年生だけが体育館に残された。
生徒会役員の自己紹介が終わった直後、閉じていた体育館の扉が突然激しく開いた。見ると、腕を組んだ上級生が二十人ほど中に入ってくる。上級生たちは、一年生を囲むと、いきなり口々に怒鳴り始めた。僕は状況がうまく理解できないのと、もとから小心者であるのとで、動悸が止まらなかった。
僕も恐怖のあまり興奮気味だったので、詳しくは覚えていないが、簡単にいうと、「なぜ歓迎会のときに校歌を歌っていなかったのか」というようなことを怒鳴り声で言われたのだった。そんなことをいわれても、まだ入学式から24時間も立っていないのに…と思いつつ、僕は恐怖でおののいていた。とにかくひたすら怖かった。
…それから約一週間たち、ようやく少し学校生活になれてきたある日のことである。その日は、朝から、「今日はあの人たちが来る」と話題になっていた。僕は昼休みになると、急いで昼食をかきこみ、「あの人たち」の到着を待った。
「あの人たち」は、突然教室に乱入してきた。そして、一週間前の体育館と同じように、集団で僕たちに怒鳴り散らした。そして、僕たちのうち何人かを指名して、「なぜこの学校に来たのか」と質問してきた。当てられた人は、震えつつも、「伝統に憧れたから」とか「進学校だから」といったことを答えるのだが、そのたびに、上級生たちは集団で責め立てたり、机を押し倒したりする。(あとから聞いた話によると、このときは、何を答えても責められるそうだ)僕はその異常な光景に恐れおののいた。しばらくして、「放課後に全員揃って屋上に来るように」と僕たちに伝えて、彼らは教室を出ていった。
僕は、怒りが抑えられなかった。なぜこんな不条理がまかり通っているのか。なぜ先生は誰も止めないのか。そんな気分で、いっそのこと上級生の命令を無視してさっさと帰ろうかとも思ったが、そんな雰囲気ではなかったので、結局みんなと一緒に屋上に行くことになった。
屋上に続く階段の前で整列して、一同震えながら待っていると、上級生が来て、入れと指図された。僕たちは階段を登り、屋上に並ばさせられた。
しばらく僕たちを責め立てたあと、ひたすら校歌を歌わされ続けた。声が大きい人は座らせられるだが、あまり声の大きくない僕はずっと座らせられなかったので、涙ながらに歌い続けた。こんなことをされるために入学したわけではなかったのに。僕は一体何をしているんだろう。そんな思いで、延々と泣きつつ歌い続けた。
炎天下の中、それが一時間ほど続いて、ようやく終わった。上級生たちは、態度を一変させ、カジュアルな態度で、みんなを集め、「お疲れさまでした」といって、自己紹介を始めた。それが終わると、ようやく帰された。
僕はもはや放心状態で、そのまま家に帰った。
今でも頻繁にこう思う。なぜあんなことをさせられなければならなかったのだろう? あれになんの意味があったのだろう? これは伝統を笠に着た「いじめ」ではないか? と。
また、こんなことも思う。例えばクレーマー気質で金持ちの親が保護者の中にいて、自分の子供がされたことに腹を立て、学校を訴えたりしたらどうなるか…と。この風習にはなんの正当性も、教育的意義もないから、もしかすると裁判で負けるかもしれない。そうなったときに、学校は責任を取れるのか? コンプライアンスの意識がまったくないのではないか。
僕の入った高校は「国際人育成」のようなことをスローガンに掲げている。後輩や部下を怒鳴り散らすような人が、世界に通用するだろうか? 僕は運動部ではないので、この種の「いじめ」はもうないが、一部の運動部では学校の施設の利用を新入部員だけに禁じたり、あるいは怒鳴り散らしたりといった「いじめ」が行われていると聞く。(皆が「いじめ」と認識しているわけではないが、僕はそう思うのだ) そのように後輩をいじめることになれた人は、社会人になっても、後輩をいじめることに抵抗を感じないのではないか。僕の高校では、皆忙しすぎて、いじめをする精神的余裕もないと聞くが、学校の体制の中にいじめが組み込まれているのなら、同じことだろう。学校が、いじめをする人材の育成場所になっているように思えるのだ。
そう言われると、「はいはい反日左翼は日本から出て行け」と思うことだろう。
→反日か?
