はてなキーワード: 1992年とは
私は1992年生まれなので、「喝采」は生まれる20年前の曲である。
両親が世代なのもあり、日頃から昭和歌謡曲を何曲か耳にしていたが、「喝采」から受けた印象は他の曲とはまったく異なっていた。
激しい喪失感と、とんでもない説得力があり、聞いた後耳の後ろがじんわりと熱くなっていた。
「喝采」がなぜ、平成生まれにこんなにも刺さったのがが気になった。
曲がリリースされた当時を知る人からすれば、「何を今更」と言われるかもしれないが、とにかく私の「喝采」への思いを文章にしてみたいと思う。
まずは、順を追って、ストーリーについて思うところを書いてみたいと思う。
いつものように幕が開き
恋の歌うたうわたしに
届いた報らせは 黒いふちどりがありました
そして、いきなり人が死ぬ。とんでもない急展開。
いきなりすぎて聞き手が一気に臨戦態勢に入る。入らざるをえない。
あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
しかも、何やら複雑な事情を連想させるような「アナタ」との別れである。
なぜ「アナタ」を駅に残すのか、なぜひとり飛び乗るのか。
その情報の少なさと、リアルな情景描写が、一気に聞き手を曲の世界へと引きずり込む。
ひなびた町の昼下がり
教会のまえにたたずみ
「黒い縁取り」という唐突でショッキングでそして曖昧な表現が、「教会」や「喪服」といったキーワードから、徐々に確かな死であったという確信へと変わる。
それはまるで、主人公が徐々に死を実感していったのを聞き手に追体験させる。
つたがからまる白い壁
細いかげ長く落として
ひとりのわたしは こぼす涙さえ忘れてた
曲が2番に入っても、なおも事態が好転しておらず、悲しみの中にあることがわかる。
このあたりで、「止めるアナタ駅に残し」という、奥歯に引っかかるようなストーリーが、じわじわと悲しみに追い打ちをかける。
暗い待合室 話すひともないわたしの
耳に私のうたが 通りすぎてゆく
「アナタ」とどういう関係だったのかは分からないが、「待合室」の中で話すひともなく孤独なわたし。
そんな「わたし」にトドメの一撃をカマすのは、なんと冒頭に出てきた「わたしの歌」という伏線の回収。
アナタをなくし、悲しみの底にありながら、そこに流れるのは自分の「恋の歌」という大変皮肉の効いた状況となる。悲しい。
いつものように幕が開く
降りそそぐライトのその中
そんなに辛い状況であっても、恋の歌を歌わないといけない。歌手だから。
時系列が飛び飛びになるので、私は正直1回聞いただけでは理解できなかったが、最終的に以下の時系列だと解釈した。
死んだ(ちょっと前)→別れた(3年前)→教会で喪服(ちょっと前)→待合室(ちょっと前)→歌ってる(今)
おそらくだが、順を追って説明されたらここまでの感動と共感は無かっただろう。
とんでもない急展開で、しかもショッキングな内容を、ゆったりとしたテンポで聞き手に伝えてきている。
そのため、「黒い縁取りがありました」や、「暗い待合室 話すひともないわたしの」といった、直接的な描写だけれども、婉曲的な表現の意味をじっくりと考える間が与えられる。
考える時間が与えられるほど、ストーリーや主人公に親近感が湧くし、衝撃的な落ちにも感動を受ける。
しかし、ストーリーに引き込まれ、主人公に同情した状態での、今日も恋の歌を歌わなければならない「わたし」へは、たしかに喝采を贈りたくなるなぁという気持ちになった。
まさか、歌詞の冒頭が「曲の終盤」と「曲の題名」への2つの伏線になっているとは思わなかった。
色々思ったことはあるが、まとめると、以下の4つの要素が盛り込まれているということに気づいた。
そして、それを短い歌詞でやってのけた表現力や構成力。加えて、曲調や歌手の歌唱力などからくる説得力に圧倒され、総合的に私に刺さったのではないかと思った。
1/12(水) 13:09
今年秋に開催される第20回党大会で習近平の三期目が決まるが、建国以来の中国の動きから見れば異例ではなく、むしろ鄧小平個人の指名による江沢民政権と胡錦涛政権だけが異例だった。鄧小平神話が中国の真相を見抜く目を曇らせている。
1949年に中国(中華人民共和国)を誕生させた毛沢東は、事実上、1976年9月に逝去するまで実権を握っていた。途中で国家主席の座から降ろされてしまった時期があったが、それでも中共中央委員会主席(現在の中共中央総書記)と中央軍事委員会主席のポジションだけは維持し続けたので、27年間にわたって実権は毛沢東の手の中にあった。
鄧小平は最終的には1977年7月に開催された第10回党大会三中全会から復権し、職位としては中共中央副主席、国務院常務委員会副総理、中央軍事委員会副主席と、「副」でしかなかったが、1981年中共中央軍事員会主席、83年からは国家中央軍事員会主席になるなどして「軍」だけはトップの職位を要求している。
職位が何であろうと、実権を握っていたのは鄧小平で、鄧小平の一言は「神の声」として恐れられていた。
1994年に健康を害して政治の舞台から退いたが、それまでの17年間は、実際上の実権を握った最高指導者として君臨していた。
恐るべきは、鄧小平の一存で天安門事件後の中国を統率する指導者を江沢民とすると決めてしまい、その期限を10年と定めて、江沢民の次の代の指導者を胡錦涛として決めてしまったことだ。
こうして江沢民政権を基本10年間、胡錦涛政権を基本10年間と、鄧小平の「神の声」が決めてしまったのである。
もっとも、江沢民の場合は、1989年6月4日の天安門事件があったために指名しているので、1992年10月に開催された党大会まで3年間余分に中共中央総書記をしており、国家主席になったのは1993年である。
したがって江沢民は中共中央総書記のポストに「13年間」就いており、国家主席だけ1993年から2003年まで「10年間」就いている。
その意味で、中共中央総書記および国家主席の就任期間「10年間」を正確に守ったのは、中国建国以来、「胡錦涛一人だけ」だったということが言える。
中央軍事委員会に関しても1982年末の憲法改正により国家中央軍事委員会が設立され83年からは「中共中央軍事員会と国家軍事委員会」が一つになり「中央軍事委員会」となったが、江沢民はこの中央軍事委員会主席を1989年(全人代では1990年)から2004年(全人代では2005年)まで「15年間」も務めている。
