「文部科学省」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 文部科学省とは

2015-07-02

メモ

京都大学同窓会京大ラムナイ)、ANA.Japanスターバックス コーヒー ジャパン Starbucks、Storm、McKinsey & Company、London Business School、Goldman Sachs Asset Management、TBS NewsTBSテレビ報道局)、アロマ マーメイド板野友美Tomomi Itano)公式ファンページ、CYBERJAPAN DANCERS、きゃりーぱみゅぱみゅ東京藝術大学あみあみ そくほう、Yayoi Oguma、森彩香阿部有加里- Piano宮村カンナ- Piano、ありよし なおこ / N music salon東京都 港区、relux、教えて!フェイスブック使い方!、しあわせ信州Lexus International風間ゆみヒップ千葉東京藝術大学版画研究室池上季実子名雪佳代(Kayo Nayuki)、安倍なつみ「光へ -Classical & Crossover-」、豊島岩白、静岡フルートアンサンブルアカデミー大坪理子- Piano舟山未紗- Soprano、Kaz Matsubara New page、山本ともみ- Trombone、公明党女性委員会、玖優、モデル 玖優、Saint Force、竹内結子浜崎あゆみayumi hamasaki)、あなたのお庭にリゾート・・・アトリエ悠庵、日本地域経済再生機構自由民主党東京芸術大学春香 (Haruka)、国境なき医師団日本国連広報センター (UNIC Tokyo)、吉高由里子、朝クラ(朝クラシックを楽しむ会)、Prime Minister's Office of Japan音楽家からの贈り物、日本赤十字社、会いに来るバイオリニスト阿部志織-violin、李明純- Piano別所亜久里(akuri Bessho)、絵師 桜小雪、Social Music Cafe村田綾星野和輝、王立音楽大学東京芸術大学大学院安田 衣里、みさわさやか- Piano松山真寿美- Saxophone、山下しおり- Piano、Tasukeai Japan 助けあいジャパン外務省長澤まさみ孫正義、Norika Fujiwara (藤原 紀香)、久留米苅原整骨院整体院(交通事故認定治療院)、オリンピッククラブBritish Airways、国際芸術連盟、NPO法人 NESげんこつ、土屋鞄製造所、革財布のお店mic&女子のお財布micsucco、Foxy Shot、東京2020オリンピックパラリンピック - Tokyo2020、小泉 進次郎、文部科学省 MEXT首相官邸焼肉 黒牛【代々木】、アクトハウス、誰でも行けるPhotoStudio【DIPS写真館】、岩崎宏美音楽家たちの晩餐会望月プロデュースCanonカノン〜」、おもしろ画像放送局横浜総合建設 株式会社佐藤合法事務所鈴木国語研究所、Takagi Business Planning、王立音楽大学いいね!ロンドン Like! LONDON、OTOME BIBLE投資銀行が教える!エクセルで学ぶビジネスシミュレーション講座、Party Press、美人スナップ、Royal College of Music、この画像の最良の推測結果: 大倉 忠義

2015-06-15

なんで国立大学ばかり槍玉に挙がるの?

文部科学省が、国立大学文系学部を削減しようとしている話だけど、

国立大学は、文系でもセンター数学理科を取らないといけないので、まだまし。

私立文系数学理科の成績を問わないところが多いので、理系の知識が欠落した人間でも入れてしまう。

国の立場で、あまり私立大学に手出しできないからそういう話になってるんだろうけど、

国立大学規制したところで、あまり意味がないと思う。かえってアカデミズムの衰退を招くだけ。

今、本当に必要なのは、行っても行かなくても就職関係のないようなFラン大学を潰して、

その代わり高卒や専門卒でも就職できるような環境作りだと思うけど。

2015-05-23

日本人の総奴隷化は進む

国立大学から文系学部が消える!安倍首相文科省文化破壊的“大学改革”(リテラ

http://lite-ra.com/2014/10/post-508.html

「金がないから稼ぐ学問だけ残す」…実に分かりやす阿呆理屈だ。額に汗して稼ぐなど、下僕に任せておけ。「なぜ稼がなくてはならんのか」「稼いだ金で何をするか」を考えるのが、主人の仕事だ。それを考える頭を失くし、金だけ儲けてどうするのか。その金を、海の向こうの主人に貢ぐのがせいぜいのところだろう。今回の方針は、実に亡国と売国の二重の愚行と言うべきだ。国家百年の大計を過った文科官僚は、未来日本人呪詛の的となろう。そのとき我々に呪詛するだけの頭と余裕があれば、だが。

理系文系の、あるいは自然科学人文科学の違いを、粗く粗く再定義すれば、それは「死物」を扱うか「生物」を扱うかの違いである

自然科学は、生き物であっても、多様性があり生きている対象そのままを研究するのでなく、生き物一般、物質一般に還元して、いわば死物とすることで初めて研究対象とする。一方人文科学は、一人一人の人間社会をそのままに把握しようとする。雑多なものごとを雑多なままに受け止め、受け入れようとする。

この二つの考え方の違い。すなわち、分析総合人間の脳には、おそらくその両方の世界把握・認識システムが組み込まれている。その二つを使い分けながら、世界認識しているのだ。

そして、死物を分析する自然科学が、必然的事象に対して従属的になるのに対し、生物を受容する人文科学は、必然的事象を支配し整理し再定義するのがその重要仕事となる。これを、叱られることを前提で言い換えれば、前者を奴隷の学後者主人の学となる。これは、一個の人間の中でもそうであるし(目の前のエサを捕える時は科学者に、未来について考えるとき哲学者に)、一個の国家においても、この二つが手を取り合っていくのが、あるべき/理想の形だろう。

人文科学を軽視すると、どうなるのか。国立大学から、人文系学科が消え、教授たちが消えていくというのは、どういうことを意味するのか。

我々は、今後世界議論し、交渉し、将来を見通してビジョンを語るための有力なツール思考手段とその訓練の場を、言い換えれば広義の哲学の場を、国家予算を傾注した最高峰教育研究機関から失うのだ。国の在り方を変えるような巨大な改革を成し遂げるためのツール、この国に生まれ育つ中で誰もが思考根底に置く言語文化のものを掘り下げ高めるための研究機関人間集団社会という複雑な存在を、ただ分析するだけでなく操縦し運営する方法論を探る場、それら全てを失うことになる。そして、それらについて先人が積み上げてきた知識の集積を活用できる人材活用する手段や場の全てを失うのだ。なんという巨大な蕩尽! そのおそるべき愚行の涯に、一体どのような日本が現出するのか。これはもはや、日本語日本文化日本という国自体の、敗北宣言に等しい。

「文(系)学部存在意義が分からない」?

一つ質問だが、文部科学省官僚たちよ。こんなことが分からないあなたたちではないと思うのだが、分からないのは本当に君たち自身なのか。それとも、「分からない」と言ってくる偉い方々に与える、適切な説明をただ見付けられずにいるだけなのか。もし後者なら、頼むからもう少し努力してくれ。君らの肩に日本がかかっている。もし前者なら……そういうことはあまり考えたくないのだが、それならもうこの国は終わりなのだろう。滅ぶしかないし滅べばよい。私はひっそりと、ただ自分の中で、私の知る日本を私が死ぬその日まで、大切に守ることにしよう。

2015-05-16

日本はいじめ大国って認識らしい


趣味中国語勉強してる。

よくアプリを使って中国人チャットするんだけど「日本はいじめが酷いんでしょ?」って質問が来る度にウンザリ

増えるどころかむしろ減少傾向にあると伝えても、ニュースで見ただとかドラマ映画で見ただとかで「日本いじめ大国」っていう認識はなかなか根強いらしい。

こういう質問が来るようになって自分でも調べるようになった。

まず、検索して出てくる見出しがこんな感じ。

認知件数18万5000件 8府県ではなお増加」

いじめ、前年度より12万件増加…文科省調査

学校いじめ認知件数、数字に大きな変化」

いじめ半年間で7万5千件…うち250件は命脅かす」

かなり、おどろおどろしい。

イジメ件数について2006年度に文部科学省が「発生件数」を「認知件数」に言い改めた事や、大津事件を受けて2013年いじめ防止対策推進法」が成立した事を前提知識として持ってないと、日本人であってもミスリード必至だと思う。

