はてなキーワード: 齟齬とは
こんなふうに何かを頼まれる場面は多いだろう。
でも今日ふと思った。
「早く」って、どのくらい?
内容にもよるが、頼まれた直後数十分や1時間以内を「早い」と考える人もいれば、翌日を「はやい」と感じる人もいる。
いずれにしても人によって、場面によって、解釈が異なるので、つまらない齟齬を生まないためにも具体的に確認しておく必要がある。
実際、同じ部署の人間も「これは別に早くなくてもいいから」「早く、ってどのくらい?」というやり取りをしていた。
何かを頼む/頼まれるときは、極力「何月何日」、できればさらに「何時までに」、具体的に明らかにしておく必要がある。
あいまいなままが一番よくない。
「AVを手本にしてセックスをする男性」というのは一定数いて、
それに困っている(というか肉体的苦痛を感じている)女性というのも、これまた一定数いる。
AVの真似をする男の言い分としては「上手いセックスをしろと圧力をかける女性や雑誌や社会が悪い」というわけだが、
現に痛い思いをしている女性としては「何でもいいから早くやめろ」「AVの真似するよりも私の話を聞け」となる。
という話を、「いろんなステップを飛ばしてホテルにいきなり連れ込もうとした男性」をめぐるやりとりを読んで連想した。
http://anond.hatelabo.jp/20160606131354(増田A)
http://anond.hatelabo.jp/20160606003455(増田B)
たしかに広い視野で考えれば「上手く恋愛できる人間かどうか値踏みする人たちが悪い」と言えるのかもしれない。
値踏みする視点に脅えて「上手くやらなければ」と焦り、結果としておかしなことをしてしまったというのが実際のところであろう。
(ただ、女性側を批判する増田(増田A)が「チェックする女性の恐ろしさ」を語りつつ、「コミュ能力」「顔」「服装」に関する女性(増田B)の低い評価に触れて「そんだけ悪評価しか出来無い人をなんで好きなの?」と語るのを見る限り、恋愛を「値踏み」しがちであるのは誰よりもこの増田Aなのだろう。増田Bにしてみれば「誰かと比較して~さんを好きになったわけじゃない!」と怒るところだろう。ましてや「自信をもって」を「私に好かれたことに自信もつべき」と曲解されたことなどは怒り心頭だろう。たぶん)
とはいえ、増田Bが言いたかったことを敷衍するならば「お互いの意思を確認しながら進めていくべき交際を、お仕着せのマニュアルで進めるのはやめてくれ」ということであり、そのマニュアルを背後から支える規範(顔とかファッションとかデートの上手さとかを絶対視して、それらが無ければ女性から好かれることはないはずだという発想)を捨ててくれ、ということだと思う。
それは全く正しいことであるし、誰にとっても(増田Bの彼氏さんにとっても)受け入れられる結論だろう。
一方では、女性が「私はあなたを「値踏み」して好きになったんじゃないんだよ」という意味を込めて言及したであろう「スペックの低さ」に対して、男性がそれを真に受けて、割と頻繁に傷ついたり落ち込んだりするのも事実である。女性にしてみれば「スペックが高い/低い」は職場や近所・友人づきあいといった「外の世界」において意味のある指標であり、恋人関係のような「内の世界」では無意味な指標であると割り切っているのだけど、男性にとってこの二つの世界はあまり切れていない(家庭においても「スペックの高い人間」として見られたがる)傾向があり、そこで齟齬が生じるのだろう、と思う。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
様々な側面があるな。
はてなブックマークというサイトでは、ホットエントリー(略してホッテントリなどと呼ばれる)が並ぶのだが、これは主にブックマーク数などで選ばれている。
つまりブックマークをした場合、記事の内容に関わらずここに並ぶ可能性が上がるということだ。
ホッテントリに並ぶということは、それだけ人の目に入る可能性が上がり、PV数も増える。
もし、アフィリエイトなどの広告収益などがあった場合、利己的すぎるとして批難の対象になる場合もあるな。
ただ、このあたりの問題の認識はユーザーの間でもかなり齟齬がある。
単に内容が薄い、面白くない記事がホッテントリに上がることが嫌だという人もいるし、ソーシャルメディアの観点から好ましくないとする人もいる。
逆にブクマ機能を想定の範囲内で使っているのだから問題ないとする人、そもそも交流目的でブクマ機能を使って非難される謂れはない、って人もいるね。
克服しなくていい、Twitterはミュートし、好きCPのアカウントてTLを埋めた別垢をひっそり作り、そちらに引きこもろう。
勿論他の話題には乗りたいのであれば地雷CPの単語ミュートで構わない。
他のトラバでもあるけど目に入ると不快な程嫌いというからには何か理由があるはずだ。
A×Bが本命の方にとってA×CやC×Bが地雷であるなら、自分の世界線との齟齬が許せなかったり、両立させようとしたら浮気っぽい感じになってしまうので想像しづらい、とか。
克服できないことに罪悪感があるなら、正当性のある理由を見つけて自分を納得させよう。
先日、性的暴力を受けた経験があるので、元々A×Bで仲良くしていた方でもモブレを好まれる方は申し訳ありませんがフォロー解除しますと仰っていた垢があったので思い出した。
菅野完著「日本会議の研究」を読んだ感想、ではなく、疑問点をつらつら書いていく。ホントはまとめて読者お便りにでもしたかったのだけれど、切手代が惜しくなったので、気になった点を列挙していく。なお、これを読んで本書の内容を知った気になって恥をかいても知りません。
以上のように、筆者が単行本化に際して加筆修正すべきであった点を放置して世に出したのは、筆者と出版社の怠業である。一方で、本書を「巨大陰毛組織、日本会議の全貌」のような内容という理解で評価するのは本書を読んでいないか読解力が不足している。
瞑想が性に合わなかったから,およそ一週間に二冊のペースで読書を始めた。気分解消効果はわりと良い感じなので,自分には合っていたと感じる。瞑想的効果を得るためには,必ずしも瞑想に拘らなくてもよいのかもしれない。まだ始めて四ヶ月なので,今後の経過を注意深く観察したい。
もともとメンタルが弱いのに加え,最近仕事や私生活でつらさが増え,なにかにつけて死にたくなったり落ち込んだりして気分のコントロールが難しくなってきた。
はてなでは,折に触れて瞑想と運動の重要性が説かれている。わたしも試し,そこそこの気持ちよさを実感することはできたが,長続きはしなかった。瞑想は眠くなるし,運動は面倒くさいからである。気持ちよさはあるが楽しさはない点に,長続きしない原因があるのではないかと考えられた。
考えてみるに,瞑想と運動の重要性と言うのは,思考を意識的に空っぽにして頭を休める点にあるのではないだろうか。そうであるならば,うんと集中できる楽しいことがあるならば,それは瞑想と運動の代替となりうるのではないかと考えた。
そこで読書を始めることにした。本を読むのは好きだったが,社会人になってからというものほとんど読まなくなっていた。意識して読書の時間を作り,休憩時間に瞑想をする感覚で,とにかく本を読むことにした。ジャンルは小説を主とし,新書やビジネス書の類はほとんど読まなかった。
