はてなキーワード: 終焉とは
2017年の夏、ジェンマ・マクガフ(Gemma McGough)は失業していたが、英国の上位1%の富裕層の仲間入りを果たしたところでもあった。自らが経営する企業「Product Compliance Specialists」を売却し、大富豪になったため、二度と働かなくて済む境遇になった。
19年、マクガフは「Eleos Compliance」を創業し、透明性と社会や環境に配慮した企業に与えられる「B Corp認証」も取得した。彼女は新会社から給料を受け取ることにしたものの、収入の大半は投資、債券、賃貸不動産などの資産収入が占めるようになった。
すると突然、マクガフのもとに、節税のために法の抜け穴を利用する方法を指南する不穏な文書が複数の会計士から山のように届いた。そこでマクガフは給与所得に課される税率と比べて、資産売却による所得に課される税率が低いのはなぜかなのか分析した。
マクガフはふたつの結論を得た。ひとつは英国の税制は不公平だということ。もうひとつは、自分はもっと納税して社会に貢献できるはずだ、ということだった。
公平性と常識を貫くための手段
富豪たちは激しい競争を勝ち抜いて富を手に入れたにもかかわらず、なぜ「富裕層に課税せよ」と声を上げるのだろうか? マクガフは、自分は「経済的に困窮している」労働者階級の出身なので、いまの資産で「もう十分」と思いがちなのかもしれないと語る。
マクガフは16歳で退学して最初の仕事に就き、「ノートPC2台と連絡先のリスト1枚」だけで元夫とともに最初の会社を立ち上げた。運とタイミングが功を奏し、マクガフのRFコンプライアンス企業は成長産業の一端を担うほどになった。そして欧州連合(EU)出身の労働者を雇用できたこともマクガフの成功につながった。
Patriotic Millionairesのメンバーは、健康で教育を受けた労働者人口を維持し、可処分所得がある中間層の消費者の双方を支えるためには、富裕税が役立つという経済的な根拠を示したいと考えている。裕福な実業家がより多くの税金を支払うことで、社会の安定性も高まるため、彼ら自身のためにもなると主張しているのだ。
だがマクガフは、経済格差が拡大し公共サービスが劣化している時代に、公平性と常識を貫くための手段として富裕税を捉えている。英国人の富裕層の1%は、最貧困層の70%が有する資産の合計よりも多くの資産を保有している。「社会全体が機能不全に陥っていても関係なく暮らせる大金を、富裕層が保有していることが問題だと思います」とマクガフは述べる。「国は、大富豪にしかるべき税負担をしてもらうべきです」
富裕層が自分たちへの増税を望む理由 | WIRED
https://wired.jp/article/millionaires-begging-governments-tax-wealth/
『愛国的大富豪』の英国支部が最近設立され、現在30人のメンバーを擁するまでに成長している。このグループは、「極端な富の終焉を加速させる」ために税制の見直しを求めている。
メンバーのゲーリー・スティーブンソン(Gary Stevenson)(35歳)は、「税制を労働者から、基本的にすべてを所有し、税金を納めず、働かない超富裕層にシフトする必要がある」と語った。
スティーブンソンはイースト・ロンドンのイルフォードの貧しい家庭に育ったが、シティバンクのトップ・トレーダーとして数百万ポンドを稼ぐまでになった。
彼は、世界が「経済災害」に向かっているという強い信念を持っている。二度と働く必要がなかった彼は、2014年に銀行を退職し、低賃金と手の届かない住宅に反対するキャンペーンブログ「Wealth Economics」を立ち上げた。
「大金持ちには基本的に何も課税されないこのシステムを何とかしない限り、この問題はどんどん悪化していく」と彼は言う。
愛国的大富豪は、キャピタルゲイン税を所得税に合わせることを望んでいる。
同グループはまた、360万ポンド以上の資産家に対し、年率2%から始まる「小規模な」累進富裕税の導入を主張している。これは全メンバーに影響するという。また、相続税の「大幅な引き上げ」も提唱している。
これは、できるだけ多くの資金を避難させようとする多くの大富豪にとっては忌まわしいものである。
(中略)
もう一人のメンバー、ジュリア・デイヴィス(Julia Davies)は、彼女が設立したバックパック会社オスプレー・ヨーロッパの株式を売却し、数百万ドルを手にした。
50歳の元弁護士は、その金の一部を使って環境基金We Have The Powerを設立した。イングランドの南海岸に2人の子供と住むデイヴィスは、昨年『愛国的大富豪』に加わった。彼女は、現在の税制は、余裕のない一般労働者を直撃していると語った。
「パンデミックによって、社会で本当に重要なのは誰なのか、真のキーパーソンは誰なのかが浮き彫りになりました」と彼女は言う。
しかし、愛国的大富豪が超富裕層を大量に勧誘する可能性はまだ低そうだ
Patriots who abhor extreme wealth or are they just potty? Meet the British millionaires who want to pay MORE tax
https://www.thisismoney.co.uk/money/markets/article-10554643/The-UK-millionaires-want-pay-tax.html
なお労働階級出身者の富豪や女性の富豪が声上げてることが多い感じがする
ディズニーの相続人のアビゲイル・ディズニーも課税を求める声をあげていて女性だね
https://www.bbc.com/news/business-60053919
ある意味課税されて当然の大富豪はおいとくとして、自分自身はいくらあればお金は充分か?の問題、難しいよね
ワイくんは運良く日本人に生まれ、なんとなくITの仕事をしているため、給与を貰いすぎている人々のひとりな訳だが、
レールから外れた人生を歩んでるのと、人よりもできないことが多いのと、いろいろあって面倒見ないといけないものが多いのと、
なんとなくITの仕事してるだけで別に何ができる訳でもないので、そこそこお金は稼げるうちに稼いで溜め込んではおきたい
贅沢もしたい
また犬飼いたい。フラフラ生きとるから犬や自分自身や身内がどんな状況でも責任持てるか自信無くて飼えんのよな・・・
犬飼う程度の贅沢はしたいけど、週末を過ごすためのセカンドハウスってレベルの贅沢はいらないし理解もできない(目の保養ではある)
海外も行きたい。サンフランシスコ→ニューヨーク→ハワイの3つを2週間くらいで巡りたい
でも高級ホテルではなくていい。安全で電気水でトラブル起きなそうならなんでもいい
(ハワイだけはリゾート地だからかまぁ無理がない範囲でそれっぽいホテルに泊まれそうなら泊まりたい)
