はてなキーワード: 醍醐味とは
Xcelという語を提唱する。
これは「1種類以上のジェンダーを攻撃する孤独な人間」という定義にする。
フェムセルという言葉がある。フェムセルはインセルの女性版である。近い日本語訳は弱者女性だろう。
フェムセルにはミサンドリストや過激なフェミニストが多い。フェムセルは「男は全員死ね」だとか「すべての男はカス」などの発言を行う。
インセルという言葉を聞く前に初めてフェムセルという概念に触れた人間は、おそらくこの「フェムセル」という概念によって、脳に鮮烈な閃光が走るだろう。
なぜか。まずフェムは女性的という概念である。フェムテック(女性の健康課題を解決に導くテクノロジー)やファムファタール(男にとっての「運命の女」。男を破滅させることが多い。いわゆる地雷系女子のような)にもつながる。
またセルはcellibate(alone living【ひとりぼっちで生きる】)という意味である。また、インセルという言葉が裏にあることによって、膨大な言語体系を垣間見せてくれる。
それだけではない。こうした概念を表すために必要なシステム・環境・思想そのものが自分の中に欠けていたことを認識させられる。
言葉として成立しており、また流通しているということを知ると、その裏に膨大な知識体系や人間があることが認識できるのは刺激的だ。
自分が興味を持っているのは、フェムセルそのものではなく、背後にある体系の一端を知ることにある。本来はその背後すら見えない。知ることができない。
まるで高く固く冷徹な塀のように、言葉たちが膨大にそびえ立っている。しかしひとたびゲートウェイとなるような言葉を発見できればそこからなだれ込むように入っていけるのだ。
あるいは、すでに塀の中に入っていたとしてよくわからないまま歩いているのだが、ひとたびゲートウェイとなるような言葉を発見すると「あっ、これはこの位置か!」となって急に今までやってきたことがクリアになる。
自分とそこそこに関係している問題について手探りに調べているときに、1つの接触点に到達するとそこからグッと乗り込んでいくことができる点はすばらしい。
別の例を挙げよう。Discordがある。Discordは使ってない人からすればあまり興味がないしろものだ。ただのチャットシステムのようなものだ。だがその裏には文化がある。
Discordをよく使う人間はゲーマーが多い。つまりゲーム文化がそこに含まれている。Twitchや英語やYayにもつながっていくし、botやコンピュータにも関連しやすい。
そこではありとあらゆる常識が異なる。Discordを知らない人間はいないし、Discordを使えない人間もいない。英語が使えるなども特段不思議なことではない。
たとえば見知らぬ道を歩いていて、どこに出るのか全くわからないが歩いていると、いつもの見知った道に出て「あー、この道に出るのか」となるところ。
たとえばコンテナの仕組みを知って、どうやってコンテナ船が移動しているかを知るとき、トレーラーや積み込み、大型自動車免許と牽引免許、パナマックス級やコンテナターミナルなどの存在や海路や商社の重要性まで見えてくるような感覚。
今まであいまいに理解していたものが「全体としてはこういう構造になっていたのか」と感じられるところ。
あまり正確な具体例を豊富に出しすぎると身バレが気になるのでこの辺にしておくが、こういったよくわからなかったものが自分の中に包摂(Inclusion)されていくさまは非常に気持ちがいい。
これをエウレカとか啓示的体験と呼ぶらしい。ある種の悟りに近い体験なのかもしれない。
哲学に「環世界」という語がある。これはわれわれ自身が見ている世界は世界全体ではなく、それぞれの世界しか見ていないという概念である。比喩ではなく実際にそうだ。
ダニでさえ自分の環世界をもっている。そして、ダニから見た世界では、われわれ人間はただの環境である。環世界とはそういう話だ。
エウレカの体験は、まさにこの環世界が別の環世界の一部と結合し、自分の環世界が非常に大きく広がることによるのかもしれない。
ともかくこうした今まで全く興味がちっともわかなかったことが、ある言葉ひとつで爆発的に広がりを迎え、どんどん前に進んでいけること、これが生きることの醍醐味ではないか。
またフェムセルの話であれば、Xcelとして、フェムセルとインセルを同等のものとして考えて、とにかく1種類以上のジェンダーを攻撃する孤独な人間と定義することもできる。
Xcelという語が出てくるのはフェムセルとインセルだけでなく、クロスセルやエクセルまたXが未知数、X=Twitterであることが背景にあるから出てくるのである。
ここではクロスセルが、人によってはエウレカポイントかもしれない。
いろいろ意見がほしい。
俺はM男である。だがすでに文から見て取れるように俺は高慢である。無駄にプライドが高い。地位も金もある。
男だろうが女だろうが俺を屈服させたいと望む人間を返り討ちにして屈服させることが常だ。いかんともしがたい。
俺はM女が好きである。だがただのM女では満足しない。自分から全く攻めることのないM女を獲得し、理性を奪い取り欲望を解放し、S化することをやっている。
S女には従わない。そもそも男も女もSを履き違えている。SMのAVはその最たる例だ。
S女は正解を知らない。正解を知らないくせに高慢である。そしてバカだ。女が言う「男ってバカだよねー」のあのバカと同じ用法のバカだ。
まずS女は俺との恋愛まで到達しない。
俺は恋愛やビジネスは下から入る。徹底的にへりくだるのだ。へりくだりへりくだり、分析し解析し弱点を獲得し、最後に実力を連打して種明かしをする。貴様が圧倒的に下だと。
だがいわゆるS女とやらは、最初にへりくだった瞬間ナメてくる。これはもうおもしろくない。即座に逆襲して終了だ。何の興味もない。男か?お前。
低知性が垣間見える罵倒や侮辱はクズというか性格が腐っているだけだ。もともとの意地の悪さが出てしまっている。あのような輩はムチで足を縛って橋から吊るしておくべきだ。
一生懸命考えたセリフらしい罵倒は理性を喚び起こし、その背景から浮かび上がる軽薄さそして人格の卑劣さ愚かさ、死すら生温い。
そんなセリフを発したあと平然と「これがいいんでしょ」と責め続けるその道化加減。ため息や軽蔑・侮辱すら見えぬ蒙昧さ。笑えるが、キモい。絶望すら感じる。
S女は全然Sではない。M女としての才能もないだろう。何もできぬ愚鈍である。言語能力は畜生で、共感能力は地底。女をやり直すどころか人間やめろ。
ドM女はこちらがへりくだっても簡単には信用しない。むしろドM女は最初から高慢な人間をバカにしているところがある。よく観察している。
ここからまず惚れさせる。大抵すぐ惚れられる。まあいつものことだ。
しばらくするとドM女はドSを求めていることを開示する。なので最初はドS男としてムーブする。へりくだりつつしれっと馬鹿にするのだ。
馬鹿にする方法はこうだ。「えっ、指までかわいいんですね」や「それっていつも着てるかわいい服とは違うブランドですか?」など。こういうことを真顔で言う。
かなりキモいが、この時点ですでに相手は自分に惚れているので関係ない。スパイスのようなもの。
徐々に相手は性欲を解放して、責めろ責めろキャンペーンを張ってくる。だが俺はM男なので無風。全く責めない。向こうがねだってきたことだけを実行する。
相手が性欲を解放してきたあとは、徐々にM男を見せていく。ようやくここで自己開示だ。
相手が気持ちよくなると、そのお返しでこちらを責めてくる。そのとき女のように恥ずかしがるのがコツ。
「あっ、この人!責めるのはゲラゲラ笑いながらできるのに、責められるのは弱いんだ〜〜〜〜〜〜!えっ、これって、もしかして、『私しか知らない』?」
と思わせるためだ。ドM女が持つ圧倒的優越感。2人だけの秘密。ドM女がドSに一気に目覚める。ギャップ。開花。逆転。上昇。超越。
あとは「言われたいけど言われたくないこと」をピロートークなどでそれとなく伝えていく。そうすると、自分専用のS女が誕生する。
このS女は俺を縄や手錠で縛ったりするが、本当のところ縛られているのはこの女である。