日本のことが好きだからといって、その全てが好きでなければいけないということはないだろう。
→左翼か?
どちらかといえば左寄りの思想の持ち主であることは否定しないが、左翼ではない。
日の丸・君が代に反対する人たちの、先の太平洋戦争でー、韓国がー、中国がー、という理由には同意しない。
それが、国による「抑圧」、国への「服従」「隷属」を象徴するからである。
日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しない教官は、懲戒される。
世の中には何らかの理由(それが意味不明なものであったとしても)で起立斉唱したくない人がいる。
これを無視して強制することは、「お前、日本人なら、日本を愛しているなら起立斉唱できるよな?な?」と迫る、ただの「踏み絵」である。
卒業式会場で大声をあげて「日の丸・君が代はんたーい!」とか言い出したら、それは式を妨害することになるから懲戒もやむを得ないだろう。
でも、静かにその場に座っているだけなら別にいいじゃんか、と思う。
寛容が大事。
そうして、日の丸・君が代が踏み絵にしか見えなくなり、嫌いになってしまった。
私は小中高で日の丸を掲げ、君が代を歌う教育を受けたが、こんなひねくれた人間になってしまった。
愛国心を育てるための教育が「北風と太陽」のような結果になってしまって残念に思う。
日の丸のデザインは良いと思うし、君が代も厳かで良いのに、踏み絵として使われてしまって残念至極。
しかし、一時期の「起立斉唱しない人は反日バッシング」は私の心に強いマイナスのイメージを植え付け、
それが消えるまでには長い時間がかかることだろう。)
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
ネトウヨは愛国者を名乗るが、彼の行う行為は「国旗を振り回す」「国家の斉唱」などといった、日本人目線での価値観とはかけ離れた行動をとっていることが多い。
シールズも同じ。学生運動にしては実力行使のシーンが少ない。しかも、教育的な知識にもズレがある。学生運動には暴力がつき物なのだが、彼らが暴力を行使する場面など見たことがない。
鉄道おじさんはこれまで外国を引き合いに日本の公共交通を批判したり、車社会を非難しているが、彼自身が運転免許を取得している時点で車社会に取り込まれているという自覚がない。
緯度おじさんは神奈川県の茅ヶ崎市民目線で地方を叩いているが、冷静に考えれば神奈川県茅ヶ崎市も地方都市と同等であるという認識が欠如している。
ネトウヨやシールズは薬の効かない馬鹿なのでどうしようもないが、鉄道おじさんや緯度おじさんの軌道修正は可能ではないか。前者は運転免許証、ついでにユタカな個人資産(自称)を返上し、後者は地方叩きを謝罪・撤回するか、都市圏に引っ越すことを期待する。彼の行っていることは、富裕層が貧民の代表を名乗るようなおかしな話なのだ。
息子はもうすぐ5歳になる。
私は母親で、息子と毎日遊ぶのが楽しみだ。息子の最近のブームはお相撲。四股を踏み、ハッケヨイノコッターッと相撲をとる。息子は相撲をするのが楽しすぎて、ヨダレを垂らしながら本気で向かってくる。負けると悔しいと言って泣くから、こちらが手加減して負けてあげるまで相撲をとる。(八百長)
先日、優勝した稀勢の里の表彰式録画を息子と一緒に見ていた。君が代斉唱で涙を流す稀勢の里の姿にジーンとしていると、突然息子が怖い〜と泣いて逃げ出した。何が怖いの?と聞くと、「お歌が怖いの〜」だと。
息子よ。
これからの人生で、いくらでも君が代を唄う機会はあるよ。ましてや相撲は国技だから、お相撲さんになったら、君が代を唄えなきゃいけないよ。お相撲さんにならなくても、学校やスポーツ大会で君が代を唄う機会は数多くあるよ。確かに暗い雰囲気の曲だけども、厳かで母は結構好きだよ。今度お風呂で一緒に唄ってみようね。
育児ブログ、Yahoo質問箱、幼稚園口コミサイトなどで検索すると、塚本幼稚園に子供を入れた(入れたがっている)親の声がいくつも残っている。
<教育方針にガチ共感勢>が多いが、お受験のために入園を考えている親もいるようだ。
それぞれの書き込みを一部拾った。
参考にしたサイト
http://www.inter-edu.com/forum/read.php?102,991433
https://www.minkou.jp/kinder/school/review/52796/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12129395802
でも、小さいころから、好きなこと何にもさせてもらえなかった。
お尻のあざが消えないうちにコードで叩かれた。中学まで続いた。
学校でも部活禁止。校歌斉唱禁止。お祭り由来の学校行事禁止。輸血禁止。週末は布教。
高校生になるころには終わりが来ているから進路なんて考えなくていいって言われてた。
でも、10歳のころに、教義が変わって、来るはずの終わりが来なくていいことになった。
結婚も推奨されてなかったから、結婚先延ばししたお姉ちゃんたち全滅。仕事も推奨されてなかったから、フリーターで鬱やニート乱発。
家庭的な人ばっかりだったのにもったいなーい!