水の様に優しく 花の様に劇しく
震える 刃で 貫いて
宿命られた 涙を瞳の奥 閉じても
貴方を 瞼が 憶えているの
無明の淵で 終焉を待つ
私は 噎ぶ身無し児
蹂み躙られた 尽る恋を
両手に 包んだ儘
バービー問題、責めても仕方ない? 町山智浩さんが語る「教訓」
https://mainichi.jp/articles/20230802/k00/00m/200/290000c
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20230802/k00/00m/200/290000c
このブコメでサヨに発狂してる人たち…。てかこの発狂勢力は何に憤ってるのか。原爆は誤った方向に進み続ける大日本帝国を終焉させ新しい秩序を作ったアメリカの施しだった。神の愛だった。その後の日本の繁栄は原爆の恵がもたらしたものだ。これが世界の共通認識だ。サヨを叩いてるウジムシ君たち、何に憤ってるのか自分の意見を言ってごらん。おそらく何も無いだうけどねw
ゲーム目当てでプレイしてる人、キャラクター目当てでプレイしてる人、ストーリー目当てでプレイしてる人、共通の話題が欲しくてプレイしてる人、ジャンルに張り付いて惰性で読んでいる人が混在している。
そしてそれぞれによって評価軸が違うが、遠目から分かるのは「そのゲームに今人気があるか」ぐらいなのだ。
たとえば「ウマ娘」はそれが顕著で、初期の頃は「ゲーム目当て」「キャラクター目当て」「ストーリー目当て」が全員楽しんで遊んでいた。
だが段々とゲーム目当てのプレイヤーは離れていき、キャラクター目当てのプレイヤーも推しキャラの実装を待てなくなった人も離れ、そしてイベストーリーの酷さに呆れた人も離れた。
最後に残ったのは惰性でダラダラとプレイしている人達だけになった。
そこから定期的なアプデで少し盛り返すこともあったが、今はもうすっかり惰性プレイヤーだけの空間となった。
時折話題作が誕生することはあるが、新規で入ってきた人間もしばらく読むうちに「なんかしょーもないな」と離れていく。
ごくごく一部が定着していくことで何とかジャンルを支える最低限の人数はいるのだが、それでも様々な部分に感じる「劣化」「代わり映えのなさ」「成長のなさ」に対して失望が募り別ジャンルへと渡っていく者もあとを絶たない。
多くの人気ソーシャルゲームが同じ状況に陥っており、惰性で続けている者たちが日夜文句を言い続けつつ、下がりまくったハードルを超えることがたまにあるとそれをやたらと褒め称えるのである。
ミステリにおける「トリック重視」はまさしくソシャゲにおける「ゲームとしてちゃんと遊べる」のようなものであり、一時的にその方向性で伸ばしたはずの作家がしばらくすると全くソレができなくなるか、同じことの繰り返しなら上手く出来るが少し変えると駄目になるので同じことを延々やるかのどちらかになっていく。
ここでよく起こる間違いが、最高難易度を突破できるマニアであっても求めているのは「難しさの向こうの面白さ」であり、「難しさそのもの」は別に求めていないことの失念だ。
ちょっと複雑なことをして褒められたミステリ作家はすぐに「じゃあ次はもっと複雑にしよう」とやたらとこねくり回してしまうが、それは一部の「皆がクリア出来てないゲームをクリア出来ることにアイデンティティを感じられて嬉しくなってしまう」という寂しい人間たちにしか評価されない。
ここでその一部の人達と心中をする道を選んでも終わりだし、「とにかく簡単にしよう」と難易度のことだけに頭を向けてしまった場合も作家生命が急激に終わっていく。
この間違いをする作家の多さは、「ゲーム性」を取り違えて終焉へとひた走る元人気ソーシャルゲーム達のソレに極めて似通っている。
また、キャラクターの扱いについてもミステリ小説はソーシャルゲームと同じ衰退をたどりやすい。
一部の人気キャラクターにばかりスポットを当ててしまったことで物語の幅が狭まったり、ソレに対する批判にビビってダラダラと全員に出番を出そうとした結果キャラを出すこと自体にばかり意識が向き物語がおざなりになることがままある。
そもそも作品が面白ければキャラクターは勝手に魅力的になり、キャラクターに頼って作品がおざなりになればキャラクターの魅力は薄まるという基本を多くの創作者が忘れてしまうのだ。
人気の出たキャラクター小説やソーシャルゲームは最終的に人間が書けなくなっていくとは、このようにして起こる現象なのである。
人間の肉体の7割を構成している要素を人質にとって商売しているんだから。
限りなく薄められているけど、水道を事業にするってのは「水道代を払えない人は水を飲めません」という状態を政府が容認しているということ。
こんなものは税金ジャブジャブ投入して徹底的に管制してしまえばいいのに。
なまじっか事業として成立させているもんだから変な民間企業がドンドン参入しているのもクソ。
メンテ代で稼ぐ前提のクソみたいな水道設備をそこら中に潜り込まされているから、世界中で「水道水バブルの終焉」みたいのが起こるだろうね。
それはつまり「安全な水の確保が急にできなくなった国」が沢山生まれるってことだよ。
まあだとしたら、普通にクソだと思うね。
ミネラルウォーターと飲み比べるまでもなく、「新品の浄水器を通した水」と「浄水器を通してないひねっただけの水」を比べてみればいいよ。
飲んでも平気ではあるんだろうけど、なんとなく飲みたくないかな。
まあでも水道水を完璧に綺麗にしろってのはコストの無駄だから、個々人が浄水器使ったりウォーターサーバー借りたりするのは正解だと思うよ。
ただ、単純に「水道水が美味いか」って聞かれたら「もっかいろ過しないと飲めたものじゃない味である」って俺は思うなあ。
でもコンビニミネラルウォーターでも似たような変な味のがあるんだよね。
間違ったりしかたなくで飲んじゃうことあるけど、口の中が露骨に臭くなって鼻に抜ける呼気が気持ち悪いんだけどなあ……。
アレがわからない人もいるんだろうね。
うらやましー。
正直宮﨑駿というアニメーターのお遊び以前に、今まで日本国内に刺激を与えた数々のジブリ産アニメ映画そのものが見たかった。
宮崎駿のアニメは日本に限らず、世界中ほとんどの人は一度も鑑賞もしくジブリというスタジオの名を聞いたことがある。
この時代の人間が持っている心象風景、時代精神は宮崎駿を語らずにいられない。現代のロックソングは、ビートルズという背景があるから発展して来たのと同じだ。
というか、宮崎駿作るのがアニメだけではなく、幼少期の「見る」冒険である。幼い頃に、みんなはもものけの壮大な自然に神秘を感じ、千と千尋のトンネルから冒険心を育つ。ラピュタで男女の純愛に目覚め、トトロで友愛を知った。
ジブリの映画が存在しているだけで、確実に世界はある程度優しさが増えた。
ところが、君生きはなんだろうか?