この倒錯具合がいい。俺が気持ちいいと相手が気持ちいいのだ。つまり俺はただ気持ちいいだけでいい。
相手は必死に奉仕することになる。俺の反応が鈍ければ相手は反省し、俺の反応が良ければ相手は改善する。
S行為をするドM女は、SとMの二重の呪縛によって俺から離れることができない。一方で、自己肯定感がMAXなので他人からは「いじめたくなるようなドS」に見える。
これは、無関係な他人からはメスガキ・女神・太陽・天真爛漫・純粋のように見える。そして俺の存在は知覚できない。
それを見た男どもが「屈服させたい」と考えて、このドM女に、前述のSカスムーブを行う。だがそれは全く逆効果だ。正解は真逆だからだ。
だがその真逆の道も茨であり、すべて俺に報告・管理されている。無防備で自由な女に見えるのは、俺がリードが長い手綱を握っているからだ。
そしてSとMは、俺の気分次第でいつでも逆転する。向こうが逆襲を狙う場合は「いじめられないし、いじめてももらえない」というダブルが待っている。
かったるい基礎練とかせず、ゲームそのものを楽しむと同時に自然と上達の喜びも感じている。
ゲームデザインの誘導を受けつつ、何度か死んだりしながら敵の倒し方が見えてくる。
曲に合わせてボタンを叩けば良い感じに気持ち良くなれるし、対応出来るパターンが自然と増えてる。
学校の勉強なんかは内容もさることながら、そうやって受け身でいられないのがしんどい。自分で理解すべき相手を呼び寄せて、自分から確認作業を行わないといけない。終始能動的な姿勢を求められるのがかったるい。
まあ言うたって楽器なんかも最初は誰だってメキメキ上達するから楽しいんだけど。
音の出し方覚えて基礎的な奏法を身に着けつつ楽譜見て曲を演奏する、というレベルの事をやってる内は楽器も音ゲーも本質的にさほど変わらない気がする。
楽器にせよ絵にせよ、そこから先に行って磨いた技術を通じて自分がやりたいと思った頭の中のイメージを取り出せるようになったら違ってくるんだろうけど。
まあプロを目指すでもなくそこまでの域に達する人は果たしてどれほどいるのかって話なんだけど。
その点ゲームは与えられた課題を完璧にこなす以上の目的がない。まあ縛りプレイとかRTAとかもまああるけど。そういう自分なりの楽しみ方的なものの幅が大分狭い。というか曲芸に走るしかなくなる。
ただこれはCPU相手のゲームについての理屈であって、対人ゲームならまた違うのかもしれない。
cpu相手なら、セオリーが確立してしまえば攻略法はほぼワンパターンに収束する。
でも人間相手であれば、勝つためのセオリーが確立すればそれに対するメタが生まれて、更にそれに対するメタが……と無限に攻略が編み出され続ける。
相手に勝つという目的は変わらずとも、勝つための技術とそれを実践するテクニックが追求され続ける。
まさにスポーツのやっている事だ。
あとCPU相手でも、フロムソフトウェア作品やビートマニアよろしく難易度が高すぎれば楽しんでるだけでは進めなくなる。頭打ちになって、その度に研究と練習とフィードバックを重ねる学習サイクルが求められる。
ゲームを受け身で楽しんでる内は浅瀬も浅瀬。スマブラやっててガチャ押しで勝ったって楽しくない。ゲームの醍醐味はそういう努力じゃん。
それって別にゲームじゃなくても得られる喜びだし、だったら別にゲームである必要はないじゃんって思う。ゲーム以外を選ぶ必然性もないんだけど。
そういう修練を積むくらいなら、もっと別な趣味を持ちたいよねって思う。スポーツなり絵なり音楽なり。
そこはまあゲームを下に見てるんだと思う。
下に見てると言うか、人生においてより大きな喜びや感動をもたらしてくれる事について、ゲームにはあまり期待していないんだろうなって思う。息抜き以上のものにはならんよねっていう。まあストーリーがめっちゃ良かったりとかすれば、そこに感動はあるかもしれないけど。
別にゲームにせよスポーツにせよ音楽にせよ、そういう題材なんか些末な問題でしかない。壁にぶち当たった時の克己心こそが人生の喜びなんだってタイプもいるんだろうな。「成長」大好き人間。相容れないな。
題材は何でも良いけれど、学習と克服とはまたちょっと違ってソシャゲやクッキークリッカーよろしく拡大再生産的な事に喜びを感じてるタイプもいるのかもしれない。資本主義の精神。
おれはそういうんじゃなくて、やっぱ遊び(食って寝るための営み以外の全て)の内容そのものに感動を覚えたいよね。「成長」のダシにするんじゃなくて。
1000投げた人がいた。
その人の名を仮にメンギフおじさんとしよう。
私は自分の最推しを盛り上げてくれるこのおじさん(以下メンおじ)に少なからず恩義を感じて
日々過ごしていた。
ある日、そのメンおじから
そしてそのギフトの二人は同じアイドルグループに入っており、メンおじはどうやらそのグループの箱推しをしているようであった。
いつものお礼にともらったギフトのチャンネル登録と高評価をしに覗きにいくと、ちょうどライブ配信中であり、そこでなんと再来週の日曜日にVtuberなのに顔出しでリアルライブを行うとのことであった。
最近そういうのも増えたよなーと思いつつ
いるとやはりというか、どうやらメンおじも参加するようであった。私の最推しは、イベントとかをするタイプではないのでファン同士で交流する機会があまりなく、できたら自分の推しについて語り合いたいという下心もあり、メンおじに会ってみたいな、せっかくなら箱推しのこのメンバーについても知っておこうと更にチャンネルを観るようになって、すっかりこのグループにハマってしまった。
そんなこんなでやってきたライブ当日
場所は5,6年前にMrs. GREEN APPLEを見たとき以来の渋谷CRAWL
ライブはとても良かった。
比べ物にならないが
人は、成長を楽しむのだ。
自分のみならず、人の成長も
素晴らしいコンテンツ、
エンタメになる。
色々酷いところもあったが、周りの人は
1stよりだいぶ良くなってるという。
1stはどのくらい酷かったのかとも思うが
うまくなればなるほど、簡単にはうまくならないし
それを分かるには見てる方にも
熟練度が求められる。
上手い下手が分かるというのは
新オリ曲ありの各々ソロ曲ありの。
泣けるのは素直でいいことだ。ストレスも減る。
色々理屈をつけるが突き詰めると結局人は
私のメンバーの印象は下記
紹介はソロ曲順
桜色の方
踊りも歌も努力の跡が多々見られ
素晴らしい。
ただし言動はどこか欠けてて
サイコパスみを出すことも。
ただ私たちは
不完全なものに恋をするのだ。
お母さん衣装良かったよ
青色の方
歌と踊りが上手い
このメンバーの中では
名実ともに支柱
支柱というか大黒柱
唯一ヒノカミカグラが踊れる柱の中の柱
彼女がいなければ
ぶっ壊れてた歌も結構あるはず。
このあふれる能力をもってして、なお
もたざるものにも優しい。
能力も高いが
本人の目標はより高く
それに向けて頑張る自他ともに
お母さんの衣装良かったよ2
橙色の方
完全に枠外の
悪い意味で爆発力あり
なんとかしてしまう力
突破力はあるが
収拾つかなくなることも多々ある
一体我々は何を見せられているのだ
と思わせながら沸かせて成立させたのは
真っ先に駆け寄って声掛けしてたのは
なかなかできることではない。
配信もうまく2週間で500人くらい
白色の方
お人形のような色白
手足長くて
ホス狂いしてそうな
可愛い顔と細さ
声も可愛いくて
甘えん坊かと思いきや
意外としっかりしてる。
やる気になったら凄い。
顔と声可愛い。
ソロ曲よかったよ。
背の高い美人さん。
蓬色の方
多分一番器用
いい意味で爆発力あり
やる気がないと、何もやらない。
この一点において
もっとも伸び代が大きいし
個人的には思ってる。
なんとかしてもっと良さを広めたい。
書いてもいいよと言われたので書くが
メンおじにもお会いできるかと思い
事前に聞いていたサーモンランのTシャツを来た方を探したのだが、ついぞ見つけられなかった。
メンおじはまぼろしだったのだろうか。
海外に住んでると言っていたのだが
このためだけに帰国してるのだろうか。