こんなニュース翻訳されて外国に伝わったら彼らが額面通り受け取るのは当たり前だろう。


中国人向けの日本語教材もいじめについて言及してるらしい。

いじめが酷いんでしょ?」という質問反論していると教科書写真が送られてきた。

いじめについて説明した文章で内容を要約すると

・「いじめ」の件数が前年よりも増えた

・小・中・高・支援学校の各件数と割合

いじめ内容とその割合

ネットいじめが増えている

報道をなぞった内容で確かに内容に間違いは無い。でも、上でも言ったようにこれを前提知識の無い中国人学生が読んだらそりゃそうなるなと。

著者は日本人だったので、もうちょっと詳しく書くか、それでは内容が教科書レベルに合わないのなら中途半端に書かないで欲しい。

教育現場積極的いじめ発見に力を入れはじめた成果が、逆にネガティブイメージを与えてしまってると考えるとやりきれないし怒りも感じる。

2015-05-02

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150407-i060.html

もやっとする。

初回の「なぜいじめは無くならないのか?」の回を見る。

討論というのはであれば、

いじめ定義づけをしてほしい。

文部科学省が出されている定義フリップ1枚出せばすむものを出さない。

評論家社会学者ともにいるのに、定義をまったく触れない。

座談会楽屋の駄話であれば、わかるんだ。

討論と銘打つのであれば、討論の体を保ってほしい。

「私はこんなに不幸なの(だったの)よ」と話すのであれば、討論の必要があるのだろうか。

また、評論家宇野常寛学校教育の流れおよび現場を見ない印象論だけのイメージを話す場面も

あったが、評論家でかつ学校教育について触れるのならば、それなりの知見のもと話すのが筋ではないのか。

2015-01-02

いじめをしたいなら最低2億円用意しろ

今日はこういう場を使って、いいたいことをいう。

世の中にはいじめというものがある。

文部科学省定義では「当該児童生徒が、一定人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」と言われている。

これに対して、いじめという言葉が悪い。恐喝・脅し・傷害・暴行とすべての事象を言い変えろという人達もいる。

当然実社会からはいじめは無くした方がいいわけで、俺もいじめられてきたからその気持ちは凄くわかる。

でも、その一方でいじめがまかり通っている社会がある。

テレビ世界」だ。

俺も年末テレビでドッキリ番組を見ていた。

あれだって第三者よくよく考えれば他人を騙して笑い物にしているという立派ないじめじゃないか。

それに対して露骨不快感を示し、バラエティ番組全般が悪いという俺から言わせれば的外れも甚だしい意見をいう輩だっている。

そんなテレビ世界のことを「なんとかバー」とかいう新しいアイスかなとかいう、楽して金が欲しい人達安易に真似してトラブルになることだって少なくない。それをみたどっかのP●Aとかい団体人達がそれを助長するからバラエティ番組おかしい!とまた言い続ける不毛ループが今の世の中では繰り広げられている。

的外れ批判をしている人達が忘れている(知ろうともしない?)ことをまず言おう。

テレビ世界」において「いじめをされること」は「おいしいこと」なのだ

芸能人という人種はとにかく「知名度」を上げることが必須条件。

テレビバラエティ番組に出て、名前が売れればそれだけで儲かるのだ。

その番組のギャラ、そして、上がった知名度により飛び込んできた仕事によるギャラ。

そして、その仕事成功して新たな仕事が増えていき・・・

実際にこんなに上手くいくわけではないが、そのためにはドッキリといういじめを受けることだっていいと思えるだろう。

いじめによる精神的苦痛を金銭に変換することで、苦痛を感じないからいじめ定義からは外れるのだ。

からテレビ世界」のドッキリといういじめは許容される。

ただ、それを実生活に当てはめてみよう。

「実生活でドッキリをしかけられる」として、それをやることによっていじめを受ける側にメリット果たしてあるのか。

少なくとも金銭的なメリットは限りなく0円。酷ければマイナスだってなる。

それを分からない連中が「テレビでこれやってたんだよね。面白いからやってみようぜ。」と、安易なドッキリという名のいじめに走り、それをみた、これまたそういうことが分からない連中が「じゃあ、大元の原因を作ったバラエティが悪い。」という。

馬鹿かと。

からテレビ世界特有のこと」には「良い子は真似しないでね。」ってどんな番組だって書いてあっただろうが、そんな抽象的な表現も分からない馬鹿が増えたから、「※安全花火を使用しております。」とか「※安全性には充分気をつけて撮影を行っております。」とかいうわけのわからないテロップテレビに増えていくんだろうが。

ナンセンス過ぎて反吐が出る。

と、話が脱線した。

別にテレビ論を語るつもりはないんだ。

今日はいじめについて

じゃあ、実社会でどうしても「ドッキリという名のいじめをしたい人」はどうすればいいのか。

答えは簡単。

「最低2億円用意しろ。」ということである

2億と言う数字を聞いてピンとくる人はいるだろうか。大体一般的サラリーマンと呼ばれる人達が真面目に働いて一生のうちに得られる収入生涯賃金」が大体2億円だったと思う。

まり、言いかえれば

いじめをしたいならいじめをした人間の一生を保障出来る金額が用意出来ているんだよね?」

ということだ。

そのいじめが原因になって、精神疾患になる。

そのいじめが原因になって、身体障害者になる。

その可能性は0ではない。そこまでおおごとにならなくても「人格形成になんらか影響するわけだ。」

精神的苦痛だよね。身体的苦痛だよね。はいいじめ定義が成立するわけだ。

それを金に変換しようとするなら「ある人間が、その先の人生で得られるはずだったお金」を何らかの分かりやすい指標を使って表すしかないよね。

それが生涯賃金の平均。

もちろん、疾患や障害による病院代、その他もろもろの費用は別だ。

から最低2億円。

それが用意出来るならどうぞ好きにいじめをやってください。出来るものならな。


自分でもガバガバ理論だってわかってはいるが、突然これを思いついたから吐き出したくて書いてみた。

2014-12-31

権力に囲い込まれ大学研究崩壊」に寄せて(揚げ足取り

島村英紀先生が長周新聞元旦号に「権力に囲い込まれ大学研究崩壊」というコラムを書かれたとのことで、同じ内容がインターネットにも掲載されている。

http://shima3.fc2web.com/kakoikomarerudaigaku201501.htm

このコラム自体は昨今の国立大学事情を憂う含蓄深いものであるが、ちらほらと事実誤認思い込みホラ吹き寸前の誇張が含まれている。不思議なことだが、偉い学者先生教育大学のことを語らせると普段の科学的で論理的思考が吹き飛んでしまうことがあるのだ。もちろん、これは科学的な論文などではなく単なるコラムであるから、一種のアジテーションとして書かれたのかもしれない。

このコラムを元にして社会有益議論が起こるには、アジテーションを真に受けるだけでなく、頭を冷やして考えることも必要だろう。ということで、本稿では島村先生コラムに対して揚げ足取りのような指摘を行うものである。ただし、この揚げ足取り島村先生に敬意を込めて行うものであり、決して人格攻撃ではないことをお断りしておきたい。

まず冒頭。

 大学崩壊している。

このコラム全体の論旨からすれば、崩壊しているのは国立大学である国立大学勝手崩壊しているのである。不確かな理由をつけて多数派である私立大学を巻き込み、大学全体の問題として論じるのは不誠実である

そして国立大学話題が続く。

 他方、国から予算を少しでも多く獲得するために文部科学省から天下り官僚国立大学に迎えることも一般的になっている。大学経営にあたる理事天下り官僚が入っていない国立大学ほとんどない。

国立大学法人化以前から経営幹部である事務局長ポスト文部科学)省人事だったことをお忘れなのだろうか。法人化後は理事という扱いになったが、実態は何ら変わっていない。国立大学が因循姑息として変わっていないことを批判することもできようが、変わっていないのにも関わらず変わったような印象を作って批判するのはゴシップ誌の手法である定義不明な「天下り」はなんと便利な言葉か。

 また学内教官たちによって選ばれた学長候補をさしおいて天下り官僚学長になったところもある。そのひとつ山形大学では学長が替わって以来、窃盗など学内者による刑事事件が頻発するようになっただけではなく、それまで医師国家試験合格者数で上位だった順位が大きく下落してしまった。大学モラルが落ちてしまっているのである

天下り官僚学長になったことで大学モラルが落ち、刑事事件国家試験合格率低下を引き起こした」のだそうである。これは一体何を言っているのか。因果関係に相当な飛躍があることが明らかであることを考慮すれば、その意図するところは「俺ら学者の島を荒らす奴は気に食わぬ。悪いことは全部あいつのせいにしろ」ということである。同じ理屈によって山形大学学生教職員による窃盗などの不祥事が相次いで地元紙に「報じられた」ことは想像に難くない。

