はてなキーワード: アンコールワットとは
約10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行でカンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である。
最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。
●経緯
なぜカンボジアに行くことになったのか。
当時、従兄弟がカンボジアでビジネスをしていて、その従兄弟に夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである。
しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。
●入国
カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟のビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクでホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人がスピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。
次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺
この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどかな雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?
で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね。
一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教の統治者になったり、ヒンドゥー教の統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。
今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。
あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人の落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人はアンコールワットをインドと勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。
アンコールワットは欧米人観光客がめっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。
で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母は日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったからアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ち悪いから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策でブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢の祖母のことを拝んでいた。生き仏。
まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちをホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。
あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。
別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジアの国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産に登録されてるんだったはず。確か。
タプロームとかバンテアスレイ?とかいう遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。
いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスにしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。
アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。
水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分の別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……
あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地のジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真とトンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人は自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。
日本に普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?
まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子を物乞いにあげていた。豆菓子で物乞いは普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子で対応する人初めて見た」と言っていた。
当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?
繁華街にアンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザがめっちゃ美味しかった。レッドピアノは雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。
私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。
あまり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポトの思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。
正直食べ物に関してはこのレッドピアノとココナッツジュース飲んでお腹壊したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校の修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理はあんまり好きじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)
あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。
「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU」
私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単な英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客の視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂がピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。
私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本のちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームでクマのぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。
まず、プリクラの入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんがパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線の映画のポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線のポスターはもちろん選んだ。
で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本のプリクラみたいに自動で撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんがシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃんが確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんがポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。
ちなみに落書きの制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真は日本のプリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラのホログラム加工がしてあって笑った。
カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。
●祖母
私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特に、ココナッツジュースでお腹を壊した時は祖母が神様のように見えた。祖母はお腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干しを差し出してきた。この梅干しは祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母の梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹が安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母の梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである。
ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら
「暑いし階段が多かったから疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。
●その他
思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。
私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソードを引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。
最後に。
読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。
ありがとうございました。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
遺跡が好きかにもよるが、アンコールワットはドン引きする規模と作りなので観に行って損はないと思う。今、コロナの影響が残っていて観光客が少なめならなおさら良い機会。
という流れでふらふらしようと思っていて今カンボジアにいるんだが、遺跡の鑑賞チケット37ドルが5000円か〜と気持ちが削がれている。
※因みに今は37ドルの一日チケットで二日間有効。超有名なアンコールワット以外にも周辺の遺跡にそのチケットで入ることができる。
朝は早く起きれないから夕日を見ることになるだろう。きっと綺麗なんだろう。そしてきっと思うだろう「わ〜写真の通り〜」。例えば過去に日本の城とか、そういう感想しか出ないのもあほらしいからウィキとかで予習してから行ってみたりもしたんだけど、結局面白かったのってウィキで未知の情報知る瞬間で、実際の城を見ても「グーグルマップのレビュー写真で見た」という感想とか「めっちゃ白〜」とかいうあほな感想しか出て来ない。
とにかく自分が5000円分も楽しめる自信ない。チケット料金が1000円とかだったら何も考えず行ったんだけど。
それでも行っておいたほうがいいのか?
やるぞ!と決意しないと難しい
お金がかかる
時期が非常に限られる
今はまだ無理
逆にあと数年で価値が無くなりそうor年齢的に厳しい
運の要素が強い
まだまだ増える。
おすすめある?
https://anond.hatelabo.jp/20220125183017 が何か盛り上がっていたので思いつくままに追記...しようと思ったのですが、私の話より先に、いただいた「やりたいこと」をまとめさせてください。
たくさんのコメントありがとうございます。拾えてなかったらすみません。
いただいたものを眺めつつ、この週末に新しいリストを作ってみようと思います。
私のリストは、結構個人的なものも含むのでそのうち整理して、気が向いたら公開します。
...とは書きましたが、だからといって不幸な気分ではありません。
たとえばクイズのバラエティ番組を見てて、世界遺産とか地域の名物がクイズの答えになってて、そこに行った思い出の話を楽しんだりとか、普通にあります。行ったことがない観光地が紹介されていて、行ってみたいなーと思うこともありますし、実際に行くこともあります。ただ、それは「死ぬまでに絶対に行きたい」から行ったというよりは、暇だしまあいいか、という感じです。そういう細々としたやりたいことはたくさんあるので、それほど不幸でもないし退屈でもありません。
ブックマークで「子供がいたら、無限にやりたいことは出てくるはず」というコメント(ブックマークはコメントなの?わからん。)を多数いただきましたが、全く同感です。ただ、年齢的に子供はいませんし予定もありません。少し羨ましく思います。
それから「奥さんと幸せな老後を暮らす、という項目はないの?」というコメントもいただきました。項目にはありませんでしたが、そうなるといいなとは思っています。
122個目をやるときの気持ちを知りたい。「やったるで!」という感じだったのか、「アカン終わってまう…」という気持ちだったのか
粛々と...という感じでしたね。やり終わった時は感慨深かったです。ものすごい達成感を味わいました。
じゃあ死んだら?
