差別的な落書き50カ所 東京・大久保、有志が消す活動:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG2X61JBG2XTPOB004.html
サヨクは勝てば「政府は市民の声を無視するな」、負ければ「政府は少数派の市民の声を聞け」。自分が買った時は「少数派の市民」を完全無視。
約3ヶ月の滞在を終えて、2週間前にチリから日本へ帰ってきた。
半年くらい前、体調を崩してから人間関係がうまくいかなくなり仕事を辞めた。
自分には妻も子供もいるため、なんとか調子を戻して次の職につこうと思っていたが、
幸い1年程度の生活費は貯まっていたので、小さな子供と遊びながら毎日を過ごした。
子供の成長は早い、とつくづく思う。毎日接するとわからなくなるものだが、
携帯で撮った写真をふと見返すと2週間くらいでも成長を感じられた。
この成長を日々見守るだけで、突然出来てしまった空白の時間にも意味があるように思えた。
そんな日々を過ごしているうちに不思議とやる気もでてきて、そろそろ就職先を
探そうとしていた矢先、妻がせっかくの休み期間なので旅行にでも行ってきたら、
と言ってくれた。
妻は当初自分の唯一の趣味であるツーリングにでもひとりで行ってきたら、
というつもりだったらしい。体を壊す前までは1ヶ月に一度くらい温泉などへ
ツーリングに出かけていたが、たしかにもう半年以上バイクは動かしてなかった。
ただ妻にチリに旅行に行こうと思うと言った時はさすがにびっくりしていた。
現地に1週間の滞在予定。
日本から首都サンチャアゴのホテルを1泊予約しその後は現地で決めようと思っていた。
自分にしてはちょっとした冒険だった。でも就職前に、なんというか無茶をしてみようと思った。
東南アジア、行ったことはないけれど。
海が見たいなと思い、サンチャアゴで1泊した後、海岸の街ビーニャというところに移動した。
海沿いのリゾート地で人気だという。毎日特にやることもなかったが、海に行ってパンを食べたり、
散歩していたりして過ごした。
夕日がとても綺麗だった。よく参考映像などでありそうな、夕日が浜辺で遊んでいる子どもたちを
照らすそんな風景。それが目の前に広がっていた。彼らの生活の風景だった。
ベタだけど、それを見て涙が出てきた。
なんかこれでいいんじゃないかと思った。
日本で働いていた時、たしかにやりがいはあったし、体を壊す前までは
でも毎日夜遅くに帰ってきて、朝早く出る、必死に働いていまの生活を維持しなくてもいいんじゃないかと思った。
お金がなくとも、もう少し不便でも家族と過ごしたい。きれいなものをみて死にたい、
と心から思った。
よく言う、これが「おりる」というやつだろう。
チリというところは夜ちょっとおっかなくて、そんな便利でも清潔でもないけれど
人は楽しそうで何よりも夕日が綺麗で子どもたちが楽しそうな場所であること。
そしてそこにみんなで来てもいいかなと思っていること。
妻からの返事は、感傷的になっているだけだから冷静になって、だった。
妻もどちらかと言えば、いい暮らしをするというよりものんびり家族と過ごしたいと
思うような人間だが、さすがにフラッと旅行に来た場所に移住しようというのは
安易すぎると思ったようだ。それはそうだ。
すこし喧嘩のようなものになったが、最終的に妻から滞在を延長して、
もう少し考えてみればと提案してくれた。もう少し冷静になって考えて
本当によければ決めよう、ということだった。
そしてこの2週間妻と話し合った結果、自分たちは来月日本を出ることにした。
この選択が本当に正しいのかどうかわからない。
後悔するかもしれない。でも当たり前だけど、やってみないとわからない。
ひっそりとした人生だけど、幸い自分たちにはチャンスがあるんじゃないかと最近思うようになった。
EUもアメリカも財政がやばいからロシアと戦争なんかしないだろ
これまで「やればやるほど本人のためにならないイネイブリングの輪廻」からようやく父親が外れて弟を追い出したんだけど、弟は勝手にカギを開けて戻ってきてたらしい。オレは知らないで家出を少ししたのだけど。オレの事で怒ってたらしいからちょうど良かったのかも。
そのあとも「3年後の春にな。もうここら辺にいるな。福祉とか病院にいけ。」とか言って家を出したらしい。ちょっと感動的に送り出したらしい。歳とった父親って言うのはそういうもんだろう。
そしたら、オレんちのマンションのロビーに入ってきてソファーで寝てた。オートロックの番号を知っているから。夜中寝てた。恐ろしく酒臭かった。またも期待を裏切った。当たり前なんだけどな。アル中なんて。信じる方がバカというか、それじゃ本人のためにならない。
そのまま、知らんぷりしてようかと思ったのだけどみなさんの迷惑になるので…
眠ってるところをパコーンと足を蹴り上げて凄んで追い出した。我ながら相当おっかなかったと思う。
そして家に戻った。オートロックの番号を変えなきゃいけないと思った。確認作業などをしなきゃいけないから、表に出た。するとまた弟はロビーのソファーで眠っていた。この間せいぜい5分。完全にナメきっている。そう言うもんなのだ。わかってる。
これまでは「はいーいってらっしゃいーバブー」って感じで家を出させたので…
バコーン蹴り上げて頭を張ってローキックだのなんだのやりながら「おりゃわりゃ」凄んでみたら殴り返そうとしてきたのでパコーン。全然出ようとしないから引きずり出して背中を後ろから思いっきり蹴っ飛ばして「放り出してやった」。オートロックの番号も変えておしまい。