というのも、中共中央総書記にも中央軍事委員会主席にも任期期間に関する制限がないことを利用して、2002年に胡錦涛が中共中央総書記になったというのに、江沢民は中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に譲らず、「駄々をこねて」降りようとしなかったからだ。
しかし反対者が多く、中共中央委員会では2004年に、全人代では2005年にようやく中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に明け渡したのである。
その意味で、中央軍事委員会主席に関しては、誰一人「10年間」という期限を守っていない。胡錦涛は江沢民が任期内に食い込んできたために、二期で合計「8年間」しか主席でいることができなかった。
その意味では、鄧小平によって指名されるという異様な事態を、「元に戻した」だけであるとも言えよう。
毛沢東の「鶴の一声」が法律となるというほど人治国家であったことは、今さら言うまでもないだろう。
しかし、毛沢東はたった一人の国家主席(劉少奇)を、その座から引きずり下ろすために、わざわざ文化大革命(1966年~1976年)を引き起こすということまでして、引きずり下ろす正当性を求めようとした点は注目すべきだ。
それに比べて鄧小平はどうだろうか?
いったい何名の国家主席あるいは総書記(当時は中共中央委員会主席)を、鄧小平の一存で引きずり降ろしたか、それをしっかり認識している人は少ない。
拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に書いたように、建国後、鄧小平が、毛沢東生存中は陰謀により、毛沢東死後は一存により、失脚に追い込んだ国家指導層あるいはその予定者は数知れない。その名前と時期を以下に列挙してみよう。
1954年:毛沢東が後継者に考えていた高崗を、事実捏造により自殺に追い込んだ。
1962年:毛沢東が周恩来の後継者として大事にしていた習仲勲を、冤罪により失脚させた(16年間、軟禁・投獄・監視)。
1981年:華国鋒(中共中央主席、軍事委員会主席辞任)を失脚へ追い込んだ。
1981年:華国鋒の代わりに自分の思い通りに動く胡耀邦を中共中央主席に就任させる(但し、1982年9月で中央主席制度を廃止し中共中央総書記制度に)。
1986年:胡耀邦(中共中央総書記)を「気に入らない」として失脚させ、趙紫陽を後任に就ける。
1989年:天安門事件のときの言動が気に入らないとして、趙紫陽(中共中央総書記)を失脚に追い込んだ。
1989年:趙紫陽の代わりに、江沢民を鄧小平の一存で中共中央総書記・中央軍事委員会主席に指名した。
いずれも中共中央委員会常務委員会多数決議決制度がある中での出来事だ。この制度は毛沢東時代からあった。そのような中での鄧小平の独裁ぶりは群を抜いている。
だというのに、鄧小平の老獪(ろうかい)な言動に騙されて鄧小平を神格化した日本政府は、「中国を孤立させてはならない」として天安門事件後の対中経済封鎖を積極的に解除させ、鄧小平を応援して今日の中国経済の繁栄と大国化を招いている。
何度も同じ図を持ち出して申し訳ないが、中国の中央行政省庁の一つである商務部が『中国外資統計公報 2021』というのを出していて、その中に「対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982-2020)」という図がある。
それを日本語に訳して文字調整などをしたのが以下の図表1である。
図表1:対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982年-2020年)
日本が1989年の天安門事件発生後の対中経済封鎖解除に動き、1992年には天皇訪中迄実現させた成果が、赤線で示した中国投資に参入した新規企業者数で如実に表れている(2018年の赤線ピークは香港関連)。
恐るべきは、2017年にはトランプ政権が中国に制裁を加え始め、バイデン政権になってからも、あれだけ対中制裁を叫びながら、何のことはない、投資額は年々増えているではないか。コロナにもめげず増えている。
いや、アメリカや日本はそんなことはしてないはずだと言う人のために、念のために2020年における国・地域別の対中投資企業数と金額を見てみよう。
上記公報にある当該図表を新規企業数の多い順に並び変え、日本語に訳したのが以下の図表2だ。
図表2:対中投資新規企業数と実行額の国・地域別トップ15(2020年)
ご覧の通り、アメリカも日本も、キチンと対中新規投資をし続けているのである。ここでは引用しないが、2019年も同じだ。
これは鄧小平を神格化し、その姿勢で習慣づいてしまった対中投資が、どんなにアメリカが制裁を叫び、日本が「アメリカと一体である」かのごときポーズを取ってみたところで、減少することはないのを如実に示したデータである。
ちなみに、香港マカオは「中華人民共和国特別行政区」なので新規企業数が多いのは仕方ないとしても、あれだけ日米に寄り添おうとしている台湾が、香港に次いで多いことも注目される(台湾に関しては別の機会に論じる)。
◆「習近平三期目は異例」より注目すべきは「鄧小平神話」の罪悪
習近平は三期目以降を目指すため憲法改正まで行っているので、中国流ではあるものの、一応、憲法を重視しているということは言える。逆に憲法を改正するところまで持って行っているので、三期目以降は既定路線と考えていいだろう。
若者をはじめ中国の庶民は、「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンとして経済的にアメリカに追いつこうとしている中国共産党政権を、悪くは思っていない。むしろ「強い中国経済」に自尊心を刺激され愛国主義が行き過ぎて、ネット・ナショナリズムに向けて燃えている若者に習近平は手を焼いているくらいだ。
しかし日本は「習近平、異例の三期目」、「習近平の独裁強化」、「習近平の権力闘争と路線対立」あるいは「中国経済は今度こそ崩壊する」といった類のセンセーショナルな報道に飛びついて「安堵する」傾向にある。
気持ちは分からないではないが、現実とかけ離れた情報に喜び虚実空間に酔いしれている間に、世界の投資先は間断なく中国に向けて注がれており、中国共産党の一党支配体制を強靭にすることに貢献しているのである。
