はてなキーワード: まこととは
蒲生(後の苻生)は幼い頃から無法な行いを繰り返しており、祖父の蒲洪(後の苻洪)からは強く忌み嫌われていた。
生まれた頃から隻眼であり、彼が幼少の頃に蒲洪はふざけて侍者へ「片目の子は片方からしか涙を流さないと聞いているが、まことかね?」と問うと、
苻生は隻眼であったので『不足、不具、少、無、缺、傷、残、毀、偏、隻』と言う文字の使用を禁じ、これを犯した者は左右の側近でも処刑され、その数は記録出来ないほどであった。
苻生が即位して幾ばくもしない内に、殺された人間は后妃・公卿以下僕隷に至るまでゆうに500人を越え、
截脛(膝から下を斬り落とす)・拉脅(わき腹を圧し潰す)・鋸頸(頸を鋸で斬り落とす)・刳胎(胎児を抉り取る)の刑に処される者が相次いだ。
治世の末年には、その数は千をはるかに越えたという。
苻生は群臣と共に太極殿において宴会を開き、右司馬の辛牢が酒監となった。
宴もたけなわとなると、音楽が奏でられ、苻生自ら歌を詠み、場を楽しませた。
だが、苻生は辛牢が酒を飲んでいないのを見ると「酒が進んでいない者がどうしてこの席に座っているか!」と怒り、辛牢を射殺した。
苻生は夜に棗を多く食し、朝になると体調を崩したので、太医令の程延を呼び寄せて診断させた。
苻生は左右の側近へ「我が天下に臨んでいることについて、汝は外からどのようにきいているかね」と問うと、
側近は「聖明なる陛下が世を治めるおかげで、賞罰は明確となり、天下は太平を謳歌しております」と言うと、
苻生は激怒して「汝は我に媚びを売るか!」と言い、斬り殺した。
大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である。
白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供の母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供の母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まことの母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆の行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親は最後まで子供の悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。
この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸の母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方を網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。
これが大岡裁きの極限競技〈エクストリーム・スポーツ〉化である。
「大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき、最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである。
競技化してからの大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である。
その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢にたっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。
枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なものは彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家の屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。
もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合の逸話に基づくものである。彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女は箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである。
当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審のからくり手の技能を持ってしても勝敗の判別が不可能であった。
土煙が判決の邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つのは江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児を釣り上げた。ちよが右手、お松が左手。越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。
後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。
次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為そのものは競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間が必要であった。
最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手に稚児の身体を押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。
この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である。
その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。
裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。
お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。
双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。
どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅の不思議ポイントを確認していってみましょう。
新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線の跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。
4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります。新幹線は毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときはエスカレーターや階段が長いと感じていました。
在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅、金沢駅、福井駅の新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅の新幹線ホームは4階建ての建物の屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。
横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルのCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロックな設計になっています。設計コンペの勝者のイラストと比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストのバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています。電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリーに侵入するときに右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバスが占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから、目的のバスを探すことができる構造から、バスの行き先を判断してから、道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイルに改悪されてしまいました。
古町・市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます。南口方面から到着したバスは南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。
※イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。
多くの市民が感じた違和感は市街地の南北が分断された状態を解決するというお題目がほとんど解消されていないことです。この目的を解決するには、万代口の東大通と南口の弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代橋から続く道路が線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切と天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルートを篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます。
https://www.zaikainiigata.com/?p=8248
計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者と自転車用道路に格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。
駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービスの新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルとタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつのパークアンドライド用駐車場のCoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料、新幹線割引き廃止、24時まで3000円というレートになりました。梅田駅や秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車やバスで駅に行けない利用者が多いのが新潟の現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。
駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車で新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段やエスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段やエスカレーターと電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます。階段やエスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震を考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームはランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認が必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります。新幹線と特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段の位置に違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西から出ます。階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカの店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます。
敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います。
土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます。
高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前の広場は新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口の広場も国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市の土地に建設されます。高架下の建物は東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になります。バス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地を提供したくなかったのかと妄想が捗ります。バス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちもエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています。
2002年の設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704
万代口のマルタケビル、ブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザインの歩道の屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。
先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されています。バスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。
木造風でした。
高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものがアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカの店舗面積が減ってしまいます。
駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf
この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。
新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近はそもそも90年代の計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています。越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています。???
東跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線は新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています。
実際のところ、街のお年寄りは新潟は踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟は新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切と天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます。
結局のところ、取り除かれた踏切は米山踏切と天神尾踏切で、それ以外の個所は線路が道路をオーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやすい跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。
新幹線は、在来線と道路の上下が入れ替わる状態を無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています。
せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシーで街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。
昭和57年の上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内のステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車の車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルのプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLoと名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズを山下の家具がフランチャイジーとして運営したハンソン、アニメイト、ゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友の進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印もFrancfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビルは第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。
気動車の車両基地は、数年後に新津駅へ移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地は新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。
2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計に市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年の新潟駅の設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅の設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。
https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf
新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路はバス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能に関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf
第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのときの感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています。
今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやかな感想を述べたに過ぎない」と述懐しています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。魯迅の感想が短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想をもつならば、それで満足です。
人は物事に触れて感想を持つものだと思います。SNSの批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想は自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というものも自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。
今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスがキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います。
今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成る」ものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的なもの、追憶的なもの、観念的なもの、象徴的なもの、風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています(岩波文庫、竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特の雰囲気をもった作品集です。
これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります。
そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会は作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり、言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味もキュレーターの解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレットの文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」
しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍や文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論の余地がありえますが、言葉と芸術の距離がそう遠いものでないことは確かです。
さらにテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきます。キュレーターが中国の出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙の試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文や文字が芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。
いっぽう、日本で一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭なものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたかも展覧会から「あなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。
では、「芸術(アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から「芸術(アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいものが芸術なのか?」とか「言語表現は芸術と無関係か?」といった問題はゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。
鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります。批判もひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要な展覧会であったと言えるのでしょう。
友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術は抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品を面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉の時代なのでしょう。考えずして何が現代の芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日にちょっと芸術に触れてみよう、子どもを芸術に触れさせてみよう、デートで美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品を面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」
たしかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館の改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。
私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います。
ここで、ちょっと過去のトリエンナーレを振り返りたいと思います。
私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています。
2014年の第5回「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家や芸術家がいかに体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代や脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治」であるという意識が出てきていたためかもしれません。
2017年の第6回「島と星座とガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権のさなかにあって、政治の右傾化が懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)
2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」、映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続。
きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います。
今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術が政治的であることの何が問題なのかとか、政治が生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーターが中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。
たしかに、今回の展覧会ではヨーロッパの戦争に関連する展示や国粋主義者の移民反対デモの映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつの世界に見立てて、このような出来事が遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます。
そのデモの映像のひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別のデモが行われています。ヘイトクライムの危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。
思い返せば2014年や2017年はかなり「政治的」な展示があったと思います。しかし今回、キュレーターは日本の問題をひとつも指摘しませんでした。日本で美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれた事件もそう遠い昔のことではありません。日本は美術の表現が自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときにもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっとも自由な表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身地である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパも安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります。
しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品のなかに普遍性を見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。
ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会のなかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅が木版画という簡易で複製可能な芸術を通じて、民衆に文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争を撮影した写真が展示されていたのは、芸術と政治の問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います。
(後編へ続きます。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093350
この文章に対して,非モテの人間観を「虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴」や「奴隷の主人」になぞらえてくださるトラバが付いています。
以下の文章は,「コミュニケーションに何らかの問題があったとして,それを『人間扱い』などと態々大げさで曖昧な表現で非難してくるような人間はただの説教好き」だというのが中心的な主張だというのは明らかだと思いますが,丁寧に名乗りを上げていただき恐縮です。
このように,「人間扱い」という言葉は想像力と比喩,修辞でその意味を豊かに膨らませることのできる素敵な言葉で,いくらでも論点をずらしながら説教を続けることができるので,こうも説教中毒者を魅了してしまうのでしょう。
>それ、虫や小動物潰すのにあきたらなくなった破壊衝動を持つ奴が
>仮に奴隷の主人に「奴隷を人間扱いしてください」と言ったなら、
(中略)
>と返してくるはずだ
「あえて説明するなら属性で見るな、差別するなっていう面と、性欲を全面に出すなの2つがある。」
お説ごもっとも。しかし,「非モテは相手を属性で見て差別している,性欲を前面に出している」という偏見バリバリのこのような人間の説教を真に受ける必要がどこにあるだろうか。
断言するが,ほとんどすべての非モテは相手をすでに人間扱いし(ようとし)ている。相手は人間なのだから,普通にふるまえば当然そうなる。
確かにいくつかコミュニケーション上の問題があったりすることは多いだろうが,それを「相手を人間扱いしていない」と糾弾されるような必要がどこにあるだろうか。
「差別しない」とは言うが,こうしてネット上の架空の人物と会話する場合はともかく,現実に出会いあわよくば恋仲になりたいという人間に対して態々差別的になろうとする人間がどこにいるだろうか?
