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はてなキーワード: 齟齬とは

2016-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20160122134653

コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質分析したって、コウモリ超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?

ライオン言語を話せないのではなく、まさしく話さないのだ(L.ヴィトゲンシュタイン)」…コウモリ感覚を「感じる」ことができない、という問題ではなく、そもそも他の人間であっても、その人がどのように「感じているか」を「実感」してると考えているとしたら、それは間違いで、それは単に勝手自分理解できる何かに置き換えて(翻訳して)いるだけのことだ。

人間は喋ることができるがコウモリは喋れない。それだけのこと。もし、コウモリが喋ることができて「○○HZの音って何かスーッとする感じなんすよ」とか言い出したら、あなたは「なるほどー」って思っちゃうんじゃないの? 自分以外の「感覚」への理解など、そもそも全てが想像産物に過ぎない。仮に脳と脳を直接連結しても、誰にも他者感覚をそのまま「感覚する」ことなどできない(感覚する主体は『自我なのだから感覚できたらそれはもう「他者」ではなく、そのときあなたは今までと同じ「自分」ではなく、ある共有された集団的自我となった「何か」であるに過ぎない)。

たとえば生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?

現実問題として、生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんには「色」を認識することはできない。猫を使った心理学実験で有名な実例。(実験「横縞を認識できない猫」http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/vital/TrueLook.htm動物のような「本能」をもたない人間にとって、「認識」とは自動的に生まれる何かではない(もしそうなら、赤ん坊は生まれた瞬間からいきなり「世界」を認識できなくてはならない)。あなたは「モノゴコロつく」まで、生まれから何年間必要だった? 人間の「認識」は膨大な学習からまれものだ。

たとえば同じリンゴを見ていても、自分認識しているリンゴの色と、相手認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!

内面が違うと主張するなら、あなたはまず「内面が違う」ことを証明しなくてはならない。そして、そもそもそんなことができるなら(他人感覚感覚できるなら)、その場合しろ内面」は違わないのだ。

たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビ論理的存在可能だけど、ゾンビ意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?

ゾンビ内面がないと主張するなら、あなたはまず、どこから見ても「内面があるとしか見えない」ゾンビに「実は内面がない」ことを証明しなくてはならない。

どうやって?

あなたが言っているのは、「全く同じ重さだけど、実は違う重さの物質があるとするじゃん?だから物質の重さなんて分からなくね?」みたいな、全く無意味仮定に基づく無意味な問いとどう違うのか。

たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識同一性みたいなものは保たれてるの?

一卵性双生児は、ほぼ「物質的に同じ人間」ですが? で、それをあなたは「同一人物」と呼びますか? というだけの問題。「意識同一性」など保たれるわけがない。スワンプマンに関して言えば、スワンプマン意識同一性を「主張」するかもしれない。だが、その言葉証明することもできないし、上のように考えれば、信用することもできない。

モリヌークス問題

まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?

先の猫、赤ん坊の話と同じく、認識できない。ただし、既に手触りなどで「球」の認識をもっていた人なら、新たに得た「視覚感覚を、これまでの「学習に基づく認識」と結びつけることによって、赤ん坊よりずっと早く「視覚的に認識する=見える」状態に到達できる可能性はある(もし、相当素早くその段階に到達したのだとしたら、その人は、今までずっと触覚を通して「見て」いたということ。目のないコンピュータだってセンサーによって世界を擬似的に「見る」ことは可能なのだから、目が見えない人だって「見る(対象視覚世界に配置して認識する)」ことは可能だし、そういう能力がある以上はそういう認識を育てる可能性はある。)。

中国語の部屋

引きこもり中国語文通できるからって、その引きこもり中国語理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?

日本語を話す私とあなたが、会話できていると、いつから錯覚していた?

人工知能に関する「中国語の部屋問題」を持ち出さなくても、これは「そもそも人間同士、言葉が通じているっていうのが誤解かも」問題として、言語哲学上では有名かつ重要問題。そして、そちらの結論は極めてシンプル「会話できてるならおk

テセウスの船

ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?

人間細胞の素材もどんどん入れ替わっていますhttp://banyuu.txt-nifty.com/21st/2005/06/post_50b9.html 考え方や好みなんかも、成長だけでなく、立場や条件で変化するものですしね。「わたし」という人間は、なんらかの形で記述規定できるようなものではないのです。モノではなくコト、物質ではなく現象なのです。

船でたとえるなら、「古くなった木材」でなく、単に別の木材に置き換えるという仮定で考えると分かりやすい。Aの船の木材を交換し、元の木材で別の場所に船Bを造っていく。最終段階を見てみれば? はい、モノとしては、当然どこからどう見たって船Bが「元の船」です。バラして組み立てただけですし。しかし、Aの船が、たとえば航海しながらどんどん部品を入れ替えているというような場合は? そう、どんなに部品が入れ替わっても、Aの船が「元の船」と呼ばれるしそれは正しい。つまり現象=コトとしての「元の船」はA。物質=モノとしての「元の船」はB。

これは単に見方の違いによるものなのです。

とりあえず、あなたが知りたいようなことは大体全部本に書いてあるから、興味の赴くままもっとたくさん本を読むといいと思うよ。

ちなみに「意識の発生」に関する面白いお薦め本はコレ。

「群れは意識もつ 個の自由集団の秩序」(PHPサイエンスワールド叢書、郡司ペギオ-幸夫

SIはやめておけ

20代の数年間SIで働いた。1年以上前退職して今は別業界にいる。

今日、Evernoteを整理していたら「退職理由、SIの嫌な点」というメモが発掘された。退職直前のかなりストレスがたまっていた時期に書き殴った文章だった。学生の頃の私は絵を書いたりしていて、ものづくり暮らしたいな〜などと思って始めたプログラミングが楽しかったので安易に受託開発業を選んでしまったが、その後悔が如実に表れていた。

一部自分でも覚えていない話もあったがコンテンツとしては面白かったし、今でもシステムインテグレーター業界で消耗する若者を減らしたいとは思うので公開してみる。

以下、同メモに加筆・修正したものなのでファンタジーだと思って読んでくれ。

工数至上主義

受注した時点で売上がおよそ確定するので、後はその予定工数に収めて納品できれば御の字という考え方。よくある話だが、見積おかしくても顧客と対等な関係が築けていないから追加請求もできない。時間(工数)をかければ良い成果物ができるかもしれないがそれを説明して顧客に嫌な顔をされたくないから、限られた工数の中での最善を尽くす。最善を尽くす、聞こえは良いが要は手を抜く。

まり、どう頑張っても売上は同じなのだから、良いもの価値を生むものを作ろうと考えない人が多い。社内で開発者と呼ばれる人間もそうだし、マネジメント層はそういうものづくり志向を持った人をリスク扱いすることもある。

これが諸問題の根源で、いかに述べるような組織プロジェクトが出来上がっていく。

作業効率化しない

マニュアル作業の正確さをかたくなに信じてる人だらけで、ITとは何なんだと考えさせられる。

私は定型作業効率化しようとjsやrubyスクリプトを書いたりしていた。テストデータを開発用DBに突っ込んだり、テキスト処理して整形したり、Excelからコード生成したりするよくあるやつ。

あるとき上司に肩越しに自分作業を覗かれて「何やってるの?」と聞かれ、そういうスクリプトを作ってると答えたら、工数とリスクの話をされた。曰く「そのスクリプト作るのに何日かかるの?工数に乗ってないよね?」「スクリプトテストもちゃんとしないと結果が正しいって保証できなくない?」と。この時はイラッとして「30分でできる数十行のスクリプトだし自分作業工数内で完結する。むしろ工程や別の人でも同じことを再現性できて楽になる」とか真面目に説明してプログラムも見せたが、読もうとはせず(読めないので)1時間無駄にした。

