はてなキーワード: 筆談とは
私は聴覚障害者です。
以前は障害者雇用で民間企業に務めていましたが、収入が少ない上に差別的な扱いを多く受けてきたので、数年前に退職して、今はハンドメイドで小物を作ってネットで販売しています。
会社勤めしている時は低収入ゆえ親元で暮らさざるを得ませんでしたが、今はささやかながら自活できる程度の収入を得る事が出来、少し自分に自信を持てるようになりました。
しかし最近、商品を購入してくれた方から商品が届かないという苦情を何度か続けざまに受けるようになって、発送に使っているクリックポストで繰り返し郵便局に商品を紛失された事がわかりました。
そして、その一連の対応で、郵便局からとても悔しい思いをさせられました。
私が商品の発送にクリックポストをする理由は、クリックポストは誰とも会話せずに利用できる数少ない発送手段だからです。
切手やレターパックの封筒を買うのに郵便局の窓口でその都度筆談で購入を希望したり、コンビニでゆうパケットを出すのに筆談をしたりするのと比べて、クリックポストは送料支払いも伝票発行も全てネットで完結できてポストに投函するだけで済むので、愛用していたのです。
それが紛失されて、郵便局のホームページにある問い合わせフォームで状況確認を求める問い合わせをした所、帰ってきた答えは以下のようなものでした
【1回目】
お申し出につきまして、○○郵便局へ申し伝えさせていただきましたところ、
大変恐縮ではございますが、お電話にてご連絡させていただきたく存じます。
→私は聴覚障害者なので電話で問い合わせられないと返答。すると2回目の返答
【2回目】
そのため、○○様が発送しているのであれば
○○様へお問い合わせ番号に相違がないか発送状況含め
→クリックポストはネット上でしか申し込みできないので問い合わせ番号は全てホームページに表示されている履歴をコピペしているだけで、よって番号相違なし。クリックポストは集荷途中の水濡れや擦れでQRコードの読み取りができずに遅滞する事例があると聞くがその可能性は?と返答
【3回目】
クリックポスト【****-****-****】、【****-****-****】、
【****-****-****】、【****-****-****】につきましては、
あて名不完全のため返送され、現在、✕✕郵便局にて保管しております。
お手数をおかけし、大変申し訳ございませんが、詳細については、
【✕✕郵便局(代表電話番号 0570-***-***)】へ、
→なぜか他県の郵便局で保管されている事がわかり、そこへ電話をかけろと、またしても電話を要求。そこでまた私は聴覚障害者なので電話をかけられないと返答すると。
【4回目】
お問い合わせにつきましては、先般、当センターより
「あて名不完全のため返送され、現在、✕✕郵便局にて保管しております。」と
ご案内させていただいておりましたが、返信内容に誤りがございました。
当該クリックポスト4点については、「あて名不完全のため」ではなく、
二次元コードが読み取れず、差出人様へ返送の取り扱いとなっておりますが、
当センターでの返信内容に不備があり、
今後同様のご指摘をいただくことが無きよう、
再発防止に努めて参りますので、何卒ご容赦賜りますようお願い申し上げます。
当該クリックポストの返送については、メールで承ることがいたしかねますため、
【✕✕郵便局】へ、直接お問い合わせいただきますようお願い申し上げます。
→聴覚障害者なので電話できないと繰り返し伝えているにもかかわらず、メール対応できないから直接問い合わせをするように言ってきて、以後、さらに3回、同様に電話をかけるか、それともこのコロナ禍で他県への移動を控えるように言われている時期に自費でその郵便局に行くよう、不条理な回答を寄せてくる、悔しい思いをさせられているのです。
クリックポストは郵便局のホームページで決済から伝票の発行まで全て終えていて、それは当然郵便局のどこかしらで情報を確認出来ていて、紙の伝票で届け先の情報も問題なく視認もできているのに、運送途中で伝票を汚されたせいで、どうして私がここまで悔しい思いをさせられなければならないのか、私には全く理解できません。
泣き寝入りしたくないのですが、何度メールしても同じように電話をかけるか直接他県の郵便局に行くかしなければならず、どうしようもありません。
帰省をした。
それでも帰省をした。
お盆が近づいている。
国や都道府県の判断を仰ごうにも「慎重に」「感染防止を徹底して」「自分も感染者かもしれないという気持ちで」など見飽きた言葉が並ぶ。
その結果大事な人が感染しても、感染拡大の犯人の一人になっても、家族が周囲から叩かれる結果になっても、自己責任だと言われている。
顔を見に行った結果高齢の家族が亡くなっても、顔を見るのを我慢している間に会えないまま高齢の家族が亡くなっても、自己責任だと言われている。
たとえば政府が「帰省を控えろ」「旅行を控えろ」と要請する中で帰省を敢行した人が非難されるのはわかる。
しかし、今の状況で政府の呼びかけを遵守する=「感染拡大の防止を徹底して動く」を実行した人が、運がよければ非難されず、運が悪ければ非難される。
第一波がおさまり、居住地の都市でも感染者が毎日ほぼ0とか1人とかになっていた頃、本当は会いに行く予定だった。
が、予期せず施設の面会が予約制になっており、予約が取れなかった。
嫌な予感がした。次に休みが取れるのは2週間後。
「すぐじゃないの」と母はこともなげに言ったが、保健関係で働いている私は「どうなっているかわからないよ」と答えたのを覚えている。
第二波は確実に来ると言われていた。しかし、私の勤務先のある自治体を含め、ほとんど何の対策もとっていなかった。
幾人かは「夏になれば収まる」とまだ信じていた。少しは国際ニュースを見てくれ。
2週間後。
毎日0〜2人で推移していたはずの新規陽性者は毎日100人を超えていた。
普段楽観的な地元の家族も、今はやめておいたほうがと言い出した。
推奨されない行為なのはわかっている。しかし「来月にしなよ」と簡単に言う家族に対して、緊急事態宣言がもう出ないとされている以上、来月はもっと悪くなっていると説明した。
私だって嫌だ。
私のエゴで会いに行ったせいで高齢者施設で感染爆発して、おばあちゃんが死んだり、他の誰かの大切なおじいさんおばあさんが死んだりしたら。
私の仕事の都合でしばらく会えなかった時、驚くほど認知症が進んだ祖母。
入院して、一時はベッドの上で拘束具をつけられたり、医師から胃ろうを提案されたりした祖母。
そのくせ、私が胃ろうに反対し直談判するために飛んで帰ると、途端にハチャメチャ元気になって好きなおやつを口からぱくぱく食べられるようになって、秒で退院をキメた祖母。
不安がっていた施設入所も、私がたまに会いに行くと嬉しくて泣き出してしまう祖母。そのたびに私も貰い泣きする。そのあと、誰彼構わず孫の自慢話をしてしまう、ちょっと困った祖母。