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。
2005年(平成17年) 6月~9月「クール・ビズ」でノーネクタイ・ノージャケットで楽~
2011年(平成23年) 福島原発事故による電力不足で「スーパークールビズ」開始! 5月~10月もネクタイもジャケットもいらね~
2011年(平成23年)10月5日 スティーブ・ジョブズ死去! IT企業トップはタートルネック・ジーンズでOKなんだ~
2020年(令和2年) 新型コロナウイルス感染症のパンデミックによりマスク着用が定着 髭剃らなくていい~
2021年(令和3年)10月28日 Facebookは社名を「メタ(Meta)」に変更! ウッヒョ~イ!もう何も着なくていい~
ざっと調べたぞ
ちょっと調べてみたけど産経のデータベースだと1992年以降のものは見られるみたいだから事前にどこに掲載されてるのか確認して朝イチで国会図書館行けば9:50に写真あげるのはできると思う。ただ俺なら掲載されてる場所を確認したらそれのスクショかURLを貼って終わらせるだろうし、何より結構ツイートが消えてて状況がよく分からないしなんとも言えないな
ただとりあえず国会図書館が特別な人しか入れないっていうのは無知を晒すだけだからあんまり言わない方が良いよ。俺の知り合いは浪人中にマイナーな大学の過去問を手に入れるために国会図書館使ってたし、実際に行くと分かるけど漫画読みに来てるだけのやつもたくさんいる。
【うるてぃましっくす いつわりのよげんしゃ】
開発元 インフィニティー
定価 9800円(税別)
プレイ人数 1人
判定 なし
世界3大RPG『ウルティマ』シリーズ第6作のスーパーファミコン移植版。
プレイヤーは「アバタールの聖者」と呼ばれる君自身。謎の敵『ガーゴイル』との戦いの勃発により、再びブリタニアに召還される事となる。
特徴
自由度が非常に高い。
逆に言えば、どこから進めるべきか具体的なヒントが極端に少なく、何をすればいいのか分からなくなることがとても多い。
同じ世界3大RPGの『Might and Magic』同様、クリアを目指すのではなく冒険そのものを楽しむためのゲームである。あちらに比べれば随分と親切設計なので敷居は低い。
ただクリアを目指すためだけにプレイすると、クリアに関係ないイベントでガッカリしたり、謎解きで心が折れてしまったりするかもしれない。数日でクリアしようなどと考えず、コツコツと冒険を楽しむという心構えで挑むべきだろう。
人との会話は「なまえ」「しごと」などキーワードを質問することで情報を聞き出す選択制。洋ゲーはこういう形式が多い。
衛兵などを除いて全ての一般人に名前がある。普通のRPGのように一言しか発しないモブキャラが大量に歩いているという不自然さがない。
一度会話した事のある人物は最初の挨拶が変わるのですぐにわかる。
使ってもなくならない重要アイテムで、主人公の周囲のいずれかのマスにおいて使うと、マスによって決まった位置にワープできる。
ただし、主人公の真下などの簡単な位置におくだけで『ガーゴイル』の巣くうある重要な場所にワープできてしまう為、いきなり訳の分からない場所に放り出されて強力なガーゴイルに襲われて面食らうのもまたお約束。ちなみにそれらの場所はゲーム後半でかならず行く必要が出てくる場所なのだが、ゲーム開始直後からいきなりいけてしまうのはどうなのか。
従来のようなムーンゲートシステムも健在。ただし位置固定ではなく、ムーンストーンを埋めた場所に現れるようになった。固定電話から携帯電話に進化したような感じ。
「ゲート・トラベル」という魔法を使えば、そのムーンストーンを埋めた場所にワープができる。ただしLV7魔法なので主人公をだいぶ育てないと使えない。
ダンジョンは3Dではなくなり、「ドラクエ1」のように、主人公の周囲以外が全て真っ暗になる。
「たいまつ」や魔法「ライト」を用いて周囲を明るくして進むのが定石となる。なお、奥深くもぐっていくほど、BGMがだんだんと暗くなり、音量が小さくなっていくという特徴がある。
ちなみにこのゲームの「たいまつ」は、片手に持つアイテムなので、たいまつを持つキャラは、たいまつが消えるまで両手装備武器を装備できない事になる。また、一度持つと消えるまで外せない。
街にいる兵士に戦いを挑める。
ただし、カルマシステム(後述)の関係で、こちらに危害を加えてこないものを攻撃するのは得策ではない。
過去作と違い、ロードブリティッシュ(この世界の統治者)と一戦交えることは出来ない。
この世界の住民すべてが1分単位(!)で生活しており、夜になると宿屋すら閉まってしまう。
かわりに「キャンプ」システムで、時間経過+回復が可能。ただし、各々のキャラが食料を持ってないと回復できないので注意。
魔法は店で呪文の書かれた紙を購入して、呪文の書というアイテムに書き込む事で使用できる。
本作では主人公以外のキャラはMPが非常に低いので、魔法キャラは必然的に主人公のみとなる。本作は魔法にレベルが定められており、レベルが高い魔法は、キャラのレベルがそれに届かないと使えない*1。
呪文の書は片手装備扱いであり、装備していないと呪文を使えない。よって本作では主人公に両手武器を装備させるのは得策ではない。強力な武器はデュプレなどに任せるのが吉である。
戦闘はMAP上でそのまま行われるタクティカルバトルとなっている。
敵は基本的に強くなく、難易度は比較的優しい部類。だが、例外としてガーゴイルやデーモン、ドラゴンなどの強モンスターは一変して本当に手強い。
消費アイテムの「火炎瓶」が、範囲攻撃+安価+なかなかの威力なので、これを投げつけていればいつのまにか敵が死んでいる。人に投げつけてはいけません
因みに経験値は敵を倒したキャラのみが得るシステムの為、育てたいキャラがいる場合は火炎瓶を投げまくる事も多い。
一部の魔法以外は、その攻撃範囲内に味方がいると味方までダメージを喰らうこともある。
ごく一部の重要なアイテム以外は、キャラクターによって装備できるアイテムに違いはない。没個性ととるか自由度が高いととるかはプレイヤー次第。
弓矢などの飛び道具は、力ではなく素早さが重要になる。力の高いキャラは剣などの武器で直接攻撃を、素早さの高いキャラは弓矢で援護をするという役割になる。
弓には「普通の弓」と「クロスボウ」の違いがあり、使用する矢が違う。
『カルマ』と呼ばれるシステムがある。最高値は100で、最低値は0。