技術力いらない

前述したようなビジネスモデルから営業力と、予定工数で無難プロジェクトを終えるマネジメント力が大事。IT企業だが開発者は自社で持たない。不況の時に待機コストが発生するリスクがあるし、自社で抱えるより単価の安い開発者人材派遣系の企業や下請けにいっぱいいるから。

社長があるとき社内広報で「技術は買うものだ」と言っていた。文脈で明らかに技術=技術者のことだったので、使い捨ての人売り業と揶揄されていることへの自覚が無いと思う。

そういう人が集まっているor残っている組織なので開発者ほとんどいない。20〜30人ぐらいの課に1人ぐらいの割合でstaticおじさんがちらほらいるぐらい。大体20代からプロジェクトリーダーという立場をやり始め、だんだん大型の案件を扱えるようになっていき、後は出世ゲーム部長お気に入り課長になり、部門長のお気に入り部長になる。その繰り返し。

開発案件でのBP(ビジネスパートナー委託先、派遣下請け比率自分の周りだと1:5ぐらいが多い。プロパー社員一人が5人の開発を仕切る、みたいな形。案件規模によりだいぶ差があると思う。この比率が高い=マネジメント力のある組織と考える会社はこの数字を上げようと必死で、比率の低い組織は評価が下がる。

私は開発が好きだったのでエンジニアとして生きていきたい、というようなことを評価面談の度に伝えているが、その度に会社の目指す方向を説かれてモチベーションが下がる。

意識の低い開発者メンバー

上述の通り、案件で接する開発者基本的に社外の人間なのだが、彼らの技術力と意識の高さにはものすごいばらつきがある。言われたものはなんでもこなせる人、何でこの歳まで技術者やれてるんだと疑う人、このプロジェクトおかしいと良い意味で騒ぐ人、何も意見を言わない人、CっぽくJavaを書く人、人当たりは良いが技術力がいまいちな人、すぐ休む人、バグやミスを隠す人…etc。

まぁ色んな人がいるのはどの業界のどの職種も同じだが問題は質だ。私の主観になるが本当にエンジニアとして尊敬できるレベルの人は1%いるかいないか。というのも、ほとんどの技術者は長年SIやその周辺企業と付き合ってきているので同じ体質に染まっているのだ。顧客が良いといえば良いという態度(この場合顧客は私が所属する企業)、請負場合は工数を超えない範囲で手を抜く姿勢、その他諸々。技術力だけをひたすら磨き続けてきたという人はごく一部だけだったし、そんな人でもGitHubアカウント持ってない・ブログやってない・OSSに貢献したことない、といった具合でクローズド世界で生きている。

そうした技術者とやっていく中で最も厄介なのが教育コストだ。案件のあるなしで人が都度入れ替わり、新しい人が来るたびに同じシステム・技術要素の説明をして何とかやる気が出るようモチベートして、というのを繰り返すのに疲れた。私の会社固有の変なルール説明はてきとうにしておいて、私は技術が好きな仲間が欲しかったので今のシステム課題と技術面での改善や展望をよく話す。が、あまり食いつかれることはない。これは私の問題だが、そうした期待と落胆のループ疲弊の一因だ。

static BP

ある時、一つの課に6年近くいるというBPと一緒に仕事をする機会があった。その課にはプロパー技術者が長いことおらず、彼がその課の技術的中心を担っているという話だった。抜けられると途端に色んなものが崩壊するからという理由で、その人の派遣元にはかなり高額の単価を支払っていたと聞いた。課員が口をそろえて「あの人はすごい」「何でもできる」というので初めはかなり期待していた。

だが、拍子抜けした。あまりにも仕事が雑なのだコミットされたコードはTODOコメントだらけだし、バグがあまりにも多かった。一度も実行されずにコミットされ、他の人がチェックアウトした時点で判明したバグなんかもあった。それでも声が大きく、プロパーが技術を知らないのをいいことに自分ブランディングに完全に成功していた。客先にも顔を出し、信頼を得ているらしかった。「自分は設計が得意でテスト以降の工程には興味が無い」と言っていた。確かに彼が関わった各システムには独特の概念が埋め込まれた設計があったが、その複雑な設計は保守性が低く、他の開発者が触ると容易にバグを引き起こしていた。

また、彼はJavaの有名なフレームワークであるStruts拡張したいわゆるオレオレフレームワークを開発しており、それの出来は悪くなかったと思う。そのフレームワークに欠けているものをうまく補うような形になっていた。だがフレームワークバージョンを上げると壊れるというのが残念な点で負債になりかけていた。

私は異動したが、彼は今でもそこにいると聞いた。

技術の話

テストコード書けない

(最低限のものしか作らないから)安くて早い!という触れ込みで売っているので、テストの工数が異常に少ないことも多い。特にテストコードを書くなんてもってのほか。そういう世界でやってきた人ばかりなので、30や40超えたマネジメント側は「テストコードって何?」状態だ。大型の改修案件が来た時にはコア機能だけでもテストを書いていこうと見積段階から社内で提案したが「顧客に『そんなメリットあるなら何で今までのプロジェクトではやってないの?』って問われるから絶対言うなよ」と拒否された。

保守案件をやっていた頃、時間を捻出してコソコソとテストコードを書いたりしていた。その案件を離れてしばらく後、ある時リポジトリを覗いたら私が書いたテストコードがばっさり消えていて驚いた。コミットログから課内のstaticおじさん的な人が消したとわかったが、そのコミットコメントが「現在使用していないコードを削除」だった。これはもう問う気も失せて何も言えなかった。

リファクタできない

先述したようにテストがそもそもないプロジェクトが基本なのでリファクタできないのだが、たとえテストがあったとしても勝手なリファクタは許されない。ソースコード顧客の持ち物なので同意なしに改変することはいわば契約違反なのだ。たとえ内的品質が向上してコスト削減に繋がるとしても、そのためにお金を支払う顧客はまずいない。

レビューない

私がいたどの案件にもコードレビューがなかった。リーダー開発者数人という構成場合、まず開発者は全員下請けリーダーは技術の心得がない場合が多い。そうなると彼らの成果物の良し悪しを図るのは目に見えるシステム挙動実施されたテスト結果のExcel報告書だけになる。これが非常に非効率で、少しコードを読めばわかる明らかなバグや仕様理解齟齬が頻発していた。特に入試験と呼ばれるリリース直前の顧客側での最終確認や本番稼働中におけるhotfixは全機能をきちんとテストせずにデプロイされることが多く、そのhotfixがさらなるバグを引き起こしたりもしていた。

そもそもテストを書けという話だがテストが無いプロジェクトに足すのはかなり大変なので、レビューサイクルをきちんと回すだけでもかなり変わる。実際、私が入った案件ではすべてのコミットに目を通すようにし、明らかな問題は都度指摘することで品質の向上に繋がった。欲を言えば他の開発者にもレビューしてもらいたいが、下請けの彼らの工数を増やすことは嫌がられる。

新規技術試せない

無難プロジェクトをこなすことと新しい技術を試すことの両立こそ技術者の腕の見せどころだと思っているが、ほとんどの場合それは許されなかった。新規にせよ継続にせよ案件を受注する段階で営業マネジメント層と顧客間で「今回は過去に実績のあるこの技術でやります」という契約が結ばれているからだ。その技術(言語フレームワーク)がいかに古く、保守性も将来性もないものだとしても受注できればよいし、その技術のサポート切れか何かの拍子で再度リプレイス案件でも受注できればさらラッキーぐらいの考えでいる。

常に横に倣えのアーキテクチャは私にとって面白くはなかった。

横に倣え

また横に倣えが加速してさらに悪い事に、同じアーキテクチャネットワーク再利用するために既存のサーバに新システム相乗りすればよいという発想も珍しくない。「資産再利用によりコスト削減」という触れ込みだったが、ただでさえスケールしない低スペックオンプレミスサーバ上で複数アプリケーションサーバ運用した結果、予想通り耐障害性が下がった。

