はてなキーワード: 五重塔とは
日向勃興
サラリーマン予想
急ごしらえのハイサーグラフ
前途洋々前頭葉
買ってよかったものという表現は、どうでもいいものをたくさん買っていることを示唆している
アッサムに着いた人「あっ寒」
大笑いしてごまかす→へそで沸かした茶を濁す
舌打ちするゲバラ
いざこざ/イコイライザ
矢を売ってる店→矢屋
大童↔︎ちっちゃいおっさん
ペン付きの剣
血で血を洗う共洗い
海をデカい水と言う人
偽物のバッタ
いずくにか/ゆめぴりか
棚を見た人「棚だなあ」
自腹↔︎他背
狭い城→2畳城
一晩置くという指示は、昼間に起きていることを想定している
犯罪者だらけの町→犯し町
群馬↔︎県牛
海開き↔︎山閉じ
ガンジー→塩ニズム
餅の写真
石の上にも桃栗三年柿八年
2度あることは3度目の正直
泣きっ面に蜂の巣をつついたような
犬も歩けば棒になった足にあたる
雀、三子の魂百まで踊り忘れず
掃き溜めに鶴の一声
上にたんこぶがある目から鼻に抜ける
怖い仕返し→疾病がえし
猫ひろし↔︎猫の額
月に雁の贋作
若きウェルテルの悩み/若くて売れてる人の悩み
嘘をつく麦→lie麦
ファンであることを言おうとしてモンゴルの君主になってしまった人→「大ハーンなんです!」
ラッパーが好きな飲み物は何かな?→ジントニック(ライムが入っているから)
ポルター概すと
誰かの前をずっと歩き続ける逆ストーカー
ワンダー惚ける
内科医/神内豊
自衛官/大伴真純
噂話が絶えない船→goship
白昼堂々ヒルクライム
千夜一夜/一粒万倍/一日千秋/一石二鳥/七転八倒/二束三文/八十八夜/三々五々/十人十色/千載一遇/一期一会/一栄一辱/一攫千金/一望千里/一喜一憂/一向一揆/一進一退/百姓一揆/百人一首/三位一体/一都六県/百発百中/一朝一夕/一言一句/一汁一菜/三寒四温/一挙一動/一国一城/万世一系/一世一代/千差万別/五代十国
一都六県に含まれるtrocken
美容師が住んでる岬→襟足岬
ありがたい寺→御の寺
疑似餌のジビエ
舌鋒鋭い蜂
すかしっぺ/スカラシップ
煙に巻かれたフィリップモリス
ロキソ人(ろきそんちゅ)
ビザン人(びざんちゅ)
啼き声がGAFAの烏
UMAの馬
ジュラ紀/受話器
ビビッとくる鮮やかさ
wisdom teeth/親知らず
ボー君/暴君
コニャック/こんにゃく
試してgoddamn
コックの訛り→コックニー
名前がローチのコック
酒「人を飲んでも飲まれるな」
むざむざに含まれるザムザ
うーんガンダム
仁和寺の法師→ドツボにハマる
ヴォルリモート
山→n字谷
全然やりたくない人→やりたいのは川川ですが..
ひらくごま
水質オタク
絵売りピデス
さすが官房長官
カルツォーネは重い
明るい寺→カン寺
猪突猛進する豚
ラクダに乗った人「楽だな」
掛け値なし(税込)
ベルリン昼ハーモーニー
この前中之島あたりをぶらついたら、ガラス張りの滅茶苦茶デカいビルがそびえ立ってて結構な迫力を感じた。
梅田はデカいビルばっかりだから逆にひとつひとつの印象が薄いんだけど、中之島は川で挟まれてるぶん開放的な空間にいきなりビルがあるんでインパクトが強い。
そして思ったんだけど、たとえば300年前の建物としてあのデカさ・高さがあったら絶対世界遺産入りするんだよな。
そのへんのビル街にあるどうでもいいビルでも大概の城とか塔よりデカいし、なんなら世界遺産クラスと比べてもピラミッドくらいにしか負けない感じさえある。
現代建築もデカいし精緻だしすごいと思うんですよ俺は。アンコールワットみてえなものを見て喜ぶくらいなら、家一歩出て目に入るビル、なんなら自分ちそのものに目を向けてみろ、それが500年前の建物と思ったらメチャクチャすごくねえか?