「人のお願いを適えてあげる」「物をめぐんであげる」「神殿でレベルアップする」など、良い事をすると上がり、「物を盗む」「兵士や無害な動物に攻撃を仕掛ける」「嘘をつく」など、悪いことをするとカルマ(業)が下がってしまう。
敵に攻撃を仕掛けられた場合は、反撃で倒してしまっても正当防衛ということでカルマは低下しない。環境の悪い場所では猫やウサギなども襲いかかってくることがある。
カルマが下がると、店の価格が高くなるほか、死亡からの復活時に総合EXPが減るという仕様がある*2。経験値を稼ぎにくい本作において、これは非常に辛い。
さらに、終盤のイベント時に『カルマ』が80以下の状態である選択肢を選ぶと、ゲーム進行ができなくなる*3。該当の選択肢を選ぶ際には、カルマが80以上あるかどうか必ず確認する事。
救済措置として、シェイムのダンジョンにいるイバラというNPCに食料をあげるたびにカルマが1上昇するようになっているので、どうしても行き詰まったらここで調整する事が出来る。だが、このダンジョン自体がかなり入り組んでおりイバラのところにたどり着くのも苦労するので、悪人プレイをするには相応のデメリットがあると暗に伝えてくれている要素ともとれる。
LVアップは『神殿』と呼ばれる場所で行う。この『神殿』は、最初はガーゴイルに占拠されており、解放の為に『ルーン』なるアイテムを探す必要がある。また、既存のRPGと違い、そのキャラの総合EXPが一定値を超えているとレベルアップができるシステムとなっている*4。
本作での最高レベルは8。一見低いように見えるが、本作で敵から得られるEXPは多くても60前後がいいところ。そしてLV8に必要な総合EXPは6400と、実際にプレイすると分かるがかなりの敵を倒さなくては到達できない数値である。
神殿を解放すると『ムーンストーン』というアイテムが手に入る。これはゲームクリアに必要なので、必然的に、8つある神殿全てを解放しなければならない。
また神殿によって、LVアップボーナスが違う。能力値に差が出るので、LVアップの際に方針を決めておこう。
STR+3の「勇敢さ」、INT+3の「誠実さ」、AGI+3の「優しさ」、全パラメータ+1の「清らかさ」のいずれかでLVアップするのが望ましい。他の神殿はLVアップボーナスが少ないため、損してしまう。
ただしどの神殿でも、最初の1回目のレベルアップ時のみカルマが+10されるため、無駄ではない。補欠となる仲間にレベルアップさせてカルマを回復するのにも使える。
シリーズキャラ「ねずみのシェリー」は、本作ではなんとアイテムとして持ち歩く事になる。
その小さいサイズから、主人公達が入れない場所のアイテム回収に用いる。実は重要アイテムの回収の為にシェリーが必要な場面もある。
細野不二彦先生はまさに作画の魔術師、さすがの猿飛・グーグーガンモの作者とギャラリーフェイクの作者が一緒とは誰も気づかないだろう
マクロスの「変形の河森」さんと同期らしい
やよいマイラブ - 『週刊少年サンデー』(1980年24号 - 28号)
さすがの猿飛 - 『少年サンデー増刊』(1980年 - 1984年)
どっきりドクター - 『週刊少年サンデー』(1981年 - 1982年)
Gu-Guガンモ - 『週刊少年サンデー』(1982年 - 1985年)
東京探偵団 - 『少年ビッグコミック』(1985年 - 1987年)→『ヤングサンデー』(1987年創刊号 - 8号)
青空ふろっぴぃ - 『週刊少年サンデー』(1985年 - 1986年)
あどりぶシネ倶楽部 - 『ビッグコミックスピリッツ』(1986年)
I'mナム - 『週刊少年サンデー』(1987年1号 - 31号)
ジャッジ - 『アクションBROTHER』(1987年 - 1989年)→『COMICアクションキャラクター』(1990年 - 1991年)
うにばーしてぃBOYS - 『ビッグコミックスピリッツ』(1988年)
BLOW UP! - 『ビッグコミックスペリオール』(1988年21号 - 1989年19号)
バイオ・ハンター - 『月刊コミックバーガー』(1989年 - 1990年)
りざべーしょんプリーズ - 『ビッグコミックスピリッツ』(1989年 - 1991年)
ごめんあそばせ - 『月刊コミックバーガー』(1991年 - 1993年)
愛しのバットマン - 『ビッグコミックスペリオール』(1991年 - 1996年)
熱拳! ムサシ - 『月刊少年キャプテン』(1992年 - 1993年)
太郎 - 『週刊ヤングサンデー』(1992年12号 - 1999年41号)
ギャラリーフェイク[9] - 『ビッグコミックスピリッツ』(1994年 - 2005年、2012年、 2016年)、『ビッグコミック増刊号』(2017年 - 連載中)
幸福の丘ニュータウン - 『ビッグコミック』(1996年 - 1998年)
S.O.S - 『漫画アクション』(1999年 - 2000年)
ビールとメガホン - 『ビッグコミック』(1999年 - 2000年)
タケルヒメ - 『ウルトラジャンプ』(2000年、不定期連載)
キャット・ウォーカー - 『週刊漫画ゴラク』(2001年 - 2002年、不定期連載)
プライズハンターGON - 『週刊ヤングサンデー』(2001年52号 - )
ザ・スリーパー - 『月刊サンデージェネックス』(2000年 - 2002年)
ダブル・フェイス - 『ビッグコミック』(2003年 - 2011年)
ヤミの乱破 - 『イブニング』→『モアイ』(2003年8号 - 2006年1号、2012年8号 - 2014年2月25日配信分)
電波の城 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2006年1号 - 2014年2・3合併号)
アサシンichiyo - 原作担当、漫画:信濃川日出雄、『月刊ヒーローズ』(2013年1月号 - 2015年2月号、不定期連載)
ヒメタク - 『漫画アクション』(2014年15号 - 2016年3月1日号、全2巻)
商人道 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2014年30号 - 2015年32号)
いちまつ捕物帳 - 『ビッグコミック』(2014年21号 - 2016年23号)
バディドッグ - 『ビッグコミック』(2017年4号 - 2020年21号)
