はてなキーワード: 総理大臣になったらとは
面白かった。
温泉シャークは令和の『シン・ゴジラ』であると言っても過言でないくらいに面白かった。個人的には『シン・ゴジラ』よりも好きだ。怪物の襲来による人類社会の危機とその脅威の打破という点では『シン・ゴジラ』と同様だが、『温泉シャーク』はそれに加えてギャグ要素を併せ持つし、ストーリー展開も負けてはいない。『温泉シャーク』のストーリーは、往年のジャンプ漫画のインフレバトルを彷彿させる展開となっており、心地よい高揚感をもたらしてくれた。
この『温泉シャーク』の面白さは、「温泉」と「サメ」の組み合わせの妙だろう。
作中の舞台は熱海をモデルとした暑海市という架空の観光地であり、それゆえにサメの被害が深刻化しても観光を優先して配信者を集めてしまうのだ。YouTuber的なあるいはインスタグラマー的な配信者は配信画面や演出などにリアリティがあり、彼ら彼女らの振る舞いの傍若無人さが表現されている。それゆえに配信者がサメの被害になっても悲壮感は一切なく、ギャグとして存分に楽しむことができるのだ。そうした配信者たちが迫真の演技で命を落としていくのとサメのチープなCGの対比が「シリアスな笑い」を産むさまは、まさしくサメ映画の醍醐味だろう。
サメの被害は増す一方で人類側もサメに対抗すべく武力を集結していくことになるが、戦闘機やら兵器やらの特撮のチープっぷりも味があってよい。そして、サメとの間でなにやら因縁がありそうな謎のマッチョが活躍していくが、このマッチョの存在がいい。マッチョがサメとの対決におけるキーパーソンとなって、ストーリー展開のインフレ感を加速していくことになる。しかしながら、その具体的な戦い方をここで述べるのはネタバレになるのでやめておこう。それでも、とにかく面白かったとだけは伝えておく。その面白さのままにストーリーはエンディングへと向かっていくのだ。
同時に上映していた『もしも徳川家康が総理大臣になったら』とどちらを観ようか迷ったが、『温泉シャーク』を選んだことに後悔はない。
わたしは1995年生まれだ。ここ最近になって政治をめぐる世の中の温度感が急変したように感じていたが、わたしの記憶にある限り、本当に他者を思いやることのできた平和な時代など実はなく、物心ついたころからすでに物事はこの方向に向かって動き出していたのではないだろうか。2000年代にはすでに国家レベルでそういう状況に突入しており、わたしたちは今あの時代に張り巡らせた伏線をひとつひとつ回収しているのだと考えるほうが、世の中がここ何年かで急速に変化したと考えるよりも自然な気がする。
教科書に書いてあることはいつだって周回遅れだから、わたしたちの世代ならまだ、教科書をまじめに読んでいた人は一昔前の価値観に触れることができていた。かろうじてそれを正しいとみなして人格形成することもできた。しかし、見ないようにしていただけで、見てはいけないと自分に言い聞かせていただけで、そこにはすでに分断はあった。わたし自身、これまで分断を見ないようにしたり、うまいこと避けたり人のことを見下したりしてのらりくらり過ごしてきたが、そうした態度は結果的にこうした時代の到来を早めることに繋がったかもしれない。でもあの時はどうしようもなかったのだ。わたしも幼かったし、大人たちも幼かった。大人らしく振る舞うとはどういうことか、誰もわかっていなかった。わたしは教科書を読めたし、読めるのに読むなというのは無理な話だった。
2010年、わたしたちはRADWIMPSを聴いていた。給食の時間、校内放送のスピーカーは「僕が総理大臣になったら~」と歌っていた。「厨二」みたいなことを言って人々は馬鹿にするけれど、気づいたらこちらが馬鹿にされる側にまわっていたという意味では、本当に間抜けだったのはこちら側なのではないだろうか。
すごく怖い話をすると、もしかして自民党に投票する人ってリベラルなつもりで入れてんじゃないかと思う。Liberal Democratic Partyだけに。LiberalでもDemocraticでもないだろふざけんなと思ってきたが、まあ東谷さんに比べたらどう考えてもliberalだしdemocraticですね。
とにかくみんな余裕がなくなっている。自分と自分の身内以外の誰かほかの人のことを考えるにはあまりにも疲れすぎているし知性も足りなすぎる。コミュニケーションは日々奪われており、わたしたちの会話はゆっくりと、しかし確かに通じにくくなっている。誰にもこの流れを止めることはできない。
若い世代はそもそも思いやりという文化を知らない。それほど若くもない世代は、たとえ本人が忘れてしまっているとしても、そういう文化が存在していたこと自体は知っているはずだが、今ではみなそういう文化のことを冷笑するか雑巾を見るような目で一瞥するだけになってしまった。それほどまでに、今、わたしたちは貧しい。明日ご飯が食べられるかどうか、という次元にいる。
投票率が上がっても下がってもろくなことは起こらないような気がするという意味で、わたしたちは今、どうしようもないところまで来ている。そんなことはあり得ないだろうけれども、仮に次の選挙で政権が交代して志位さんが総理大臣になったとしても、その傍らで東谷さんのような候補は当選し続ける。投票率が上がるというのはそういうことだ。そして、投票率が下がれば、政治家の票田は市井から宗教団体に移り(実際には宗教団体の教団内部が完全に「市井」でないとは言い難いが、ここでは便宜的に二者を区別することとしたい。つまり、宗教勢力と政治家とのかかわりが密接なものとなるということだ)、今回のように銃撃に倒れる政治家は後を絶たないだろう。どっちにしても地獄だし、どっちかを選べと言われても困るのが実情である。選挙に行っても詰み、行かなくても詰み。死ぬしかないのかもしれない。まあこの状況では、放っておいても人はばたばた死んでいくだろうが。
選挙に行っても詰み、行かなくても詰みの状態になったときに人間がどういう行動に出るのかは興味深い。どっちでも最悪の結果になるとわかっているとき、わたしたちはどちらの地獄を選択するのだろうか?