でもコンクリートってカスらしいじゃん。俺はそれが悔しいんだ。
これまで見た建築物で一番グッときたの、五重塔でも清水寺でもアヤソフィアでもパンテオンでもなく、北京空港なんですよね。
北京空港すげえんだよマジで頭おかしいくらいデカくてさ、遠近感が狂うくらいクソ高い天井が視界いっぱいに広がってて、しかもそれが光っててさ、これまたデカい白い柱が無数に立ってんの。なんかもう神秘的ですらあったんだよな。
乗り換えするだけの空港の移動だ、と思ってロクに周り気にしてなかったんだけど、ふと立ち止まって天井見上げた時これってもしかしてマジですごい建物なんじゃないかって思ったんすよ。
でね、あの巨大でマジェスティックでとんでもないものが、なんの遺産にもならずに消えていくって悲しいじゃないですか。劣化したとか言って取り壊されてさ、仕方ないんだけどやっぱり悲しいぜ。
だから、現代技術の粋を集めて、長持ちする素材でひとつデカイものを作ってはどうか。
北京空港くらいでかい石造りの何か、作れないのか?将来の人類、あるいは次に覇権取った知的生物が見てこいつはすげえやと感嘆するようなもの、絶対作れるでしょ。
友人と旅行すると,興味ない人には日本の伝統建築って全部同じに見えてるんだろうなーって思うことが多い.つまり,「見えて」いても「見えてない」んだな.解像度が低い.だから,その深み凄みを紹介するために10の建築を選んでみた.
この増田で,日本建築のどこをみればいいかが少しでも理解してもらえればいいな,と思っている.あくまで日本建築を楽しむための「入り口」として,もしくは旅行の楽しみを一つ増やすためのお手軽ツール(やや自嘲をこめてるよ,これ)として,読んでくれると嬉しい.
法隆寺は誰もが行ったことがあるだろう.しかし,一般人は教科書に載っている五重塔と金堂があるなーって思って,終わりなんじゃないだろうか.違うのよ本当に.中門なんだ.中門から回廊にかけての柱.伊東忠太がエンタシスと呼んだ,胴張りの柱.この列柱をみて,何も感じない人間は,おそらく建築に対するセンスを持ち合わせていないのだろうから,これ以降この増田は読まなくてもよろしい.建築は細部に宿るのだ.その原初的プロポーションは,日本にも偉大なる古典(クラシック)があったという証なのだ.
東大寺に行くと,一般人は大仏殿で満足して帰る.ちょっと詳しい人は,二月堂まで登って景色を楽しんで帰る.じゃあ玄人は?その横の法華堂だ.しかも,入り口ではなく,裏側からまずその建築美を楽しむ.この風景こそが,まさに創建時代の東大寺だからだ.実はこのお堂は,左半分が奈良時代の仏堂であり,鎌倉時代に右半分の礼堂を増築している.だから側面からみるとチグハグな印象を受ける.なぜこんな事になっているか.原初的には,仏像は外から拝むものなのだ.お堂の中は仏の領域であり,そこに人が入ることはなかった.しかし,日本は雨が多いため,実用的な理由で,仏堂に並び建つ形で礼堂という,人が入って拝むためのお堂が作られるようになる.そして,その後この仏堂と礼堂を一つの大きな屋根で覆うようになったのが,日本の最も一般的な正方形に近いお堂の形だ.なぜ奥行きがあるのか,それは二つのお堂を包摂してるから.そして,内部を内陣(仏の領域)と外陣(人の領域)に分けている.
とまあ,東大寺法華堂だけで日本の建築史が語れるんだけど,法華堂自体の価値とは,その仏堂と礼堂の処理の過渡期的な建築であることはもちろん,何よりも,天平建築と天平彫刻がそのままの形で残っていることだ.奈良時代,日本はやっと中国・唐から最新の様式を導入できるようになった.そしてそれは王者の建築なんだな.力強く,おおらかで溌剌とした建築.柱と梁によるシンプルで強い建築.その素のままの美しさでは,天平建築にその後の建築は敵うはずがないのだ.