会いに行くのは私のエゴだ。
でも、私が会いに行くことは、祖母の健康維持の一つでもあると信じている。
それも含めてエゴだしナルシズムっぽいのは承知なのだが、高齢者の健康状態というのは本当にあやうい。
気の持ちよう一つで死んでしまうのだと、一度は死にかけの状態だった祖母(今はぴんぴんしている)を見て私は学んだ。
そして思春期に祖父を突然亡くし、その時生意気の盛りだった私は、たくさんの約束を守れないまま大好きな相手が骨になってしまう痛みを知った。その時、祖父の大切な相手でもある祖母にはできるだけのことをしようと心に誓っていた。
帰省をした。
前日の夜まで不安がって反対する母(常識人でよかったと思う)に次のことを約束した。
・マスクをする
・祖母の施設に着いたら、施設職員とは電話で会話をする(直接対面でしゃべらない)
・実家のある町の近辺には立ち入らない
・誰かと食事をしない。ていうか誰とも会わない
実行した。
駅を降りてからとにかく努めて沈黙し、コンビニで飲み物を買ったときにもお礼さえ言わなかった。(心は痛んだ)
私の地元には古い風習があり、「大晦日の深夜にとある川にかかっている7本の橋を一言も喋らずに渡りきる」「成功すればその一年健康な体でいられる」というものらしいが、ひたすら黙っている間その話を思い出した。
今ではやっている人がいるのかわからないが、その話を教えてくれたのも祖母だ。昔、実際にやったことがあり、隣に家族がいるにもかかわらず一言も話せず、寒く辛く長い道のりだったという。
一人で行動し、スマホもある中で一言も話さずにいるのは現代人の私にとってさほど苦ではない。
が、その話を思い出した私は、祖母と祖母の周りの人と、この地域の人と、私自身の健康のための壮大な願掛けにチャレンジしている気持ちに勝手になった。
面会時間は15分。
地元の駅からバスで移動した時間も含めて、市内の滞在時間は約30分。
やってよかった、と思う。
この話を周囲にした時、反応は芳しくなかった。
「新幹線のお金がもったいないよ」…個人的にはもったいなくはない。お金の話ではない。
「最初から帰らなきゃいいだけの話」…だから帰りたくないけどそう言ってる間に祖母が死ぬかもと思っての苦肉の選択なの。
ガラスの前に置かれた椅子に座っていると、遠くから職員に案内されて祖母が歩いてきた。
最近も小さな不調を繰り返して通院していたと聞いていたので、車椅子かなとも覚悟していたが、ゆっくり、杖もなしに、頼りない足取りではあるが歩いていた。
認知症があり、たぶん今日の面会の予定を聞かされていたとしてももう忘れているだろう。老眼鏡の奥の目がいぶかしげに細くなり、あそこに座っているのは誰じゃいな、とでも言いたげだった。
それがある程度まで近づいた時、私だとわかった瞬間があった。
ぱあっと笑顔になり、私の名前を呼びながら、踏み出す足が急に力強くなった。ガラスの前まで来ると急に眉根が寄り、なんでそっちにいるの、入ってこないの?と言いながらも、ああ来てくれてありがとうねと嬉し泣きを始めた。
私もぼろぼろと泣いていた。来てよかった。新幹線代なんかに変えられるか。
保健所で働いている同僚とも話したことがあるのだが、発声を伴う感染拡大はなんだかんだ大半を占めると思っている。
私は多少手話が使えるが、たとえばもし国民全体に広く手話が普及したりなんかして、口だけにとどまらないコミュニケーションが可能になればもっと色々捗るのでは?なんて個人的に思ったりもする。(マスクは透明なものが必要になるけど)
多分皆が迷っている帰省というのはこんなんじゃなくて、普通に家族と食卓を囲んだり、近況を話し合ったりで、それができないなら意味がないし帰らないという人がほとんどだと思う。
でも今回の帰省モドキを実行してみて、感染リスクを限りなくゼロにしても、達成できる何かも存在すると思った。
「帰省」とひとくくりにして非難したりするんじゃなくて、その人の家族の在り方も、帰省の仕方も、それぞれオリジナルでやりようはあるんだと少しでも考えることができないだろうか。
感情のままの日記なので、匿名とはいえキモい文章になっていることを謝罪したい。
帰省を終えた私が一つだけ気がかりだったのは、施設の職員に託した祖母への手紙と写真、あとその日スケッチブックに書いた「おばあちゃん大好きだよ」「いつまでも元気でいてね」のメッセージだった。
手紙と写真が入った封筒はアルコールで軽く拭いたけど、スケッチブックからちぎったページは拭いていなかった…!
なんて最後まで気にしていたが、2週間以上経った今も幸い感染の知らせはない。逆に言うと、そのスケッチブック以外は心配になる要素はまったくなかった。やりようはある。「感染拡大防止を徹底しながら」家族の顔を一目見る方法はあると思う。
100人を超えていた新規陽性者数は今、さらに2〜3倍を推移している。
1日も早い収束を願ってやまない。
何が文化の盗用かというと、
手話を学んだ先にあるのが、
聞こえない人に気を使ってるアピールを、聞こえる人にやっておしまいな所。
何が抑圧なのかって言うと、
聞こえない人が可愛そうだから学んであげてる、っていう所。
聞こえない人を下に見ているし、聞こえない人も、あ、この人わざわざ私達のために手話勉強してくれてるんだやったーみたいな演技を要求されること。
聞こえる人が手話を学ぶことがだめなんじゃなくて、
だったら筆談で良いやってなるわな。
まず、文化の盗用、と主張するに足る背景がある、認識している当事者や賛同する人達が、もともと結構いるのよね。
それはお辛いでしょう
「補聴器や人工内耳があれば、手話は必要ない」「手話を使うと日本語を覚えない」みたいに言われて育ってきた聞こえない人は沢山いるし、
大変でしたね
結構なことです
続き)人達がいて、過去の同じ様な人達の活動により、街中で手話を使って話すだけで奇異の目で見られることは少なくなり、
大変でしたね
ただ、手話が一般的に普及していくのと同時に、まず最初に、聞こえる人が覚えやすい手話表現が広がった、という問題があったんですよ。
それを問題と言われても
何が問題なんですか?
アニメで日本語に触れる外国人は「キサマ」とか変な二人称から覚えるし、「アラアラ」という言葉をセクシーな年上女性と結び付けています
そんなもんでしょう
それはそうでしょうけど
それを、どこまで許容するかってのは議論があって…(続
聞こえない人が使ってる手話表現こそが正統派って思ってる人から、いやー少しくらいヘンテコでも手話が広まる方が大事だよーって人まで、いろんな考え方の人がいるんですよ。
その二者って衝突してなくない?
「普及は大事」「このバージョンが正統」これ衝突してないよね?
え、お話一通り終わり?
何がどう複雑であるのか、健聴者が手話学ぶことの問題が那辺にあるのか、お話聞いてもさっぱりわからなかったのですが
どこかで示されていましたか?