モラルの指標に国家試験合格率を引き出すのもまず失当だが、この医師国家試験合格率は合格率が約9割と高く、各大学医学部医学科の定員数の規模に大差がないことから、その順位は大きく変動するものであることに留意しなければならない。なお、事実としては昨年度の医師国家試験新卒合格率は97.9%で全国80大学中19位と上位に返り咲いているが、これをあえて昨年度末に退任した「天下り学長」の薫陶と言う者はいないだろう。

そして、コラム研究資金話題に移る。

 じつは研究の面から言えば、このように「明日のゼニになる」研究はたやすい。研究資金さえ豊富で多くの研究員を雇えるならば、研究目的がすぐ近くにあって明確なものゆえに、材料手法を替えながら大量の実験を繰り返すことによって「研究」が進むからだ。つまり研究にとっての革命的な進歩である研究質的な向上をしなくてもできる研究からである

なんと、金を生み出す研究は「たやすい」のだと言う。「そんな順列組み合わせ作業なら大学ではなく工場でやればよい」と言っているようにも受け取れる。工学研究者は怒って立ち上がってもいい。が、しかし、

現在研究全体のありようは、過去にはあった研究質的革命を生み出すことを止めてしまって「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題なのである

ということだ。「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題。その通りであり、島村先生も基礎研究が応用研究よりえらいと論じているものではない。工学研究者の皆様はご着席ください。「明日のゼニになる」研究にも「研究質的な向上」が必要ものであり、読者は注意が必要である

 もうひとつ、この種の外部資金頼みの研究には危険がある。それは防衛省が進める大学や各研究機関との共同研究が、近年急増していることだ。

 防衛省防衛産業にとってみれば研究者頭脳のどから手が出るほどほしいものに違いない。だが研究者には戦後ずっと軍事研究防衛省への協力に抵抗感があった。しかし、その「歯止め」も年々弱くなって、旧制帝大7国立軍事研究実質的に禁止しているのは東京大大阪大だけになってしまっている。

軍事研究が是か非かについては意見がわかれるだろうが、ここは島村先生立場に則り「非」として考えてみよう。現状、軍事研究実質的に禁止している大学がどういう状況にあるか。軍事研究推進派である右派団体産経新聞は、大学のこの方針を徹底的に非難する。では、軍事研究否定派は大学擁護をするかというと、そうではない。否定派の左派団体労働組合は「この方針は我々の闘争によって勝ち取ったものであり、大学当局弱腰を許さない!」と、なぜか大学非難する側に回るのだ。軍事研究を禁止している大学は、賛否両派から攻撃を受ける状況にある。面倒極まりない。それではいっそのこと「歯止め」を外したくもなるというものである否定派は、党派的な対立構造を作った上での主義主張という古風なスタイル目的に対して逆効果となっていないか十分に内省すべきだろう。さて、この段落島村先生の主張とあまり関係なかった。

最後に、大学業界の「神話」が持ち出される。

 大学は、井上ひさしの『ボローニャ紀行』にあるヨーロッパ最古の大学イタリアボローニャ大学のように、もともと権力とは独立したものとして生まれて育ち、それゆえ文化的独自価値を生み出してきた。しかし、いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである

あらゆる権力から独立した存在としてのボローニャ大学大学関係者が好んで取り上げる事例であるが、これも留意すべき点がある。そこには自治はあったかもしれないが、今日で言うアカデミックフリーダム学問の自由)、すなわち、教育研究の内容に対する自由がなかったことはあまり言及されない事実であるアカデミックフリーダム特に研究を行う自由国家権力庇護下においてその権力に囲い込まれることによって成立した背景を忘れてはならない。「いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである」。然り。ただし、それは今に始まったことではないかもしれない。

大学は、権力との不可分な関係とどのように付き合っていくか。あるいは、不都合があるならばどのように新たな関係を構築するか。検討すべきはそこであり、この島村先生コラムはその議論有益ものであろう。しかし、頭に血をのぼらせるようなアジテーションでは「権力の介入を許すな!」という小学生並みの感想にもなりかねないと思い、誰に届くかわからない増田にいろいろ書いた次第である

2014-12-09

投票厨へ

はーい、投票厨のみんな、見てる〜??

あなた達がここ何年も(人によっては何十年も)投票を呼びかけ続けた結果、日本はどうなった? 良くなった? 投票率とやらはあがった?

いつまで「選挙日本が変わるなんて幻想」という敗北を必死になって無視し続けて、いっちょまえの運動家気取りでいるつもり〜〜??

本当は官僚になったり政治家になったりするほうが早いということを気づきながら、それを隠してるのはなぜ〜〜??? 自分能力が足りないのがバレるのが怖いから〜〜??

一度は失敗を認めて、戦略練り直したほうがいいよ〜〜。選挙の時だけ都合よく運動家になるくらいだったら、普段から法律勉強政治家への陳情を重ねたほうがよっぽどマシだね。時間がないって? だから負けるんじゃん。寸暇を惜しめとは言わないけど、勉強を怠っている人には、改革はできないね。時々ひょっこり現れて投票だけ呼びかけて消えるくらいだったら、うざいから出てこないほうがいいよ。

実際のプロ政治家はそれがわかっているから、あえて投票を呼びかけたりしない。自分当選して、自分の考えていることを貫徹するため、できるだけ自分予測範囲内に他人の行動が収まるように計算している。今回の安倍なんかまさにそうじゃん。あえて消費税増税を先送りして、批判をかわし、争点をずらして、そこで選挙を行うことで大勝を狙ってる。大義名分なんかハナからない。一度勝っちゃえば、二年は安泰。政治家は誰もがやりたいと思っていることをやっちゃった。

から、みんな答えは決まってる。あなた日本を変えたいと思うなら、政治家になるか、政治家に近づくかしないと(その点ウワアアアアンンン野々村は間違ってなかった)。選挙なんて、自分わがまま大義名分すり替えるための手段に過ぎない。みんな踊らされすぎ。自分には選挙しかできないと思い込んでる。文部科学省の嘘にまんまと引っかかってる。たかだか二週間とか一ヶ月とかで決められたことで日本の将来が決まるなんて政治家は思っちゃいない。彼らは、できるだけ自分の行動を一般大衆向けにカモフラージュすることしか考えてない。

というわけで、投票厨は自分の今までの行いを反省して、別のものに生まれ変わること。それが革マル派になるか、地方議員になるか、圧力団体になるかは、お任せする。とにかく、今までと違うことをやってみることだ。もう選挙という制度自体破綻しているという事実を認めるところから始めるんだ。

2014-11-28

黒岩裕美氏Twitterアカウント炎上について

見出しの件について、下記の通り当方見解を記します。ただし、あくまでも個人的見解であることをご了承ください。

本件概要

 コミュニケーションSNSであるTwitterにおいて、アニメ制作会社Production I.Gから作業委託を受けていたアニメーター黒岩裕美氏(Twitterアカウント黒岩裕美@kuroiwayumi 他別名義アカウント有)が自身の関わるアニメーション作品についての不適切発言及び不適切イラスト等の投稿、企画を行ったため炎上した。

なお、黒岩氏が関わった作品についての「愚痴」や特定キャラクター等についての黒岩氏の嗜好等の発言が、該当作品のファンの目に入ったことにより炎上が加速したと考える。

そのため、本件の原因として「自身の関わった作品仕事)の愚痴ツイートしたため炎上した」という認識が多くみられるが、本件はそのような一つの原因によるための炎上ではなく、以下の三点が原因であると考える。

黒岩氏のTwitterアカウント炎上の原因として考えられる三点

 1、契約会社が一目で分かる及びクレジットへ記載される氏名のアカウントにおいて、アニメーション制作の際に、原作コミック出版している出版会社(このとき原作者出版社についても二次利用について契約が締結されていると考えられる)より二次利用等の契約を当該会社が行っているにもかかわらず、会社を通さず、契約範囲外の場所会社資産であるイラスト作品を、不特定多数ユーザーが見ることができる状態で無償にて公開した。また有償頒布を行おうとした。この場合資産漏えい・持ち出しに該当し、会社においては作成したイラストについて二次利用契約を他玩具及びメディア媒体企業との締結を行い販売するといった、会社として利益を得る機会を損なった可能性があると考えられるため。

 2、1と同様のアカウントにおいて、原作において存在しない場面等を会社資産であるイラストを用いて表現し、不特定多数ユーザーが見ることができる状態で、無償にて公開した。また、有償頒布を行おうとした。この場合原作及びアニメーションにおいて当該の場面が存在すると閲覧者が思い込む可能性があり、会社資産である該当作品において視聴者へ誤解を招く可能性があると考えられる。そのため、所属会社原作出版社の信頼を損なった可能性があると考えられるため。