(いや,確かに恋愛工学やPUAやモラハラ男などの形で存在しているのだが,彼らはここでいう非モテではない。)
恋愛経験に限らず人間関係構築の経験が不足している人間は,足りないコミュニケーションを偏見で補ってしまい相手の地雷を踏むことがままあるが,ここで必要なのは具体的な会話例・行動例をもとにどのような偏見があったか検討することで,「差別するな」だの「人間扱いせよ」だの,強い言葉で非難する理由はどこにもない。
ところで,「属性による差別」は避けるべきとして,「貴方だから特別」はむしろ必須と言っていい。昨今も誰にでも優しい彼氏に対する不満が増田で複数観測されたことは記憶に新しい。依怙贔屓しないという道徳的に正しいことが恋愛でも正しい訳ではない。
「性欲を全面(前面では?)に出すな」というのも難癖に近く,性欲だけなら風俗に行けばよい話で,彼女が欲しいと言っている人間が性的な目的だけではないのは明らかではないか。
そもそも人間には性欲があるものなのに,それを出さないことが人間扱いというのもおかしな話だ。逆に,性欲を出さなかった者はこちらが人間扱いされず「ぬいぐるみ」で終わるということも,増田で頻繁に指摘されていることである。
こちらもまた,個別具体的な例をもとに何が「キモイ性欲の発露」で何が「貴方に恋愛感情があります」というメッセージになったか腑分けしていくことが重要で,「性欲を出すな」だの「人間扱いせよ」だの,強い言葉で非難する理由はどこにもない。
ネット上には非モテを人間扱いしていない説教中毒者が山のようにおり,そのような人間は「相手を人間扱いしていない」に代表されるように,非モテの信念に問題があると指摘してくるが,それが真であるごく少数例を除いては,もとから持っていなかった信念を改めようとする努力は当然失敗に終わる。
ネットで役に立つ助言は,苦しいながら自身の経験を具体的に語ったときにもらえる具体的助言と,「数をこなせ」というこれもまた苦しい助言だけで,それ以外は説教中毒者の中毒症状だと思った方がよい。
(と思っているはずなのにこうして助言めいたことをつい書いてしまうのだから人に助言したい・説教したいという欲求はまこと恐ろしいものです。)
それはまことに残念だが周りの女が見る目ない
おかしくねえか??
俺は毎日毎日Eテレを見ているので、そんじょそこらの大人よりはSDGsに詳しいつもりだ。
1:貧困をなくそう (英: No Poverty)「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」
2: 飢餓をゼロに (英: Zero Hunger)「飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する」
3:すべての人に健康と福祉を (英: Good Health and Well-Being)「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」
4: 質の高い教育をみんなに (英: Quality Education)「すべての人々へ包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」
5: ジェンダー平等を実現しよう (英: Gender Equality)「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」
6: 安全な水とトイレを世界中に (英: Clean Water and Sanitation)「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」
7: エネルギーをみんなに、そしてクリーンに (英: Affordable and Clean Energy)「すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する」
8: 働きがいも経済成長も (英: Decent Work and Economic Growth)「包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」
9: 産業と技術革新の基盤をつくろう (英: Industry, Innovation and Infrastructure)「強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及び技術革新の推進を図る」
10: 人や国の不平等をなくそう (英: Reduced Inequalities)「各国内及び各国間の不平等を是正する」
11: 住み続けられるまちづくりを (英: Sustainable Cities and Communities)「包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する」
12: つくる責任 つかう責任 (英: Responsible Consumption and Production)「持続可能な生産消費形態を確保する」
13: 気候変動に具体的な対策を (英: Climate Action)「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」[注釈 2]
14: 海の豊かさを守ろう (英: Life Below Water)「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」
15: 陸の豊かさも守ろう (英: Life on Land)「陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」
16: 平和と公正をすべての人に (英: Peace, Justice and Strong Institutions)「持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」
お前らもSDGsが何の略蚊くらいは知ってるだろうと思うが、(S)ustainable (D)evelopment (G)oal(s) すなわち持続可能な開発目標と言ってるものだ。
俺の理解するところ、持続可能性、というのは、究極のとこ地球のリソースは有限に決まっているのだから、それを使い潰さず、人類が恒久的に存続し発展していける可能性を残している状態ということだ。
俺はその究極目標は気に入っている。人類が無限の未来までその足跡を残せるよう、俺たちは最大限努力すべきだろう。それが先祖と子孫と、人類が見つけてきたすべての叡智のために、現在の我々ができることだ。
6、7、8、9、11、12、13、14、15あたりはわかる。
公衆衛生、エネルギー持続性、経済と雇用、産業と都市のインフラ、マテリアルリサイクル、気候変動対策、生物多様性……
1、2、3、10、16もまあわかる。貧困だの飢餓だのを放っておくと人間が死ぬし、社会がある程度公正でないと戦争が起きたりする。
俺が意味わからんと思うのは、4と5だ。高い教育とジェンダー平等だ。これが人類の持続可能性に資するかどうか、まだ誰もわからなくないか?
