あくまで自分のケースについて記すものであって必ずしも一般論ではない.
結論から述べると,常に「症状が出るかもしれない」と身構えていなければならないことがつらい.
そして「症状が出ると恥をかく」という恐怖が常に頭から離れないことがつらい.
吃音とは,発声しようとした時に「あああああ」と同じ音を繰り返したり,発声しようとしても意図した音が出せない症状である.
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という押見修造作の漫画がある.
本作の冒頭で,彼女が教室で自己紹介をする際,自分の名前の「大島」が言えず,ただ「お,お,お」と繰り返し,結局自己紹介できずに終わり周囲から笑われる場面が描かれている.
詳細は本作を参照してほしいのだが,自分の症状はこのような場面でこのように生じる.
自分の場合は住所,勤務先の企業名,出身地の県名,卒業した学校の名称など,自分に関すること全般がとっさに出てこない.
なんなら家族の名前すら怪しい時があるし,もっと言えば自分が好きなアニメのタイトルすら上手く言えなかったことがあった気がする.
この現象の問題は,この症状がいつ出るか分からないことである.
「常に100%の確立で発声できない」のであれば常に紙とペンを携帯して筆談を行うようにすると思う.
しかし,場合によっては全く症状が出ない時期がある.原因は全く分からないが,突然自分の名前や所属をスッと言えるようになる時期がある.
そして原因もわからぬまままた症状が出るようになる.
自分の場合,大体2,3週間周期である.今はまぁまぁの調子であるが,どちらかといえば下り調子である.
自分の人生において何度もこのような時期を経験し,吃音が治ったと「ぬか喜び」をさせられてきた.
そして今に至るまで症状は出続けている.
結果として,「自分はどもるかもしれない」という認識を常に持ったまま生活しなければならない.
他のことに例えて言うなら,人と会う度に「この人に殺されるかもしれない」と身構えながら接するような状態である.
大げさかも知れないが,初対面の人だと割とそれぐらい緊張しながら人と話している.
この「どもるかも知れない」という認識そのものが吃音を引き起こす原因だと薄々気付いている.
なぜ自分がこんな目に,と思わない日はない.しかし,完全に発声できない訳ではないし,調子がいい時は何の問題もなく生活できる.
恐らく本当の問題は自分の認識の問題である.「どもってもいい」ぐらいに開き直れたらいつの間にか治るような気すらする.
しかし,これまで吃音で恥をかき,チャンスを逃してきた記憶がそれを阻んでいるように思われる.
齢30を過ぎた身で情けないのだが,まだ解決には時間がかかりそうである.
ここまでつらつらと自分が吃音で何がつらいのかということについて記した.
必ずしもすべての吃音持ちの人に当てはまる訳ではないだろうが,周囲に吃音で苦しんでいる人がいれば参考にしていただけば幸いである.
なお,文中でも紹介した「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」は暗い話一辺倒ではない.
イメージトレーニングとかであらかじめ経験値を積んでおくのはダメなん?
ある程度効果あるだろうけど、結局、大体の精神疾患に言えるけど、「気持ちと気合の問題」なんだよ吃音は その気持ちと気合がおかしいから言葉が出なくなる。 逆説的に、吃音を気に...
吃音ってなんか、言葉の欠損みたいでかっこいいな 自分は微妙にどもるので、周りに自信のないキモい奴みたいに見られる。実際そうなんだけど どうせなら一言もしゃべれない方が良か...
片言の日本語しか喋れない外人の方が一切喋れない奴より好感度高いだろ
むしろ日本語が流暢に喋れるよりカタコト外国人のほうが好感度高い
逆だな、流暢に話す外人は外人枠から、外れるからイライラする
片言の言葉しか話せない日本人なんだよなぁ