また、Oracleライセンスが高いという理由で一つのDBインスタンス上に10数個のシステムが同時稼働しているなんてこともあった。1つのシステムが高負荷なクエリを投げたせいで関連する全システム共倒れになったこともあったがOracleのバグとして報告していた。

static Perlおじさん

新人の頃にOJTでstaticおじさんの下に付いたことがあった。そのとき担当したのはPerlデータ連携用のバッチを書くという開発業務だったのだが、最悪の思い出だ。

まずプログラム構造仕様書というのを書かされた。メソッド単位でのモジュールを全てExcel上に記述し、処理の順番と内容を説明するという謎資料だった。あまりに意味がわからなかったので「UMLのクラス図を書けばよいのですか?」と聞いたら「Perlクラスなんて必要ない。構造プログラミング研修でならってないのか」と返ってきた。「俺が前に書いたPerlバッチがあるから参考にしろ」と言われ、あるリポジトリをチェックアウトして見てみると1ファイル4,000行の.plがいくつか並んでいた。その時の私は何もわかっていなかったのでそういうものかと思ってしまったが後で調べて明らかにおかしいと気づいた。

また、そのプロジェクトのメイン言語Javaで、Eclipseを使っていたのでPerlプラグインを入れてコーディングデバッグをしていたらやめろと言われた。理由は「Eclipse上で動くPerlが信用できない。サクラエディタで書いてプリントデバッグすれば充分だ」と言われた。その時の私は何もわかっていなかったので、プラグイン品質が悪いとかそういう話かと思い「じゃあvimで書きます」と言ったら「サクラエディタしろと言っただろ!」と一喝され、vim vs サクラエディタという史上類を見ないエディタ論争が起きた。

待遇・制度

給与

SI業界の中では高いのかもしれないが決してよくはない。4年目(たぶん25歳)ぐらいで残業込みで年収400万にやっと届いたがそこからほとんど変わっていない。30歳の先輩に聞いたところ「500万前後残業してない場合の月の手取りは未だに20万切ることがある。残業抜きでは新婚生活が厳しい」と言っていた。いわゆる年功序列がきっちりしていてこのまま続けてもしばらくは給与が伸びないということがわかった。

個人での貢献で差がつくのは±10万程度。その程度ならいっそ無くてもいいのでは、と思う。というかそもそも生産性をきちんと評価する制度存在しない。これはどの組織でも難しい問題だと思うが、形骸化した評価制度上司の気に入った人間にS評価を付けているだけならいっそ止めたほうが時間の無駄にならなくてよい。

マシン

会社から貸与されるノートPCは低スペックすぎて開発には使い物にならない。なので開発者基本的デスクトップ使用せざるを得ないのだがこれもメモリ4G、1.2GHz程度で大したマシンでもない。本当に開発する気がない。

組織問題

とにかくクローズド組織

つの間にかどこかで意思決定がされていて、関与する機会がほとんどない。だがほとんどの社員がそれで良いと思ってる。失敗しても自分が決めたことじゃないから上層の責任だ、そう言えるので楽だから

情報共有をしない、というか意図的にしないようにしているとまで感じる。連絡はメール添付ファイルベースで行っているし、共有のファイルサーバなんてのもあったが一部のフォルダ権限を持った人間しか見られない。何で他の部や課が行った過去の見積提案資料自由に見られないんだよ。

ソースコードリポジトリも同様。外部に公開しないのはまだわかるが、プロジェクト外にすら基本は公開していない。別に奪われて困る大した技術もない。

会社が用意した提案資料共有サイトみたいなのもあったが、それに至ってはもっとひどい。課長以上もしくは部長から承認を与えられた者のみ閲覧可能。共有とは。

意思決定の遅さ

どうでもいいことを決めるにも承認や根回しや説得が必要になる。それがプロジェクト利害関係者ならまだわかるものの、まったく関わっていない上長(課長部長、時には部門長)を通さないと進まないという異常さ。

コスト削減

利益率向上のためにコスト削減ということがしきりに言われており、過剰なコスト削減対応生産性の低下を招いている。たとえば顧客に見せる資料以外は白黒で印刷しろ、みたいなルール。色がないために情報が伝わりにくい。というかそもそも印刷せずに各自ノートPCで見ろという話だが、先述したようにノートPCは低スペックすぎるので多くの社員デスクトップを使っている。ITとは。

本当に無駄しか思えない承認・申請フローの煩雑さに加え、使っているシステムの使い勝手も悪く、ひどい日は一日がそうした事務作業で終わる。しかもそのシステムは自社で以前開発したものだというから泣けてくる。こんな作業が定常的に発生するのでいっそ事務員派遣で雇うべきという提案が何度もされたが、課の予算オーバーするから無理だという回答しか返ってこない。

残業削減

表向きは社員健康促進という触れ込みで残業時間削減を全社的に取り組んでいる。残業減らせと声をかけただけでは誰も帰らないので、勤怠システムと入退館管理システム監視し、削減できていない組織や人間評価を下げるようになった。

その結果、サービス残業が復活した。30時間を超えると部長説明しないといけない、50時間を超えるとその上へ…みたいなループ。表向きの残業時間削減・コスト削減としては成功したかもしれないが、社員残業時間を管理するとかい無駄な仕事を増やしたし、管理される社員ストレスサービス残業に繋がったので下策だと思う。

他人残業時間をExcelにまとめる仕事があって、そこに給与が発生してると思うと泣きたい。

そもそも無駄作業や工数至上主義作業効率が悪いから残業しているので、残業が少ない奴が偉いと一斉に舵取りしただけでは生産性をちゃんと評価できていないことに変わりはない。一昔前の残業多い奴は頑張ってて偉い、というのと本質レベルで何も変わっていない。

辞め方

2016-01-22

意識ハードプロブレム

Category:哲学における思考実験 - Wikipedia

前置き

「脳という物質からどのように意識が生まれているのか?」という問題は“意識ハードプロブレム”と呼ばれる。

例えば、自分とまったく同じ細胞遺伝子、なんだったら構成する原子までをコピーした肉体があるとする。

自分とまったく同じなので意識も同じはずなんだけどそうはならない。多分。

http://anond.hatelabo.jp/20160121124538

簡単に言えば、「物質が全く同じなら意識も全く同じはずだ」という立場と、

物質が全く同じでも意識差異を生む『何か』があるはずだ」という立場がある。

その「何か」というのがいわゆる「クオリアである

コウモリであるとはどのようなことか

コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質分析したって、コウモリ超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?

マリーの部屋

たとえば生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?

逆転クオリア

たとえば同じリンゴを見ていても、自分認識しているリンゴの色と、相手認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!

哲学的ゾンビ

たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビ論理的存在可能だけど、ゾンビ意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?

スワンプマン

たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識同一性みたいなものは保たれてるの?

関係あるようなないような問題

モリヌークス問題

まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?

中国語の部屋

引きこもり中国語文通できるからって、その引きこもり中国語理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?

テセウスの船

ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?