いやもろちん、高い教育、ジェンダー平等、まことに結構だ。やったら良い。より良い社会のために、是非とも必要なことだ。
だがこれ、持続可能な開発目標か??こいつら無理やりねじ込まれてないか??
もちろんすべての目標は未だ人類社会で達成されてないことばかりだが、それにしたって、この4と5が持続可能な社会を作れるかは不明すぎやしないか?
(おまけ)
また、正直なところ、俺は特にジェンダー問題については、このままやって本当に大丈夫か?と思ってもいる。
率直に言って、ここまでの人類の存続は、男女の役割という苛烈な人権制限の上に成り立ってるんじゃないだろうか?
特に女だ。狩猟の時代が終わって男の肉体の役割はずいぶんマシになったと言えるだろうが、女の肉体は相変わらずとんでもない無理をして次の世代を作っている。
こんな状況では、ジェンダー平等なんてのは土台無理な話なんではないかと思っている。
何万年前と同じように、俺たちは女たちの本能に期待する以外に種としての持続可能性を持っていない。
ジェンダー平等が達成された世界で、古い男女の役割(女の役割)をやってくれる人間たちだけで人類を持続させられるのだろうか?
大阪の都市部は若い女の子が多いなという印象で東京や他の街よりなんだか活気がある印象を受けていた
そんな中で同年代の友達も一応できて、そこそこ人付き合いもし始めてだんだん気付き始めてしまった
それは自分に対しても、他人に対してでも割とすぐわかるくらい外に感情がそれはもう滲み出ているのだ
例えばジムに行った時、ほぼすっぴんメガネで行くと、トレーナーは半笑いでなぜか話してくる
時たま真面目な化粧をしてコンタクトをつけて行くと言語通じない外国人でもわかるんじゃないかと思うくらい態度を一変させることもある
変わらない人ももちろんいるけど
それくらい露骨
東京以外の場所にも住んだことはあるけどそれにしてもここまで複数人に同じ印象を抱いたのは初めてで正直戸惑っている
明らかに顔が歪むからなんだか下品に感じるし、言動も大阪以外では通用しないような幼稚さが垣間見えることも多い
他の土地に居着いている大阪出身の女性にそんなこと感じたことはないけど、大阪の女はちょっと異常
https://pbs.twimg.com/media/GGniBctbQAAm9xR.jpg
『クッキングパパ』の舞台は福岡で、初期のパパは周囲には自分が料理してるのを隠しており、自作のお弁当も妻が作ったていにしているのだが。
「社会問題なんて一切無縁」では全くないよ。
子どもの頃は何で荒岩パパは料理上手なことを隠すのかと思ってたが、自分も父親になると理由が分かるよ。
自分も家庭では料理担当で、毎日お弁当自作してるけど、それを周囲が知ると「何で奥さんが作らないの?」的な反応がくるもん。
年配の上司からは「奥さん甘やかせ過ぎだ」とか軽く叱られたことすらあったもんな。
だから自分も料理して弁当作ってることは周囲には特に言ってない。
https://twitter.com/pen_pen2020/status/1760194123490017697
わしお@washicomp
クッキングパパは社会問題なんて無縁→「九州男子厨房に入らず」「女は家庭、男は仕事」「男は家事育児しない」を覆し、ジェンダー、ヤングケアラー、里山管理、熟年層の恋愛などさまざまな社会問題を扱ってきている
https://twitter.com/washicomp/status/1760488022762741881
@hamanaka_aki
今『クッキングパパ』と『美味しんぼ』を比べて『クッパパ』は「無難すぎる生活を書き続けてる」とするコラ画像?が流れてきたけど(不快なので引用しない)、ほんとに『クッパパ』読んでんのかよ? フォカッチャ回とか、初期夢子とか、そこかしこに福岡の狂気がにじむ件とか、無難じゃないだろ!