まとめると
1~4は「手話はこんなに抑圧されてた歴史がある!」というお話なんですよね。
はあ。
大変でしたね。
同情します。
でもそれが
本題である「健聴者のガキが手話を学ぶことは不当である」「文化の盗用である」という主張をどう後押しするのかさっぱりわからないんです。
本当にこれだけなら、ただの未整理のモヤモヤしたお気持ちの八つ当たりに見えるのですが…
5~7は「健聴者の手話には独特のクセがある」「それをどこまで許容するか」というお話。
はあ。
そりゃ聞こえない人と違うクセが出るんだろうなってことは言われるまでもなく想像できることですが
それの何が問題なのか、なんで許容するとかしないとかいう話になるのかがわからないんです。
中国人の日本語は独特のイントネーションや助詞のクセが出ますが、「それをどこまで許容するか」なんて話しますかね?
もちろんあまりにクセが強くて意志疎通出来ないとか、凄く失礼な雰囲気になってるとかで、「ここはこう治した方が役に立つよ」ってことはあるかもしれませんが
そういう話じゃあないんですよねえ。
じゃあなんなんですか?
8~9は、何も衝突してない2つの立場が対立的に書かれてるのでこの人大丈夫かってなります。
「Aが正統」と「Bが正統」なら戦争ですが、「普及は大事」と「Aが正統」は何も衝突してない。
さらに問題を複雑にさせてると思うのは、長いあいだ手話がしいたげられてきたからか、聞こえる人の手話感におもねる判断や行動をする、聞こえない人がけっこういまして。
少なくとも解決は聞こえない人の精神変革でしか達成しないですよね
おもねるのはやめよう!おわり
この人どうも「問題は複雑」って言うのが好きみたいなんですが、書いてること見る範囲ではそんなに複雑じゃないんですよ
自分が物事を整理整頓せずに思考してるだけなんじゃないんですかね。
文化の盗用って主張は、そういった聞こえない人達に対して、手話は自分達のものだよ!!って呼びかける意味もあったりするのよね。
はあ?
聞こえない人達に、「聞こえる人へおもねる必要はないでしょう」と呼び掛けるべき話を
聞こえる人達に、「手話を使うな!文化の盗用!」と言う。それが何故なのかがわからないんです。
例えば、年配の人に多いんだけど、普段はとても魅力的な活き活きとした手話を使う聞こえない人が、
痛ましい話かもしれないけど
それって聞こえる人間が手話を勉強しようとしたことが悪いんですか?
って聞くと、えー?ただ単に初心者向けに、わかりやすく表現してくれてるだけじゃないの?って思うかもしれないけど、そうじゃないの。
手話は文化であるって主張する人の本とか読んでると、聞こえる人が使う手話のほうが正しい表現だと思っていた、ってエピソードはわりとでてくるのよ。
それ聞こえる側にどうも出来ない問題ですよね?
その問題は「聞こえない人がちゃんとしよう!自主性を持とう!」 としか言いようがないことでは。
むしろ手話教室に出席しにきた聞こえる人達は生徒として教わる側なので
「あんたたちに教えてる手話は実はあんたたち向けに文法変えてるんです」とかも、言ってあげないと困るじゃんわかんないんだから。
彼等彼女等に何かできるの?それ。
はあ、大変でしたのね
でもご説まるまる拝聴しても
結局何が「文化の盗用」なのかさっぱりわからなかったんですよ。
耳聞こえるガキが手話勉強したことの何が問題なのかも結局全然言えてないですよね?
手話界隈のTwitterをゆるく眺めてる人としては、「お、また、いつものやってるな」って感じだったけど、話題が大きくなったので、
っていうから長々読んで、結局これだぜ
→さっぱりわからない
→さっぱりわからない
アホちゃう?
主張を~
ま・と・め・ろ!
これが基本形。な。
ポエムはどうしても書きたいなら基本を済ませた余白で書け。
なんでいっちょ噛みして「自分の言葉で語ってみます」からの、長文費やしながら全く何への説明にも回答にもならないポエムなの?
それってバカじゃん?
でさあ、この人個人がどうこういうより、このタイプのバカが多すぎない?世間。
私はバカだと思った相手について、相手が何故バカなのか、どうバカなのか、
逐一当人の言葉を引きながら、ちゃあんと理屈で説明してるでしょう。
私へ異論反論したい人は「待て、ここの論理がおかしい」「ここの前提が間違いだぞ」って簡単に反論出来るんですよ。
(まあ本格的バカはそれすらできないので「こいつなんかムカチュク!」という概観的お気持ちを喚くだけで終わりですが)
おバカさん全体に言いたいのは
「自分の気持ちを上手く表現できる言葉が出てくるまでもうちょっと考えてから言葉にして、文にしようよ」
ってことなんです。
全然理屈が整理できず論理も通ってないまま」「文化の盗用」みたいな大雑把なバズワードだよりで発表するなと。
自分が整理する気ないだけなのに「問題は複雑で~」とか言って投げっぱなすなと。
口での会話なら頭の回転とか語彙力とかでその場で上手く出てこないってのはある、それは酌量しますよ
でも文で発表してるのにお気持ちそのままボヤボヤ思考そのままで論理がなんにも通ってないのは甘えだと思うんですよ。
私は表面的にはちょっと口汚いけど、それなりに礼儀正しく書いてるんですよ。
お前のその整理されてないお気持ちや全くまとまってない思考をそのまま他人様に見せるなと。
つうか、よくそんな脳内がゴミ屋敷のような状態のまま生きていけるな、気持ち悪くねえのかなってバカを見るたび思います。
oka_mailer 知らない事ばかりだった。こういう背景を理解しないで「文化の盗用」に文句つけても話にならんわな。
2020/07/31
これ全く栄養の無いスナック菓子みたいなコメントですけどこれが1位なんですよ。
誓ってもいいですけど、こんな無内容なこと書くの、別に何もわかってないし、何も理解してないし、
そもそも読んだもの咀嚼して自分なりに考えるということすらしていないんですよ?
全然脳細胞動いてないけど、なんか殊勝で感心な態度に見せるテンプレートを使ってるだけ。
そして同じぐらいのレベルの人たちが「立派な人だ!」って☆を付けてトップにするわけ。
「うーん、もんだいはふくざつなんだ!」「しんしなたいどがだいじだ!」
全員なんにも考えてない。
考えること頑張る前に、”殊勝に見える仕草"だけ身に着けたんだね。
ゾンビみたいだよね。
こう挑発しても誰一人として意気地を見せないですよ。
ponpon_qonqon おまえも反論できてないじゃん。
私は「こいつらは何を主張してるのかすら不明」と言ってんのに反論出来てるわけないじゃん。
1.一行目と二行目繋がってなくない?
2.その押し付けについて、「ガキが給食中黙って会話出来るように手話を学びましょう」って話がどう関係してくるの?
あの小学校のガキが手話でコロナ飛散を防ぐと(そこまで上達すると思えないけど)、聾者が口話法手話を押し付けられて混乱するの?
なかなかにすごいバタフライエフェクトだけどそれちゃんと検討してから発表してる?