親父は「体力が弱ってる」なんてメソメソしてるが…
弱ってたら、あの程度の攻撃でも死ぬだろう。
抵抗してたし殴り返そうとしたしピンピンしてたぞ。
大丈夫。しばらく死にゃしない。
…
これでかえってくる事も無いだろう。何せオレが家長なのだから。家長はなるべく黙ってみていた。そうしないと飲んでしまうからだ。家長がご機嫌だから大丈夫だ、と。
今回オレは初めて凄んで「追い出した」
そうかーみんな嫌いだったのかー、きつい事言ってもそこそこ楽しめてるからコメントついてるんだと思ったわー
というか俺は好きだったわー
そうかー
という気持ち…だったが、
接してみたら予想以上にクズだったので、みんなが嫌いな理由がよくわかった。
炎上した事件ははてブのトップページに掲載されていたものの、個人的にはなんでこんなブログで炎上するんだろうなと思ったくらいの小さな話。
曲解して2chまとめサイトにまとめることで、小火に油を注いで大火事にしたようなそんな印象だったんだよね。
炎上したはてなブロガーとは、その記事以外で知ることもない初対面だったわけなので、
「あの炎上は事故みたいなもんだよね、言ってることはそんなに変じゃなかったよ」なんて話をしつつSNSでつながることに。
それでわかったんだ、彼が炎上した理由。
SNSで定期的に送られてくる彼の発言は毎回軽くイラっとさせる。
一つ一つはたいしたことはないのだけど、一日3イラットくらいのポイントがたまるので一月で約100イラットポイントになるわけだ。
こういうイラットポイントが炎上マイレージにポイント変換されることで、先の炎上案件は起きたのだろうなぁ。
そして、そのイラットポイントを相手にためていることを本人は理解していないというのが恐ろしいところ。
自分も同じことをしてないか我が身を振り返るべきだなぁと思った。
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO67530210Y4A220C1000000/
日経の記事を読んで興味を持った。
クラブ規制の件でTogetterとか見てて、アキバ系DJってのがあるというのは知っていたので、これかぁ的に。
で、Ustreamで店の様子の動画が見れたので見てたんだけど、DJの人、
「おぅぃ!!みんなっ!前こいよおおお!」みたいなこと言うのな。
いやコレは納得イカない
寝たのが遅かったの?
> ビットコインというものがどういうプログラムで出来ているか知っている人ってのは開発者くらいなんじゃないだろうか?でなければ幾らでも何でも出来る。
先月から中国語、日本語、英語が話せるという年上のアラフォー中国人が部下になった。
以前から日本で働いていて、営業から生産管理までやったことがあると本人は言うのだが…
1ヶ月ほどOJTで一緒に動いたのだが日本語力が乏しいし、営業としての力もほとんどない。
・見積書をつくればセンター揃えを何故か崩してわけのわからないものを作る。
・打合せに同行させれば横で何かしらゴソゴソ動いて、打合せ内容を理解できてない。
・なんでもとりあえず「できます」と言う。
営業の力がないのはあきらかなのでもう諦めているが、中国人ってみんなこういう感じなのか?
今トモシビという曲を聞いている。
「希望だけでは終わらせたくない、この弱さを超えていこう。
けっして消えないトモシビを、燃やし続けたい、不安定な心に、未来を明るく、照らせるのはきっと自分でしかない。」
この歌詞は歌っているSuara自身が書いた物だが、作品のToHeart2の裏側にある下川社長の悲哀が伝わってくる。
かの文章から伝わるイメージのそれではなく、あの尼崎のコンテナの中で曲を作っていたときの彼のイメージだ。
あのとき、DOZAや折戸と音楽を作っていたとき、彼は何を思い描いていたんだろう?
そして、高橋龍也も超先生もうだるちんもいなくなった後、彼はどうしようと思ったんだろう?
外様のむーむーや枕流に頼っていていいのか?
むーむー主導だと純愛ものなのになんやかんやでハーレムになるぞ、しかも前作のヒロイン毎。
枕流主導だと純愛ものなのになんやかんやでヒロインたちがぎすぎすした関係になり、とどのつまり誰も幸せになれないオチで終わるぞ。
三宅もこみパがあたったもののあれは、題材とちゃん様の画と東京勢ぶっこ抜きのインパクトあってのものだったし、本当に大丈夫か?
大体、三宅主導で書くと哲学だか宗教だかの難しい話を調子にのってしだすかもしれないぞ? 高橋龍也を抑えたようにまた抑えれるのか?
まるいたけしも急に誰もしらない古典文学作品の引用とかするんじゃないか? と気が気でない。
そんな中、ToHeart2は2の名を冠するにふさわしいかどうかはともかく、売り上げ的には大大大ヒットで終わった。
そのとき本当に下川はトモシビの歌詞のようなことを思ったのだろうか?
本当はあの尼崎のタイヤ売りに戻りたかったんじゃないだろうか?
「自分じゃ無理なんだよ、もう。」というあきらめの声が、何故かイメージされる。
自分だけの力で前に進むことがもう限界だと、下川は思っていたんじゃないだろうか。
だから、あえてフル戦力を使い、最大ヒットしたToHeartの続編を作った。
歴史にifはないからわからないけれど、ToHeart2がもしコケていたら、どうなっていただろう。
超先生はどうなっていただろうか?
友達の危機に折戸はどうしようと考えただろうか?
もしビジュアルアーツに傘下するようになり、折戸、下川、DOZA、中上、水無月、高橋、超先生、うだるちんで何か作品を作っていたかもしれない。