https://twitter.com/hamanaka_aki/status/1760243332511682957
かじめ焼き@kajime_yaki
パチンコが社会問題化したころには主人公の義父に苦言を呈させてるし。
https://twitter.com/kajime_yaki/status/1760173531076448318
ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました@katsunomisanzai
クッキングパパは「クッキングパパ」であることそのものが社会への問いかけだったんじゃないですかとおもうけど(しかも九州男児なわけでしょ)そう思わない、疑問を感じない人が増えたのは時代の変化なのかも
あと「クッキングパパが話題を巻き起こすことない」と断言してるの、このひとにとっての「話題」ってなんなんだろう。アニメ化され実写化されたこともあってなお話題になってない扱いなのか
https://twitter.com/katsunomisanzai/status/1760229692244979911
リチウム@Lithium910322
「クッキングパパ」でもキャンプの時に学校で教わった環境破壊の話を父に話すまことの話やら、妻の実家の養豚業に継ぐ為に脱サラしたメガネさんが副業の柑橘類農業を廃業さぜるをえなくなる話やら、みゆき出産育児の時に育休の話が出てたりと、結構社会問題ネタやってますやん。
https://twitter.com/Lithium910322/status/1760173548596052319
オレンジの輸入自由化の時は、原反のためにミカンの木を伐採したさまを描き、いつか大変なことになるのでは、と批判している。
子供を授からない梅田夫妻。部下の工藤は育休を取得していたはず。
https://twitter.com/Akoma83801450/status/1760262420898140387
増田はコミック7巻(2023/10/10発売)冒頭にある芦原先生の直筆メッセージも読むべきである。
それを読めば、「4が事実と異なる」という認識が事実と異なっていることがわかるはず。
芦原先生が、キャラやあらすじで原作から大きく逸れていると感じた点をすべて修正したものは、8話以降に反映となっている(芦原先生自身もそう認識している)。
9話10話は私(芦原先生)自身で書き上げるしかないということになり、脚本家としては素人だという自認があったうえでも、そうしなければセクシー田中さんという我が子たる作品を守ることができないと決心したのだよ。
ブログについては、脚本家の攻撃的なSNS発言があったからこそ、その裏の顛末について公表せざるを得なくなったのだ。
そうしたら、芦原先生自身はいたって丁寧な文章でつづって書いたけども、脚本家へ攻撃するネット民の反応があり、心を傷めたのだろう。攻撃したかったわけじゃないという最後の言葉を残して命を絶ってしまった。
芦原先生が本当に気の毒だし、いたましすぎる。
それと、僕はセクシー田中さんを、先生が自殺したあとで初めて知り、それから読んでみたのだが、丁寧な心の機微の描写で、女性の生きづらさを笑えるくらいに面白くして、そして泣けるくらいに心に響く素晴らしい内容の作品で、これが完結しないのだという事実が、まことに残念でならないと感じた次第。
漫画の原作者さんが自殺したというニュースが舞い込んできました。
この方のご冥福をお祈りするとともに、残された遺族の方に心よりお見舞い申し上げます。
自死遺族の一人として、この方の自死に対して緊急提言することをお許しください。
すでに自死そのものについては成立してしまっている以上、これを失敗させることはできません。
その方がどのような目的をもって自死を選んだのかは、もはや残された我々にとって見れば理解することは不可能です。
しかしながら、その不可能なものに対して、生きている人たちの間でああでもないこうでもないというまことしやかな妄想がすでに始まっています。
そしてその中のいくつかは、刃となって誰か個人に向けられ始めています。
誰に言われるでもなく、自らを責めている人もいるかも知れません。
それこそが自死にとっての一番の成功であり、我々生きている人間が止めなくてはならない自死の目的です。
残りの全てを生きている側の人間に委ねる、死への逃避です。
残された側の人間は、もはや答えることのない相手に対して、一生をかけて問いかけを続けることしかできなくなります。
その答えを知ることは、誰にも、自死をした本人ですら不可能だからです。
それなのにその答えを求めて苦しみ続けることこそが、自死の目的であり成功といえます。
自死を選ぼうと悩む人間に対して、自死ではその目的は満たすことができないことを教えるため。
そして、ある目的を満たそうとする人に対して、自死という選択を与えようとする人間を止めるためです。
その自死が成功してしまえば、次に自死を選ぼうとする人間にとっての希望となってしまいます。
誰かに自死という選択を与えようとする人間にとって、根拠を与えるきっかけになってしまいます。
誰かの自死の成功が、誰かの自死を生むきっかけになってしまうのです。