平安時代の建築って,数も少ないし奈良時代以前の建築に比べて,それほど素晴らしいとは思えない.よくも悪くも日本ナイズされて,よく言えば品のある住宅風の,悪く言えば構造のダイナミズムが弱い建築が作られた.平安時代,人は仏堂の中に入り,座って祈りを捧げるようになった.それゆえ,天井は低く,落ち着いた空間が好まれるようになった(卵が先か鶏が先かはわからないが).軽く高床にして,床下の風通しをよくしているのも日本化のひとつ.これらの日本的要素を建築史的には和様と呼ぶ.平等院鳳凰堂が和様の代表みたいに言われているけど,あれはまあ,例外的な派手派手金持ち建築なわけで,一般的な仏堂というのは,この富貴寺大堂のような三間四方(柱が4本で間が3つの正方形型)の阿弥陀堂だろう.これがよい.実に素朴で,柔らかい建築.人と仏像の距離がちょうどよくて,いつまでも中に入って祈りを捧げられるような,そんな自然体の空間.こういう空間は,奈良時代のダイナミックな,ところせましと仏像が建ち並ぶ空間とは異なり,ほっとするんだな,日本人なら.とはいえ,この富貴寺は大分のド田舎にあるので,さすがに東京から行くにはマニアじゃないと無理かな.東日本なら,福島県いわき市にある白水阿弥陀堂も同様の建築でよい(らしい.東国はいまいち詳しくない).さらに,平安時代に由来する浄土式庭園の中にあるので,こちらの方が平安時代的でよいかもしれない.
日本建築史上の最大のトピックといえば,鎌倉時代に東大寺再建に関わった僧,重源の大仏様である.先述したように,平安時代には天井を低く住宅風の落ち着いた仏堂が好まれたが,重源が宋からもたらした建築は,その真逆をいくエポックメイキングなものだった.天井は貼らず,屋根裏まで高く伸びる柱.縦横無尽に頭上を飛び交う貫(ぬき,柱と柱をつなぐ水平の補強材).そんな規格外の建築.東大寺大仏殿という世界最大級の木造建築を作るためには,従来の和様建築では構造的に不可能であった.それゆえ,より合理的でダイナミックな中国・宋由来の建築が取り入れられた.日本建築史上最も巨大な,今見られる大仏殿の3倍にもなる内部空間.それはパンテオンにも劣らぬ迫力のものであったろう.そんな鎌倉期大仏殿を今,見ることはできない.戦国時代に田舎侍が燃やしてしまったから.しかし,東大寺南大門は当時のまま残っている.東大寺の南大門をくぐる時は,ふと上を見上げてみよう.そして,圧倒的な上昇感に震えてみろ.
多宝塔って知っているだろうか?下層が方形,上層が円形の平面を持つ,ちょっと変な建築だ.空海に由来するため,真言宗系の寺院によく見られる.これ,塔がそもそもはインドのストゥーパ(釈迦の遺骨を納めた仏教最初期の半球系の建造物)に由来していることをあらわしている.先祖帰りの建築だ。中国にも存在しない、日本オリジナルの奇形建築。木造建造物としては,かなり無理矢理な形をしていることから,よほどの宗教的な意味があったのだろうと思う.今は15mほどの小型のものが多いが,そのオリジナルは高野山のコアである根本大塔だ.しかしあれは無理があったのか,燃えては再建を繰り返し,今ではもう鉄筋コンクリートだ.そんな中,金剛三昧院の多宝塔は本場高野山にありながら,鎌倉時代のもので,有名な石山寺多宝塔と並んで最も古く美しい形をなしている.どっちでもいいんだけどね,やっぱり本場の多宝塔を見た方がよいかな,と思うわけだ.
軽くさわりだけなのに,予想以上に長くなってしまった.まだ鎌倉までしか進んでいない.この増田が反響があったなら,あとの5つも書いてもいいかな.