2016-01-19

アスペ発達障害orただの馬鹿

母校の大学在校生・OBOG)の発達障害者の懇親会に行った。皆トークが軽快(ただし色々とアレな感じ。お察しください。)で。イベントを仕切る能力はあるわ、明るいわ、発想力はあるわ、何か色々…驚いた。本当にこの人達発達障害なの?みたいな。と言うか、「アスペ<アレなコミュ障」という印象の方が強かった。勿論アスペってこういう人達なんだなーとは感じた位の外見(服装)や話し方と言った近寄りがたいアレな感じはあったけれど…。

※因みに私は行動がもたつくタイプ幼稚園児?みたいな感じで細かい作業だとか手先が不器用空間処理が苦手で食べ方が少し汚くなるし、モノは散らかるし、着席の際コート手荷物スムーズに置いたり出来ない。あと日本語齟齬だとか抽象的な会話が全く解らないし、視覚優位タイプ

でも、皆に一番ビビったのは、呑み込みの早さ。皆が初めて知った某「知恵使う系の遊び」のルールを聞いたその場で簡単に飲み込む頭脳の高さ。結構小難しくて、自分説明を聞いても理解する気持ちにすらなれなかった。聞いてもギブアップだったのだ。でも、皆自分なりの理解の仕方を持っていて、すぐさま会得してた。それなりの偏差値の母校なので地頭は良いのは解ってる。ただ、自分は遊びのルールを全く理解できず終わってしまった。

多分、全く理解できなかったのは会場に居た自分だけだと思う。「大丈夫!私も解らないですよ」「コレ、説明書なんですが…読みます?」とか色々手助けしてくれた。皆もアスペなのに、有難う…最低なアスペだよ自分は。「何か…すいません…」ただただ、彼らが急に光に見えた。「持ってる系アスペ」みたいな。アインシュタイン系みたいな。

でも、自分場合は全く理解できなかった。3年間、ほぼ脳みそ使って無い生活だったから、とは思いたいけど、もう自分場合発達障害アスペ)+ただの馬鹿なのかな…。と思った。

2016-01-12

アニメ声アイドル声優出身の人が母親役とかやるのって無理がない?

十年前とか十数年前にアイドル声優として第一線級にいた人ってさ、

当時はメインヒロイン女子校生役とかやることが一番多かったと思うんだけど、

まあ時代が一回りくらい進んで第一線から退いたら落ち着いた配役にシフトすること多いじゃない。

例えば主人公母親、とか敵陣営四天王参謀、とか担任教師、みたいな感じの

今なら井上喜久子さんが合いそうな感じの役。

で、バリバリアニメ声アイドル声優が年重ねて第一線から退いた後に

こういう役やってると「それは流石に無理がない?」って思うことがたまにある。

演技力的には実力あっても根本的に声質が当時のメインヒロイン向けのものから

どうしてもオバサン役みたいなのは齟齬がでてしまっているというか、

勿論問題ない人は大勢いるけど、

多分そういうのが合う人は若いときからそういう役をやれる感じの演技してたよね。

顔と違って声帯なんて30半ばとかそのくらいで老化するもんじゃないし。


花澤香菜とか水瀬いのりが年齢的にもベテランって言われる年になってきたらそんな役も多くなっちゃうのかなぁ。

ロリ属性とかなしの母親役やってるざーさんとか全く想像できないわ。

http://anond.hatelabo.jp/20160112005157

「ありとあらゆる差別は良くない」という考え方が、実は数多くの矛盾をはらみがちなものだということを指摘するとともに、

その一つの代表例がジェンダー差別(異なるジェンダー間の差別)と美醜差別(同一のジェンダー内における差別)の価値観齟齬であることを身近な具体例(対象の人の属性はなるべく伏せて)を挙げて論じたら良いと思う。

2016-01-07

アスペコミュ障が阻害される理由がよく解った。

私は、所謂アスペコミュ障だ。大学院卒業後は就職するも、いつもコミュニケーション能力や症状が原因でイジメに遭い、時には鬱や適応障害に見舞われるほど恫喝する様な態度を取られてきた。そしてクビになる、というパターンを何度も繰り返してきた。「頑張ってるのは良く解るんだけどねえ。」という言葉を何度も耳にしてきた。

だったら、観て見ぬふりは止めて、誰か助けてよ。私に人望が無いから、誰も助けてくれないの?

自分の子どもや後輩達に傾ける優しさを、ほんの少しでも良いから、私にも分けてよ。

そう思ってきた。

けれど、先日、アスペコミュ障を抱えて転職活動をする方々のブログをいくつか読んで、解った事がある。

「こりゃイジメに遭うわな…」と。

理由は簡単で、端的に言うと空気マイペースに乱す(無意識に苛立たせている)のだ。

・読んでいて「…で?」と思う事がしばしば

記事は勿論、文章の辻褄が合わず、人となりに疑問(プロフィールブログの内容が矛盾

・前置きがやたら長くて、肝心の中身が一行のつぶやきで終わっている

感情的な内容で幼稚(厨二)っぽい

タイトルと内容の不一致。前回記事で煽っといて、いざ読んでみると中身がまるで無い内容。「それが知りたくて読んでるのに、具体的な事が何も書いてない!」と思う事がしばしば。

…といったクオリティなのに、実に自信満々な文章で。何となくだけれども、その人は職場でも胸を張って(偉ぶって?)仕事をしてるんだろうなあ…と思うと、自分と重なった。

私は今までバイト成功した体験塾講師以外無かった。どれもこれも、就職してきた企業と同じく、雇用主や同僚から理不尽イジメに遭い辞めていった。

咄嗟に反応出来ない事は勿論、仕事をしながらちょっとした会話、雑談フリートークが出来なかったり、日本語齟齬コミュニケーション能力が低くて認識の違いが多くあった。

向き不向きや得手不得手という問題では片付かない程、粗が激しく、優しい物の言い方や具体的で簡単な指示が無いと行動できない丸で大人しい幼稚園児(園児に失礼)の様だ。

かと言って、細かい作業イライラして苦手だ。イジメに遭う度に凹まない様に、被害者意識を拭い去る様に前向きに生きてきた。その時は、自分アスペコミュ障だって事、知らなかったから。

でも、社会人になってから自分が「そういう障害」なんだと知り、自覚しつつも「診断結果は軽症なんだし」とタカをくくって、手探りながら転職活動をし、入社を繰り返してきた。

そして、やっぱりイジメでクビ。

何でここまで酷い仕打ちを受けるんだろう。「頑張ってる姿勢」は評価してくれてるのに。何でそんなに酷い事を言うんだろう。感情的言葉を吐く前に、対話する機会が欲しいのに。そもそも私の事、嫌ってるのならイジメをする前に、お昼一緒に行って話をしようよ。大人なのだから、最低限、地雷を踏まない様に「その人」をお互い知ろうよ。

そんな無駄な事を考えてきた。でも、違う。そうじゃないんだ。

そもそも、素っ頓狂な事を言い出し、マイペースで会話の流れを乱し、知識や情報がその場で追いつかない。

ビックマウスで期待値を上げておいて、想像以上に能力が無い。

豪華賞品と言いながら粗品レベルみたいな。しかもすぐ壊れる。

そんな直ぐに壊れる粗品レベルの分際が「どうしていつもイジメに遭うんだろう」と嘆いていた私。自分自身が恥ずかしくなった。

イジメは確かに良くない。悪い事だ。でも、そりゃあ…イライラするわなあ、と思った。

自分の症状を恨んだけれど、それ以上に私は世間様に対して、相当なイライラを…。

「なんだよコイツ

「あー無理」

子どもじゃないんだから一人で考えれば?」

突き放す気持ちも解ってきたし、他人様に対して、人間はここまで露骨に失礼な対応が出来るんだなって事が、よく解った。

だって、そういう人が居たらきっと耐えられない。私がそう言う人と接しなきゃいけない相手となった場合、我慢していたイライラを誰かに相談して、終いには集団でコソコソとイジメ対象にさせてしまうだろうと思う。或は、本人に口汚い言葉毒舌を吐くだろう。「だって事実しか言って無いよ!?」みたいな事も確実に言うと思う。