さすがの猿飛G - 『月刊ヒーローズ』(2017年7月号 - 2019年10月号)※『さすがの猿飛』続編
最近のネットでのいろいろ見てて、それに対して意見を書こうとすると、結果として統一教会の擁護にまわってるような感じになりそうなんだよな。
統一教会自体に思い入れはないし教義とかもあまり知らない。ただ、危機感がないだのなんだの一方的に言ってくるやつらとか(いや知らんし)、一方的にズブ認定してくるやつらとか(いや知らんし)、そういう奴ら側にいかないようにすると相対的にどうしても擁護じみた論調になりそうで。「いうほど危険か?」「おまえらよりはマシじゃない?」みたいな。
カルトがやばいことに異論はないけどさ、たとえば霊感商法が問題になったのって初出1984年とか、話題になったの1992年? 実感としてもう知らないでしょそんなの。
なんでまあ、最近は反応しないよう注意してるんだけど…ほんとにカルトの危険性を訴えたいと思ってるのなら、あの安易にデマやレッテル貼って、他人を攻撃するツールとして使ってるやつらをまずなんとかしたほうがいいんじゃないかな。知らんけどさ。
1980年代の100m走において9秒7の大台に乗った人類はベン・ジョンソンただ一人である。その後、人類が再び9秒7の大台に乗ったのは1999年のモーリス・グリーンである。
その後、陸上競技大会への復帰が認められ、1992年のバルセロナオリンピックの100mに出場したが、準決勝敗退した。ところが、その後出場した競技会で再びドーピングで陽性反応が出たため、公式の陸上競技大会からは事実上永久追放され、IOCの第1種ブラックリストに登録された。
ジョンソンは、後のインタビューで自分はルイスのスポンサーに狙われており、スポンサーの関係の都合などでルイスは検査に引っかからなかったが、自分は犠牲になったと語っている[6]。
引退後
2000年7月12日、イタリア旅行中にローマのベネト通りで空腹訴える様子の中年女性と少女が近付き、中年女性と話している隙に財布(約1000万リラと免許証入り)を少女に盗られ、全速力で追いかけたものの、捕り逃がしてしまったことがあった[7]。
日本のバラエティ番組の企画にしばしば呼ばれることが多い。しかし、いずれもスポーツバラエティではなくお笑い色の強い番組である。(例トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜、クイズ☆タレント名鑑などの藤井健太郎 (TVプロデューサー) プロデュースの番組)
2010年8月1日、日本のテレビ番組「クイズ☆タレント名鑑」(TBS系列)の企画で、100mのタイムを計測した。48歳という年齢の上に体重も100kgと往年の面影はなかったが、予想を上回る11秒50という好タイムを記録。
『文學界』2021年9月号に掲載された桜庭一樹「少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞の文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。
この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章を投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者の見解が掲載された。
この記事では総括として、両者の見解を検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭と鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリーの仕様でURLの掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。
両者の主張は、以下のように整理できるだろう。
桜庭:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。
鴻巣:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。
桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈の自由〟を奪」うことを挙げている。
一方で鴻巣は自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。
では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである。
鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品の創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である。文学の解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分が想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないのである。解釈は批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである。
鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解の文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣は見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。
繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ。私小説もフィクションだからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣が誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。
繰り返しになりますが、
「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」
のは一線を超えていると思ったのです。
