2024-08-20

ゲーム受け身で遊べるから楽しい

かったるい基礎練とかせず、ゲームのものを楽しむと同時に自然と上達の喜びも感じている。

ゲームデザインの誘導を受けつつ、何度か死んだりしながら敵の倒し方が見えてくる。

曲に合わせてボタンを叩けば良い感じに気持ち良くなれるし、対応出来るパターン自然と増えてる。

学校勉強なんかは内容もさることながら、そうやって受け身でいられないのがしんどい自分理解すべき相手を呼び寄せて、自分から確認作業を行わないといけない。終始能動的な姿勢を求められるのがかったるい。

まあ言うたって楽器なんかも最初は誰だってメキメキ上達するから楽しいんだけど。

音の出し方覚えて基礎的な奏法を身に着けつつ楽譜見て曲を演奏する、というレベルの事をやってる内は楽器音ゲー本質的にさほど変わらない気がする。

楽器にせよ絵にせよ、そこから先に行って磨いた技術を通じて自分がやりたいと思った頭の中のイメージを取り出せるようになったら違ってくるんだろうけど。

それこそ自己表現というやつだよね。

まあプロを目指すでもなくそこまでの域に達する人は果たしてどれほどいるのかって話なんだけど。

その点ゲームは与えられた課題完璧にこなす以上の目的がない。まあ縛りプレイとかRTAとかもまああるけど。そういう自分なりの楽しみ方的なものの幅が大分狭い。というか曲芸に走るしかなくなる。

ただこれはCPU相手ゲームについての理屈であって、対人ゲームならまた違うのかもしれない。

それこそe-sportsと呼ばれる所以だと思う。

cpu相手なら、セオリー確立してしまえば攻略法はほぼワンパターン収束する。

でも人間相手であれば、勝つためのセオリー確立すればそれに対するメタが生まれて、更にそれに対するメタが……と無限攻略が編み出され続ける。

相手に勝つという目的は変わらずとも、勝つための技術とそれを実践するテクニックが追求され続ける。

まさにスポーツのやっている事だ。

あとCPU相手でも、フロムソフトウェア作品ビートマニアよろしく難易度が高すぎれば楽しんでるだけでは進めなくなる。頭打ちになって、その度に研究練習フィードバックを重ねる学習サイクルが求められる。

ゲーム受け身で楽しんでる内は浅瀬も浅瀬。スマブラやっててガチャ押しで勝ったって楽しくない。ゲーム醍醐味はそういう努力じゃん。

みたいなタイプの人がいるけど、おれは全然そう思わない。

それって別にゲームじゃなくても得られる喜びだし、だったら別にゲームである必要はないじゃんって思う。ゲーム以外を選ぶ必然性もないんだけど。

受け身で手軽に楽しめるのがゲームの良さなんだから

そういう修練を積むくらいなら、もっと別な趣味を持ちたいよねって思う。スポーツなり絵なり音楽なり。

そこはまあゲームを下に見てるんだと思う。

下に見てると言うか、人生においてより大きな喜びや感動をもたらしてくれる事について、ゲームにはあまり期待していないんだろうなって思う。息抜き以上のものにはならんよねっていう。まあストーリーめっちゃ良かったりとかすれば、そこに感動はあるかもしれないけど。

別にゲームにせよスポーツにせよ音楽にせよ、そういう題材なんか些末な問題しかない。壁にぶち当たった時の克己心こそが人生の喜びなんだってタイプもいるんだろうな。「成長」大好き人間。相容れないな。

題材は何でも良いけれど、学習と克服とはまたちょっと違ってソシャゲクッキークリッカーよろしく拡大再生産的な事に喜びを感じてるタイプもいるのかもしれない。資本主義精神

おれはそういうんじゃなくて、やっぱ遊び(食って寝るための営み以外の全て)の内容そのものに感動を覚えたいよね。「成長」のダシにするんじゃなくて。

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