そう考えた時、アスペコミュ障に出来る仕事って、何なんだろうって思う。

イジメ被害者だと思ったけど、無意識ながらも加害者でもあるのだから

http://anond.hatelabo.jp/20160107113311

勝手自分好みに言葉定義を変えといて「本来定義でこの言葉を使う奴は一般社会齟齬がある」とかほざく馬鹿実在することがにわかに信じられない

ひとりふたり交際経験があるだけでリア充扱いする奴って実在するんだろうか

にわかに信じられないけど

そういう人間一般社会感覚に関して齟齬ができてることを素直に認めたほうがよくね

もてなかったり人脈ないことの根本はそういうとこだろうに

2016-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20160101232401

クソゲーシステムの破たんのように誰がどう見てもクソと判断できる。

しかしクソマンガやクソアニメは、価値観によってクソか否か判断が分かれることも多い。

それが原因でKoTYアニメ版漫画版存在しないという。

(参照 http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1

 

ついでに自分場合、クソアニメとして頭にパッと思い浮かんだのは以下の7作品

このアニメはクソアニメじゃないと思う人も大勢いるだろう。

逆に自分が好きな「レーカン!」や「帰宅部活動記録」をクソアニメ認定する人もいるだろう。

そういう価値観齟齬で決められなくなることが多発するだろうからKoTYアニメ漫画版存在しないのも納得がゆく。

2015-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20151226163029

税金計算計算順序によっては違ってくるし、請求書に書かれてくる消費税の出し方も各社まちまちだからね。うち、毎回調整費というのが発生してるよ。100万円あったら10円未満。

でも、書いてるように、そもそも、パソコンは0と1の二進数で内部処理しているから、10進数と2進数との齟齬パソコン計算上で誤差が生じても不思議じゃ無いと思う。

多少、計算違ってても、よくあることだよ。だから検算必要

2015-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20151225014456

設問を字面通りに受け取り過ぎなんだな。

まりアスペ

感想

本の内容と自分体験リンクしたところは何処ですか?

あらすじ~自分のこと~この本よんでそれを思い出しました。

アンケート

採点されないので、質問とまったく違ったことでもおk

トンチンカンでもなにか書いてあるだけで嬉しいもしくはむしろ役立つ。

履歴書

自分でかけないなら、就職課などに言って質問して貰う形で答えたことを書け。

1つ完成すればあとはあとはテンプレ。気がついたところは修正していけばよい。

まりは、設問自体があまり適切でないことに起因し、かつそれを字面通りに受け取ってしまうことが問題。これらの文章元増田の考えを聞きたいのではなく向こうの質問に答えて欲しいだけなのだ。ここに微妙齟齬がある。ただ設問自体があまりうまくない事が圧倒的に多い。これらが得意な奴はいわゆる空気≒書いてないことを読めるタイプだ。

国語先生人事部等、いわゆる文系中堅クラスが多い役職要件定義した文章書くのが下手な場合が多いからね。彼らもたぶん会話だとうまくやれるんだと思うが。

2015-10-27

現実よりも愛してる

ポケベルが鳴らなくて」という曲があります

20年くらい前の、今ではAKBで有名な秋元康作詞した曲です。

不倫テーマにしたドラマ主題歌なのですが、

好きな人からの連絡を待っている時の気持ちや、その連絡の有無に振り回される様子、かといって自分からは連絡出来ないもどかしさなどが綴られており、

連絡手段がポケペルからスマホへと進化した現代においても、人の気持は変わらないものだなぁと思います


特にタイトルの「現実よりも愛してる」というフレーズは衝撃的で、それに加えて核心的です。

あくまで私見ですが、不倫をする人、叶わぬ恋を追い駆けたい人というのは、心のベクトルが相手に向いているようでいて、その実は自分の方だけを向いているという人が多いように見受けられます

そういった人たちにとって大事なのは、「相手が誰か」ということではなく、「その相手を通じて自分がどういった状況に陥るか」なのではないかと思ったりもします。


そして、本人としても自分が思い描く理想としての相手と、実際の相手との間の齟齬に少なからず気付いてはいて、その上でなるべくそれに気付かないフリをしている。

それの行き着く先が「現実よりも愛してる」なのかなと思います

ポケベルラインでのやり取りでしたら、実際に会う場合よりも情報量が少ない分、理想に限りなく近い状態の相手とやり取りすることが出来ますからね。

おそらく片想い原理も似たようなものでしょう。


しかしここまで極端ではなくとも、人というものが何かを好きになるというプロセスは、結局のところ、こういった「自分勝手翻訳」を抜きに語ることは出来ないのかもしれません。

好意好感を抱くのは対象自体にではなく、自分レンズを通した上で自分センサーに感知された、加工された対象だと、言えなくもないですからね。


少し深く考え過ぎかもしれませんが、恐らくそう遠くはない解釈が、このシンプルフレーズには込められているはずです。

作詞家としての秋元康の才覚を20年も昔の曲に見つけた気がしました。

2015-10-23

フェミニズムマッチョ

ここ最近・・・というかはてなでは日常茶飯事だが女性蔑視の話であるとか、弱者男性非モテ)の話であるとか

盛んにブックマークランキング上位に挙がってくる。

しかし、それらの話題を目にするたび言いようのない違和感を覚えていたんだがなんとなく言語化できたので残しておく。


それらの話題に目すると大抵誰かが、女性から男性に迫れる社会になるといいねという話が出たりする。

しかし、そういう話に毎回う~ん、という感じになる。


ここで齟齬が生じやすいのだが、大抵その反論として、そういう女性発言しづらくて男性けが発言できるのはおかしいみたいな話になる。

違うのだ。

女性側が発言したらビッチに見えるとかそういう話ではない。


最近気づいたのだがどうやらそういう、「性行為をしていいかどうか明け透けに尋ねる行為」そのもの嫌悪感を覚えるのだ。

これはつまり女性けがそういうことを訪ねてはいけないということではなく、男性がするのにも嫌悪感を覚える。


つまるところそういうマッチョ的な思考のものが嫌いなのだ

女性にそういうことを迫られたら女性生意気言うなとかそういう話ではなく


「そんなに明け透けに尋ねるとか単にセクハラじゃねーの?それ」


とか思っちゃうのだ。

パターンで男が女性に明け透けに尋ねるのも


セクハラじゃねーの?」


と思っちゃうわけだ。


特に何が言いたいわけでもないがmemoとして残しておく。

2015-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20151020110706

深夜テンションで書き上げた長ったらしいだけのポエムを読んでくださったようで、まずは感謝です。

感じ方は人ぞれぞれで良いのですが、こちらの書き方が良くなかったのもあり齟齬が生じている部分が有りまして、そこだけ訂正させて頂けたらとおもいます


そういう意味http://anond.hatelabo.jp/20151020032308

ただ必要なのはアイドルたちは凄いのだというコンセンサスのみ。

には全然共感できない

常務とPのポエムにも

あいつらはアイドルではないし凄くもない

ここで指しました「アイドルたち」は、「自分プロデュースしているアイドル」ひいては「アイマスというコンテンツ内においてアイドル活動をしているキャラクター」という意味しかありません。

また、「アイドルたちは凄いのだ」という言についても、「彼女たちは凄いアイドルだ」という意味だけではありません。

凄いというのは、もちろんtalentであったり、あるいはpossibilityやpotentialであったり、中々言語化出来ないのですが、もっと多義的ものに掛かります

最近のはやりの言葉でなら「尊い」とでも言うのでしょうか?

