帰省をした。
それでも帰省をした。
お盆が近づいている。
国や都道府県の判断を仰ごうにも「慎重に」「感染防止を徹底して」「自分も感染者かもしれないという気持ちで」など見飽きた言葉が並ぶ。
その結果大事な人が感染しても、感染拡大の犯人の一人になっても、家族が周囲から叩かれる結果になっても、自己責任だと言われている。
顔を見に行った結果高齢の家族が亡くなっても、顔を見るのを我慢している間に会えないまま高齢の家族が亡くなっても、自己責任だと言われている。
たとえば政府が「帰省を控えろ」「旅行を控えろ」と要請する中で帰省を敢行した人が非難されるのはわかる。
しかし、今の状況で政府の呼びかけを遵守する=「感染拡大の防止を徹底して動く」を実行した人が、運がよければ非難されず、運が悪ければ非難される。
第一波がおさまり、居住地の都市でも感染者が毎日ほぼ0とか1人とかになっていた頃、本当は会いに行く予定だった。
が、予期せず施設の面会が予約制になっており、予約が取れなかった。
嫌な予感がした。次に休みが取れるのは2週間後。
「すぐじゃないの」と母はこともなげに言ったが、保健関係で働いている私は「どうなっているかわからないよ」と答えたのを覚えている。
第二波は確実に来ると言われていた。しかし、私の勤務先のある自治体を含め、ほとんど何の対策もとっていなかった。
幾人かは「夏になれば収まる」とまだ信じていた。少しは国際ニュースを見てくれ。
2週間後。
毎日0〜2人で推移していたはずの新規陽性者は毎日100人を超えていた。
普段楽観的な地元の家族も、今はやめておいたほうがと言い出した。
推奨されない行為なのはわかっている。しかし「来月にしなよ」と簡単に言う家族に対して、緊急事態宣言がもう出ないとされている以上、来月はもっと悪くなっていると説明した。
私だって嫌だ。
私のエゴで会いに行ったせいで高齢者施設で感染爆発して、おばあちゃんが死んだり、他の誰かの大切なおじいさんおばあさんが死んだりしたら。
私の仕事の都合でしばらく会えなかった時、驚くほど認知症が進んだ祖母。
入院して、一時はベッドの上で拘束具をつけられたり、医師から胃ろうを提案されたりした祖母。
そのくせ、私が胃ろうに反対し直談判するために飛んで帰ると、途端にハチャメチャ元気になって好きなおやつを口からぱくぱく食べられるようになって、秒で退院をキメた祖母。
不安がっていた施設入所も、私がたまに会いに行くと嬉しくて泣き出してしまう祖母。そのたびに私も貰い泣きする。そのあと、誰彼構わず孫の自慢話をしてしまう、ちょっと困った祖母。
会いに行くのは私のエゴだ。
でも、私が会いに行くことは、祖母の健康維持の一つでもあると信じている。
それも含めてエゴだしナルシズムっぽいのは承知なのだが、高齢者の健康状態というのは本当にあやうい。
気の持ちよう一つで死んでしまうのだと、一度は死にかけの状態だった祖母(今はぴんぴんしている)を見て私は学んだ。
そして思春期に祖父を突然亡くし、その時生意気の盛りだった私は、たくさんの約束を守れないまま大好きな相手が骨になってしまう痛みを知った。その時、祖父の大切な相手でもある祖母にはできるだけのことをしようと心に誓っていた。
帰省をした。
前日の夜まで不安がって反対する母(常識人でよかったと思う)に次のことを約束した。
・マスクをする
・祖母の施設に着いたら、施設職員とは電話で会話をする(直接対面でしゃべらない)
・実家のある町の近辺には立ち入らない
・誰かと食事をしない。ていうか誰とも会わない
実行した。
駅を降りてからとにかく努めて沈黙し、コンビニで飲み物を買ったときにもお礼さえ言わなかった。(心は痛んだ)