本当に参加していたのか、より謎は深まった。
増田さん、ホラーの世界への扉を開けるために、まずは「シャイニング」という映画を知っていますか? スティーブン・キングの小説を原作にしているんですが、スタンリー・キューブリック監督の素晴らしい映画です。物語は、冬季閉鎖中のホテルで管理人として働くジャック・トランスとその家族が過ごす中で、次第にジャックが狂気に陥っていく姿を描いています。
この映画の名シーン、「Here's Johnny!(ジョニーだよ!)」というキラーフレーズは、ホラー映画の金字塔と言えるでしょう。この一作で、ホラーの深さと恐怖の醍醐味を存分に味わっていただければと思います。
他にも、「リング」や「呪怨」といった日本のホラー映画も是非チェックしてみてください。マンガや小説にも素晴らしい作品がたくさんあります。まずはこの定番から始めて、少しずつホラーの幅広い世界に触れてみてください。
面白かった。
温泉シャークは令和の『シン・ゴジラ』であると言っても過言でないくらいに面白かった。個人的には『シン・ゴジラ』よりも好きだ。怪物の襲来による人類社会の危機とその脅威の打破という点では『シン・ゴジラ』と同様だが、『温泉シャーク』はそれに加えてギャグ要素を併せ持つし、ストーリー展開も負けてはいない。『温泉シャーク』のストーリーは、往年のジャンプ漫画のインフレバトルを彷彿させる展開となっており、心地よい高揚感をもたらしてくれた。
この『温泉シャーク』の面白さは、「温泉」と「サメ」の組み合わせの妙だろう。
作中の舞台は熱海をモデルとした暑海市という架空の観光地であり、それゆえにサメの被害が深刻化しても観光を優先して配信者を集めてしまうのだ。YouTuber的なあるいはインスタグラマー的な配信者は配信画面や演出などにリアリティがあり、彼ら彼女らの振る舞いの傍若無人さが表現されている。それゆえに配信者がサメの被害になっても悲壮感は一切なく、ギャグとして存分に楽しむことができるのだ。そうした配信者たちが迫真の演技で命を落としていくのとサメのチープなCGの対比が「シリアスな笑い」を産むさまは、まさしくサメ映画の醍醐味だろう。
サメの被害は増す一方で人類側もサメに対抗すべく武力を集結していくことになるが、戦闘機やら兵器やらの特撮のチープっぷりも味があってよい。そして、サメとの間でなにやら因縁がありそうな謎のマッチョが活躍していくが、このマッチョの存在がいい。マッチョがサメとの対決におけるキーパーソンとなって、ストーリー展開のインフレ感を加速していくことになる。しかしながら、その具体的な戦い方をここで述べるのはネタバレになるのでやめておこう。それでも、とにかく面白かったとだけは伝えておく。その面白さのままにストーリーはエンディングへと向かっていくのだ。
同時に上映していた『もしも徳川家康が総理大臣になったら』とどちらを観ようか迷ったが、『温泉シャーク』を選んだことに後悔はない。
前の会社を辞めて、今月でちょうど十年になる。いい機会だから振り返ってみたい。若かりし日のことを。
この振り返りの日記が、ソーシャルゲーム業界や、ゲーム開発者への理解を深めるきっかけになれば幸いだ。
大学を出て、新卒で入ったのがその会社(以下D社とする)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中で一番ノッてくる時期だった。
出身大学は、準MARCH的な目立たないところである。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。
リクルートは仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドアの自分にはちょっと、メーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。そして、残ったのがゲーム・エンタメ・ITの世界だった。
在学中にD社のサービスを体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験は自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらお互いにwinwin」だと思っていた。
それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。自分の魅力をアピールできたと思う。
私は採用パンフレットに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。
ソーシャルゲームを開発する部署への配属だった。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事は委託先がやってくれる。主には企画開発がメインだった。
ソーシャルゲーム、という言葉はまだ一般的じゃなかった。言われ始めた頃だったかな。いろんな会社がDeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと、雨後の筍のように湧いていた。
新入社員の頃は、どうだったかな? 研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそうだ。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプルな研修だった。
配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、職場や協力会社の見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを言っていた。レベルは低かったと思う。
デバッグはよくやった。専用の画面でゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。すると、エンジニアの人がババッとコードが入った画面を開いて、適宜修正を検討する。当然私にはできなかった。今ならコードを読むことはできる。
Q&Aの仕事もやらされた。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。「やらされた」というと受け身だけど、本来はほかの部署の仕事だった。社内アルバイトのようなもの。ベンチャーなので、そのあたりの垣根は低い。
文章を作る力は、わりかし評価されていた。中学生や高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくることがあったけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど……チームリーダーに褒めてもらえた。
意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな? と思っていたら、40代ほどのおじさんおばさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、どう考えても子どもが名付けそうな名前(卍侍候extreme卍 みたいな...「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分の世界が狭くて気付かなかった。こういう体験は今でも大事にしてる。
社会人一年目は、ひたすら下働きをして学びを深めていった。年度の最後の方では、担当ゲームをひとつ持たせてもらえた。開発チームの末端だったけど嬉しかった。
二年目は……といっても、二年目で当日記(に書く内容)は終わりだ。一言いっておきたい。
すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかったし、おそらく消費者庁に提出する反省文の原案を作らないといけなかったし、ほかのチームメンバーも死にそうな顔だったし、毎日とんでもない量の苦情の電話やメールがあって辛かった。