昭和天皇の写真が燃やされて「日本国民が傷つく」とか思ってる人、実際よくわからんのだけど。
昭和天皇の写真燃やされてウケる〜とか思っちゃいかんのだろうか、そのひとたちにとっては。
少なくとも私は昭和天皇の写真が燃えてるのを間近で見ると興奮すると思うので、「傷ついた日本国民」に勝手にカウントしないでほしい。T田さんとかH田さんとかK村さんのことね。
私のそういう発想が不愉快なら私のことをべつに「非国民」とか呼んでくれてもいいけど、私にとって昭和天皇の写真が燃えるのは、後醍醐天皇の肖像画が燃えるのとあんまり大差ないよ(ウケるのは昭和天皇の写真が燃える方だけど)。
なんにせよ、自分の所属するカルトを飛び越えて主語を大きくするのはよくないよね。ここに存分に罵倒ツリーをぶら下げてもいいから、「昭和天皇の写真燃やされても別に不愉快でなくむしろウケる」と思うやつが標本1個ぶんいることは、その罵倒の中でさらに明らかにしていってほしい。ついでに言えば伊藤真美&大塚英志『JAPAN』(全3巻)とか読んでラストの昭和天皇クローンで憤死しておいてほしい。
昭和天皇燃やす上でそれをアートとするかどうかは、見た上で判断したかったのだけど、その楽しみは現場で享受できなかったなあ。再開しても抽選ならしょうがないもんね。まあ、最初にガソリン脅迫した奴がクソクソクソ悪いんだから、私はあくまでガソリン脅迫したやつにピンポイントでF**kと言っておくよ。
ちなみにあいトリ2019でよかったのを書いとくね。トヨタ美術館の方は行けなかったので他の人に任せた。
:マジかっこいい。かっこいいから見にいってくれ。これだけで名古屋市美に行く元は取れる。茶碗展と動物園の両方好きなやつはいっとけ。両方が入ってるから。私はメロンとカジキマグロが好き〜。
:うさんくさーい、けどこれIbとかラヴクラフトとかSCP好きな人にはたまらない空間だと思うよ。会場に手紙の抜粋があるから受け取っていくといいよ。
:これ、本来なら科学技術未来館とかにあってもおかしくない展示なんだけど、そういうものも「情(報)」ということでアート展示に収められるのはこの展示会のコンセプトのいい部分だなと思います。人間の下半身を模した機械がなめらかに動いているのを注視させてもらうだけでコーフンしちゃう。
:自殺する直前に書かれた遺言書をタイプする映像を暗闇の中に陳列した部屋。血と肉を人体から剥ぎ取った後もなお残る死の匂いって、もしかしたらこういうものかなと思った。
:行った時には表現の不自由展中止にあわせて展示自体が止まっていたモニカ・メイヤーの作品は、 「女性差別の経験」を来場者に書かせるという非常に生-政治的なコンセプトなのだけど、展示が止まってしまったことによってそれらのピンクのメモ自体が封殺されてしまったかような風景になっていた。これについてはむしろ展示中止中もまたひとつの芸術になっていたと思う。あと、モニカ・メイヤーのこの手法を借用して、表現の不自由展前のブースで行われていた #YOurfreedom も、女性に限らない不自由や差別的待遇について来場者の一人ひとりが強烈なメモを書き残していて、重苦しい気持ちになった。我々が取り除くべき不自由はまだあるんだという決意が漲った。ただ、それを「表現の不自由展」中止の再開にむけたメッセージのようにも取れるような物理的配置はちょっと狙いすぎであざといなと、(再開を期待しており、不自由展批判論者をわりとバカにしている私ですら)萎えるところはあったけれど。
:今回見たあらゆる展示の中でもっとも純粋に“何がどうなってるのかわけわかんない凄み”があった。生きてる時代が同じなのに、存在自体オーパーツ、みたいなのを作るのに挑戦してくれてありがとうってかんじ。今後いろんな展覧会でもういちど見られるといいな。
:ロープに逆らわないとバンド演奏もできない男たち。ウケる。でも弾いている曲だったり場所だったりの文脈によって政治風刺として立ち上がる、という作品。愛知芸術文化センターの地下の端っこにひっそりとあるので余計じわじわ来た。