平均 8冊/月
理由は単に好きだから&読むべき作品が途方もなく沢山あるから。
起床時・出勤前・退勤後の喫茶店・入浴時・就寝前
入浴にかかるガス代
読書灯
書籍代
文章を読むにあたり脳内で音声化する癖が元々あり,当初は読書をしていて随分と気が散った。これは瞑想効果を期待する上での障害となったため,適度に速く読む方法を習得する必要があった。
そこでガッテンのラクラク速読術(http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20100407/index.html)のトレーニングを2週間ほど行い,『物語は楽しめるけど物語以外のことは考えなくて済む』読書スピードの習得をおこなった。
わるくない
①気分の切り替えがはやくなった
いやな気分に入りそうになったら今読んでいる本の内容を思い出すと落ち着く。
よほど嫌なことがあっても,その時期に読んでいた本が読み終わると気分の章が変わる(意味不明だがそうとしか言えない)のであまりくよくよしなくて済むようになった。
②大抵のことにおおらかになった
①別に前向きになったわけではない
「まあいっか」ではなく「どうでもいいや」と思うことが増え,現実世界への執着が減った。
②多少不真面目になった
ともあれ,積読が減るのは気分が良い。
・元々気分が非常に落ち込んでいたのが冬の話だったので,単に冬季欝の症状が出ていたのが春の到来と共に解消された可能性がある。
・本を読むのがわたしは遅いほうだったので,このペースになったが,もっとはやいひとはそのひとなりのペースでどんどん読んでいかないと,気分解消効果は得られづらいと思われる。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ゴールデンウィークという概念は、バレンタインなどと同じく企業戦略的な側面も少なからずある日なので、とりあえず「金メッキ」みたいな表現は浮かんだ。
が、それ以上は話が広げる気にならなかったのでボツに。
恐らく年寄りの日だと思うので少子高齢化社会とかけようと思ったが、特に興味が湧かなかったのでボツに。
チキンライスとオムライスは最初の頃はケチャップを使っていなかったらしい。
どこかのタイミングでそれら別々の料理が齟齬をきたした結果、ケチャップが重複したのではと考えたが、そこから話を広げるほど関心がなかったのでボツに。
「ツラい」と「カラい」が同じ漢字なので、それを利用して捏ね繰り回した言い回しを考えた。
けれど、そのネタ自体が某芸人がやったのとカブっているのでボツに。
日本死ね、ゲーム日記・隣の女子高生・トラバ、トラバ・スパム、トラバ・漏らし・スパム、トラバ・水曜日・回文・スパム スパム・トラバ・日本死ね・スパム、スパム・お嬢様・スパム・スパム・身の上話・スパム、スパム・スパム・スパム・一人語り・スパム、スパム・スパム・スパム・スパム・スパム・スパム・鯖、スパム・スパム・スパム・スパム、主語のでかい話、トラバと追記添え、スパムのせ。
見てのとおり、ボツ。
先日の増田にid名を後悔しているといった旨の投稿があったが、
この増田のブコメでブクマカのid名の呼び方についていくつか言及があった。
そういえば自分以外の人達はみんなのidを何と呼んでいるのだろうか、と気になったので俺の呼び方を書いてみた。
(基本的にはすべてのidの最後に「さん」をつけているが今回は敬称略で)
sabacurry…さば
Nettouochi…ねとおち
feita…ふぇいた
whkr…わくてか
QJV97FCr…きゅーじぇー
vlxst1224…ぶいしっくす
c_shiika…しーしか
Re-KAm…りかむ
taihe…たいへー
hungchang…はんちゃん
sds-page…えすでぃーえす
aukusoe…おうこせ
metroq…めとろ
sukekyo…すけきょう
kidspong…きっず
kash06…かっしゅ
oooooo4150…おーおーおー(たまにオシッコ)
death6coin…ですしっくす
cider_kondo…さいだー
nezime…ねじめ
sugimurasaburo…たいぞう
sny22015…しゃい
kaionji…かいおんじ
ChieOsanai…(アイコンで認識。字面を見るとアイコンが浮かぶ特殊枠)
migurin…(アイコンで認識。字面を見るとアイコンが浮かぶ特殊枠)
ysync…わいえす
watto…わっと
こうして書き起こしてみると、idを微妙に読み違えているのもいくつか。(whkr氏など)
なにしろ九州が未曽有の大災害に襲われている渦中であるから、ひっそりとしか報じられていない印象だが、
安倍晋三が、今日から始まる靖国神社の春の例大祭に真榊を奉納したというニュースが流れている。
参拝は見送ったとのこと。
例のごとく、なぜ参拝しないのか、特亜に配慮なんかするな、戦没者の慰霊がなぜいけないのか、などと
最近はなんだが「マスゴミはなぜいちいちこんなことを報道して騒ぎにするのか?」などという発言も見られるが、
まあ「取り上げれば騒ぎになること」をとりあげるのはマスコミの仕事なのだから、取り上げてあたりまえである。
自分は、靖国神社の存在について、神道の伝統にしたがえばきわめて特殊な神社であると思う一方、
なにかと「首相の参拝実現を!」と叫ぶことには反対の立場である。
というか、首相などということよりも、もっともっと先に実現すべきことがあると考えている。
英霊たちは、岸信介の孫のパフォーマンスなんぞより、今上陛下の御心を待っているはずだ。
先帝陛下は、先の大戦に敗れて以降も、定期的に靖国に親拝されておられたが、1975年11月を最後に靖国を訪れることなく崩御された。
先帝陛下は、その大御心を無視して靖国神社がA級戦犯を合祀したことに対して不快感を持ったれており、
それが親拝されなくなった理由だという説がある
今上陛下がなぜ親拝されないのかということについては、現在の陛下のお立場から考えて、
少なくとも陛下のご在位の間には決して明らかになることはなかろうが、
「もし、今の状況で陛下が靖国に親拝されたりしたら、ハチの巣をつついたような騒ぎになる。
そんなところに、陛下がいかれるわけがない」と答えた、という話を読んだ記憶がある。
となれば、現在、行政の最高責任者である安倍晋三のなすべきは、
自らが「最高権力者でござい」という顔をして陛下を差し置いて靖国に赴くことではなく、
陛下が親拝されるとなれば、やれ軍港主義の復活だのなんのと騒ぐ輩が内外からでてこようが、
それは間違っている。
たしかに、先帝陛下は昭和20年まで大元帥として軍を統率されていたが、
敗戦によって軍服を脱がれて以降、荒廃する日本の各地に赴き、親しく国民と接せられ、
「四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらむ」という明治大帝の御製を引かれて
その御心を示された方である。
軍服に威儀を正した大元帥陛下でおられるよりも、スーツとソフト帽の姿で民衆に手を振る象徴天皇でおられるほうが、
望みだったのではないかと、畏れ多くも推察する。
もしかしたら、庶民的な君主であろうとしたが故に、君側の奸に疎まれ、挙句は若くして病に倒れた父君