君たちはどう生きるかという思想の強いタイトルを挙げながら、ただただ今までの作品の二番煎じのように、主人公は自由意志がなく、ひたすら母を求める。その母への愛情ははっきり言って共感しにくい、特に若い世代に関しては、エディプスコンプレックス的な描写あるいは哲学思想は、陳腐以外他ならない。
宮﨑駿の独りよがり、彼だけにしかわからないエディプスコンプレックス、徹底的なエゴイズムだったことは明白であり、宮﨑駿という人間へさほど関心を持たない人々にとっては、どうでもいい話。どうでもいい映画なのだ。
それでもこの映画を深いとか、教養が要るとかと漠然と代弁してくれるものがいるが、こいつらは夢から目覚めたくない人たちである。
この作品は深淵であり、洞察しようと近いたら何もない闇に堕ちてしまう。宮﨑駿が長年に渡り、隠して来たニヒリズムそのものの固まり。
エヴァの卒業式みたいなスッキリした気分にはなれず、捨てきれずに残った元カノのメモリアル的な存在だった。風立ちぬで終止符を打ってくれるとダンディではあるが、君生きで〆るのが、無敵の人の無差別テロかストーカーの未練ダラダラみたいで気持ち悪い。
一昨日映画見に行ったのに、未だにこの不快さが取り除けない、あと褒める人がいることを見てさらに陰鬱な気分になってしまう。
とりあえず最後の最後に無差別テロをやってしまう宮﨑駿は、所詮人間だった。
追伸
実際FGOはともかく、スマホアイマス系は以前と比べて月商が1/5~1/10に落ち込んではいるわけだけど
ただじゃあコンシューマに戻るかというと、ほとんどのコンシューマ系ゲームはその売り上げにすら遠くおよばない状況にあるわけで
以前は「売り上げ的にゲーム自体がオワコン」と言われていた状況があってそれを挽回して今に至るわけだけど、それはソシャゲーが牽引、あるいはその売上をコンシューマに回したから実現した事であり、挽回以前の根本的な問題は何一つ解決してはいない
結局、ガチャゲーの終焉の後に待つのはコンシューマの復権ではなく、止まっていた「ゲーム業界終焉へのタイムカウント」の再開でしかない
インターネットそのものに神秘が残っていた時代のコンテンツの終焉なんだろうな。
『赤い部屋』がもし今のネットにあっても小中学生をトイレに生かせられなくする力があるって感じるかい?感じないと思う。こういった分こそがまさにネットそのものが魔術的なパワーを帯びていない時代であることを示唆してる。
もうネットは不気味なオタク達の巣窟ではなくなっていて、アングラを気取ってる人間も単に公式や警察に怯えながらコロコロと居場所を変えてはギリセーフのラインを必死に探してるだけなんじゃないか。
今や完全にネットは万民のものとなりもはや誰もが使える当たり前の道具になった。車載電話やPHSの発達により無線が神秘性を失い、個人携帯の時代が到来したことによって完全にトドメを刺された流れと同じ。
その昔は「石を回路につなぐと遠くで会話ができる」という糸電話チョットスゴイ版みたいなものに対して魔術的な憧れを多くの人が持っていた。
でも今やそれは完全に失われている。
そこから今後は一周回ってあえて古いものを使うことに魔術的な神秘性が宿るようになるんだろうけど、そこまであと10年か四半世紀って所かな。
たとえばキャンプなんてのは昔は生活において野営という物が日常の一種として存在していたのが完全に過去のものとなり、あえて野営するということが魔術性を帯びるようになり、そこから更に一回り一般化が起きて今の状態がある。
インターネットは流石のドッグイヤーというか、既にその段階に突入しつつあって、VRでさえも一般人に対して開かれたコンテンツとなってる。
NFTや仮想通貨と言った投機コンテンツは一般人まで届いてないけど、これはむしろ「単なるババ抜きでしか無い」ということを普通の人間ほど見破りやすい(完全に理解したモードの人間が一番疎い)という構造の結果でしかないのだと思う。
これが今の社会が持つネット世界観なんだと思う。警察の目が届かない不思議な空間はネットよりも現実のほうがずっと広がっている。ネットでバズった違法動画はあっという間に通報(嫉妬か正義かは知らんけど)されてしまうけど、体育館裏や給湯室で密かに行われる悪徳は校内社内で多くの人がそれを知っていても、外の社会のルールによって介入されずに生き延びていく。
監視の目が届かないモラルスラムとしてのパワーはネットよりもリアルの方が上になった。逆転が起きた。新時代の神様がどこからか生まれるならそこはネットの海じゃない。リアルの何処かだ。たとえそれがサイバー空間だとしても、それはオープンソースではなく、スタンドアロン環境の研究室の中だろう。サイバー世界観の変貌によってネットは神秘ではなく魔術でもなく闇でも光でもない場所になった。
狭苦しいリアルの窮屈な暗室と比べれば、今のネットのほうが風通しが良く広々としているのだ。驚くほどに四方八方に陽の光が反射し、淀んでない風がそこかしから入り込んでくる。いまや薄暗い秘密基地は現実世界の方となった。相対的に。
だからもう今になって本気でlainを崇めていても仕方ないんだよ。それは大昔崇められていた今はもう力を失った神様なんだ。
祟りを恐れるでもなく、恵みを求めるでもなく、古き良き村の祭りとして扱うだけでいいんだ。祀るべき意味が「そういう習わしを賑やかしとして残したかった」じゃ駄目だって言うなら、どれほどの神社仏閣が地上から消えるんだろうね。
畏れ多い神様として扱う時代が終わったんだ。日常の一風景でしか無いカルチャーコンテンツの一つとして扱ってやれよ。
商店街の近くで祀られてる神様がやたらフットワーク軽くどうでもいいような近所のイベントに首を突っ込んでくるようなことってあるだろ?あのノリで扱われる時代になったんだ。神棚や神輿に載せたまま、そこから畏れを一粒だけ残してとっぱっらちまえばちょうどいいぐらいの塩梅になるだろうさ。
https://anond.hatelabo.jp/20220818173512
を書いた所、それが今になって妻にばれ、お前は体育祭文化祭嫌いのぼっちだからあの映画で感動出来ないんだと喧嘩になった。
妻曰く、FILM REDは映画館の一体感込みで面白いそうだ。俺はマジで意味が分からんが、体育祭文化祭の周囲と一緒に感じる興奮みたいなもんらしい。
俺がクソみたいな尺を使うなとしか思わないライブはウタのMMDライブを見ているみたいで大盛り上がりするらしいし、あれがこの映画のスタートでウタの歌がこの話を一本の映画にまとめているのだと力説された。FILM REDは映画と音楽と会場と一体になって勢いを楽しむもんだそうだ。