電車で通勤してたんだけど、夜に電車がホームに入ってくるのを見ると、「飛び込んでみようかな」と思ったりした。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、とも思った。
その年の4月時点で、所属チームが開発していたのは地味なゲームだった。
ほかの同業他社が出してるソシャゲは、日の目が当たるキャラ性の主体がメインでゲーム世界を形作っていた(海賊とかドラゴンとか)。対してこちらは、ドリルで地面に穴を掘り続けるゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた。
私の仕事はルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である。一般社会でいうと、道路を管理するための特殊車両がウインウインウイン……と低速で走っていて、アスファルト舗装の亀裂を見つけてると思う。ああいう地味な仕事だ。
みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じていないか点検したり、ユーザーからの質問に答えたりする。
その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了のようだった。老舗タイトルだったからか、名前だけは残された。
私は、ガワだけを変えたそのソシャゲ風カードゲーム(以下、『幣タイトル』とする。今のゲームに例えると、「グランブルーファンタジー」や「Fate/Grand Order」をもっとシンプルにした感じ~)のチームへと異動になった。
多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲームの10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。
穴掘りゲームと比べたら射幸性が高い。みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンも進んでくれたし、回復アイテムを買ってくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。
ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。業務量はものすごかったけど、あの頃は楽しかった。社会の役に立っている実感があった。ただ若かっただけかもしれないけど。
秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世間に知られるゲームになっていた。自分もリリースからちょっとの間だけどプレイしていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さがいい。
ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定のカードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。
ちょっとだけ確率の話をする。例えば、10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする。最初の1枚目のカードの入手確率は50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%だった。プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。
電子上のガチャというのは、コンビニのくじ引きとは違って箱の中味が無限だ。この場合、ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)がある場合だと、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上のガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。
※箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性もある。電子上のガチャはハイリスク・ハイリターンということだ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグなので。
実際のコンプガチャでは、一番難しい入手率2~3%のカードを引けた時には、ほかのカードも揃っている可能性が高いためだろうか~~期待値は約10~15万円ほどで推移していた。
コンプガチャというのは、「影響力の武器」などの名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。とにかく、まず最初にやってもらうということだ。
この仕組みを考えたのが誰かは知らない。「自分が考えました」と主張する人間が、当時の開発チームのリーダーや、他部署の先輩・上司や役員クラスまで含めて、少なくとも5名はいた。誰が最初の考案者かは本当にわからない。
あの頃は、「うちの会社は儲かってる。CMもこんなにやってる。やった、すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。今では思う。当時の自分達がやっていたのは、暗号資産投資と本質は一緒だった。
つまり、純然たる賭博(ギャンブル)であるものを別の何かで覆い隠している。ビットコインの場合は『未来の技術』であり、幣タイトルの場合は『ソーシャルカードゲーム』になる。
会社の飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は新興ゲーム業界のリーディングカンパニーであり、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……といった未来を、和風洋風エスニック、いろんなお店がある都内某エリアの飲み屋で深夜まで語り明かしていた。
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同じくらいの文字数です。
後半
アサシンクリードは、理不尽な支配に反発して権力者を暗殺する「アサシン教団」と、時の権力者を操り社会を裏から支配する「テンプル騎士団」の、古代から続く戦いを描いたゲームである。「混沌・悪」VS「秩序・悪」という感じである。
アレクサンダー大王も、始皇帝も、カエサルも、チンギス・ハンも、永楽帝も、チェーザレ・ボルジアも、実はテンプル騎士団の一員だったし、実はアサシンに暗殺されていたんだよ!という世界観である。ちなみに過去の作品ではフランシスコ・ザビエルがテンプル騎士団とされているので、今回(シャドウズ)もイエズス会はテンプル騎士団の手先だったりするのだろう。
アサクリのもう一つの軸が「イス」と呼ばれる超古代文明人の存在である。彼らは人類を創造した神のごとき存在であり、実際にギリシャ神話や北欧神話に登場する神々の正体は「イス」である。彼らが遺した強力なオーパーツを巡って、アサシン教団とテンプル騎士団が争奪戦を繰り広げていく、というのが一つのパターンである。
また、この「イス」の遺した技術に基づいて、現代では「アニムス」と呼ばれるバーチャルリアリティマシンが開発されており、それを使って過去の様々な時代のアサシンの記憶を追体験している、という基本設定がある。つまり、実は主人公は、アサシンの活躍を仮想的に体験しているだけの現代人なのである。アサクリには「現代パート」もあるのだが、これは完全な続き物になっていて、シリーズを追いかけていないと意味がわからないので、なかなか評判が悪い。初心者は現代パートなんかすっ飛ばしても問題ないぞ。
というわけで、リアリティのある歴史ドラマかと思ったら急に濃度の高いオカルト伝奇SF要素をぶちこんできて暴走しはじめるのがアサシンクリードの魅力である。詳しくは年表を見よう!