3.あんたのその主張はかなりチョウチョが飛び回ってるけど、少なくとも一つの反論可能な主張ではある。
元のカッキー氏やさらに大元の文化人類学者氏はそういう一定の主張すらちゃんとやってなくて、何が何だか全く分からない。
「文化の盗用」というコンテンツ不明のバズワードで威嚇し、そのワードの定義は何だと聞かれると怒るという糞仕草をいい加減にしてほしい。
maruX 全く持って分かる気がないくせに、自分に分からせろ自分が分からなければお前の主張は論理的でないという良く見るやつじゃん。「ガキ」呼びといいあらゆる方向に敬意がない酷い増田。
2020/08/01
どうダメなのかこれだけ粘着長文書いて説明する人間に「分かる気がないくせに」ィ?
失礼ながら、どんな話題についてもあなたよりは真剣に分かろうとして読んでると思うよ。
maruX 2020/08/01
意味わかんね~~~~ ふわっふわ。
でもこういう「何となく殊勝な感じに見える態度」を取ることにだけは長けてる感じがすごい伝わってくるよね。
何故直接聞いたらいかんのですか?簡単に聞けるツールと環境があるのに。
聾者様に失礼だぞみたいな話?
この「なんで?」はしーらいおにんぐに当たるんですかね?
ちゃんと根拠と思考を持って発言してる人ならノータイムノー負担で答えられるようなことしか聞いてないんだけど。
これぐらいが不当な問い詰めだと感じる人は自分の脳のフローを見直した方がいいと思うんよ。
otihateten3510 なげーよ。
なげーなすまん。
それならそう書いてくれりゃいいと思うけどね。(もちろんその危惧の妥当性は検討するし怪しすぎたら突っ込むけど)
そういう風に何かをはっきり書くこともなんか避けてねえ?
rci 聾者よりも健聴者の数が圧倒的に多いから、でしょ。そのせいで、本来は聾者のものがどうしても健聴者に乗っ取られがちになるということが、この増田はなぜわからないのだろう。
2020/08/01 リスト
健聴の手話利用者が聾の手話利用者を上回るなんてまるで考えづらいねというのがまず一点。
そんでカッキーさんはあなたのようにはいってません。抑圧の歴史があるせいで聞こえない人が卑屈になってしまいがいなのが問題だといってます。(手話人口が逆転するなんて仮定は荒唐無稽なので採用しなかったのかもね)
このところずっと落ち込んでいた、九州の母親の安楽死が滞りなく終わった。死にたいという言葉を聞いた時はとても驚いたが、万人に認められている権利だから、役所に申請した。母は足が悪いので、役所の人が自宅に書類を持って訪問と聞き取り調査をしてくれた。母は会話能力が落ちている。耳が遠いので話しかけられてもろくに聞こえない。それに発声時の滑舌が悪い。だが視力には問題無いし頭もハッキリしているので、筆談を交えながら役所の人とコミュニケーションがとれた。申請してから二週間足らずで、処置が可能な病院の紹介をしてくれた。
葬儀の手続きなど色々な連絡が済んで、ひと息ついていたら母の荷物を整理している家族から電話がかかってきた。しかし号泣していて要領を得ないから家に向かう。
家に着いて、泣いている家族から話を聞き出す。要点をまとめるとこうだ。
「お母さんの日記があった。『顔のシミが大きくなった事が不満だが、○○が美容手術を申し込んでくれた。手術の同意書を書くのは面倒だったが、○○が手伝ってくれた。足は悪いけど、シミが無くなったらたくさん出かけよう』という内容だから、お母さんは死にたかったんじゃなくて、顔のシミを気にしていただけだった。」
その後は、確認不足で申請を受理した役所を訴えるとか、医療ミスとして病院を訴えてやろうとか散々喚いていた。
仕方ないので、日記を処分してから家族の事を役所に申請しようと思う。「母が言っていたのは『死にたい』じゃなく『(顔に)シミ(がある)たい』だった」なんて過激な妄想を口にしていると理由を添えれば、きっと受理されるだろう。精神が錯乱していると役所も判断しやすい。ああ、「母の死がショックで、自分も死にたくなった」もきちんと添えないといけない。安楽死反対活動をしている人だが、SNS上で母の安楽死が認められてショックだと投稿しているから、それも判断材料の一つになるだろう。なぜかは知らないが、安楽死反対活動家が目立った活動をするとすぐ活動家自身の安楽死申請が通るみたいだし。
万人に権利が認められている、良い世の中になったなあ。
あくまで自分のケースについて記すものであって必ずしも一般論ではない.
結論から述べると,常に「症状が出るかもしれない」と身構えていなければならないことがつらい.
そして「症状が出ると恥をかく」という恐怖が常に頭から離れないことがつらい.
吃音とは,発声しようとした時に「あああああ」と同じ音を繰り返したり,発声しようとしても意図した音が出せない症状である.
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という押見修造作の漫画がある.
本作の冒頭で,彼女が教室で自己紹介をする際,自分の名前の「大島」が言えず,ただ「お,お,お」と繰り返し,結局自己紹介できずに終わり周囲から笑われる場面が描かれている.
詳細は本作を参照してほしいのだが,自分の症状はこのような場面でこのように生じる.
自分の場合は住所,勤務先の企業名,出身地の県名,卒業した学校の名称など,自分に関すること全般がとっさに出てこない.
なんなら家族の名前すら怪しい時があるし,もっと言えば自分が好きなアニメのタイトルすら上手く言えなかったことがあった気がする.
この現象の問題は,この症状がいつ出るか分からないことである.
「常に100%の確立で発声できない」のであれば常に紙とペンを携帯して筆談を行うようにすると思う.
しかし,場合によっては全く症状が出ない時期がある.原因は全く分からないが,突然自分の名前や所属をスッと言えるようになる時期がある.
そして原因もわからぬまままた症状が出るようになる.
自分の場合,大体2,3週間周期である.今はまぁまぁの調子であるが,どちらかといえば下り調子である.
自分の人生において何度もこのような時期を経験し,吃音が治ったと「ぬか喜び」をさせられてきた.
そして今に至るまで症状は出続けている.
結果として,「自分はどもるかもしれない」という認識を常に持ったまま生活しなければならない.
他のことに例えて言うなら,人と会う度に「この人に殺されるかもしれない」と身構えながら接するような状態である.
大げさかも知れないが,初対面の人だと割とそれぐらい緊張しながら人と話している.
この「どもるかも知れない」という認識そのものが吃音を引き起こす原因だと薄々気付いている.
なぜ自分がこんな目に,と思わない日はない.しかし,完全に発声できない訳ではないし,調子がいい時は何の問題もなく生活できる.
恐らく本当の問題は自分の認識の問題である.「どもってもいい」ぐらいに開き直れたらいつの間にか治るような気すらする.
しかし,これまで吃音で恥をかき,チャンスを逃してきた記憶がそれを阻んでいるように思われる.
齢30を過ぎた身で情けないのだが,まだ解決には時間がかかりそうである.