国籍や民族を問わず、先の大戦の悲劇を語り継ぎ、その犠牲者を慰霊することを
自らの責務として精力的に活動されていることは、近年の海外への慰霊の旅の数々をみれば、言うまでもあるまい。
先の大戦に敗れて「象徴天皇」という立場になって以降、日本の天皇というのは
英国の王族などは、軍務につき、結婚式では嬉々として軍服に身を包んでいたりするが、
現在、我が国の天皇はじめ皇族方は、けして軍服などという野蛮な服装に身を包むことなく、
我が国の事実上の軍隊である自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣であるから、その地位にあるものが靖国神社を参拝すれば
現行憲法下で今上陛下が靖国に参拝することが、軍国主義の復活につながるとはとても思えない。
もし、そのことで国内外に誤解があるのならば、その誤解を解くことこそが、首相の仕事であろう。
首相自身が靖国に行かないことで近隣諸国の懸念を防ぎ、陛下の親拝実現に一歩でも近づくのであれば、むしろそうすべきだ。
にもかかわらず、無用に近隣諸国との緊張を高め、陛下を差し置いて自らが靖国に行きたいなどという首相がいたならば、
それは、本当の意味で皇室を敬愛しているのでもなかれば、我が国のことを思っているとは、到底思えないのである。
そもそも現在でも陛下は、伊勢をはじめ、各地の神社や天皇陵を親拝されているし、
宮中では、日夜、神道の形式にのっとって、我が国の安定の民の幸福を祈っておられる。
もちろん、それは「象徴天皇」の「国事行為」ではなく、天皇家の私的な行事としてであって、
その区別は厳格にすべきだろうが。
皇室を敬愛する愛国者のふりをして、近隣諸国へのヘイトスピーチをばらまきつつ「首相の靖国参拝実現」を声高に叫び
結果として陛下の靖国親拝への道を遠ざけ、英霊の御霊の安らかなるを妨げるものは、
愛国者のフリをした不逞の輩というべきであろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160221211019
に対する
kato_19 確かにすごい考察ではあるが・・・楽しめなくて可哀想としか。辻褄や現実にこだわる理由がわからない。私の感想『『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか?』http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
匿名でここまで書くのはすごい!でもおりあそ氏同様、脚本の物語性に非常にこだわる点が自分とは大きく違う所。現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像に魅力を感じるんだよなぁ。 https://t.co/C43GeQjkcD https://t.co/9DE4lPVVaB— kato19@アニメとスピーカーと‥‥。 (@id_kato_19) 2016年3月19日
について。
まず、彼に限らずアニメラブライブのファンが多少筋の通った批判を目の当たりにすると苦し紛れに発することが多い「楽しめなくて可哀想」という感想について。
この表現にこそ、とにもかくにも「ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』という感情状態から生じた「ラブライバーでない奴は可哀想」という論理が見え隠れする。
一応、何事も楽しめたらそれは素晴らしいことだ、というのにも一理はある。
しかし、見方や立場を変えてアニメ前の作品内容や原案公野櫻子先生による内容を特に愛するファンから見た場合は逆に、アニメと同等以上に可能性に溢れているそれらの媒体をおまけ以下と扱って注目せずにアニメや声優のみに注目し楽しむ現在の大半のラブライバーこそ、楽しめなくて可哀想に映るともいえる。
本来であればもっと楽しかったもの、もっと楽しくなれるものに期待できず楽しめない状態でありながら、あんな物語性もキャラクターも薄く浅いアニメを萌えるとか尊いとかいって満足して楽しんでいることこそ可哀想だ。
と、子供の喧嘩のような言い合いになるので、楽しめなくて可哀想理論は微妙だ。
次に、「辻褄や現実にこだわる理由がわからない」「脚本の物語性に非常にこだわる点」について。
これもアニメラブライブなど、拙い脚本を持ち味とする作品のファンが内容を批判された場合に反論でよく用いる意見だが、この意見が出てくる時点で大体の場合勘違いが存在しているように思う。わざとの可能性もあるが。
アニメや劇場版のラブライブ、少しずれるが艦これなどに至るまで、脚本内容を批判している人達の大半は恐らく完全な辻褄や現実性、脚本の物語性に非常にこだわっているというわけではない。“最低限”の辻褄や現実性が脚本や演出に伴っていないからこそ批判しているのであって、辻褄や現実性絶対主義者だから批判しているのではないことを盲目的に賛美することしか念頭にないファン達は再認識してもらいたい。
もしくは、彼らにとってそれらの作品の「萌え」や「勢い」といったものが上級表現の「尊い」どころか脚本の物語性や辻褄・現実性の拙さと乏しさから来る違和感と物足りなさを補えるほどには全く至っていなかったのだ、ともいえる。
実際、辻褄やリアルさよりも萌えや勢いで全てを吹き飛ばして満足感をもたらしてくれる尊い作品を自分も欲しているが、アニメラブライブはそれには程遠いと思う。
そしてそのような細かい辻褄の拙さやおかしさを吹き飛ばせる萌えや尊さといったものが存在しているものこそ、アニメ以前の雑誌や漫画におけるラブライブ!だと自分は思うのであるが…。
京極尚彦氏や花田十輝氏、ラブライバー達にとってはそんなものより海外ドラマにのっぺりとした無個性の二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い、物語性など要らないって思ってしまうらしい。そのような部分を見ていると、彼らが一体作品の何を好きなのか分からなくなってくる。(そこでラブライバーはラブライバーである自分のファンでしかないという説が起こる)
ラブライブ!はアニメ以降よりも1stシングルPVのキャラクターデザインの方がシンプルながら個性と卓越性があった。当時は黎明期だし全てが未熟だっただろうという雑な先入観から考えて初期の絵や内容を馬鹿にしている者はファンにも多いが、もう一度しっかり見直してみた方が良い。実際初期の雑誌の絵は拙いもっさりした感じの絵もあって、主にそれを持ち出して「初期のキャラデザはこんなに酷かった」なんてネタにされているのをよく見る。しかし、雑誌やスクフェスなどの公式絵はアニメ化以降でも当たり外れがあるのでそのあたりを踏まえて考え直してみる機会を設けてもいいだろうと思う。
次に「現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像」とそれに呼応する内容が述べられているブログの記事内容について。
『ラブライブ!』って本当に美しいですね!特に劇場版のラストライブ・・・極限まで高められた美しさに圧倒されました。『萌え』の上級表現である『尊い』って言葉がこれほど似合う作品ってあるでしょうか?