 3、所属会社が一目で分かる及びクレジットへ記載される氏名のアカウントにおいて、所属会社作成している作品について不適切発言を行った。この場合所属会社情報漏えい及び所属会社の一員である黒岩氏の発言によって、世間から所属会社への信頼を損なう可能性があると考えるため。

 上記三点については、原作コミックの読者及びアニメ視聴者の誤解を招く可能性が多くあり、また、企業としての社会的な信頼や利益を損なうといった当該職種に関わらず、すべての産業において極めて基本的でありまた、もっと重要視すべきコンプライアンス違反した行為であると考えられる。

前提条件

 所属及び自身業務委託契約を締結している会社や氏名を公開している、また特定が可能なアカウントにおいて、会社内情や自身が関わっている作品情報を公開することは、勤務時間中に取得した情報漏えい及び資産漏えいとなり、コンプライアンス違反となると考えられる。また、会社の一員として特定作品に対しての不適切発言を行うことや、会社資産であるイラストにおいて個人的思想等を表現することは、会社思想であると閲覧者が誤解をする可能性が大きいと考えられ、会社の信頼を損なうものであると考える。

 アニメーターである黒岩氏のイラストは、勤務時間外に作成されたものについては、基本的アニメ制作会社資産ではないと考えるが、黒岩氏が別名義でイラスト投稿していたアカウントの説明を引用すると“アニメーターです。仕事をサボってかいた らくがきを こっそりあげてく垢”(注:垢…アカウントの意)となっているため、勤務時間ととれる時間内に作成したイラストと考えられ、同様のイラスト黒岩氏の本名であるアカウントにも投稿していることから、同様の条件で作成されたイラストである判断する。この場合、勤務時間中に個人的作成したイラストではあるが、会社資産を使用して作成されたイラストと考えられるため、当該イラスト会社資産といえると考える。

また、個人的に勤務時間外に作成されたイラストであったとしても、自身公式制作に関わっていることがわかる名義のアカウントから投稿することは、投稿者肩書等も大きく影響し、また、筆致や着色、構成等において公式として作成されたものと閲覧者が誤解する可能性が大きいイラストであると考える。これについて、会社アニメイラストを使用した商品について企画へ展開する機会や実際に商品を展開した際に、似通ったイラストが既に無償不特定多数ユーザーが閲覧できる状態で制作会社関係しているユーザーによって投稿されていた場合、新商品情報漏えいしていると判断される可能性が大きく、商品展開できないと判断される。

それに加え、実際には行われなかったが、公式として作成されたイラストと誤解を招く状態のイラストを使用した物品を有償頒布を行った場合企業利益を得る機会を奪うという、模造品や海賊版といったものと同様のもの作成しようとしたと考えられる。

 前項のような海賊版ともとれる物品をアニメ制作会社から作業委託を受けているアニメーター作成しようとし、企業利益を損なおうとしているという状態であることが、まず企業としてそのような作業員放置しているということで、信頼を損なう可能性があると考える。また、勤務内容に関する不満等を自身公式制作に関わっていることがわかる名義のアカウントから投稿することは、企業マイナスイメージを外部の閲覧者に与えることとなり、企業の今後の展開において、アニメーション制作という技術必要職種であることから、当該制作会社へ同様の職種として就職業務委託を受けようとする人員の確保などについてマイナスの影響が発生する可能性があると考える。その他にも、勤務内容について不満がある者や企業情報漏えいしている者が関わっている会社へ、他企業が業務を委託、また契約を行う際にマイナス情報として企業判断することとなる。

 企業相手でなくても、原作にない場面の描写自身公式制作に関わっていることがわかる名義のアカウントから投稿することは、企業としてそのような描写を推奨しているまたそのような関係企業としてえがこうとしていると、アニメ視聴者原作コミックのファンなどへ誤解を与える可能性が多くあり、その描写に対して不快感を覚えた視聴者から、そのイラスト作成した黒岩氏に対してだけでなく、黒岩氏が作業委託を受け、クレジットが同様にアニメーション作品において記載されるアニメ制作会社に対して不快感や不信感を覚えることとなると考える。このことから企業として今後展開していく際に、マーケティングターゲットである視聴者から期待している反応を得ることができない可能性が大きくあると考える。

以上のことから、今回の黒岩氏の行動について、アニメ制作会社企業利益を得る機会を奪うとともに、企業としての信頼を損なった可能性があると考える。

【参考】

文化審議会 著作権分科会(第23回)議事録・配付資料資料6] 3 3.コミック文部科学省(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/010/07101103/006/005.htm)

文化審議会 著作権分科会(第23回)議事録・配付資料資料6] 3 9.商品化文部科学省(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/010/07101103/006/011.htm)

パテント2008年8月号目次|日本弁理士会 (論考)アニメ著作権(https://www.jpaa.or.jp/activity/publication/patent/patent-library/patent-lib/200808/jpaapatent200808_011-047.pdf)

原作使用契約書 | 著作権契約作成なら藤枝法務事務所(http://it-chizai.sakura.ne.jp/format/gensaku.html)

パテント2009年10月号目次|日本弁理士会 (3)「商品化許諾契約」の解説及びその留意点(https://www.jpaa.or.jp/activity/publication/patent/patent-library/patent-lib/200910/jpaapatent200910_080-087.pdf)

-----

以下は、前述の内容と比較すると極めて個人的な考えとなることをご了承ください。

個人的な考えを書きます

まず、アニメーターという職業に関わらず「創作」という行為が主となる職種クールジャパンと称されるような事象と関わりが深いと考えられるもの)については、個性というものが大きく影響するものだと思っています

絵を描く能力であったり、を書く能力であったり、効果的な構図や、印象に残る色彩、音響、またパフォーマンスなど、それぞれについて必ず創作者の個性が元のエネルギーとしてできており、そのせいで誰もが好意的に感じるものはないと思います。ただ、全員が好きだと感じなくても誰かが好きだと感じることが必ずあるものだと思っています。すべての誰かに嫌われることも、すべての誰かに好まれることと同様にほぼ不可能なことだと思っています

創作という行為から精製される創作物に対して個性というものは、誰かに好かれるために不可欠なものであり、また、誰かに嫌われないために不要であるものと言えると思います

職業として、創作行為に関わった場合にも、ある企業の名のもとに公開された一つの作品であっても、その作品に関わった多くの創作者の個性がいたるところから我々は感じることができ、それによって好きな作品が生まれていくのだと思います

前にも書きましたが、個性を出すことはプラスであり、マイナスであります。そして、個性を出すことは自身にとってプレッシャーでもあり、強みでもあると思っています

今回の件で、「愚痴を言うくらいいいじゃん、仕事してたらみんな言うでしょ?」のような意見を目にすることが多くありましたが、確かに愚痴は言いたくなります。言います仕事をしているのは私という一個人ですから

それでもその私という個人は、会社の一員であり、社会の一員であります

会社の一員であるということは、会社不利益になるようなことは言ってはいけないと思っています。そして、社会の一員であるということは、それぞれの会社同士がぶつかり合うことなく、適正なルールにのっとり、社会問題なく生きていくことができるようにしていかなくてはいけないものだと思っています

個人としては愚痴を言います。言いたいです。でも会社人間として会社愚痴は言いません。だって会社不利益につながるからです。だから身分を伏せて、あるいはどこかの誰かとしてポイントだけで愚痴を言います

その愚痴ポイント会社特定できるものになってしまうなら、他の誰かに聞こえるような全公開の場で言うべきではないと思います。それこそ内輪で愚痴を言っても聞き流してくれる相手にする方が良いと思います。難しいかもしれません。

今回のような「創作」に関する職業場合個性必要である職業の為、愚痴を言うのも言わないのも難しいのかもしれません。

また、仕事としてでなくても「創作」を行っている人は沢山います、その人たちは自分作品についてや、作品を生み出すことについて沢山愚痴を言っています。だから愚痴を言ったことがある創作者は、会社の一員である創作者の愚痴もあるものだと思っています。だから聞かなかったことにしています。聞いて共感もしています。これは内輪だから許されているのだと思います

でも、同じ創作者でない人であったり、創作者であったとしてもその愚痴を言っている人が会社の一員であるという認識をしてしまう人からすると、聞き流すことができません。同じ立場に立って考え、感じることが難しいからです。

仕事に対して不誠実である、と受け取られてしまい、自身評価も下がりますし、会社評価も下がります

愚痴を言うのって難しいな、と今回の件で私は改めて思いました。

今回の件について、どのような話の決着がつくのか、あるいはアニメ制作会社Production I.G様のご対応で今回の件については完了なのかは、私にはわかりません。

ただ、ネット上で見られる「論点どこよ」という意見に触発され、このような日記を書いています

私個人の偏った意見になってしまっているかとは思いますが、とりとめもなくなってまいりましたのでこの辺りで失礼いたします。ありがとうございました。

2014-10-09

社会科教科書中学受験内容が「ドン・キホーテ」「植物工場」で揺らいでくる

★某塾のテストで、

 「スーパーマーケット店舗レイアウトで、肉や魚は店のどこに陳列されているでしょう?」

 「そして、それは何故でしょう?」という問題がでたらしい。

 (正解は、「店の一番奥まった部分」。顧客の回遊動線を考えると、結局共通の店舗レイアウトに収れんしていく)

★でも「ドンキホーテ」って、塾や社会科教科書に反した店舗レイアウトだな

 その問題解いた小学生で、「ウチの近くのドンキは、こんな教科書通りのレイアウトしてません」と反論したら、どうなんだろう?