ここまでつらつらと自分が吃音で何がつらいのかということについて記した.
必ずしもすべての吃音持ちの人に当てはまる訳ではないだろうが,周囲に吃音で苦しんでいる人がいれば参考にしていただけば幸いである.
なお,文中でも紹介した「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は暗い話一辺倒ではない.
田舎から深圳とかに出稼ぎに来てる姑娘と意気投合。週末一緒に遊んで、日本円で3,000円の人民元をあげる。彼女らの月給くらいかもしれない。
彼女らは、裸に、せっくすに、日本人と比べて何もない。日本人が過剰な気もするけど、それはそれで良いものだし。
姑娘がおしっこするー。と、トイレに後から付いて行ったら、洋式便器に立ってしてた。ふつーにしてた。並んで僕も立ちしょんしようと思ったら、おちんちんおきくなって、できなかった。你好トイレである。
姑娘は脇毛は剃らない。けど、日本人と違って直毛のさらさら。体毛薄い。全然陰毛もはえてない姑娘もいる。
おちんちんは雑に扱われる。舐めてはくれない。目は開けてる。せっくすはたのしいもの。ノーマル状態だと無臭かちょっと汗くさいから、良い匂いで洗って(日本のシャンプーとか〕仕上げてあげる。最中、中国語で言ってくることは「私を好きか」「他に女友朋要らない」くらい。
姑娘「中国語でせっくすって何て言うか知ってる?」
僕「知らない」
姑娘「イ故愛。つぉーあい。言ってみて」
僕「つぉーあい」
姑娘「( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」
筆談で会話。姑娘、漢字書けない時がある。日本人は簡体字はルール知れば読める。
ベッドのシーツの上で裸で(日本人はガウン着るよね)、窓から月明かりか蛍光灯の外灯か、白い肌が青白い。
姑娘「また大きい」
僕「シーツ濡れてる」
姑娘「なんだろ。知らない、いいのよ」
エッチな気持ちだとバルトリン線液が出るとか知らなそう。くんにすると最初は興味本位だけど、やっぱり気持ち良いし、「おしっこでる」ってときに「めいよーうぇんちー」とか言えば、ちょっと恥ずかしそうにする娘も僕の頭押さえる娘も、ホテルの人ごめんね。
ところで、中国のホテルは夜中にドアが叩かれ、ボーイが部屋のカップラーメンをタカリに来る。
お金渡すと、「買い物行って良い?」と食料品アイスクリームとか買って、タクシーでボロボロの集合住宅ついて行くと、真っ暗な部屋に大人子供が隙間無く寝てて、先に戦利品な配布。とか。
せっくすに的に刺激が無いから、中国の大学に留学してる日本人女学生を言葉巧みに誘い出し、三人で部屋で裸になっても、女の子同士で話し合って、おちんちんは放置。女学生処女で、いやもう処女とか価値観無い。トイレもドア開けたままだった。大っきいほぅも平気って。わざわざしないけど。
その女学生の部屋に行ったとき、女学生は部屋に上がるとブラを取ってジーンズ靴下脱いだ。僕も自分の部屋では、シャツとトランクスだからな。
大きな部屋に数十人の障害者がぶち込まれているよくあるパターンの特例子会社で、入社した会社としては初の試みだった。障害者雇用率が全く達成されておらず、問題になったため急ごしらえで部屋を作成し、いろいろと用意してから4月1日より何はともあれのスタート。福祉のバックグラウンドを一切持たないこんな業務に飛ばされたかわいそうな健常の社員たちと、幸いにして職を得た障害者たち。様子見の緊張感がある初日だった。
私は障害者枠の正社員として採用されてその部署に入ったけども、残念ながら初日から「ああ完全に隔離部屋なんだな」と改めて感じさせられた。ほかの部署との接点はないし、同期が誰なのかはいまいちわからない。研修制度もあるにはあるが、健常の新卒一括採用に最適化された内容で中途の障害者にはまるっきり向いていない。視覚と聴覚が隣同士になり、視覚が聴覚に話しかけるも聴覚は聞き取れず、聴覚が筆談をしようにも視覚は見えない。そんな世界をオブラートなしに突っ込んでいく発達。なかなかスリリングな空気が広がる。そんな中福祉出身の支援者はおらず、慣れない健常の社員たちが対応する。かろうじて福祉のバックグラウンドを持つ私が障害者でありながら障害者のケアをしながら走るという状況からスタートした。
そんな状況で数週間もたち、業務もある程度割り振りが決まっていく。私が担当することになった業務は障害者の採用担当。相方は発達のおばちゃん。人柄は幸い悪い人ではない。上司は前回障害者採用を担当した人で、現場を見に来るわけでもなく電話とメールで指令が飛んでくる。ほかにも一応責任者という名の人たちはいるが、部屋に来ることはない。どうやら上は、障害者が障害者を採用し障害者部屋で障害者同士サポートさせるという完全な閉じたテラリウムでも作りたいのかなと察する。優先すべきは雇用率の達成で、それ以外では誰も接点を取りたくはないのだろう。まあわからんでもない。
そんな中、業務がどんどん偏っていく。
発達のおばちゃんは外電ができない。受電もたどたどしく、見知らぬ相手への採用関連の架電なんてとてもできそうにない。外部からのメール対応すら難しいくらいだ。幸いにして事務処理能力はちゃんとあるのでファイリングをやってもらう。しかしながら発達の特性でミスがあるので私も油断ができない。本人はできるということも実はできないことが多い。期待はしてはいけないとわかり始める。
見学や面接に来る障害者と支援者たちの対応は私に偏っていく。なぜならおばちゃんはネットで前もめた人が多いらしく、彼らからの応募があるたびに休憩室(最初なかったので提案して作った)へこもって逃げるので任せられない。私がやる業務が増える中、おばちゃんは悠々自適の生活を満喫する。上司でもない私が割り振れる業務にも限界があるので強くは割り振れない。だが本人からは自分がやりますという発言は出ない。毎日情報収集(という名のネットサーフィン)にいそしみ、ネット掲示板でいかに障害者が行動しているかを逐一楽しそうに報告してくる。朝は遅刻し、昼はいなくなり、定時前から準備し帰る。私は時間外にならないとつながらない相手に電話をかける。そして給料はおばちゃんのほうが高い。なぜならそういう仕組みになっているからだ。