作者だからではなく、他の方の本でも同じように疑問を持ったと思います。
(この部分です) pic.twitter.com/vFmVBO6fhC— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。
この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授の日比嘉高(モデル小説研究のフロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在の人物をモデルに』と事実に立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実の事実」の問題を切り分けている。
この記事でご紹介いただいたのですが、わたしの原稿に〝介護中の虐/待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません。わたしの書き方がわかりづらかったのかもしれず、その場合は申しわけありません。影響の大きな媒体であり、とても心配です。否定させてください。https://t.co/HdC6Cb8g7b— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 24, 2021
(強調は引用者)また今回は「自伝的随想」としてご紹介くださったこともあり、登場人物を離れ、実在の家族に言われなき誤解が降りかかることを危惧したため、わたしはこのように必死になって訂正をお願いすることになりました。それは確かに、評者の方には関わりのない事情ではありますが…(続) pic.twitter.com/8rixc3Ot4c— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭の実存にとって「現実の事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭はあくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである。飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家の動機ではなく、作家の根拠にフォーカスするべきである。この記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。
とはいえ、桜庭の見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。
今回の一件に際して、文芸時評の不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭もツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣も見解において「批評」という言葉を用いている。
だが、文芸時評は批評でしかないのだろうか? 文芸時評は英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル的特性があるのではないか?
文芸時評が新聞という巨大メディアに掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭は見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり、文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。
文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭は新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷の鳥取で一人暮らす実在の老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実の現象のレベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか?
以上の論点を踏まえて、時評担当者の見解を検討することもできるだろう。
桜庭の見解は冒頭、「私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身や夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家の藤田直哉が端的に指摘しているのでツイートを引用しよう。
「夫婦が深く愛し合っていたかどうか」を確定する根拠は、虐/待があったかどうかを確定する根拠と同じぐらい、作品のテクストにはないのではないかな。母親がそう言っている、語り手がそう推測したようだ、というところまでは書いてあるが、しかしそれが「作中の事実」かどうかはサスペンドじゃないかな— 藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 (@naoya_fujita) September 7, 2021
つまり、あらすじに書いてよいのは、「作中の事実」であるべきではないか? 今回であれば、あくまで一人の人物の視点に立って、「私の自伝的な小説『少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか。言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列がテクストに書いてあるとはいえ作中人物の「主観的解釈」なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか。
あるいは、そもそも「事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分は幸せだと信じ込みながらオンラインサロンの主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せな生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せは事実ではなく評価だからだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか?