シャンクスとウタの話も感動するらしいが、別に俺はそこに異論など持ってない。ただそれがどう考えても時間内に収まるような背景じゃない事と、その背景を特典漫画に丸投げしたあげく、特典第○弾とやっている厚かましさがクソだと言っているだけだ。と言ったら40億巻の補完は、あのシーンでキャラがどんな気持ちでいたのか本編を見ただけでは分からない心情の裏が見れる漫画の番外編みたいなもんで、お前は今後どんな漫画の番外編も読むなと言われた。どう考えても番外編よりMMDのほうがいらんだろ。
ちなみに夏のUSJに命と10万以上をささげている程妻はサンジが好きなので、当然一番好きなのはサンジの衣装らしい。俺からすれば膝上20cmの赤パンなんかはいている20を超えた男なんてただのハイファッションかぶれの自分をおしゃれだと思い込んでいる道端で浮きまくったギャル男にしか見えない。妻はあれがかっこいいと可愛いのハイブリッドだと熱弁していた。
あんなしばらく楽譜に張り付いているだけで満足出来るなんて、つくづく製作サイドのカモだと思う。
人は死ぬぞとビビに言っておきながらエースが死んた事で阿呆みたいになったり、またウタが死んだら人は死ぬぞみたいな性格になるルフィはどう説明するんだと言ったら、話を盛り上げる演出も分からんのか馬鹿みたいな扱いを受けたが、俺はその演出の為にキャラクターの性格が二転三転するのがクソだと思っている。
シャンクスに興味がない俺の妻は別として、このシャンクスにOK出す母親はいんのか?どう見ても育児のうわべだけすくったイクメンシャンクスが書きたかっただだろ。
で、子供を置きざって別の子供に八つ当たりした上に「子供っぽいところがあるんですよ」じゃねえんだよ。子供っぽいところがあるだけで育児放棄して子供に当たんなや。こっちは一話からガキのルフィと喧嘩するような子供っぽいシャンクスを知ってんだよ。でもいざという時にはルフィを守る大人になるところがかっこよかったんだろうが。
頂上決戦にも遅刻したシャンクスがまた遅刻して、今度は自分の娘を救えないなんてシャンクスを馬鹿にしてんのかとしか思えないが、ワンピ結婚からFILM RED離婚になるのはクソすぎるのでここまでにしておく。
コメントやなんかで古参ジジイとか世界観を楽しめず作者disるならファン辞めろとか言ってる奴は頭大丈夫なのか?作品は好きだがこの映画はくそみたいな事なんてあるに決まってんだろ。作品全部神!神が作ったんだから神!文句言うやつはファン辞めろって奴はマジでこの映画観たのか?ウタの歌は好きだが思想にはついていけず帰りたがっていた奴らをどんな目で見てたんだ?こういう奴が赤の他人のツイートにわけわからん斜め上のリプとか送ってハイ論破みたいなドヤ顔披露してんのか。
原作に文句言うな漫画家は神!ってやつ、まじで読んでる漫画に一回でもこの展開ねーわwとか言ったことないのか。
もう対象年齢じゃねーよいつまで読んでんだよとか言ってるやつは、まず公式に大人に向けたプロモーションを止めさせろ。この映画が200億近く行った内訳はほぼ繰り返し観に行った大人の金だ。子供の金だけで200億いくわけないだろ。大人に見向きもされなくなったら困るのは公式に決まってんだろ。
あと俺が尾田になりたいと思っている奴はまじでなんなんだ?俺は尾田栄一郎のワンピースのシャンクスの謎やこれからのルフィを楽しみにしてたんだよ。それが作者の特典冊子ありきの映画しか作れないような監督と脚本に、こんな中途半端に出された事が腹立つって話で、いつ俺が「尾田栄一郎に俺はなる!」とか言ったんだよ。読まなくていいからクソみたいなコメントすんな。
俺の予定ではジャンプでシャンクスがフィガーランド家で天竜人の末裔だったと知ってうおー!まじかよ!尾田っちすげー!!て言う予定だったんだわ。それを待ってたんだよ。それがfFILM REDのせいであー知ってる。ここで出てくんだ。になったんだよ。公式が早バレすんなや。
ただ作品が合わなくなったら離れるべきってコメントには、その通りとしか言えない。
若いやつにはオタクのおっさんきっしょと言われるだけだろうが、俺は生まれてからほとんどをワンピースと過ごしてきている。小学生の頃に長定規をくわえて三刀流の真似をして海賊王に俺はなるとか言って階段を飛び降りて遊んでた頃からワンピースと育っている。こうなると俺にとっては友人みたいなもんで、多少こいつ変だわと思ってもそれだけで友人を止めたりしない。変だと思わないわけじゃないが、長年の付き合いででもいい所もあるしなと目を瞑る。
俺は最近のジェンダー論にはあまりついていっていない。ギリ昭和の男でその価値観で生きているが、会社はジェンダーやダイバーシティインクルージョンにうるさく、毎度強制的にあらゆる講習やセミナーを受けさせられるおかげで、理解は出来ないが俺の価値観が時代に合っていない事は理解している。そんな俺が見てもワンピースはそういう意味で遅れまくっている。
女のファンが多いのは事実なので男の俺になにも言う資格はないのかもしれないが、カマバッカはやばいし、最近ではワノ国でヤマトが男風呂に入る描写がきしょかった。カラーでは女メンバーに混ざって登場するのもきしょいし、ONE PIECE magazineで花魁になっているのもきしょい。どう見ても男に都合よく裸を見せてくれる女にしか見えないのに、それをジェンダーに配慮したキャラだと言われているのがやばすぎる。どこが配慮してんだよ。ギャルゲーによく出てくる男に都合のいい僕っ子の女だろ。
FILM REDで敵に捕まってんのにナミのパンツを気にしたブルックがあまりにきしょすぎて映画館でキッショと言いかけた。誰だよあんなシーン考えたのは。あれをギャグシーンだと思ってるのが終わってんだよ。
もうとっくに俺と作品の価値観はあっていないにも拘らず、それでも一緒に育ってきたものを捨てれなかった俺が悪いのだとどこの誰かも知らん人達のコメントで気付いた。
永年勤続休暇を取れというわりに子供の夏休みの時期は繁忙期だからやめてくれとか言われたおかげで、暇でにかまけて阿呆な日記をまた書いてしまった。
どうせならもう一回映画をアマプラで観て真面目な感想でも書こうかと思ったが、公式がFILM REDは正史で、観客は楽しむ努力をしろとか言っているというのを読んでやめた。
なにが正史だ。どう考えても一話のルフィとシャンクスの間にウタがいたら変だろうが。