爆笑問題の太田さんが批判されているけど、昔太田さんがやっていた、「私が総理大臣になったら」という番組を見ていた世代からすれば、普通にこうなると思っていた。
「政治家にかみつき、暴言をはく」国民なんてごまんといるが、そういう人間に対する政治家の素の反応が全国で生中継されるというのは、なかなか見れない姿だ。
例えば、小泉さんなどはちゃんと不快になって小ばかにした態度を取ってて新鮮だった。
石破さんは付き合いが長くてクソみたいな幼馴染のすべてを理解している友人みたいな態度だったし
二階さんは太田さんがかみつこうにも、想像以上にもうろくおじいちゃんでプロレス不成立なの最高だった。
なので、太田さんが話を振ってダラダラと分かりにくい説明が始まっちゃったときに「テレビやってたんだから短くまとめて分かりやすく話せよ」と、太田さんと同じく思った。
それに対して山本さんが「雑なんだよ!」と怒ったのも「はぁ?」と思った。
ただ、スタジオで若いおねーちゃんが「山本さんも勉強されているんだなと思いました」みたいなことをコメントしたのは、仮にも党首に対し失礼なんじゃないかなと思った。全然分かってないのに一生懸命勉強してお話したんだねぇヨシヨシ、みたいに聞こえた。気持ちはわかるが、スタジオのおねーちゃんは太田さんみたいにまさか山本さんにプロレスをしかけてたわけじゃないだろうし。
甘利さんはさすがにかわいそうだったかな。
「ご愁傷さまでした!」って振って、「ひどい」「ふざけんな」みたいな反応が返ってくるかと思ったら、本当にしょんぼりしちゃってて。
太田さん本人はこの件に対して、ラジオで与野党がテレビから消そうとしている、審判を待つという話をしたそうだ。
今後、番組が終了したら政治家がスポンサーに圧力をかけたということか。
あるいは、週刊誌にスキャンダル?直近で数十年前の裏口入学疑惑しかないんだから、でっちあげネタがくるか。
それを考えると、私が総理大臣になったら…はよく続けられたもんだなぁと思う。
当時、脅迫などが相当来ていたらしいが、今回はどうなるか。
政治の首がすげかわっても行政担当してる官僚とかが変わらないならあまり変化は起こらないんじゃないのと思うんだけど違うのかね。
過激な人が総理大臣になったらその国民に害をなしそうな方針にも官僚は完全に言いなりなんだろうか。
そこは頭がいいんだから命令に遵守するふりをして、実際は「いいように」その方針を行政として実行するにとどまるんじゃなかろうか。
うろ覚えだが江戸時代でも何円(通貨単位には突っ込むな)以上盗んだら死罪という法律があったものを心ある奉行はそれより1円分少なく盗んだということにして死罪を回避させたという話があった。まあ現代でもそういうふうに総理大臣が横暴な政治を行おうとしてもその具現化を担う行政官は融通効かせるんじゃないですかねって話。
話は変わるが弱者がマイノリティーだとすれば、量で決する政治制度は弱者には危険だと思う。
まあ荒唐無稽な仮定なんだけど高卒以上は年収が500万に達さない場合その分だけ補助金が支給される、高卒未満が最終学歴の状態で成人した人は死刑になるように憲法改正から行っていくという考えの政党ができたらどうなるだろうか。
中卒の割合は2%だからこの政治方針により害を被るために積極的にこことは別の政党に投票しようとする層もたかだか2%前後ということになってしまう。
もし相対的強者にこのような弱者を思いやる心の者がいなければ簡単に議席3分の2以上の議席をとれてしまうかもしれない。
国民投票も余裕で過半数を超え無事弱者の生存権が無視されるように改正、死刑執行、なんて結末も理屈ではありえてしまうわけなんだよな。
過半数とか3分の2とか、そういう量を基準とする議決の仕組みを政治に導入しているのは本当はよくないと思うんだよな。
まあそうなってもミャンマーみたいに心ある警察官のボイコットが始まるかもしれないんだけど。
何が言いたいかというとこういう制度下でしかもろくに思いやりある人がいなくなっちゃうと、たとえば中卒という括りで弱者を定めた場合は2%=300万人とかが該当するわけだけど、つまりそのときの弱者の定め方次第で最大3000万~4000万の相対的弱者の命が積極的に奪われるような社会が実現しかねないってことなんだよな。