上司は残念ながらこの状況に対して対応する気はなかった。正確にいうと対応する気はないわけではなかったが、割り振った業務もおばちゃんにはできなかった。仕方ないから結局私になった。そして私からの不満に対し上司は途中からうんざりしはじめた。わからんでもない。おばちゃんは性格は悪くない。一週間、40時間の労働時間のうち3時間程度は働くのだ。そしてそれを持っていく先が上司。上司からしてみたらなんとなく仕事をしているように見えるんだろう。なぜなら彼は現場に来ないので現場で何が起こっているか知らないので。もしくは私も障害者なので、私が被害妄想でも持っていると思っているのだろう。私ともかかわりあいになりたくないのかもしれない。
それでも採用活動は継続しなければならないので対応していく。見学会におばちゃんともめた人がエントリーしてくるたびにおばちゃんが逃げる。内定を出した後に後出しのようにこの人実は前もめた人ですと言われる。狭い世界なのだろうか。それともおばちゃんが広すぎる交流範囲を持っているのだろうか。いろんなスケジュールを調整しやってきた仕事もちゃぶ台返しが続く。私のイライラも高まってくる。上司はなお業務の割り振りについても人員の交代についても対応する気はない。だっておばちゃん、人事がやりたいっていってるんだもの。本人の希望を優先してあげなきゃ。いくらなんでも向き不向きってあんだろう。
一度たりともミーティングなんて持たれてない上司との会話から戻ってきた私に、だだっ広い部屋で周りの人間が聞いてる中、おばちゃんは如何にトラブルを起こした相手が悪いかを力説してくる。いざとなったら周りが守ってくれるこの職場は本当に最高だと満面の笑みで喜ぶ。笑顔で語りかけてくるおばちゃんによかったですねといいながら私も笑って対応する。
10人弱の障害者を2か月強の間に採用し、一度業務が落ち着いた日、私は業務を交換するというテロに出た。表向きはお互いの業務を一度交換することでお互いに業務を覚えたいと思います。私は久しぶりにゆっくりとコーヒーを入れて福利厚生の雑誌を読む。おばちゃんは大げさにわかりやすく頭を抱えてうずくまり、新しく来た福祉の相談員と相談し消えた。外電は鳴り、メールは届く。私は対応しない。なぜならその業務はすでに交換したのであって、私の業務にそれらは含まれていないからだ。
上司の上司が私のところに来る。これで回るんですか。私も乾いた笑顔で答える。わかりません。
なぜ同じ障害者なのに私だけがこの対応をしないといけないのか。配慮というのは何なのか。私も障害者で同じ立場なんだが。雇用率を下げないよう非正規身体の人の不平不満をなだめすかせ、非正規精神の人の相談を聞き続ける。雇用率を上げるため採用業務をやる。定着率を向上させるため障害者のための将来に関係するものを作成していく。障害と戦いながら仕事をしつつ自腹で大学院まで出た私の給料は健常の新卒大卒と同程度に安い。そして目の前にいるおばちゃんよりも年収で100万弱安い。なぜならそういう制度だからだ。
特例子会社という場所は玉石混交で中にいる人間のレベル感は差があるのが実際のところだと支援者がなだめる。まあそうだろう。わかる。私の怒りはどうにかなるものでもない。なぜなら障害者を雇用するということに対して会社もこの場にいる人間も誰も慣れていない。誰かがどこかで我慢をすることになる。スタートアップなんてどこもそんなもんだ。そしてそれが私になっているだけの話だ。
だからといって頭でわかっても私の心は納得できない。一方的な我慢の押しつけで回る現場なんてのは一度崩壊したほうがいい。
長過ぎて読まれない。
でも、まあ自分の記憶整理の側面もあるんで、いっかな、って感じ。
長い旅行記は後でアップするんですが、長過ぎて読まれないので、一応、ヘッドライン的に気づいたポイントを先にアップします。
近いから一回行ってみたほうが良いと思うよ。
ちなみに韓国の整理は自分の中でついたし、出逢う人はおおむね親切(おせっかい)だったし、良い旅行だったけど、なにか強烈に特別な韓国ファンになった訳でもまたない。
次はどこいこっかな。
( 2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
戦争で生まれた兵器の再利用。「魔法少女特殊戦あすか」的な感じ。戦争のため、魔法によって生み出された兵器「妖精兵」がテーマ。戦争が終わり御役御免なっちゃったので新しいお仕事を探す羽目に。存在自体が違法扱いになってるところや、体よく利用される姿は「PSYCHO-PASS」みたいな感じ?特に本作は2話から公安の職員としていろんな調査に駆り出されるところも刑事ドラマっぽさを感じる。でもあっちは「一般人」と「サイコパス」がグラデーションであるという点で明確に異なる。
なんかファンタジーモノやりたいね→パーティ全員暗黒騎士って面白くね?→でも悪魔(邪神)って何なん?→いっそ妖精にしようぜ→じゃあそれで とのこと。グリムガルとの関係でお世話になった十文字青がシリーズ構成として参加していたり、劇伴をノーネームが担当していたりする(ちなみに制作はグリムガル:A-1 これ:PA)。作中で挿入歌を流す演出も健在。あれめっちゃかっこいいよね。こないだニコ生ライブ見たけどめっちゃ凄かった。
世界観はグリムガルと比べてリアル寄り。「妖精にまつわる部分のみファンタジーだけど、それ以外は全部現実と同じにしたい」というコンセプトらしい。一応、ちょい昔の西欧が舞台。背景はいつものスタジオ・イースター。美術監督は東潤一が担当。相変わらず石畳がエロい。キャラクターデザイン、衣装、小道具まですべてリアル志向。非常に印象的なのが、ボルトアクションライフルを撃つたびリロードする主人公。ほぼすべての射撃シーンにてリロードモーションまできっちり描かれている。手での操作も排出される薬莢も、SEも明らかに拘ってて「ここはファンタジー世界じゃなくて、僕らの知ってる世界線なんだぜ」っていう暗示みたい。
その妖精だけど、あんまり可愛くない(人間に宿る前は可愛いんだけど)。「あ!こいつあのゲームで戦ったやつだ!」みたいな禍々しいデザインで、それこそ妖精というより悪魔みたい。こいつダクソにいなかった?