どうせならウタをシャンクスの初恋だった美魔女の歌姫とかにしろよ。ガキのシャンクスが適当な知識こいてウタウタの実を教えたせいで、探して食ってトットムジカに呪われてシャンクスの事を恨んでる美魔女歌姫とかどうよ。浜崎あゆみに歌ってもらえ。
意図的に恋愛要素を抜いていると昔語っていたが、もうとっくに不殺もなかった事になってるんだしいい歳こいたおっさんの初恋くらい別によくないか?おもろいかは知らんけど、出来ない子育てよりマシだろ。
・上映中にスマホを見ない
・前の座席を蹴らない
・上映中に喋らない
・静かなシーンでポップコーンをむさぼらない
等であって、マジでおもんなくて辻褄の合わないストーリーの辻褄を無理矢理合わせて面白いと解釈する事じゃねえんだよ。どこまで観客におんぶに抱っこしてんだよ。
楽しめるやつだけついてこいと原作者が言うのなら、もう俺は無理だろうと思う。
昔自分で言った一番読んで欲しい読者層ではない大人と女の信者に支えられている事をどう思っているのかは知らんが、FILM REDは昔俺が毎週ワンピースを楽しみにしていた子供で、ルフィの冒険の終わりと夢の果てを待ち望んでいた読者層だったというのを最後に思い出させてくれた。余計な事すんな。
発表資料を作った。
役職持ちもよいらしいので、発表内容である仕事に関わった上司(別係の人)と同僚を補助に指名してチームが出来た。
「ここの表現変えない?」
「この書き方だとこういうふうに誤解されるからさー」
「何と比較して変わったの?書かないとわかないと思うんだけど」
(テーマが従来との比較を前提なので書く必要はないと主張した)
「ここに書いてある業務は本当にやってるの?」
「これ、同じことを言ってるんじゃない?わからない人向けにまとめたら?」
(わからない人がいるならひとつひとつ区切って説明したほうがいいと説明)
とりあえずこのくらいは言われた。
極めつけはこのセリフ。
これが必ず頭につく。
「増田さんがいいならいいんだけどさ。ここ、画像貼るのやめない?そっちに目が行っちゃって資料見てもらえないと思う」
とか言う。
本当にいいと思ってるならこんなこと言わねーだろうオメーーはなんじゃ日本人かうっぜえええええ!!!
と思いながら、ときに反論しつつ、でも絶対折れてくれないから話が長引きに長引いて昼休みを潰された。
ひでえ嘘つきだよ。
最終的には
「あ……それ全部消すとなんか隙間が目立つから、消す前の文章を貼り付けて(以下略)」
(えっお前が消せって言った文章をまた付け足すの!?もしかして折れた!?)
という風に終焉が見えると思いきや、「最初のページさあ」と言われた。
話は長引いて終わった。
ここまでさんざん上司をグチグチ言ってるが、自分は超優秀な社員ではない。
今回の資料の出来に自惚れていたかと言えばそうかもしれないけど、なにがなんでも治さないといけないという気概で添削という名の書き換えを強要されたのは心底苛ついた。
同好会の趣旨が教育や社会、コミュニティ自体の方針について考える会みたいなものです
アニメやゲームでも人生を語りますし、スポーツや文学で生死や社会を語りもします
同じものです
教育を一定期間担って集めるものも学校などとしてありますし、収益化を目的に集まる会社などもあります
生活の様式や基礎的な知識、常識といったもの他共有する情報についてとりまとめようというのが共同体単位で浸透する宗教です
その生活様式の主体が基本理念に沿うようになれば何だって宗教です
宗教はその対象を生活や人間の活動についてを主体にしているので殊に取り上げられやすいだけです
またその主体の無さから目的として人とのつながりを利用するためとして利用されがちでもあります
アイドルやゲームや小規模な継承文化、風景や施設なんかも宗教のようなふるまいをすることがあります
人が集団になることについての仕組みがコミュニティの形成、集団形成についての論や定義になるだけです
問題になる集団は宗教や反社会的組織など限られた一部になりますがこれらがほかのコミュニティ形成と大きく異なる点があるところです
基本的に個人が形成するコミュニティは規模的に国家の下になります
国がいちばん大きなコミュニティで、生活を保障し人権を定め生活をよりよくする手立てを施します
宗教だけしか人を救わないと言う前に、国が人権によって宗派も関係なく国民と認定した人間すべてに対してこの世で現時点の救済をする仕組みになっています
宗教と反社の問題点は、この国の下で組織体として「独立した経済域を形成しがち」なところです
どの国でも重い罪に問われるのが偽札の発行
これは国が定義する国としての価値そのもの、それはコミュニティの存在の意義そのものについて反抗するからです
大きな組織が内部で独自の通貨を形成して、それが国の発行している通貨を介さなくなればどうなるでしょうか
独立して「そういう教義の国家をつくればいいんじゃね」って段階に至る時点で国内に存在しているだけで問題の組織になります
組織体として隣人と交渉を等価で平等に行う条件が保たれている限り、コミュニティの問題は各個人の問題に留め置けるものでしょう
宗教もアニメのファンクラブやサブクス、保険やサークル会員のように会費が必要です
それによって維持されています
人が救われるのは宗教だけではありませんし、実質救済措置を実行するのは国です
国が国としての定義を安定化させるために国教を定めているところもあります
方策の一つ、手段の一つでしかないので楽ですし問題もないでしょう
日本が無宗教でコミュニティを維持できている理由のひとつに、常識という名の定義がほぼ一つに共通しているからだとも言えます
宗教で戦争や人種で戦争など体験したことがないので想像するのがむつかしいかと思いますが、様式の違いだけでたいへんな争いになります
それは生活の基本的な様式や常識がちがうから、そこで都度つかわれるコストがことなるから、それは通貨が違っているからということに近いものがあります
もし問題があったり要求があったりして交渉したくなった場合、通貨がちがうので交渉にならないのです
ならば解決の方法はどうなるかと言えばそれは人の歴史が物語っています
独自の経済圏を築こうとした時点で問題がありますし、それは国が問題を解決すべきとなることです
そのため複数利用したい人は個人的に複数の組織に参加することになります
さすがに国はまたげないので、そこで問題になりがちなのが先ほどの規模の組織体ということになります