これを人数としてものすごく多いと思うのも結局主観でしかないんだろうけど、主観で済む規模なのかなって引っかかりもあるわけで…。
お父さんである河野洋平氏は、官房長官時代の1993年に自民党内の了承を得ずに河野談話を発表した。
現在の日本と韓国・中国との歴史問題は、お父さんが無思慮に発表した談話がトリガーとなり、2021年現在も解決できていない。
河野氏は、仮に総理大臣になるのだとしたらお父さんの談話を無条件に継承するつもりなのだろうか。
河野氏ご本人も、この件についてはずっと沈黙を貫いて来ている。
民主党が政権交代によって政権与党になったことになって、憲法9条と自衛隊と日米安保について認めざるを得なくなったのと同じようにね。
河野氏とお父さんは別人格なので、お父さんの談話を否定して新しい談話を発表するという選択肢もある。
「日本軍が現地女性たちを強制連行した」のを認めたお父さんの談話をどうするつもりなのか、出方によっては河野政権は「ナシ」ということにもなる。
高市氏“サナエノミクス”で立候補・・・総裁選動き加速(2021年9月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=8uB3fzmS1YI
日本人として当然ではありません。憲法20条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とあります。
参拝する方が問題です。
中国・韓国はもちろん、ネトウヨが大好きな台湾、シンガポールやロシアからも過去に強い非難があり、
また、アメリカやEU、フランスからも「余計なことすんな」と批判がありました。
このようにたくさんの国々を巻き込んだ国際問題となり、他国からの日本への風当たりが強くなります。
靖国神社にはA級戦犯が祀られており、参拝は戦争責任がある者を肯定することと捉えられてもおかしくありません。
それを日本の内閣を代表する総理大臣が行うことは、宗教行事の範疇とは言えないと考えるのが普通でしょう。
また、過去に国際問題となっている事実からも、挙げられた行事と同等のものであると考えるのはおかしいでしょう。
あくまで総理大臣としての参拝ではないというスタンスを(参拝後ではありますが)取りました。
批判はあれど憲法20条によって保証されているため、一定の線引きをしたと言えます。
これを公人として正式に参拝すればどうなるか、ぜひ想像してもらいたいです。
ドイツと違って戦争の反省がないと国際社会から嘆かれることがあることも一緒に考えていただきたい。
未だに靖国参拝で騒いでるのが残念
私も非常に残念です。恐らく違う意味でしょうけど。
A級戦犯が祀られたのは1978年からであり、合祀されていることを理由に諸外国は遺憾を表明しているわけです。
戦没者と戦犯を区別して供養できる仕組みが必要であると強く思っています。
人間であり、政治家です。そして総理大臣になったら、参拝すると表明しているわけです。
事実上、日本国民を代表する(本来は内閣の代表)人間である以上は、
他国を意識した立ち回りをしなければ日本国民の利益になりません。
総理大臣を直接投票できない法制度である以上、こういった事には声を上げていきたいです。
靖国神社の参拝反対者って何なんだろうね?
少なくとも日本の将来を考えている人でしょう。
大日本帝国バンザイ!という思想や、中韓にマイナスイメージを持つのも勝手です。
ただ、今の日本の地位を貶め、ひいては今この国に住んでいるたくさんの人々に
不利益が生じる可能性が高い本問題に対してはしっかりとした認識を持ってほしい。
恐らく(ネトウヨによると反日メディアの朝日系列である)テレビ朝日アナウンサーが質問したことによるコメントですね。
参拝して悪い理由の例を挙げると、他国の国民感情を害するからです。
例えば、日本が進めているインバウンド政策はどうなるでしょうか?
2019年の訪日外国人のほとんどは中国・韓国・台湾で、東アジアからが70%以上を占めます。
軍や国の暴走、つまりは戦犯により多くの方が望まずして戦地に赴きました。
これらを同列に扱うからよくないんじゃないですかね。