:合計10の架空音楽ジャンルが、PowerPointとちょっとしたオリジナルサウンドと共に表示される。一番ウケたのが「Neo liberal Adult Contemporary」と共に表示される$¥£などの通貨表示。「ネオリベを表すパワポ芸wwwwwwww」ってなっちゃった。他のジャンルも「言われてみればありそう」という気もしないでもなかった。近過去&近未来SFアートの一種としてこういうやり方はもっと聴いてみたい。
:クレーン車で事故死した6人のこどもの人生を追跡しながら狭い回廊を逆時計回りにめぐらせると、うざったい現代車の垂れ幕に遭遇させられ、それをくぐっている間にいつのまにかくり抜かれた穴が右側に出現し、鑑賞している自分の側が「子供を轢きうる運転手の視界」に組み込まれる……という仕掛けになっている。前半の子供の記憶を掘り起こす温かみとはまた別の角度から刺してくる、順路コミのアート展示だった。円頓寺商店街をめぐるなら優先的に行っておいたほうがいい候補の一つ。ただ、並んで歩いてたひとの多くがその車の穴に着目していたかと言うと、よくわからん。誘導ないほうが嬉しいけど伝わってない可能性も高いかもね。
:蔵の中に展示された圧迫感ある古物ガラクタアート感が一方の魅力でありつつ、正直言って円頓寺商店街中屈指の瞬間的デートスポットである(作者の狙いは知らんよ)。カップルは並んでいっとけ。できれば内部に明かりのある夕方がいい。
あと名古屋は新幹線も在来線も駅構内のきしめんを食べてから行くべし。駅出てからきしめん屋探すくらいなら松坂屋南館10階のあつた蓬莱軒でひつまぶし食っとけ。
奴ら、アジア人に細目ツリ眼メイクさせるのが好きなんだよ。明らかにアジア人フェチズム、ファンタジーというのがあって、その中では赤い五重塔がそこら中に立ってツリ目が溢れてるのがシコいわけ。そこでアジア人はツリ目してねえって言っても無駄なんだよね、だって引きつってない目は妄想のアジア人じゃないから。気持ちよくないから。
そんでもって、頬骨とか顎骨の隆起と頬のシワとか、日本人に無い特徴と目立たせようと思わない特徴が年齢判定のチェックリスト項目になってんの。チェックが一つも付かないと「未成年」になる。ちなみにこっちから見るとチェックが付きまくって欧米人は18歳くらいから35歳くらいに見える。お前がオバハンだと思ったそいつは違法ロリだ。マジか。三児のパパじゃなくて男子高校生とかマジか。
つまり日本人や中国人や概ねアジア人が欧米に行くと、「俺のシコポイントに喧嘩売ってる未成年の子供が来た、うぜえ」って応対になるわけ。これは萌え絵で押し流していかなければならない。
そこらへんの君があげたキーワードは、実際はそれを描いてる本人たちはそんな現実が永遠に来るわけがないと思っている男社会肯定者だよ
そんな女が男に指輪を出して結婚を申し込む現実なんて、地球が何かい生まれ変わってもやってくるわけないじゃんw
まさか本気で言ってるとでも思ってたの?w
爆笑w
っとまあ、煽るのはやめにして。
ではなんでそんなこと書いてるのかってことだけど。
ここらへんをカウンター要因として配置して相手させてるってこと。
本当に女がプロポーズして、女が男を養う社会が到来したら真実、男優位みたいなこと言ってるやつはキチガイ扱いできる。
でした。
あー、ちなみに女性の人権を重視している国でさえプロポーズや挨拶は男側がするべきだという価値観を未だに引きずってます。
【清水寺】有名観光地と言われるだけあってやっぱり見ごたえがある。
【金閣寺】壁に金箔貼り付けただけのただの家。ここに行くくらいなら銀閣に行った方が良い。
【銀閣寺】質素な建物が周囲の木や池と溶け込んで美しい。周りの門前町もいい雰囲気。
【東寺】五重塔はやっぱインパクトあるけど、1回見ればもういいかな。
【二条城】石垣は普通の城と同じだが、当時の建物がちゃんと残ってるのはやっぱすごい。
【龍安寺】教科書で見たことある庭園が間近で見れるという感動はあるが、それ以外は特に見所なし。