核家族化して個人がそれぞれ自分の人生の終焉を選択しなくてはいけなくなった現在、宗教による個人の利用価値は大きくなっていると思います
また実質宗教の組織維持の活動として最も強力なものは救済ではなくコミュニティという組織価値の運営にあります
宗教というコミュニティ形成をあまり特別視しすぎてしまわないほうが、より広い人間関係において問題が大きくならずにすむかと思います
氷河期世代のおじさんです。
同世代の人たちは、やたらと苦労話をしてくるので、なんとなく合わせていますが、内心、そんな苦労してないんだけどなあ、と思っています。
高校生あたりまでの記憶が曖昧で、あまり覚えてないのですが、小学生くらいに同級生の自称霊感強い子か、近所の白龍から天啓を受けたと称する老人か、どこの田舎にも一人は存在するご当地仙人か、多分そのあたりの人に「おまえは34で死ぬ」と言われた気がします。
素朴な脳みそを持った少年期の僕は、すんなりその与太話を受け入れてしまい、そのまま成長し、ある程度人並みにものを考えられるようになった高校生以降も、ロケンローな人のように34歳死亡説を当然のように受け入れていました。
中学後半でマイコンを知った僕は、寝食を忘れるくらいに夢中になってプログラムを書いていました。ちなみに、コンピュータは持ってなかったので、紙に。
プログラムを考えることで、僕の無邪気な脳細胞達はようやく手をつないで思考することを覚えてくれたので、この頃からなんとなく記憶もしっかりしています。
この頃は、よく、あと20年弱で死んじゃうのか、やべーなと思ってました。
教師や親兄弟親戚一同からも増田ちゃんはコンピューターが上手なんだから大学か専門学校にいけばと言われたましたが、あと20年弱の余生を金銭的に不自由な学生生活で潰したくありませんでしたので、とりあえず東京に出て働くことにしました。
僕が、高校卒業時点は、バブル崩壊直前でしたので、高卒でも就職はできました。
プログラムとは無縁の仕事でしたが、寮完備だったので、数年働いてお金を貯めようと思いましたが、就職してすぐにバブル崩壊が始まりました。
働いていた会社が鉄鋼業だったこともあり、この先相当ヤバイという雰囲気が社内にプンプン漂っていました。
まだ、一年間しか働いておらず、お金もそれほど貯まってなかったのですが、焦った僕は就職雑誌を買い漁り、とにかくプログラムが組める仕事を探しました。
運良く、未経験でも募集しているゲーム会社があったので、「なんでもやります、お願いします」みたいな感じで入社しました。
気がついたら、そこで6年働いてました。
死ぬまでプログラムを組んでいたいと考えていましたが、当時はwindowsとdos/vパソコンの勢いが凄く、メーカー規格パソコンは終焉を迎える気配がプンプンしてましたが、仕事ではPC-98とかx68kでアセンブラ、自宅ではMSXとPC-98しか触ってないので、そのへんの知識は全くありません。
とりあえず秋葉原で働けばなんとかなるやろと会社を辞めて、秋葉原のパーツショップに就職しました。
当時の秋葉原は某宗教団体や国籍不明なおじさんが出所不明なパーツを路地で売っていたりと、とても魅力あふれる街でした。
あと、彼女もできました。
めちゃめちゃ楽しい職場だったので、このままでも良いかなとか思ってましたが、2年くらいで倒産してしまいました。
他のショップに移るつもりでしたが、彼女に「結婚するつもりなら、もう少し安定した仕事に就いて」と怒られたので、都内のシステム会社を面接しました。
高卒でアセンブラ経験者でアキバのショップ店員がお店が潰れた話をしたら、「お金、大丈夫?少ないけど支度金あげるから、ウチ来なよ」とえらく心配されて入社が決まりました。
その会社で6年ほど働いてたら、既に32歳になってました。
ちなみに奥さんには34歳死亡説は話してましたが、ほーん、じゃ保険かけとくか、くらいの反応でした。
日本はシステム会社といえど長く働いているとプログラムより管理者の仕事が増えるので、どうせ死ぬなら、と管理的な仕事が増えたら辞めるを繰り返してました。
転職回数は増えましたが、経験した業種や言語も増えるので、就職先には困りませんでした。
で、気がついたら34歳とっくに超えてました。
あれ、死んでねえし。
なんか損した気分だったので、もうロックに生きようと思い、当時設立したての会社を面接しました。
経歴書だけは立派で、その時は上場企業に勤めていたので、そこの社長に、え、マジでウチくるの?給料さがるよ?すぐ潰れるかもよ?と言われましたが、会社が大きくなる過程も見れるかもしれないじゃないっすか、とか適当にうそぶいて入社し、今に至ります。
すいません。オチはないです。
氷河期世代だけど、バブル崩壊後も人手不足のコンピューターを扱う業種にたまたま就いており、運よく会社を転々とでき、運良く成長前の会社に潜り込めただけかもしれないし、人によってはこれがよい人生と言えるかわからんですが、僕にとっては苦労のない人生でした。
住居表示の正規化が話題になっていたが、住居表示の正規化は不可能である。
まずデタラメに書く人がいるということが重要な点である。これはどうやっても防げないものだ。デタラメさ加減にも許容範囲はあろうが、この許容範囲そのものも各要件によっては曖昧なものである。
問題は、そのデタラメに書かれたものや、虚無的な例外までも救おうとする態度にある。我々はとかくすべてを100%完全にやろうとしがちであり、ここについてコスト意識を持って考えない。
しかしながら、7〜8割ほどうまくいくルールというのは示せるはずであろう。そうしたルールを公開し、「このルール・規格に沿った自治体は恩恵が大きい。そうでなければ各自プラグインなどを作って頑張って。OSSもあればなお可」というようにすればよい。
要はシステムを作る側が地方自治体に配慮し過ぎなのであり、「住所正規化に携わる人間・組織は、名寄せ困難な地方自治体よりも格下」というような位置付けに現状なっている。これでは正規化は原理的に不可能ではないか?AIを使おうが無理であろう。
無限に例外があるならば、「その無限の例外を切る」という態度が非常に重要であるはずだ。だいたい、無限に例外があるのならば正規化もクソもない。正規なものなど何もないのだ。星の数ほどある例外まで気にしていたら、金がいくらあっても足りない。経験者たちが、バラエティに富んだ無限の例外の1つ1つについての苦労話を次世代に引き継ぐ語り部になっているだけではないか?