ですから、実際にアイドルとして凄いかどうかは不問なのです。

たとえFランアイドルであっても彼女は凄い。ファンが一人しかいなくても彼女は凄い。


どうしてそんなことが言えるのか。

アイマスからです。

アイマスは、アイドルプロデューサー物語です。

プロデューサーたる自分アイドル凄さを感じたら、まずはそれでよいのです。あとはその凄さを伝えること。それがプロデューサーお仕事

アイドルプロデューサーがどうやって歩いて行くか、畢竟、アイマスとはそういうものなのです。


アイドルモノとして見た時、やはりこれは異色なのでしょう。

ですから

あの身内で完結してる感じはアイドルっぽくない

というか全話にわたってあいつらはシンデレラではあってもアイドルという感じは全然しなかったな

というのは至極真っ当な意見だと思います。でも、ごめんなさい。これはアイマスなんです。

(これは本当に、そうとしか言いようがなくて、それは多分に私の力量不足なのだけど、いつかきちんと言語化出来るようになりたいものです。)


美城常務武内Pプロデュース方針の違いはこの「アイドル凄さ」をどこまで採択するかの違いと言えるかもしれません。

美城常務は目に見える凄さとしての能力の高さや、カリスマ性・スター性のような概念的でこそあれ分かりやす凄さを求めました。

それに対して武内Pは、そもそも実在するかわからなくても、自分が感じた凄さを信じるプロデュースしました。

だって可能性感じたんだ。そうだ、ススメ!」その根拠は?「笑顔です」

アイマス的な王道武内Pです。ですが、このアニメ常務の考えも否定しませんでした。

武内Pに見えなかったが常務には見えてる星がある。あるいはその逆も。


常務的な考え方でもって「アイドルたちの凄さ」に共感できなかった人間もいれば、武内P的な視点でもって「アイドルたちの凄さ」を感じ取った人間もいる。

主観なのですからこの差は埋めようがありません。しかし互いにそれを否定しあうこともありません。

しかしたらいつの日か平行線を飛び越えたアイドル凄さを目撃するかもしれませんから


それが「アイドルたちは凄いのだというコンセンサス」です。


結局何も訂正してないですね。ごめんなさい。

でも、おかげでもう一段踏み込めた気がします。ありがとうございました。

2015-10-15

同人やってるんだが

男性向けやってるんだけど、感想をくれるような熱心なファンに限って齟齬がある気がして、どうもちょっと困ってる。

少ないながらもファンからメッセージをもらうのだが、このエグさが好きです!みたいなのがよくくる。

しか個人的にそのエグさが、設定なのかプレイ内容なのかがよくわからん。そもそもそんなにエグいつもりもない。

設定はただ快楽責めとのギャップをつけるために監禁とか触手捕縛とかの無理矢理系をやってるだけだし、プレイ内容は女の子がひたすら気持ちよくなってるところを描きたいからインフレしてるだけで、エグくしてるつもりはない感じ。

快楽堕ちが好きで苦痛系とか鬱エンドとかに興味はないし、どうしたらいいんだろ。

いや今まで通りやるだけなんだけど、なんかたまにはそっちに振り切ったりした方がいいのかなとも思う。

どうなのかね。

2015-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20150924070905

えーっと、あなたストーカーだと書いたのではなく、「ストーカー認定された」と書いたのです。それに対してあなたは「ストーカーではないですよ」と反応された。あなたが「自分の見たいものしか見ていない」ことが示されています

彼女あなたストーカーと感じているかどうか」は、あなたが決めることではありません。彼女がどう感じるかが全てです。

大前提として、「自分行為ストーキングと感じられているかどうかを、自分判断するのは不可能である」ということを受け入れてください。人はそれぞれ見ている世界が違いますストーキングなどの行為特に自分と相手の見ている世界齟齬が大きくなった場合に現れますあなたが「いや、自分自分行為客観的判断できる」と強弁すればするほど、自分の見ている世界他人が見ている世界の違いから目をそむけることになるだけです。

自分判断封印して、第三者意見(特に、共通の知人)に耳を傾けてください。あなたストーカーかどうかが問題なのではなく、他人の目にあなた行為思考過程がどう映るかだけが問題なのだ、と考えてください。他人がどう見るかをあなた制御することはできません。他人がどう見るかをあなた理屈でもって説得することもできません。そのことを受け入れない限り、いくら言葉を尽くしても、それはあなた世界の中に虚しく反響するだけで、他人見方を変えることはできないでしょう。

あなたが変わらない限り、チャンスはないです。ゼロです。もう一度チャンスが欲しいなら、まず複数第三者あなた現在思考アセスメントしてもらい、それから時間をかけてそれが変わったかどうかを判断してもらいましょう。判断するのはあなたではなく、第三者です。皆が確かに変わったと認定したら、その時改めてアプローチしてみましょう。それまでは、彼女に連絡しようとすればするだけ事態悪化すると考えてください。

2015-09-17

パラレル上司

バレてもいいや的に。

上司へ、

作業Aと、作業Bが同時に平行して実行可能かどうかをパラレる/パラレないとかいう謎動詞を使って表現しないで下さい。

表現として面白みがあることは認めますが、

職務上のコミュニケーションにおいては、面白みよりも、相互齟齬無く迅速に理解可能であることを優先して下さい。

2015-09-13

おしえてもんじゃ

イスラム教女性蔑視していない理由という記事があって要約するとこういうものだった。

1.イスラム教は成立当時の社会において極端な男性支配から女性を救う革命的な考え方を持っていた。

2.しかコーラン記述には、現代において普遍的人権等の概念にそぐわない部分があることも事実である

3.そうした記述についてイスラム教徒フェミニスト等は、再解釈に取り組んでいる。

4.性差別イスラム教教義じゃないからイスラム社会においてこれから改善していくだろう。

2はわかる、ムハンマドは昔の人なので世界人権宣言に着想を得てコーラン執筆したということはありえない。齟齬はたくさん出るだろう。

3がわからない、それはアップデートして使うものなの?

コーラン文字通り読んでいくのは理解できる。ISは異教徒女性に対する蔑視所与のものとしてイスラム的に振舞っている。

でもコーランに対して、現代イスラム世界規範に基づいて、執筆当時決して存在し得なかった解釈を試みるというのは意味がわからない。

コーラン記述は神の啓示を書きとめたものから価値があるんじゃないの?現代社会学者による創造的な再解釈は何がその価値担保しているの?

これ当のムスリムに受け入れてもらえるの?世俗的な地域ならいけるけど、そこ以外は仕方ないという考えなの?

あと現代における人権概念も日々変質し拡張してるわけで、それとの差異が広がるその都度再解釈を試みていく予定なの?コーランってそういう性質のものなの?捨てたらダメなの?

誰か詳しい人おしえてもんじゃ

2015-09-09

イケハヤ記事が超つまらない理由

ぼくの考えは1ミリも変わらない、どころか、この確信は強固になっているので、あらためて書いておきましょう。

日中ブログばっかり書いてる人のブログはつまらない。

わかりますか。専業ブロガーブログダメなんです。もう、読んでて全然面白くない。

異論がある?異論は認めません。じゃあ面白いブログを教えてくださいよ。ぼくは本当に、ブロガー専門で生活している人のブログで「面白い!」と思った試しがありません。

なぜか。教えて差し上げましょう!

1. 守りに入っている

まさにイケダハヤトさんが書いてる「まだ東京で消耗してるの?」のブログ象徴的で、あれつまらないと思うんですよ。イケハヤさん見てますか〜?つまらないですよ、最近

いや、イケハヤブログは良くできてますよ。セルフメディアとしては日本一だと思います煽り見出しの選択もうまいし、それとは分からないようにこっそりとチマチマ稼ぐマネタイズうまいです。

でも、決定的に「面白くない」んですって。

何かと言うと、ブロガーは「攻められない」んです。自分の居場所であるブログを、自分を、守らないといけません。彼は自分ブランディングを傷つけることができません。

サラリーマンブログで生きているわけではないし、匿名でも書けるので、ブログには何でも書くことができるんですよ。他人に読まれなくても、自分にとって面白いことは何かと考えるエントリー自由に書くことだってできる。一方でイケハヤ記事炎上に溢れていますが、それは模倣可能で、もはやコモディティなんですよ。

最近流行ってるじゃないですか、毒のある炎上って。「ブログ芸人」はアートではなく、ビジネス領域の「テクニック」に堕しました。イケハヤは一つの時代を築き、今終わりかけているのです。勝手ながら、次の変化に期待しています

…と、イケハヤに対して愛の刃を振るってしまいましたが、要するに「もうつまらない」んです。専業ブロガー最高峰集大成ともいえるイケハヤですら、もう面白くない。小銭ねらいの炎上より本当に言いたいことを優先する覚悟が、これからメディアには求められるのです。

イケハヤには言わずもがな、守るものがありますブロガーであるイケハヤ文章を書くときイケハヤは「こんなこと書いたら炎上しないかも」という恐れが頭をよぎります。そしてイケハヤは、結論を変え、文末のエッジをねじり、「笑い」と「愛」を手放してしまうのです。ああ!