監督が「JOJOの奇妙な冒険」でお馴染み鈴木健一なので、戦闘シーンはスタンド使い同士の戦いに近い。ただ「ダイヤモンドは砕けない」以降に見られるような「主人格の心を反映した能力」みたいなやつではなく(妖精だからね)、より直接的な戦闘能力を持ってる。殴るのが強い、衝撃波でぶっ飛ばす、強力な弾丸を放つ、暗殺する、etc。作中で妖精の能力は詳しく解説しないので、公式サイトを見てね。JOJOと決定的にに違うのは、人間自身も戦闘に参加していること。主人公はボルトアクションライフル、バディは双剣、フォーマンセルのときは+スナイパー、スポッター。3DCGでゴリゴリ動く妖精と作画でゴリゴリ動く人間の乱闘凄かった。
公式チャンネルでは解説動画シリーズ「ふぇありーんごー」を毎週公開している。まさかのいらすとやコラボである。内容はだいたいあってる。専用新素材もあり、ちょうど素材を切らしていたいらすとやフリークは要チェック。「仮にオーダーメイド素材を沢山使っても、必ず”いらすとやで再現してみたシリーズ”みたいな感じになる」という知見を得た。
もう一つの聲の形。ショートアニメ。制作はシルバーリンクとの共同制作でよく見るCONNECT。元請けは初?監督は「CHAOS;CHILD」「異世界食堂」とかでおなじみ神保昌登。ちなみに神保さんが来年のアニメ「へやキャン」の監督を務める(1期のOP絵コンテを担当したよしみかな)。
人と言葉で喋ろうとすると「はわわーっ」ってなっちゃうので、「もう一つの声」で喋る女の子のお話。「GO!GO!575」よりも575してる。余談だけど先のアニメ「かぐや様は告らせたい」では何気にセリフを575にまとめてテンポ感を出す演出を多用してたので、チェックしてみてね。
主人公かわいい。人前でしゃべれない割に575ならめっちゃ積極的になる感じ。あとセリフがないぶん表情で魅せてくる。笑顔がかわいい。あのちょっと抜けてるとこが良いよね。声は花澤香菜(ファルセットの方)。最近は地声増えてきた印象。パンドーラとかよりもいとかはたらく細胞とか五等分とか。声でいうと先輩を演じる矢作紗友里の矢作紗友里感が非常に強い。ここ最近で一番ツッコミがキレッキレ。
毒島くんに限らず、口下手なキャラと主人公の対比良いよね。筆談(しかも文字制限あり)で思いの丈を全部喋っちゃう主人公が羨ましい。
はるか昔から語り継がれるゲーム原作。エグゼクティブプロデューサー:志倉千代丸。というわけで平行世界を舞台にしたSFアドベンチャー。制作は去年「ISLAND」制作のfeel.。SFモノにご執心なのだろうか。
「2クール全26話のアニメでは、原作ゲームに出てくる全キャラ、全ルートを描いていく」と公式アナウンスがあった。1話は伏線パート。印象としてはそれこそシュタゲみたいなガチガチのSFやんのかなー、的な。「もし平行世界に干渉すると、何が起こるんだろう」みたいなところを掘り下げていくお話。時空を操る系主人公の中ではトライアンドエラー方式を採用してて、よくわかんないけどやってみっか!精神に溢れている。ISLANDのセツナより前のめりな主人公。その割に言い回しがクレバーなところが好き。
feelということで、キャラデザは「この美術部には問題がある!」の人。ジト目かわいい。そして何かとfeel作品と縁のある小澤亜李。この美(主人公)、ヒナまつり(主人公)に続き本作で表題のヒロイン役。1話で四散しちゃったけど再登場は暫く先とのこと。
監督は「ゼロから始める魔法の書」監督の平川哲生。多分本作も監督とシリーズ構成を兼任してるみたい。ゼロ魔でも見られるような女の子とノリの良い掛け合いすき。ちなみにゼロ魔並みに涼しい顔して下ネタを自重しないスタイル。
あと2話の「民主主義は手順の政治よ。事後承諾なんてもっての外だわ!」のパワーワード感が強い。先のクールで社会派パワーワードを連発したアニメ「えんどろ~!」に引き続き、今期のMVPはこれかも。
視聴者参加型総合エンターテインメント。アイドルたちの青春を描く。そしてジャニーズのキンプリとは関係がない。本作はプリティーリズムシリーズの系譜にある作品。
・現在、その後継シリーズとしてプリチャン(2期目)が放送中。
で、プリリズのTVシリーズ内で登場した男性アイドルグループを主人公とするスピンオフ作品がこのキンプリ。元々は劇場公開作品で、2016年に劇場版1作目、2017年に劇場版2作目、そして現在3作目が公開されている。TV版の内容としては、現在公開されている3作目を再編集したもの。劇場版1話→TV版1〜2話相当?で合ってますか?教えてすごい人。なので、過去作を追いかけるなら劇場版を見ればいいはず。
そういうわけで、基本的に劇場版(とりわけ応援上映)として視聴者が参加することを前提に作られている。冒頭のアレとか。応援上映の様子が0話の中で取り上げられているけど、めっちゃ楽しそう。その気になればTV放送版でも同じことができるので、ライブシーンに出てくる主張の強い観客を参考に叫んでみよう。歓声の内容が具体的で草。
1話はざっくりこれまでのあらすじを追ってるので、初見でも大丈夫だった。2話はかなりヘビーな人間ドラマになってて、オケ中心のエモい劇伴も相まって見入っちゃう。やっぱり山ちゃんマジすごい。
すごい。あらゆる飛び道具を駆使して想像の限りを尽くした演出。というかカオス。演出は他のプリリズ作品に引き続き京極尚彦(「宝石の国」監督等でおなじみ)、乙部善弘、今中菜々。ショーをテーマにした作品だと「レヴュースタァライト」もミュージカル作品だけれど、あっちが舞台少女vs舞台少女のオーディションなのに対して本作はショーなので綺羅びやか。2話のショーは、散々悩み倒した末に見出した自己を表現するっていうシナリオの流れでめっちゃかっこよかった。
とうらぶっぽい聖☆おにいさん。人間に化けて人間界で生活する仏様の日常を描く。そのとき、聖☆おにいさんみたいなことが起こった。
DMMのゲーム原作。シリーズ構成がDMMつながりでとうらぶ(花丸)の脚本を担当した吉田恵里香。なんか花丸っぽさがある。
仏のお仕事を通して描かれる宗教観が面白い。仏教の勉強してないのでよく分かんないけど、基本は仙狐さんみたいに人間の負の感情を祓うお仕事。が、「何でもかんでも祓ってしまうのは良くない」というバランス感覚も同時に描いてて、改めてその宗教観に興味が湧いた。2話では動物園の倫理に触れてたり。でもあんまりシリアスに寄り過ぎない感じなので、日常アニメとして楽しめそう。IT音痴のおじいちゃんがいるのはまだしもデイトレはさすがに笑う。てかそのPCいつのだよ!
音楽は日常アニメですっかりおなじみ藤澤慶昌。ほぼ寺で日常生活してるだけなのに凄く風情がある音楽は「宝石の国」劇伴に近いものを感じる。
全体的に作画がかなり安定している。それこそとうらぶ(動画工房)くらい。制作は旭プロダクション(下請けでよく見るとこ)で、年1くらいしか元請け作品が無いようなところなんだけど、実は大手並みにマンパワーのある会社なのかな。最近だとかぐや様の千花ダンスに動画で参加してたりする。アクションシーンめっちゃ動くやん。
スマホゲーム原作。女子校の野球部をテーマにしたスポ根。まさかの硬式。硬球ってめっちゃでかいイメージなんだけど、女子でも持てるんだろうか?