でもね、そんな環境でも、環境を自力で変えていった人いたのよね。大学進学も自力でしたり、資格取ったり、どんどんうまく逃げていった、軽やかに羽の生えている人いるわけですよ。
世界は終わるんだよ、学校で一般人の友達作ったところでその友達終わりが来たら全滅だよって教えて、生き残らなくていいやって罪悪感万歳になる宗教で、足ぬけしても廃人がいっぱいいるんだと思う。
もうね、宗教内の長老に半レイプされちゃって妊娠しちゃって、親から半殺しの目にあって親がむせび泣いて親が世間に顔向けできないって自殺未遂した環境で、相手かばう必要ないのに言えなくて、日曜日ごとにあうのに言えなくって、黙って下ろしちゃって無力感で高校中退した私、ほんと馬鹿なんですよ。
私なんてカスですよカス。家出て風俗やってお金稼いでニートして高認取って風俗やって専門学校行って定職について、結婚して子供に恵まれてやっとワーキングマザー! 人並!!
ビバ神! 人なみ!!(感涙)
税金払えてうれしい!! 社会保険にカードが作れる身分うれしい!!
と思ってたら、もう今度パワハラ上司にタゲられてドロップアウトですよ。2か所連続ってことは、なんかオーラでてるんでしょうね。あは、人なみって無理なのかな! そろそろ私も死のうかな!
でも、圧倒的なハンデあろうが、乙武さんのようになさることなせる人はなせるし、世間がうらやむ高学歴でも一歩も外に出れなくて女に目を合わせられない人いる。
その差はどこから来るんでしょうか。ほんと知りたい。。
平気で努力できる人がいる。
やっとわかってきたのね、人生の責任が本人にしか取れないっていうの、時間が容赦なく残酷に過ぎていくよってことなのね。
だってさ、高校中退してブランクがある人間と、ちゃんと進学して新卒カード切れた人と、毎日毎日睡眠時間削って何かを積み上げて努力した人と、環境がどうだろうと積み上げられなかった人、差があるにきまってる。
モチベーションなくてもモチベーションを持てたら、もっと中学の時勉強してたら。高校を辞めなかったら。ずっと継続できるものを積み上げられたら‥‥‥。
30過ぎて何を積み上げられるんだろう‥‥
どうやって積み上げていけばいいかわからない。ほんとうは勉強の仕方もわからない。無理やり暗記して資格取っただけ。
格差はたくさんあると思う。才能、容姿、メンタル、体力、若さ、ストレス耐性、継続して積み上げていく人生‥‥‥。
子育てして分かったけど、勉強習慣って2歳の本読みから始まるし、毎日ちゃんと習慣づければ子供は自分から目をキラキラさせてやりたがる。
もう格差は始まってるんだと思う。
この子たちにこの社会の中で幸せに生きてほしいけど、お母さん今泥沼になっちゃった。。どうすればいいんだろう。お母さん、ちょっと疲れた。
つらつらと思いついた屁理屈を書く。
「政治的中立」を厳密に求められるのであるならば、選挙に投票に行くわけにはいかない。
選挙に行く=どこかしらの政党/候補者に投票する=政治的に中立ではないということだから。
つまり、選挙に行くこと自体、個人的には政治的に中立ではないことを表明することになるのだ。
→教育の場で教師の権限を振りかざして一方的なものの見方しか教えないことが問題なのだ。多方面から見ることを検討させなくてよい理由にはならない。
「学校式典時の国家斉唱時の起立を拒否するのは思想信条の自由だから保護されるべき」
ならば、授業開始時に起立・礼・着席って号令に合わせなくても良いんだよな。礼を強要するのは思想信条の自由を侵害していないか?