最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。
1838年:イギリス「ロシアがインドを狙っとるからアフガンにイギリス軍を置かせてくれや」
→交渉決裂
1842年:イギリス「あかん、とりあえずアフガンを占領したけど、反乱が多すぎるから撤退するわ」
→和睦
1878年:イギリス「今度のアフガン国王はロシア寄りっぽくて怪しいわ! また戦争するで!」
1881年:イギリス「今回は勝ったけど、めちゃくちゃ苦労したわ…」
1919年:アフガン国王「世界大戦でイギリスが弱っとるみたいやで! いまこそアフガンから追い出す好機や! ジハードや!」
→イギリス「こっちも戦争はうんざりやし、もう独立してええで」
1919年:アフガン国王「トルコのムスタファ・ケマルかっこええな…ワイも真似したろ! アフガンも近代化や!」
1929年:アフガン国王「あかん、反発が強すぎるわ。無理やり抑えてきたけどもう限界や」
→アフガン新国王「反乱を鎮圧してワイが王様になったで! もっと穏健に近代化を進めるで!」
1973年:アフガン大統領「国王が軟弱やからクーデター起こしたったで! 王制を廃止してワイが大統領になるで! ソ連を後ろ盾にもっと近代化を進めるで!」
1978年:ソ連「大統領のやつ、最初はワイらに尻尾振っとったのに、最近はアメリカにべったりやんけ。ほんならこっちにも考えがあるで」
→四月革命
→ソ連「アフガンは共産主義の同志になったんやで(にっこり)」
→イスラム勢力「共産化なんかありえへんやろ! 反乱するで!」
1979年:ソ連「アフガン政府を助ける名目で軍事介入するで!」
→アメリカ「ソ連に対抗してもらうためにイスラム勢力に武器渡すで〜」
1989年:ソ連「10年も戦って何の成果も得られませんでした…ソ連軍は撤退するで…」
1992年:アフガン政府「ソ連が無くなってもうたやんけ。ワイらもあかんわ」
→アフガン政府「イスラム勢力が集まって新政府が誕生したで! でもバラバラに戦ってた派閥の寄せ集めやから内ゲバでズタボロやで!」
1994年:タリバン「いつまでも派閥同士で争って内戦が終わらんやんけ! ワイらがやるしかあらへんわ!」
1996年:タリバン「首都を占拠したったで! ワイらは欧米化も共産化も目指さへん! 伝統的なイスラム社会を作るで!」
→旧政府あらため北部同盟「北に逃れて『北部同盟』として捲土重来を期すでー」
2001年:アメリカ「なんやテロリストがビルに飛行機を突っ込ませて大惨事やんけ! ワイらにこんなことしたやつは絶対許さへんで!」
→アメリカ「犯人のアルカイダがアフガンにおるらしいやんけ! 引き渡せや!」
→交渉決裂
→北部同盟あらため新政府「まさかの復活やで! アメリカさんのご指導のもとでやっていくで!」
https://anond.hatelabo.jp/20210816132706
https://anond.hatelabo.jp/20210816141741
何なんだろうね、この自民党の悪口以外何一つ喋ってない感じのやつ
多くの有権者はその先の「じゃあ他の野党は公明正大なの?」「自民党よりもまともな景気対策(新型コロナ対策込みで)きちんとやってくれるの?」という疑問に容易にたどり着くんだけど、そこだけはなぜか丁寧に慎重に触れないからうさん臭さが鼻につく
いま有権者が求めているのは「新型コロナで受けた経済的打撃をどうリカバーしていくか」という点で、その前には文書改竄とか隠蔽とかは些末な問題でしかない
かつて1992年の米大統領選のとき「It's the economy, stupid(経済こそが重要なのだ、愚か者)」という言葉が広まり米民主党陣営に勝利をもたらしたわけだが、左派系野党は完全に心得違いをしてるよな
もともとアフガニスタンは王制だった。
1973年に王族がクーデターを起こして「アフガニスタン共和国」が樹立された。
アフガニスタン共和国は当初はソ連を後ろ盾にしていたけど徐々にアメリカに寄っていった。
そのため1978年にクーデターが起きて共産主義系の「アフガニスタン民主共和国(以下アフガン共和国)」が樹立された。
これに反発したイスラム系の勢力が武力蜂起して内乱状態になった。
ソ連軍は今のアメリカ軍みたいにズルズルと損害を増やして1989年に撤退した。
イスラム系の勢力が集まって「アフガニスタン・イスラム国」を樹立した。
しかしイスラム系勢力の各派閥は争いを続けていて内乱状態は継続された。
勢力を伸ばしていたタリバンが1996年に首都を占領し「アフガニスタン・イスラム首長国」を樹立した。
2001年のアメリカの同時多発テロをきっかけにアメリカと有志連合がアフガンに攻め込んでタリバン政権は崩壊した。
2021年、駐留しているアメリカ軍が撤退すると聞いたタリバンが喜び勇んで政府を倒し「アフガニスタン・イスラム首長国」が復活した←いまここ
中国、急激な人口減少、史上最大規模のバブル崩壊の兆候…世界的インフレ到来の悪夢
藤 和彦