自分を燃料として炎上するセルフブランディングブログからは、もう「面白いもの」は生まれてこないんです。炎上テクニックを極める方向にしかいかない。あとは意識高い系とか社畜批判コンテンツツイッター大学生アカウントでいいじゃん、それ。あとは「◯◯が超つまらない理由」とかね。NAVERまとめでいいじゃん、nanapiでいいじゃん、それ。あなたの貴重な人生を割いてまで書く意味はない!

2. 変化が遅すぎる

イケハヤは、変化の速度が絶望的に遅いんです。

まぁそりゃそうで、「毎日10時間ネットばっかり見ているイケハヤ」と、「毎日3時間しかネットを見ずにあとはハード仕事をしたり美味いモノを食ったりしている田端太郎」がいたら、後者の方が経験値もあがるし女にもモテるんですよね。専業ブロガー経験値が少なすぎるんで、変化が見えないんです。

イケハヤのようなブロガーは、一日中ブログのことを考えていますデータを見て、PDCAを回しています毎日のように書いているので、ブログを書くスピードも上がります

イケハヤは今や、1日15本の記事生産できます毎日10更新を365日続けて、3,650本。兼業ブロガーはせいぜい1日に1本でしょうから、365本。そりゃ、記事の濃さは違いますよね。はい論破。…小銭稼ぐなら、薄い炎上記事を量産するより要領のいい方法がいくらでもあるのに。

読者は、イケハヤの変化を望んでいるんです。みんなドラゴンボールが好きですよね。孫悟空がいつまでたっても成長しなかったら、飽きるじゃないですか。

変化しなければ、成長しなければ、面白くないのです。ブログPVと、チャリチャリンと落ちてくる小銭ばかりが気になって、狭量な考えのブロガーに終わるんではなくて、多様な考えの人と沸騰的なコミュニケーションを取るような情報量の多い経験に徹底的に時間エネルギーを注いで、人生の幅を拡げるべきなのです。そうしなければ、イケハヤ主人公にはなれません。イケハヤはいつまでたってもイロモノか、懐かしのブログ芸人の域にとどまります

3. みんなと同じようなことしか書けない

ブロガーとして成功するために知っておくべき、真理を伝授しましょう。目ん玉洗ってよく読んでください。

クリエイターは必ず、環境の影響を受けます

クリエイターには、「人と違うこと」が求められます

この2つの真理から導き出されるのは「専業ブロガー他者との交流が決定的に欠如しているがゆえに、どれだけ頑張っても同じようなことしか書けない」という帰結です。

面白い文章が書きたければ、自分面白くならないといけません。面白い生き方をすれば、あなた文章能力が低かろうが、あなたブログは読まれます

あなた生き方薄っぺら独善的でつまらなければ、どれだけ技巧を凝らしても、ブログ面白くなりません。面白がられたとしても、一発ネタで終わりですね、せいぜい。テクニックレベルの話は、すぐに飽きられます

イケハヤ社会的には珍しい立場でもなんでもなく「新卒で入った大企業を1年で辞めて」「次に入ったベンチャーも1年で辞めて」「社会人3年目に独立して」「ブロガーとして生計を立てており」「東京を捨てて高知の山奥に家族で住んでいる」という、割とオリジナリティの高いバックグラウンドを有しているつもりのようですが、この程度のドロップアウトした人間などいくらでもいますし、書く文章など大して面白くないですよ。

イケハヤ程度の人間なんて無数にいるんです、この日本において。その立場を選ぶかぎり、イケハヤは「その程度のこと」しか書けません。ニートブロガーの方がよっぽど面白いですよ。ニートの方が珍しい存在ですから

クリエイターなりたければ、まずは環境を選べ、ということです。あなた他者の相反する利害に揉まれるような混沌とした環境にいればいるほど、生み出すもの面白くなります。専業ブロガーに甘んじているかぎり、差別化ができないのです。

4. 応援したくならない

イケハヤブログって、あんまり応援する気にならないんですよねぇ。だって別に誰が応援しなくてもイケハヤは生きていけるわけですから

一方で、たとえば宮森さん。いろいろ捨てて実家に戻り、ブログを書きまくっているようです。これはもう、応援したくなりますよね。たまにブログを見て、面白い記事を見つけては拡散しています。でもいつか家を出るような気がしますし、ぼくはそれを勧めますね。ブログで食うのはいいけど、イケハヤのマネはして欲しくないものです。

イケハヤ現在ブログ活動していますが飯は3食食ってます。食欲の問題は別ですから。月収もやっと3万円超えた程度なのにね。しかし、イケハヤはあのブログで生きていこうと決めたようです。それは自分が生きるために、他人生き方をけなしながら炎上しつづけるということです。そんな生き方価値が、他の人よりそんなに高いものなのでしょうか?

メディアづくりにおいて「応援される」という要素は超重要です。面白い存在であれば応援されるし、応援されればさら面白いものを作れるようになりますしかイケハヤのような拙い炎上芸も、かなり飽きられています。だからこそ彼にも焦りがあるのでしょう。

住宅ローン記事なんて、自分さえ儲かれば他人をだましてもいいという領域まで行っちゃってます。あれには呆れました。これまで珍獣を見るようにして面白がっていたまともな大人たちも、あの記事で読むに値しないブログだと決めたことでしょう。個人的には謝罪エントリーがあってもいいと思うレベルです。

もちろんイケハヤは「安全立場にいる以上、あなたは応援も、期待もされません」というはずです。そりゃそうでしょう。彼はそれでしか生きていけないんですからしかし、あん記事を書くような危険を冒すことに何の合理性もありません。

普通の人は「これから起業して社会を変えてやろうと思っているんです!」なんて浮ついたことは口にしませんよね。言ったとしたらアホ扱いされます。そもそも社会とは、他者との齟齬が渦巻く空間なのですから。だれか一人がコントロールできる社会の、どこが豊かなのでしょうか。そんな貧しい社会を願っているなんて、よほどのコンプレックスがあるか、あるいは何も考えていないかどちらかでしょう。

まあ「でも、リスクヘッジのために会社は辞めませんけどね(てへぺろ)」とか言ってたら、それなりに考えている利口な人なのかもしれないなと思いますが。これと一緒です。

武雄市公務員を辞めて高知に来たイケハヤアシスタント・里本さんは、「公務員辛すぎて辞めました。ブロガーになりたいです」と、なんか死にそうなメールイケハヤに送ってきたそうです。イケハヤは手を差し伸べて、応援してあげないといけないと思い、彼が公務員を続けていたら、イケハヤは応援していませんからね、と言ってるそうですが、ぼくにはどうでもいいです。ただ里本さんには、しばらく世話になったら丁寧にお礼を言ってイケハヤの元を去った方がいいと思いますマジで

アルケミスト」でそんな表現があったと思いますが、後ろのドアを閉じるから、前のドアが開くんです。…なんて言いますが、そんなの詭弁ですよ。後ろのドアを閉めたら、前も閉まって閉じ込められる可能性の方が高い。前のドアが開く保証なんかないですって。

そんな詭弁を弄しているうちは、誰もイケハヤに注目しないし、応援もしてくれません。誰でも自力だけじゃ面白いものは作れませんよ。

…なんて、自分利益のために他人を煽ってアフィリエイトを踏ませようとするなんて、しょぼい商売じゃないですか?