ここまで心に響く理由・・・それは『ラブライブ!』という作品がアイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事が出来たから。現実に囚われない理想のアイドル像を実現できたからだと思います。
(アニメの)ラブライブ!って何が美しいのだろう。ラストライブの何が美しかったのだろう…。個人の主観だから仕方がないが、同様に自分の主観だと1stシングルのPVの方がまだ美しかったように思うためによく分からない。
劇場版のライブは1期や2期と比べても心に響くものがなかった。楽曲の質が突き抜けてこないのはネタ切れもあって仕方ない所もあるだろうが、無理矢理終わらせようという勢いと都合に溢れていたからだろうか。
「『ラブライブ!』という作品がアイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事ができた」「現実に囚われない理想のアイドル像を実現できた」
この意味がよく分からないが、後の記述から推測すると、芸能界というビジネス的なしがらみのある世界から分離され、物語やキャラクター性といった辻褄や論理から脚本やライブ演出に特化され解き放たれたことで自由になった作品だと言いたいように感じた。
しかし、それと併せて考えて見てもラブライブ!という作品が「現実に根ざした物語を超えて」(いる)というのは、先述したような内容の辻褄や物語性の乏しさという都合の悪さを隠すために言い換えてみただけの取って付けたような表現に感じてしまう。
2013年、そこへ発表されたのが『ラブライブ!』という作品でした。架空のアイドルをつくるメディアミックス・プロジェクトを出自とする本作にとって、現実のアイドルという縛りは初めから希薄なものだったのです。
2013年からラブライブ!という作品が始まっており、その時点でメディアミックス・プロジェクトから分離され独立していることが前提であるかのような書き方に嫌悪感を覚える。
現実から解き放たれたラブライブ!という作品
当時、多くの人がアイドルアニメといえばアイマスのようなものをイメージするなか、京極監督はおそらく気づいていたんだと思います。『アイドルアニメはもっと自由になれる』という事に。
『ラブライブ!』のTV放送一回目。多くの視聴者の度肝を抜いた突然のミュージカル演出。これによって本作がダンスと楽曲のコラボレーションに重点を置いた作品である事を宣言しました。
この方に限らずアニメラブライブ!や京極氏を絶賛する人達はこのように言うのだが、そもそも元からラブライブ!は「スクールアイドル」作品で、キャラクターが外のしがらみから独立して作詞作曲・演奏ライブなどを自由に行う描写がある作品も、ブログでも言及されている『けいおん!』などのように以前から存在しているし、その点においてラブライブがそんなに画期的だったとは自分にはあまり思えない。
また、ダンスと楽曲のコラボレーションに重点を置いた作品であることを宣言しても、作品の脚本内容の致命的な拙さやキャラクター配慮の不備の免罪符にはならないし、海外ドラマからパクって間に合わせただけで許されるわけでもない。
そもそも、元々の設定が存在し、それがある程度当時のファンに支持された上で存在していたメディアミックス作品なのだから、どうせ別のどこかから適当に引用する程度にしか監督や脚本家に作品のキャラクターや物語性への真摯さと思い入れが足りていないのであれば、元の作品から丸々引用する方が良かったはずである。それならコピペでも文句を言われないどころか、原案原作を生かしていて素晴らしいと絶賛されていた可能性の方が高いくらいである。
実際、アニメのラブライブ!で古参新参問わず最も評価が高いシーンの一つである1期8話は1stシングルPVの内容をほぼコピペするようにリメイクした内容だった。
それを、わざわざ無関係の別作品から引用して作品やキャラクターの軸までねじ曲げてしまったのは悪意の盗作という見方がされても仕方がないし、別作品へのオマージュやリスペクトとして捉えてあげるとしても肝心のラブライブ!という作品内容への思い入れと配慮の無さが強く感じられてしまい、その意図と効果は肯定的に受け入れにくい。
その特異にも見える現実離れした演出は回を重ねるごとに深まり視聴者を戸惑わせます。しかし秀逸なストーリー構成は私たちの心を掴み、いつしか違和感を感じなくなっていきました・・・ここに、現実のアイドルという枷が外れた『ラブライブ!』という作品がひとつの完成を見たのだと思います。
分かりやすく「特異にも見える現実離れした演出」があったのは主に1期&2期1話・最終話だったと思う。それ以外は態々特異というほど現実離れした演出があったと自分はあまり思わなかった。そのため、時折挟まれる無駄に寒いコメディータッチな演出や描写に違和感と嫌悪感が生じた。
腐ってもキャラクターアニメであるのにキャラクター描写が雑すぎて、キャラクターの魅力が淡白で薄くなっていて消えてしまっている。とても演出や勢いがどうとかでは補えるものではなかった。その内容については先述の批判考察記事やそこで引用される元の批判記事で書かれているので省略。
また、自分でストーリーの物語性や現実性と辻褄にこだわってアニメラブライブ!を見ることを批判的に捉えておきながら、その作品のストーリー構成を秀逸と考えた根拠も少々謎である。
百歩譲ってその論理からストーリーにこだわらず演出やライブ(ダンス)シーンがいい、ストーリーはおまけだからというなら意味も分かるし、それに特化した自由なアイドルアニメ作品を評価する論理としても、その人の中でそう思えたなら仕方ないかと多少納得できるのだが、そこで、無理なおべっかを使うような賛美を繰り出す所にラブライバーらしい空虚で盲目的な部分を垣間見てしまう。そのような評価の仕方を見ているとやはり彼らの感覚と論理の間には齟齬が生じているように思う。
結局の所、ラブライバーはキャラクター描写の拙さや、脚本や物語性を批判されたら「ライブシーンが見所だから」「ライブ演出が~」と言い、その演出もさほど大したことがないと指摘されてしまうと「キャラクターが魅力的で~」「初期から紡がれてきた声優ライブとアニメとの融合によるコンテンツの包括的に捉えた中でのみんなで叶える物語(の物語性)が~」というような形のことを言って相反した発言を繰り出すために説得力がない。
そしてコンテンツの初期からの積み重ねやみんなで叶える物語という既に剥がれ落ちた空虚な幻想の影を掲げて信奉する割には、アニメ以前の作品像やキャラクター像には最低限の興味や配慮を払うことすら稀な人が殆どである。
そのような点を見ていると、彼らは結局作品の中身には興味がなく外部のパッケージだけを愛しているように思える。「よく分からないけど初期から歴史があって人気が出たからみんなで叶えた物語だ尊い」、「よく分からないけど結構可愛い声優がアニメキャラとシンクロしたダンスを踊るために頑張ってるから尊い」というような状態なのではないか。別に作品を楽しむためには必ず重厚で説得力のある感覚や根拠を必要とはしないが、そのあまりに粗雑な状態の感覚や根拠を掲げることが必ずいつでもどこでも許されるわけではないということは少しだけでも覚えていてもらいたいように思う。
一方で、そこで素直に「アニメラブライブはクソでもラブライバーとしてアニメやライブを楽しんでいる俺は最高だ、だからラブライブは最高だ」と言ってくれるのであれば、それはそれで確かに素敵だと思うし、納得できる。それを聞くことで作品内容自体の素晴らしさは相変わらず伝わってこないが、彼らが作品を最高だと思っている気持ちは本物なのだろうと思えるからだ。しかし先述のように取って付けたすぐに剥がれ落ちるような根拠ばかり持ち出して内容評価を繰り返すようだと、何かに洗脳されたり、駆り立てられたりして仕方なく作品を賛美している状態に見えて、彼らが作品を好きと思っている気持ちすら実は偽物なのではないかという疑念が生じてくる。
実体がなく抽象化したからこそ表現できるものがある。劇中の『飛べるよ』というセリフは、まさにこの作品自体に向けられた言葉のように思えてなりません。
現実のアイドルという縛りから飛び立った時、アニメーションはここまでの表現ができるという事を教えてくれました。アニメーションの可能性がさらに一歩広がった事を実感できたのです。