アサシン クリードシリーズにおける年表 - Wikipedia
アサシンクリードの特徴といえば何と言っても「オープンワールド」と「パルクール」だろう。「どこでも登れる」「どこまでも行ける」というオープンワールドアクションの本家本元とも言えるシリーズなのである。窓のフチや壁のヘリなどを掴んで、するすると登り、飛び上がり、軽やかに街を駆け巡る。何にも邪魔されることなく思いどおりに移動できる楽しさがそこにはある。
そのオープンワールドで何をやるのかと言えば「ステルスアクション」である。敵の拠点に侵入し、見つからないように探索し、標的を殺して脱出するのである。
まずは侵入するまえに敵拠点の構造を入念に調査する。どこに敵が配置されているかを確認し、それらの移動パターンを観察して、どういうルートで侵入するかを考える。サッと壁を登って開いている窓から侵入しよう。いやいや屋根伝いに高所から標的を探すのもいい。手薄な裏口の敵をこっそり暗殺するのはどうか。もちろん正面から殴り込んで敵を全員ぶっ殺しても構わない。
つまり、オープンワールドとしての移動の自由度がそのまま、プレイヤーが取れる侵入ルートの自由度に転化しているのが、アサクリの醍醐味なのである。「たった一本しかない正解のルートを見つけ出す」のではない。「数多く用意されたルートの中から一本を選び出す」のが楽しいのである。
さらに、この「街を自由に駆け巡る」「敵の拠点に侵入する」といった要素から生まれたのが、アサクリの「歴史考証」の部分である。
そうしたゲームシステムでは「街並みをどう作るか」「建築物をどう作るか」がとても重要になってくる。なにせ「プレイヤーが侵入する建物だけ作ればいい」「プレイヤーが移動するルートの周りだけ作ればいい」というわけにはいかない。広大な街を作り上げて、そこにいくつも拠点を建て、大勢のNPCを配置して、そしてプレイヤーが隅々まで移動できるようにしなければならない。それがゲームの面白さに直結していくのだから。
そこでアサクリは「歴史上の街を再現する」という方法を選んだ。完全にオリジナルの街を一から作るよりも、見本を用意したほうがある意味では作りやすかろうし、その副産物としてプレイヤーの没入感と知的好奇心を得ることもできた。建物や文化風俗の再現度は高く評価されており、アサクリの売りの一つになっている。
もちろん史料の調査には限界があるし、ゲーム的な都合が優先されることも多い。過去のシリーズでも「この年代にこのアイテムはまだない」「この街にこんな建物があるのはおかしい」といったようなツッコミが入っている。前々作『ヴァルハラ』などは特に批判が多かったというので、地域や年代によってまた作りやすさが変わってくるのかもしれない。
とはいえ、アサクリがわざわざ歴史考証のチームを設置し、多くの史料を確認し、専門家の監修も受けているのは事実であって、ただのゲームとしては相当に頑張っているのは間違いない。プレイヤーとしては、決して完璧ではないということは頭に入れつつも、巨額の予算によって作られた「自由に走り回れる歴史的景観」を楽しみたいところである。
とりあえず現時点でオススメするなら前作『アサシンクリード ミラージュ』だろう。元は前々作『ヴァルハラ』のスピンオフとして制作されていたということもあり、『ヴァルハラ』の前日譚のようなストーリーになっていて、ボリュームも控えめである。ゲームシステムとしても原点回帰を目指したシンプルな作りで「これぞアサシンクリード」という作品になっている。
『ミラージュ』をクリアしたなら、続けて『ヴァルハラ』をやるのもいい。前述したとおりストーリー的に繋がりがあるし、『ヴァルハラ』はシリーズのなかではかなり変わっていて、「アサクリらしくない」作品でもある。主人公がアサシンではなくヴァイキングなので、ステルスよりも正面切っての戦いのほうが得意だったりするし、各地の勢力とひとつひとつ同盟を結んでいったり、自分たちの拠点を開発して発展させていったりするような、戦略的な側面が強い。
このあたり、近年のアサクリは「従来通りのステルスアクション」と「他のゲームのようなバトルアクション」のあいだを揺れ動いていて、『シャドウズ』ではついに「ステルス」担当の奈緒江と「バトル」担当の弥助のダブル主人公になったという経緯がある。
アサクリシリーズは、オープンワールドにおける一つのスタンダードを生み出した、現代ゲームの粋と言っても過言ではない名作である。プレイしないまま死ぬのはもったいない。いまのうちに『ミラージュ』『ヴァルハラ』をプレイしながら、日本が舞台となる『シャドウズ』の発売を楽しみに待とうではないか。
やっぱ一般市民をビームで焼き払ったり爆弾を仕掛けて自爆テロに使ったりして惨たらしく虐殺するとか敵を殺して問題を解決するのがガンダムだよな。
水星の魔女は人が死ぬことがそれほどなく不思議パワーで誰も殺さずに敵を無力化し、ついでに「さらば全てのGUND-ARM」をやって戦争を終わらせてしまった。
「やめなさい!」のフレッシュトマトじゃ血が足りない。もっと血を見せてくれよ。
学校の同級生が卒業後に敵味方に分かれて殺し合う、そんな血の同窓会が学園ものの醍醐味じゃねーのかよ。
仕事で 「形式的に見ると解決が困難だが、工夫や根回しによっては解決が可能(そして解決が絶対に必要)」 みたいな問題を持ちかけた際に、あまり考えもせずに 「できません」 って言っちゃう(そしてできない理由をぐだぐだ述べる)人が居る。
こっちは問題点を重々把握したうえで相談してるわけで、できない理由を聞く時間が無駄。しかも理由をきっちり聞いても 「それくらいなら解決できるだろ」 としか思わない。
それに解決しないと後々その人もひどい目に遭うことから、結局解決策を何とか模索しなければならなくなるので、やはり意味が無い。
「ガキの使い」なんて言葉があるぐらいだから、昔からこういう人は居るんだろう。
「問題をどう解決するか」 を考えることがサラリーマンの基本的なスキルで醍醐味とも思うが、どういう考え方で生きてるんだろうか。
パカソンに対して「技術はくそ低い。作曲始めて1週間のレベル」と言ってるやつがいたが、
じゃあそいつが作った曲はyoutubeで10万再生でも達成したことあるのかって話なんだよな
上と比べてしょぼいというのはまだいいが、自分が実績で負けてるのにその自分以下みたいに言うのはさすがに滑稽でしょ。
yoasobiに対してショボイ音圧っていうやつもいたように、一人の人間の音楽の評価(技術評論)なんて正直あてにならないんだよね(そいつも音楽での売り上げyoasobi以下だろ確か)。
技術ってもっともらしい理屈だけど実際は限られた範囲の視点に基づいたものさしでしかないからな。音楽がいいと思う因子はそれだけなはずもなく。
知人が自動車整備のオーナーやってて、友人の誼なのだがかお情けで仕方なく雇ってる人間がいるそうなのだが、
そいつは何度オーナーが教えても、取り残しが多くて非効率で時間ばかりかかる洗車の仕方をずっと続けているらしい。
「客は結果しか見てないの。お前がいくらたくさんの時間をかけたとかアピールしても客にはなんの価値もないの」ってオーナーはいい続けているらしいんだけどね。
(無能すぎて俺が首切ったらどこにも雇われないのが明白なので首を切るつもりはないらしい。刎頸の交わりってスゲーw多少の非合理な経営は零細の醍醐味だな)
まあそういうわけで技術とか手間がどうあろうが、最終的に客がどう評価するかが全てなのよ。技術が低いとか言ってるやつがそのこき下ろした曲以下の評価しかされてない曲しか(soundcloudにしこしこ挙げて50再生がやっととか?(笑))生み出せてないっていうのは身の程知らずでしかないのよな。
dorawiiより
フランスのやつとロンドンのやつの2本しかやってないから、アサクリガチ勢からしたら大口叩くなって言われそうだけど
ハイクオリティに再現された歴史的建造物を探索したりよじ登ったり高いところから街並み見下ろして、そこからダイブしていぇーい楽しい〜ってなるタイプのゲームだと思ってた
テンプル騎士団って悪役が不思議な秘宝パワー使って世界征服を企み、主人公達アサシン教団がそれに抗って戦う!有名な歴史人物も協力してくれるぞ!みたいな内容だよね
とはいえ舞台になった時代の雰囲気や空気感の出し方はすごく上手かったから、そっちの方面でシャドウズにはガッカリしてる
一から十まで日本描写まるっと間違えてる、まだどうする家康の紫禁城織田家屋敷の方がマシレベル
昔、日本舞台のアサクリ出してって要望に「高い建物無いから無理」って答えてたインタビューあったから難しいのかなとは思ってたんだけどここまで違うもの出せる?ってレベルでなんもかんも違いまくってて失望しかない
弥助のキャラ付けにしたって、歴史の舞台裏でアサシンとして暗躍するのが醍醐味なのにフル甲冑装備で棍棒振り回して大暴れ!村人からも尊敬されてます!みたいなのはなんか違う気がする
もっと忍んででアサシンしてくれよ、ロンドンの双子はパワータイプとステルスタイプに分かれてたけど根本的に二人ともアサシンだったじゃん
あと、昔アサクリ世界だと信長=テンプル騎士団の一員って設定になってたよね?信長の敵討ちだとテンプル騎士団の味方するの?あと伊賀忍者って信長に攻められて敵対してない?なんでこの2人協力してるの???