だらこそ、生き残った人間たちは、自死の目的を成功させてはならないのです。
自死を選んだ人間に対し、残念だけどあなたの自死はそれ以上の意味を持たなかったと教える必要があるのです。
それを生き残った人が勝手に解釈して、誰に責任があるとか、なにかに原因があるとかという話をしてしまえば、それは自死を選ぶ人間にとって思う壺でしかありません。
自死を肯定することは、あなたの身近にいる大切な人に、自死という選択を与えるきっかけにしかならないのです。
あなたに優しさがあるなら、やるべきことは原因に対して感情の拳を振り上げることではなく、自死を選ばざるを得なかったその人の選択にそっと寄り添うことです。
その自死を二度と世の中で繰り返さないために、静かにゆっくりと、それでいて正面から問題と向き合って取り組むことです。
それ以外に、その人の自死が報われることはありません。
今回の原作者の自死を、暗闇で膝を抱えながら眺めている人がいます。
今回の自死に対して、世の中の反応をまばたきを忘れて見入っている人がいます。
もしその人の前で、この自死が成功してしまったら、その人は自らの目的のために自死を選んでしまうかもしれません。
その誰かは、あなたのすぐ隣りにいる大切な人かもしれません。
もしこの方の自死を本当に悲しいと思ったなら、わたしたちがすべきことは、感情に任せて安直な原因に対して拳を向けることではなく、成功しなかった自死に対して、失われてしまった命にそっと寄り添うことなのではないでしょうか。
誰かの自死は、誰かの目的のために利用されるものではありません。
来る1/27(土)、東京渋谷のNHKホールで「バレエの饗宴2024」が開催される。
これはNHKが主催となり毎年行っているバレエのガラ公演で、海外のダンサーや、海外のカンパニーで活躍中の日本人ダンサーを呼ぶことが多い。
チケット代も他のプロモーターに比べてお値打ちで、本来だったらありがたい企画だ。
が、今年はこの公演が全然ありがたくない。
ウクライナを侵略中のロシアから、マリインスキー・バレエに所属する永久メイが、パートナーとして同じマリインスキーに所属するダンサーを引き連れて来日・出演するのだ。
NHKはなぜ彼女を招聘したのか、なぜ彼女を「バレエの饗宴2024」で踊らせるのか。主催者に姿勢を問いたい。
想定問答その1.永久メイは「バレエの饗宴2022」にも出演している。出演実績のあるダンサーを再度呼んでなぜ悪い。
――2022と今回では状況が違う。ロシアがウクライナを侵略した後の2022の時点では、永久メイはマリインスキー・バレエを離れていた。
そう、プーチンの盟友として今や世界中に悪名が響き渡ってしまった、ヴァレリー・ゲルギエフが総監督をつとめるマリインスキー劇場のバレエ・カンパニーを。
どうして戻ったのかの詳細は明らかになっていない、が、2024年の永久メイは、ブチャの虐殺やマリウポリ劇場爆撃による鏖殺で名高いロシアに所属するダンサーなのだ。
想定問答その2:永久メイは23年11月の「バレエの美神」にも出演している。なぜ今回はダメなのか
――「バレエの美神」は民間プロモーター、光藍社が仕切ったバレエ公演だ。だが「バレエの饗宴」はNHK主催だ。
NHK主催の何が問題かって、「バレエの饗宴」は後日NHK総合で放映されるのが通例なのだ。ネット配信も行われる。
つまり全国の視聴者に公共放送が侵略国家・ロシアのダンサーの映像を見せ、侵略国家・ロシアのイメージ向上に手を貸すことになる。
想定問答その3:ステージは幻想を見せるもの。現実の戦争を持ち込むな。
――なるほど、ステージの上はこの世の理に支配されない、いわば聖なる空間だろう。うつし世は夢、夜の夢こそまこと、だ。
だから私は永久メイを責めるつもりはない。ロシアに戻った彼女の決断自体を責めはしない。
ダンサー生命は短い、いわんやその全盛期をや。踊れる時に踊らずに何がダンサーなものか。
(永久メイ以外にも、一度は出たが結局ロシアに出戻った日本人ダンサーはいる。
侵略が始まった当初からロシアを離れないウクライナ人ダンサーもいる)
NHKホールが建つ渋谷の地面は、ユーラシア・プレートを通じて遙か遠くのウクライナとつながっている。
多くの罪なき血が染みこんだ大地の上で、その罪なき血を流した国のイメージ戦略にうかうかと乗って良い訳がない。
ゲルギエフのお友達のそのまたお友達のインテリジェンスな人々は、永久メイを「バレエ・ウォッシュで有効なカード」と見なすだろう。
利用価値を見いだされてしまえば、永久メイには国家によるさまざまなステージが用意されそのラインナップには間違いなく、
鏖殺された子供達の死体を回収せずコンクリートを流し込んで固めた上に建設された、新マリウポリ劇場のステージがある。
私たちの拍手が、永久メイに赤い靴を、血塗られた赤い靴を履かせてしまうのだ。
明日、いや、もう今日になってしまったが、NHKホールの座席に座る人々に問う。
あなた達は、舞台の上で美しいものを見たいという単なる欲望のため、
かつてボリショイ・バレエに所属して、ドンパスで踊った岩田守弘氏同様に
ウクライナのペルソナ・ノン・グラータにするつもりなのか
ハロー!きのこ増田だよ!久しぶりだね!みんな元気にしてたかな?