自分は劇場版の『飛べるよ』という台詞を聞いて、苦笑いを浮かべた。最近(2016年3月現在)話題の違法・脱法薬物使用によるトリップを「飛べる」と表現することがあるが、それになぞらえて、「ラブライブ!を見てば『飛べるよ』」「作品内容もキャラクターも全部積み重ねてきた歴史をアニメ化してから根こそぎ捨ててきたから中身は空っぽだけど、裏には歴史があると思い込みながら「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味に捉えられ、作品批評者にネタを提供しているなと感じた。
「アニメラブライブ!という作品は、包括的なストーリー性やライブ演出が魅力だから作中のキャラクター描写とかアニメ自体のストーリー性は雑でもいい、描写の足り無さは効果的な省略だからおかしくても逆にそれがいい(効果的な省略が得意なはずの監督なのに無価値な蛇足なシーンやキャラが多いのは何故?)」というような無理矢理な盲目擁護調の論理はこのブログの筆者や、某K氏やG氏S氏V氏などラブライブ!賛美系評論者の多くに共通しているように思う。京極尚彦氏や花田十輝氏の信者に共通しているのかもしれない。
HPVワクチンで脳障害が!というニュースが話題を集めている。
マスコミ各社で大体の論調は同じだが、最もブクマ数が多そうなのは以下の記事である。
子宮頸がんワクチン副反応「脳に障害」 国研究班発表 (TBS系JNN)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160317-00000008-jnn-soci
まず言っておくとすれば、マスコミの記事は強くミスリードを誘うものであるという点だ。
詳しくは後述するが、元の資料では「脳に障害」が起こったとは書かれておらず、またそれがワクチンの副反応であるという根拠も書かれていない。
ヒトパピローマウイルス感染症の予防接種後に生じた症状に関する厚生労働科学研究事業成果発表会
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000116636.html
子宮頸がんワクチン接種後の神経障害に関する治療法の確立と情報提供についての研究 池田修一氏 発表資料(PDF:23,903KB)
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000116634.pdf
以下ではこの資料を元に今回の発表の内容について解説していく。
なお、特に注釈がない場合、HPVワクチンという単語はサーバリックスとガーダシルの双方を指すものとして扱う。
本資料は3部分に分割できる。
信州大学を受診した123名の患者の中から、HPVワクチンの副反応が否定できない98例についてその症状を詳しく見て報告した、というものである。
主な病態としては、末梢性交感神経障害(起立性調節障害{OH、POTS}、複合性局所疼痛症候群{CRPS})、
高次脳機能障害(学習障害、過睡眠、奇異な麻痺)、自己免疫疾患の併発(RA、SLE他)が挙げられている。
なお、自己免疫疾患の併発については根拠が弱く、資料中でも疑問符付きで述べられていたことを付け加えておく。
また、HPVワクチンの副反応が否定された(他疾患と判断された)25例についても、
一部の疾患(てんかん、SLE、若年性関節リウマチ)はHPVワクチンに関連しているかもしれないと仄めかしている。
個々の患者のデータ自体は、それが副反応で有るにせよ無いにせよ有用なものであり、患者の救済・治療の観点からも重要である。
しかしながら問題点もあり、その最たるものが「副反応が否定できない」が途中で根拠なく「副反応」にすり替わっていることであろう。
この研究はControl(非接種群)と比較をおこなっておらず、各症状が接種者に特有なのか、接種者で発症頻度が高いのか等は分からないのにも関わらずだ。
さらに、他疾患との関連については、論文(*1)を引用してHPVワクチンでは自己免疫疾患や横断性脊髄炎の発生リスクがあると述べているが、
その論文では「他のワクチンと比べて発症頻度は高くない」と結論付けられているため、誤読か意図的なミスリードが疑われる。
症例報告で自己免疫疾患の併発が示唆されたことに関連付けてなのか、患者のHLA型を鹿児島大と信州大で調査したという内容である。
その結果、HLA-DPB1*0501の頻度が一般的な日本人の頻度より高かったと述べられている。
鹿児島大のデータ(n=19)ではDPB1*0501の頻度(恐らく保有率)が84%、
これに2名を追加したデータ(n=21)では保有率が85.7%、遺伝子頻度が57.1%であった。
Controlの遺伝子頻度は40.7%であり、患者側で有意に高かったようだ(P<0.001)。
信州大のデータ(n=14)では、DPB1*0501の保有率が71%、遺伝子頻度が46%であった。
Controlの遺伝子頻度は38.4%で、記述がないことから、恐らく有意差は無かったと思われる。
上記で保有率と遺伝子頻度を強調表示したが、それはこの2つが混同して語られているからだ。
ごく単純に説明すると、保有率の方はヘテロ接合でもホモ接合でも保有者1名として(つまり個体単位で)計算するが、
遺伝子頻度は遺伝子プール内の対立遺伝子の頻度で計算するため、ヘテロ/ホモ接合の割合によって保有率と遺伝子頻度は異なる値を示すことになる。
鹿児島大のデータを例に出すと、患者21名のうちDPB1*0501のホモ接合が6名、ヘテロ接合が12名であり、
保有率は(6+12)/21=85.7%なのに対し、遺伝子頻度は(6×2+12×1)/42=57.1%となる。
マスコミ各社の記事で見られた「8割で同じ型を保有」というのは保有率のことであろうが、
それと比較している一般的な日本人のHLA型は遺伝子頻度で示されている。
したがって、異なる指標を比較していることになり、これは印象操作以外にほとんど意味のない行為と言える。
遺伝子頻度で見れば、一般的な日本人のDPB1*0501の頻度は38.4~40.7%で、患者群が46~57.1%となり、それほど高いようには思われない
(少なくとも、「普通は4割なのに患者は8割!超高いじゃん!」というマスコミ報道よりは)。
また、健康な日本人(Control)のDPB1*0501遺伝子頻度が55% (*2) や64% (*3)の論文も存在している。
一応、鹿児島大のデータでは患者側で有意に頻度が高いという結果(10遺伝子座も調べてる割に有意水準が少し高いように思われるのだが)
が得られたことから、DPB1*0501が副反応"疑い"の症状と関連している可能性は否定できない(実際にワクチンの副反応かは別として)。
自己免疫疾患を生じ易いNF-κBp50欠損マウスに、インフルエンザワクチン、B型肝炎ワクチン、HPVワクチン(サーバリックス)、
PBS(Control)を注射した結果、サーバリックス接種群のみ海馬に自己抗体の沈着が見られた。
また、(恐らく)サーバリックス接種群でのみ末梢神経に病変が見られた。
マスコミ(少なくともTBSの)記事で「脳に障害」とされたのはこの海馬への自己抗体の沈着である。
しかし、あくまで沈着していただけであり、これによって脳に障害が起こったとは少なくとも資料中では全く述べられていない。
しかもこれはマウス実験であり、ただちにヒトの脳に適用できるものでもない。
「子宮頸がんワクチンを打ったマウスだけ、脳の海馬・記憶の中枢に異常な抗体が沈着。海馬(記憶の中枢)の機能を障害していそうだ」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長) (太字・下線は引用者による)
の2行後には
「明らかに脳に障害が起こっている。ワクチンを打った後、こういう脳障害を訴えている患者の共通した客観的所見が提示できている」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長) (太字・下線は引用者による)
と、推測から断定への鮮やかな飛躍が見られる。
これがマスコミの誘導や切り貼りによるものか、御本人の認識なのかは不明だが、どちらにせよ不注意な発言であろう。
また、話の流れ的にも「少女たちに何が起きているのでしょうか。」からマウス実験の内容に飛ぶのはおかしくはないだろうか。
どちらかと言えば症例報告の話((1)の内容)につなげる方が自然に思えるのだが。
さらに、マウスに接種されたのはHPVワクチンのうちサーバリックスのみであり、もう一方のガーダシルは用いられていないのは疑問である。
HPVワクチンを主眼に据えている以上、ガーダシルで実験をしていないというのは考えにくいのだが、何か理由があるのだろうか。