中国が2020年に実施した国勢調査の結果に世界の注目が集まっている。今年4月に主要データが公表される予定だったが、その公表時期がずれ込んでいるからである。国勢調査は人口動態を把握するために10年に1度のペースで実施され、財政や社会保障など国の根幹にかかわる重要な統計である。中国国家統計局は4月末に「20年の人口は増加した」とだけ述べたが、比較の対象が19年なのか、10年なのか明らかではない。「人口数をかさ上げするための統計的処置を行っているのではないか」という疑惑も浮上している。
中国に人口減少社会が迫っていることも注目を集める大きな要因である。英フィナンシャル・タイムズは4月27日、状況に詳しい複数の関係者の話として「中国の人口が50年ぶりに減少した」と報じた。国連の予測によれば、中国の人口は27年にピークを迎えるとされてきたが、これが7年前倒しになるかたちである。人口数に基づいて教育や治安などの予算が決まる財政の仕組みにより、中国の人口数は実際よりも過大になっているとの指摘がかねてからなされてきた。
国家統計局は「19年に14億人を突破した」としているが、米ウィスコンシン大学の人口問題専門家は、「18年に中国の人口は減少に転じ、20年の人口は12億6000万人にすぎない。あらゆる政策が誤ったデータをもとに策定され、今後の人口政策に不利益をもたらす」と警鐘を鳴らしている(5月3日付日本経済新聞)。
中国の15歳から64歳までの生産年齢人口は13年にピークをつけたが、7年後に総人口のピークを迎えたとすれば、日本の場合よりもペースが格段に速い(日本の生産年齢人口は1992年に、総人口は08年にそれぞれピークを迎えた)。
中国は出生数の増加に向け、いわゆる「一人っ子政策」を16年に廃止したが、その後も出生数は大幅に減少しており、中国人民銀行は4月下旬、人口構造の転換を分析した報告書の中で「産児制限を完全に廃止すべきだ」とする異例の主張を行った。その理由として「高齢化の危機を技術進歩や教育水準の向上で補うことは困難であることは日本の事例が証明している」ことを挙げている。人民銀行は産児制限の撤廃に加えて、出産奨励といった抜本策も主張しており、「若者が都市部に住宅を構えられるよう、住宅価格を抑制すべきである」と強調する。
中国では20年以上にわたって続いた不動産バブルのせいで、都市部の住宅価格は普通の人々の手が届かないほどの高値になってしまった。中国の場合、独身者が賃貸アパートに住むことは許されても、結婚して賃貸アパートに住み続けることは社会的通念ではほとんどありえないとされている(2月16日付「現代ビジネス」)。このため、新婚夫婦はマンションを購入するために多額の住宅ローンを組まざるを得ないが、月収に占める住宅ローンの返済額は5割に達しているという。昨年11月に実施された調査によれば、3分の1が「高い住宅費が2人目の子供を持つことを拒む原因になっている」と回答している。
目先の経済成長のみを重視してきた長年のツケが「少子化」という深刻な現象をもたらしていることに危機感を持った中国政府は、「住宅コスト」の抑制という重い課題に取り組み始めている。
中国の金融監督当局は昨年12月末、「今年1月から銀行の住宅ローンや不動産企業への融資に総量規制を設ける」と発表した。中国でもコロナ禍に苦しむ中小企業を支援するための金融支援を拡大したが、その副作用で投機マネーが不動産市場に流れ込み、大都市を中心にマンション価格が高騰したからである。
しかし、当局の引き締め策は功を奏していないようだ。中国共産党中央政治局は4月30日、住宅市場について「住宅は住むためのものであり、投機のためのものではない。様々な不動産市場での投機防止を行う」と改めて警告を発した。最近の中国では投機筋が銀行融資を不正手段で獲得し、これを元手に不動産を購入する動きが活発化しており、大都市の不動産市場がさらに過熱する様相を呈している(4月16日付ロイター)。
中国も「失われた30年」
出生数の激減がもたらす少子高齢化の急激な進行は、30年にわたって続いてきた中国の高度成長を終焉させ、世界の覇権国となる夢を奪ってしまうことになりかねない。習近平指導部は金融分野での統制権限をようやく手中に収めたとされている(4月28日付日本経済新聞)が、毛沢東が50年前に遭遇した国難(人口減少)に立ち向かうため、長年の懸案であった「バブル潰し」を断行するのではないだろうか。
現在の中国のマクロ経済状況は30年前の日本と酷似しており、史上最大規模のバブルが崩壊すれば、中国も「失われた30年」を経験することになるだろう。しかし、中国の人口減少による悪影響は中国経済だけにとどまらないかもしれない。
誕生間もないバイデン米政権は、供給サイド重視の経済政策(レーガノミクス)から需要重視の経済政策に大きく舵を切っていることから、投資家の間では「新型コロナウイルスのパンデミック」に代わって、「高水準の資産価格、いわゆるバブル崩壊」が最大の懸念材料になってきている(4月30日付ブルームバーグ)。
冷戦後の世界経済は、中国をはじめとする共産圏の安価な労働力のおかげで長年インフレという悪夢に苦しめられることはなかったが、中国の人口減少は「低インフレ時代」が終わることを意味する。そうなれば、中央銀行は今後引き締めモードを余儀なくされ、世界規模のバブルも崩壊してしまうのではないだろうか。