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小児性愛を内心の自由うんぬんで論じるべきではない、という「子供を性的にみる内心の自由はない」(anond:20200609071250)の冒頭部分はそのとおりだ。
これは性指向に基づく差別に反対という話であって、本来は内心の自由とか表現の自由とかは二の次の問題だからだ。
たとえば、この記事を読んでみてほしい。
LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました | 包帯のような嘘
読むのがめんどくさいという人のために説明すると、小児性愛は生まれつきのものであり、多くの小児性愛者はそれを変えられずに苦しんでいること、それでもなんとか現実と折り合いをつけて生きていこうとしていることが書かれている。
つまり、小児性愛は、それを持って生まれた人にとっては変えがたい性指向だということだ。
性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて人を差別することは許されない。
小児性愛者を治療しろ? 百年前に同性愛者も同じことを言われていた。小児性愛者は性的モンスター? 「ゲイが同じチームにいたらロッカールームでケツを掘られる!」というのとどう違うのか?
もちろん、小児、すなわち性交同意年齢に達する前の子供と性行為をおこなうことは許されてはならない。あるいは、実在する子供を性的に虐待することで生み出されたコンテンツは、厳しく規制されるべきだろう。
だが、それはあくまでも行為であって、性指向の問題とは別だ。性指向が子供に向いていなくとも子供を性的に虐待することはありうるし、性指向が子供に向いていても実在の子供の人権を侵さずに生きていくことは可能である(架空の子供を描いたイラストや漫画、あるいは今回問題になっているようなラブドールを消費している分には、実在の子供の権利は損なわれない)。
性指向に基づく差別に反対することと実在の子供の人権を擁護することはまったく矛盾しない。
増田は「同性愛」と「同性間での性行為」を、「小児性愛」と「小児との性行為」を混同している。
同性愛も小児性愛もその人の持つ性指向の問題であり、それ自体が犯罪となるような性質のものではない。
逆に、性行為を問題とするのであれば、同性間での性行為に同意が伴っておらず強制性が存在した場合、当たり前だがそれは犯罪である。同性愛のすべてが犯罪でなくなるわけではない。たとえばゲイが嫌がるノンケを押し倒して事に及べば強制性交罪だ。
もしも小児との性行為が犯罪であることをもって小児性愛を犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛も犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛も犯罪的な性指向である。唯一犯罪と無縁でいられる性指向は無性愛しかない。
「ある性行為が犯罪である」ことと「ある性指向が犯罪である」はまったく同一ではないことが以上の例示でわかるだろう。
幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。
小児性愛者と児童虐待者はイコールではない。仮に性指向が成人に向いている人間であっても、「身近にいて、非力で、手を出しやすい存在」である子供に性的虐待を加えることは十分に起こり得る(これは児童虐待を論じる上での常識だ)。
児童への性的虐待は痛ましく、許されてはならないことだが、それは小児性愛者を差別する理由にはならない。
そもそも論として、児童への性的虐待が小児性愛者によって行われていたとして、それは一部の小児性愛者の行為にすぎず、それをもって全体を犯罪者と罵るのは典型的な差別主義である。
あなたは9・11テロの犠牲者の遺族に向かって、イスラム教を擁護する言葉を声高に発することができるのか? もちろん声高に発するべきであり、遺族の気持ちを慮って差別主義に屈するのは間違いだと言わなければならない。たとえ遺族の気持ちを傷つけたとしてもイスラモフォビアには反対すべきである。それが市民としての倫理的な義務だ。
人でなし? それはこちらの台詞だ。私から見れば、変えられない性指向に基づく差別を正当化する連中の方が、よほど人でなしに見える。
犯罪を好む特殊な性癖を持っている人たちの権利を擁護したいのであれば、自分の言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。
性指向に基づく差別を正当化したいのであれば、自分の言葉が性指向に基づく差別で苦しむ性的少数者を傷つけることを理解した上で注意深く発言すべきだ。というか、少なくとも自分が差別主義者であるという自覚は持ってほしい。それはそんなに難しいお願いだろうか? だって言ってることは一昔前にホモフォーブが言ってたこと――あるいは今も言ってること――と同じじゃないか。
私は、「性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて」人を犯罪者予備軍扱いしたり(それ自体が誰の権利を侵害しているわけでもない)オナニーの道具を取り上げようとするのは差別だと思うんだけど、それは差別じゃないって言いたいのかな?
差別主義者はいつだって「これは差別じゃない」と言う。どれだけ明々白々な差別をしていたとしても。
子供の姿をしたラブドールでどう子供の安全が脅かされるんだ……?