この前中之島あたりをぶらついたら、ガラス張りの滅茶苦茶デカいビルがそびえ立ってて結構な迫力を感じた。
梅田はデカいビルばっかりだから逆にひとつひとつの印象が薄いんだけど、中之島は川で挟まれてるぶん開放的な空間にいきなりビルがあるんでインパクトが強い。
そして思ったんだけど、たとえば300年前の建物としてあのデカさ・高さがあったら絶対世界遺産入りするんだよな。
そのへんのビル街にあるどうでもいいビルでも大概の城とか塔よりデカいし、なんなら世界遺産クラスと比べてもピラミッドくらいにしか負けない感じさえある。
現代建築もデカいし精緻だしすごいと思うんですよ俺は。アンコールワットみてえなものを見て喜ぶくらいなら、家一歩出て目に入るビル、なんなら自分ちそのものに目を向けてみろ、それが500年前の建物と思ったらメチャクチャすごくねえか?
でもコンクリートってカスらしいじゃん。俺はそれが悔しいんだ。
これまで見た建築物で一番グッときたの、五重塔でも清水寺でもアヤソフィアでもパンテオンでもなく、北京空港なんですよね。
北京空港すげえんだよマジで頭おかしいくらいデカくてさ、遠近感が狂うくらいクソ高い天井が視界いっぱいに広がってて、しかもそれが光っててさ、これまたデカい白い柱が無数に立ってんの。なんかもう神秘的ですらあったんだよな。
乗り換えするだけの空港の移動だ、と思ってロクに周り気にしてなかったんだけど、ふと立ち止まって天井見上げた時これってもしかしてマジですごい建物なんじゃないかって思ったんすよ。
でね、あの巨大でマジェスティックでとんでもないものが、なんの遺産にもならずに消えていくって悲しいじゃないですか。劣化したとか言って取り壊されてさ、仕方ないんだけどやっぱり悲しいぜ。
だから、現代技術の粋を集めて、長持ちする素材でひとつデカイものを作ってはどうか。
北京空港くらいでかい石造りの何か、作れないのか?将来の人類、あるいは次に覇権取った知的生物が見てこいつはすげえやと感嘆するようなもの、絶対作れるでしょ。
以前大学の休みを利用してカンボジアに学校建設のボランティアをしたことがある。
そこで感じたモヤモヤを記そうと思う。
あくまで自分が参加したNPO法人がそうだっただけで、他に真面目に活動している団体も沢山あることを先に述べる。
自分が参加したのは、向井理や松坂桃李が出演していた「僕たちは世界を変えることができない」という、大学生がカンボジアに学校を建てる映画を観たのがきっかけだった。
カンボジアで起きた大虐殺のあと、その後どのようにカンボジアの人々が生きていったのか知りたかった。
就活で役立つかな、みたいな考えがあったことも否めないが、予想以上だった。
モヤモヤ一覧を箇条書きにする。
・神聖なアンコールワットで騒ぎすぎて現地の方に何度も注意される
・ホテルで騒ぎすぎて、泊まっていた別の国の観光客からガチ目に怒られる
・参加費用は結構高額だったんだけど、紹介割とかがあって人に紹介しまくればタダで行けたりテーマパークのチケットが貰えたりする。
(収支どうなってるんだろう…)
肝心の学校建設は、建設のために使っているショベルカーを止めてもらって、土を手作業で運ぶだけ。もはや工事の進行を妨げている。
気分を上げるため()とか言って大音量で音楽を流しながら運んでいたけど、
すぐそばで授業をやっていた子どもたちや先生にとってはさぞかし迷惑だったことだろう。
子どもはかわいい。日本と違って簡単に泣かないし、日本の子どもと遊ぶボランティアと違って、ただその場限りだし。
遊びの選択肢が少ないカンボジアの子ども達は、大学生がモラトリアム気分で参加するこのボランティアを心待ちにしてくれる。
箱は作るのは簡単だけど、カンボジアは教員が足りなかったり、勉強道具が未だに足りていない。
がらんどうの箱だけ作っても結局は自己満足に過ぎない。
まあ皮肉なことに、孤児院だったり学校建設ツアーは、カンボジアの一大観光資源になっている。
これからも日本人は自己満足のためにカンボジアにただの箱を作り続けるんだろう。
日本から程よく近くて、治安もそこそこ良くて発展しているから、スキルのない大学生の自己成長()にもってこいだし。
余談だけど、カンボジア行ってる大学生って純粋な子たちが多くて、宗教とか入ってる子が多かった。あと西野とかイケハヤとか好きな子もいた。
あと明るい子が多かったから、就活成功するだろうなーって子ばっかり。カンボジアの学校建設は素敵なガクチカになることでしょう。
参加して、色んな意味でこういう世界もあるんだーと知らないことを知ることができた貴重な体験だったけど、
友達とか周りの人には勧めないだろうな。
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
友達が留学時代にお世話になったフランス人の夫婦がヴァカンスで日本に来るっていうので、
一緒に食事に付き合った。
休みどれくらいとってるんですか、って聞いたら、
8日かと思ったら、
8週間てあんた
2週間日本に滞在して、そのあとはフランスに戻ってゆっくりするらしい。
仕事をすごい調整して、
古い遺跡が好きだからアンコールワットにずっと行ってみたかったんだ。
就職してから1週間も休んだのはじめてで、社会人になってからはじめての海外旅行だった。
周りの人には、1週間休めて、ゆっくり行けていいな!と言われた。
1週間カンボジアに行ったという話したら、
「1週間じゃゆっくり見れなかったでしょ」
かわいそうに、と言われた。
何だかすごい悲しくなった。
よけいなお世話だけど。
2ヶ月休みたいとも思わないけど
1週間くらいはすごくがんばらなくても休みがとれるといいのにと思う。