個々の内容(症例報告、HLA型の調査、マウス実験)はいずれもまっとうなものであり、特に今回の症例報告は患者の治療を進める上でとても有用であろう。
しかしながら、各症例をHPVワクチンの副反応であると根拠なく断言し、HLA調査では「ワクチン副反応の予防法の確立」等、
マウス実験でも「神経障害の機序の解明」等のHPVワクチンによる副反応を自明とした表現が目立つ。
プレゼン資料で少し強めのことを言ってしまうというのはよくあることだが、それにしてもこれらは言い過ぎなように思われる。
薄弱な根拠でHPVワクチンの害を喧伝することは、患者救済という観点から見ても決して適切な方法ではない。
願わくは、不用意な発言は避け、研究内容に相応の穏当な表現でもって語っていただきたいところである。
今回のニュースのブクマでよく見かけたのが「WHOの安全声明は間違っていたのか」「ワクチン擁護者はどんな言い訳をするのか」等のコメントである。
ここまで読んでいただいた方なら分かっているとは思うが、池田氏の発表からは各症状がHPVワクチンの副反応であるとは言えない。
それを言うには、ワクチン接種者と非接種者を比較して、各症状の頻度が接種者で高いことを明らかにする必要があるのだ。
WHOの安全声明(*4,5)は、HPVワクチン接種者と非接種者では自己免疫疾患等の発症率に有意な差は無いという疫学的な調査の結果に基づいてなされている。
調査対象の疾患のなかには池田氏らの症例報告にもあるPOTSやCRPS等も含まれており、そのリスクも接種者と非接種者で差は無かった。
これらは日本国外での調査であるが、国内においても名古屋市の約3万人の調査(*6)では、接種の有無による疾患リスクの増加はほとんどないことが示されている。
また、池田氏の発表資料と同じページに載っている牛田氏の発表資料(*7)も必見である。
その主な内容は、器質的な原因に由来しない疼痛への対応や治療、ケアに関するものであるが、
子供の起立性調節障害や慢性疼痛といったHPVワクチンの副作用として疑われている症状が、もともと一定の頻度で存在していたことも示唆している。
以上より、今回の池田氏らによる研究発表は、HPVワクチンの安全性について既存の評価を覆すものではないということがお分かりいただけたと思う。
この文章が、報道を聞いて不安になった方や情報の齟齬で混乱している方の助けになれれば幸いである。
なお、批判的に扱ってはいるが、池田氏らの研究の内容自体は素晴らしいものである(特に症例報告)ことは重ねて申し上げておく。
もし間違いや事実誤認等の不備があれば指摘していただけるとありがたい。
さて、この文を書き終えたところで、既にこのニュースについて言及したブログを見つけてしまった。
以下二つとも、有益な情報が多々含まれているため、本増田よりこれらを読んだ方が良いかも知れない。
HPVワクチン 接種後体調変化の報道 と その周辺 2016年3月 (感染症診療の原則)
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/7279d93d6ce526b5ed61b40d8a7a01b8
*1 Slade et al. (2009) Postlicensure safety surveillance for quadrivalent human papillomavirus recombinant vaccine. JAMA, 302, 750-757.
*2 Onuma et al. (1994) Association of HLA-DPB1*0501 with early-onset Graves' disease in Japanese. Hum. Immunol., 39, 195-201.
*3 Matsushita et al. (2009) Association of the HLA-DPB1*0501 allele with anti-aquaporin-4 antibody positivity in Japanese patients with idiopathic central nervous system demyelinating disorders. Tissue Antigens,73, 171-176.
*4 Global Advisory Committee on Vaccine Safety Statement on the continued safety of HPV vaccination (12 March 2014)
http://www.who.int/vaccine_safety/committee/topics/hpv/GACVS_Statement_HPV_12_Mar_2014.pdf
*5 Global Advisory Committee on Vaccine safety Statement on Safety of HPV vaccines (17 December 2015)
http://www.who.int/vaccine_safety/committee/GACVS_HPV_statement_17Dec2015.pdf
http://www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/cmsfiles/contents/0000073/73419/sokuhou.pdf
*7 慢性の痛み診療・教育の基盤となるシステム構築に関する研究 牛田享宏氏 発表資料(PDF:3,890KB)
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000116635.pdf
これは良かった。かなり動くけど面白かった。
ただ、主観視点のときはいいんだけど客観になるとどこ視点の動きなのか迷う。
あと、目の位置が動くので視線が落ち着かない。慣れるまで少しかかった。
それと、背もたれの腰の辺りのマッサージチェアみたいな動きが急に来ると後ろの奴の足が当たったのかと思って驚く。
さらに、前の方の座席が動いてるのが視界の端にちらついて微妙に気が散る。最前列推奨。
とはいえジェットコースターのシーンなんかは特に面白かった。面白かったのだけど・・・
そのジェットコースターのシーン、トンネルに入ると火花が飛び散って格好いいのだけどそこでフラッシュの効果が出る。
邪魔だ。暗い画面の中で火花が散る絵の格好良さがフラッシュで白く飛んだスクリーンじゃ台無しだ。
画面の中で表現されてるものを画面を見づらくしてまでかぶせる必要なくね?
これもそう。画面の中の煙を外に出さなくてもいいだろ。
見づらいのもあるし、シーンが切り替わっても微妙に残ってたりするし。
じわじわ出てきてしばらく残るんじゃなくて一気に出てすっきり消えればいいのに。
あの出方だと霧のシーンだったらアリだけど爆発のシーンには合わない。
可もなく不可もなく。
エンディングでは良かった。風呂場のは笑っとくべきなんだろうたぶん。
これはすごく良かった。特に冬場の映画館は基本的に暑い。なので風がすごく心地良い。屋外感ある。
音はもう少し抑えて欲しい。送風音がわりとうるさい。
背もたれの顔の横辺りから空気がプシュッと出る。砲弾がかすめて飛ぶような場面で多用されてる。
画面の中では多くの場面で砲弾は画面奥からこちらに向かって飛んでくる。
あと単純にプシュッて音が邪魔。
途中でポップコーンの匂いに混じってほんのり何か別の香りがしたような気もするけど分かんねーよ。
俺は華さんじゃねーんだよ。
ダージリン様セット買うなら帰り道で。
4DXの機能ありきで作った映画なら見に行くかもしれないけどそうじゃないなら普通の方がいいや。
絶賛してる人も多いけどこう感じた人もここにいるよってことで。
4DXとは関係ないけどユナイテッドシネマの音響は苦手だと分かった。
普段は近場の別の劇場なので距離があるユナイテッドシネマは数年ぶりに行った。
要するに転職したこと無いんだな。
人間が経験を詰んで変化していくということが実感できてないんだろうな。経験が無さ過ぎて…。
そうやって現在の環境が全てでそれ以上のものは存在しないんだと自分に言い聞かせて生きていくのも一つの道で、そういう人はいっぱいいるんだけど、俺はそういう人とは仕事したくないな。
君がそういう欲求を持っているなら、そういう欲求に合致した人が使われるだけだよ。
そんなの当たり前じゃん。なんでそれがあたかも「悪いこと」であるかのようなニュアンス出してるの?