テンプル騎士団経由で奴隷として連れてこられた弥助は本能寺の変のときに伊賀忍者=アサシン教団が救出される
「百年の孤独」読んだ後にこれを読むべきってネット記事が書かれ始めていて面白い。こういうの好きで、色々なジャンルでこの類の記事を読んで探求してる。だけど時々「いや確かに自分は素人なんすけど、もっと段階踏んだ後に読むべき、玄人向けのやつも読んで背伸びしたいんすよ!」と思う時がある。多分、そういうやつここにもいるだろ?そういう同類に捧ぐ。
エドゥムンド・パス・ソルダン/ 服部綾乃&石川隆介「チューリングの妄想」(ボリビア)
今、ボリビア、クーデター未遂があったとかで混乱してるらしいけど、そんな国を描いたテクノスリラー小説がこれ。“チューリング”ってある通り暗号やらインターネットやらサイバー犯罪やら色々先端技術出てきて、いわゆる魔術的リアリズムとかそういうの全然ない。つーか作者自身、ラテンアメリカ文学といえば魔術的リアリズムとかざけんなや!とか思ってこれ書いたとか書いてないとか。クソ分厚いけどオモロイよ。
ここで紹介するなかで一番新しいやつ。これも魔術的リアリズムとかそういうのじゃなくて、科学のとんでもない功罪の数々についてフリッツ・ハーバーとかシュヴァルツシルトとか、あと数学者のグロタンディークの生涯から描いてるめっちゃ禍々しい本。あれだよ、ノーランの「オッペンハイマー」と並べられるべき本、本内にオッペンハイマー出てきた気もする。物理学者の全卓樹がこの本の翻訳はよ出せはよ出せとか言ってて、冷静なフォロワーが「この前もう翻訳出版されてましたよ」とか言われてたのが印象的だった。
ラテンアメリカはラテンアメリカでも南米じゃなくて中米の文学は日本でもあんま読めない。そん中でもこの人はエルサルバドル出身の作家で中米についてずっと書いてる。この本はグアテマラの先住民虐殺を綴った報告書を読んでる主人公がその残虐さ陰惨さにどんどん正気を失っていくって本で、読んでてただただ気が滅入る。トーマス・ベルンハルトとか好きな陰気な人にオススメ。
セルヒオ・ブランコ「テーバイ・ランド」/仮屋浩子(ウルグアイ)
これはラテンアメリカ文学好きにも知られてないやつで、何故なら戯曲だから。何かウルグアイっていう結構マイナーな国の戯曲が日本で演劇化されて、その勢いで本として出版されたっぽい。こういうのいいよな。内容はめちゃ小賢しい。ギリシャ神話、作者自身が登場するメタい設定、そんで現実と虚構が混ざりあう、みたいな。でも小賢しく技巧凝らしてるからこそ面白い物語もあんだよなあ。
クラリッセ・リスペクトル/高橋邦彦&ナヲエ・タケイ・ダ・ジルバ「G・Hの受難/家族の絆」(ブラジル)
リスペクトルな、俺「星の時」読んで泣いたよ。何でって、ここまで複雑な設定を使って無垢な登場人物を痛めつける作者はサディストのクズ人間で、小説読んでここまで怒りを覚えたことマジでないよ。でも「G・Hの受難」は凄かった。何かずっとゴキブリについて語ってて、そのゴキブリの死骸を通じて瞑想して悟りに至るみたいな。は?ってなるよな。ガチで意味不明で、そういうのって文学の醍醐味だわ。
エドゥアルド・ハルフォン/松本健二「ポーランドのボクサー」(グアテマラ)
これは何か、主人公が恋人の乳首噛んでたことしか覚えてねえや。でも読んで色々印象に残った本だとか、全く印象に残らなかった本とかは数多いなかで、“主人公が恋人の乳首噛んでた”みたいに局所的に1つだけ何か覚えてるみたいな本はそう多くない。いや何で読んだんだっけな、白水社のエクス・リブリスシリーズから出てたからかな、それも忘れた。でも確かに主人公が恋人の乳首噛んでたのは覚えてんだよ。不思議だな。
丸2年が経過したので雑感
私事ですが、つまるところはディズニーへ行かなくなって丸2年が経過しました!!年50回は行ってたコロナ前の私からすると考えられない天変地異みたいなもんですね。
ということで双方似ている点も異なる点もあるので思ったこと適当に書いておきます。ディズニー側の情報に関しては完全に人伝なので古い可能性が高いのですが悪しからず。
・年パスもう要らないよ
圧倒的にコレ。寂しいですけどね、ひと頃のDオタとしてはね。
意外と年パスユーザーだった往年のオタクたちの中には「もう年パスは不要かな…」という層が多かったりします。復活して欲しいという声が根強いのは案外「年パス取扱時期に"買いたかったけど買えなかった"人たち」のような気が。
「もう慣れたから」
という辺りの雰囲気が強そうですね。
そう、結局コロナの前後に関係なくちゃんとディズニーが好きで、あそこを「替えの効かない場所」だと思っている人たちはどのみちパス代にしろパーク内諸費にしろ払うべきものは払ってきたし、今後もそうしていくわけです。オ社側もそういうオタクのことはちゃんと「お客様」として歓迎したい筈です。
結局のところ年パスの何が良かったかと言えば「最初に5〜10万円払えば1年間パーク入り放題だった」という点なのですが、裏返せば年パスにはこれ以外の機能が一切存在しません。なので年パスが無くなったからと言って変化することというのは思ったより少なくて、蓋を開けてみれば「一括払いにしていたパス代が都度分割になった」くらいの感覚差程度に落ち着きつつあるのでしょう。
実際、共通年パスは概算で月に1回程度インパすれば元を取れる試算での価格設定がなされていましたが、考え方を変えれば「月1回程度であればパス代を都度払いしても年パスを持っていた頃と額面はさほど変わらない」というわけです。ネットでの購入手続きが多少挟まる程度ですから面倒も思うほど多くありませんし。