給食のときに合掌して「いただきます」「ごちそうさまでした」って言わなくても良いんだよな。合掌とか宗教じゃないの?
朝、校門前に立つ先生に「おはようございます」ってあいさつしなくても良いんだよな。あいさつの強要とか、パワハラじゃないの?
http://sports.nhk.or.jp/video/element/video=28114.html
http://togetter.com/li/1015110
いやぁ、素晴らしかった。
「こういうのでいいんだよ、こういうので。」と呟いてしまった。
ようやく求められているものが分かってる奴が責任者になってくれたようだ。
間延びしがちな君が代が、厳かな雰囲気を持って観客を一気に引き込んだ。
プロジェクションマッピングも素晴らしい。
AR、VRが4年後にどこまでウケるかわからんが、ぜひ取り入れてほしい。
ロボット、渋谷スクランブル交差点、地平線まで続く都市の夜景、
昔の東京五輪のポスターっぽい構図、新幹線と「日本」の分かりやすいイメージをPRしてる。
そこから屋形船、浅草寺、スカイツリーともってきて、キャプテン翼、ドラえもん、キティちゃんにつなげる。
日本に求められてる、伝統とハイテクとポップカルチャーの融合ってやつだ。
浅利慶太なんかいらんかったんや!食い倒れ人形のコスプレとかアホか!
日本とブラジルが地球の真裏で、土管で地球の裏までひとっ飛びってのは誰もが分かるユーモアだ。
ダンスも良かった。
4年後もライゾマである必要はないし、できればさらなる若手が出てきてほしいけど、ようやくホッとした。
ということで、「こんな東京オリンピックのキャスティングは嫌だ!」というのを今から挙げておこう。
総合プロデューサー | 秋元康 |
公式応援ソング | EXILE with AKB48 |
アートディレクター | 村上隆 |
総合司会 | 嵐 |
応援団長 | 中居正広(裏でナイナイの岡村がコソコソやってる) |
実況 | 古館伊知郎 |
現地インタビュアー | 藤原紀香 |
バレーボール応援団 | ジャニーズJr. |
演出 | 小山薫堂 (友情出演:くまモン) |
デザイン監修 | 佐藤可士和 |
キャッチコピー | 糸井重里 |
翻訳監修 | 戸田奈津子 |
普段テレビでやってるバラエティみたいなノリで内輪ウケを狙うのだけはやめてくれ。
今回のリオでさえ、安倍首相にわざわざ「PRIME MINISTER」って字幕つけなきゃいけないくらいなんだから。
国内で顔が売れてようが、世界からみたら「誰だコイツ?」なんだよ。
頼むぜ。
見ているのは世界なんだ。
期待しているぜ。
東京オリンピック、楽しみになってきた。
まず全世界で起きている、テロや軍事衝突で亡くなってしまった方たちに哀悼の意を捧げたい。
個人的には、軍人と民間人とで命の重さが違うとは思えないので、全ての人に捧げたい。
それで、増田にしか書けないことを書こうと思う。増田なのは、怖いからだ。
フランスのテロでご家族を亡くされた方が、それでも恨んだり怒ったりはしないと言っている記事を読んだ。
とても尊くて、たぶん自分には真似できない決意だと思う。それを公開することも尊敬する。
それでもなお、足りないと思った。
あなたたちが誰なのかは知らないし、知りたくもないが、あなたちの魂が死んでいることはわかる。
あなたたちが盲信的にその名の下に殺戮を行っている神が、(後略)
https://medium.com/@dominickchen/あなたたちは私の憎しみを得ることはできない-b2ac0cdcc69a#.v4x4ctbg3
家族を殺されて、恨まないということは、自分にはきっと出来ない。
テロに屈しない、恐怖したり反発したりしないということは、出来そうにない。
そんな人でも、相手を誰か知ろうとしないし、相手は魂が死んでいると思っているし、盲信的に殺戮に及んでいると思っている。
きっとそれは公平に見ればその通りなのだと思う。
でもそれだと「そうかまだ無視するのか。じゃあもっと殺さないとな」となるんじゃないか。