私の地元には古い風習があり、「大晦日の深夜にとある川にかかっている7本の橋を一言も喋らずに渡りきる」「成功すればその一年健康な体でいられる」というものらしいが、ひたすら黙っている間その話を思い出した。
今ではやっている人がいるのかわからないが、その話を教えてくれたのも祖母だ。昔、実際にやったことがあり、隣に家族がいるにもかかわらず一言も話せず、寒く辛く長い道のりだったという。
一人で行動し、スマホもある中で一言も話さずにいるのは現代人の私にとってさほど苦ではない。
が、その話を思い出した私は、祖母と祖母の周りの人と、この地域の人と、私自身の健康のための壮大な願掛けにチャレンジしている気持ちに勝手になった。
面会時間は15分。
地元の駅からバスで移動した時間も含めて、市内の滞在時間は約30分。
やってよかった、と思う。
この話を周囲にした時、反応は芳しくなかった。
「新幹線のお金がもったいないよ」…個人的にはもったいなくはない。お金の話ではない。
「最初から帰らなきゃいいだけの話」…だから帰りたくないけどそう言ってる間に祖母が死ぬかもと思っての苦肉の選択なの。
ガラスの前に置かれた椅子に座っていると、遠くから職員に案内されて祖母が歩いてきた。
最近も小さな不調を繰り返して通院していたと聞いていたので、車椅子かなとも覚悟していたが、ゆっくり、杖もなしに、頼りない足取りではあるが歩いていた。
認知症があり、たぶん今日の面会の予定を聞かされていたとしてももう忘れているだろう。老眼鏡の奥の目がいぶかしげに細くなり、あそこに座っているのは誰じゃいな、とでも言いたげだった。
それがある程度まで近づいた時、私だとわかった瞬間があった。
ぱあっと笑顔になり、私の名前を呼びながら、踏み出す足が急に力強くなった。ガラスの前まで来ると急に眉根が寄り、なんでそっちにいるの、入ってこないの?と言いながらも、ああ来てくれてありがとうねと嬉し泣きを始めた。
私もぼろぼろと泣いていた。来てよかった。新幹線代なんかに変えられるか。
保健所で働いている同僚とも話したことがあるのだが、発声を伴う感染拡大はなんだかんだ大半を占めると思っている。
私は多少手話が使えるが、たとえばもし国民全体に広く手話が普及したりなんかして、口だけにとどまらないコミュニケーションが可能になればもっと色々捗るのでは?なんて個人的に思ったりもする。(マスクは透明なものが必要になるけど)
多分皆が迷っている帰省というのはこんなんじゃなくて、普通に家族と食卓を囲んだり、近況を話し合ったりで、それができないなら意味がないし帰らないという人がほとんどだと思う。
でも今回の帰省モドキを実行してみて、感染リスクを限りなくゼロにしても、達成できる何かも存在すると思った。
「帰省」とひとくくりにして非難したりするんじゃなくて、その人の家族の在り方も、帰省の仕方も、それぞれオリジナルでやりようはあるんだと少しでも考えることができないだろうか。
感情のままの日記なので、匿名とはいえキモい文章になっていることを謝罪したい。
帰省を終えた私が一つだけ気がかりだったのは、施設の職員に託した祖母への手紙と写真、あとその日スケッチブックに書いた「おばあちゃん大好きだよ」「いつまでも元気でいてね」のメッセージだった。
手紙と写真が入った封筒はアルコールで軽く拭いたけど、スケッチブックからちぎったページは拭いていなかった…!
なんて最後まで気にしていたが、2週間以上経った今も幸い感染の知らせはない。逆に言うと、そのスケッチブック以外は心配になる要素はまったくなかった。やりようはある。「感染拡大防止を徹底しながら」家族の顔を一目見る方法はあると思う。
100人を超えていた新規陽性者数は今、さらに2〜3倍を推移している。
1日も早い収束を願ってやまない。