ブログアフィリエイトはサギなんですよ

本来的に、ブログはチラシのウラ文脈に属するんです。

イケハヤはそれをわかっちゃいない。

イケハヤはあちゅうはサギを突き詰めるために、引っ込みがつかなくなって、全裸になっているわけですが、そろそろ目を背けられるときが来るでしょう。今はもう、そういうサギが求められている時代じゃないんですよ。ぬくぬくコタツに入って読むに値する本物の作家の本でも読んで、ネット作家気取りをバカにして過ごしましょう。以上、サラリーマンのみなさまにはどうでもいい話でした。騙されるなよ。

2015-09-01

デザイナー佐野擁護したいわけじゃない

http://anond.hatelabo.jp/20150831231737

五輪ロゴの件、使用中止でひと段落したみたいなので。

ネット上ではデザイナー佐野擁護してる」というような図式が出来上がっており、

デザイナーが「一般人」を見下してるみたいな見方がよくありましたが、実際はそうじゃないです。

ただデザイナーとしての自分仕事理解してもらいたかっただけです。佐野氏や佐野のしたことを擁護たかったわけでは決してありません。

(そもそもトートポスターパクリ擁護するデザイナーはいないでしょう。そんなことすれば自分の信用に関わる)

佐野氏の行ったデザインについて、トートバッグや他のポスターなどでは明確なパクリが見つかっていますが、五輪ロゴで言えば、実際にパクったという決定的な証拠はなく「デザインが似ている」という疑惑の話です。(実際のところどうなのかは別として)

いくつかの解説でもあった通り、五輪ロゴのように、自分が作ったデザイン過去のものと似ていることはあります

そしてデザイナー仕事とは成果物を仕上げることももちろんですが、むしろその制作意図、どういう理由目的デザインしていくかがメインなのです。「なんとなくかっこいいもの」を作るのではなく、明確な意図があって形は選択されるのです。

そして、もし似ているデザインが見つかった場合制作意図過程の違いがあれば、デザイナーはやはり絶対に説明するはずです。(たとえ成果物だけ見たらパクリしか見えないものだとしても)

これは潔白を証明するとともに、新たな代案を受け入れることにもつながります

今回は佐野氏の代わりに、他のデザイナーがその説明を行ったということです。

同職の立場からグレーゾーンのもの安易批判するのは避けるのが普通ですし、また同職としては意図がわかってもそれが一般の人には理解されにくい箇所なためです。(あと佐野氏の説明が足りなかったからです)

そういうわけで、ロゴ制作意図を説明し、また自身デザイナーとしての経験からこれはパクリではないのではと意見を言っていたのだと思います

しかしこれらがうまく伝わらず、デザイナー自身の説明のまずさ、また世間佐野氏への不信感が合わさって理解齟齬をきたし、一般人を見下すように取られたことは大変不幸だと思います

世の中にある人工物は全てデザインされていますデザインとは一般人生活乖離したものでは全然ありません。

そして多くのデザイナーは、真面目に見る人使う人、つまり一般人」のことを考えてデザインしています

もはやクロと言い切れる佐野氏のデザイン・その行為批判するのは当然ですが、今回の件でデザイン界隈をひとくくりにして批判するのは、非常に残念なことだと思います

2015-08-31

再構築までやってほしい

最近ホットになった話題で例をあげると「ゲームとかファンタジーでおばさんキャラがいない」という話題

もちろん指摘はその通りなのだろう。そしてそこには現代社会が抱える女性像が反映されている。社会学だとかフェミニズムだとか言われるような問題が横たわっている。

私の言いたい事は、知らぬ間に諸メディア形成されたイメージ偏り、あるいは社会において形成される「生きづらさ」などの構造をただ指摘する、それだけでは不十分だということだ。

メディアに表出されるイメージ改善点を見つける。違和感を見つける。営為としてよろしいことだ。ただ、それだけでは駄目だ。つまり「あれがおかしい、これがおかしい。ポリティカルコネクトネスに反する。」というだけでは駄目だということ。

なぜ改善すべき事態が起こっているのか? どうしたら改善できるのか? 改善すべきなのに、なぜ出来ない現状があるのか? 

これらを考えなくてはならない。実現するかはともかく、考えることが大切だ。

既成概念の誤りや不十分さを指摘するのは簡単なことで小学生でもできる。脱構築は簡単なことだ。気付きさえすれば表出できる。

しかし難しいのは再構築の方で、では、よりよく改善するにはどうしたらいいのか? これはなかなか難しい。難しいからこそ考えなばらなないし、難しいからこそやる価値がある。

おばさんキャラの話だと、ブコメで事例があがっていたり、おばさんが登場するこういう話なら面白い、などの指摘があった。肝要なのはこうした思考を持つことで、ただポリティカルコネクトネス齟齬を指摘するのでは不十分だということ。

最近ネットでは、誤りを指摘することだけで仕事した気になる中高生みたいな連中が(中高生含めて)多すぎる。その向こう側にある「なぜ?」あるいは「改善するにはどうすれば?」の再構築こそが大切なのだ

2015-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20150830161757

性欲をぶつける、の定義が明確ではないから齟齬が発生しているように見える

2015-08-28

どこで区切ってるの

2ヶ月くらい前から小説家になろうを読むようになった。

通読したのは以下

謙虚

猫耳

無職

・リゼロ

・オバロ

迷宮の王

風呂女神

アルバート家

乙女ゲームの悪役

他にもいろいろ読んだけど面白くないのは途中でギブ。

今読んでるのは本好き賢者の孫勇者のお師匠様。

なろうにおいては転生ものが最大派閥で、上で挙げた作品群も半分以上は転生してる。

それら転生もののうち、男性向け作品女性向け作品との違いとして、転生先あるいは転生後の目的が変わってくる。

例えば男性向けの猫耳猫はVRMMOへ転生してゲーム攻略していく、なろうにおける王道物語である。オバロも転生先はVRMMO。

無職はエセ中世ヨーロッパファンタジー世界神様を殺しに行くお話。リゼロも大体同じ。

対して女性向けの謙虚少女マンガ内の悪役キャラに転生し自らの破滅を防ぎつつ青春を謳歌する。アルバート乙女ゲームも同じタイプで、なろう少女向けにおいてはどメジャージャンル

本好きはエセ中世ヨーロッパファンタジー世界で大好きな本を書いて読める環境を構築していく話となっている。

で、なろうで人気のタイトルには書籍化しているものも多い。上で挙げたものも大体書籍化済みで、オバロはアニメが絶賛放映中。リゼロアニメ化決定している。

本好きも書籍化していてすでに4巻まで出ているらしい。謙虚は累計女性向けでダントツの人気だがなぜか書籍化していない。

そこで疑問に思ったのが本好きの書籍はどうやって巻数を区切ってるのかということである

ラノベは大抵続き物だけど、どの1冊だけをとってもそれだけで読めるような作りを指向していると思う。多分書下ろしが多いから

これが漫画になると、連載を一定ページ切り取りましたこの巻だけ読んでも意味からないでしょ1巻から読んでね、というのが多い。

なろうは連載形式なので文庫本1冊で起承転結みたいな作りになってない。だからそのまま書籍化するとラノベフォーマットにそぐわない。漫画単行本になってしまう。

男性向けは大体敵がいて戦うので明らかに盛り上がる部分が存在する、そこを中心に改稿して巻を区切って出版しているんだろうと思う。

でも本好きや謙虚最初に大まかな目的設定がされて、それに向けて多くの障害を細かく乗り越えていく話である

本好きはどうやってこの齟齬を解消してるの。してないの?

あとおすすめのなろう作品教えてください、アリュージョニスト以外で。

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