これではまるで、多種多様な契約の非正規雇用をパートナー社員と呼んで、全員を「正規の社員です」と言っているようなものである。
こうした「例外を切る」という態度について「酷い」という意見もあるかもしれないが、コストパフォーマンスで見れば、切らない方がコストが増えてかえって酷いのである。こうした事象はFalse Economyなどと言われる。嫌われる勇気を持てないのだ。
実際に例外を切っていけば「住居表示の正規化ができない地方自治体は滅びる」というような状態になってしまうであろう。だから、そちらを逆に支援すればよいのだ。支援すればよい、というよりも支援しなければならない。これこそが進歩であり前進である。
ただしこれは楽観的な論であり、住居表示の正規化のために地方自治体を無視するような法律を作ることは現状ではかなり困難であろう。各自治体住民からの反対運動が起きかねないし、必ず当地の議員からの反発が予想される。
つまりシステム開発側が、小金ごときでおもねるのではなく明確に「ノー」と言わなければならないのである。それを「へへぇっ〜!お金様ですかいっ!」と平伏して、日本各地で勇猛果敢なインパール作戦に突貫しているのが現実ではないのか??
そういう構造を評して「住居表示の正規化程度の問題」と無知な人から言われている。要は軽んじられており、気にも留められていない。「俺たちの方が賢いぞ」と思われているのだ。開発者が不可触民だった時代はすでに終焉を迎えているにもかかわらずだ。
ほう、政府とはそんなパワーすらない存在なのか?と思われている。鶴の一言でやればよいではないか?と思われている。
しかしそんな政府に我々の生活をなんとかしてくれと国民は言う。未だにそういう臣民体制の社会なのである。政府は弱いし、国民も弱いし、俺もお前も弱いのだ。経済がそれを示している。
AIさまがなんとかしてくれるというのは、単なるドラえもん待ちの空想ではないのか?
AIは、残念なことに不思議なポッケで夢を叶えてくれるドラえもんではない。したがって我々のび太くんが変わらなければならないのだ。のび太くんだけで住居表示の正規化をなんとかしなければならないのだ。
あたおか案件
たいてい60代以上のあたおか老人
これからくるのは過度なサービスの終焉と、クレーム時代の終焉である
企業・従業員が顧客から受けるクレーム対応は、悪質な言いがかりの場合もあり、悩ましい社会問題の1つだ。こうした中で、現役の長距離バス運転手の投稿が議論を呼んでいる。寄せられたクレーム内容は、「バスの運転手がサービスエリアでカレーライスを食べている」というものだ。当事者の男性運転手に事情を聞いた。
【写真】「これはないやろ」「ネタ動画にしても不愉快」と批判殺到…SNSで炎上した決定的瞬間
「バスの運転手さんがサービスエリアでカレーライスを食べている、というクレーム。休憩中にカレーを食べてはいけない理由を具体的に説明しろや!!」。
中部地区で高速バス運転手を務めている20代の男性は、怒りの感情を交えてツイート投稿を行った。男性は「バス業界をホワイトにしたい」との思いを持って、高速バス運転士@中部地区(@HWBDChubu)として日々体験談やメッセージを発信している。
どんな状況だったのか。具体的には「ちょうどお昼頃、30分ぐらいの休憩をとり、SAフードコートのカレーライスを食べていました。営業所に帰庫し、乗客からクレームがあったことを所長から告げられました」とのことだ。https://news.yahoo.co.jp/articles/af6bae82b0231a426442f6c4be8d908d7bf5131f
1991年1月の中旬だったかな、ニュースでバブルはじけたって騒いでた気がする。
どうでもいいような土地に価値が有るように見せかけて担保にして、
バブル崩壊とは、1991年から1993年頃にかけて起きた株価や地価(土地の値段)の急落のことです。歴史(近現代)の教科書にも載るほどの大きな現象で、長い不況の入り口になりました。バブル崩壊は、投資家や不動産のオーナーだけでなく、企業経営者から会社員にまで広く影響を与えました。バブル崩壊に至るまでの歴史を振り返ります。
バブル崩壊の「バブル」とは泡のこと。泡のような急速な好景気と一瞬ではじけ飛ぶ様子を「バブル景気」と呼びます。日本がバブル景気に入るのは、1980年代後半のことです。
1985年9月、アメリカの貿易赤字を改正するために、先進国5カ国での「プラザ合意」がされました。合意内容は、アメリカの製造業を守る円高ドル安の路線。これを受けて市場は急激な円高になり、それまで順調だった日本経済は、不況に陥りました。
そこで、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行することになり、結果としては企業・個人にお金が余る状況を作り出します。余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、株価は急激に上昇し、土地の価格も高騰しました。いわゆるバブル景気の状態と言えます。
バブル景気は長く続くことはなく崩壊しました。直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。
株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った総量規制です。銀行の不動産融資を実質的に制限する政策でした。総量規制が実施されると、まもなく地価は下がりそれとともに、バブル景気は終焉を迎えました。
総量規制が出されていたのは、1990年から1991年までの1年3カ月間のみです。しかし、この政策は、政府・大蔵省が予想していた以上の結果を招きました。それが「土地神話」の崩壊と90年代後半以降のデフレ経済です。まさに「失われた20年」の原因となった政策でした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230528/k10014080761000.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230528/k10014080761000.html
事情をよく知らんのに、いっちょかみで有識者ぶり俺・私分かってるアピールをするはてなユーザー諸氏に腹が立つわー
大半はなんてことないコメントだから、某ヘビーユーザーよろしく、そういう傾向を「ブクマカ一般」みたいに過度な一般化するほど愚かではないが
そういうとこやぞはてなユーザー(の一部)!くらいはいいたくなる
以下、癇に障るコメントへの言い返し
わかる。わかるよ。引っ張りすぎだよね。2年に1本ペースだもんね。自分も早くしてとは思う
今年の最終章4話公開が待ち遠しい
でもアクタスと水島努監督でやってんだぞ。遅筆と忙しすぎの相乗効果で進まねえんだわ
その分劇場OVAなのに毎回並の劇場版以上のクオリティで出してくるのよ
それが商売として正しいかは別だし、その結果コンテンツの勢いが落ちてると言われれば強く否定はできないが、作風だと思ってあきらめてる
ただアニメの一方でコミックとか関連コンテンツはずっと動いてるのよ
ギャグスピンオフのもっとらぶらぶ作戦が今何巻まで出てるか知ってるか?
満を持して始まった新たなギャグスピンオフのガルパンデモニウム読んでるか?人は相当選ぶが個人的には最&高
https://seiga.nicovideo.jp/comic/60336
既にメディアミックス作品となってるから楽しみは別にアニメだけじゃねえのよ
・大洗ホテルの騒動がどうのこうの大洗とガルパンファンの関係も終焉に向かってるだの現実は甘くないだの
あんなイキリとの衝突が思わぬ騒動になったやつと、今回の列車引退を安易に絡めて結論付けないでくれます?