個人的に思うのですが、今現在年パスが無くても困ることなくインパしているDオタたちがコロナ前どう過ごしていたかというと「月1以下の頻度で事足りていた人々」「遠方勢でそもそも回数を積めなかった人々」もさることながら、「パスがダブるのを承知でバケパの世話になることが多かった人々」というのも居たんですよね。首都圏在住で日帰り出来るけどバケパ課金してパス代も宿代もその他の費用も幾度となく出してきた、そういう人々が。
こういったDオタたちにとって年パスの存在はそんなにウェイトの大きいものではなかったんだと思います。そもそも年パスを持ってないか、持っていてもパス代を追加で出すくらいですからね。
それで結局、こうしてそれなりにまとまった金額をコンスタントに支出する真っ当な「お客様」たちは、年パス所持の有無に関係なくさほどダメージを受けることなく現在も元気にDオタとして活動されているようかもしれません。雑な言い方で恐縮ですが、「懐に余裕のあるゲスト」であればコロナ前とあまり変わらずオタクとして振る舞えるし、オ社もそういう人を招き入れたいわけで利害関係が一致しているのですよ。
一部の年パスユーザーの中には「自分たちの存在がパーク運営を大きく支えている」と豪語する人々も少なからず見受けられた過去がありましたが、本当のところを言えば年パスとその単純な所持者たちにはポジティブな影響力など殆どなかった可能性すらあるわけです。
Dオタアクティブ勢の事情としてはそんなところでしょう。まあ私が「年パス要らないよ」という理由は「もう用事がないから」なんですけれども。私自身ももう昔みたいに年10回20回それ以上のインパを必要とする身では無くなりましたので、「行きたくなったら年1程度でも良いかもな…」と思うなら年パスはもう御役御免です。
・年パスが無いと困るようなオタクは条件の良い界隈への移動が大凡済みつつある
「1年間入り放題」というだけのシンプルな設計ながら、当時の年パスの用途は案外と多岐に渡りました。「晩ご飯のために夕方からインパする」というのは割と有名ですが、「パーク内外でウォーキングをするため」「終日空いているレストランの隅で涼みながら勉強や作業に没頭する」「昼休憩と前後の空きコマを活用し大学を抜け出して昼ご飯やショーパレを楽しみたい」なんていう使い方もできました。
しかしこれらは副次的なもので、年パスを購入したDオタたちの大半が年パスに見出していた価値といえば、推しキャラに会えなかったり塩対応だったり、天候その他の事由によりショーパレがキャンセルになってしまったりという「体験価値の低下に対する『年パスあるし明日明後日また来れば良いか』という保険」の側面が一番強かったのではないでしょうか。
なので年パスが無くなったことに関するDオタ的な最大のデメリットは「保険が無いので軽率にリテイクが取れなくなった」というところになると思うのですが、しかしよく考えてみれば、これがDオタをやっていく上で致命傷になってしまう層というのは実はかなり少数派なのかもしれません。
例えばミキオタやミニオタ。彼らはインパすればショーパレに固定のグリ施設、場合によっては路上整列グリに至るまで推しに会えるチャンスというのは様々存在します。どんなに運が悪かったとしても「ミキミニを一度も見かけることなくパークを出る」方が厳しいのはご想像の通りでしょう。エントリーを全て外したならパレルで粘るかグリ施設を鬼ループすれば最低限の満足は得られる筈です。規模感に差はあるものの、ドナオタやデジオタも同様でしょう。
しかしこれがチデオタの話になったらどうでしょうか。今でこそジワジワと彼らの活躍の場も戻って来ていますが、コロナ休園明けのチデオタはなかなかに辛酸を嘗めたものでした。
①ドリミから丸ごと干されそのまま終了
②海で唯一の固定出演だったハロニュが復活せず終了
④グリ施設がない(ウエスタングリは人が集まり過ぎて一瞬で爆散した)
如何でしょう。マウビが始まって多少用事は出来たものの、それまでチデオタは両パークに対してマジで何も用がなかったわけです。結局マウビや海ジャンボリがあったとしてもどちらもエントリー制なので外れたら用無しですし、フリグリは必ず捕まえられる保証がありません(コロナ禍なら尚更)。
前者ならば「保険=年パス」が無かったとしても幾らか即日でリカバリーが出来ますが、後者の場合そこに確実性がないため、結構な確率で「チデに終日会えないまま金だけ払って歩き回って終わる」という負けゲーを強いられる状況が発生し得るわけです。ここにミキオタと同じ金額は出そうとは思えなかった心情を、どうにかご理解いただきたいものです……(チデオタより)。
チデと同様に「コロナで姿を消したキャラクター」は少なからずいたと思いますが、チデほど露骨に消えたキャラは他に居なかったのではないでしょうか。ショーパレに確定で出ず、フリグリ出現も怪しいキャラクターというのは元々多く存在します。何ならBIG8以外は全員そうでしょう。しかし元々そうであれば「BIG8のオタク」と「その他のオタク」では根本的な立ち回りと心構えが違ったように思います。「行けば会えるから会いに行こう」と「会えたらラッキーだから目的にし過ぎず楽しんで行こう」の違いですよ。コロナ前のチデは前者だったのが、コロナを機に一時期後者になってしまったわけです。
良し悪しの話ではありません。BIG8のオタクは、言ってしまえばアイドルオタクと性質的にはさほど変わりません。「行けば会える推し」が、パークに関わるすべての行動の目的そのものになっているのです。チデオタはその意味で、ある時突然に「目的」を奪われてしまった、ということなんですね。当てもなく彷徨い金を使い倒せるほど、誰も彼も持ち物を余らせているわけではないですよね…?