 「キミの家は、ドンキホーテのような下品な店を使ってるのか?

 成城石井紀伊國屋スーパーのような、真っ当なスーパーを使わなきゃ、受験で落ちろぞ」と教師に叱られる?

★なぜ成城石井紀伊國屋が「中学受験に効く」のか、わかるかな?

 これらスーパーでは、ちゃんと「旬のモノ」を正しく売ってるからだね。

 中学受験では、理科社会問題食品動植物の旬を出題するから、旬を守ってるスーパーで買い物するように、お母さんにお願いしようね。

★でも、植物工場が急速に普及して、野菜の旬が無意味になった将来の、中学受験の内容が気になる。

 子供が「ウチは植物工場野菜食べてますから、年中●●が食べれます」となったら、教師はどう反論する?

 ちょっと前の教科書なら、「レタスは主に長野県とか群馬県高原地帯で採れます」と書いていたが、

 あと5年もしたら、この記載は無効になるだろうな。

 「工場の遊休スペースで、全国で広く栽培されてます」と記載が変わるのか?

★そもそもレタスという野菜自体日本に定着したのが最近(70年代以降)だからな。

 生サラダの食習慣とか、サンドイッチに挟む、という食習慣、つまりパン食の普及とセット。

 ちなみにすかいらーくの元役員が著書で「レタス日本に定着させたのはすかいらーく」と豪語してた。

 生サラダの食習慣が定着した、というのは、裏を返せば「堆肥農業から化学肥料農業に転換し、寄生虫心配がなくなったから」なんだよな。

 ぜひ、中学受験では「なぜレタス日本に定着したのか?」というテーマで、寄生虫問題とか化学肥料発明とかまで「発展学習」して欲しい。

冗談抜きで、そろそろ「植物工場」は、小学4年の社会科教科書なんかで掲載を開始してもいいレベルだと思う。

 

 あと、「どの農作物が、どの地方で、どの季節で採れますか?」を教育するより、

 「どの農作物は、気温何度で生育しますか?水量はいくらいりますか?背丈は?生育期間は?投入エネルギー量は?」を教育した方が、植物工場時代には有用

 なぜなら、将来は植物工場時代で、産地の知識より生育条件知識のほうが、はるかに役立つ

 でも、「農水省さん、植物工場社会科教科書に載せましょう」という文部科学省の提案は、

 「あれは邪道農業相談するなら経産省にしてよ」という農水省のツレナイ反応で、ボツになったのだった(※想像)

自分子供の頃(70年代)の社会科教科書では、「デパート」「商店街」は登場しても、スーパーマーケットは登場してなかった記憶がある。

 既にダイエー三越を抜いて、日本一の小売事業者になった時点(70年代)の社会科教科書でも、そんなもの

 それくらい、教科書現実に対し遅行的

 では70年代の時点で、社会科教科書は「スーパーマーケット」を大々的に取り上げるべきだったか

 たぶんそのころだと、このように教科書に書かれただろう。

 「スーパーマーケットは、駅前の立地で、広い売り場スペースを確保して、何でも買えるようにしています。」

 で、「70年代スーパーマーケット」を多数抱えていたダイエーは潰れたのは周知のとおり。

 つまり教科書の知識は30年も持続しない。

 生き残ったのは、郊外に巨大駐車場を用意し、専門店も誘致したモール型のイオン

★30年前、カイワレダイコン工場生産ブームになり、各社一斉に生産を拡大して、カイワレダイコンが大暴落して、多くの業者倒産した。

 現代の「植物工場レタスブーム」、カイワレダイコンの二の舞にならないか?少し心配

★カイワレダイコン工場生産価格下落し、植物工場レタスも後を追う展開。

 工場生産による価格破壊の「元祖」が鶏卵であることは、意外と知られていない。

 戦前鶏卵は貴重品だったんだよな。1960年代鶏卵の「生産革命(=工場生産)が起き、価格破壊が起き、食文化が変わった

食材価格ランキングって、生産体制物流全然変わるからなあ。

 今や松茸高値の花で、椎茸はフツーの食材

 戦前は全く逆で、椎茸高値松茸がフツー。

 その背景には「エネルギー革命木炭がダブつき、木炭原料を使った椎茸価格破壊された」一方で「森林管理がなされなくなり松茸高騰」という実態がある。

★おそらく、植物工場革命で、食材価格ランキングがガラッと入れ替わる。

 植物工場生産最適化される食材価格暴落し、植物工場じゃ生産できない食材は高騰する

 逆にいえば、従来型農業しかできない農家植物工場を作る資本力がない農家は、

 「絶対に植物工場化されない食材」に特化するのが勝利の方程式

 生産時間が掛かるミカンとか柿とかが、植物工場化される心配もなくて安全じゃないかな?

化学肥料が普及した時、農薬が普及した時、トラクターが普及した時の農業界(60年ほど前?)の雰囲気って、

 植物工場に沸いている今と雰囲気が似てるのかな?

 「これで農業が変わる!」と皆が夢見ていた時代

2014-09-29

馬の耳に念仏

これは文部科学省に対する愚痴

どんなに良い教育を用意しても、馬の耳に念仏。授業を聞いていなければ何の価値もない。

レポートコピペじゃ意味もない。ただ席を温めていました。

それだけ。

 

学習する気がかない、大学は遊ぶところ。合コン危険ドラック

そんな子たちに、どれだけ優秀なカリキュラム用意しても無駄でしょ。

しろ、おれはスーパーカリキュラム卒業生コピペ)って威張るだけ。意味ない。

2014-09-21

はてなランチイベントってうちらの世界と似てる

トピシュ先生が仰ってたんだけど、

はてな医者巣窟だって

実際、優秀そうな先生で、はてブやってそうな方多いですよね。

トピシュ先生だって、お医者免許は持っておられそうな気がしますし。

さて注目していたはてなランチイベントです。

うちらの世界では、「専門医」っていう称号があります

ところがこの「専門医」っていう称号は、医者自身から信頼されていませんでした。なぜなら50歳以上ならほぼ何もしないでもらえた代物だからです。

それ以下の人一定研修を終えればもらえます。難しいテストがある称号もあります

しかし「学会」が「専門医」を発行する仕組みはそもそも良くないのではないか、それは一種の利権なのではないか、という反省があります

学会で偉い人はいろいろ得をしてしまますから

誰が専門医を発行することになっても、そこには必ず利権存在しますので、悩ましい問題だと思います

そしてこのランチイベントは、某社が専門職領域である種の利権を獲得しに来たんだな、その末端でこんな脅しをしているのか、でも実力ありまくりエンジニア相手にやらかしちゃったなという印象を持ちました。医者世界ではバリバリ専門家だったら、外に出ること(日本を去ること)は考えますが、日本で何か新しいシステムに組み込まれることは関心がないでしょう。

やるならば、このイベントの最終目標世界にあることを示すべきだったかもしれません。

将来日本で、学会専門医を切り離す議論が行われるとき、それを厚生労働省外郭団体として作るのか、あるいは労働省総務省文部科学省あたりが絡むのか、わかりません。

ああ、新たな天下り先が出来るんだなあ、みたいな感慨しか持っていませんでした。

しかし某社は医者転職市場が美味しいことは見抜いています。なんたって、一人転職させれば500万円ですから企業エグゼクティブヘッドハンターより安いけれどはるかに簡単なお仕事です。彼らは専門医利権の中に入ってきたいでしょう。私はそれでも良いと思っています