いま話題のオオワライタケさんについて、増田なりに調べてみました!
ヒメノガステル科チャツムタケ属(Gymnopilus)のキノコです!と言われてもなんのこっちゃって感じですね。
増田的には、散歩しているとめちゃくちゃよく見る(朽木とか、朽ちた木のベンチとか切り株とかでよく見ます。公園とかにも普通にある)割には、分類がよくわかっていない(未記載種がいろいろある)マニアックなグループという印象です。
大概は苦くて食用に適さないとされているのでスルーしてますが、中でもオオワライタケは湿気さえあれば冬以外は年中生えてるし、デカくて立派に株立するので栄えます。嘘かまことか幻覚物質を含むとされていたり、名前もキャッチーなので、Gymnopilus界のアイドル的存在ですね。
https://www.hokto-kinoko.co.jp/kinokolabo/album/41991/
国内においては、同グループ内で明確に毒成分が明らかになったものはないと認識してますが、wikipediaによれば、世界中でおおよそ200種以上が記載されている内14種類でマジックマッシュルーム同様の幻覚成分(Psilocybin)を含むことがわかっているらしいです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gymnopilus
話題のまとめでも言及されていましたが、そもそも「お前のオオワライタケ、本当にそれオオワライタケか?」状態でして。少し解説すると、海外の標本をもとにこれまでオオワライタケとされていた種類が、実は日本に存在しないきのこである可能性が高く、それとよく似た種類が少なくとも5種類は存在すると。まあ、業界的にはあるあるなわけですが。この辺りの事情については詳しい方が分かりやすくまとめていらっしゃるので以下を参照してください。
https://kinokobito.com/archives/8643
というわけで増田的には、よくわからないし不味いし毒ありそうだし食べることはないかなーという感じです。ちなみに増田は過去にGymnopilusの一種をエノキタケと勘違いして佃煮にして食ったことがありますが、美味しくも特別不味くもなくあまり印象に残っておりません。いやあ食欲って恐ろしい。
いろいろ調べてみましたがわかりませんでした!
毒成分は判明していないものの、どうやら毒性はあるらしいとの報告が各所であがっておりまして、この辺りはネットでは詳しい症例までは出てこないので、増田秘蔵のきのこ文庫からかいつまんで引用します。(参照元:毒きのこ今昔 中毒症例を中心にして -思文閣出版)
昭和32年9月16日、新潟県の1家族5人がきのこを夕食に摂食。摂食約5分後に、長男が発病。視力、色覚異常を発症し、全てが赤く見えた。障子の骨、その他直立するもの全て動き、蛇のようなものが多数上昇するように見えた。また女子は耳に異様な音楽を聞き胸騒ぎがした。夫は意識不明となり、精神の異常興奮を認めたが、笑い興ずる様子はなく医師の注射により回復。
その他図鑑によれば、
食後5〜10分で、ふるえ、寒気、めまいなどの表情が出る。多量に食べると、幻覚、幻聴とともなう精神の異常興奮、狂騒状態になる。
とあったりします。怖いですね。
とはいえ、よく見るきのこの割にはオオワライタケとされるきのこと断定できる症例自体がごくごく少数で、記述も断片的なところから、あまり毒性は強く、少なくとも致命的なものでは無いんじゃないかと思ったりもします。こんなことを書くといろんな人から怒られそうですが。
実態として、めちゃくちゃ見かけるし立派でいかにも食えそうな体をしている上、一部地域では食用とされてきた(※後述)割には、症例が極めて少ないことがその証左ではなかろうかと。
無論、推奨はされません。ただ、多くの図鑑などに記載されている通り、一部地域では食べられてきた歴史があるようです。『新潟県のキノコ 松田一郎著 -新潟日報事業者』(絶版)によれば、
食用法としては、苦味が強いので、一度茹でて黄色の汁を捨て、塩漬けにするか流水で2〜3回さらすと良い。肉はしまって美味である。
増田のきのこ仲間にもオオワライタケとされるきのこを食ったという変人がおり、曰く「苦味は感じるが、流水にさらせば食えないということは無い。すこぶる歯切れがよく、旨味も感じた。」とのことです。
どうか参考にしないでください。
様々な批判を拝見しましたが、自分は「食いたい者は勝手に食えばいい。願わくば正しい知識と手順をふまえ、詳細に記録をつけてほしい。」というスタンスです。注目浴びたさにたいして知識もなく安易に食レポを公にすることについては批判されて然るべきと感じますが、それでもなお食ってみたいという人の興味を止めることはできないんじゃないかなあと。