欧州からシリアやイラクの「イスラム国(IS)」に参加した外国人戦士の数(推定)は、人口100万人に対する割合では(後略)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20151119-00051597/
「イスラム国」(IS)の外国人戦士の数は継続して増えている。減らない。
はてなブログも、他のブログも、テロ実行犯に対して言葉を濁している。差別に加担しない思慮深い態度だと思う。
本当に例えばだけど、失業していて、政治的な集会に参加している、20台後半のある地域に住んでいる人が、潜在的なテロリストだと言ったとする。
たぶん、過去の事例からそれは事実なんだけど、言葉にした時点で、単なる「仕事を得たくても得られなくて鬱屈としていた青年」はテロ予備軍になる。
なにもしていないのにテロ予備軍と呼ばれた、じゃあテロ予備軍になってやろう。
なにが言いたいかというと、テロリストになる前に止められないのか、という事。
彼らが誰か知りたくもないし、テロリストの心情を慮る必要は無いし、どんな心情でどんな信仰を持って、どういう理路で持って自爆テロに及んだのか、理解する必要はない、というのも態度の一つだとは思う。
ある社会の中に相容れない「異常者」は、どうしても一定数出るだろうし、サイコパス、みたいな言葉もある。理解する努力が無駄な人は間違いなくいるのだろう。
でも、少なくとも今回フランスで起きたテロや、今後起きるかもしれないテロは、理解する努力が必要なのじゃないか。
彼らが何故過激な思想に寄り、なぜ実際に行動を起こすに至ったのか。
でも、テロリストになる前の人達は、話しあえば思いとどまって貰えるんじゃないだろうか。
「イスラム国」(IS)に合流し外国人戦士になってしまう前に。共感してテロを実行してしまう前に。
最初から熱狂的な信者であるとか、洗脳されたとか教化されたとか、そういう自爆テロ実行犯に思えない。
社会が混乱し、社会が分断され、猜疑心が広がって差別が増えるのがテロリストたちの狙いなのだと思う。
テロリストたちとはわかりあえない、テロ予備軍も検挙されるべきだ、理解も対話も必要ないという態度は、
テロ予備軍でない単なる無職の若者をテロ予備軍に変え、テロ予備軍だった集団の最後の一線を超えさせるように思えて仕方が無い。
犠牲者を追悼したいから、大声を出さないでくれと言っている人の映像をニュースで見た。
イスラム教徒は来るなとなじる人に、激高して大声で反論している人に対してだ。
黙れと言っているように見えた。論争は聞きたくないと言っているように見えた。
今必要なのは、不満を持つ人を、追悼するからと黙らせることじゃないと思った。
犠牲者を追悼し、国家を斉唱し、一致団結してテロに対して毅然たる態度を取る集団に、入れない人達が大勢いるように思う。
彼らの大多数は間違いなく善良な市民だし、テロリストには絶対にならないだろう。
それを止めるのは、理解じゃないか。
同質で無いから排除するというやり方では、うまくいかないのではないか。
相手の思想や信条は、テロ以外の方法で行動に移せるのだという説得は、理解から始まるのではないか。
本稿はTVアニメ『マイ・リトル・ポニー 〜トモダチは魔法〜』の二次創作作品「How Applejack Won the war」についての解説である。
~How Applejack Won the War~ 完成版 ‐ ニコニコ動画:GINZA
すでに動画up主による訳詞がついているため、これだけ観ても楽しめる。
しかし元動画作者の Sherclop Pones の特徴として「偏執的なまでに韻を踏む」の他に「やたらダブルミーニングを込めたがる」というのもあり、翻訳動画だけではカバーしきれない、あるいは観ててわかりにくいところが多々存在する。
以下ではそうしたスキマを解説していきたい。訳はだいたいオリジナルであるが、ところどころでリンク先動画主のGED氏の訳を大いに参考にさせてもらった。この場を借りて謝意を表したい。
一日目
開戦だ
さあ、ジョニーよ銃をとれ*