はてなもそれなりにエンジニアから一目置かれる存在ではあるとおもうのです。学会みたいなものなのかもしれません。

イベントミーティングを行うことも大変有効活動ではないかと思いますが、その協賛をだれにしたらいいのか、という話です。

うちらの世界では公共性を保つために、一社に頼むことはしません。必ずライバルになる複数社を呼んで同時にプレゼンしてもらいます

製薬会社一社に頼むのであれば、あれは「◯◯の会だ」と誰しもわからねばなりません。

製薬会社にはそれぞれ「誇り高い会」っていうものがあって、その内容が常に注目される研究会というもの存在します。これは医者接待をするよりもはるか有効だと思いますが、そこまで医者に信頼されるようになるには、演者製薬会社癒着していないことを示さねばならず、伝統必要です。なかなかすぐに作ろうとしても無理です。でもやるなら今からはじめねばなりません。

からはてなランチイベントスポンサー一社ってのはうちら業界的にはアウトです。さら公共的っぽいイベント名で無料だったらアウトです。

きっと優秀な人が集まったのでしょうね。うちらの世界では研究会後のほっとした雰囲気で新しい発想が生まれたり、素晴らしい才能をもった若い先生を見つけたり、いろいろな楽しみがあります

今後のご多幸をお祈り申し上げます

2014-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20140829024018

ネイティブっぽいかどうかなんてことではなくて、ネイティブに「も」理解される発音を授業でやれって思う。

(できれば日本語ネイティブに無理の少ない方法で。文部科学省の人たちは、外国の例をまるごと輸入する手抜きみたいなことばかりせず、そういう研究にも資源をさいてほしいよ)

カタカナマンセーでも日本語発音モーマンタイでもどうでもいいが、通じなけりゃ意味がない。「エイジア」を「アジア」と言っては、日本ツウでもなければまず通じないぜ。逆に、日本語読みでもわかる単語は、無理に強制する必要ないと思うよ(ジョン万次郎みたいな発音学習法は、結構面白いかもね。バリエーションそろえるのが大変だろうけど)。

個人的に「デワの守(欧米デワ...)」は大嫌いだな。どこかの国をリスペクトして英語を使っているのでもなくて、アジア人同士など特に外国人と話をする道具として使っているだけなのに。文化社会構造が上だの下だの英会話関係ねえ、知るかって思う。

2014-05-29

やまだいーぶっく

イきまして「値段の安い順」にソートしまして

無料のやつとかあったらDRM外せばいいんだろつまり

 って思ってたのはナイショな)

表紙データが登録されてる最初商品

小学校学習指導要領解説~」著者:文部科学省

だったときの顔をしています

2014-05-07

常識成立の時代背景を捉えよ

★今読んでる「帝国陸軍本質」という本が実に面白い

 旧陸軍は、現場東京無視して独断専行して進軍し、満州さら支那戦線拡大して、挙句自滅した。

 「帝国陸軍本質」の筆者は、その理由を明治初期の陸軍大学校教官メッケルの教育内容にある、と看破。

★メッケル教官は、明治陸軍士官タマゴたちに、

 「場合によっては、大本営の命令を待たず、独断で行動すべし」と教育した。

 その教育があって、帝国陸軍現場勝手に行動する軍隊になった。

 しかし、メッケルがそのように教育したのには、それなりの理由があった

★メッケルは19世紀半ばのプロイセン軍メソッド日本移入

 プロイセン軍は最強の軍隊で、ドイツは統一するし、フランスも破った。

 当時のプロイセン軍は、独断専行「だから」強かった。何故か?

★19世紀半ばは、まだ無線電信が発展してなかった。

 ⇒現場軍と大本営とは、軍馬とか伝書鳩とか、アナログ方式で命令を伝達するしかなかった。

 だから大本営の命令を待ってたりしたら、行動が大幅に遅れて致命傷になる。

 だからプロイセン軍現場判断で独断専行するようになった

帝国陸軍士官タマゴたちは、メッケルから独断専行するように」と教育されたとき

 「なぜ独断専行すべきなのか?」を深く考えなかった。

 考えていたら、無線電信技術が発達した20世紀の戦争で、独断専行無益有害であったことに気付いたハズ

★これで思い出した話が、草加市教室天井高論争。

 小学校教室天井高は、文部科学省省令で事細かに決められているのだが、

 草加市が(コスト削減のために)

 「省令より低い天井高にしたいと思います特に教育に支障はないと思いますが、いかがですか?」と

 文部科学省にお伺いを立てた。

★因みに、なぜ天井高の規定存在するか?と言えば、

 以前の薪ストーブ石炭ストーブ教室暖房行っていた時代の名残で

 「教室内の換気の関係」で、天井高を高く確保していたらしい。

 薪ストーブ石炭ストーブもない現代では、あまり意味のない規定

★そうすると文部科学省

 「天井高を高くすることで、教育効果がある」として

 草加市の申請を拒否した。

★「教育効果」という文部科学省の言い分に疑問を感じた草加市は、自ら実験実施

 天井が高い教室と、低い教室児童を入れ、それぞれ「どっちが学習やすいか?」を聞いてみた。

 ⇒結果は「天井が低い方が、心理的に落ち着く」という、文部科学省赤っ恥な結果になり、

 文部科学省草加市の申し出を認めざるを得なくなった、というオチ

・・・ことほどさように「常識の成立した時代背景を探らなきゃならない」という教訓

2014-04-24

昔ある漫画ヘリウムガスをボンベから直接吸う描写があって批判され

ていたけど、あれはフィクションとして認識しちゃダメなのか?

子供が真似する」って、じゃあ人を殴ったり殺したりするマンガは批判されないの?

「良い・悪いの判別がわかりづらいような描写をしたのがマズイ」のなら、その判断基準ってあるの?

未成年飲酒してる描写の枠外に「※20歳未満の飲酒ダメだよ!」みたいな記述があるのはよく見るが、

人殺した描写に「※人を殺したら殺人罪だよ!」なんて注釈見たこと無い。


ってなことをグチグチ書いてたら、何となく落とし所が見つかった。

別にフィクションなら、違法合法関係なく何書いてもいいんだよ。

ただし、アニメ漫画の外で遵法精神や正しい知識を得ることが重要だってこと。

極端に言えばフィクションの中には「正しい情報」はひとつもない、ってことを知らせるべきだと思う。

そーすりゃ「漫画で知った」という言葉は「ソース2ちゃんねる」程度の信頼度しか持たなくなる。

義務教育でやれ。


表現規制をすることはつまり教育の敗北」であるともいえる。

なのに表現規制教育もどちらも文部科学省がやってるという…

2014-04-13

部活動改革への抜本的な試案

http://anond.hatelabo.jp/20140412184724

上の元増田の話

 ・部活担当教師が見えない形で被っている負担(この場合は車代差額…維持管理費差額含め、おそらく遠征時のガソリン代も自腹)

 ・対する待遇の低さ(元増田が書いてる一日当たりの手当額は、高額な方。県によっては1,200円とかのところもある。そして「年度末に予算が苦しくなれば打ち切り」。部活動への外部講師の話はしばしば検討されるが、進まないのは「一日1,200円で来てくれるまともな技術指導者講師など、普通はいないから」。)

…に加えて、元増田のように見えない負担を被っている場合

 ・事故などが起きたら全責任を負う立場にある

ということも付け加えるべき。(一日1,200円で来てくれる酔狂な講師がいたとしても、「生徒の怪我等には、あなたも個人として責任も負うことになります」と言えば、また、ためらわれる。というかそれ以前に、頼む側の常識が疑われる案件だろう。)

移動なんて、本来は、マイクロバスなどを借り上げて、その費用部員保護者に請求すべき筋合いのものだが、公立校でそんなことできようはずがない。請求・取りまとめ・精算にかかる事務の手間だけで、あっという間に部の運営は立ち行かない。だから元増田のようなことになる。でも、こういう「自己判断でこっそり移動」をさせるせいで、もし事故などが起きれば元増田を守る方法がない。「生徒を自分の車で移動させていた先生が悪い」となる。下手したら「遠征費を浮かすためにやっていたのだろう」などと批判されかねない。

遠征費!何にでも使える遠征費!そんな便利な金があればオレにくれ!生徒には、選手のお前らには学校や県から補助が出てるからな、と言って、連れて行って飯を食わせてた。出てるのは全国大会ですら、片道交通費の8がけと宿泊費一日3,000円くらいだよ。練習試合じゃ出ねんだよ。残りの交通費学校経費かオレの金だよ。そんで、お前らが今食ってる飯代は10割オレの金だよ、なんて、頑張って全国大会に選ばれた生徒に言えないだろう。保護者から金集めろって? じゃあ「金のない奴は代表辞退しなさいね、つーかそもそも部活なんてやらないでね」って言えんのか? 言っていいのか? どうなんだ? ……すまない。興奮してしまった。(ちなみに私立の学校代表に入ってる場合はいくらか楽ができた。1/5が1/2くらいにはなったよ。)叩きたきゃ叩いてくれ。頭悪いから、自腹切る以外にいい方法思いつかねんだよ。