それでも中には、数年にわたる辛い時期をグッと耐え忍んで、今でもチデオタとして頑張っている方々も少なくないでしょう。それは彼らにとってチデが「他に替えの効かない存在だから」に尽きると思います。尊敬します……本当によく頑張ってこられたと思います。反対に私は「頑張らなかった側」なので…。私にとって10年間の最推しだった筈のチデちゃんは、哀しくも「代替可能な存在」だったわけですから……。
こればっかりはもう、個々人のオタクとしての在り方次第になってしまうと思います。現場回数を稼ぐために年パスを信頼していた私のような「ローコストで体力気力の限り現場をブン回したいオタク」と、オ社が求める「たまにの1回に"全力"を出してくれる"お客様"」とでは相性があまりにも悪い。私のようなオタクは最早、ディズニーリゾートに於いては「招かれざる客」になってしまった、そういうわけなんですね。
しかし、そういう経緯でディズニーからはみ出し者になってしまったこの私にも、そのままで転向できる新天地が存在したわけです。それがプロ野球マスコットの世界。結果的に私は冒頭の通り(オタクだったのに)丸2年もディズニーへ行かなくなり、代わりに野球場へ赴くようになったわけですが、私と同じように「年パスが無いとやっていけないオタク」たちは皆もう何処か異なるコンテンツへ良い加減に移住が完了している頃合いではないでしょうか。もし年パスが無いことに未だに困っているDオタが居るとしたら、厳しいですが恐らく巣立ちの時だと思いますので、他に楽しいことを見つけてみるのも一手かもしれません。
体感ですが、とにかく現場をブン回したい私のようなタイプのオタクであれば、回す現場や対象物は実はそんなに重要じゃなかったりするわけです。「割安で楽しく対象物と触れ合いたい」という風に簡略化すればコレ、別にディズニーじゃなくても野球場や他のテーマパーク、振り切れば地下アイドルだって全然良いわけです。
10年前のディズニーすら余裕で凌駕してくる(但し球団による)。
凄いですよ、根腐れしそうなキャラオタ皆マスコットオタに鞍替えすれば良いのにとさえ思う。非常におすすめです。
私自身は野球マスコット専門なので他のことはあまり詳しくないのですが、恐らくサッカーやバスケのプロチームにもマスコットは沢山います。川崎のロウルくんとかめっちゃ可愛いよ。なので地元チームのマスコットを応援するところから始めてみるのもアリじゃないでしょうか。
②5〜6時間で退散できる
④ちゃんとグッズもある
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
①③⑥はDオタならかなり嬉しいポイントではないでしょうかね。少なくとも私はそう思う。
細かな金額に関しては球団次第でピンキリですが、最安値で抑えるならいずれにしてもコロナ前のディズニーより入場料は遥かに安いです。外野席とか天井席なら1000〜2000円台だからね。
或いは千葉ロッテマリーンズのZOZOマリンスタジアムや阪神タイガースの甲子園球場なんかは試合前のマスコットショーを場外で行ってますので、何とやろうと思えば完全無料でオタ活が出来ちゃいます。良いんですか??
そうでなくてもマスコットと触れ合う機会は(本来キッズやファミリー等を想定しているであろうだけあって)チケットの種別に関係なく同等に与えられていますので、「兎に角中に入れれば良い!」と割り切るならコスパ最強です。
勿論もっとチケットに金額を出して座席に拘れば、試合中に動き回るマスコットを直近で拝むことも可能です。
②5〜6時間で退散できる
野球場は大体試合開始の2時間前に開場し、マスコットショーやふれあいイベントを経て試合開始、途中何度かマスコットの登場シーンがあったり、或いは場外でふれあいイベントを行ったりして3〜4時間以内には概ね試合が終わります。そう考えると余程長丁場でない限り、1回の現場は最長5〜6時間程度で終了することになります。勿論マスコットや自分の都合、天候などに合わせて遅く来たり早く帰ったりも可能ですし、先述の「無料でオタ活できる野球場」であれば最短5〜15分で退散移動が実現します。
仕事帰りや学校終わり、休みの日の午後用事前にちょこっと……ができるのも嬉しいポイント。
先述の通り、野球場で行われることやタイムスケジュールには大体決まった形が存在しているので、ディズニーのようにスケジュールのバラつきが生まれることはまずありません。「このタイミングに何処で誰が何をしている」というのが慣れればすぐ分かりますので、色々と余裕を持って行動することが可能。これは各球団のふれあいイベント(所謂フリグリ)に関しても概ね同様ですが……ルールはディズニーと同じです、具体的な時間と場所は是非ご自身でお確かめくださいね。譲り合いもお忘れなく。
④ちゃんとグッズもある
各球団マスコットの個性的で可愛いグッズも沢山あります!ブラインド仕様のランダムグッズからぬいぐるみ、プラッシュ、バッグ、その他諸々。野球場らしい文字入りフェイスタオルやKPOPにありがちなスローガンタオルがラインナップされているマスコットも中には存在します。グッズ欲を満たしたいオタクにもおすすめ。因みにぬいぐるみ系に関しては大体ディズニーの半額程度で買えたりします。安い!
各球団は1年を通して頻繁に限定ユニフォームをリリースするので、それに合わせてデザインチェンジを施した限定グッズも続々登場します。そして在庫さえあればシーズン後半やオフシーズン、次シーズンに入ってからもオンラインで購入できるのも有り難いところ。後から「あれ欲しかったな…」ってなることあるもんね。
野球マスコットのオタクをする上で外せない醍醐味といえばコレ。先述のロッテの「マーくん」と東京ヤクルトスワローズの「つばみ」の恋模様(?)はあまりにも有名。埼玉西武ライオンズの「レオ」は妹の「ライナ」に対し異様なほどのシスコンぶりを発揮したり、福岡ソフトバンクホークスの「ハリーホーク」や北海道日本ハムファイターズの「B・B」と何やら名状し難い関係性を披露したり、ヤクルトの「つば九郎」と中日ドラゴンズの「ドアラ」で毎年のようにディナーショーを敢行しチケットが即完売になるなど、どのマスコットも非常に個性が強く、遠征交流やオールスターゲーム等で顔を合わせる度に関係性がジワジワと変化していくリアル感はディズニーで絶対に味わえない野球マスコットならではのポイントです。グミニとかそういうのにうっかり惹かれちゃう人、どうでしょうか。
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
これは本当に場合によりけりですが、何度か会いに行くうちにこちらのことを覚えていてくれる有り難すぎるマスコットも結構います。勿論そこに最初から期待するのはおすすめ出来ませんが、フリグリ中に近況を聞いてきてくれたり、向こうから積極的に来てくれたりすると球団に金を落とすモチベーションが爆増します。(それでもディズニーより安く済むのが尚のこと有り難い)
タイミングが良ければワンショットでポーズ指定が出来たり、ショートムービー撮影で任意の動きを(常識の範囲内で)お願いできる場合もあり、フリグリの自由度がディズニーより遥かに高いのも嬉しいですね。フリグリ完全依存の元チデオタとしては尚更ね。
但し「つば九郎」や「ドアラ」のように選手顔負けでファンの多いマスコットたちに関しては個別ファンサがどうしても難しいですし、すべてのマスコットが同じくらい手厚くやってくれる保証は全く無いですから、基本的にはマスコットたちの成すがままに合わせるくらいが丁度良いでしょう。
こんな感じで、コロナ禍を辛く暮らした元チデオタの私ですが、今は自分に合った最高のコンテンツと出会い、ディズニーを離れて楽しくオタクを続けています!こんな生活も早2年!
野球場に年パスのシステムは(基本的には)ないので都度払いでも気にならないですし単価が安いですし、他にも良いこと尽くしで最高!オフシーズンで冬場に音沙汰が無くなるのだけが寂しいですが、野球がなくてもバスケとかはあるので二毛作も大いにアリでしょう(私自身に今のところその予定はありませんが)。
オタクとして若い10年の日々をディズニーに注ぎ込んだことは今では良い思い出です。もう真性のDオタでは無くなりましたがチデのことは今でも人並みに好きなので、その気になったらまたいつか会いに行きたいな〜、と思っています。
Dオタのみんな〜!いつもお疲れ様〜!
値上げとかホスピタリティとか色々大変だろうけど無理せず自分最優先してね〜!!
お互い楽しくオタ活続けてこうな!!