そんなに子供の安全が気になるなら、小児性愛者よりも先に家族に目を向けるべきではないか。児童への性的虐待は見ず知らずの小児性愛者によってなされる事例よりも家族・親族あるいは見知った大人によってなされる事例の方が多いのだから。
小児性愛者を怪物に仕立て上げたところで、子供が安全になりはしない。それで安全を得たと思えるのなら、それは本当の安全ではなく心理的安全に過ぎない。あなたがラブドールを愛好する小児性愛者を槍玉に挙げる横で、今日も義理の父親が義理の子供に性的虐待を加えているかもしれないのだ。
内心は誰にも分からないけど、欲求を公言したら批判や忌避される対象となるのは仕方ないと思う。/ 臨床現場で現在ペドフィリアに行われている治療は、薬物療法のほか、認知行動療法やグループミーティングが中心。
前段。同じことを同性愛にも言えるか? 仕方ないとか寝ぼけたことを言ってないでそれが差別感情だと認めるべきだろう。差別感情を認知しなければあなたは一生差別主義者のままなのだから。
後段。それって性指向を変えるような治療じゃなくて、性指向を抱えたままでこの社会に適応できるようになるための治療ですよね。
彼らが法を犯さないように生きていくためにその種の助けが必要であるなら助けを求めればいいと思うけど、そもそも論として社会が彼らを差別しなければ彼らの社会適応への苦しみはもっと軽減されていたはずだろう。自分の性指向を公言したら差別され排斥される社会で自分の性欲との適切な距離の取り方を自然に見つけられるわけがない。
そういう人は一定数この社会には存在していて、そのセクシュアリティは実行に移されない限り誰にも否定されるものじゃない、あなたたちはこの社会の一員だ、と啓蒙していくことが必要なはず。LGBTと総称される人たちに対してはそういう啓蒙が徐々になされるようになってきて、彼らの悩みを軽減して社会の一員として包摂する流れになってきているのだから、同じことを小児性愛に対してもすればいいだけ。
一昔前のイギリスでは同性愛は犯罪で、アラン・チューリングは犯罪者扱いされたすえに自殺に追い込まれた。今、イギリスでは同性愛者は堂々と街を歩き結婚もしていて、彼らに対して侮蔑的な言葉を発した者こそが差別主義者として非難される。隣国アイルランドでは同性愛者が首相になりさえした。彼らは胸を張って通りを歩けるのだ。
小児性愛者には愛する人たちとの結婚はできないが、せめて堂々と胸を張って歩く権利くらいあってもよいだろう。
持って生まれた性指向で批判されても仕方ない、なんて、これほどおぞましい主張があるだろうか。私は成人を対象とする異性愛者だけど、思春期からお前の性欲はおかしいと言われ続けていたら発狂していただろう。そんな酷い扱いを受けてしかるべき存在なんてこの世のどこにもいない。いていいはずがない。性指向に基づく差別は間違っている。
公的機関ならともかく、私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできないので、あらゆる差別を禁止することは不可能で、どの区別が禁止されるべきで、どの区別が禁止されるべきでないかの検討が必要。
私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできない? 別に小児性愛者と友達になれとか家に上げろと言っているわけじゃない。侮辱するな、迫害するな、彼らの権利を奪うなと言っているだけ。それってそんなに難しいこと? 他人をいじめないと社会生活を営めないの?
子どもは圧倒的に守られなければいけないのがなあ。/「われらの権利を擁護しろ」と少し大きな声で言うことは、純粋な「内心」から少しはみ出してしまう行為で、小児性愛の場合はそこに多くの人の目が行ってしまう。
子供を守ることは誰も否定していないのだが……小児性愛者を差別するなと言っているだけで……
というか、思春期に入ってはじめて自分が小児性愛者と気付き苦悩する少年は守るべき子供じゃないの? 18歳になる前に自分の性指向に気づいた小児性愛者のことは守らなくていいの? どうして守るべき「子供」から小児性愛者を無条件で除外できると思えるの? それが差別意識ってやつなんじゃないの?
これは余談というかお気持ちだが、昨今の小児性愛者をめぐる議論において本気で悲しいのは、かつて私に差別とは何なのかを教えてくれた進歩主義陣営の人たちの多くが、小児性愛者への差別を扇動する悪質極まりない差別主義者に成り果てている姿を見てしまったからだ。
あなたたちから教わった差別の考え方であなたたちを叩き斬らなければならない日が来るなんて考えたくなかった。
J・K・ローリングがトランスジェンダーへの差別に加担している姿を見ることも辛ければ、反差別を訴え続けてきた人が小児性愛者へのヘイトを垂れ流している姿を目にすることも悲しい。かつて私の蒙を啓いてくれた反差別陣営が、こんな露骨な差別に加担している光景なんて夢か何かだと思いたい。