というか、仕事というものが本質的に他人のためにやるものだから、 「自分のために仕事をする」というスタンスは齟齬をきたしやすい
という君の価値観に対して反論しただけであって、その価値観と「そういう欲求に合致した人が使われる」ことが「悪いこと」であるかのようなニュアンス出しちゃうことが既に矛盾してんじゃん。結局「その価値観が全てであって欲しい」という君の欲求に過ぎないってことじゃん。
「君がやりたいこと」を妨げることが、その人にとっての「やりたいこと」であった場合、君はその人を使う?
なんであらゆる人間と上手くやらなきゃいけないのかがそもそも理解できない。根本的に合わない人とは別の世界で生きればいいじゃん。
事の発端は先日割とノリが良い知人が送ってきた LINE。
一面雪の写真に添えられたコメントは「どれならいけるかな?生?レモンシロップ?それとも塩?」。
その中のどれがいいか、本気で尋ねていないことは明らかだ。
どうしてこんなことを送ってくるのか、私に何を求めているのか。笑って欲しいのか突っ込んで欲しいのか、いったいなんなんだ。
笑って欲しいのであれば次に疑問となるのは、それは本当に面白いと思って言っているのか、ということ。
嫌味じゃなくて、面白さが理解できなかったので純粋に知りたいけど本人に聞くのは失礼だから聞けない…。
突っ込んで欲しいのであれば「いや、それ食べても美味しくないだろうし汚いんじゃない」とかなるかもしれないけど、こんな返し面白くないしなあ。わからない。
で、はたと気づいたのはこの居心地悪さ、営業の仕事をしている人と話しているとたまに感じるなあ、ということ。
自分は普段エンジニアの人たちとよく話したり飲みに行ったりするけど、営業の人達とはあまり関わりがない。
けどたまに関わると、こういった類の、明らかに本人としてもそう思っていないであろう類の冗談を聞くことがある。で、反応に困る。
というわけで 3 日ぐらい考えました。
エンジニアだって冗談をいっぱい言うのに、エンジニアの冗談への返答は全然困っていない。
自分が出した答えは、エンジニアの冗談は理論ベースで、営業の人達の冗談はイメージベースだということ。だから会話が噛み合わないのだということ。
仕事だと結構お互い歩み寄ろうとするし解決すべき問題が明らかなのでコミュニケーションに多少の齟齬があってもなんとかなるけど、冗談においてはここをすり合わせるのが難しい。本当に難しい。
・新世代の人々の前に広がった風景(サード後)は、悲惨なものであった
・彼らはそれに触れるうちに慣れてしまった
・世界が滅ぶかどうかという危機的状況に置かれている彼らは一個人の生死を優先することができない
・サード後はサクラはシンジに対し複雑な感情をもって葛藤している
・歴史認識(サード、ニアサード)に関して、新世代とシンジの間で相違がある
・シンジが起こしたサードのせいで、新世代の平穏な生活は奪われた
・他人を思いやれるほど平和な状況ではない、むしろ十分な対応している
・「怒りと悲しみの累積」をそれぞれが抱えている
・それゆえ、悪意はないにせよ各種の言動に繋がった
大体こんな感じですが、もう少し要約したいと思います
<1>
新世代には明るい未来が広がっていたが、サードインパクトによってそれは全て壊されてしまった。サードインパクト後、凄惨な風景が彼らの目前には広がり、悲惨な暮らしを強いられた。サード(ニアサード関係)を起こしたのは碇シンジであり、新世代は彼に対し複雑な感情を持っている。特に、サクラはエヴァ搭乗者としてのシンジの側面も兄から教えられているために、余計に葛藤している。
<2>
サードインパクト後、生き残ることで精一杯であった彼らは悲惨な暮らしを過ごす中で、人が死ぬことは日常茶飯事になり慣れてしまった。そして、危機的状況の中では人類の存続が最優先であり、シンジ一個人の希望を優先することはできない。この点に関し、シンジと新世代の間で齟齬が生じている。また歴史認識、すなわち「世界はなぜ壊滅的な状況になったのか」という史実に関しても情報は錯綜しており、新世代は誰を憎んでいいのか分からない。
<3>
新世代にとって、「シンクロ率」とは憎悪/恐怖の対象であり、サクラの発言は純粋な喜びから出たものである。他人を思いやれるほど平和な状況ではない上に、各人が「怒りと悲しみの累積」を抱えている。それゆえ、新世代にとって複雑な感情から各種の言動に繋がってしまった。世界崩壊の犯人扱いされたシンジも可哀想だが、未来ある人生を壊滅させられた新世代も同時に可哀想な存在であり、ヴィレの中に悪者はいない。
まず押さえておきたいポイントですが、肝要なのはサードインパクトです。「破」のラストでは、アスカは精神汚染で隔離中、マリと弐号機は戦闘不能に陥り、綾波は故障明けの零号機での戦闘を試みるもゼルエルに飲み込まれてしまい、残っているエヴァは初号機のみです。
シンジがあのまま残り、何もしなかったと仮定しましょう。そうすると、自ずと零号機と同化したゼルエルは地下のリリス+槍と共鳴を果たし、サードインパクトが起こります。これは旧劇における最後のインパクト(初号機+リリス+槍)と同じであり、ほぼ人類の生存は期待できません。
すなわち、シンジが勝手な行動を取ろうと取らまいと世界の壊滅は決定的だったわけです。まずこの点が重要。「シンジが勝手な行動を取ったために」世界が壊滅したわけではなく、あの状況においてはシンジの動きに関わらず世界は確実に壊滅します。ダミープラグの処遇を巡ってシンジを追放した時点で、世界の壊滅はほぼ決定的だったのです。これらの事をミサトたちは目前にし、自分たちでは解決不可能な問題のを一人の少年に託したはずです。責任転嫁も甚だしい。
そのため、新世代の未来は元々明るくありません。それに加え、戦闘が続き疎開が相次いでいたサード前から推察しても明るいものではありません。戦闘に爆弾に見知らぬロボットによる迎撃、ドンパチ騒ぎ。当時から元々平和ではなく、明るい未来/今と同じくらいの幸せは元々存在していません。
そうなると、次に問題となるのは「誰が世界を滅茶苦茶にしたか」という史実です。14年間何があったかは分かっていません。しかし、前述のとおり、ミサトたちは一連の内容を把握しています。シンジの追放、そして再び手に負えなくなったら都合よく再利用。しかも、「自分自身のために!」と応援とまきた。自分たちの範疇を超えた問題を一人の少年に託しておいた、これは致し方ありません。初号機に乗れるシンジにしか解決できぬ問題ですから。しかし、新世代はなぜこの史実を正確に把握していなかったのでしょうか。青葉がビデオも取っていたのに。情報の錯綜は当然あるでしょうが、凄惨な暮らしを強いられたのであるならば、その犯人が知りたいというのは最もです。