【醍醐寺】観光客が少なく静かに見て回れるが、ここも1回見ればもう十分かなあ。
【仁和寺】門や本堂の巨大さと、庭園の美しさを同時に楽しめる。
【上賀茂神社】規模はデカいけど、ぶっちゃげただの神社と変わらん。
【三十三間堂】千体の千手観音像が並ぶ姿は本当に圧巻。人にもお勧めしたい。
【平等院】建物は思ったほど感動しなかったが、付設の博物館がすごく良かった。
【宇治上神社】観光客がほとんどおらず、静謐で神聖な雰囲気。平等院に来たらここにも立ち寄るべき。
【天龍寺】建物・庭園・池が一体となった風景がすごい。これぞ、ザ・日本の美って感じ。
「頭のいい人が成功できるかどうかの境目」を書いた者です。大反響にびっくりしています。本家のダイアリーにはほとんどまったくブックマークが付かないので、正直戸惑いもあります。
さて、ブックマークで気になったものに返信をしておきます(敬称略)。
hajimenator この人は、「本当に頭のいい人」に会ったことがないんだろうな。中学入学時点で複素関数まで終わってるような奴らに中学校で出会っておいて本当に良かった。世の中には自己主張する必要など微塵もないすごい奴がいる
そういう話ではありません。むしろ逆です。私はあなたのライバル校の出身なのでそういう人もたくさん知っていますが、その人たちを意識しすぎました。あなたは学部生のようだからそういう人を意識するのは無理もないかもしれませんが、そういう人が研究者として優れた業績を挙げるかどうかとなると必ずしもそうではないのですね。逆に、数学とか理論物理のような分野であっても、現実に世界のトップクラスとして活躍している人の中には、大学入学した頃には並の学生だった人もいくらでもいますよ。
結局、早熟さと資質は違うものだし、知識と実績は直結するものではないのですね。乏しい知識から多くの結果を出せる人もいるし、逆の人もいる。そして、そういうところの分かれ目の一つに、謙虚に教えを乞えるかどうかということもあります。ところが、多くを知っている人ほど、プライドが邪魔をして人に聞くことができないのではないでしょうか?
また、現代は研究が余りにも細分化しており、優れた論文ならば必ずだれかに認められるということはあり得ません。学会や研究会などで物怖じせず積極的に発表していかなければ、まず間違いなく研究は日の目を見ず埋没します。また、そういった機会で優れた先達に知り合って教えを受けなければ、それ以上の飛躍の機会はありません。一人で何もかも成し遂げられる人は現代には存在せず、良い意味で他人を利用する技術が必要なのです。それが先の記事の主題です。
ちなみにもうひとことだけ言っておくと、早熟な人の多くは親族に研究者がいます。つまり、早熟さも環境があってはじめて目覚めるものだし、このことも「先達から学ぶ」ことの重要性の傍証になるでしょう。
arakik10 この人の成功例はすべて「答えのある問題」をそつなくこなしたことだけ。未知の物に立ち向かい半端でもいいから「ゼロから答えを仕上げる」という経験が書かれていない。「下手でもいいから成し遂げる事」を学ぶべき
私は今回の記事で「成功例」について全く触れていないのですが。ただし、返信記事と合わせて読んでもらえるとおわかりになるかと思うのですが、そもそも研究者というものは「ゼロから答えを仕上げる」ことはできないし、扱う問題は「答えのある問題」だけなのではないでしょうか。未知のものを既知のものにうまく帰着させるのが研究者の手腕だと思います。
ku-log 処世術に長けただけ奴らがのさばる世の中は気に食わないね。そう言う職人の心情を描いたのが、幸田露伴の「五重塔」。主人公の大工十兵衛はしかし、源太親方に命ぜられるはずの指揮権を命懸けで奪うのだな…
確かにそういうことには腹が立ちますし、私が処世術で劣っていたのは事実でしょうけれども、実はそういう話のつもりではありませんでした。持つべきプライドと不合理なこだわりを区別すべき、というようなことが主題のつもりです。