1話のあらすじ…初心者が初めて野球に触れる→あれ、意外とおもしろい→みんなで同好会つくろ!→生徒会「不許可」→なんでー!? まで。生徒会のくだりまで1話でまとめたあたりに「王道中の王道でやってやりますよ!」という気概を感じる。
監督は「南鎌倉高校女子自転車部」の工藤進。両作品ともスポーツものとして序盤の流れは割と似てるけど、こっちのほうがガチ感が強い。ゼロスタートな部分は一緒だけど、
みなかま:「スポーツバイクってどういうもの?」という初心者向け(そういう趣旨のCパートもある)。最終目標が自転車部としての活動継続。
「野球を楽しもう」という角度で野球部を描く作品ってかなり珍しい気がする。 女子x野球といえば「大正野球娘。」だけど、あっちは1話副題「男子がすなるという、あれ」の通り「男がするような野蛮な競技を女がするなんてとんでもない!」とか「今の時代、女性に学歴なんて必要ないでしょ?」みたいな時代の流れに対する反骨が一つの大きなテーマだったの対して本作はそういう路線ではなさそう。強いて言えばリトルリーグ時代の回想で男子についていけない女の子っていうシチュはあったけど、あれは「自分はみんなほど野球が得意じゃないっていうパーソナリティを持っているんだ、という自覚が芽生えるシーン」という文脈っぽいよね。男vs女という構図はあんまり前面に出さないスタイル。だからこそ敢えて硬式を選んだのかな。それにしても2話エモかった。得手不得手の話とか、自分の得意なモノを優先した結果楽しさを見失ったとか、「楽しい」という理由で集まり始めるメンバーとか。EDのマッキーエモい。やっぱりいい曲だよね。先のレイトン教授の娘さんもEDがマッキー作曲だったのでこれから徐々に見る機会が増えていく可能性あるかもね。
Netflix独占
癒やし全フリのストップモーション芸術。ショートアニメ。制作はドワーフ。
社会の中ですり減った心を癒やすリラックマ。仙狐さんで描かれている「リアルな社会人(男性)」とこっちの「リアルな社会人(女性)」どっちもわかり味が深い。仙狐さんがおばあちゃんなのに対して本作はむしろ立場が逆で、「あんまり言うことを聞かない息子」みたいな感じ。でも憎めない。
ストップモーションアニメとしてはかなりヌルヌル動いている。公式ようつべ動画でメイキング映像が公開されてるんだけど、それによると作品全体で約22万コマとのこと。制作に2年かかったらしい。表情も丁寧に作られててびっくりした。細かいジオラマも良く出来てるし、太陽光線の角度まで計算されている。主人公の表情も相まって夕方のシーンがエモい。EDのスキップめっちゃすごかった。
あだち充の漫画原作。冒頭からタッチのネタバレがあるので注意。タッチでおなじみの高校が舞台ではあるけれど、時代の変遷によってすっかり強豪ではなくなった野球部がもう一回甲子園に返り咲くために頑張るスポ根。同じ世界線とはいえストーリーにガッツリ絡んでくるわけでもなく、あくまでフレーバー要素に留めてるみたい。2クールくらい放送するのかな。
ナレーションが日高のり子さん。めっちゃ丁寧な解説が付いてるのでタッチ見たことない人も安心して観てね。本作における日高のり子さんは「この世界の母」的ポジなので、お母さんに見守られながら描かれる世界全てに優しさを感じる。お母さんかわいい。モブもかわいい。男子も女子もかわいいキャラデザ。強いて言えば新旧エース対決くらい?
中の人ネタで言うと、主人公兄弟(兄と妹)を演じるのが内田真礼/雄馬姉弟。最近かなり共演する機会増えたよね。自然な(コミカルな声調を抑えた)演技がリアルな学生の日常っぽくて好き。特に内田真礼はピーキーなキャラを演じている作品が多い印象だったのでギャップを感じた。本作は(しばらく)会話劇がメインなんだけど、漫画のコマをモチーフにした演出で時系列を行ったり来たりするシーンとかテンポよく話が進んでいく上に見てて楽しい。
回想シーンで言えば、冒頭の回想シーン。「ここは時系列的に昔の話ですよ」を表現する方法としてよく使われるようになった「16:9→シネスコサイズにアス比を変える演出」に対して、「16:9→4:3にアス比を変える演出」になってるのがエモかった。
ここに限らず、ちょくちょくタッチリスペクトを挟んでくる。ナレーションもメタネタをガンガン突っ込んでくるし、吹奏楽部の演奏とか(リアル世界ではありふれてる出来事なんだけど)あえてアニメ内でこれをやるっていうのがエモい(演奏は公式で募集をかけている。2話は青学高等部の吹奏楽部による演奏)。
ばあちゃんはもう90近い。
母親と離婚した親父とは定期的に飲んでて、その報告によるとしばらく前にばあちゃんはでかい病気をしてもともと耳が遠かったのに加えて脳もバグってしまい、
いとこの子供(中学生)と中学生のころの俺の区別もよくわかんなくなってんじゃねえかと言っていた。
ばあちゃんは保育園時代、共働きの親のかわりに毎日迎えに来てくれて親が帰ってくるまで面倒を見てくれた。
駄菓子屋に連れてってくれたりスーパーのメダルゲーム(100円で11枚メダルが出てくるジャンケンポンのやつとか)で遊ばせてくれたり卵を落としたサッポロ一番塩らーめん(世界一うまいラーメン)を作ってくれたりした。
小学校で引っ越して会う頻度が減ったけど、大学に入ってまた家が近くなったので久しぶりに会いに行ったら6歳のころと変わらぬ「ちゃん」付けで俺のことを呼んで「大きくなったねえ」と言っていた。
俺はばあちゃんが好きだったので大学時代はちょくちょく会いに行っていたが、行くたびに小遣いで1万円をくれるので正直たまに小遣い目当てで会いに行くようなこともあった。
大学を卒業してまた疎遠になった。その間にばあちゃんはいよいよ耳が2キロくらい遠くなり認知症で誰が誰やらわからなくなったと聞いた。
俺の話をして「中学は行ってるのかい」とか言ってたらしい。親父は「死ぬ前に顔見せとけ」と言った。
そんで今日、会いに行った。一時はちゃんと歩けないレベルだったらしいが最近リハビリを終えて小康状態に入ったらしい。
家に行ったらばあちゃんは寝ていた。
そっと起こして「俺だよ」と言ったらばあちゃんは曖昧な顔で「うん」と言った。耳が聞こえないからだ。
親父たちが筆談用に使っているホワイトボードに俺の名前を書いて見せたら、ばあちゃんは10年前よりくしゃくしゃになった顔をもっとくしゃくしゃにして「大きくなったねえ」と言った。
昔と変わらず世話焼きのばあちゃんは「いらないよ」と言ってる俺を無視して(聞こえないから)、きびきび立ち上がってお茶を入れてくれた。
歯がなくてやわらかいものしか食えないばあちゃんは、お土産のショートケーキをぺろりと食べた。
俺は買ってきた缶ビールを2本とばあちゃんが入れてくれたお茶を飲みながら適当なテレビを見た。
ホワイトボードに「元気?」と書いたら「元気だよ」と言っていた。
「昔はこんなに小さくておぶって駄菓子屋に連れていってね」という10年前にも聞いた昔話を2回くらいしてた。
帰り際、「またおいで」と言われたので「また来るよ」と言った。
多分聞こえていないので肩をポンと叩いた。笑いかけたつもりだけどちゃんと笑えてたかはよくわからない。
10年前、そして30年前と同じようにばあちゃんは家の外に出て手を振りながら見送ってくれた。
また行こうと思う。