当たり前だけど、大小有名無名に限らずどんな作品であれ、厄介なファンも暴走しがちな担当者・責任者も少なからず出てくるのよ
○○のファンはいい人たちばかりって言われてるのは、ダメな奴が目立たないくらいいい人が多いってだけ
吹っ掛けられたことや浴びせられた暴言はクソもクソなので心底同情するし怒りも理解できるが、少し冷静になって欲しいとも思う
大洗ホテルは自分も泊ったことあり、夕食バイキングも景色や過ごしやすさも素晴らしかったので、なおさらに思う次第
また今回のガルパン列車引退についても、運用車体が今後も見苦しくないラッピングに耐えられるかどうかの問題もあるわけで
ガルパンがオワコンだから列車終わるとか簡単に結び付けられる話じゃない
雑に絡める皆々様は絶対に知らないと思うけど、ガルパンラッピングについては茨城交通のバスもありまして、こっちは2号車・4号車・5号車が現役で運行されているんすよ
1号車、3号車は引退済で、ガルパン列車のように引退に際してのお別れ展示もあった
http://www.ibako.co.jp/contents/newsrelease/2018/08/18390.html
http://www.ibako.co.jp/contents/newsrelease/2020/10/22553.html
そもそもの話だけどね
大洗とガルパンの関係が現状厳しく見えるかもしれんが、これは新型コロナのせいでアニメツーリズムの弱点が露呈したところがデカいの
2019年に行われた新型コロナ拡大前最後のあんこう祭り(※地元最大のイベント。ガルパンもステージイベントやら物販やらで毎年参加していた)に、どんだけ人来てたか知ってます?
10万人越えてんだぞ
当然ガルパンファン以外の人も含む数字だが、大洗町の人口よりはるかに多い
それが新型コロナのせいで、現地に人を呼ぶガルパン関連のイベントは軒並み中止
キャラパネルを置いてる店の人や有志で行われていたキャラの誕生日イベントも大々的には行えない
(調べればわかるが、知らん人が見たらえ?そんなに?ってくらいいろんなキャラでやってるからな。誕生日に合わせてグッズ作ったりもしてるからな)
そんな状況で町の人も苦慮して、大洗おかえりミッションのようなクラファンで約4700万集めたりもしたの
https://camp-fire.jp/projects/view/267599
だけど簡単におかえりできるほど新型コロナがすぐ収まらんかったのよね
ガルパン公式もオンライン物販イベントとかやったけど、現地でやるほどファンの財布のひもは緩くならなかった
というかぶっちゃけかなり苦戦していた
(リアルの物販イベントでは、新商品どころか数年前の商品すら売れるとメーカー内で言われてた)
今年は以前のような規制からは脱して初めてのあんこう祭りが11月に行われるが、ガルパン関連のイベントは現在調整中
新型コロナ前のようにすし詰めの会場にするわけにはいかないだろうから
どういう落としどころになるか推移を見守りたい
・ガルパン公式Twitterが今日中に反応してないの見て嗚呼もう本当にやる気ねえんだなと
↓のツイートは幻?しっかり伝えているように見えるけど?当日反応しなきゃやる気なしになるの?
https://twitter.com/garupan/status/1652888227467116546
https://twitter.com/garupan/status/1662033228361007104
https://anond.hatelabo.jp/20201118232352
彼女とは十代の頃とても仲良くしていたが、喧嘩してそれから連絡を取っていなかった。
彼女が同人作家を経て商業作家としてデビューしたのは知っていたけれど作品は読まなかった。
趣味にも合わなかったしどうでもよかった。
しかし、ある時、漫画喫茶で気まぐれに彼女の短編集を手に取った。パラパラとめくると、十代の頃と変わらずポエミーな作風の漫画が数作あり、その中に、若い頃の彼女が主人公の作品があった。
その友人という設定で、若い頃の私、をモデルにしたであろうキャラが描かれていた。
(正しく言えば、若い頃の私と、他の彼女の友人をミックスしたキャラクターであった)
そして、主人公はその人物に対して「私は希望していた漫画家になれたよ」と勝利宣言をする。
彼女はそれなりに人気作家である。ここまで描けば作者が誰か分かる人もいるかもしれない。
こんなことをどこかで言っても頭のおかしいファンとしか思われないだろう。(批判しようと苦情を言おうと京アニ事件の犯人のような妄想癖のある人物とあしらわれるのが関の山だ)
でも、もしこのことを本人に言ったらかならず狼狽えるのは分かっている。あの作品を描いたのは絶対に確信犯だからだ。
でも私はなんの連絡もせずにいる。腹は立つし人を殺して金を稼いでいるのだから非道な行いだと思う。でも蒸し返して、やりあうのが面倒くさい。
ただ偶然これを読んだ人に、こういう真実もあることを知ってほしくなった。
追記です。
ひっそりとアクションを起こしてみました。
結果はご報告します。
結果次第で動くか考えてみたいので、
※ここで書くことが不利に働くかも気になってます。
裁判で勝ちたいとか慰謝料が欲しいという希望はないです。ただ、作中内であってもフィクションであっても、実在の人物をモデルに殺人のような行為をするのはどういうことなのか、それを商業で売り物にするのはどういうことなのか本人に少しでも考えてもらえればと思います。
今のところ返事はありません。
ただ、いつも開放していたTwitterのDMを非公開にしていました。彼女なりに何か思うところはあったのでしょう。
私にも今の生活があるし、過去の話とどちらを大事にしたいかと言えば今の生活です。(ちなみに彼女との関係は私の中で終焉していました。あの作品を読むまでは)
しばらく様子見はしますが、
「クズの本懐」などで知られる横槍メンゴの短編集「一生好きってゆったじゃん」が、本日2月28日に発売された。本作にはグランドジャンプめちゃ、週刊ヤングジャンプ、ヤングジャンプラブ(いずれも集英社)、ビッグコミックスペリオール、週刊ビッグコミックスピリッツ(どちらも小学館)で発表された計7編のオムニバスを収録。本当に好きな人を手に入れられなかった女の結婚式を描く「鋼の心」、あるマンガ家のほろ苦い青春時代を切り取った「Neo Dutch Wife」、同級生に憧れ続けた女の姿を綴る「一本花」などが収められた。
ヤンジャンで100円で買えるらしいがhttps://ynjn.jp/app/title/784 100円出したくない