正しい知識があれば公にしていいのかというと、それも正直分かりません。線引きが難しいですね。オオワライタケよりはるかに危険性が高いとされるベニテングタケの食レポはyoutubeにたくさんあがっていますが、増田は楽しく視聴しています。もし仮にそういったコンテンツの影響で、医療機関にお世話になる人が増えたら迷惑かかるだろという意見もありますが、個人的には新たな事例が蓄積されて検証が進むのなら、喜んで健康保険料を払いたいという気持ちです。さすがにカエンタケ食いたいとかいう人が現れたら止めると思いますが。
ぶっちゃけオオワライタケ程度でたいしたことにはならないだろうし、それを食レポしたいバカもいるだろうし、特に止めません。それが批判されるのも当然だし、よくわからないきのこを食べることに関してはやめた方がいいんじゃない?とも思うけど、毒きのこは危険だしよくわからないから絶対に食べないようにしましょう!とか安易に毒きのこを食べる検証を公開するのはやめましょう!と正論一辺倒なのもどうかなあと思ってモヤっとしたのが執筆のモチベーションになっていたりもします。増田自身はほとんどチャレンジしませんが、界隈には積極的に自らの肉体で人体実験を企む変人もそれなりにいます。
言っておくが横断歩道は名前こそ「歩道」とついているが歩道ではない。車道だ(もし横断歩道が交通法規上も歩道だったなら、車はすべての横断歩道の手前で一時停止する義務がある。が、もろちんそんなことをする車はいないし、しなくても違反にはならない)。横断歩道のあるエリアは、本来は車道だが歩行者の便宜と安全のために横断してもいい場所を定めているにすぎない、そういう場所なのだ。歩行者が好きなように使っていい場所ではない。まずそこをわきまえてほしい。
上のブクマカのような者(や、それにスターをつけているような者)は、交通の安全と便宜のために設けられている保護義務や優先関係を「優遇」と履き違えて、あるいは勝手に都合よく解釈して図に乗っているが、勘違いも甚だしくまことに愚かしいことである。度し難い。
いつから保護される側が偉くなった? たとえば大人は子供を保護しなければいけないが、それは子供が偉いからではない。子供が弱いからだ。強い者が弱い者を保護するのは当然のことだから車は歩行者を保護しているのだ。
たまに弱者であることを笠に着て役所でえばり散らしている社会的弱者を見ることがあるが、上のブクマカも同類だ。社会的弱者だろうが交通弱者だろうが、与えられているのは正当な保護を受ける権利だけであって、怒鳴ったり威張ったり迷惑をかけたりする権利までは与えられていないのだ。保護されるべき場面以外ではお互い様だということをしっかりと理解するべきだ。
いつから優先される側が偉くなった? 交通法規や交通規制における優先関係は、単に優先関係を明確化するために設定されている。進行方向が交差する時にどちらが譲り・どちらが進むかを当事者同士にその場で判断させると危ないから、ケース別に優先順位を決めてあるに過ぎない。偉い人が優先されているわけではない。
たとえば狭い山道の対面通行ですれ違いが難しい時は、登り側が優先とされている。これは再発進が難しいほうを優先としているだけで、上に向かっている人が偉いからではない。
こういった交通秩序も理解できずに「歩行者は偉い」などという傲慢な勘違いに到達してしまうやつがいるから、いつまでたっても交通事故が減らない。
データを探せばわかると思うが、自動車対歩行者の交通事故の原因は、横断歩道上で実に3割、横断歩道ではないところでは7割の事故について歩行者側に法令違反がある。しかし、結局賠償を負わされるのは自動車のほうだ。過失相殺で減額があったとしても差し引きすれば自動車側の賠償額のほうがどうしたって大きくなるからだ。いい迷惑である。
歩行者も自動車も、道路という公共の共有物をひとつのルールの元でシェアしているという点で立場はイーブンだ。
ルールでは保護の義務と優先順位が冷徹に定められているだけで、そこには「自動車ふぜいは歩行者様に楯突くな、かしずけ」などという歩尊車卑の考え方はない。横断歩道では車側に歩行者を保護する義務があるだけで、歩行者側には「渡る」以外には何の権利も与えられていない。好きなだけ待たせていいわけでもなければ、交差点の円滑な通行を故意に妨げていいわけでもない。むしろ、暗黙のうちにおのおのにできる範囲でさっさと渡り切ることが求められている。