14年間の内容は分かっていませんので、ある程度の推察も含みますが、おそらくミサトたちは組織を作るために嘘を伝えました。まさか事もあろうに世界を再建しようとしている幹部たちが、実はこの凄惨な状況を招いたサードインパクトを自分たちの力では解決できず、一人の少年に託した上に、失敗に終わった。などという情報を流せば、組織の混乱/疑心は図りかねません。
そのため、「サードインパクトは碇シンジによって引き起こされたものであり、自分たちはNERVに騙されていた」という主旨の内容を伝えたはずです。そうすれば、ヴィレの総括はしやすくなります。嘘も方便というやつですね。その結果、ミサトは建前上シンジに冷たくしなくてはならなかった。オペレーター全員がいる戦闘室ではハッキリと冷たい目線/口調で述べたのに対し、サクラのみが同行した応接間では俯き「もうレイはいないのよ…」と寂しげに呟くだけでした。その後、マーク9の突入時にもサクラがいたために、「身元は私達で管理します、ここにいなさい…!」と言うしかなかったのです。本音はその後のDSSチョーカーの震えに現れている通りであり、シンジを組織統括の大義名分として利用したことへの罪悪感と、そこから生じたシンジの命だけは守りたいというアンビバレントな感情の現れです。
新世代には嘘の史実が伝えられました。「碇シンジが君たちの世界をぶっ壊した張本人である」といった旨を教えられたために、たらこ唇は苦い顔をしサクラは憤りを顕わにしました。シンジと新世代の間で、サードインパクト史実に対する認識が異なっているのはミサトの嘘のためです。この齟齬によって、彼らはシンジに対し憎悪/複雑な葛藤を抱くしかなかったのです。旧世代とリアクションが異なるのも、嘘があったためと考えると納得いきますね。
彼ら新世代にとっては「自分たちの幸せな未来を吹き飛ばしたのは碇シンジである」という史実がありますが、軍人としては問題を分けて考えるべきではありませんか。軍に身を置くのならば、職責と史実は分けて考えるべきです。アメリカに原爆を落とされたからといって、共同戦線を張る際に感情を表に出すなどあってはなりません。さらに言うと、サクラが本当に「サードを繰り返したくない」と考えているのであれば、なおさら自分の感情は胸に秘め、”危険な対象である”シンジには慎重な扱いが妥当です。シンジは新世代にとって大型地雷みたいなもんで、どこを歩くと爆発してしまうかということには慎重になるべきです。危機的状況が続いて精神的に疲労していたとしても、ここは慎重にならざるを得ません。シンジを最も危険な対象として認識しているのであれば尚更、軽はずみな言動は避けるべきです。
さて、シンジはその前のシーンで自己のアイデンティティを支えていたエヴァ(「あなたはもう何もしないで」)を奪われ、自己が安定していない心理状況です。774さんのおっしゃるとおり、確かにここのサクラの発言;「シンクロ率は0です。良かった」には曇りがありません。純粋に喜んでいます。しかし、前述のとおり、ここは大変に慎重ならざる得ない場面であります。トウジからエヴァ搭乗者であったことをサクラは知っていたはずです、それならばシンジの大変さ/苦労も伝わっているはず。そうであるならば、シンジの拠り所であったエヴァに関する言及は非常に繊細になる必要があります。
なぜ、サクラは不用意な発言をしてしまったか。それは、ミサトがここでもう1点嘘を付いていたからです。新世代に伝えられていた2つ目の嘘は、「シンクロ率は危険な指標である」ということです。サード前はエヴァ搭乗者のポテンシャルを図るポジティブな指標でした。しかし、サードを起こしたのはエヴァ、エヴァの搭乗者にはある一定のシンクロ率が必要、そしてシンクロ率は危険という考えに至ります。サードを起こしたエヴァに乗るためには碇シンジのシンクロ率が必要であり、それさえ無ければ金輪際インパクトは起きないと伝えられていたと推察します。ある程度は新世代の思い込みもあります。そのために、「シンクロ率0で良かった」というサクラの不用意な発言に繋がってしまったと考えられます。
さて、ここまでの内容を振り返っても、サクラを筆頭に新世代が迂闊であり、配慮に欠けている自己中心的な人物であるという自分の結論は変わりません。彼らの苦しみを考慮していなかったのは事実ですが、それらは軍事的な職責とは関係してはいけません。広島/長崎に原爆を落とされたからといって、いつまでもアメリカを憎んでいても仕方ありませんし、感情的には理解できても意味のない行動です。ましてや彼女らは軍人、マヤさんなんて吹っ切れてビシビシ動いてるじゃないですか、あれもシンジやサードで亡くなった人への贖罪の一つですよ。
もう一つ、彼らが迂闊で自己中心的だというのは、ミサトたちの話を信じこんでしまっている点です。本当にシンジがサードの犯人であるのか、本当に敵であるのか、危険な存在であるのか、といったことに思慮を巡らせず、自分たちの都合のいいように解釈し、シンジを原発のような危険物とみなす。悲惨な現実は確かに目前にありましたが、そこに思考の責任転嫁をするのは納得できません。旧世代、青葉や伊吹、日向は度重なる戦闘のオペレーションを繰り返して精神がすり減る中でも、自分たちで思慮していました。「ダミープラグは仕方ない措置だった」「そうじゃなきゃ君が死んでいた」と、目前にしたシンジの心情にも折り合いをつけながら分析して答えています。旧世代の行動は利他的ですよね。新世代の彼女らからは稚拙さが拭えません。感情論に支配されている軍人は、利己的/幼稚と捉えられても致し方ないと思われます。
また、新世代たちに同情的な目線を向ける必要がなぜあるのでしょうか。そこがよくわかりません。「新世代もいろいろあって辛いんだよ!!だからシンジに気配りできなく当然!!」なんて論理は通りません。彼女たちの先には幸せな未来が広がっていて、なおかつそれをシンジに壊されたと仮定しても、彼女たちに世代的な苦しみへの慮りを要求するのは些か理解に苦しみます。シンジは世界をたった一人で守れと言われた、背負わされた、その上理由もなく突然にそれをヤメロと言われた。エヴァを通じて人間関係を築けたのに、アスカは精神崩壊し綾波の感情はリセットされたTV版以上ですね、精神の乱れ具合は。
それで、ぼくは劇中のゆとり世代に腹は立ちますが、物語としては彼らの成長も一つの展開だと思うんですよ。旧世代も新世代も力を合わせてお互いに妥協する点を模索して、やっていくストーリーだと思うんです。世代論にかまけてたり、時代や環境のせいにするのではなく、当事者意識をもって問題の解決に(能力差があっても)構成員全員で取り組もうというメッセージだと思うんです。左翼/右翼、若者/年配で内ゲバ起こしてる場合じゃないんですよ、今の日本って。GDPは下がり年金受給年齢は上がり、消費も増えない。賃金も上がらない。対立してる場合じゃないんですマジで。