訓練所で射撃練習だ
三段目(Come on Johnny get your gun)の元ネタは当然反戦小説『ジョニーは戦場へ行った』(さらにその元ネタとなった軍歌『オーヴァー・ゼア』)。
四段目の「訓練所」は fruit camp 、新兵訓練所である Boot camp (昔流行ったアレ)とかけてある。
行進しよう
集結ポイントへ
お嬢様みたいにさ
エージェント・オレンジ? まあ、待ちなって
三段目: i’m speaking fancy too. は第二シーズン六話「恐怖のキューティー・マーク」より。フランス語のキューティーマークが発現したアップルブルームに対してアップルジャックが言ったセリフ。日本語版放送時には「妹がザマス言葉になっちゃった!」と訳された。なぜこのセリフが引用されたかといえば、前段の歌詞 Rendez-vous が「集結地点」を表すフランス語だから。
四段目: Agent Orange? エージェント・オレンジはベトナム戦争時に、森林ゲリラに悩まされたアメリカ軍が木々を根こそぎ除去するためにばら撒いた悪名高き除草剤。含有されていた有害物質が後々までベトナムの人びとに深刻な影響を与えた。
二日目
仕事は多い
ラリティもがんばってる
地面を均して、納屋を建てる
五段目: Raze the field, raise this barn. - 第三シーズン八話「Apple Family Reunion」の劇中歌より。原曲の raise(建物を建てる)と、 raze(破壊する)をかけている。
ここまでは
楽勝だ
市民に死傷者は出たけれど
撃ちてしやまぬ
戦友の手を取りド-シ-ドと踊ろう
五段目: do-si-do とはスクウェアダンスやポルカの基本ステップ。元はフランス語。
新兵たちよ
良心の呵責などいらぬ
家族と結べ、戦債を売れ
条約を結べ、戦歌を歌え
一段目: Draft horse そのまま訳せば「徴募(Draft)された馬」だが、同時にアメリカのばん馬にあたるゴツいお馬さん(Draft horse)にもかかっている。
三段目: alpha, bravo, charley-horse アルファ、ブラボー、チャーリーは、軍隊で使用されるコールサイン。それに charley-horse すなわち「こむら返り」をかけている。
四段目、五段目: Family bonding, selling bonds, Signing treaties, singing songs 日本語訳動画うぷ主のGED氏は「一家団結、戦時公債、条約締結、軍歌斉唱」と訳している。名訳である。
上昇!
投下!
支援部隊がすぐ駆けつけるはずさ
五段目: 『マイ・リトル・ポニー』のオープニングにおいて、主人公のトワイライトは毎回気球に乗って登場する。
三日目
沖に出よう
静かな海でたったひとり
自分の罪に思い巡らす
寝てるなよ
終わってないよ
戦いのときだ、総員甲板へ
やつらの戦艦を沈めて
ジューシーに焼きあげろ
五段目: Burn them to a Honeycrisp ハニークリスプはりんごの品種。パリッとしたジューシーな食感が特徴。
降伏だと?
まだ殺りたんねえな
あのチキンどもを追い立てろ
やつらにくれてやる厩舎などない
捕虜は取るな、皆殺しだ!!
四日目
戦争に勝った
紅く甘美な勝利だね
三段目: Loyal to my apple corp 作曲者である Sherclop Pones の人気シリーズ動画「Friendship is Witchcraft」でアップルジャックとレインボーダッシュのエレメントが入れ替わってしまい、アップルジャックが「忠誠」のエレメントになってしまったことがあった。
戦の馬たちよ
誇りを高く持て
ドアに飾った勲章が
私の勝利を語ってくれる!
三段目: Freedom isn't Everfree: 『マイ・リトル・ポニー』本編に出てくる Everfree forest という地名が、アメリカの右翼が好きなフレーズ Freedom isn’t free. 「自由はタダじゃない」にかかっている。