これは社会が悪いのではなく、そもそも部活動というものが一般社会の想定する常識とかけ離れたところで運営されていることが悪い(どこの社会人が、毎週土日を潰し、自分の子どもをほったらかし、余所の子もの習い事を、足代飯代に身銭を切って面倒見るというのか。しかもそれが、事実上、『業務命令』として下されるとは! そんな人がいることを想定してないのは、社会が悪いんじゃない。そういうことを当たり前にやってる組織が悪いに決まってる)。

自分も、教育の隅に席を占める立場で、かねてからこういう不健全組織学校から切り離すべきじゃないのかと思ってきた。

(ちなみに、公立校で、教師の自己犠牲奉仕活動によらないで成立する部活動は、運動部文化部わず原則一つもない、と言い切ってもいい。)

ただし、これを一種の「社会奉仕活動」だと考えれば、いくらか納得がいかないでもない。海外では休暇などを使って、学校教員積極的社会奉仕活動やプログラムに参加したりする。社会奉仕活動をするのは、教員社会常識を身に付ける上で非常にいい機会だと思うので、本当はそれができるように法や制度を整備すべきだと思うのだけれども、残念ながらそういう風土がない日本では、それに代わる一種の社会奉仕活動として、学校部活動があると考えてもよい。その意味では、「学校部活動」という概念を捨てて、「地域社会・一般からの参加を積極的に受け入れる社会運動団体」化を段階的に進めていくというのが一案だ。つまりクラブチーム化する、ということ。学校部活に、地域小学生社会人、お年寄りまで受け入れるってこと。んで、事務運営にも一般の方(当面はPTAなど)に入っていただく。プロのある運動競技などなら、プロとの提携視野に入れる。これにより、

 ・教員自己研鑽

 ・事務負担の軽減

 ・活動の拡大

 ・児童、生徒数減少への対応

 ・体罰いじめが起きない風土づくり

 ・社会体育と学校体育の連携活性化

……などの利点が見込まれる。だが、その反面以下のような課題も考えられる

 ・保護者部活動にかかる(主として金銭的な)負担の増加

 ・部活動学校から離れ始めると、学校運営への部活動利用が難しくなる(指導困難な学校ほど、生徒指導部活動が一体化している現状がある。運動部員がいるか学校が落ち着いている、など)

 ・現状、これも教員負担している、大会運営などを行う都道府県事務組織運営を誰がするのか、という問題(これは、部活顧問に成り立ての若手教員などは余り分かっていないと思うが、地味に相当の負担)これは、たとえば運動部場合特定運動部都道府県組織だけではなく、都道府県運動部全てを扱う高体連組織、更にはブロック高体連、全国の高体連事務局運営なども含めての話。ブロックや全国の事務局となると、予算立てをしてそれ用の事務員さんなどを雇うことになるが、それ以下の大半の組織では、そんなお金はどこからも出しようがない)

……そのため、こういったこと(一度は考える教員も多いと思うが)には、ちょっと手を出しかねて、結果現状維持、となっていると思う。

それらを踏まえて、個人的には、いまの部活動の現状はやっぱりおかしいと思うし、変えるべきだと思う。しかし、「よりよい対案」や「その対案へソフトランディングさせる方法」というのは、なかなか難しい。従って、こういう場合には、むしろトップダウンで(たとえば文部科学省から「全ての部活動は段階的に社会体育に移行すること」という通達を出すなど)進めるのが、改革するにはベスト方法だと思う。

というわけで、誰か、これを文部科学省の審議委員にでも改革提言してくれまいか?

…ちなみにタイトル煽りです。つまり煽りタイトルをつける程度には本気の提言だということです。

2014-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20140407033034

だけどやね。坊や。箱物行政隠れ蓑になりがちなのよ。

ある観点から見ると、第二の小保方は現れると思うよ。

なかで働いている人が真面目だからこそね、神輿になる人がいるからこそ、潤う人もいるわけよ。

この国では。

特定法人になるってことはやね。

文部科学省天下り先になるって可能性もあるでしょ。

法人化で、もっと北欧デザイン家具が増える可能性もあるわけよ。

科研費の申請とか、したことないけど、大変そうじゃね?

書類を処理する仕事の為の仕事が、この国の官僚組織には、ついて回ってやね。

新しいガラス張りのきれいな建造物。

神戸空港途中に立ち並ぶビルの数々の大半は、税金建設されたんでしょ。

震災後の復興でさ。

政治家官僚が動くってことは、建設業者が、儲かるようになっているわけよ。

この国では。たいていは。

2014-03-27

総務省なのか文部科学省なのかは知らないけれど

実際問題 どちらの作者もまだまだ高速化は可能という事を言っているだろうけれど

アルゴリズム1つでプログラムは数十倍速さが違う。

そのぐらい書く人間によって性能が変わるのがプログラムであるという事実もっとちゃんと知らしめて欲しい。 

そして、実体験で申し訳ないがこれがものすごい規模のプログラムになってくると

ロックスレッドの使い方、メモリー周りのアルゴリズムなど並列化アルゴリズムの違いで1000倍違ったこともあった。

当然、速度だけではなくセキュリティーやUI/UXの使いやすさ、デザインに対する親和性、音のディレイ、安定性や移植性、などなど違ってくる。

例の 魔方陣プログラムスーパーコンピュータT2K-Tsukubaで約2時間30分で計算しましたが、この記事では一般的コンピュータ10分で計算

これらから、この記事のプログラムは僕のプログラムより何倍速いか計算すると、

200/2=100倍

CPUの性能等を考えると、その記事のプログラムは僕のプログラムより数十倍高速であると言えます

http://blog.livedoor.jp/mswinvks/archives/8293048.html

それが必ずしも売り上げにつながるとは限らないから、なんでもかんでも優秀な高いプログラマーを使えとは言わない。

遅いプログラムでも良い場合も多い。

2014-03-02

ドワンゴ就職受験料について

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/net/news0/national/20140302-OYT1T00197.htm

ブックマークコメントでもいろいろ意見が出ているけど、厚生労働省の「受験制度が他社にも広がれば、お金がない学生就職活動が制約される恐れがある」という懸念もっともで、ドワンゴもっと気の利いたやり方(「首都圏在住の人には北海道沖縄の会場へ試験を受けに行かせるとかすれば回避出来たと思う」ってコメント面白かった。)があったんじゃないかとも思う。

ただ、これまたブックマークでもいろいろなコメントが出ているけれど、大学なんかの入試受験料と企業就職受験料は違うという意見がよく分からない。批判とかではなく、単純によく分からない。

ブックマークコメント引用させてもらうと(引用させてもらった方への批判の意図はないので念のため)

kanenooto7248

まあ、当然だな。100社以上受けるうえに公正さが担保されてるとは言いがたい就職活動と、大学受験を同一に語ることはできまいよ。

疑問1:「100社以上受ける」というのが費用が高額になることへの懸念だとすると、大学受験料は単価が高い(私大は3万円前後?)ので、この指摘は空振りませんか?

