今日はこういう場を使って、いいたいことをいう。
文部科学省の定義では「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」と言われている。
これに対して、いじめという言葉が悪い。恐喝・脅し・傷害・暴行とすべての事象を言い変えろという人達もいる。
当然実社会からはいじめは無くした方がいいわけで、俺もいじめられてきたからその気持ちは凄くわかる。
あれだって、第三者よくよく考えれば他人を騙して笑い物にしているという立派ないじめじゃないか。
それに対して露骨な不快感を示し、バラエティ番組全般が悪いという俺から言わせれば的外れも甚だしい意見をいう輩だっている。
そんなテレビの世界のことを「なんとかバー」とかいう新しいアイスかなとかいう、楽して金が欲しい人達が安易に真似してトラブルになることだって少なくない。それをみたどっかのP●Aとかいう団体の人達がそれを助長するからバラエティ番組はおかしい!とまた言い続ける不毛なループが今の世の中では繰り広げられている。
的外れな批判をしている人達が忘れている(知ろうともしない?)ことをまず言おう。
「テレビの世界」において「いじめをされること」は「おいしいこと」なのだ。
芸能人という人種はとにかく「知名度」を上げることが必須条件。
テレビのバラエティ番組に出て、名前が売れればそれだけで儲かるのだ。
その番組のギャラ、そして、上がった知名度により飛び込んできた仕事によるギャラ。
実際にこんなに上手くいくわけではないが、そのためにはドッキリといういじめを受けることだっていいと思えるだろう。
いじめによる精神的苦痛を金銭に変換することで、苦痛を感じないから「いじめの定義」からは外れるのだ。
ただ、それを実生活に当てはめてみよう。
「実生活でドッキリをしかけられる」として、それをやることによっていじめを受ける側にメリットは果たしてあるのか。
少なくとも金銭的なメリットは限りなく0円。酷ければマイナスにだってなる。
それを分からない連中が「テレビでこれやってたんだよね。面白いからやってみようぜ。」と、安易なドッキリという名のいじめに走り、それをみた、これまたそういうことが分からない連中が「じゃあ、大元の原因を作ったバラエティが悪い。」という。
馬鹿かと。
昔から「テレビの世界特有のこと」には「良い子は真似しないでね。」ってどんな番組にだって書いてあっただろうが、そんな抽象的な表現も分からない馬鹿が増えたから、「※安全な花火を使用しております。」とか「※安全性には充分気をつけて撮影を行っております。」とかいうわけのわからないテロップがテレビに増えていくんだろうが。
と、話が脱線した。
じゃあ、実社会でどうしても「ドッキリという名のいじめをしたい人」はどうすればいいのか。
答えは簡単。
2億と言う数字を聞いてピンとくる人はいるだろうか。大体一般的なサラリーマンと呼ばれる人達が真面目に働いて一生のうちに得られる収入「生涯賃金」が大体2億円だったと思う。
つまり、言いかえれば
「いじめをしたいならいじめをした人間の一生を保障出来る金額が用意出来ているんだよね?」
ということだ。
その可能性は0ではない。そこまでおおごとにならなくても「人格形成になんらか影響するわけだ。」
精神的苦痛だよね。身体的苦痛だよね。はい、いじめの定義が成立するわけだ。
それを金に変換しようとするなら「ある人間が、その先の人生で得られるはずだったお金」を何らかの分かりやすい指標を使って表すしかないよね。
それが生涯賃金の平均。
もちろん、疾患や障害による病院代、その他もろもろの費用は別だ。
だから最低2億円。