疑問2:「公正さが担保され」るなら受験料を徴収しても良いのでしょうか。ドワンゴ寄付を公正さの担保とみなしていたようですが。

yurikago12

就活っていわば労働力を売り込む営業でしょ。金払わないと営業受けないよってのは酷でしょう。学校とは立場が逆。

疑問:入学試験学力(だけではないかもしれないですが)を売り込む営業ではないでしょうか。「学校とは立場が逆」という時の「逆」がよくわかりませんでした。

勤労も教育憲法で定められた権利なわけで、その機会が経済的な理由で制約されるということはあってはならないという理解なので、厚生労働省の今回の指導は当然といえば当然だ。じゃあ文部科学省は何をやってるんだという話なのだけど、就職受験料と入学受験料を分けて考える人がいたので、なんでだろうと疑問に思った次第。

つの考えとして、利潤の追求が企業と比べて容易ではない学校法人について、受験料という彼らの大きな収入源を取り上げてしまうと、ハレーションが大きいので見て見ぬふりをしている、とか。

公益法人私益法人の違いが大きいのかな。

でも本来的には個人の教育と勤労という大きな権利を制約するのが問題なわけで、入学受験料を徴収することが正当化されるとも思えない。

もし、就職試験受験徴収けしからんけれど入学試験受験徴収は問題無いという考えの人がいれば、ぜひご意見をお聞かせいただきたいです。

追記

>「首都圏在住の人には北海道沖縄の会場へ試験を受けに行かせるとかすれば回避出来たと思う」ってコメント面白かった。

あ、でもこれだと経済的意味で制約を設けるからやっぱりだめだな。

2013-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20131228222221

公正・平等という多元的価値観を、「みんな同じ」という一元的価値観勝手翻訳して誤解してるのが日本人じゃないの。少なくとも、戦前はともかく、戦後教育が「みんな同じ」=画一性をすり込めなどという方針であった時代なんてないので、それを「教育のせい」と言われると違和感があるな。:(言うまでもないことかとは思うけど、公正とか平等というのは、本来、民族・主義・主張が異なっていても公正に平等に扱われるべき、という主張であって、多元的ルーツをもつ集団を前提としてるよね。)

もっとも、日教組は「日教組は長い期間、文部科学省(旧文部省)などの教育行政が、トップダウン方式で画一的教育指向することに反対し、現場教員による柔軟で人間的な教育の実現を訴え対立」してきたと主張してるので、一部の人からは「画一性をすり込めと言われている」と見られていたのかもしれないけど、それ自体も誤解だと思う。

個人的には、同一性圧力が強めに働く日本の傾向については、歴史的に見て明らかにもっと根深いような。

2013-12-12

市民スポーツ普及は、運動嫌いを理解できない文科省じゃなく、理解できる厚労省が取り組むべき

【10月15日の自分ツイート転載

★昨日の日経朝刊社会面、スポーツクラブに入ってる成人が3割「しかいない」と問題提起記事。

 自分はそういう成人が3割「も」いることに、逆に驚いた。

 自分観測範囲内だと1割未満。まあ運動嫌いには運動嫌いの友人ばかり集まる、類は友を呼ぶ。

★記事の中に「スポーツクラブに属している人の運動能力は、そうでない人より高い」とあるが、これは因果関係が逆。

 「運動能力高い人はスポーツクラブに入りたがり、低い人は入りたがらない」から、そういう結果が出る

文部科学省は「週1回以上スポーツする成人比率を65%以上にする」政策目標は、案の定未達に(48%)。

 強権を以てスポーツを強制できない民主社会おいては、カネをつぎ込んでも政策目標実現は覚束ない。啓蒙工学必要

啓蒙工学とは「嫌がる人をその気にさせる啓蒙メソッド」。行動心理学行政経済学の応用。

 今の文部科学省は、「そもそも市民は、運動が好きに違いない」と言う大前提から出発してるから、政策目標は達成できない。

 運動嫌いのメンタリティを織り込んだ啓蒙作戦が必要

★記事最後文部科学省担当者コメントがお花畑。

 「クラブ活動は高い体力水準維持に役立つから、是非参加して欲しい」。

 スポーツクラブに行きたがらない人は、そもそも「高い体力水準なんて、別にイラナイ」と思ってる。余計なお世話

★ここは

 「スポーツしないと脳卒中発病リスクが●倍に、糖尿病発病リスクが●倍に、ガン発病リスクが●倍に」

 と具体的数値で脅迫しなきゃ、運動嫌いにはリーチしない

★その意味では、市民スポーツ行政文部科学省が所管していること自体が間違ってる。厚生労働省が所管すべき。

文科省スポーツ行政の本流はトップアスリート養成五輪メダル数で自身の功績が評価される。

 「スポーツ好きな人」が大前提行政からスポーツ嫌いの存在を皮膚感覚で理解できない。

 その点、メタボ検診や介護予防事業とかで「運動嫌いばかり相手にしてる」厚労省運動嫌いの気持ちが判る

運動好き、運動うまい人ばかりがスポーツクラブに入ることで、クラブメンバー技能レベルが益々アップする。

 一見望ましいことのようだが、運動嫌い、運動下手にとっては、入会する為の心理的ハードルが引き上がってしまい、

 益々参加したがらなくなる。

 「恥ずかしい、自分が足引っ張る」

スポーツクラブ技能が上がることは、「五輪メダル数増加が至上命題」な文部科学省

 とっては、裾野が広がることになるから望ましい。

 だが、「一人でも多くの運動嫌いに運動させたい」厚生労働省にとっては、実はあまり望ましくない。

2013-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20131128015846

いや、宗教問題じゃなく、イジメだろ。

本人が嫌だということを、強制したんだから宗教問題ではなく立派なパワハラパワハラの原因が宗教から介入する必要性がないっておかしなことを言っている。

 

私はミカンが好きだ。ゆえにミカンが嫌いな奴は許さない。食え!というのは、立派なパワハラだしイジメだろ。

あなたミカンを好きかどうかと、相手がミカンを好きかどうかは全く別な問題であるにもかかわらず、ミカンを喰わない奴は非国民みたいな扱いをするのは立派なイジメしかもその理由が 俺がミカンが好きだから意味わからんにも程があるだろ?

 

それで、学生課がまだ動かないなら、相手の国の大使館に一緒に出向いて、問題が起きているが学生課が動いてくれないと相談すれば

大使館から外務省に文句を言ってもらって、外務省から文部科学省に 外交上の問題としてクレーム入れれば学生課が動くだろ。

留学生宗教上の問題を起こすとか立派な外交問題だろ。

多分そのケースだと、相手の国の大使館は 真剣対応してくれると思うぞ。で、たぶん、外務省担当者真剣に泣くことになると思うよ。なので、その旨よく学生課と相談したら?

2013-11-11

あらま。反動 が はじまったな。

> 道徳:「特別の教科」に格上げ提言 記述式で評価

> 毎日新聞 2013年11月11日 11時06分

> 文部科学省有識者会議道徳教育の充実に関する懇談会」(座長鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問)は11日、小中学校道徳の教科化に向けた報告案を公表した。「特別の教科 道徳」(仮称)という新たな枠組みとして格上げし、確実な実施を促す。正規の教科のように数値や段階では成績を付けず、記述式の評価にする。2015年度にも開始される見通しだが、来年度は先行して文科省作成の副教材「心のノート」の改定版を活用。将来的には検定教科書も導入する。

http://mainichi.jp/select/news/20131111k0000e040114000c.html

あらま。どうなんでしょうかね? 小中学生に各々の見解を即しても だな。 あなたたちがいうところの「中二病」だったりする よ ね

それよりも 本人が本人に関して「そうではない」と 否定 している ことがら に しつこい 独特のいいまわし が 問題 だよね

中二病 ってな はじめて 耳にした とき 思わず飲んでたお茶を噴いてしまいそうになったんだけどね。

旧制中学 と 旧制工 の 境目 が ちょうど 現在 の 日本語 で 「中学二年生」だから なんだろうけどね。

2013-11-09

違和感の正体(個人の感想ですよ)

学習指導要領に書いてある」の回答 - 石田のヲモツタコト

http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20131108/1383913078

前々からこの手の話題で違和感を覚えていたのだけど、元記事を読んでいくつか違和感の正体がComeUpしたので書き留めておきたい。

1.教育の流れが悪い

 "はじめて覚える事"でひん曲がった算数/数学ルールを覚えさせるというのが筋が悪い。

小学2年生で間違いをもらった立式が、可換則を習うと間違いでなくなるという正誤感覚は気持ち悪い。

もうちょっと言うと、テスト用紙に「説明文にそった式を立てること。」といった表現があれば、これを見た大人の意見はずいぶん違うと思う。

2.教師の理由が悪い(適当ではない)

 「学習指導要領に書いてある」というのが本質的な理由にあたらない。

教師の立場文部科学省トップダウン指導は絶対であるというのは、大人なら理解に難くないのだけど。

「こうしないとわからない子供がいる」というのは教える側の理由で、算数世界で「×」にする理由にならない。

そもそもどうしてこういう学習指導要領になったのかが知りたい。この論理的な説明が知りたい。

3.年毎に変わる学習指導要領算数数学ルール範囲を規定する

 2に関係するのだけど、数学世界での理由が挙げられていない為に(そもそもないのだが)、今後の指導要領変更で「やっぱりやめました!」的なことが起こりかねない。

過去にあった、円周率を約3とした悪しき学習指導反省がなされていないのではないかと思った。

4.おわり

以上だけど、違和感ついて1が割合的に大きい。

ものを覚えたり習う時は、

「大きく覚えて後から詳細を知る」または「一つ一つのルールを覚えて大きくする」

のが正則だと思ってたので、正則ではないという違和感が正体だった。

(以上、個人の感想でした)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん